
モコモコさんとブラックアウト
モコモコさんとブラックアウト
前編『モコモコさん』
◆死亡ルート
帰り道。夜道。私は後ろを振り返ることができない。何故ならモコモコさんが現れるからだ。ある人は浮浪者と言い、ある人は通り魔と言い、ある人は幽霊と言う。だけど、私は一度見たことがある。部活終わりの帰り道だった。
街道の下、異様なシルエットを闇夜に浮かばせて、モコモコさんは唸っていた。モコモコさん。肉のピンクでモコモコさん。頭が異様に肥大して、血脈が脈打ち、そして、モゴモゴと謎の言葉を唱えていた。モコモコさんは足を引きずりながら、「いやいやよいよやみき みやみやそわの いやみよのおさなごはの……」と呟いていた。
ある人がその声を録音した。解読しようとしたのだ。だが、無理だった。でも、私はクラスグルに送られたその音源をほんの思いつきで逆再生してみた。
『このこのななつのおいわいに おふだをおさめにまいります いきはよいよいかえりはこわい このこのななつのおいわいに おふだをおさめにまいります いきはよいよいかえりはこわい このこのななつのおいわいに おふだをおさめにまいります いきはよいよいかえりはこわい……』
延々と、通りゃんせのフレーズを繰り返していた。鼓動が早くなる。モコモコさん。後ろを振り向いてはならない。彼女はどこにいても追いかけてくる。
子どもを亡くした母なのだろうか。モコモコさん。可愛そうなのかもしれない。だが、それが一番してはならないことだった。同情すること。あの世の者と同調すること。それがいけなかった。
窓の外から声が聞こえだした。
「いやいやよいよやみき みやみやそわの いやみよのおさなごはの……」
声がする。女の声。とても悲しい声。怖い。とても怖い。だけど放っておけない。モコモコさんを見たくなった。窓から外を覗く。路上にはモコモコさんがいた。
家から出る。モコモコさん、どうして泣いているの?
モコモコさんはいなかった。代わりに一人の女性が立っていた。そう。私と同じくらいの背丈の女性。
「みーつけた」
瞳が合った。その顔は私のよく知る顔だった。私の顔だった。違う。私の顔ではなかった。
だが、すぐに私の顔になった。
「ありがとう。お姉ちゃん」
私はモコモコさんになった。
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◆生存ルート
早瀬由真は底しれぬ死の沼に浸かり始めていた。お腹の奥で不快な何かが蠢き、背中を嫌な汗が伝うのを感じていた。由真は見てしまった。夜中、お酒を買おうと家の近くのコンビニに寄った帰り道で、自分と同じ顔をした女性を見てしまったのだ。由真は咄嗟にその場から逃げた。今は部屋のベッドの中で眠れずにいた。眠ったら、もう二度と目覚めないのではないかと不安だった。由真は何度も頭の中で家の鍵を全て閉めたことを確認した。それでも不安になるが、ベッドの中からは出られないでいた。
由真にはあれはただの見間違いではないと確信していた。なぜなら、ひと目見た瞬間に全身に鳥肌が立つのを感じ、背筋が凍りついたからだ。由真は自分の魂に死の刻印が刻み込まれたという錯覚に陥る。
時刻は深夜0時46分。由真は気を紛らわせるためにテレビをつけることにした。由真はゾッとした。
テレビに映ったタレントが自分そっくりに見えたからだった。だが、由真がよく目を凝らして見ると、よく知る女優であることに気づき、由真はそっと胸を撫で下ろす。結局、由真は眠る気も起きず、終夜テレビを見ることで恐怖を紛らわした。
そんな日が何日も続いた。由真は音に敏感になっていた。ちょっとした物音にも体を反応させるようになった。そして、その物音が何を伝えようとしているか考えるようになった。
「いやいやよいよやみき みやみやそわの いやみよのおさなごはの……」
遠くからそんな音が聞こえる気がしてならなかった。由真はもう一人の自分と戦っていた。負けたほうが死ぬのだと思い込み、必死だった。
「あなたは私なの?」
部屋の天井に向かって由真は訊く。それに答えるかのようにカタとどこかで音が鳴った。
「なら、どうして私を脅すの?」
今度は部屋の照明がカチっと鳴った。
「そう。でも、この体は渡さないから」
由真は狂っていた。それは不眠が原因なのだろう。霊性の高まり。だが、当の由真は自身の異常性に気付いていない。
「あなたはもう死んだのよ」
由真がそう言い放つと部屋には静寂が訪れた。そうして、久々に由真は眠った。
私も生きたかったのに。
由真は不快感で目を冷ました。朝は朝だが、外は曇り空で太陽の光などはなかった。由真は救いがないなと思う。
「それにしても嫌な夢だったな」
由真は夢を見た。もう一人の自分と話す夢を。いや、自分によく似た妹と話す夢だった。
由真は後で自身がバニシングツインであることを知った。そのことを両親は由真に内緒にしていたのだ。由真は生まれなかった妹の分まで生きると決めた。
◆追記
モコモコさんに会ってしまったら「あなたはもう死んだんだよ」と優しく言えば助かります。モコモコさんはあなたが生まれることで生まれることのできなかった子どもたちなのです。どうか悲しまないで。同情しないで。引き込まれないで。ただ、彼ら彼女らに弔いを捧げてください。
後編『ブラックアウト』
◆ケース1
音楽を聴いて、友達とスマホの連絡アプリでトークしながら街を歩いていた。
「あぶね」
通り過ぎる車の音にはっとした。知らぬ間に赤信号の横断歩道を渡ってしまっていたことに気づく。やはり歩きスマホは危ない。やめよう。スマホをポケットにしまい、視線を上にあげると異様な街並みが広がっていた。
道行く人が皆俺のことを見ていた。ゾッとした。やめろ。見るな。
居心地の悪い視線の嵐から逃れるように、俺は早足で歩いた。下を向いてただただ必死に歩き続けた。どのくらい進んだか。確認のため顔を上げると今度は先と打って変わって、町から人が消えていた。目の前にはひとつの横断歩道。信号は赤だった。いくら待っても緑にならない。信号へのイライラと異様な町並みへの焦燥が俺を追い詰める。
「やぁ」
声をかけられた気がして後ろを振り返る。そこには███████がいた。そして全てを悟る。無性に親近感が湧いた。
「おかえりなさい」
近づくにつれより強い生を感じることが出来た。今まで感じた中で一番の安心感、多幸感に包まれていき、俺はママに抱っこされていた子供の頃を思い出していた。
「ありがとう」
◆ケース2
駅のホーム。快特の乗車目標のところに女子高生が立っていた。彼女は黄色い線の上にいて少し危なげだった。そのことを周りの人達は気にしているようだが、行動に起こすものはいなかった。
死ぬならとことん迷惑をかけて死んでやると昔は思っていたが、彼女の心には今はもう、疲れと諦念しか無かった。
彼女の人生は平穏や幸せとはかけ離れたものだった。酒に溺れた父親。「ごめんなさい」と言い残して蒸発した母。その日から母に向かっていた暴力が少女の方へと向かった。何度も無理やり性交をせがまれた。抵抗すればそのぶん殴られる。
家に帰るのが嫌で、怖かった。だから彼女は友達に相談して、その友達の家に泊まったことがあった。だが、帰ったときに酷いことをされた。殺されかけた。
「お前、男でもいるのか?」
「俺に開かねえのに、他の男には脚開くんだな!」
父親が包丁を手にした時は死を覚悟した。彼女は警察に通報すると脅したが、
「やれるもんならやれよ。だが、通報したら、俺はお前を殺して自殺してやる」
結局彼女は助けを呼ばなかった。呼べなかった。
幸いにもその包丁は使われることは無かったが、同時に彼女は処女を失った。行為の最中、父親はとても優しかった。それは幸せだった幼い頃を想起させた。そして彼は泣いていた。
これが俗に言う賢者タイムなのだと思った。その時、学校でやった志賀直哉の『城の崎にて』に出てくる『生と死は紙一重』という言葉は本当なのだと思った。
殺されるよりはマシだと思い、彼女は学校が終わるとまっすぐ家に帰るようにしていた。
ある時、彼女は父親に金がいるからと言われ、見知らぬ男たちと性交させられた。彼女は既に傷だらけであり、これが私の人生なんだと諦めていた。
だけど今はこんな人生だけど生きてくしかない、と彼女は割り切っていた。私はいつでも死ねる。でも今こうして生きているのだから、わざわざ自ら死ぬことは無い。
《2番線快特電車が通過致します》
そのアナウンスを聞いて、彼女が少し下がろうとしたその時だった。
ドっ。
彼女の体が押された。そしてその身は線路へと放物線の一部を描きながら落ちていった。
彼女が落ちながら見た人影。そこに居たのは彼女の友達だった。今日は遅れるから、先行っててって言っていたのに……。
「あんたのせいで私の家族はめちゃくちゃなんだよ。死んで償え!」
『私は死を受け入れることができるのだろうか』
『死んだらどうなるのか』
『私の人生に意味はあったのか』
死への肉迫が少女の思考を加速させていく。その時声が聞こえた気がした。優しい少年のような少女のような声だった。
「おかえりなさい」
◆ケース3
昼の教室。その一角で三人の女子生徒が輪を作って話している。
「ねぇ、『黒玉』っていう都市伝説知ってる?」
「え、それって、これから死ぬ人が見えるって言うやつでしょ?」
「そうそう。ちょうど人くらいの大きさの卵型の黒い塊が、これから死ぬ人の前に現れるんだって」
「え、なにそれ怖っ。私知らなかった」
「でねでね、少年の声で話しかけてくるらしいよ」
「マジでか……」
「まじまじ」
「あれでしょ。上手く返答することが出来たら死から助けてくれるんでしょ」
「そういう説もあるね」
「それって普通に優しくね?」
「まぁあくまで都市伝説だからね……」
「でも、いきなり人くらいの大きな黒い塊が話しかけてきたら、普通に怖いよな」
「それなー」
その女子の輪から少し離れたところで二人の男子生徒が話している。
「信じる?『黒玉』の話」
「信じるわけないじゃん。バカの暇潰しでしょ」
「そーだよな。でも、その黒玉こそが死の具現化っていう話もあるらしいよ」
「死の具現化……か。走馬灯みたいな感じで、死が迫った人が妄想した『死』っていうんだったら、ちょっとは信ぴょう性あるかもな……まぁ、信じないけどさ」
「オカルトの類、お前信じないもんな」
「信じないね。そんなことよりさ、今日の俺の運勢最悪かもしれない……」
「どしたの?」
「いや、ね。朝からふたつも事故にあったんだよ」
「事故っ! 遅刻したのってそれが原因?」
「そうだよ。人身事故と交通事故」
「げっ。それは災難だったな」
「しかも、両方目の前で、だよ。トラウマだよ」
そう言いながら少年はその時のことを回想していた。彼の目の前で死んだ二人の男女。彼を一番悩ませていたのは死の直前二人が笑っているように見えたことだった。
◆ケース4
『また会おうね』
そう言っているように感じた。
君たちは弱い。
君たちは儚い。
君たちは脆い。
取り巻く宇宙の真ん中、無数の塵のひとつの地球、彼の重力がないと生きられない存在。
太陽のppチェインがなかったとしたら、太陽放射がなかったとしたら、少しでもバビダブルゾーンから地球が外れていたら、生まれてこなかった存在。
それが君たちだよ。
君たちは賢い。
数千年で君たちは地球の至る所を支配したね。
賢いのは大いに結構だが、僕はね、君たちは賢くなりすぎたと思うよ。己の弱さをいつからか忘れてしまった。慢心。
その結果が環境問題や生態系の破壊、戦争に犯罪、社会格差や福祉問題なんじゃないの?
君たちは何処から来てどこへ向かうのか。
君たちが生まれてばかりの頃はそんなことを考える余裕はなかったよね。毎日食料を探して、天敵から身を守り、寝床をつくる。でも賢くなった今、考える余裕を得た暇な君たちは哲学と称して、宗教と称して、己の生の証明をし始めた。
君たちの中で初めて自殺したものが出た時僕は驚いたよ。他の生き物の中に犠牲や生贄や献身以外で自分の命を自分で断つものなんていないからね。
賢くなって君たちは孤独になった。
賢くなって君たちは不自由になった。
賢くなって君たちは。
いつでも僕は君たちのことを待ってるよ。
結局は僕が君たちの居場所。
僕がいないと君たちは生きていけない。
生の本質は空虚。
僕がいるから君たちは生を実感できるんだよ?
僕がいるから空っぽのキャンバスに色が塗られていく。
色即是空と空即是色。
だからお願い。
僕を忘れないで。
死を……忘れないで。
一瞬の光
一生の想い
一時の凪
君の世界が終わるまで。
怪奇は連鎖する。
幻想は現実と混ざっていく。
何が答えですか?
あなたの意味は何ですか?
モコモコさんとブラックアウト