SS『2022 年越しの1幕』

 遠くで鐘の音が聞こえる気がする。下半身はこたつに飲み込まれたまま、しばらく姿を見せていない。天板の上には蜜柑の残骸が忘れられている。いや、見ないようにしているのか。とにかく俺は、年明けまで残り数分のこの時を、蜜柑の皮を捨てるため、そして新しい蜜柑を補充するために使いたくなかった。
「なあ雄一、蜜柑無くなっちゃったんだけど」
「相変わらずの家族面をやめろ、金髪」
 なにより、まるで自分の家のようにくつろぐ目の前の金髪のために動くことが何より癪だったのだ。
「京助くん、お蕎麦残ってるけど食べる?」
「あ、いただきまーす!」
「大晦日くらい実家にいろよ。なんで毎年毎年……」
 湯気の立つお椀を受け取る京助に、深くため息を吐いた。当然のようにこたつの一角を占領する京助もそうだが、まるで金髪の息子がいて当たり前だという様子の母も母だ。しかも、京助が受け取っている食器は、俺のものでも、弟のものでも、両親のものでもない。京助のものだ。この家は、完全にこの男に侵食されている。それも今に始まったことではないので、俺も口を開かない。母が、実の息子には蕎麦を振舞ってくれなくとも。
 京助は湯気に眼鏡を曇らせながら、だってさ、と唇を尖らせた。
「姉ちゃんたちが帰ってきてるから、人が多いんだよ。別に賑やかなのは好きなんだけどさあ。明日からもそれだと、大晦日くらいは避難したいじゃん。あと、もう5歳児に髪の毛引っ張りまわされるのもつかれた!」
 確かに、京助の髪にはおもちゃのヘアピンが突き刺さっている。それも、後頭部の方に。どうやら京助は気づいていないようだが、俺も特に指摘はしなかった。
 京助の家族は、親戚に至るまで似通った人間が多いらしい。つまり、好奇心旺盛で破天荒。向こう見ずかつ享楽主義者で、そして変なところで律義さと真面目さを見せてくる。京助が何人もいるようなものだ。俺なら五分と持たないだろう。
「げっ、今年もいる……」
「お、弟くん! 久しぶりー。今まで何してたんだよう」
「気配を感じたから避難してたんだよ。兄貴、この人なんで毎年いるの」
「俺が聞きたい」
 しかめっ面で居間に現れたのは、弟の誠二だ。普段は部屋にこもりがちの弟だが、律義にこの瞬間には顔を出す。誠二は京助を見てあからさまな舌打ちをすると、俺の向かい側に腰を下ろした。黒縁眼鏡ばかりだな、と思考を飛ばす。
 京助が音を立てて蕎麦を啜っている。なんで部外者のこいつが一番年越しらしいことをしてるんだ。その半纏はどこから持って来たんだ。というかそれ、俺の父のものじゃないのか。
 次々と頭に浮かんでは、ああ、これも毎年のことかと沈んでいく。なんだかんだ、俺にとっての正月らしさもこの光景なのかもしれない。
 テレビのカウントダウンが、年越しまでのカウントダウンを表示し始めた。いい年になっても、この瞬間だけは少し心が浮つく。数十秒後だろうと、京助が我が物顔でこたつにいることも、誠二が不機嫌そうにテレビを眺めていることも変わらないというのに。
 その時、誠二が無意識か蜜柑の籠を指でひっかけた。そしてチラリと視線を落とし、その手を戻す。ああ、と俺は心の中で息を吐いた。先ほどまであんなに重かった、いや、かたくなに持ち上げてたまるかと思っていた腰が軽く動く。兄貴、と誠二が視線を上げたのを感じたが、気にしないふりで玄関へ向かった。
 玄関までの短い廊下は嘘のように冷たくて、思わず肩をすくめた。蜜柑の箱はすぐそこだ。かがんでいくつか拾い上げたところで、居間の方から馬鹿みたいな馬鹿の声が聞こえる。
「ハッピー! ニューイヤー! 弟くん!」
「なんで最初に言うのがあんたなんだよ!」
「それはもちろん! やさしーい君のお兄ちゃんが、君のために蜜柑を取りに行ってくれて、俺と弟くんとお母さましかいないから!」
「うるせえ! うざい!」
 あーあ。年越しの瞬間を、こんな寒々とした廊下で、一人で迎えてしまった。急ぐ意味もなくなり、俺は持てるだけの蜜柑を抱えて居間に戻った。扉を開ければ、母が「あけましておめでとう」と声をかけてくる。
「おめでとうございます。ほら、誠二」
 じろりとこちらを睨みつけてくる弟に、ぽいと蜜柑を投げ渡す。ぼそぼそと聞こえたのはお礼だろうか、祝いの言葉だろうか。京助はにやにやと誠二の方を見ている。それがまた癪に障ったので、京助には顔面に蜜柑を押し付けてやる。ぎゃ、と短く声を上げこちらを見上げてきた。
「はっぴーにゅーいやー、雄一」
「うるせえ部外者」
「なんだよー。もう家族みたいなもんだろーが」
 唇を尖らせて、京助は蜜柑に指を突き立てた。俺はばらばらと蜜柑を籠に入れ、こたつに足を入れる。目の前で誠二が、蜜柑を両手で包み込んだまま俯いている。何か言いたげだが、こいつの考えはいつも難解だ。
「誠二」
 呼べば、チラリとこちらに視線を寄越す。
「あけましておめでとう」
 ぱっと顔を上げた。が、すぐにぎこちない動きで顔を逸らしてしまう。テレビでは寒そうなリポーターが、頬を紅潮させて何事か喋っていた。その音に掻き消されそうなくらいの音量で、おめでとうございます、と返事が聞こえる。俺に言っているのか、テレビに言っているのか。
 弟って難しいな。俺が眉間にしわを寄せると、ニヤニヤを通り越して満面の笑みの京助が両手を高く上げた。
「あー、仙道家って面白い! 来年、いや今年か! 今年は光と晴香も呼んでやろーっと!」
 勝手なことを言いながら、京助はそのまま後ろへ倒れようとする。あ、と俺が思うよりも先に、後頭部が床に落ちる。絨毯を挟んではいるが、京助の後頭部にある小さな凶器は、うまく牙をむいたらしい。
「うぎゃあ! いってえ!」
 悲鳴の向こう側に、誠二がやけに嬉しそうにテレビを眺めているのが見えた。そんなに面白いものがやっているだろうか、と同じようにテレビを見る。特に何も。毒にも薬にもならない、だがとても平和なやり取りが繰り広げられていた。キッチンにいる母が、そっくりね、と呟くのが聞こえた。

END

SS『2022 年越しの1幕』

SS『2022 年越しの1幕』

シリーズ「Ratel」年越し 仙道家で年越しする坂井京助。仙道誠二初登場。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-31

CC BY
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