ある拒食症患者の独白

 34.5キロ。
 体重計に示されたその数字を看護婦さんが記録する。前に計った時とほとんど変わっていない。
 「あら? おかしいわねえ」
 そう首をひねる看護婦さんの言葉にぎょっとしながらも、そそくさと服をかぶる。それまで露出していた針金のような腕も足も、すっぽりと丈の長いパジャマのなかに収まった。
 「体重増えないわねえ。園崎さん、毎日ちゃんと食べてるのに……」
 看護婦さんの言う通り食べてはいる。その言葉に嘘はない。
 記録表をじっと眺めている看護婦さんの顔を見ていると心が痛む。尋問のような長い沈黙の後にようやく、
 「まあ、いいわ。また今度計りましょう」
 という看護婦さんの声がかかった。
 室外へ出ると、こちらをぼうっと見つめる中年の女性患者と目が合う。自分よりずっと年上のはずなのに、その目にはどこか怯えているような感情が映っている。何か言いたいことがあるのだろうかと思いながらも、見られるのは好きじゃないのでそのまま彼女の横を通り過ぎる。
 国道沿いの道を少し外れたところにあるこの精神病院は、数年前に建て替えられたらしい。院内は白く清潔な感じで、花や絵などが飾られている。病棟に鍵がかけられていることを除くと、閉鎖病棟と聞いて自分がイメージするものよりはずっと明るくて衛生的だ。
 普段食堂として使われているスペースは、今は患者たちが思い思いに寛ぐ憩いの場になっている。年配の患者が将棋をしていたり、ただぼうっと窓の外を見ている人がいたり、そのなかで看護婦さんだけはハキハキとした口調で患者に話しかけていたりする。正常と異常が入り混じっているような、どこか独特な雰囲気がある。
 入院してすぐ、私はこの食堂の光景を見て倒れてしまった。自分はしばらくここにいなければいけないのかと考えた瞬間、スーッと血圧が下がっていった。それから数日間、私は車椅子に乗せられて生活した。
 病棟内を車椅子で回っていると、まるで自分が永久に完治しない患者のように思えて怖かった。ある意味では私は彼らよりも重病なのだ。心のほうはともかく、体は死へ向かっている。元々私の体は車椅子に乗せられてもおかしくないような状態なのだから、これはとりわけ大袈裟なことでもない。
 自分で歩くことが許可されてからも、気分が冴えない日々が続いた。少しだけ病棟の雰囲気に慣れてきて、話しかけてくれる人なども出てきたけれど、将来に対する見通しというものが全く成り立たないことへの不安が強かった。
 憂鬱な気分が続くなかで、わたしは何か捌け口を求めた。でも何をしたらいいか分からない。そもそもこの病棟でできることは限られている。
 考えているときに、机の上においてあった本が目に入った。拒食症について書かれた本。ここに書かれていることは勉強になるが、なにか患者本人の実感のようなものが欠けている気がして好きになれなかった。病人よりも医者のほうが病気に詳しいという理屈に、なにか反抗したかったのかもしれない。
 文章を書こうと思ったきっかけはそんな感じだった。
 部屋に戻ってきた私は、充電しておいたスマホを手に取る。この頃毎日ログインしている小説投稿サイトのマイページを開くと、作品にポイントが入ったと通知がきていた。
 この病院に入院してから、ポツポツと詩のようなものを書くようになった。大勢の人に見られているわけではないけれど、何人か読んでくれている人はいるみたいだ。本当は、闘病記というと大袈裟だけれど、実際の自分をありのままに書くことが一番いいと思うのだが、まだその勇気が持てない。
 かるくサイト内を巡回した後に、スマホをまた充電コードに繋いでベットに横になる。一人部屋なのでとても静かだ。相部屋は絶対にいやだと両親にわがままを言って正解だったと思う。他人と一緒の部屋にいるのはとても神経を使うだろうし、私の場合はもっと別の事情もある。
 窓の外から漏れてくる陽の光を浴びながら、しばらく微睡の中にいた。
 そして目が覚めたとき、私が大嫌いなあのガタガタと鳴る車輪の音が耳に入ってきた。
 外に出ると、看護婦さんが大きな台車を病棟の中に運び込んでくる様子が見える。他のスタッフも忙しそうに病棟の中を行ったり来たりしている。そして食堂にすでに集まっていた患者たちは各々テーブルにつき、食膳が運ばれてくるのを今か今かと待っている。
 夕食時の光景はいつ見ても忙しそうだ。病棟の中で、もっとも活気が溢れる時間帯かもしれない。それと正反対に憂鬱な気分になる私は、重たい体を引きずるように近くのテーブルに腰をおろす。
 「あら、今日は彩希ちゃんの隣ね」
 声のした方を振り向く。田崎さんが目を細めてこちらを見ている。
 田崎さんは統合失調症で入院している女性患者だ。少し前から私の姿を見かけると声をかけてくれるようになった。眼鏡をかけた優しそうな中年女性で、一見して入院するほど悪いようには見えないが、ここに来る前は幻聴や妄想がひどくて家族とよく揉めていたのだという。
 話しかけてもらえるのは嬉しい反面、食事の時間だけはそっとしておいてもらいたい気持ちもあって複雑な心境だった。
 「どう、病院は少し慣れてきた?」
 「まだちょっと慣れない感じです……」
 「そっか。まあ、そうよね。少しずつ慣れていくしかないわ。でも、ここの病院は看護婦さんも優しくていいところよ。病棟のなかも綺麗だし」
 もちろんそれは私も感じているところだ。人にも環境にも恵まれていると思う。でも、この生活に慣れる日が来るとは思えない。
 田崎さんはよく、ここは天国だと口にする。たしかにこの病院はいろいろな面で恵まれていると思うし、実際ここに入院している人たちは穏やかそうな顔をしている人が多いけれど、天国というほど居心地のいい場所だとは自分は思えない。
 「そういえば、彩希ちゃんって年は幾つなの? まだ若いわよね」
 「19です」
 「じゃあ、大学生とかだったの?」
 あまり踏み込まれたくない話題だったが、何も答えないわけにはいかず、
 「いえ、まだ高校生です」
 と答える。
 すると田崎さんは少し気遣うような顔になって、
 「そっか。しょうがないわ。病気だもの」
 病気、という言葉に一瞬敏感になってしまう自分を抑えながら、その後も田崎さんの話に耳を傾けた。
 看護婦さんが食膳を運んでくる。今日のメニューは、ご飯、鰆、ほうれん草の胡麻和え、味噌汁、牛乳、ミカンのゼリー。ただしそれは田崎さんたちが食べるもので、私のメニューは全く別のものだ。赤ちゃんが食べる離乳食のように、すりつぶされて液状になったものが小さなお椀に入っている。同じなのはミカンのゼリーだけ。
 お世辞にもおいしそうには見えない。でも、食べるしかない。
 少しずつスプーンで掬って口の中に入れていく。味わおうとすると、いろいろな拒絶反応が出てくるので、何も考えないで口の中に運ぶ。そしてすぐに飲み物で流し込む。
 以前は牛乳が出ていたのだが、私は牛乳が苦手でいつも残していた。そしたら、最近は代わりにヤクルトを出してくれるようになった。
 病院の人たちはいろいろな面で親切だ。だから文句を言う気にはなれない。だいたい食についての文句を私に言わせたら、それこそ世の中では生きていけなくなる。
 「ごちそうさま」
 田崎さんが椅子から立ち上がる。食べ終わった人たちが食器を下げるために列をつくっているのが見える。ここの人たちは食べるのが早い。食べることに集中しているからか話し声も聞こえない。
 居残り組はいつも決まったメンバーだ。年配の男の人と、中年の女の人。そして最後に残るのはいつも私だった。
 うんざりした気持ちになりながらスプーンを動かしていると、
 「彩希ちゃんのペースでいいんだから、ゆっくり食べていいのよ」
 食器を片付けてきた田崎さんが声をかけてくれる。そうして食堂を出ていく。
 その後ろ姿を見送って、私はまた一口スプーンで口に運んだ。
 食器を下げるときに錠剤と水を渡される。それを看護婦さんの前で飲まなければならない。私が飲んでいるのは抗うつ薬らしいが、自分自身がうつであるという実感はあまりない。
 私自身は飲んでも飲まなくてもどちらでも構わない。薬が効いているという実感があまりないのだ。人によっては薬の効用に大きく左右されたりもするらしい。特に統合失調症などは薬を飲んでいないと症状が悪化してしまうのだという。
 そう考えると私の病気はやはり自分自身の問題からきているような気もする。何かのせいに出来るものではないのかもしれない。
 部屋に戻った私は、水道の蛇口をひねってコップ一杯の水を飲み、個室に備え付けられたトイレの中に入る。そして胃のあたりに力を入れてさっき食べたばかりの流動食を吐き出す。
 便器の中にニンジンの赤が小さく浮かんでいる。


 いつから私はこうなったのか。
 遡っていくと、いくつか原因は思い当る。
 まず私は中学までは母子家庭のような環境で育ってきた。
 父はいつも単身赴任でどこか遠くの土地へ行っていて、家にいるのは私と母の二人だけだった。いつも台所に立ってなにかをつくっている母の様子を、私はすぐ横で眺めていた。冷蔵庫の中には冷凍食品やレトルトのようなものはなかった。母は食べ物には気を遣う人で、菓子パンでもマーガリンが入っているものはダメだとか、ジュースには大量の砂糖が使われているとか言って、同級生たちが何も気にせず口にしているものを家では食べさせてもらえなかった。
 幼稚園や小学校の頃はよく吐いていた。そういう生活の中で家から排除されていたものが、学校で出される給食などに入っていたからだと、今の私は考える。外で出されるものにはよくないものが入っているという思考は、おそらくそこからきているのだろう。
 煮物や焼き魚、きちんと鰹節からだしを取った汁物などを、母は時間をかけて作っていた。専業主婦だから時間があったというのもあるだろうが、私は食に対してこだわりをもっていた母を尊敬していた。ただし少し人よりも神経質なところがあって、鏡の前に立つ裸の母はいつもあばら骨が浮いていた。当時の私はそれが瘦せているということにも気付いていなかった。
 母のようでいたい。贅肉のない、質素な体。思春期に入って周りが性に目覚める中で、私はその思いを強くした。
 中学になると色が付いたように性の話題が上がるようになった。胸が膨らんできた同級生への噂、男子の声変わりや急激な身長の伸び、体力の違いが明確になって体育で男子と女子が別々に扱われるようになり、また教室では「あの子とあの子が付き合っている」とか、そんなませた事ばかり話すようになったり。
 まだ遠いものだと思っていたものに同級生たちが突然目を向けはじめたことへの戸惑い、そして高校受験が近づくことで、体の成長だけではなく、儀礼的な意味でも少しずつ成長を促されていることに、心が肉割れを起こしていた。
 私は何かから逃げるように受験勉強に取り組んだ。勉強から逃げるのではなく、逃げるために勉強していた。そのおかげか成績は上がっていき、高校受験で困ることはなかった。
 自宅から近い、県でもトップのほうの高校に合格が決まり、担任の教師からも「この学校なら将来的にも国立を目指すときに有利だ」と言われたが、私は将来のことを考えて勉強していたわけではなく、むしろその将来のことを考えたくなかった。
 ちょうど高校に上がった頃、母が体調を壊して入院した。もともと体が丈夫な性質ではなかったけれど、娘と二人だけの暮らしで知らぬ間に心労が溜まっていたのかもしれない。入院した時、主治医の先生に「よくこんなに痩せてて今まで倒れなかったもんだ……」と驚かれたくらいだった。
 その頃の母は米を口にせず、肉や魚は食べても一切れ、あとは野菜を中心の細々とした食事だった。もともとうつ病の気がある母は、うつの期間に入ると何もできなくなり布団に横になっていることが多かった。原因が何なのかは私も分からないが、父のことを思い出すとよく体を壊すらしかった。
 あとで聞いた話だと、父はギャンブルで多額の借金をつくっていたらしい。毎月お金が送金されはするものの、いつ何があってまた借金ができるかと母は気が気ではなかったのだと思う。
 その父が、母の代わりに家に帰ってくることになった。最初私は父と二人で暮らすのが不安で、「私は一人でも暮らせるから」と自分の意見を伝えたのだが、父はそういうわけにはいかないだろうと言って、すぐに家に戻ってきた。
 久しぶりに見る父の顔は、特に変化もなく父は父だった。お正月にも帰ってこず、何か大事なことを決める時にだけ電話で話す程度のつながりだったが、それで父を他人のように感じるわけでもない。
 初めのうち、父は仕事をしているにもかかわらず、帰りに買い物をしてきて毎日料理をつくってくれた。私も時間はあったのだから、「夕飯は自分が作るよ」と言ってあげればよかったと思う。でも好きだった母がいなくなり、高校生活にもいまいち馴染めていなかった当時の私には、その一言がなかなか言い出せなかった。いろいろなことがあって疲れていたのだ。
 そして父がつくった肉料理に「脂がくっついている」と文句を言ったり、なにもかもサイコロ状に切られた具材にほんだしを入れただけの味噌汁に一切口をつけなかったりしていたせいで、父を怒らせた。
 「だったらお前が自分でつくって食べろ!」
 怒られるのも当然だったと思う。それ以来父は料理をしなくなった。自分が食べる分の惣菜をスーパーで買ってきて、帰ってくると唐揚げやら春巻きやらをテーブルに広げて食べるのだ。いちおう「好きなの食べなさい」と私に声をかけてくれるけれど、そこに並べられたものは普段母が嫌っていたものばかりで、とても口にする気にはなれなかった。
 お腹が空いた私は、学校の帰りにスーパーによって自分で買い物をするようになった。最初のうちは脂分の少ないササミを入れてサラダをつくったりしていたが、だんだんそれも面倒くさくなり、リンゴ一個を丸かじりしたりという大雑把な、食事とも言えないものに変わっていった。
 考えてみれば摂食障害の他に診断書に書かれていたうつ病という診断も、あながち間違っていないのかもしれない。その当時は何をする気も起らず、様々なことに疲れていて、いよいよ受験が始まる三年生に繰り上がった頃、私は学校へ行くことができなくなった。
 さきに父が家を出ていくと、私は学校へ電話をかけ、体調が悪いから休むと嘘の連絡を入れる。そしてベットに横になると、こんなことをしている私は何なのだろうと押し寄せてくる罪悪感に静かに耐えるのだ。
 食べることはエネルギーを蓄えるために必要なことだが、私は将来に対して張り切ることができなくなっていた。食べることに意味を見出せない。そんな自分の精神状態とリンクするように体重が落ちていくのも自然な流れだった。
 日増しに痩せ細っていく私の体を見て父も思うところがあったようだ。私が登校していないことがバレたとき、怒られることを覚悟していたのに、「何かあったのか」と意外に優し気な調子で尋ねてきた。
 嬉しかった。でも一体どうやって漠然としたこの無力感のようなものを伝えればいいのかわからなかった。ただ気力が出ない、必要と感じないから食べなくなった、では納得してもらえないだろう。
 なんで学校に行かなければいけないのか、と同程度に、なんで食べなければいけないのかという疑問が自分の中に生まれたのはこの時からだ。食べることが当たり前だった生活から、食べないことが当たり前の生活になった。
 とにかく今の状態では通学することは難しいだろうということで、高校は退学することになった。「せっかく進学校に進んだのに……」と呟いた父の言葉を、オウム返しのように私は自分の胸でも聞いた。
 父は学校の成績にだけは厳しい人だった。勉強をしている人の中にいないと成績がどんどん下がっていく。成績が下がると良い学校へ行けなくなり、その後の進路にも影響してくる。だから私も進学校へ行くことを強く勧められ、無事入学することができてからも、勉強については口を酸っぱくして言われていたのだ。
 父が私に何か話しかけてくるとすれば、必ず成績の話になる。それ以外の話題で話したことがない。学校生活はどうだとか、友達はできたかとか、別に聞いてほしいわけではないけれど、普通の親子内ではそういうことを話すものではないのか。
 完全に私に無頓着ではないことはわかっている。でも、こうして目に見えて様子が変わったときにしか話しかけてくることもない。父とはあまり相性が良くないのかもしれない。もともとお正月にも家に帰ってこないような父だったから、母の手で育てられたおかげである意味母の分身のようになった私とでは、そりが合わないのも当然だろう。
 定時制高校に編入してからは成績の話をすることは比較的少なくなったけど、それでも食卓で顔を合わせる時の会話はいつも成績の話だった。レベルの低い学校になったのだから、人一倍努力しなければいけないと。
 私は父の言うことに従った。もともと勉強は苦手ではなかったし、いろいろと迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちもあった。努力の甲斐あって、成績は順調に上がっていったけれど、もうすぐ一学期が終わるという頃、私はまた学校へ行けなくなってしまった。


 看護婦さんが鍵を取り出して、目の前の扉を開ける。
 「明後日の七時にはちゃんと帰ってきてくださいね。じゃあ、いってらっしゃい」
 そう言って頭を下げると、手早く病棟の鍵をかける。丁寧でありながら適度に距離を感じさせるところはさすがプロだと思う。
 一か月ぶりに病棟の外に出る。外泊だからすぐ帰ってくるので荷物はほとんど持っていない。体一つで仮出所をする気分だ。
 隣を歩いている父は、仕事が終わってすぐにここに来たようでスーツ姿のままだった。疲れているのかもしれないが、疲れていなくても今のように無言のまま歩いていただろう。家族の会話というものはうちの中では生じない。
 車に乗り込んで病院を後にする。病院から少し離れたところに建っているデイケアや、道中にある派手な看板のホテルを通り過ぎると、すぐに国道に出る。
 ちょうど仕事終わりの車が多く、道は渋滞していた。咳払いをして気怠そうに首を傾げる父の態度には、進まない車の列をじれったく思っていることがすぐに読み取れる。
 父は病気になった私をどう思っているのか。少なくとも温かい目で見守っているわけではないだろう。体を壊した母に加えて、私まで病気になってしまって勘弁してほしい、というところが本心だろうか。
 途中スーパーに寄って買いものをする。「食べれそうなの自分で選んできなさい」と父に言われて、小さくカットされた果物が入っているパックと無糖のヨーグルトを持って来てかごに入れた。すでに骨付きチキンやメンチカツなどの肉の多い惣菜がなかに入っている。果物と肉しかない、少し異様な光景だ。
 帰ってきて、さっそくそれらをテーブルに並べて夕食になった。父は肉を頬張り、私はフォークで果物を口に入れる。お互い無言のままだった。父はリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を付ける。
 私は自分のと父の食べ終わったパックを持ってキッチンへ行き、付いている汚れをスポンジで落とす。母がいた頃とは違う意味できれいなキッチンを眺めながら、父はいつもこういうものを食べてばかりいるんだろうなと思う。
 排水溝に落ちた肉の骨や皮を見ていると気分が悪くなってきて、私はトイレに駆け込んで今食べたばかりの果物を吐いた。出てきたのはりんごやキュウイだと色で分かる。
 居間に戻ると、父が無関心を装いながら「吐いたのか」と訊いてくる。私はそれには答えず、「お風呂に入ってくる」とだけ言った。
 さっさと服を脱いで風呂場の扉を開ける。窓が開いたままになっていて、入ってくる夜風がたまらなく冷たい。すぐに窓を閉め、そのまま湯船の中に入る。
 しばらく温まってから、湯船からあがり体を洗い始める。およそ体の凹凸というものがなく、お尻にさえも肉がついていない。どこを触ってもごつごつと骨の感触がある。
 いつか拾ってきた子猫がこんな感じだったなと思う。近所を散歩しているときに縁石の傍でうずくまっているのを見つけ、放っておけずにそのまま家に連れてきた。とりあえずお風呂場で体を洗い、その後水をあげてみたのだが、自分の対処の仕方が悪かったのか結局そのまま死んでしまった。ガリガリに痩せていて、頭を触っても骨の感触がした。
 あの猫のように私もこのまま死んでしまうのかもしれない。ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。
 お風呂から上がるとそのまま自分の部屋へ入った。スマホを手に取り、例の小説投稿サイトを開く。闘病記ではない。入院生活のことも文字にはできない。でも、詩という形ではあるけれど、いつ死ぬかわからない私の記録というものを残しておきたい。
 書き出すと指の動きは止まらなかった。今まで心の中にしまわれていた感情を放出していくように、必死に画面をタップする。気が付くと深夜になっていて、私が起きていることに気付いた父が部屋をノックしてきた。
 「もう遅いんだから、早く寝なさい。明日は出かけるんだろ」
 私は適当に返事をして父が戻るのを待って、また書き出す。そうしてキリのいいところまで書き上げてから文章を投稿した。
 翌日の朝は少し寝不足気味で、眠い目をこすりながらベットから起き上がる。
 今日は用事があった。私が外泊を願い出たのはこのためだ。そうでなければ私は家に帰ろうとは思わなかった。
 着替えを済ませて部屋を出る。家の中はしんと静まっている。父はすでに家を出た後のようだ。仕事だからしょうがないし、別に一緒に来てほしいわけでもない。朝食は食べずにそのまま家を出た。
 家の近くのバス停で待っていると、ほどなくして駅前行きのが来る。切符を取って空いている席に座る。この時間帯は人が少ない。
 じっと座っていると二十分ほどで着く。そこからは歩きだ。目指している総合病院まではそう遠くない。体力のない私でも問題のない距離だ。
 母親とはいえお見舞いなのだから何か買ってくればよかった。だがもう遅い。正面入り口から病院の中に入り、受付をする。「園崎和子さんの病室は五階の503号室です」と係りの女性に教えてもらい、エレベーターで病室へ向かう。
 ベッドの上で窓の外を見ていた母は、最初私の気配に気付かなかった。近づいていっても視線は窓の外に向けられていて、心ここにあらずといった様子だ。
 「お母さん」
 そう声をかけてやっと振り向いた母は、私を見てふっと笑みを浮かべた。
 「彩希、久しぶり。元気だった?」
 パジャマを着た母の肩は痩せて小さくなり、表情にも少し疲れが出ているように見える。私が入院している間に、母は少しずつ弱っていたのかもしれない。
 「元気じゃないけど、私は大丈夫だよ」
 「入院してたのよね。知ってるわ」
 私を見る母の目はいつもと変わりないように見える。でも、心の中では私と同じように、私の体を見て何かを感じているのかもしれない。
 「お父さんとはどう。上手くやってる?」
 「うん。まあ、何とかやってるけど」
 「けど、なに?」
 「お父さんは私の病気を理解してくれてないんだと思う」
 そう言うと母は少し考えるような顔をして、
 「そうねえ。お父さんにはわからない病気かもしれないわね」
 そこで会話が途切れた。私は、今の母の体調について詳しく訊いてみようか迷ったが、結局口には出さず、当たり障りのない話題を口にする。
 「なにかお土産買ってくればよかったんけど、思いついたときにはもう病院についてて」
 「いいのよ。さっき朝ごはん食べたばかりだし、お腹いっぱい」
 「病院の食事っておいしい?」
 「うーん、でも油ものは出ないから食べれるわね。魚とか野菜とかが中心だから」
 「ふーん」
 そこでまた会話が止まる。あんたは食べてるの? なんて逆に訊いてこないところは、母の気遣いかもしれない。
 あんまり長居すると同じ病室の人に悪いのかもしれない。そう思った私は「そろそろ帰るね」と母に告げる。
 「そう」
 と返事をする母は口には出さないが、たぶん寂しいのだろう。少しだけ表情が曇った気がした。もう少しいてあげた方がいいのかもしれないと思いながらも、口に出してしまったので引き返せない。
 「また来るね」
 そう言ってベットを離れようとしたとき、
 「彩希」
 と声をかけられた。そして、
 「お母さん、あなたが死んだら悲しむわよ」
 笑顔を浮かべながら釘を刺してきた。
 「うん」
 何とも言えない気持ちのまま、私は病室を離れる。つくづく親不孝な娘だと思う。


 「昨日甥が来てくれたのよ」
 田崎さんがそう話しかけてきたのは、外泊から帰ってきた翌日のことだ。
 「彩希ちゃんと同い年でね。ちょっと不登校だった時期があって一年遅れてるんだけど」
 昼食の鮭を箸でつまみながら田崎さんが口にしたことに私ははっとさせられた。
 昨日の夜、病院に戻ってきたときに見知った顔とすれ違った。私は顔を見られたくなくて咄嗟に顔を逸らしたが、どうして彼がこんなところに来ているのかずっと不思議に思っていた。それも田崎さんの甥だというのなら納得がいく。
 「名前は何ていうんですか?」
 念のために訊いてみると案の定、
 「敬一よ。高野敬一。名字は私と違うけどね」
 予想通りの答えが返ってきた。
 その数日後、私宛の電話があったと看護師さんから声をかけられた。
 「待ってます。お大事に、って。男の子の声だったみたいよ」
 私は一瞬ポカンとしてその言葉を聞いていた。
 「心当たりある?」
 そう言って看護婦さんがニヤニヤする。なんと言えばいいのか分からず、私は曖昧に笑みを返しながらその場を後にした。
 ……待っている。あの展望ロビーでだろうか。
 あの日以来、私は一度もあそこに上がっていない。入院しているから行けないというのはもちろんだけど、実のところあのビルへ行くのが怖いのだ。学校でどんな噂が流れているか。制服の下の瘦せこけた私の姿を本当はみんな知っているんじゃないか。そんなことを考えていると、このまま病院にいた方が安全なんじゃないかとすら思う。
 以前通っていた学校でのことを思い出す。夏場、半袖シャツから出る私の腕を見て、同級生たちが奇異の目で見ているのを、口に出されなくても肌で感じていた。文字通り腫れ物に触るような彼らの態度が、その時の私には一番刺さってくるものだった。
 正直なところ、私はこの学年で卒業することは諦めていた。幸い一学期で取った単位は次の年に持ち込めるので、時間はかかるがまた来年からやり直そうと思っていた。今のクラスの人たちが卒業して、次の年に私を知らない人たちのなかで学校生活を始めようと。
 でも、彼は待っていると伝言を残してくれた。それを無視するような形になってしまっていいのだろうか。廊下を歩きながら、私はそのことを考える。
 部屋に戻った私はスマホの電源を入れ、そしていつもの小説投稿サイトを開く。
 マイページに行くと、“感想が書かれました”と赤文字で通知が入っているのに気付いた。
 今までポイントが入っていることはあっても、感想が書かれるのは初めてのことだった。期待と不安の入り混じった思いになりながら、指先でその部分をタップして、感想欄のところまでジャンプする。


 『作品読ませて頂きました。作者様はなにか病気にかかっていらっしゃるのでしょうか。病気と静かに闘っている。何故かそんな印象を持ちました。力のこもった文章で私は好きです。これからも機会を見つけて読ませて頂きます。』


 病気との静かな闘い。腑に落ちる表現だった。
 この人は私のことをどう思い浮かべたのだろう。女だと分かっただろうか。骨と皮だけになったこの体のことは知らないはずだが、なにか心の奥底のものだけを掬い取ってくれたような感じがある。
 文字が伝える自分はどんな姿なのだろうか。ここは小説投稿サイトで、文字だけの世界。性別も姿かたちも省略された、言葉だけになった自分がいる。
 ささやかな満足感を覚えながらスマホの電源を落とす。窓の外に目を向けると、桜の木が目に入ってきた。病棟を囲む緑の木々は、春になるときれいな桜の花びらに変わるのだと、この前田崎さんから教えてもらった。あれが咲くまでに私はここを出ているんだろうか。


 「増えないわねえ……」
 看護婦さんが首を傾げている。私は表情を隠すように俯いている。入院してからずっとこの光景を繰り返している。何も変わっていない。
 定期的に行われる体重測定の結果は平行線が続いていた。正確に言うと微弱な変化はあるのだが、ほんの0,2グラム体重が増えただけでも私は何かが根底から揺り動かされるような恐怖を感じて、増えた体重の修正にかかる。だから体重は増えない。
 このままで退院ができるんだろうか。今年度中に学校に復帰することは可能なんだろうか。やはり春からまた新しいスタートを切ることになるのか。それとも桜が咲き始める頃になっても私はまだこの病棟にいるんだろうか。
 ぼんやりと考えていたその日の午後、診察室に来るようにと看護婦さんから声がかかった。
 診察室に入ると、私の主治医の伊藤先生が真面目な顔で座っている。傍に立っている看護婦さんもなにか寄り添うような表情だ。私はあまり良いことは話されないなと思いながら、先生と対面するように腰掛けた。
 「なかなか増えていかないね」
 先生の第一声は重たかった。それは溜息とほとんど変わらないような調子だった。私も、自分が原因だという自覚があるので、顔を俯けるしかない。
 「40キロを超えれば退院と思ってたんだけど、今何キロだっけ?」
 「34.6です」
 後ろに控えている看護婦さんが答える。
 「ちょっと危険水域だなあ。もう少し増えないと危ない。でも五キロ増やすっていうのは大変だからね。そろそろ復学も考えなきゃいけないし。38キロぐらいでも退院にしようかと思ってるんだけど、どう?」
 先生に尋ねられ、
 「はい、頑張ってみます」
 と答える。正直3キロ増やすのも難しく思うが、たしかに先生の言う通り学校にも戻らなければならない。
 「本当は長い目で見なきゃいけない病気なんだけどね。なかなか簡単に治るもんじゃない。でも園崎さんも将来があるから」
 自分の将来のことも見据えてくれている先生の言葉に、
 「はい。先生どうもありがとうございます」
 と頭を下げた。
 それから数日間、私は食後の嘔吐をやめた。食事と言っても流動食のようなものなのだから、急激に体重が増えることはない。そう自分に言い聞かせていたのだが、だめだった。
 食べて吐くということが習慣となってしまっていた私は、食べたままにしておくことに強い不安を感じるようになった。いつもの自分と違うことをしている。吐かない自分に嘘を感じ、罪悪感が心を支配した。
 それでも食べなければ正常に戻れない。みんなそう言っているし、頭では自分もそう思う。いつからか、私だけボタンを掛け違ったまま生きている。時間は止まってくれない。
 気付けば冬になっていて、もうすぐお正月という頃になって私は一時帰宅を許された。家の中でたまっていた感情を吐き出すように文章を書いていた。父とは会話をしなかった。母のお見舞いには行きたかったが、結局時間が取れなかった。
 病院へ戻ってからは本屋で買っておいた本を手に取り、空き時間にはずっとページをめくった。全部病気についての本だった。ハードカバーの、ほとんど専門書に近いようなものもあって、それを見た看護婦さんに「すごいの読んでるね」とか「頭がいいのねえ」と言われると少し気恥ずかしかった。自分の知りたいことが書いてあるだろうという期待もあったが、どちらかというと難解な本を読むことへの虚栄心のほうが大きい。
 分厚い本を開くと、専門用語やそれ自体では意味が汲み取れない熟語が連なっていて、私を締め出そうとする。私の目はその固く閉ざされた文字列の中に入り口を見出そうと、何か関心の持てそうな文章を探す。思えばこれも逃避だ。
 一月。全日制の高校でいえば三学期が始まる時期。私はいまだに病院にいる。すでに今年度中の卒業は無理だと分かっているので、それほど悲観してはいない。ただ同級生たちにまた置いて行かれるのだと思うと、どうしようもない空しさは感じる。
 体重に比例して自分の人生も平行線になっていくのを肌で感じていた。このままの状態だと四月から学校へ復帰するのは難しいだろう。下手をすれば内科へ運ばれる事態にもなるかもしれない。そんなことを考えながら天井を眺めていると、突然扉をノックする音が聴こえた。
 扉を開けると、看護婦さんが立っていた。そして私にこう言った。
 「園崎さん、ご両親が面会に来たわよ」
 「え?」
 看護婦さんに付き添われて廊下を歩きながらも、内心ではまだ驚いている。父はともかく、母は入院しているはずなのだ。
 個室に入っていくと、両親がこちらを見た。落ち着きを装いつつも心配そうな目の母と、どこか気怠そうな表情の父が目に入る。対照的な表情だ。その二人に向き合うようにして座らされる。
 「突然びっくりしたでしょう?」
 そう言って母が微笑む。
 「うん。まさか来るとは思わなかった」
 「ちょっとお父さんにお願いして、連れてきてもらったのよ。もちろん先生に許可は取ったから安心してね。無断で出てきたわけじゃないから」
 母との会話ができたのを機に、視線を母に向ける。これで父と目を合わせなくて済む。
 「調子はどう?」
 「うん。大丈夫だよ」
 「そう? なんか最近元気がないって看護婦さんが言ってたわよ? 朝のラジオ体操も休みがちだって」
 母に痛いところを突かれ、途端に居心地が悪くなる。
 「まあ、ちょっとね」
 「お母さん。本当はこんなこと言いたくないの。あたしは彩希の気持ちも分かるから。本当はそれを尊重してあげたい。でも彩希には生きて欲しい」
 あまりに率直な母の言葉に、私はなんと言っていいか分からず、目頭が熱くなるのを抑えきれなかった。言葉を用意する暇もなかった。父の前で泣くのはいやだったのに。どうしていきなり感情をぶつけてくるのだろう。
 「死なないよ。38キロになったら退院って、先生も言ってたもの」
 「いま何キロなの?」
 「……34」
 「……」
 長い沈黙だった。言葉を組み立てることもできないくらいに、母が絶望しているのが分かった。父も34と言ったときには顔色を変えた。
 ふいに母は私の手を取り、ゆっくりと撫でさすりながら悲しい表情をつくった。もう私の目も見ない。自分の悲しみで精一杯になっているのだと分かる。
 面会の時間が来るまで、私は黙って母に手を撫でさせていた。こんなに大切にされているのに、自分の体をあまり大事に思えないのが不思議だった。
 「学校なんていつでも戻れるから、彩希のペースで少しずつでいいのよ」
 帰り際に母はそんな言葉を残した。せめてもの慰めだったのだろう。うん、と頷いて、母たちを見送る。両親が廊下の突き当りを曲がって見えなくなるまで、私は扉の傍に立っていた。


 私はいつから食べれなくなったのか。
 よく本で見る、対人関係が問題なんだとかトラウマがそうさせるんだとか、そういう心理的な問題もおそらくあるのだろうが、食べないでいたら食べられなくなった、というほうが自分にとってはしっくりくる。
 みんなが当たり前にやっていることができなくなる。それこそ食べるなんて、歩くことや眠ることと同じように、何も考えなくてもできると普通の人は考えているに違いない。でも、そうではない。
 食べないことが私にとっての普通なのに、食べなさいと言われることはやはり無理があることだ。母の悲しそうな顔を見るのはいやだが、これだけは気持ちでどうこうできるものではない。
 どうにもならないのだからほっといてほしい。そんな気持ちがあるのも嘘ではない。このままいったら死んじゃうよ。私を見る人の目はみんなそう言っている。
 天井を見つめながら、今後のことを想像する。もしかしたら私はこの精神病院で死ぬのかもしれない。心を病んだ不幸な少女の結末として、世の中に一パーセントくらいはありそうな可能性だが、自分がそこに含まれるとどうしても思えない。第一自分自身がそんなに不幸だとは思えない。私は食べられない病気にかかっているだけで、それが不幸とは思わない。病気も自分の一部なのだ。
 手元にあるスマホを取り、例のサイトを開く。直接的なことは書かないようにしているが、なにかが読んでいる人に伝わるのだろうか、ちらほらと読んでくれる人が増えている。
 感想を書いてくれた人に返信するほかに、逆にこちらから感想を書き込んだりもするようになり、ネット上の人たちとの交流が少しずつ増えてきた。文字の良いところは時間を超えてやり取りができることだ。病棟の消灯時間を過ぎた頃に書かれた感想を朝目覚めた私が見つけすぐに返信を書き、また私が昼に書いた感想に仕事から帰ってきた人が返信をしたりする。とても便利だ。顔を合わせる必要もなく、待ち合わせ場所に足を運ぶ必要もない。
 待ち合わせ場所。その言葉が頭に引っかかった。
 待っているという伝言。あれから三ヶ月が経とうとしている。私はいまだに復学の目途は立たない。あの平凡な風景を彼はまだ一人座って眺めているのだろうか。
 私はベットから起き上がり、看護婦さんに外泊許可をお願いしに行った。
 すると看護婦さんの顔が曇り、
 「あのね、先生がもう少し体重が増えるまでは控えたほうがいいんじゃないかって」
 「え?」
 「前に測ったとき、園崎さん何キロだった?」
 「……33でした」
 「そうでしょう。だんだん下がってきてる。先生も心配してるみたいなのよ。だからもうちょっと増えるまで。ごめんね」
 「わかりました」
 そう言って引き下がるしかなかった。
 体重が増えると、ご褒美として外泊やその他の自由行動が許されるという治療法があるというのを前に本で読んだことがある。先生は暗にそれを行おうとしているのかもしれない。
 入院した時よりも下がってきているのだから、こうなっても仕方ないのかもしれない。でも行動を制限されるというのは何となくストレスを感じる。
 なんだかどっと疲れが出てくるのを感じて、私は部屋に戻ってまた横になることにした。
 目覚めたのはちょうど昼食の頃だった。食堂に入ると、田崎さんと目が合い、こっちへ来るように手招きされる。
 「彩希ちゃんともよく話したけど、もうこれで終わりなのね」
 「え?」
 田崎さんの言葉の意味がよく分からず、訊き返すように顔を向けると、
 「わたし、今日で退院するのよ」
 突然のことに驚きを隠せず、スプーンを持ったまま固まってしまう。
 「もう少ししたら家族が迎えにくるの。夕食は一緒に食べられないわね」
 「そうですか……」
 お椀に入った流動食のようなご飯を見つめながら、私が言葉を返せずにいると、
 「彩希ちゃん、いつもおばさんに付き合ってくれてありがとね。辛い病気だけど、まだ若いから彩希ちゃんは大丈夫よ。頑張ってね」
 「はい、ありがとうございます」
 言葉が少なくなってしまう。最後の挨拶ぐらい何か言えればいいのに。
 「彩希ちゃんはうちの甥と同い年だから、なんだか他人のように見られなくてね」
 その一言で、田崎さんが彼の叔母さんだったことを思い出した。もしかしたら田崎さんに頼めば、何か伝言することができるかもしれない。
 そんな考えが一瞬だけ頭をよぎったが、すぐに考えを改める。下手な言い方をすれば誤解されるような気がするし、何となく気恥ずかしい。それに自分の足であそこへ上がるほうが正しいような気がする。
 何か言うなら自分の言葉で伝えるべきだ。例え時間がかかったとしても。
 「じゃあ、お大事にね」
 そう言って田崎さんがテーブルを立つ。
 お椀にたっぷりと残った流動食を前にして、私は食堂に取り残される。


 もしかしたら治らないのかもしれない。
 二月に入り、雪が積もった外の景色を見ながらそんなことを考える。自転車に乗った高校生が、凍った道路を悠然と走り去っていく。何も考えないで走っているのが遠目からでも分かる。
 四月から高校生に戻ることはもう諦めていた。体力的にも難しいだろうし、何より気持ちが前へ進まない。病気を治すという言葉は今の自分を否定されているようで好きじゃなかった。このままでもいい。そう言ってくれた方が気持ちが楽だ。
 結局彼には申し訳ないことをしたと思う。待たせるだけ待たせて、謝罪の一言も言えないままなおざりにしてしまった。せめて連絡先でも分かっていれば電話でも掛けようと思うのだが。
 そういえば、もうすぐ卒業式のはずだ。具体的な日時はいつなのか。手元のスマホを手に取り、自分の高校の日程を確認する。卒業式は三月一日になっていた。彼に会えるタイムリミットはその日まで考えて間違えないだろう。
 改めて無理だと感じた。それまでに体重を増やすなんてどうやっても厳しい。やはり諦めるしかなさそうだ。
 溜息をついて横になる。外の人間とのつながりがまた一つ切れてしまった。体重も徐々に減っていっている今の現状を考えると、孤独なまま、本当に自分はこの病院で死ぬことになるのかもしれない。
 いやな考えを振り切るように立ち上がり、私は部屋を出る。気分転換に少し外に出た方が良さそうだ。
 廊下でこちらをぼうっと見つめる中村さんと目が合った。軽く会釈をしても、やはり中村さんはこちらを見つめたままでいる。何となく居心地が悪く、そそくさとその場を離れる。
 個室にいるとはいえ、ここの病院の人たちの名前もだんだん覚えてきた。中村さんはこの病院に入って長い方らしい。家族も面会に来ないのだと、いつだか聞いたことがある。二十年三十年も病院にいる人だと、家族も高齢化が進んでなかなか会いに来られないのか、それとももう諦められてしまっているのか。
 病気のせいなのか薬の影響なのか、ここの人たちはみんなぼうっとしている。まるで病院で余生を過ごすと決めているようだ。田崎さんも、ここは天国だと言っていたが、私はそういう風には思えない。
 看護婦さんに散歩に出たいというと、外出許可書を書くように求められ、大体の外出時間と自分の名前を書く。病院の周りを歩くだけだから一時間でいいだろう。
 「中と違って外は寒いわよ」
 病棟の鍵を開けながら看護婦さんが言う。もちろんちゃんと上着を着てきた。私の場合、二月の寒さは文字通り骨身にこたえるだろうから。
 「じゃあ行ってらっしゃい。気を付けてね」
 そう言う看護婦さんに軽く頭を下げて、扉の外へと出ていく。
 廊下を抜けるとすぐに建物の外へ出る。通路は屋根があるだけで、横から冷たい風が容赦なく吹いてくる。体が震えてくる寒さだった。マフラーもして来ればよかったと少し後悔した。
 病院の周囲は緑の木々に囲まれて、なかがよく見えないようにされている。もともと場所も、国道を少し外れたところにある人目に付きづらいところにある。普通の生活を送っている人たちから穏やかに隔離されているのが分かった。
 病院の敷地の外へ出る。どこへ行くかは決めていないので、とりあえず左に行ってみることにした。住宅がぽつぽつと建つだけで、何もない道を進む。途中で三階建ての校舎が目に入った。あそこから高校生たちが出てきたのか。ちょうど病院の前は通学路なのだろう。
 それより先は線路と雑木林が続いているだけで、何もなかった。
 とりあえず、近くにある公園に寄ってベンチへ座ることにする。
 歩いていても寒いだけで全然気分が晴れなかった。自分は何をしているんだろう。意味のないことをしている。天気がいいわけでもなく、寒空の当てもなく歩いても何かが変わるわけじゃない。病院を出る前にそんなことが想像つかなかったのか。
 近くにある石を拾って投げる。クッションのように積もった雪に衝撃は吸い込まれ、そのまま音もなく雪の中に埋まった。
 この雪がなくなってからも、私は病院の中で鬱々とした気分を引きずっているのかもしれない。むしろ春になって周りが活動的になればなるほど、孤独感は強くなるのだろう。私の時間だけ止まっている。
 せめて最後に彼へ謝罪の言葉を伝えられないだろうか。最後の外の世界とのつながり、だからこそ大事にして終わりたい。
 また一つ、石を拾って投げる。とその時、私の頭にある考えが浮かんだ。


 「35.6」
 体重計に示された数字を看護婦さんが読み上げる。
 「あら、増えてるわね?」
 看護婦さんが驚いた顔をしているのを、私は神妙な面持ちで眺める。
 「あの、外泊許可は?」
 おずおずと尋ねてみると、
 「うん。まあ先生に確認取ってみなきゃ分からないけど、たぶん大丈夫でしょう」
 ほっと一息つく。何とかなったらしい。
 「園崎さん、よく頑張ったわね。数字は嘘をつかないわ」
 その言葉に少し罪悪感を感じつつも、私は個室を後にする。
 部屋に戻った私は、服のなかに隠しておいた石を取り出す。外の散歩をしているときにこっそり拾っておいたものだ。私の体重は前と変わっていない。もしかしたら前よりも減っているかもしれない。
 苦肉の策だったが、なんとかその場を凌ぐことはできた。
 窓の外を見る。桜の花はまだ咲いていない。あれが花開いてからも私はここで過ごすことになる。覚悟はしている。でも今だけはここから抜け出すことを許してほしい。
 外泊許可が下りた日の翌日。つまり三月一日。私はバスで駅前へ向かっていた。
 表向きは母のお見舞いに行くということになっている。もちろんそれも嘘ではない。あとで病院にも行くつもりだが、本当の目的は別にある。
 長袖の服で全身を覆い、帽子をかぶってマスクもしている。まだ人目に触れる場所へ行くには抵抗がある。ましてや一度逃げ出した場所。でもこれだけは行っておかなければいけない。長い間待たせてしまった。
 バスを降り、駅前広場へと入る。すでに胸にコサージュを付けた卒業生たちの姿がちらほらと見える。間に合うだろうか。焦る気持ちを抑えて、すぐ眼前に見える、市内で一番高いビルへと向かって歩く。
 エレベーターに乗り込むと、二十二階を押す。階数表示の黄色い数字がぐんぐん上へ上へと進んでいくのを見ながら、あそこへ向かうのは本当に久しぶりだと思う。
 半年は過ぎただろうか。彼はまだあそこに座っているだろうか。もしかしたらもういないかもしれない。その時は自己責任だ。これだけ待たせたのだから諦めるしかない。
 扉が開く。と同時に、プラネタリウムの上映開始を呼びかけるアナウンスが聴こえた。懐かしい響きだった。相変わらず人の姿はないのに、律儀に毎日上映を繰り返してる。なんだかひどく懐かしいような気持ちになりながら、ベンチの並んでいる窓の近くへ歩いていく。
 平凡な街の風景を、一人座って眺めている彼の背中が見えた。
 近寄っていくと、足音に気付いたのかこちらを振り向いた。目が合う。何も言えないまま、黙ってお互いを見ていた。
 「久しぶり」
 私が言うと、
 「うん、久しぶり」
 オウム返しのように彼も言った。
 謝罪のつもりで来たのに、待たせてごめんねなんて言うのは気恥ずかしくて、とりあえず彼の隣まで歩いてゆき、そこに腰をおろした。
 黙って街を眺める。以前と何も変わらない、凹凸のない街の風景が広がっている。もう一度この風景を見ることはないと思っていた。一人で見ていてもあまり面白みがない風景だから。でも彼はまだ座っていた。
 「ごめんなさい」
 呟くように言った。
 「ううん。大丈夫」
 お互い言葉は少ないが、行動がすべてを物語っている。だから問題はない。
 彼の手には卒業証書が握られている。わずかに残念に思ったが、それもどうしようもないことだ。諦めてもう一度前を向く。
 街は静かだった。何かが始まろうとしているようでもあるし、いつもと変わらない日常のようでもある。期待と諦めが入り混じっているような、何とも言えない静けさがある。
 百円玉が入れられるのを諦めたようにテレビ型の望遠鏡が街を覗いている。私は立ち上がって、投入口に百円を入れる。テレビにぼんやりと街の様子が浮かび上がる。何か見えるだろうか。そう思って、あちこちへ望遠鏡を向ける。
 「何か見えそう?」
 彼に後ろから呼び掛けられ、
 「ううん。何にも」
 私はそう言って小さく笑った。

ある拒食症患者の独白

ある拒食症患者の独白

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-23

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