侵略婚〜皇帝陛下に捧げられました〜

01.落城

 草木も眠る午前二時頃でございました。裏の森から遠く、フクロウの声が致します。良い満月の夜でした。私は眠れずに、半地下になった使用人室の冷たい壁にぽっかり空いた、鉄格子のはまった明り取りの窓辺で月を眺めておりました。

 石畳を駆ける馬蹄の音とヒヒンといういななきがして、外は少し騒がしいようでした。何十もの騎兵と歩兵たちが城壁を取り囲み、次の指示を待っているようです。やがてダダダダッと重い軍靴の響きが狭い階段を駆け下りてきたかと思うと、

「外へ出ろ」

 誰かがバン、と私の部屋の粗末なドアを蹴破りました。帝国軍でしょうか、黒い軍服を着た兵士たちが部屋に侵入し、長銃を私に向けて脅します。私は素手の両手を肩まで上げると、静かに従いました。暗い廊下を歩いていますと、

「エイミ、こちらへ来い!」

 父上が私を呼ぶ声が聞こえ、私はそちらに参りました。寝間着姿の義母(はは)上もおられて、長銃を提げた帝国軍兵士がその背をついて前へ歩かせております。私は父上、義母上よりさらに前を歩かされ、城の外へ出ました。何の事はない、親の盾にされた形でございました。

 無血開城というのでしょうか、元々少なかった警護の兵も非武装の使用人たちも、ケガや混乱なく逃がされたようで私はホッとしました。帝国軍兵士はよく訓練されており、無駄な殺戮は行わないようです。城内を荒らして金品を強奪することもありませんでした。彼らは非常に規律正しく、私たちに乱暴を働くこともございませんでした。


 私たちは太いロープでくるくると後ろ手に縛られると、公開処刑される罪人の如く、石畳の上へ膝をついて座らされました。うなだれて今後のお沙汰を待ちます。住処の城を攻め取られても、私に悲しみはございませんでした。無言でうつむく私たちを、満月が明るく照らしておりました。

「名を申せ!」

 どれほど待った後だったでしょう。ほとんど怒号と言っていいほど、大きなよく通る御声が夜陰に響き渡りました。重い瞼を上げると、軍服に黒いマントを羽織った御方が一人、私を見下ろしておられます。漆黒の御髪に金色の瞳をお持ちの方でした。日に焼けた褐色の肌に満月が照り映え、美しく妖艶で……ほとんど神々しいほどでございました。

「言わぬか!」

「エイミでございます」

 烈火のごとくお怒りになるので、私は震える声で小さくお答えしました。

「つまらん名だ」

 その御方は吐き捨てるように仰ると

「お前は今日から(サク)と名乗り、余に仕えよ」

 吠えるように仰って、マントを翻して行ってしまわれました。私はただ呆然と、いつまでもその後ろ姿を見つめておりました。

02.征服

 私の国は一夜のうちに帝国に征服されてしまったようでございました。我が国に重大な条約違反があり、その報復とのことでございます。国の歴史はあっさり幕を閉じましたが、帝国の支配下に入れたことを喜ぶ民がほとんどでございました。通貨も言葉も変わらず、モノと人の往来は自由になり、税率だけが下がるのですから。大きな混乱もなく、皆は喜んで受け入れてくれました。
 父上と義母上は国外へ追放され、私は捕えられて皇帝陛下の捕虜となりました。私の身を差し出すことと引き換えに父たちは命拾いし、自由を得たのだそうです。

「何か不自由はございませんか」

 私は捕虜と呼ぶには丁重な扱いを受けながら、皇帝陛下の御住まいまで連行されました。昆羅(コンラ)という名の男性が親切に私の世話をしてくれます。

「あの、皇帝陛下には何とご挨拶すれば」

「挨拶など要りませんよ」

 コンラは笑って私にそう言いました。

「せっかちで、形だけの礼儀などお嫌いな方です。ただ素直にお従い下さい」

「はい」

 身を売られ帰る場所も失い、絶望的な状況のはずながら、私の心は不思議と軽いものでした。馬車の中から眺める景色も心なしか明るく、楽しい旅をしているかのようでございます。未明から馬車に揺られ、日暮れ頃着いた先は堅牢なお城でした。そこかしこに銃を提げた護衛が立っております。私は攻め込まれた際の寝間着姿に裸足のまま、コンラに手を引かれて馬車を降りました。

「朔様をお連れしました」

「通せ!」

 コンラの報告とほぼ同時と思われるほど素早く、皇帝陛下が大きな声でお答えになるのが聴こえました。陛下の御声はいつも鋭く、短く、強い獣が吠えるように邸中に響きます。私は差し出された柔らかな靴を履いてコンラの後に続きました。コンラは長い廊下の突き当りでガチャリと鍵を開けると、大きなベッドの置かれた部屋へ私を通してくれました。テーブルには湯気の立つお茶と軽食が用意されています。

「こちらでお待ち下さい」

「はい」

 私はベッドに腰掛けると、汚れた手足を布で清め、そのまま横になりました。ちょうどいい固さのベッド、いい香りのする布団……とても心地いい気持ちです。ついうとうとしてしまったのがいけませんでした。昨夜からの疲れもあって、私はいつの間にかぐっすり眠りに落ちておりました。

 何がきっかけだったのでしょう。ふと目を覚ますと皇帝陛下が、暗闇の中私をじっと見つめておられるのがわかりました。その金色の瞳は月のように私を照らして下さいます。

「なぜ離婚した」

 陛下はいつもの大声とは違う調子で低く、鋭く問われました。私は寝起きのぼんやりした頭の中、ただ事実だけを短くお伝えしようと努めました。

「親の決めた結婚でしたが、私の妊娠中旦那様に運命の人がお出来になって、そのまま……。お腹の子も流れましたので、私は国に帰されました」

「その男はどうなった」

「今も奥様と幸せにお暮しで、お子さんもいらっしゃいます」

 私のはじめての結婚で、三年前のことでした。前の旦那様を恨む気持ちは不思議となくて。ただ亡くなったお腹の子のことだけがいつまでも、可哀想だったと思います。

「忘れろ」

 陛下は短く仰ると、噛みつくように熱いキスを下さいました。犬歯が鋭く尖ってらっしゃって、雄々しい獣のようです。黒く艶やかな御髪に金色の瞳を持つ陛下を「黒豹」と例える不届き者もいるそうですが、本当に力強くしなやかな体躯をお持ちでした。私は狼に屠られる羊の如く無抵抗に、陛下にこの身をお捧げしました。

03.お風呂

 朝起きると誰もいなくて、私は昨夜のことは夢だったのではないかと思いました。本当に不思議な、気持ちのいい夜で。一糸まとわず布団に寝ていたことだけが、昨夜の幸福を証明しているように思えます。私はあれほどの愛を与えて頂いたことは今まで一度もございませんでした。前の旦那様も貴族でしたが行為は自分本位そのもので、でもこんなものだろうと思っておりましたが……。私は今まで生きてきた人生もほとんど夢だったのではないかと思いました。陛下を知ってしまった後ではそれほど、何もかもが違って見えました。

「湯あみせよ! との仰せでございます」

 コンラからそう言われて、私は耳まで赤くなってしまいました。考えてみれば、城に攻め込まれ捕えられたまま、埃まみれでしたから……。何という体で陛下の御前へ出てしまったのでしょう。私は枕元に用意されたローブを身に着けると、急いで部屋の外へ出ました。外ではコンラが待ち構えたように先に立って歩き、私を浴室へ連れて行ってくれました。

「どうぞ」

 私は帝国式のお風呂というものを始めて見ました。大きな浴槽に温かいお湯が張ってあって、シャワーは別にあるようです。何人かが一緒に入れるのでしょうか、かなり大きな浴室でした。私は手桶のようなものにお湯を汲むと、まず肩を流しました。それから体、髪と気持ちのいいお湯を浴びていますと、

「来たか!」

 背後から陛下の御声が浴室中に響きましたので、私はあまりの恐怖にしばらく振り向くことができませんでした。

「すみません、とんだご無礼を……。すぐ出ますので」

 濡れた髪のまま急いで浴室を出ようとする私の手を、陛下がグッとお掴みになられます。

「共に入れ」

 私の国には誰かとお風呂に入るという習慣がなかったので、私は戸惑ってしまいました。裸の前をタオルで隠したまま、目のやり場に困って下を向いてしまいます。陛下は古代彫刻のような均整の取れたお体にいくつもの傷を持っておいででした。お背中にはどなたかを守られたのでしょうか、大きな斜めの刀傷がございました。

 陛下は私の手を引いたまま、私の羞恥を気になさるふうもなくずんずん歩くとザブンと勢いよく浴槽へ入られました。私も引きずられるように陛下について入ると、いい香りのする乳白色のお湯でしたから、少し体が隠せてほっとしたような気持ちになりました。

「お前は平素服を着て過ごすか」

「はっ……?! はい、着ますが……」

「ならば与える」

 陛下は短く仰って、バシャバシャッとお顔を洗われました。私は陛下の横に座らせて頂いて、何をしたらよいやら、ただ小さくなってしまいます。この大きなお風呂にまた誰か入ってきたらどうしようと、そんなことばかりを私は心配しておりました。そんな私の背が強い腕にぎゅっと抱きしめられて、私は陛下の滑らかな舌が執拗に首筋を舐めるのを感じました。

 この御方は本当に、なんと美しい獣なのでしょう。私はたった一晩で陛下の虜になりました。情熱的なのに繊細で、とても気持ちがよくて……。到底言葉にはできません。陛下は私としばらくキスして下さると、突如バシャッとお湯からお上がりになりました。

「甘えるな。余は忙しい」

 短く仰ると、煙のように立ち去ってしまわれます。私はあまりの寂しさにしょんぼりしながら、そんな自分を恥ずかしくも思いました。もう少し、いて頂きたかった……。膝を抱えて鼻までお湯につかったまま、私はしばらくお湯から上がることができませんでした。私の体はたった一晩で、陛下を覚えて恋しがるようになっておりました。

04.畑

 私たちは城攻めのための仮住まいから第三帝国の本城へ帰ることになりました。第三帝国の名の由来は、神は第一に天を、第二に海を、第三に地を作られた。その地をあまねく統べる由緒正しき帝国だから、ということだそうでございます。
 第三帝国は人々の間では単に「帝国」と呼ばれ恐れられておりました。広大な領地と強い軍事力、誰より苛烈な専制君主を持つ最強国家でございます。第十三代皇帝陛下の御真名は王牙(オウガ)様と仰いました。そのような御方に触れて頂けたことが恐ろしい夢のようで、私は長旅の道中もただぼんやりしながら、コンラの説明をきいておりました。

「そういえば、陛下の馬車が見当たらないようですが」

 私たち以外は軍事用の馬車しか見えないようでしたので、私は不安に思ってコンラに尋ねました。

「陛下は馬車がお嫌いですので、ご自身で馬を駆けて先に行ってしまわれました」

「そうですか……」

 本当にせっかちというのか、気の早い御方のようです。また陛下は機能性、効率ということを非常に重視される方でした。荘厳、華麗などという分野は臣下に任せきっておしまいになり、ご自身はよほどの必要がない限りサッパリとした衣装を身に着けておられます。
 私に下さるドレスも上質な生地をゆったりと裁ったデザインで、とても着心地よく動きやすいものばかりでした。重くきついドレスから解放された帝国城下の女性たちは皆涼しく自由で、幸せそうに歩いているように私には見えました。

 一事が万事そういう調子ですから、お住まいのお城も敷地面積は広大ながら建物自体は質素で風通しも良く、実用的な作りでございました。

「暇だろう。畑をやる」

 陛下はそう仰ると、私に小さな畑とクワと、畑を耕すための可愛いロバを与えて下さいました。私は花くらいなら育てたことがありましたが、本格的な畑を見たのは初めてでワクワクしました。さあ何を植えましょう。こちらは私の故郷より温かいので、作物によっては一年で二度収穫が見込めるかもしれません。
 私は自分の畑の周りにある広大な、よく手入れされた畑を眺めながら考えを巡らせておりました。そこへコンラがやってきて、私にこんなことを教えてくれました。

「これらはすべて陛下の畑でございます。陛下はここで品種改良の研究をなさっておいでです」

 私は思わず目を見張りました。お城の敷地内に畑を持たれ、自ら作物の品種改良に取り組まれる君主など、歴史的に見ても大変稀ではないでしょうか。

「我が国は雨が少なく乾燥地が多いため、収穫できる作物が限られています。陛下は世界中から種や苗を集め、掛け合わせることでより乾燥地に適した作物を作ろうとなさっておられます」

「凄いですね」

 私が見たこともないような作物もたくさんありました。軍人でも家臣でもない人たちが出入りする建物もあり、敷地内には研究施設もあるようです。

「お花畑などでなくてすみませんね」

「いえ。作物の花も美しいです」

 世界最強の第三帝国に内部反乱はほとんどない、と話には聞いたことがありました。歴代皇帝が大変恐ろしく、民が容易に反乱を起こさぬよう厳しく統制しているからだ、などと噂されておりましたが……。こんな理由があったのかと、私は陛下の御心を大変有難く感じました。このような君主に治められる民はきっと幸せでしょう。

 陛下の御習慣としてもう一つ興味深かったのは「金の御供出」ということでした。供出と言っても無理に出させるわけではございません。陛下は普段金のアクセサリーを所有しておられないため、国家的なイベントの際には新たに作らせるか、貸してくれる人を募るのです。これが民には大変好評で大人気でした。
 「自分の腕輪を陛下が身に着けて下さった」と言って家宝にする者、オークションに出す者など、民が何をしても陛下はお怒りにならず自由にさせておかれます。特注して作らせた物も、一度身に着けると話題性のあるうちにすぐ売っておしまいになりました。陛下は所有するということに対してほとんど無関心のご様子でした。

05.憤怒

 私はつば広の帽子をかぶり手袋をしながら、土いじりにいそしみました。毎日空はカラリと晴れ、空気は澄み渡っています。陛下はお忙しいのか、飛ぶようにあちこちへ行かれるのであまりお城にはおられませんでした。私は羽根布団をギュッと抱いて、寂しい夜も一人耐えながら過ごしました。身寄りのない女がこのようなお城で養って頂けるのですから、身に余る光栄と思わねばなりません。

 私の部屋の鍵は外からしか開けられず、鍵はコンラが持っておりました。私は軟禁されているような形ですが、実際はトイレに散歩にと、頼めば気軽に部屋を出ることができます。コンラは優しく、どこにでもついてきてくれました。そんなコンラがある夜、私に不思議なことを言いました。

「陛下から朔様をお慰めする任を仰せつかったのですが、私がご入用ですか」

 私はこの言葉の意味が分からずしばらく固まっておりましたが、コンコンと内側からドアをノックしました。これは私が部屋を出たい時にする合図です。コンラは静かにドアを開けてくれました。

「あの……ちょっとお言葉の意味が分かりかねるのですが」

「そのままの意味ですが」

 コンラは軽く首をかしげると

「共に寝ましょうか、ということです」

 と簡潔に教えてくれました。私は口から心臓が飛び出そうなほどびっくりしてしまって

「ごめんなさい」

 思わずドアを閉めてしまいました。

「私がお嫌いですか? 他の者を寄越しましょうか」

「いえ、そういうことではありません」

 私はドアに背を預けてもたれたまま、胸を押さえて何とか動悸を静めようとしました。なんということでしょう。これも帝国の習慣なのでしょうか。

「ご気分を害されたのならすみません」

 コンラはドアの外から心配そうに謝ってくれます。

「いえ、こちらこそ取り乱してしまってごめんなさい」

 私は目を閉じて大きく深呼吸すると、何とかコンラに謝りました。こんなに親切にしてもらって、コンラのことを嫌いなはずありません。でもそういう目で見たことは無かったので驚いてしまいました。陛下がそうお命じになられたということも、私には大変ショックでした。私はもう用済みなのでしょうか。もう二度と、陛下に触れて頂くことは叶わないのでしょうか……。私はあまりの悲しみに涙も出ず、その場に力なく座り込んでしまいました。その後何日か食事も喉を通らず、ただぼんやり、ベッドで寝込んでおりました。


 そんな私の怠惰が陛下の御耳に入ったのでしょう、陛下はまた突然私の部屋へやってこられました。ある夜眠っていた私が目を覚ますと、いつになくお怒りになった陛下が氷のような冷たい瞳で私を見据えておられました。

「昆羅と寝ろと言ったな。なぜ寝ない」

 陛下の御声は静かでしたが、かなりの憤怒が見てとれました。

「余の命に従えぬなら、今すぐ死ね」

 そう仰いながら太い刃のナイフをスッと私の首元にかざされるので、私はホッと安堵して微笑すると、思わず涙をこぼしてしまいました。

「なぜ笑う」

「陛下にお会いできたのが、嬉しくて……」

 私はこのまま殺されてもいいと思っていました。陛下はいつも月光の下にしか現れぬ精霊のようです。

「昆羅の何が気に入らぬ」

「そんなことはございませんが……ただ、陛下にもう一度お会いしたくて」

 私はこの御方を前にこれほどスラスラ言葉が出てくるのは初めてだと思いました。もう死ぬのだと思うと、恐怖が軽減されたのかもしれません。

「コンラは素晴らしい人だと思いますが、私は陛下のことが忘れられないのです。陛下の代わりなど、誰にも……」

 私は陛下が好きで好きでたまらなくなっておりました。過ごした時間の短さが思い出を美化させている面はあると思いますが……。陛下の魅力は、とても忘れられるものではありません。私はこれほど怒らせてしまって申し訳ないと思いながら、その怒りに震える瞳も美しいと見惚れておりました。こうしてお会いできたことが嬉しくてぽろぽろ涙がこぼれ、他には何も考えられないのでした。
 陛下は涙で潤んだ私の瞳をしばらく見つめておられましたが、ポイとナイフを投げ捨てておしまいになると

「気が変わった」

 飛びつくように私を抱きしめて下さいました。私は気が遠くなるほど嬉しくて。ただただ陛下のご慈悲に甘えました。

06.兄弟

 陛下はその後、不定期に私に会いに来て下さるようになりました。私は嬉しくて嬉しくて、今夜は陛下に会えるかもしれないと思うと昼の暮らしも楽しいし、夜も眠るのが楽しみになります。陛下が私に触れて下さる感覚で目覚めるときの幸せと言ったら、表現しようもありませんでした。頭がぼうっとしてしまい記憶も途切れ途切れで、陛下の夢を見ることもありますし、我ながら夢か現かわからないような、幸せな時間でした。

 コンラもやはり以前と変わらず、節度をもって私に接してくれました。ある日私が畑でナスの花をスケッチしていますと、

「お上手ですね」

 私の肩越しに、コンラが絵を覗き込んでつぶやきました。

「こういう詳細な絵は品種の分類に役立ちます」

 コンラはそう褒めてくれると、冷えたお茶を私に勧めてくれます。私たちは木陰のベンチに人ひとり分空けて座ると、仲良くお茶を頂きました。

「この前はすみませんでした」

「いえ、私のほうこそ断ってしまってすみません。コンラに魅力がないという意味ではなかったのですが」

 コンラは少し笑うと空のコップを持ったまま、前を見て話してくれます。

「実は、陛下と私は母を同じくする兄弟なのです」

「そうでしたか……!」

 言われてみると、確かに髪色や肌の質感、鼻筋などが陛下とよく似ている気がしました。ただ瞳の色が、コンラは美しい琥珀色をしています。

「私の父親は正確には誰かわからないのですが、相当身分の低い人間だったようです。ちなみに陛下は詳細な調査の結果、かなりの確率で先帝の血を引いておられます」

 ご安心下さい、とコンラは微笑みました。

「我々の母はそのような人で、この国の女性はかなり恋に積極的ですから、あなたのようなタイプは珍しかったのでしょう。あれほどお怒りになられるとは、さすがに意外でしたが」

「ごめんなさい。どうするのが正しかったのでしょう?」

 私は思わずコンラに尋ねてしまいました。一応陛下の中での正解を知っておきたく思ったので……。

「朔様のなさった通りでいいと思いますよ。ただ私をあれほど完全に拒絶なさったのはあなたが初めてでしたね」

「すみません……」

「いえいえ」

 コンラは悪戯っぽく笑うと私に追加のお茶を注いでくれました。

「共に寝ると言っても、私を抱き枕のように使って頂いても良かったのです。人形のように扱っても。決定権はあなたにあったのですよ。陛下からあなたへのサービスだったのですから」

「そうですか……」

 今にも殺されそうだったので完全に強制なのだと思っていましたが、あれは私へのサービスでしたか……寂しい私へのお気遣いだったのに、私はずいぶん無碍に扱ってしまったものだと反省致しました。ただ皇帝陛下の御考えはやはり、私の想像を超えておられますが……。

「陛下はちょっと変わっておられますからね。とても優しい御方ですが」

 コンラは懐かしそうな眼をすると、陛下と初めてお会いした時のことを私に語って聞かせてくれました。

「私が五つ、陛下が九つのときでした。私が裸足のまま近所の私塾を背伸びして覗いていますと、陛下が突然来られまして、私をじっと見つめ『今日から余に仕えよ』と大声で仰るんです。びっくりしましたね。私が一番年の近い兄弟だったようです。仕えると言ってもお互い子どもですから遊び相手になる程度でしたが、陛下は子供の私にも大人並みの手当を下さるので、ろくに働いていなかった当時の養父が私を売りまして。その日からお城にお部屋を頂き、住み込みで陛下にお仕えすることとなったのです」

 九歳の可愛らしい陛下が町角で声を張り上げる場面を想像して、私はクスリと笑ってしまいました。当時から御声は大きかったのですね。

「陛下は人の才を伸ばす、ということにかけては非常に熱心な御方ですから、私は親元では到底受けられなかったような質の高い教育を受けることができました。陛下には感謝の念しかありません」

「でも私のお部屋の前にずっといて下さるの、大変じゃありませんか? 私予定表を作って、その通りに動きましょうか」

「全く問題ありませんよ。あなたはだいぶ穏やかに日々を過ごされる方なので、今までで一番楽をさせて頂いています。陛下について各地を飛び回ることと比べたら、嘘のようです」

「陛下は本当にお忙しい御方なんですね」

「じっとしていられない性分なんでしょうね。あれほど国の隅々までご自身で見て回られる方は他におられません。どんな田舎の民も陛下の御顔を知っているのですから」

 高貴な御方、それも皇帝陛下ともなれば民衆には中々姿を見せないものですが、陛下は違うのだと私は思いました。陛下の人気や帝国の安定性は、こういう所からきているのかもしれません。

07.友達

 私がコンラから陛下について様々なエピソードを聴いておりますと、ガラガラと派手な馬車が一台、畑の間を通り抜けてお城の前に停まるのが見えました。

「昆羅! 昆羅!」

 急用でしょうか、若い女性がコンラを呼ぶ声が聴こえます。

「ちょっと失礼します」

 コンラは私の前を足早に駆けていくと、馬車から一人の女性を連れて戻ってきました。

「あなたが例の」

 その女性はベンチに座る私を頭から足先までざっと眺めると

「あなた、良いわね! 土の匂いがする。陛下が絶対好きそう」

 と笑って言います。私は褒められているのかけなされているのかわからず、ちょっと戸惑ってしまいました。ベンチから立ち上がり、丁寧に頭を下げてご挨拶しました。

「はじめまして、朔と申します」

楊妃(ヨウヒ)よ」

 ヨウヒは気さくに右手を差し出すので、私も手を拭いて彼女と握手しました。

「私は陛下の情婦なの。陛下には私みたいな女が国中におられる。わかるわね?」

「はい」

 私はコクリとうなずいて、それはそうだろうなと思いました。私の様子があまりにも淡々として何の動揺も見せないことにヨウヒは少し苛ついたようだったので、私は彼女へ説明する必要があると思いました。

「実は私も情婦の娘なのです。父は私生児の私をずっと放置して、唯一接触があったのは政略結婚に利用された時だけでした」

 政略結婚と言っても幸せになる例もあるのですから、父からすれば私のような私生児へのせめてもの愛情だったのかもしれません。相手方も別に問題のあるお家ではありませんでした。ちょっと旦那様に運命の人が現れてしまっただけで……。
 ただ、離婚され国に戻されてからの日々は針のむしろでした。既に母を亡くしていた私は、父のお城で下女としてこき使われておりました。

「そう! なら話は早いわ」

 ヨウヒは私の出自を聞いて好感を持ったのか、私に腕をからめるとぴったりくっついてベンチに座りました。コンラは先ほどからヨウヒの様子を険しい顔で眺めていましたが、

「すみません、礼儀のない方で」

 頭を下げて私に謝ってくれます。

「あら、私だって陛下のお気に入りなんだからこのくらいの態度は許されてよ。しかも私の方が年上で、先輩なんだから」

 ツンとすまして言うヨウヒの様子が可愛らしくて、私はつい微笑んでしまいました。女の私から見てもヨウヒは陽気で妖艶で、魅力的な女性だと思います。

「あなたを捨てたっていう貴族ね、リベルスタンの舞踏会で陛下にぶん殴られたって話、きいてる?」

「えっ……?」

「リベルスタン王国の宮廷舞踏会よ! 陛下ってああいう無・駄・な・催しにはまずお出にならないんだけど。リベルスタンの王様は健気だから毎回招待状だけは下さるのよねえ。実際陛下がおいでになったのでびっくりなさってたらしいわよ」

 リベルスタン王国と言えば、第三帝国と双璧をなす大国でした。とても平和な国と聞いていますが。そんな大国の舞踏会に陛下が……?

「あなたの旦那様だった貴族の顔をね、何も言わずグーパンチで殴っちゃって。めちゃくちゃ怖かったらしいわよ」

 皆酔いも回った深更、会もそろそろお開きかという時間帯だったそうです。陛下はその後「国王(レオナルド)! 余は帰る!」と大音声で仰せになって颯爽と行ってしまわれたとか……。私は不安になって思わずコンラの顔を見つめました。

「大丈夫ですよ。他には何の制裁もなさってはおられません。ただ一発殴らないと気が済まなかったのでしょう」

 コンラは苦笑して教えてくれました。ご家族に何もなくてよかった……。とはいえ、あの強そうな陛下に本気で殴られたらさぞ痛かったことでしょう。私は前の結婚相手を気の毒に思いました。

「素敵よねえ、ひとりの女のためにそこまでして下さるなんて。絶対そのためだけに行ったのよ、遠いのに」

 ヨウヒは目を輝かせて陛下を讃えているので、私は同調したいような、怖いような気がして口をつぐんでしまいました。

「陛下はね、本当に女に優しいの。私たちのような女にもよ」

 ヨウヒはそう言って、親しげに私の手を取りました。

「仕事柄たくさんの男と寝てきたけど、陛下は全然違った。あんな御方は初めてよ。どんなに熱く貪っても絶対に理性を失わないの。女は、いえ男だって理性を保ち続けるのは難しいことだけど、あの御方にはそれがある。どんなに女に狂っているように見せて下さっても、心の奥底の芯の部分はいつもひんやり冷えていて、虚空なの。それでいて愛がある。あんな方、他には絶対おられないわ。尊いの。陛下の尊さをあなたと語り合いたくて今日は来たの!」

 ヨウヒの圧があまりに強いので私はうんうんとうなずきながら、でもよくわかると思いました。陛下を観察できるほど私は冷静ではいられませんが、陛下の御心はいつも、ここではないどこかにあられるような感じが致します。それでいて目の前の女には手を抜かず愛して下さる。不思議な御方です。

「でもこんなこと、情婦の口から奥様のあなたに言うの酷だったわよね」

「奥様、ですか?」

「違うの?」

「はあ」

 私は自分の存在が何なのか今まで確認していなかったウッカリに気づき、少し考え込んでしまいました。畑を耕す捕虜、かな? 少なくとも奥様ではない気がします。

「でも絶対特別ではあるわよ! 陛下がお城に女を住まわせたこと、今まで一度もなかったもの。しかも大事な昆羅を護衛につけて」

 ヨウヒはそう言うと私の両手をギュッと握って上下へブンブン振りました。

「頑張ってね! いや私の処に来られたら私も頑張るんだけど。負けないけど。お互い頑張りましょうね!」

 ヨウヒはそう言って私と固い握手を交わすと、来たときより機嫌よく馬車で帰っていきました。その後彼女から何度か手紙が来て、私も返事を書いたりして。私は陛下のおかげでヨウヒと不思議な縁を結び、良い友達になりました。

08.不安

 私は、食事はいつもお部屋に運んでもらったものを食べていました。コンラがそばにいて、静かに給仕をしてくれます。その日もいつものように昼食を頂こうとしているところでした。

「陛下は普段どんなものをお召し上がりになられるのですか」

 私は何となく気になってコンラに尋ねてみました。

「陛下と食事なさりたいですか」

 コンラが逆に質問してくれます。

「いえ、あの……身分が違いすぎますよね」

 私は自信を無くしてシュンとしてしまいました。陛下がどんなふうにお食べになるのか遠くからでも見てみたいな、と思っただけなのですけれど。図々しすぎたでしょうか。

「陛下は目の前で毒見されたものしかお召し上がりになりません。内容も簡素で手早く、お忙しいので時間通りに摂られないことも多いです」

「そうですか……大変なんですね」

 私は働き者の陛下と比べるとずいぶんのんびり過ごさせて頂いてるなあと、何だか申し訳なく思いました。

「あなたの食事も私が毒見していますよ」

 コンラはそう言って私に微笑んでくれた後、少し表情を曇らせました。

「最近あまり食が進まないようですが。どこか具合でも悪いのですか」

「いえ……あまり食欲がわかなくて」

 私は曖昧に笑うとスプーンを置きました。出来立ての食事の匂いがつらくて。まさかとは思いながらその一言を言うのが怖くて、ついうつむいて黙ってしまいます。

「医師を呼びますので、すぐ診察を受けて下さい」

 コンラはそう言うと、手早く食事を片付けてくれました。私は白髭を蓄えた穏やかなお爺さん先生の診察を受けましたが、どこも悪くないとのことで経過観察を言い渡されました。


 どうしよう、もし妊娠していたら……。私の心には喜びより不安の方が多く去来していました。もしまた流産したら……流産ばかりする女だと思われて、陛下に嫌われてしまうでしょうか。赤ちゃんも可哀想だし……どうしたら順調に育ってくれるのでしょう。私のお腹には赤ちゃんを育てる力があるのでしょうか……? 考えれば考えるほど不安で、ベッドに入ってもなかなか寝付けません。目はつぶっているのに何度も寝がえりをうって全然眠れなくて、なのにこんな時に限って。ガチャッと外から鍵を開ける音が聞こえ、誰かが部屋へ入ってくるのがわかりました。どうしよう、陛下が来られた……。

 どうしようどうしよう、このまま陛下と過ごしてしまって大丈夫なのでしょうか? お腹の子は……? でもまだ妊娠していると決まったわけではないし……いつもあれほど会いたい会いたいと言っておきながら、せっかく来て下さった今日に限ってダメというのは失礼すぎるでしょうか? どうしようどうしよう、どうしたら赤ちゃんを守れるのでしょう。何もかもが確定じゃないこの状況で、何と言ったら……。

 私は起きているのに必死に目をつぶってなんとか寝たふりをしていました。せっかく来て下さったのにガッカリさせたくないという気持ちと、でももし妊娠していたらという不安で頭の中がいっぱいで考えがまとまりません。陛下は絨毯の上をゆっくり歩いてこられると、私の枕元にお座りになりました。私は偽の寝息も上手くたてられずに、目だけギュッとつぶっていました。
 陛下はそんな私のおでこにそっと触れて下さると、髪を撫で、優しいキスを下さいました。私が言葉を失くして思わず目を開けると、陛下はいつもの射るような真っ直ぐな瞳ではなく、水面に映る月のような揺れる瞳で私を見つめて下さいました。

 陛下と言うのは不思議な御方です。あれほど神出鬼没で情熱的なのに、強引ということがございません。私が少しでも不安や恐れを抱いていると察知なさると、スッと手を引いてしまわれます。この御方の前では言葉など何の意味も持たないのかもしれないと私は思いました。陛下は私の隣にゴロンと横になられると、背中から私を抱きしめて下さいました。私はぽろぽろ涙ばかり出てきてしまって。陛下の方に向き直るとその御胸に顔をぐいぐい押し付けて、声を抑えて泣いてしまいました。

09.甘い薬

 あれだけ大騒ぎしたのに、結局少し遅れて月のものがやってきて。私の妊娠は数日で誤解だったことがわかりました。

「本当にすみません、ご心配をおかけして」

「いえ、謝ることじゃありませんよ」

 お元気になられて良かったですとコンラは笑ってくれました。それから少し改まった様子で、私の眼を見つめて尋ねました。

「陛下の御子が、欲しかったですか」

「そう、ですね……授かれるのであれば」

 私はあれだけ不安だったくせに誤解とわかった途端ガッカリしてしまって、我ながら現金な自分だと思いました。私は赤ちゃんが欲しくないのではなく、お腹に宿った赤ちゃんが流れてしまうのが怖かったのだろうと思います。

「皇帝の御子というのは普通の子とは違います。手元では育てられませんよ」

「そう、ですよね……」

 コンラの口調は優しいですがきっぱりしたものでした。寂しい、かな……でも伝統に則れば仕方のないことですよね。私のような身分の低い母がいては迷惑をかけてしまうでしょうし……。私は御子を産んだとしても結局お城を去ることになるのだろうと思いました。

「陛下の御子をお産みになられる方は、この世で一番幸せな方でしょうね」

 それでも、私はヨウヒや国中にたくさんいる陛下の恋人たちも皆陛下の赤ちゃんが欲しいのだろうと思いました。陛下に御子がお生まれになったら。私はたった一度でいいのでこっそりお城に来たい気がしました。陛下の御子が一目見てみたくて。どんなに可愛らしく、凛々しく、賢くお育ちになることでしょう。陛下と二人並ばれたお姿は、きっとまばゆいほどご立派に違いありません。

「好きな御方のために子を産むことができたら。それだけで幸せです」

 私はため息をつくように言葉を繋ぎました。それが私なら……などと願うのは高望みでしょうか。あまりのんびり、ボンヤリしているからいけないのかもしれません。もっと仕事に精を出して体を鍛えたりしたら、元気な子が産めるのかもしれません。畑にトマトと瓜も植えようか、などと考えている私の横顔を、コンラは微笑んで眺めておりました。朝から晩までよく体を動かして。私はおかげさまで、ぐっすり眠れる日が続いていました。


 そんなある夜のことです。私はよほどぐっすり眠っていたのでしょう、陛下にカプッと耳を噛まれたことがございました。それでも私が飛び起きる、ということは無くて。陛下はカプ、カプと私の首や肩を噛んで下さいます。私はああ、起きなきゃと思って目をむにゃむにゃさせました。陛下は私に馬乗りになられたまま、右手に小瓶を取られるとその蓋を歯でグッとお開けになって、

「余と同じものが喰いたいと言ったな」

 瓶の中身を御口に流し込まれ、その口で私にキスをなさいました。

「んっ……???」

 私はトロッとした液体が口中に流れてくるので動揺しましたが、味は甘くて美味しいので、舐めながら飲むような形になりました。私の口の端から零れたぶんは陛下がペロリと舐めて下さいます。甘くほろ苦い味でしたので、何かお薬を下さったのかな、などと寝起きののんきな頭で私は考えておりましたが……これはなかなかよく効く薬で、私は体の奥がじわじわ温かくなるのを感じました。そのうちフワフワ、全身が浮いたように気持ちよく感じ出して、身も心もトロトロに溶けてしまったかような幸福感が全身を包みました。

「へーか……らいしゅき、れす……」

 酩酊とでも言うのでしょうか。私は自分から何度もキスをして陛下におねだりしてしまいました。陛下は私の無礼を咎めず、面白がって願いをきいて下さいます。前後不覚というのはさすがに初めてのことでした。私は次の日も一日中この余韻に浸ってぼうっとしておりましたが、陛下はお忙しい中翌日もその翌日も私の様子を見に来て下さいました。

10.噂

 陛下がしばらく遠出なさることになり、私は寂しいと思いながら、前ほど切実に苦しいという気持ちは少なくて、何かボンヤリした感覚を持っておりました。禁断症状などはないのですが、マタタビのようなあの薬の効果が切れてみればあまりに怖く、正常な自分に戻るまで時間がかかるといった感じです。陛下はご自身も飲んでおられたのに私の反応を楽しむような余裕あるご様子でしたから、理性もお強いんだと思いました。ことあるごとにコンラが私の顔を覗き込むようにして

「大丈夫ですか」

 と尋ねるので、私は逆に心配になってきき返してしまいました。

「あの、私、そんなに酷かったですかね……?」

「いえ、ある果実から作った酒で、この国ではよく飲まれている物なのですが、あまりに効いたようだったので。陛下が経過をよく見よと仰っておいででした」

 陛下にまでご心配をおかけしてしまって申し訳なかったと私は思いました。妊娠したかと思ったらしていなかったので、ちょっと落ち込んでいた私を励まそうとして、陛下がお気遣い下さったのでしょう。陛下にとっても、異邦人である私の挙動は予測不能なのかもしれません。


 やっと平常心に戻れてよかったと思っていたある日、ヨウヒの処から早馬を飛ばして一通の手紙がやってきました。

「陛下が、ご自身の子を身ごもったという異国の女を連れて婚儀を行うらしいって噂が町で広まってるんだけど、本当なの?」

 私は全て初耳の情報だったので何と返したらよいかわからず、この手紙をコンラに見せました。

「こんな手紙がヨウヒさんから来たのですが」

 コンラはこの薄い手紙をチラと一瞥すると

「妙な噂が広まるものですね」

 鼻で笑って全く相手にしない様子です。

「コンラが言うにはその噂は事実無根のようです」

 私はコンラとヨウヒの間を取り持つような形で手紙を書きました。すると今度は

「昆羅はいつだって陛下の味方だもの、信用できないわよ。陛下にとって都合の悪いことは平気で隠すし、あなたも騙すわよ」

 という手紙が返ってきました。私はこれはさすがにコンラには見せられないなと思いながら、陛下がしばらく帰ってこられないご用事というのはこのことなのかもしれないと思いました。この手紙と前後するように「陛下からお部屋を片付けよとの仰せです」とコンラから言われたこともあり、いよいよこのお城から出て行かなければならないのだと私は感じました。でも一体どこに行けばよいでしょう? ヨウヒを頼って彼女の処へ置いてもらいましょうか。ヨウヒのような仕事が自分にできる気がしませんが……どんな下働きでもして生きていかねばなりません。

「朔様のお部屋は掃除致しますので、陛下の寝室へ移って頂けますか」

「陛下のお部屋へですか?」

 私はちょっとびっくりしましたが、陛下のお部屋へ入れることにワクワクしながらお引越しさせて頂きました。陛下のお部屋はベッドも窓も大きくて、とても落ち着く空間でした。家具は作り付けなのでしょうか、凸凹もなくとても広いお部屋に思えます。
 高い天井から壁、床にかけて星座が描かれていて、ベッドに寝転ぶと星々に包まれているかのようでした。私はふわふわのベッドの片隅に横にならせて頂きながら、陛下はここでどんな夢をご覧になるのだろうと静かに目を閉じました。

11.誘い

 陛下にお会いできずにひと月が過ぎた頃でした。

「町に出ませんか」

 突然コンラが私に町歩きを勧めてくれました。私はお城の外に出たことはなかったので怖いような気がして迷いましたが、今後お城の外で生きていかなければならないことを思うとむしろいい機会だと考え直して、コンラに連れて行ってもらうことにしました。

 良く晴れた過ごしやすい日でした。町の入り口で馬車を降りると、私たちは中心部で開かれている市場を見て回りました。色とりどりの果物や穫れたての野菜、薫り高い花々、肉や魚、衣類まで何でも売られています。市場は活気がありながら平和で、治安も良いんだと私は思いました。コンラは私に甘いお茶を買ってくれると、ひとけのない落ち着いた路地に進んでいきます。私たちはまた二人並んでベンチに座りました。コンラは前より私の近くに座ったようでした。

「あなたはこのままずっと陛下を信じて、陛下に頼って生きていくおつもりですか」

 私は何と答えたらよいかわからず、コンラの横顔を見ました。コンラはベンチに座り、前かがみに両手を組んだまま、まっすぐ前を向いています。

「陛下はお優しい方ですが、その愛が永遠とは限りませんよ」

「はい」

「私と暮らす気はないですか。陛下との関係は続けて頂いて結構ですから」

 私が黙ってしまうと、コンラははじめて私の方を向きました。今にも吸い込まれそうな琥珀色の瞳をしています。

「私は本気ですよ」

 コンラの睨むような視線に戸惑いながら、つい私は思ったことを口にしてしまいました。

「あの、でも……私って、コンラの好みじゃないですよね?」

 コンラがブッと吹き出すので、私も少しびっくりしてしまいました。

「よくわかりましたね」

「なんとなく……」

 私は苦笑しながら、片手で口を押えて恥ずかしそうにするコンラを本当に優しい人だと思いました。でもそこまでの負担をこの人にかけるのは悪いと思って、

「お気持ちは、嬉しいのですけど」

 丁寧にお断りしました。やっぱり自立していないと、いろんな人に迷惑をかけてしまうものですね。

「私、陛下にもっと喜んでいただけたらと思っていて。そのために何ができるだろうってずっと考えているんですけど、よくわからなくて」

 コンラは前を向いたまま私の話を聞いてくれました。

「私、陛下のリラックスなさった笑顔って見たことがなくて。陛下がニッコリ笑って幸せにお暮し下さるなら、その笑顔が見られたら、それだけで幸せだろうなって思います。陛下の御子がほしいのも、陛下に笑って頂きたかったからかもしれません」

 親のために子を産みたいだなんて、子に悪いのかもしれませんが。私は陛下に全てをお捧げしたいと思っていました。

「あなたは妊娠中前の夫に浮気されかなりショックを受けたようですが、ハッキリ申し上げて陛下の女性関係はその比ではありません。耐えられるのですか?」

「わかり……ません。でもその女性たちも皆、陛下の大切な方なんですよね。でしたら私も大切にしたいと思います」

 私はヨウヒを思い浮かべながら言いました。「あなたが陛下から受ける愛の数々は、私たちがお教えしたも同然よ!」というのは、ヨウヒのよく言う口癖です。人が人を作る、というのは本当だろうと思います。私も陛下の経験のごく一部になれているのなら。こんなに嬉しいことはございません。

「随分余裕ですね」

 コンラは私をチラと見て冷たく言い放ちました。いつまでこんな理想を語っていられるのか、私自身にもわかりません。

「私も全然自信はないんですけど……男女というより、家臣のようになりたくて。コンラのような、陛下に信頼される家臣の一人になってみたいです。でも女だと難しいですかね」

 女の価値って何だろうと私は考えました。やっぱり若くて子が産めることかな。年をとってもお役に立つにはどうしたらいいんだろう。私には考えなきゃいけないことが山ほどあるんだと気づきました。陛下が日夜、帝国のために働いておられるように。

「あなたは―――」

 コンラは苦しいような呆れたような何とも言えない表情を浮かべると、じっと私を見つめました。その遥か後方にキラと光るものが見えて、私はとっさにコンラの腕をつかむと力いっぱいこちら側へ引きました。引っ張りながら、コンラに覆いかぶさるようにベンチの背もたれに身を伏せます。
 せっかく買ってもらったお茶がベンチから転がり落ちてグラスが砕け、半分ほど残っていた中身はこぼれてしまいました。それとほとんど同時にヒュンヒュンと鋭い二本の矢が空を切り、お茶の染み込む地面へ突き刺さりました。コンラは瞬時に立ち上がると拳銃を抜き、矢の来た方へ発砲しながら、

「西だ! 追え!」

 陛下に負けない大声で警護の兵に指示を飛ばしました。

「お怪我は?」

「大丈夫です」

「よかった……」

 コンラはいつもの冷静さを欠き幾分素に戻ったような表情で、ハアーと大きなため息をつきました。気のせいか顔色も悪いようです。

「あなたに何かあったら私の首が飛ぶところでした」

 私はコンラこそ大丈夫か心配になりましたが、声をかけられる雰囲気ではありませんでした。コンラは拳銃を仕舞い、私に手を貸して丁寧に立たせてくれると、

「長話が過ぎましたね。城へ戻りましょう」

 周囲に気を配りつつ、私の手を引き足早に馬車まで戻ってくれました。

12.闇夜

 コンラを襲った者たちがその後どうなったか、私には知る由もありませんが、お城にいるうちは大丈夫だとコンラは保証してくれました。陛下は民からの信頼も厚い人気者なのだとばかり思っておりましたが、やはり御命を狙われることもあるのでしょうか。私は陛下のことが心配で、御身のご無事ばかりを祈っておりました。そんな矢先、

「本日陛下がお戻りになられます」

 という知らせが私のもとにも届きました。いよいよ陛下が帰ってこられる。お妃様をお連れして……。私は寝間着に裸足でこちらへ連れて来られましたので、衣服も靴もすべて賜ったものばかりですが、身に着ける物だけはそのまま頂いてお城を去ろうと決めました。陛下にお別れのお手紙を……などと思いましたが、邪魔ですよね。何も言わず、場所も知らせず去るほうが良いのでしょう。
 身なりを整え、いよいよお部屋のドアを開けてもらおうと私が内側からノックすると、

「今夜はこちらでお待ち頂けますか。陛下からお話がありますので」

 コンラはそう言って、パタンとドアを閉めてしまいました。私は最後にお話できるんだ、嬉しいという気持ちと、お会いしたら離れがたくなるだろうというつらい気持ちの間で揺れながら、陛下をお待ちしました。


 ベッドに座ってずっと起きているつもりでしたのに。次に目覚めた時、私は陛下の腕の中にいました。いえ、陛下だと思うのですけれど。今夜は暗くて、お顔がよく見えません。

「朔」

 私を呼んで下さる御声が陛下で。私は嬉しくて嬉しくて、陛下に抱きつくとそっとキスをしました。おかえりなさい。ご無事で戻られて良かったです。ずっとずっと、お会いしたかった。本当はお別れしたくないのですが……。
 私はいろんなことをお伝えしたかったのですが上手く言葉にならず、ただキスだけを重ねておりました。陛下はそんな私をゆっくり受け止めて下さいます。やがて私の髪を撫でると、静かな御声で仰いました。

「余は(かげ)だ。誰が真の太陽か、わかるか」

「……コンラ、ですか」

 陛下がスッと黙っておしまいになるので、私はこれはコンラ本人にも明かされていない秘密なのかもしれないと思いました。

「お背中の大きな傷を見たとき、陛下にはご自身より大切な方がおられるのでは、という気が致しました」

 私は静かに申し上げました。陛下は肩の力を抜くように、フーッと大きな息を吐かれます。

「余に尽くしても、無駄だぞ」

「私は……陛下に救って頂いて、本当に幸せでした。叶うならこのまま、お慕いしとうございます」

 陛下は私の髪から頬を撫でると、ギュッと強く抱きしめて下さいました。私も陛下にギュッと抱きついて。大切な秘密を教えて下さったことを有難く思います。
 私たちはしばらく抱き合っていましたが、やがて陛下は私の左手をとると、薬指に指輪をはめて下さいました。

「失くすなよ」

 私はコクンとうなずいて、陛下から贈り物を頂けたことを心から嬉しく思いました。
 このまま綺麗にサヨナラなんて頭の中でだけは思っていますのに、体はちっともダメなのですね。その強い腕に抱きしめられるともう離れがたくなってしまって、誰の邪魔になってもいい、誰に恨まれるとしても全力で愛したい、愛されたいと思ってしまいます。
 私は永久に陛下の(しもべ)でいたいと思いました。もっともっと私に命令して、私を使って下さい。私に触れて下さい、陛下。

 月のない闇夜のせいか、今夜の陛下は非常に厳かに、落ち着いて見えました。久しぶりに帰ってきたご主人さまに飛びつく犬をよしよしとあやすように。陛下は私を可愛がり、大切にして下さいました。

13.笑顔

 翌朝起きるとやっぱり陛下はもうおられなくて、陛下は本当に早起きだなあと思いました。たまには陛下の寝顔を見てみたいものですが……私のような怠け者には難しいのかもしれません。私は服を着てベッドを整えると、陛下のお部屋を見渡しました。陛下との思い出は皆幸せで、あたたかかったなあ……。ベッドに腰掛けながらそんなことを思っておりますと、トントンとお部屋のドアがノックされて、

「失礼致します」

 立派に正装したコンラが入ってきて、私の座るベッドの前に片膝をつき、かしこまりながら言いました。

「先日はお助け頂きありがとうございました。また、失礼なことばかりお訊きして申し訳ございませんでした。陛下が『昆羅に(なび)く者だけは嫌だ』と仰るので、試すようなことを致しました」

 コンラがあまり改まった様子なので、私は驚いてしばらく目をぱちくりさせておりました。

「あなたが皇妃となられたこと、大変嬉しく思っております」

「はあ……」

 私はまったく理解が追い付かなくて、つい頼りない返事をしてしまいました。ずっと目を伏せて話していたコンラがそっと顔を上げ、心配そうに私を見つめてくれます。

「あの、皇妃とは……?」

「お聞きではないですか」

 コンラはちょっとガクッとしていましたが、姿勢を改めて私に教えてくれました。

「我が国では新月の夜花嫁に指輪を渡すことで結婚生活をはじめるのが伝統です。指輪、貰いましたよね……?」

 コンラまで不安そうにするので、私は左手を確認しました。確かに金色に光る細い指輪が、薬指にそっとはまっています。

「良かったです」

 コンラはホッと息をつくと、

「重要な儀式がございますので、お召し替えをお願い致します」

 やっぱり改まった感じで私に言いました。私は何だかおかしいようで全く現実感がなく、まだ夢の中なのではないかと思いました。髪と衣装を綺麗に整えてもらって儀式の行われる宮殿までしずしずついていくと、巨大な広間に大勢の家臣が並び、一番奥の椅子に陛下が座しておられるのが見えました。重々しい衣装を身に着け、冠をかぶっておられる陛下はとても荘厳で、私は恐れ多く、ずっと目を伏せておりました。

(臣下たちの前で、夫婦となった証の文書に署名して下さい。特にお言葉などは仰らなくて結構です。)

 私は陛下の隣にある椅子に座らせてもらうと、コンラに教わった通り、分厚い書面の一ページにサインしました。陛下の隣に、陛下から頂いた名を書いて。私は陛下に恥をおかかせしないことだけに意識を集中しておりました。


 重要な儀式が終わりお住まいのお城に戻られると、陛下はバッバッと歩きながら次々衣装をお脱ぎになっていつもの軽装に戻られました。

「飯だ!」

 大きな椅子にドカッと座られるとあの懐かしい、よく通る声で仰せになります。私は陛下に御礼申し上げたく思いましたが、陛下の周りには常に誰かいて、順に何かを話しかけ、重要そうなことが次々決まっていきますので、お忙しそうな陛下をただそっと見守っておりました。陛下の御前にはたちまち温かな料理が並び、美味しそうな湯気が立ちます。陛下はつと私の目を御覗きになると、隣の席へ来いと示して下さいました。私は嬉しく思ってお隣に座らせて頂きました。

「たくさんお食べになるんですね!」

 お食事姿を見たいと私が言っていたことを覚えていて下さったんだと思うと嬉しくて、私は美味しそうなお料理を前に、ついウキウキして陛下に申し上げました。

「たわけ。余とそなたの分だ」

 陛下が少し呆れて仰います。えっ、私も……? 私は豪華なお料理を前に少し戸惑ってしまいました。こちらに来てだいぶたちますが、私はいまだにお箸使いが苦手なのです。陛下は銀のスプーンでトロッとしたおかずをお掬いになると、私にパクッと食べさせて下さいました。

「ん、美味しい」

 私がもぐもぐしながら陛下を見ますと、陛下は悪戯っぽい目で私を覗き込み、二ッとお笑いになったのです。その笑みが本当に……可愛いと申し上げると失礼かもしれませんが、やはり可愛くて、私は一瞬で胸を射抜かれ、ぼーっと見惚れてしまいました。いつも厳しく、怒っておられるイメージの陛下でしたが、おそばで拝む笑顔の破壊力と言ったら……。
 陛下はぼんやりする私に銀のスプーンを与えて下さると、ご自身はお箸でパクパクお食べになりました。二人分という割にはどんどんお食べになります。私は何かお返しをしなければと思い、頂いたスプーンでお料理をすくって、恐る恐る、陛下に差し出してみました。陛下はガブッと噛みつくようにお食べになって

「美味い」

 私の頭をわしゃわしゃっと撫でると、また私に笑って下さいました。もう、だから、無理……。私は銀のスプーンをそっと置くと、赤くなる顔を両手で覆ってしまいました。陛下の笑顔が眩しく、尊くて、とても直視できないのに忘れられません。
 もっと、見たい。できるだけおそばでお守りしたい。皇妃なんてと今まで不安に、恐ろしく思っていた私の心もこの笑顔ですべて溶かされてしまって、ただ一人の主、もう何がどうなっても一生この御方のおそばから離れられないのだろうと私は思いました。

侵略婚〜皇帝陛下に捧げられました〜

侵略婚〜皇帝陛下に捧げられました〜

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2023-01-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 01.落城
  2. 02.征服
  3. 03.お風呂
  4. 04.畑
  5. 05.憤怒
  6. 06.兄弟
  7. 07.友達
  8. 08.不安
  9. 09.甘い薬
  10. 10.噂
  11. 11.誘い
  12. 12.闇夜
  13. 13.笑顔