父との思い出

その1

何を思ったか

ある朝、突然、父が言った

今日から我が家は出かける前の挨拶として
頬にキスをすることにする

一瞬、家族の動きが止まる

その後、何も聞かなかったことのように振る舞い

父も何も言わなかったかのように涼しい顔をしてテレビを見ていた

その2

父は公務員だった
その仕事をやめて母の実家がある道南の町へ引っ越し、
新たな生活を始めたのは私が4歳のとき

函館の会社まで片道1時間20分ほどかけてJR通勤

父が交通事故に遭い、肋骨と鼻の骨を折った

酔って函館の飲み屋街を歩いている時に轢き逃げされたという

麻酔が効かない体質らしく、手術中は絶叫
看護婦さんにずっと手を握ってもらっていたらしい

母は時々、入院中の父の元へ通った

大人になってから、叔母から聞いた

あの時はねぇ
毎日、ホステスさんたちがお見舞いに来て
病室で騒いでいたのよ
あなたのお母さんがかわいそうだった

何ですって〜⁉︎
そんなことがあったとは!

その3

ある日、突然

父が遠くへ働きに出ることになり、まもなく母も函館で働き始め、幼い妹と私は年老いた祖母との3人暮らしが始まった

小学校の担任に職員室へ呼ばれ

お父さん、蒸発しちゃったんだってね
いつか、帰ってくるから、それまで頑張ってね

と言われ真実を知る

一家の大黒柱は蒸発し、専業主婦だった母は働きにでざるおえない状況

そうだったのか

言われなければわからなかった

他人から知らされる真実は時として残酷だと思った
小学2年生の秋

のちに父から話を聞いたところによると

交通事故に会い入院していた時に知り合った看護婦さんと札幌で暮らしていたんですって~

まったく、なんてこと!

まぁ、誰かを好きになる気持ちは止められない
そんな出会いもあるのでしょうけどね

その4

蒸発した父から2年ぶりに連絡があった

元気にしていたか?

あっ、お父さん?

と言う私の一言を聞き、素早く受話器を奪い取った祖母

あなたね、今、どこにいるの!!

怒り口調で父を責め続けている

それから父とはいつでも連絡が取れる状況になったが
この町に戻ることはなかった
父は大阪在住で母とは長い間、別居生活を送ることになる

後から父に聞いたところ、

例の看護婦さんと札幌で暮らしていたものの、
札幌の生活が合わなかった
函館に勤務していた時の同僚から大阪へ行かないかと誘われて大阪に行った
ちょうど万博の頃で、景気も良く毎日が楽しかった

ちょっと、ちょっと〜
独身ならいいけれど、家庭持ちでその行動はどうなの?
とは言え楽しい気持ちはよくわかる〜

後から母に聞いたところ、
 
父と一緒に札幌で暮らしていた看護婦さんが、
父はどこにいるか教えてほしいと職場へ訪ねてきた
お金も貸しているので返してほしいと
大阪にいることは知っていたが知らないと答えた
彼女は札幌に一人残され、看護師として働き独身を通したようだ

娘として、同じ女性として
母にも彼女に対しても色々と思うところはある
もちろん、父にも!

ただ、立場が変われば事情や言い分もあるだろうと思うので、一方的に言うのはやめておきます〜

いつか、みんな揃ってあの時の心情はああだった、こうだったと話せる時が来ればいいですねアルカナ〜?

その5

年末

見知らぬ女性の名前でりんごが一箱送られてきた

間違い?

いや、でも...
住所も名前も私宛てになっている

大阪在住の父から電話があり

りんごは食べていい
相手には何も送ることはない
お礼も伝えなくていいという

母が教えてくれた

その彼女はね、二人の子を持つシングルマザー
二人の子どもはあなたたち(私と妹)と同じ年齢よ
ずっと前に一時期、お父さんと一緒に暮らしていたことがあったの
自分の子供の面倒もみないで、よその子を育てるとはどういうこと! と言ったら別れたのよ

その彼女がなぜ、今になって別れた相手の娘(当時23歳)宛てにりんごを送ってきたのか

自分の存在をアピールするため
嫌がらせ
お詫びのしるし
父に未練があるから

ごめんなさい
せっかくりんごをいただいたけれど
真意がわからないので
私はあなたの意に添う行動がとれません

りんごは美味しくいただきましたよ〜

彼女とその子供たち
あれからどのような人生を送り
今、どうしているのかな

一度もあった事はないけれど、
この時期になると思い出す

その6

高校生のときの修学旅行は京都だった

その頃、父は大阪に住んでいたので、自由時間に会う約束をした

父は会社に休みを申請し、車を運転して私が乗った観光バスの後をついて回ったらしく、その日の行動をすべて知っていた

いままさに夕食を食べるというときに、

待ちきれなくてと旅館まで会いに来た

担任の先生が気を利かせ?せっかくだからこのまま外出していいという

みんなと一緒に楽しく食事をとりたかったのに、
何が悲しくて修学旅行中に父と二人で食事をしなければならないのか

夜のレストランでスーツ姿のおじさまと女子高生

今の時代ならパパ活と思われたかもしれない

なんて心配はありません

私は父親にそっくりなので親子なのは一目瞭然

親の心子知らず
子の心親知らず

学生時代は親よりも友達と過ごす事の方が楽しくもあり、
大切な時間だ
ましてや修学旅行という一大イベント

そんな子の心をわかるはずもなく

父の娘に会いたいという親心を優先しましたよ

その7

お付き合いをしている彼と結婚しますと私が言えば、

わざわざ結婚という形をとらなくても、
同棲すればいいんじゃないのと母は言った

父には何も相談せず、婚礼の日取りだけを報告

婚礼の日

母は不満ながら了承という顔をしていた
父は堂々と厳粛な父を気取っていた

妹の結婚が決まったとき

父も母も嬉しそうだった

妹の婚礼の日

母は終始にこやかでほっと安堵した様子だった

父は人目も憚らず号泣した

その日の夜
帰宅してすぐに母が離婚用紙を差し出した

子供たちが結婚するまでは離婚しないと決めていた
それも今日で全て終わり

離婚することは母の意地なのかケジメなのか

いつもは饒舌な父が一言も言葉を発せずうなだれている

母が今までの過去の出来事、心情を淡々と語る
父はなす術もなく離婚用紙に判を押すしかなかった

こうして離婚成立

とは言え、

母は苗字を旧姓に戻すことなく今までと同じ

父、母、私たち姉妹との家族関係も変わらず

その後も父に振り回されることにも変わりはなかった

その8

娘が京都の学校へ行くことになった

それを知った父から連絡があった

札幌からこちらへ来るとなると、学費、生活費、家賃といろいろお金がかかって大変だろうから、父が住む大阪のアパートの部屋から通うのはどうかという

詳しく話を聞く

父が住む部屋と言っても、
実際に父が住んでいるわけではないらしい

現在
父は仕事先の転勤により鹿児島に住んでいる

自分が住んでいた大阪のアパートはそのままにしており、
知り合いのフィリピン女性に貸している

その彼女が私の娘と一緒に住んでも良いといっている
と言うことらしい

娘の返答は

絶対に嫌!
そんなことあり得ない!

私ならOKするのになぁ〜
なんでも経験
もったいないことです

その9

帰宅して座る間もなく鳴る電話

お父さんいらっしゃる?

父ですか?
父はここにはいませんが
どちら様でしょうか?

あなた長女のyukoさんでしょう
〇〇〇〇〇社にお勤めで、双子のお子さんがいらっしゃるのよね
あなたのお父さんから聞いて何でも知っているのよ

声の感じでは若くはない、50代ぐらいの女性

お父さんと連絡が取れないの
どこにいるか知っているんでしょう?

知りません

連絡先を教えて!

知りません

あなたの会社に電話してお父さんと私の関係を話してもいいのよ

構いませんよ
この電話の内容を録音していますので、脅されたと警察に申し出ます

録音している?
さすがね
ご立派!

と言うと一方的に電話は切られた

もちろん、録音などしていない

内心ドキドキしながら平静を装い何とか対応しただけだ

そばで聞いていた母がしれっとして言う

その女性はね
お父さんが以前勤めていた会社の社長の奥さんよ
社長が亡くなって、自宅にお参りに行ったときに会っているから知ってるの


その女性がどうして、こんな電話を?

さぁ〜
ねんごろの仲になってお金でも借りて逃げているんでしょ

えっ〜!
なんてこと!

父ならやりかねないでしょうけれど

申し訳ありませんでした

その10

5歳のとき

父に連れられて
初めて映画と言うものを観に行った

映画館のある函館まで汽車に乗って行ったはずだが、
その往復の道のりでのこと、映画の詳しい内容などはよく覚えていない

平日の映画館は空いていて前方の真ん中辺りの席で観たこと、映画の題名は記憶にある

加山雄三主演
「エレキの若大将」

上映中、時おり、他の観客と父は笑っていたが、
私には何が面白いのかさっぱりわからなかった

父は母とケンカをして私を連れて家を出たらしい

それにしても
子供が喜びそうなもっと気の利いたところに連れて行けばいいものを

エレキの若大将って〜

それなら私を連れ出さずともよかったでしょうに

それでも

今、こうして、父との思い出として語る自分がいる

その11

父がフィリピン女性と再婚すると言い出したとき、

自分の人生だからお好きなように

と妹が言った

私はすぐに返答できなかった

いろいろ考えるわけです

もしかしたら偽装結婚に利用されるのではないか

多額の保険金を掛けられ殺されるのではないか

私の義母となるわけで(?)とりあえず会わせてほしい旨を伝える

そこに愛があれば(その判断基準は難しいが)、賛成しようと思う

いや、そんな女性じゃない
フィリピンにいる彼女の家族も歓迎してくれている

会わせてくれないのなら、偽装結婚をしようとしている人がいると外務省に電話する(口から出まかせ)

そんなことは絶対にやめてくれ!
それなら親子の縁を切る!

と逆ギレ?される

そんなこんなしているうちに、彼女がお国へ強制送還され、その話はそれっきりになった

そこに愛はあったのか、なかったのか ぃ

その12

函館で単身赴任中

父から職場へ電話があった

函館に異動になったことは教えて
いないはずなのに

本社にいた時も異動先の職場に電話がかかってくる

要するに会社の代表番号に電話をかけ、
私の名前を伝えて交換さんが職場へ取り次いでくれているのだ

あのな、ヒッタクリにあったん

出た!
いつものヒッタクリ!

父から会社に連絡があるときは、
ひったくりにあって、お金を取られてしまったので
少し都合がつかないかというときだ

人生でそんなに何度もひったくりに遭うとは珍しい

しかし、今回はいつもと少し様子が違った

その時に転んで、肋骨にヒビが入って
ずっと家で寝ていたので、仕事をクビになった 

警察に届けたの?
病院へ行ったの?

病院へ行くお金がない
家賃も光熱費も滞っている
もう、北海道へ帰りたい

はぁ⁉︎
突然、そんなことを言われても!

ここは会社です
皆んなが聞き耳を立てています 

とりあえずワタシよ
落ち着け、落ち着け〜(心の声)

あとで連絡するからと言って電話を切る

すぐに妹と母に連絡し、
そう言う事情なので大阪へ行って様子を見てきてほしい
と伝えるが、断られる

仕方がないので、上司に午後からの早退と翌日の休みをお願いして、函館から大阪へとひとっ飛び〜

その13

ホテルへチェックインして、父のアパートへ向かう

2DKの狭い部屋だが、もともと几帳面な性格なので、
小綺麗に片付いている

父が出してきた光熱費やら家賃などの振込用紙
話を聞くと、何社かカードローンを利用してお金も借りているらしい

既に夕方6時を過ぎている

私は明日には函館へ戻らなければならない
考える間もなく行動する

まだ営業しているアパートから一番近い弁護士事務所を探し出す
そこへ直接出向いて手付金を支払い、カードローンの清算手続きを依頼する

翌日

銀行で滞納している公共料金等を払い込む
アパートの大家さんに電話をする
退去の旨を伝え、家電、家具類を全て置いていくので、その撤去もお願いする

たまたま歩いている時に引越業社の方を見かけた
(こういう偶然、ホントに私はいつもツイてると思う!)
呼び止めて、ダンボール箱を父のアパートへ届けるようにお願いする

函館行きの飛行機のチケット(片道分)を購入して
父に渡す

荷物は着払いでいいので、最小限に すること
1週間後、必ず函館に来ること
その二つのことを念押しして
1週間分の生活費を渡し大阪を後にした

1泊2日の弾丸大阪ツアー?
観光名所巡りはできなかったけれど、
飛行機に乗ったり、東大阪の町をウロチョロ歩いて楽しかったのも事実

旅っていいなぁ〜

その14

父から着払いで荷物が届く

単身赴任中の一人住まいの私の部屋に

ダンボール10箱ってどういうこと⁉︎

父は元々函館出身である
長男であるにもかかわらず、自由奔放な人生を送り、
両親や病弱な妹の面倒を弟に丸投げ
叔父とは絶縁状態にある

子どもながらそんな叔父に申し訳ないという思いがあった
中学生になってすぐ、家族に内緒で一人で汽車に乗り函館の叔父の家を訪ねた

叔父夫婦の父へ対する罵詈雑言
父に対する長年の鬱憤が爆発したのは
私が父に激似なので本人と錯覚したと思われる

私は一言も言い返さず受け止め謝った

私にいうだけ言って気が済んだのか、
ハッと我に返ったように叔父がいった

yukoちゃんは悪くない
子供には関係ないことだったね

その日以来
お盆には祖父母と叔母のお参りをさせてもらっている

父が北海道へ帰りたいと思ったタイミングで
たまたま私は仕事の転勤で函館に住んでいた
これは必然だったのではないか思う

札幌にいたならば父を母のいる自宅へ連れてくることはできず、どうしたものか途方にくれたところだ

そんなふうに幸せなことに
私の人生にはいつも救いがある

さて、
父は函館へ来るだろうか?
チケットを換金して使ったりしていないだろうか?
今回だけはやらかさないでね〜

落ち着かない気持ちで過ごす一週間

その15

函館空港まで車を運転しながら、
つい一週間前の大阪でのことを思い出していた

あれから連絡は取っていない

大阪発の便が到着したとのアナウンスが流れる

到着口からバラバラと乗客が出てくるが、

父がいない!

と思ったとき

柄の入った朱色のチーフを胸のポケットに
同柄のネクタイをきちっと締めたダブルのスーツ姿で
最後の最後にゆっくりと登場

私と目が合うと、少しはにかんで一言

来ちゃったっ

来ちゃったって...
そんな可愛く言われても....

ちっとも可愛くありませ〜ん

でも、ちゃんと来てくれて良かった

1LDKの狭いアパートで
私が8歳の時に蒸発した父との同居生活が始まった

まずはダンボール10個の中身を確認する

父はオシャレな人だったので
スーツ、ネクタイ、革靴、鞄がたくさん
いまさら、もう必要ないでしょうに

父から私の知らない昔の話をたくさん聞いた

それはそれで大変興味深く、面白かったが、登場するいろんな人たち(例えば母)の気持ちを慮ると複雑な気持ちになる話も飛び出してくる

俺はいままで何があろうと一匹狼として生きてきたという自負がある

独身ならまだしも、それは家庭のある人の言葉?
妻子を養うこともせず、しかも最後には子に頼り、
1LDKの部屋に娘と一緒に住んでいる一匹狼とはこれいかに

まぁ、それが私の愛すべき父である

その16

結局
お互いに窮屈な思い(部屋も精神的にも)しかなかった同居生活は2ヶ月で破局?を迎えた

父は一人暮らしをしたいようだったが、
仕事もなくアパートを借りることは難しい
 
それなら3食付きの老人施設に入居した方がいいのではということになり、私のアパートから車で5分ほどのところにある老人施設に問い合わせると、これまたラッキーなことに空室が一つだけあるという

それは程よい距離感で、私はよく施設を訪ねたし、週末には私の運転で遠出をしたり、夜の繁華街へ一緒に飲みにいったりもした

一度、スピード違反で捕まった事がある

前の車、止まりなさい

という警官の呼びかけに

心臓が苦しいという父親を急いで病院へ連れて行く途中だと言えという

まったく〜
そんな嘘はつけません!

それに警察が信じてくれるとは思えない
でも、父の演技力を試してみてもよかったかな

その1年後
私は札幌の本社に戻ることとなった

札幌の自宅には母がいるので、一緒に連れて帰ることはできない

札幌にも施設はたくさんあるので、そちらに移ってはかどうかと父に聞いてみたところ、元々、函館出身と言うこともあり、ここに残ると言う

こうしてまた、父との関係は少し遠のいた

別れ〜それは突然に


デスクの上の電話が鳴る

この音は社外からの電話だと思いながら受話器を取る

こちら函館西警察署です
◯◯yukoさんですね?

お父様の◯×△□さんがホテルの部屋で亡くなりました
ご遺体の確認をお願いします

函館にいる叔父(父の弟)に連絡したところ、
確認を断られたと言う

突然の訃報に驚きも悲しみもない

遺体の確認...

これは私が一人で対処すべきなのだとぼんやり思う 

すぐに上司に理由を話し早退する

自宅に戻り函館へ向かう準備をする

母が私をひとりで函館へ行かせるわけにはいかないと
思ったらしく妹に連絡をした

夫もまた、同行するつもりだと会社を早退してきた

こうして夫の運転する車で3人で函館へと向かう

途中、何度も携帯電話に警察署から連絡が入る

何時ごろ到着しますか?
今、どのあたりですか?

なぜなのか、その理由がわかったのは
警察署に夜7時に到着した時だ

安置所前に顔面蒼白の私たちと同年代ぐらいの男女がいた

偶然にも同じ日に確認すべき遺体が二つあったのだ

しかし、確認できる部屋が一つしかない

結局、その日はもう1組の家族たちが確認を行い
私たちは翌日の朝ということになった

遺体の確認ができなかった私たちは
一週間の予定で予約した湯の川温泉の宿にチェックイン

なぜか、だだっ広い20畳の部屋に通された

3人でその部屋の真ん中に座って相談する

引き取った遺体はどうすればいいのか

叔父の家や施設に運ぶ行くわけにはいかない

祖父母と父の姉妹が納骨されているお寺に連絡を入れ、
そこへ直接運ぶことを決めた

ところで
警察署からお寺までどうやって運ぶ?

自家用車やタクシーでは無理
やはり葬儀社に頼むしかない

もし今日、遺体の確認をしていたら
その後の諸々のことがスムーズに行かなかったと思う
段取りをつける時間が与えられたのは
不幸中の幸い?

とりあえず温泉に入って(サウナも)
夕食を食べて部屋に戻ると
20畳の真ん中に布団3組が敷かれていた

なんだか落ち着かない

ズルズルと布団を引っ張り部屋の隅っこに移動する

貧乏暮らしが染み付いているのね〜

明日は遺体となった父と対面する 

別れ〜再会

朝8時
警察署に到着

こんなかたちで父と再会することになるとは
思いもしなかった

目を閉じた父は眠っているような
よくできた蝋人形のようでもあった

首が少し赤くなっていた

ホテルの浴槽に浸かったまま半日以上経っていたので、
皮膚がふやけていて遺体を運ぶ際に皮が剥けました
実は身体の方はもっとひどいです

警察の方が申し訳なさそうに言った

それから私と妹は小部屋に連れて行かれた

テレビドラマでよく見るような取調室?
それにしては窓のない3畳ほどの狭い部屋

机を挟んで向かいに座ったのはグレーの
パンツスーツ姿の若い女性の刑事さんだった

お父様はホテルの浴槽の中でお亡くなりになっていました
机の上に貴重品を置き、洋服も畳んで置かれていたので、
ホテルに戻り、すぐにお風呂に入って亡くなったと思われます

チェックアウトの時間になっても退室されないので、
ホテルの方が一度、部屋まで行ったところ
シャワーの音がしたのでまた、そのまま戻られたそうです

シャワーが朝まで出しっぱなしだったようで、
ホテルの給湯器に異常が発生、おかしいということで
再び部屋を訪れ発見されました

外傷はなく鼻血が出ていたので、脳溢血か...

ただ、施設にはお友達に会うと伝えて出かけています

また、ホテルの部屋の鍵はかかっていませんでした
事件性も考慮して解剖しますか?

妹と顔を見合わせることもなく、
二人同時にいいえと言って首を横に振る

別れ〜最後の最後まで

お寺に運んだ父の亡骸を前にして
夫と妹はお金も時間もかかるから葬儀はせず、
すぐにお骨にしてもらおうという

参列する人が私たちだけだとしても
お金がかかったとしても
お通夜も告別式も通常通り執り行いたいという
私の強い希望に二人とも渋々承諾

お通夜の前にやるべきことがある

妹と手分けして役所での死亡手続きなど

ホテルへ出向き、迷惑をかけたお詫びをして
お世話になったお礼(お金)を渡すと

宿泊代は前払いでいただいていますし、
こういうことはよくあることなのでと言われる

引っ込めたいところだが,
一度出したものは受け取ってもらうしかない

それにしても
ホテルで死亡する人がよくあることだというのが興味深い
(誰が?どんな状況で?といつもの知りたがり)

入居していた施設へ車で向かう途中で、
父の戸籍謄本を妹から受け取り確認する

ん?

マリア・レオノラ・レジェロ・×××と
同国の方式により婚姻と書かれている

えーっ!
フィリピン人と再婚してたの⁉︎

書類をもらった時に気づかなかったの?
妹に聞くと

その長いカタカナ名は住所欄に書いてある
アパート名だと思ってた〜
なんとも呑気な妹の返答

役所で真実を知り驚くよりはこのタイミングで
分かった方が良かったのかも

マリアは今、どこに?
連絡したほうがいい?

最後の最後までやってくれるわ〜

車の中で3人で大爆笑

別れ〜手紙

施設で父の部屋の遺品整理をする

夫が驚いた様子で1枚の写真を差し出した

えっ⁉︎
この大きなクリッとした目の女の子は
父とマリアの子ども?

それは私の子供Mの小さい時の写真よ〜
すかさず妹がツッコミを入れる

それから色々と見つかった

フィリピン渡航の際に使用したパスポート
(メキシコにも渡航記録あり)

フィリピンでの婚姻証明書

日本の法務省から発行された
「婚姻は認められない」という文書

マリアから送られてきた絵葉書
(イタリアからだったり、アメリカからだったり〕

知らない女性の書簡

戸惑いながらも、やることなすこと突拍子もない父らしいとなぜか納得して笑ってしまう

一つの箱を開けた私と妹の手が止まる

父が蒸発して大阪にいることがわかり
それからはたまに父からかかってくる電話が楽しみだった

話したいことがたくさんあったので、
幼かった私たち姉妹は父に手紙を書いた

箱の中に
その手紙の束と孫たちの写真が入っていた

内容なんてすっかり忘れている自分が書いた手紙

お父さん、お元気ですか
私たちは元気です
私は小学校4年生になりました

そんな文章で始まり、女の子の絵が描いてある
顔の目鼻口が描かれていない

4年生になった私です
顔は秘密
想像してみてね
会った時のお楽しみです 

こんなこと書いたっけ?
と思うと同時に涙が溢れ出た

隣で妹も手紙を手にして泣いていた

父が亡くなったことが悲しいのか
遠い昔の自分たちの姿を思い出して悲しいのか

涙が止まらない

ホントにもうっ!

泣き笑いのお別れ

享年80歳 
今年13回忌を終えた

別れ〜番外編

父が亡くなったのは函館だった
札幌から駆けつけて、さて葬儀をどこに頼めばいいのか

葬儀社を経営している札幌在住の友人に連絡を取り、
函館の葬儀社を紹介してもらう

葬儀社のHさん

うちの葬儀社ではお父様の檀家であるお寺さんで執り行ったことがございません

ただ、函館でも由緒あるお寺さんなので(お布施は)相当お高いかと...

そこで、葬儀代を節約しましょう!
パックにすると割高になりますから、細かいところを省いてお金がかからないようにいたしましょう

絶対に安くできないものは棺桶です
これは桐の棺桶と決まっていますから

この棺桶の上に被せる白い布は1万円

その上に被せる金ピカ紫の織りの布は無料でお貸しすることになります
白い布は必要ですか?

葬儀車で火葬場まで亡骸を運び、
帰りはお骨ですのでご自分たちの自家用車で運んでください

お寺に戻りましたら、お清めの塩を置いておきますから
ご自分たちでお願いいたします

これで葬儀車の使用料金は片道分のみ
ワタクシHの待機分の人件費が浮きます

なんとまあ、ご親切なHさん

まるで葬儀代をヘソクリで補おうと思っている私の心を(ヘソクリ金額を)お見通しのようだ

お陰様で無事に葬儀は終了

Hさん、ありがとうございました
心からお礼申し上げます

父との思い出

父との思い出

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. その1
  2. その2
  3. その3
  4. その4
  5. その5
  6. その6
  7. その7
  8. その8
  9. その9
  10. その10
  11. その11
  12. その12
  13. その13
  14. その14
  15. その15
  16. その16
  17. 別れ〜それは突然に
  18. 別れ〜再会
  19. 別れ〜最後の最後まで
  20. 別れ〜手紙
  21. 別れ〜番外編