Summer Lovers〜青い戀人たち〜

Summer Lovers〜青い戀人たち〜

You live but once; you might as well be amusing.

人生は一度きり。だから楽しむべきよ。

Gabrielle Bonheur "Coco" Chanel
(19 August 1883 – 10 January 1971)

此のパーティーには
此れと言ったルールはございません。
守っていただきたい事はただ一つ。
なるたけ変な格好で
出席をしていただく事です。

其の様な内容の文言を、タイプライターの前に腰掛け、咥え紫煙でバチバチと打ち込み終えた黒曜は、慇懃無礼〈いんぎんぶれい〉も此処迄来ると実に御立派だよ、と頭の中でひっそりと呟くと、咥え紫煙のまゝテラスへと移動した。
びゅうびゅうと言う海風が響き渡る中、浜辺では旅行者らしい人物が泳いだり、或いは色とりどりのビーチチェアに腰掛け、のんびりと紺碧の海を眺めていた。
書斎のカレンダー曰く、今日で七月も八日目を迎えようとしており、黒曜は額にうっすらと浮かんだ汗を左手の指先で軽く拭うと、暑さから逃れる為に靴音を響かせ乍ら書斎へと戻った。
其れから数分後、黒曜は青藍色のレンズが嵌め込まれた度の入ったディズニーのファッション・サングラス、黒のシャツとショルダーバッグ、紺色のジーンズ、そして黄褐色のビーチサンダルと言う格好で、放っておくと何処迄も続いていそうな海岸線の道を歩き始め、軈て一軒の家に辿り着いた。
ベルを鳴らすと、此の家の主の諸々の世話をしているもうそろそろ六十後半になろうかと言う婆やが出て来て、黒曜が道中購入して来たチーズケーキの箱を受け取り乍ら、何時もすいませんね、と言って黒曜を部屋の中へと案内した。

お飲み物は何時もので?。

婆やが言った。

あゝ、其れで結構。

そんなやり取りをしていると、庭のロッキング・チェアに腰掛けてウトウトしていたらしい家主が、食べ物の雰囲気を嗅ぎ付けた猫の様なのっそりとした足取りでリビングの方へとやって来て、ひと言、今日はチーズケーキか、と黒曜に言った。
家主の名前はモクレンと言った。
黒曜が掛けていたサングラスを外す傍ら、モクレンの脚線美と呼ぶに相応しい脚に視線を向けつゝ、シンプルな味もよかろうと思ってな、偶には、と述べると、茅色の椅子に腰掛け乍ら此処数ヶ月の間に食したスイーツ或いはお菓子の類いの味を思い浮かべつゝ、物憂げなトーンの聲で、其れもそうだな、とモクレンは答えた。
そうこうしているうちに、真っ白なテーブルクロスの敷かれたアンティーク調の円卓の上に出来立ての珈琲と箱から取り出され、ケーキ用の小皿に載せられたチーズケーキが二人分運ばれて来た。

何か音楽でも?。

陽光を浴び、銀色に光るフォークを丁寧な手付きで並べ乍ら婆やが言った。

そうだな、じゃあ、御言葉に甘えて。

黒曜がそう返事をすると、畏まりました、と言う返事があったのち、婆やは壁際のオーディオ・プレイヤーのリモコンを操作し、電源を付けたのち、再生ボタンを押した。
大英博物館に所蔵されている『ロゼッタ・ストーン』の色彩を彷彿とさせる紺鼠〈こんねず〉色のスピーカーからゆったりと流れて来たのは、ルイ・アームストロングの『君微笑めば』だった。

此処数日はだいぶ賑やかな生活らしいな。

ウトウトしている間に渇いた喉を潤そうと珈琲を流し込んだばかりのモクレンが、珈琲カップから立ち昇る湯気越しに黒曜を見つめ乍ら言った。

あっちこっちのパーティーに「座興」の一員として呼ばれているそうじゃないか。

俺よかピアノが上手いヤツなんざ、何人も居る筈なんだがな。

黒曜はそう言い乍ら、チーズケーキを頬張った。

ま、精々夏の間に儲けておくんだな。
此処で生まれ育った人間同士、今更こんな事を言う必要もあるまいが、一番客足が伸びるのは、夏の時期なんだから。

御助言、どうも。
そう言うお前も此の頃じゃ、舞台で踊る機会がめっきり増えたって言うじゃねぇか。

誰が何処で如何売り込んだのか知らんが、此の半年でやけに仕事が増えた。
強いて誰かさんとの違いを挙げるとするならば、生活の為と言うよりは退屈を凌ぐ為、と言う雰囲気と気分だが。

其の言葉には明らかにモクレン独特の黒曜に対する嘲りが含まれていたのだが、一々相手をしても仕方がないと言う表情を黒曜は浮かべ乍ら、年がら年中日曜日って言う訳にもいくめぇしな、と呟き、チーズケーキをフォークに突き刺すと、所謂「あーん」をする為にモクレンの方へと其の長い腕をぬいと伸ばした。
モクレンは可愛らしい小さな「お口」を大きく開けてチーズケーキをパクリと頬張り、其れを珈琲で流し込んでひと息吐いたのち、パーティーと言えば綺麗どころも出席するのが御約束だが、チヤホヤされてうわついた気持ちになったりしていないだろうな、と黒曜に言った。

次から次へとリクエストが来るんだ、色目を使おうにも其の暇がねぇや。

黒曜はそう言って珈琲を啜り、ぱくついているうちに最後のひと口になったチーズケーキを頬張った。

澄ました顔をしていても、此の人達はまだ青い歳頃ね。

さり気なくお皿とフォークを片付け乍ら、婆やはこゝろの奥底でそんな事を呟き、そして笑った。

此れから何処かへお出掛けなさいます?。

婆やが言った。

食後の運動と言う程でもないが、散歩でも。

モクレンはそう言い乍ら右手でテーブルナプキンを軽く握ると、上品な手つきで微かに汚れのついた口元を拭き取り、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
そしてひと言、着替えを済ませてくる、と黒曜に伝えてから、軽い足取りで二階へと赴いた。
黒曜はモクレンからの伝言に、あいよ、と返事をしたのち、自身の書斎のシーリング・ファンと同じ玄色のシーリング・ファンの風を浴び乍ら、ジーンズの右ポケットから鈍色のシガレット・ケースを取り出して紫煙を口に咥えた。

相変わらず仲がよろしい様で。

燐寸で紫煙に火を点け乍ら、婆やが揶揄い気味に言った。

実に手前勝手で大仰な言い草だが、仲が良いとか悪いとかを超越〈ちょうえつ〉している様な気がしてならねぇ、こうも付き合いが長いと。

貴方の御父様は天に召される直前迄、実に捻った物言いをなさっていましたが、蛙の子は蛙とは良く言ったもので。

燃え殻を塵箱の中に放り込み乍ら、婆やが言った。

映画音楽の題名じゃねぇが、「宿命」って言うんだろうよ、其れも又。

黒曜はシーリング・ファンの風でゆらゆらと揺れる紫色の煙をぼんやりと見つめ乍ら、丁度十年前の今頃、老衰で亡くなった父親の事を思い出した。
其れから何をどう思ったのか、吸っていた紫煙を、婆やが用意をした本物のクリスタルで出来ている灰皿の上で軽く揉み消すと、そんじゃ、ちょっくら、と言い乍ら、階段を登ってモクレンの部屋をノックし、入るぞ、とひと言聲を掛けてから部屋の中へと足を踏み入れた。
黒曜が買い与えた家具が居並ぶ狭過ぎず広過ぎずな部屋の中では、イミテーションとはいえ、細々とした宝石の散りばめられたドレッサーの前の椅子に腰掛けたモクレンが、ベイマックスのカチューシャを装着しようとしていたので、よろしければ私がお付けいたしましょうか、お姫様、と芝居がかった口調で黒曜が聲を掛けると、お姫様は、お気遣いありがとう、と言って手に持っていたカチューシャを両手で黒曜に手渡した。

バードランドの子守唄
そっとささやき
甘くキスしたら
私たちは行ける
バードランドを飛んでいく
空高く舞い上がる
だって私たちは戀しているから

黒曜はカチューシャをモクレンの綺麗な髪に装着をし乍ら、サラ・ヴォーンの『バードランドの子守唄』の一節を軽く口ずさんだ。

ほい、装着完了、と。

婆やの手によって丁寧に磨かれた鏡に映り込もうと、敢えて自身の身体を屈め乍ら黒曜が言った。

有難う。

そう述べたモクレンの口調は実に軽やかで大変に満足気だった。
そして鏡越しに黒曜の顔を見つめ乍ら、お前も付けるか、カチューシャ、と提案をし、ドレッサーの棚の中から引き出した、度入りと言う事も含め、黒曜とお揃いのサングラスを掛けた。

そういや、ミッキーのカチューシャがあったな。

今日は機嫌が良いから、私が直々にカチューシャをお前の頭に「載っけて」やろう。

椅子から立ち上がるなり、カチューシャと言った様な装飾品の類いが仕舞ってある白百合色の戸棚の前へとやって来て、中を漁り乍らモクレンが黒曜に負けじと芝居がかった口調で言った。

今だったらナポレオンの気持ちが分かる様な気がするぜ、ほんの少しだが。

ナポレオン・ポナパルトの首席画家であったジャック=ルイ・ダヴィッドの手によって描かれた油彩画『皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式』を、今から十年程前に「雨宿り」も兼ね、転がり込む様にして立ち寄った仏蘭西は巴里のルーヴル美術館にて鑑賞をした際、偶々自身の隣に立っていたモクレンの立ち姿に一目惚れをした際の事を思い出し乍ら黒曜がそう述べると、孫悟空の気持ちだろ、お前の場合は、と言うモクレンの聲が耳に入って来たので、黒曜は思わず、緊箍児呪〈きんこじじゅ〉かよ、其のカチューシャは、と苦笑いを浮かべた。

似合うか?。

黒曜が鏡越しにモクレンの顔を見つめ乍ら質問すると、モクレンは何の悪戯ごゝろなのかは知らないが、黒曜の耳元にそっと唇を添えて、似合っているぞ、中々にと囁き、黒曜の顔の方向を自身の方にグイッと向けて、モクレンなりの愛に溢れた口付けを、態とリップ音が響く程度に黒曜の唇に落とした。
其の瞬間黒曜は、自身の両耳が『白雪姫』で御馴染みの林檎の様に真っ赤に染まるのを感じ乍ら、お、おう、有難うよ、と感謝の意を伝えた。

日照りが続いて今日で何日目になるんだろうな。

黒曜の左手を握りしめ、何処となくふわふわとした足取りで浜辺への道を歩み乍ら、モクレンが言った。

もう二週間になるんじゃないか、確か。

黒曜がそう答えると、其の聲と折り重なる様にしてガサガサと道に植えられた椰子の木が風に揺れる音が聴こえて来たのだが、生憎の陽気と言う事もあり、吹いて来た風は涼風とは言い難かった。
時刻は昼過ぎと言う事もあり、溢れ返る、或いはごった返すと言う程でも無かったが、浜辺は肌を小麦色に焼いた人々の姿と日除けの為のビーチ・パラソルやテントが実に良く目立ち、そして良く映えた。
其のお陰なのか、黒曜とモクレンの身に付けた一風変わったカチューシャとサングラスは悪目立ちをしないで済んでおり、黒曜はほんの少しだけ、且つモクレンに悟られない程度に心を撫で下ろした。

ソフトクリームとコカコーラでも買って、ガゼボにでも行かないか?。
彼処なら人気〈ひとけ〉も暑さも避ける事が出来るぜ。

周囲を見渡したのち、黒曜が右手の人差し指で指差した先へ、モクレンがぬるりと視線を向けると、其処には確かに万緑の樹々に囲まれたガゼボがあった。

よかろう。

モクレンはそう返事をすると、迷子になるなよ、と言い乍らソフトクリームとコカコーラを売っているショップ迄、人混みを上手く避け乍らヅカヅカと歩き始めた。
そしてショップに辿り着くなり、バニラ味のソフトクリームとコカコーラを二つ、とショップで働く若者に伝えた。

お前が「引っ張りだこ」のパーティーもこんな風に人の数は多いのか?。

家を出る前に婆やが手渡してくれた純白のハンカチで額に浮かんだ汗を軽く拭いつゝ、モクレンが言った。

まさか。
多くて二、三十人さ。

そう言い乍ら支払いを済ませた黒曜は、透明な水滴が両手に滴り落ちるのを感じ乍ら、コカコーラを持つと、ソフトクリーム、よろしく、とモクレンに伝えた。
モクレンはバニラの香りが鼻腔を擽るのを感じ乍ら若い店員からソフトクリームを受け取ると、先程の歩みとは打って変わって、ゆったりとした足取りで砂浜を歩き乍ら、落とさない様にしないとな、お互いに、と誰に言うとでも無く呟いた。
其れから歩く事凡そ五、六分。
ガゼボに辿り着くなり、モクレンはまるでひと仕事終えた時の様な表情を浮かべつゝ、ガゼボの椅子にどっしりと腰掛けた。
物心ついてから此の方、乳母日傘で育てられて来た人間にとって、幾ら自分の慾望を満たすが為とはいえ、今度の様に両手に何か物を持って移動をするなどと言うのは、まさにひと仕事らしかった。
其の様な繊細な気持ちを察してか、黒曜はモクレンの方へと身体を寄せるなり、御苦労様でした、と労いの言葉を添えつゝ、コカコーラを手渡し、空いた手でモクレンの左手に握られていた自分の分のソフトクリームを受け取った。
そしてボンヤリとしているモクレンに向かって、乾杯しようぜ、と言った。
モクレンは、軽く首を回したのち、では気を取り直して、乾杯、と呟くと、コカコーラの瓶の飲み口をコツンとぶつけ、勢いよく喉に流し込んだ。
ガゼボには文字通り黒曜とモクレンの二人しか人が居なかったが為に、乾杯の音色は勿論の事、モクレンが勢いよくコカコーラを渇ききった喉に流し込む音ははっきりとお互いの耳に響いた。
其れと同時に、ガゼボがある場所からそう離れていない場所に佇むこじんまりとした教会から、鐘の音が鳴り響いて来て、出席者達から歓迎される花嫁花婿の姿がサングラスのレンズ越しにパッと映った。

良い雰囲気だな。

ソフトクリームを頬張り乍ら、モクレンが言った。

あゝ、此方に負けず劣らずな。

新婚旅行は何処を選んだんだろうな。

さあな。
ただ此れだけは間違いないのは・・・。

二人っきりの時間を邪魔されない場所か。

違いねぇ。

「セレモニー」がひと段落し、三々五々に分かれ始めた出席者があゝでもない、こうでもない、と言う会話を交わしているのを見つめ乍ら、黒曜とモクレンはニヤリと微笑った。
其れから十五分程経ったのち、涼むだけ涼んでガゼボからの風景を堪能した黒曜とモクレンは、塵箱に塵を片付けてから、年配の旅行者達に混じってお役所が管理をしているらしい庭を散歩し、此の花、飾ったらお前に良く似合うぜ、と言った風な、若々しい戀人達らしい他愛無い会話を交わし乍ら浜辺へと戻った。
時刻はもうそろそろ夕刻に差し掛かろうとしているお陰なのだろうか、あれだけ居た筈の人々の姿はまるで楽しかった夢の様にすっかり消えてしまい、人の会話の聲よりも寄せては返す波の音の方が大きい程であった。

腹減ったろ。

砂の上に直に腰掛け乍ら、黒曜が言った。

昨日の晩は肉料理だった。
だから喰うなら魚だな。

腰掛けるなり、黒曜の左腕にだらりと巻き付いたモクレンがリクエストを述べると、黒曜はモクレンのソフトなだけでなく、そこはかとなくエロティシズム漂う肉体の感触と海風に浸り乍ら、じゃあ、『おしゃれキャット』にでも行くか、彼処なら食事の後にダンスも踊れるし、彼処はホテルの中のレストランだから、そのまんま泊まっても良いしよ、と提案をした。

したいのか、朝帰り。

モクレンが言った。

あゝ、したいな。

じゃあ、指環の一つでも用意してくれ。
玩具でもイミテーションでも構わんから。

畏まりました、お姫様。

そう言って黒曜は、ショルダー・バッグの中から指環の入った箱を取り出し、箱の蓋をそっと開けた。
其処にはイミテーションどころか、素人の眼から見ても百万単位の値段はするであろうアメジストの嵌め込まれた婚約指環が鎮座していた。

サプライズが好きなヤツだって言う事は知っていたが、こんなモノ迄用意するとはな。

言葉其の物は何時もの憎まれ口と大差無かったが、掛けていたサングラスを外し、指環をじっと見つめる視線の美しさは、宝石よりも美しく、空に浮かぶ星々よりも光り輝いていた。

何をどう言っていいのか、分からない。
こんな気分は初めてだから。

波の音が延々と鳴り響く中、黒曜が何時も以上に優しい手付きで指環をモクレンの指に嵌めると、ほんの少しだけ聲を震わせ乍らモクレンが呟いたので、黒曜はまるで年頃の子どもに安心を与えるかの様にモクレンの身体をそっと抱き締め、背中を摩り乍ら、待ったかどうかは分からんが、今言わないと後悔しそうだからハッキリと伝えとく、俺と結婚してくれ、いや、結婚しろ、とプロポーズの言葉をモクレンに伝えた。
モクレンは了承の意味も込めて黒曜の身体を強く抱き締めると、あゝ、結婚してやる、そして末永く添い遂げてやる、お前が厭だ、飽きたって言ってもな、と耳元で告げた。
ずっと言いたかった言葉を告げる事が出来たお陰なのだろうか、黒曜とモクレンのこゝろと身体は急に軽くなり、軈てクールな気分に包まれ始めた。
二人が結婚式を挙げたのは、例のこじんまりとした教会だった。〈終〉

Summer Lovers〜青い戀人たち〜

Summer Lovers〜青い戀人たち〜

熱過ぎず、かと言って涼し過ぎず。 大人過ぎず、でも若過ぎず。 そんな愛物語〈ラブストーリー〉を綴る黒モク小説。 題名はランダル・クレイザー脚本・監督作品『Summer lovers』及び其の邦題から引用。 ※本作品は『ブラックスター -Theater Starless-』の二次創作物になります。 ※腐要素あり。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-01-07

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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