Mujer huyendo 邦題 逃げる女

Mujer huyendo 邦題 逃げる女

神社の祭りであった女性。

 茜色の夕陽の訪れる時間が次第に早くなって来ると、今年も既に残りが四か月余りだと感じる。出先の帰りに回り道をして通り掛かった神社では祭りが行われているようだ・・。
 夏の最後のあがきの様な気もするが、今年はあまりにも季節の移り変わりが早過ぎた。蝶の姿は全く見られず、蝉の鳴き声が聴かれる事も無く、道の端端(はしはし)に転がっている昆虫の亡骸(なきがら)を見ると、何時の間に生まれていたのかと不思議に思う。
 祭りが賑やかであればある程、瞬間、其れが終わった後の空虚な心理状態にすり替わる事がある。
 七月の生まれである鎌田康介は暑さには強い方だけに、今年は其れも長続きしなかった事が何か物足りなく思える。年と共に一年は早くなると言われているが、それにしても何かおかしな気もする。
 年が三つ違いであった八月生まれのいとこの隆は亡くなったが、生きていたらきっと同じように感じたのではと思う。
 小学生の頃、真夏の暑さの中、誰一人いない名古屋の名電高の広いグランドで、叔父が二人並べてノックをした事を思い出す。
 暑さで目が回り倒れるかと思う程、必死になって追い掛けた白球をノックする音が校舎に響いていたのだが、今は其の音も思い出せない遠い過去の記憶。
 熱中症などという言葉もなく、夏は暑くて当たり前だと気にはしなかった。其れが終わって家に帰ると、今度は叔父が熱すぎ我慢できない程の湯に浸かれと言うから黙って風呂に入る。
 叔父は気が短いところがあった。大蔵省の役人で官舎に住んでいた。
 夏になると康介はその度に、隆を訪ねて遊びに行った。三重の久居に遊びに行った時には二人で海水浴のつもりだったのだが、誰もいない海岸で泳ぐつもりが、砂浜に訳の分からない虫が沢山おり噛まれて痛いからと諦めて帰った事もあった。
 体が大きく身長が百八十五以上あった隆は、子供の頃は無敵の暴れん坊だったが、叔父のconnectionで大手の保険会社に就職したら大人しくなり驚いたものだ。


 祭りの人混みの中にふと隆を見たような気がした。そんな事を考えながら帰宅するにはまだ早いと、出店を見て廻ったりしている内に、何時の間にか鶴瓶落としの夜空に星が煌めいていた。
 子供連れや男女のグループなどに紛れ、一人で境内に置かれている休憩用の長椅子に腰掛け、駄菓子や氷水に漬けられて冷えているラムネを味わっていた。
 神社であるから、当然賽銭箱やその上に吊るしてある鈴から垂らしてある麻縄があり、参拝する人々が鳴らす鈴の音や賽銭の転がる音がひっきりなしに聞こえてくる。
 バッグの中から地図を出して、神社を探してみた。滅多にこの辺りに来る事は無いから、道さえも定かでは無い。
 大きな神社だからすぐに分かるかと思ったのだが、離れた場所に幾つか其れらしきものがあり・・まあ、何でもいいと名前は気にしない。
 人々の中には浴衣を着ている女性も多く見受けられる。夏はやはり浴衣が一番だなど思いながらふと・・、一人で椅子に腰かけている女性に目を遣った。
 浴衣なのか着物なのかは良く分からないが、鮮やかな大きな花が描かれている。たいてい白地や紺や緑などの生地が多いが、彼女は濃い紫の浴衣が良く似合っている。
 古風な感じもするが年の頃は三十前後というところか。康介と同世代の様な気が・・。横顔が白く鼻筋がすっと通っている。
 祭りの気分がそんな気にさせたのかも知れないが、つい彼女に・・「・・結構な祭りで・・」と、口をついて出て来た言葉を投げかけていた。
 此方を振り向いた紅の唇から・・辺りの賑やかさで聞こえないくらい控えめな「・・本当に・・」。
 一瞬、周りの騒音が聞こえなくなるほど驚いた。正面を向いた女性の美しさは尋常では無いし、白い肌が生き生きとしなやかに呼吸をしているようだ。
「・・お近くの方ですか?」
 其の後は、話をしている自分ですら何を言いたいのか分からない程すらすらと言葉が出て来た。
 というのも、近くかどうかなどは聞いてもあまり意味が無い事で、兎に角何か話しかけてみたいと思っただけだが、何か彼女からはそんな風にさせるものが感じとられた。  
 康介の目を見て微笑む。
「もうじき・・終わりですね・・」 
 何がどうして終わりなのかと、そうか、祭りの事?・・まだ、時間は十分なようだが・・。 
「・・焼けるような暑さの中で白球が・・」
 一体、何のことを言っているのだろう・・?
「・・汗を流した後のお風呂は、何とも言えなく気持ちが良いでしょうね・・」
 康介は彼女の言っている事が、先程まで自分が考えていた事に関係がありそうな気がした。
「・・隆さんはお元気ですか・・?」
 驚いた・・寸分間を置き・・言葉が・・。
「貴女、今、なんておっしゃいました・・?」
 彼女は笑顔の頬に笑窪を付け足しながら。
「・・私、追われているんです・・」
 彼女の表情からは恐怖に怯えている様は窺え無い・・至極・・当然の様な・・。
「追われているって、誰に・・?悪い男にでも・・ですか?」
 彼女は首を傾げながら相変わらず微笑んでいる。
「そんなんじゃありません・・、海は輝いていましたか・・?」
 康介は、彼女が、突然、話を代えたが、先程の事に関係がある気がした。
「ひょっとして、広い砂浜に虫がいて・・?」
 彼女はそう続けてから、康介の瞳の中まで覗き込むように・・。
「其れで、怖くなって帰ったんですよ。貴女、何もかもお分かり・・の様ですね・・其れなら名古屋の事も三重の事も・・其れに・・亡くなった者の事も・・?」
 彼女は私に話をさせたまま、沈黙を守っている。
「あの頃は熱い毎日が続いていて・・でも、其れが気持ちが良かったのですがね・・」
 次は、彼女が・・分かっているのだったら・・頷くだろう・・と。
「今日のように、暑かったのですか・・もっとでしょう・・?」
「其れは、こんなものでは無かったですよ・・あの頃は、で、その者達は・・?」
 彼女は黙って頷いたが、ほんの少し寂しそうな顔をして言う。
「・・逃げないと・・貴方、夏の生まれですよね・・?」
 康介は、辻褄がどうのより・・先ずは続けて答える。
「ええ、暑い夏の盛りの・・七月で・・?あの・・逃げるって、やはり、誰かに追われているんですね・・そうでしょ?・・私でお役に立つのなら・・何とでも?」
 康介は既に、彼女の為なら何でもしてあげようと思っていたから・・。
「・・兎に角、隠れたほうが・・ええ、私が見張っていますから・・」



 そう言えば彼女の名を聞いていない。
 まあ、名などどうでもよいが・・で、先ずは自ら名乗った。
「・・私は鎌田と申しますが・・」
「・・貴方、私の事、よくご存じの筈・・」
「名前をですか?・・いえ・・存じませんが・・?」



 彼女は、笑窪が一段とくっきりするほど頬を歪め微笑む。
「もうそろそろ逃げないと・・あまり近付かれたら・・困るので・・」



 康介は、そそくさと慌てながらも・・今までの経緯を思い出していた。
「・・全て・・あの頃の私達の・・それ、何故でしょう・・実に・・ハッキリと覚えていらっしゃるようですが・・?」
 もう一つ、別の事が頭に浮かんだ・・しかし・・其れでは・・あまりにも悲し過ぎ・・もうお別れですか?



 周りの人混みの間を・・一陣の涼し気な風が・・吹き抜けた・・。
 鈴が転がる用に音が、縄も・・何時までも揺れている。



 彼女は、確かに何かに追われているような素振りで、康介の瞳に視線を合わせてから、すぐさま反らした。



「さようなら・・貴方も・・お元気で・・」
「ああ、あの・・まだお名前・・?」



「貴方が大好きな・・お分かりでしょう・・そう・・そうです」



 康介が何某かの謎かけなのかと・・考えた時、既に・・彼女は以前の視界から消えていた・・ふと、気が付けば・・夜空に昇っていくのは・・正しく・・。
 夜目にも、鮮やかな大輪の花と、真っ白な肌だけが浮き上がるようにくっきりと・・。
 ・・其れ程追われる様(さま)は、幾ばくの疑念も感じさせない・・本当に急いでいるのだろう・・。 



 彼女がかなり高く迄上がった頃、突然・・冷えきった空気が辺り一面に・・。
 もう其処まで・・きているとは・・?



 康介は、既に気が付いていた。
 彼女の名は・・自分の好きな・・。



 夜空に、月は柔らかな光を辺り一面に投げかけ・・星々も瞬(まばた)く様にキラキラと煌めきながら・・彼女を見送っている様だった。
 康介は・・また彼女に会えるのだろうか・・?いや、会えたとしても・・其の時の自分はどうなっているのだろうか・・?先の事なぞ・・分かる筈がないのだから・・と。

Mujer huyendo 邦題 逃げる女

女性の仕種は・・尋常ではないが・・。

Mujer huyendo 邦題 逃げる女

女性の正体は不明のまま・・何となく・・涼しい季節に・・。 逃げなくては・・。 どういう意味だろう?どうしてなのか? 主人公は夏の生まれで7月が好き。女性の言っている事は・・どうやら?

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-11-27

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