赤穂浪士関連の細川家の話

赤穂浪士関連の細川家の話

浪士のその後。

 討ち入り後に赤穂浪士が預けられた細川家の話を。
 だが、短い時間で細川家を記述する事は難しいので、赤穂浪士に関連する部分を中心にする。
 此処からは、日本初の歴史戦国ポータルサイトBUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)というところの記述を拝借させて戴く。

 話の前に、切腹は此の国でしか聞かれない言葉で、戦時中迄行われたが、現代では一人しかいないと思われる。其の三島氏にしても、盾の会の介錯人が介錯をするまで、本人はかなり時間がかかったとも言われている。
 江戸時代以前の武士でさえ必ずしも簡単に・・では無かったとも聞かれる。時間が過ぎれば気絶してしまう事も考えられるので、介錯が大きな役目を果たしていた。
 以下の話にも登場するように、介錯人には腕の立つ者などが起用されたようだ。
 其れでも、介錯人がいなく切腹の場で無いところで行う事もあったので(「計られ」主君を助けられなかった場合など、その場で一人で腹を切るなどのケース)、その場合には相当本人の腕が立たなければならない事になる。


 赤穂浪士が無事討ち入りを果し泉岳寺に眠る藩主であった浅野内匠頭、の墓前に吉良の首(首と一口に言うが、実際には屋敷内でとも限らず、全国行脚し仇を探し出し確率は定かでないが、半分とし、仇を討った場所から戻る際に交通機関など無かった世だから、時間がかかり腐ってしまう虞もあったが、そう言う時には髷(まげ)を切って持ち帰った等工夫をしたのではないかと思われる。)を、というところ迄は良く取り上げられる。
 現代で言えば仇討は殺人罪に相当するので、此の国の三大仇討の一つであるこの事件も犯罪と看做(みな)される。
 綱吉の命で家は潰されるし、主君は即日切腹を仰せつかったのだが、此の国では「天晴~あっぱれ」の国民の声が至る所で聞かれた。
 殺人罪といっても当時の武士は切腹できるのはまだ良い方だと思っていたようだ。
 結局、切腹の為に預けられたのが四つの家だった。家といっても藩主の家の事。
 四つの家に預けられた内の三つは兎も角、細川家につき話をする。細川家といえば、細川藤孝(細川幽斎)や、その息子でキレすぎる風流人・細川忠興の家で知られる。

 忠興には、なかなかエキセントリックな一面があったが、跡を継いだ細川忠利以降は名門に相応しい振る舞いをしており、この頃の当主は細川綱利(つなとし)という人で、忠利の孫。
 細川幽斎から数えれば五代目にあたるそうだ。

 元禄十六年(1703年)ともなれば、戦国の気風はかなり薄れ、あちこちの大名家で財布の紐やウエスト周りが弛んでくる頃合。
 が、さすがに室町時代からの名家は違ったという。
 綱利は浪士たちの預かり先、しかも筆頭だった大石内蔵助良雄を含めた17人という最多人数を任せられることが決まると、到着が真夜中だったにもかかわらず、ずっと起きて待っていたという。
 さらに罪人に対するとは思えない食事(二汁五菜)や菓子に酒、部屋、風呂に嗜好品の世話までしてやり、大石については直々に会って話を聞くなど、彼らのやったことを肯定するような行動をした。
 一応幕府に許可を取ってはいたものの、ヘタをすれば細川家の命運に関わりそうなもの。
 しかも助命嘆願だけでなく、わざわざ山へ神頼みに行くわ、「命をお助けくださるなら、我が家で召抱えたい」とまで申し出るわ、願掛けのため精進料理に切り替えるわ、相当な入れ込みようだったそうだ。

  細川綱利が規格外だったのかもしれない。
 とはいえ彼も武士、幕府から「切腹させよ」と命じられれば従わざるを得ない。
 最後の情けか悪あがきか。「端役(はやく)の者では彼らに礼を失する」として、介錯人(切腹の際止めを刺す役)に重臣(じゅうしん)や自分の小姓(こしょう)を当てるなど、心配りを見せた。
 綱利も自分の家を守らなくてはいけないから、最大限の配慮をすることで浪士達に礼を尽くしつつ、幕府への体裁も整えた。
 さすがに50万石もの大大名である細川家を潰すわけにはいかない。
 こうなると赤穂浪士たちを預かっていた他の三家と差が窺えてしまいそうだが、綱利が規格外すぎただけのことなので、他家が悪いわけではない。
 むしろ細川家が代々幕府の役に立ってきた家だったからこそ、お目こぼしをしてもらえたのだろうという。
 もし普段から幕府に反抗的だったり、さほど熱心にお勤めをしているようには見えない家だったら、これを機に何らかの処罰がくだされていたかもしれない。

 
 港区高輪の旧細川家下屋敷跡にはITALY大使館が立っているそうで、どうやらその大使館に、「大石義男外十六人忠烈の跡」という石碑が立っているという。
 同じく三田松平家の中屋敷跡には浪士たちの忠義を称える碑が立っているそうだ。
 因みに、供養までしてくれているそうで、ITALYに足を向けて眠れないという事の様です。
 死にたくない人もいたのかも知れず、まあ、そんな事は言わないでしょう。
 時間が無いので、もう少しで終わるが、時代が違うとはいえこの国の伝統は、忠義・仇討(此れは目下の者は対象に出来ず、あくまでも目上の者や目上の家族など。)大東亜戦の特攻精神(此れはUSAのような白人種には、というか他国全般にあり得ない事だったのでしょうが。犠牲の精神が尊ばれたという事でしょう。)など、本来は法律の専門家であるのに・・ある意味でお疲れさまでした・・と言うべきのような気がする。


 ごちゃ混ぜにしたくは無いから、此処からは読みたくない人は読まなくても結構。
 中学校で、クラス全員で考えた事があった。クラスごとに何か「テーゼ」のようなものをと・・。
 テーゼとは、哲学用語で「定立」と訳されます。 ある事柄を肯定的に主張すること、命題を立てるという意味です。 日本語訳の「定立」という言葉よりも、ドイツ語の読みをカタカナ語にした「テーゼ」がそのまま使われるのが一般的だが、少し使い方がおかしいのかも知れない。
 まあ、兎に角、クラス全員で考え出した言葉は、
「自由と規律」
 でした。
 黒板の上に自分達で作ったその言葉を掲げました。
 其れで、気になるのは、USAの自由主義という言葉なのだが、資本主義と共産主義は分かる。
 民主主義も分かるが・・此の自由主義という言葉の意味がよく分からない。
 実際、最近USAで発生している銃社会の犯罪・・此れを、USAのある報道が、
「何でも自由主義なのだ」
 そう聞いた時に、あら?中学生以下では?と感じた。
 第二次世界大戦でGermanyが破れBerlinが東西に壁を隔て分離された。此の時、USA/UK/Franceなどの軍隊がブランデンブルグ門辺りに集まり、当時の大統領であるケネディー大統領が演説をした。
「我々自由主義は壁など造らない」
 トランプはメキシコ国境に壁をつくろうとした。
 メキシコは反USA国になっている。
 更に、此のケネディ大統領がダラスでオープンカーに夫婦で乗っているところを狙撃され死亡した。
 その犯人はオズワルドで、更に彼もCIAに殺害されたとも言われている。
 其処で、おかしいな?と考えるのは、
「何だ?結局、自由主義とは何だか分からない。自由主義をと、叫んだ大統領までが暗殺される・・其れも自由なのか?」
 単純に、子供でも疑問に思う事だと思うし、これ?自由主義とは一体何なの?何でも自由なのなら、差別も何も自由という事になるが、実際その通りになっている。
 お国変われば其処まで違う。
 従って、民主主義と自由主義とは全く異なっている事になる。勿論、USAの全国民がそう思っているのではないのだろうが。其れに、西側・東側と単純に分けているが、やはり国内が纏まっていた方がベターではある。
 そうすると、例えば大国三国を単純比較すると、(MSNnユースの記事は、宛てにならないから西側のプロパガンダ作戦の手先となっている記事も取り上げている。)USSRは西側が何だかんだと贔屓目で見る程国民は荒れていなく、国境に殺到した元国民たちはいない方が良かったと言えそうだ。
 対する小国も多分に歴史上もそうだったように、同じ組み合わせの他Polandとも戦争をしてきた。負けず嫌いは良いがやはり実力が・・仕方がないが、支援に頼るのみという現況。
 来年春までにどうなるのかは分からないが、完全に覆す事は無理では。シベリアやモスクワを攻撃するというのは危険すぎる、USSRの国民も其処まで攻撃されて諦めましょうと言い切れるかどうかは国民性の問題もあり、他国ではプロパガンダでしか応援できない。
 核兵器は使用しないでしょうが、持っていられる事は万が一の事態を誘発しかねず、其れが理解できない小国のリーダーの興奮した口調からやはり、大物で無くノーベルなどおだてられていると思うしかない。
 過去、USAは朝鮮戦争時の国連軍の頭領として戦い、また、ベトナム戦争では南の代理戦争だったが、結局USSRに敗北した。
 CHINAの国内がどうかは共産主義の考え方と他の考え方では全く異なり、同じ考え方をしては予想は外れる。25年までに核弾頭1500も、其処まで青い惑星が続いているかが分からないので何とも言えないが。
 最後にUSA国内は現在荒れに荒れている。国民支持が二分化。インフレ・物価高など簡単に収まるかは分からない。
 政治学専門用語で、今はあまり聞かないが、Englishで「status quo」という言葉が且つてあった。「現状維持」と訳すのだが、今のところ、USAは先ず現状維持を目標に掲げなければならないと思われる。
 というのは、其れでもかなりしんどい国内と思われ、プロパガンダは一切通用しない。西側諸国が勢ぞろいしたところで、果たしてUSSRと北朝鮮の核を簡単に防ぐ事は無理だろう。此の国は今更何をやっても遅すぎる。
 プロパガンダは毎日のように、USSRは孤独だ・・限界に来た・・形勢逆転・・とやっているが、此れは西側の常套手段で世界中のマスコミも味方にした上での事。
 戦争は、やってみなければわからず・・少なくとも核に限っては勝負はついているものと思われ、後は、何処で決定するかだけ。人類の弱点である、「五感で感じ取ったものが頭脳迄届いた時には、感情爆発、という事になる」。サッカーやゲームと同じ様な思考形態をとるのが人類の特徴。四つ足動物のまま進化してきたのが手に取るように分かり、感情を先に持って来ては政略とは言えず負けになる確率が高い。
 やはり、交渉力が無い。トランプは危ないが、彼の主張の中で一つ正しいのは、「俺ならUSSRと交渉が出来る」。此れもプロパガンダとしても、戦略的に考えると先ず最初の段階で、小国もUSAも交渉を通すべきだった。
 要は、本音は双方同じで、出来れば核戦争は起こしたくない。やればUSAが負ける事は歴然としている。かつてのUSAならとうに攻撃をしていた筈なのだが、今一、歯切れが悪く、何時までも間接的な戦争関与を貫いている辺りが、其れを物語っている。
 現在の世界では大国が三つある。以前とはそこが異なる。キューバ危機は一見、寸前までいったように記憶しているが、二国の弱体化で頭角を現すのはもう一国。宇宙空間では遥か昔に姿を消している半導体なのだが青い惑星では制裁の対象になっている。其れもそろそろ、Chinaの追い上げがひたひたと追い付いてきそうだし、バイデンの思考は逆の事態を起こす事に繋がりかねないと言える。
 USAがベトナム戦争で敗北しても、国民は呆れるだけで許した。しかし、今回はまかり間違えれば・・此の国などは全く関係無く、たった500年足らずの歴史上、初めて本土攻撃を受け、初めて国民に多くの犠牲者が出る可能性はある・・。
 最早、Turkeyも仲介役として手が打てない状況になってきている。其れに、実は「制裁」が良い方向に役立っている間は良いが、逆に制裁に対する制裁となりかねない。
 物事を楽観的に見るのが西側諸国の特徴ともいえる。もう少しで・・もう少しで・・が何処まで形勢逆転と言えるのか?まあ、何を言っても仕方が無いが、人類の思考形態で何処まで追いつめられるかは・・何とも言えない・・。
 せめて、騒々しいだけのプロパガンダだけはやめ、静かに戦わなければ、そう何時までも世界のマスコミの応援が効果を発揮し続けてくれるのかも・・?インフレの原因は物価高とは別に、おそらく、紙幣の増やし過ぎなのかも知れない。安部氏が言った。
「日銀はバンバン紙幣を作ってくれる」同じ考え方だ。
 来年春を控え、USAは大きな曲がり角に差し掛かっていると言えるのかも知れない。
 此の国の選挙や政党でも手に負えない問題が山積している此の国も運命共同体なのかも知れない・・基地がある限り・・。

 赤穂浪士から此処まで、随分飛躍してしまったが・・。
 時間が無くなったので・・此処でお終いにする・・。 
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「「by europe123 monotonous」」
https://youtu.be/dugG3yVnaSU

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赤穂浪士関連の細川家の話

切腹の実態。

赤穂浪士関連の細川家の話

この事件は、そもそも、幕府綱吉が、朝廷のご機嫌を取るつもりが、とんでもない松の廊下になったと、其の日に切腹・取り潰しを命じた事が仇となり、起きた仇討と言えるが、細川家の17人に対する思い入れは相当のものだったという話。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-16

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