Oldies But Goodies

Oldies But Goodies

Love means never having to say you're sorry

Arthur Hiller
『Love Story』(1970)

愛とは、決して後悔しないこと

アーサー・ヒラー監督作品
『ある愛の詩』(1970)

暦の上では聖誕祭だが、雪が降るどころか冬が訪れない南の島の別荘地の夕暮れ時、正確には午后五時半頃、丘の上から別荘地全体は勿論の事、海が見える大邸宅のピアノ・ルームでは、此の大邸宅の主人であるケイが、此の大邸宅にまだ両親と暮らしていた頃の事を思い出し乍ら、ジム・クロウチの『歌にたくして』を弾き語っていた。

話をしようとするたびに
何か違うことばが出ちゃうんだよ
だから僕は言わなきゃいけないんだ
アイ・ラヴ・ユーって
歌にたくしてね

相変わらず素敵な歌聲。

鍵盤を動かすケイの手が止まると同時に、ピアノ・ルームの扉を開けるや否や、ピアノ・ルームの窓から射し込む真っ赤な夕陽に照らされ、キラキラと光る左手の薬指の指環をチラつかせ乍らクーがそんな風な感想を述べると、ケイは額に浮かんだ汗を、去年の今頃にクーがプレゼントをしてくれた茶色のハンカチで軽く拭い乍ら、似たような科白はもう数え切れない位耳にしている筈なのだが、お前の口から発せられる場合は素直にこゝろに響く、此れも惚れた弱味だな、と呟いた。

あはは。
粋な文句を言うじゃないか。

今日は聖誕祭、野暮は御無用だろう。

其れもそうだね。
ねぇ、御食事の前にもう一曲歌聲を聴かせてくれないかな。

壁際の昆布茶色のソファーに腰掛け、ゆったりと脚を組み乍ら、クーが言った。

どんな楽曲でも何なりと。

デルフォニックスの『ラ・ラは愛の言葉』。

了解。

ケイは朽葉色のサイドテーブルの上に載せた水差しを右手でゆっくりと掴むと、水差しの横に置いていた空っぽのダ・ヴィンチクリスタルのグラスに冷たい水を注ぎ、其れを喉に流し込んで渇きを潤し、ケイが十六歳の誕生日を迎えた日の丁度今の様な時間帯、両親が「私たちが持っていても宝の持ち腐れになりかねないから」と譲ってくれた漆黒色のスタウィン・グランドピアノの譜面台に広げられた黄褐色の冊子をパラパラと捲ったのち、大きな背伸びと深呼吸をして気分と姿勢を整えてから、再びクーの言う「素敵な歌聲」と鍵盤の音色を文字通り二人きりのピアノ・ルームに響かせ始めた。

この世界で僕が求めている女の子に
出逢うとしたら
君こそがそうなんだ
この腕で抱きしめさせてほしい
ガール、僕の魅力でドキドキさせてあげるよ

二人っきりの「音楽会」が幕を閉じ、手を繋いで食事の為の部屋へと品の良い足取りで二人が移動をすると、紺青色のテーブル・クロスの敷かれた円形のテーブルの上には、所謂何十年物の赤葡萄酒〈ワイン〉の入ったボトル、両親が此処を去る際、置き土産として残していったベネチアン・グラス、伊太利の伝統的なチョコレートとアーモンドのケーキである『トルタ・カプレーゼ』の載った大皿と其れを食す為のアンティーク調の小皿とフォークが其々二人分用意されており、シックな色合いのスーツに身を固めた専属のバンド・マン達が陣取っているこじんたりとしたステージの上では、ビル・エヴァンス・トリオの『アリス・イン・ワンダーランド』が奏でられていた。

派手なクリスマス・パーティーも良いけれども、二人きりのクリスマスとなるとやっぱりこうでなくちゃね。

椅子に腰掛け、初老の召使いが擦った燐寸の火によって灯されたばかりの蝋燭の明かり越しにケイの瞳の奥を覗き込み乍ら、クーがそう述べると、ケイは別な召使いの手によって手渡されたフレンチ・ナプキンを鍵盤に触れる際と同様に、丁寧な手つきで敷き乍ら、良い塩梅と言うんだろうな、こう言う場合の事を世間では、と呟いた。
其の言葉と重なる様に歩み寄って来た若い女性のメイド達が二人のベネチアン・グラスに赤葡萄酒をトクトクと注ぎ始め、空っぽのベネチアン・グラスはみるみるうちに真っ赤に染まった。

じゃあ、先ずは乾杯。

グラス片手にクーが言った。
其れに呼応する様に、ケイが、乾杯、と返事をして、グラスとグラスが軽くぶつかった。
バンドがグローヴァー・ワシントン・ジュニアの『シークレット・サウンド』を演奏し始めたのは、二人が乾杯をしたタイミングと粗同時であった。

さあ、目一杯食べなくちゃ。

グラスの中の赤葡萄酒を軽く飲み干したクーは、大好きなお菓子を眼の前にした幼子の様に瞳をバンドのサウンド同様にキラキラと光り輝かせ、蝋燭の火を勢いよく吹き消すや否や、ナイフを使って自らの手でケーキを切り取り、ザクッとケーキを刺したフォークを大きく開けた口の中へと運んで、もぐもぐと咀嚼した。
ケイは其の様子をニコニコと微笑を浮かべ乍ら観察したのち、自身もクー同様、自らナイフを握りしめケーキを切り、フォークで赤葡萄酒の香りが仄かに残る口へと運んだ。

流石はキミが選んだケーキ、口の中が蕩ける様だよ。

クーはそう言って、もうひと口ケーキを頬張った。
ケイはバンドの奏でるメロウなサウンドに耳を傾けると同時に、ケーキの味と愛しい人に喜んで貰えたと言う喜びを静かに噛み締めると、赤葡萄酒でケーキをゆっくりと胃袋に流し込んでから、ひと言、有難う、と感謝の気持ちを述べた。

さあて、そろそろチークタイムだね。

ケーキの載った大皿は勿論の事、赤葡萄ボトルも空っぽになり、お喋りもひと段落をして来た頃、いちごのシャンパン・カクテルの注がれたカクテル・グラス片手にクーがそう言うと、ケイは折角のクリスマス、特別なチークタイムにしよう、と母親譲りの柔らかな微笑みと視線をクーへと向け、「真心」と言う名のカクテル言葉で御馴染みのミモザをひと口に飲み干し、嘗ては父親が腰掛けていた椅子から静かに立ち上がった。

どうぞお手柔らかに。

いちごのシャンパン・カクテルで口の中を潤したばかりのクーはケイの手を取るなり、王様の前に差し出された生娘の様な表情を浮かべた。

努力しよう。

ケイはクーの耳元でそう甘く囁くと、ライオネル・リッチーの『トゥルーリ―(愛と測りあえるほどに)』を奏で始めたバンドの演奏に合わせてステップを踏み始めた。

僕はきみの戀人さ 永遠にだよ
わかってるんだ
きみが真剣に愛してくれるなら
僕はいつだってそこにいる

懐かしいね。
此れ初デートの時にキミが歌ってくれた曲じゃないか。

演奏が間奏に入った時、クーが言った。

改めて愛を伝えたかった。
ただ其れだけの事さ。

仏蘭西映画も顔負けだね、其の素敵な口説き文句。

だと良いんだが。

ケイが照れ臭そうに微笑うと、クーも釣られる様にして耳元で笑った。
ケイの両耳は二人が「軽く」飲み干した赤葡萄酒程ではなかったけれども、ほんのりと赤かった。

最後はどんな風に踊りたい?。

「休憩」と称して椅子に腰掛け、ダイキリの注がれたグラス片手にケイが言った。

最後はやっぱりオールディーズ・ナンバーで締めようよ。

曲は?。

ビートルズもカバーしたミラクルズの『ユーヴ・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー』。

酒宴の幕を下ろすのに、ぴったりな内容の一曲だな。

でしょう?。
さぁ、そろそろ踊りましょう、王様

あゝ、そうしよう、御后様。

其のやり取りが終わるか終わらないかのうちに、今宵最後のバンドの演奏が始まり、二人は其れに合わせる様にお互いに優しい視線向けつつ、そして笑みを浮かべ乍ら、つい先程迄お酒とケーキを鱈腹楽しんだ人間とは思えない程の軽やかなステップでダンスを踊り出した。

愛しているんだ、そして君からも
僕を抱きしめて、強く抱きしめて
それさえあれば、もう

バンドのボーカリスト兼リーダーの先程二人が食したケーキ顔負けの甘い歌聲と力のこもったバンドの演奏は、場の雰囲気を盛り上げた事は勿論の事、同時にダンスに興じる二人の気分を天に届く勢いで高揚させる事に成功し、彼等は皆、如何にも「やりきった」と言う満足気な表情を浮かべ乍ら意気揚々とステージを去っていった。

おや、もうこんな時間か。

額に浮かんだ汗をメイドが用意をしたお絞りで軽く拭い乍ら、クーが視線を向けた壁際の黄褐色の背の高い振り子時計の針は、午后九時ちょっと過ぎを差しており、天窓から差し込む月の光は、最後の片付けに勤しむ人々以外には二人しか居ない食事の為の部屋の中を煌々〈こうこう〉と照らしていた。
一番長い付き合いのメイドが、部屋の中の空気を変える為に部屋の窓の鍵をガチャリと音を立て乍ら開けると、暖かさを含んだ風が挨拶もそこそこに部屋の中へと入って来て、二人も含めた「皆々様」の頬をそっと撫でるのが感じられる中、壁際に移動をさせた椅子に腰掛けてゆったりと寛いでいたケイが、風呂に入ろう、汗を掻いたから、とケイ同様に壁際に椅子を移動させ、ぼんやりとした表情を浮かべていたクーに提案をすると、クーはケイの左手を強過ぎずかと言って弱過ぎずな力加減で握り締め乍ら、お酒とダンスとケーキの後に月見風呂か、悪くないね、と微笑い乍ら椅子から立ち上がって、お互いが腰掛けていた椅子を元の位置に戻し乍ら、寝室の冷蔵庫に近所のスーパーで買って来た蜜柑味のシャーベットとコカコーラの瓶があるんだ、其れを風呂上がりに二人で楽しむとしよう、とケイに伝えた。

愛が僕が君に捧げるすべて
愛は駆け引き以上のもの
愛し合う二人ならうまくいくさ
僕の心を受け取って どうか大事にして
愛は僕と君のためにある

洗い終えたばかりの二人の髪と身体を潮風が淡々と撫でていく中、丁度良い湯加減の湯船に浸かった二人は、入浴中、喉が渇くと身体に毒でしょうから、と召使い達が運んで来てくれたミネラルウォーターの入ったペットボトル片手に、露天風呂の天井に設置されたビンテージのスピーカーから流れるナット・キング・コールの『ラヴ』に耳を傾けていた。

日本だと月には兎が居ると信じられている訳だけど、他の国でもそうらしいよ。

お前の様に愛らしい表情の兎が居ると良いんだがな。

ケイがまだ渇ききっていないクーの髪の毛に左手で触れ乍ら、そんな事をクーに向かって囁くと、十歳を迎えたばかりの頃、曽祖母がクーを膝の上に載せた状態で空をじっと見上げ乍ら、阿剌比亞〈アラビア〉では月の模様の事を吠える獅子に見立てるのだと言う事を教えてくれた事を頭の中で探り探り思い出しつゝ、積極的だねぇ、獅子〈ライオン〉さんは、と、ほんの少しだけくすぐったそうな表情をし、ペットボトルに口をつけ、喉を潤した。
そうこうしているうちに、レイ,グッドマン・アンド・ブラウンの『スペシャル・レディ』の官能的なイントロがスピーカーから流れ始めた。

一緒に歌おう?。

良い意味で気怠げな手付きで露天風呂の蓋にペットボトルを移動させ乍ら、クーがケイに言った。
ケイは了承の意味も込めたウインクをクーにしてみせると、官能的なイントロに負けず劣らずのボイスを二人だけの空間に響かせ、クーも其れに寄り添う様に歌い出した。

きみに出会うまでは
僕の太陽は輝きたくなかったんだよ
そのとき突然きみが
後ろからすべって転がりこんできたのさ
ポーンと音がして僕の心のなかに
きみを愛する理由が生まれたのさ

歌っている間二人は、まるでベッドで情熱的な会話を交わすかの様にお互いの瞳をじっと見つめ、手を繋ぎ、そして歌を歌った。
其れが為に歌い終わると同時にペットボトルの水はあっと言う間に空になり、ダンスを踊っていた時とは又違ったカタチの心地よい疲れが二人の身体に訪れた。

キスしていいかい?。

着替えを済ませたばかりのクーが、ケイの両頬に両手をふんわりと添え乍ら言った。

あゝ、良いとも。

其れから凡そ十五秒程の時間、二人は熱い口付けを交わし、寝室へ移動した。

素敵な時間を有難う。

冷蔵庫から取り出したばかりのコカコーラの瓶から白い煙がゆらゆらと立ち込める中、其の白い煙越しに且つ程良く薄暗い琥珀色の寝室の照明の下でクーを見つめ乍ら、ケイが言った。

此方こそ時間をかけて愛に溢れた空間を創ってくれて有難う。
お陰で又来年もキチンとキミとの愛を紡げそうだ。

クーはそう言ったのち、壁の色に合わせてモノトーン調の寝室の戸棚の中に常備されている木製のスプーンで、蜜柑味のシャーベットをケイの口迄運び、あーん、と言い乍らゆったりとした手つきでケイにスプーンを咥えさせた。

キミのお口に合うと良いんだが、此のシャーベットのお味が。

クーがそうケイに問うと、ケイは口の中一杯にシャーベットのひんやりとした食感が広がっていくのを感じ乍ら、満足気な表情を浮かべつゝ、身体全体が此のシャーベットを選んでくれたお前の愛に包み込まれる様だ、と言う風な問いへの答えを述べ、お返しだ、と言い乍ら、シャーベットの載ったスプーンをクーの口元迄運んだ。
尚、此のスプーンを選び購入をしたのは、二人が二度目のデートをした際の時の事であった。

昔から、一人より、二人だって言う言葉があるけれど、愛しい人からこんな風に、あーんなんて事をして貰うと、シャーベットの味に対する感激もひとしおだね。

ほんの少しだけ照れ臭そうにクーが言った。

おぉ、そういえばメリークリスマスの言葉はまだだったね。

すまない、諸々の事ですっかり忘れていた。

良いの、良いの。
此処じゃ季節感なんて言うシロモノは、ある様で無いも同然なんだから。

では、メリークリスマス。

メリークリスマス。

コカコーラの瓶の飲み口をカンと言う音を響かせ乍らぶつけた二人は、シャーベットを平らげると、十分程の時間を使ってお互いの事を慈しみ乍ら庭先を軽く散歩し、そして再び寝室へと戻って来たのだが、もう其の頃にはクーも眠た気な表情を浮かべており、寝室に戻って来るなり、寝る前の歯磨きもそこそこに猫の様にゴロリとベッドに寝転がって、流石にもう眠たいや、と呟き乍ら欠伸を噛み殺した。
そして隣にのっそりと寝転がり、自身の右手を握って来たケイに向かって、子守唄が聴きたいんだけれど、良いかな、とリクエストをした。
ケイは握ったばかりのクーの綺麗で柔らかな右手の甲を、幼子の手にでも触れる時の様なソフトな手つきで摩り乍ら、両親が好きだったサム・クックの『ユー・センド・ミー』を歌い始めた。

そうさ、君は僕を夢中にさせる。
そうさ、夢中になるんだ。
そうさ、夢中になるんだ。
本当なんだよ。

二人が眠りにつく頃、誰もいないただ明かりだけが点いた庭先では、二人が召使いとメイド達に混じって飾り付けをしたクリスマス・ツリーの暗闇でも眩しい緑色の枝が、ケイの歌聲同様、甘い音色の潮風に煽られ、さわさわと揺れていた。〈終〉

Oldies But Goodies

Oldies But Goodies

良い意味で季節感が無く、時間の流れが淡々且つゆっくりとした南の島の別荘地で彼等なりの聖誕祭を過ごすケイクー小説。 題名は片岡義男原作,藤田敏八監督作品『スローなブギにしてくれ』公開時の惹句から引用。 ※ 本作品は『ブラックスター -Theater Starless-』の二次創作物になります。 ※腐向け要素あり

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-22

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work