Dernier vol (Last Flight) Europian Union (EU)弁護士

Dernier vol (Last Flight) Europian Union (EU)弁護士

詩のようなもので、内容は何もない。

牧田勇は、今、de Gaulle(シャルルドゴール)行きの機に乗っている。

 牧田勇は、今、de Gaulle行きの機に乗っている。
 長年勤めたFrance及びEU諸国、中でもParisには事務所があったから。
 勇が日本にいたのは、若い時に二十年位。
 その後渡欧、当時は28か国~今では27か国。
 (EUは圏内で其々の国の資格を持っていれば弁護士は出来るが、事実上は言語の観点からnativelawyerを数人雇用し・其々の国を担当して貰った。また、事務所にはbilingualで同時通訳可能な女性が二人勤務しており、言語の点でも不自由を感じた事は無かった。USA/Canadaのように州毎に別途、或いは州によっては跨ぐ毎も出来る。USAでは数十年前に遡れば、既に弁護士が多過ぎて食べていけないという事情になっていた時代もあった。)
 日本では欧州連合と言われているEuropian Union略称EUだが、英語などでの表記の頭文字をとった EU があり、フランス語、スペイン語など形容詞を後置する言語では UE という略称が用いられる。またアイルランド語では AE、エストニア語では EL、ラトビア語とリトアニア語では ES、キリル文字を使うブルガリア語では ЕС、ギリシア文字を使うギリシア語では ΕΕ となる。
 或る時、勇の事務所の事務員が二人目に代わった。
 ニナ・グリーンが先代の事務員から代わって約二十年が経つ。
 当時はソルボンヌ大学出たてのニューフェイスで、イギリス人とフランス人のハーフだ。
 若かったから、日本語を覚えてみないかと言ったら是非ともという返事が。
 月日が経ち今は日本語で会話が出来る様になっている。
 勇は係争中の案件などの引き継ぎを一緒にやっていた弁護士のリーダーに依頼したが、事務所はそのまま使用しているから彼女も続けて勤めている。
 法律事務のベテランであるニナにとっては事務所内が代わっても十分に仕事はこなせる。
 地続きの異国の地で言葉が違い、国民感情や考え方などが全く異なる人間を相手に法廷闘争を繰り広げる事は想像を絶するほどしんどかったと言うのが本音だ。
 しかし、長年やってきて、結果的に遣り甲斐はあったが、身体の方が根をあげてしまった。不治の病が勇を催促して来早く楽になれば・・と、引退を余儀なくされた。引退時には、長く付き合いのあった近隣の店の人や仕事の関係者から花束を贈呈された。
 勇は花束を眺めながら、映写機を逆戻しした様な過去の出来事や情景を思い出さざるを得なかった。
 引退後、久し振りに渡欧したには訳があった。
 一つは、いよいよ身体が限界に来てしまったから。
 更にもう一つは、ニナの顔を見に来たといった方が正しいのかも知れない。
 事務所に入りたての頃のニナを思い出す。
 最初はFranceで、二人で休みの日には一緒にあちこち観光名所は勿論の事、勇もニナも絵画が好きだったから美術館巡りをした。
 Franceには、オルセー・オランジェリー・ピカソなどの美術館その他北部南部には美術館は幾らでもある。
 Holland~オランダAmsterdamでは、レンブラントや日本でも人気のフェルメール、南のクレラ―ミュラーでは天才画家ゴッホの作品や近・現代アートの美術館、そしてロシアのエルミタージュ美術館の別館など、
 他にも挙げればきりが無いが、片端から行ってみた。
 Spainのバルセロナのピカソ美術館。ミロ美術館では、二人でバルセロナ市街を一望しながら此れからの夢を語ったものだ。
 Belgiumベルギー・ブリュッセル、ローマでは、美術館だけでは無く変わった博物館を見たり、古代遺跡や由緒正しい教会を見た後、カフェで互いの感想を述べた。
 若いニナは何時も笑顔を絶やさず、勇も年齢差はあったにしろまだ元気だったから、そんなニナと一緒にいると、面倒な法廷の事など吹き飛んでしまうのが愉快だった。
 或る日、勇が法廷で嫌な事があり、事務所に帰って来て浮かない顔をしていた時、ニナが、
「今日は、早めに切り上げてParisの街に繰り出しませんか」
 というから、
「そうしようか」
 と出掛けた時に、街の明るさ・・というよりもそれ以上に輝いているニナと一緒にいる、其れが自分を癒してくれている事を痛感した。
 勇にとっては、ニナは家族の様な気がし、何か吹き荒れる嵐の中の錨(いかり)のような心の拠(よ)り所になってくれていたのかも知れない。


 

 今回、Paris行きを考えたのも、妻はかなり前に亡くなっていたし、子供達も独立し会う事は無くなっていたから、肉親同然といってもいいのではないかという勝手な感情に後押しされるようにやって来た。
 初々しかったニナも今は立派なLes femmes。
「仕事は忙しく無いかい?休みの日にでも 二人だけで小さなパーティーをやらないか?」
 と、半分まで言い出したところで、既にニナは微笑んで頷いていた。
 街の中では一番高いモンパルナスタワーの56階にある「Le Ciel de Paris」は観光名所でもあるから夜景は綺麗だが、今日は別に「Le Meurice」に行ってみた。ヴェルサイユ宮殿の内装からイメージして作られたシャンデリアと大理石で豪華に彩られている。
 夕食を一緒にとりながら、ニナは勇にどんな料理が好みかと聞いた。
 勇は、本場とは味の違う日本料理よりも、フランス料理店や表まで行列が並ぶ中華料理店、とは言ってもラーメン屋、などを街を歩いて探し出し美味を堪能できた事を話した。
 ニナは、
「ずっと此の国に・・・」
 と呟いたような気がした。
 勇は、話を換えエスニック料理や多国籍料理を食べた時の事を話したり、其れから何処の国にもあるステーキが美味しい店の味比べの話をした。
 しかし、やはり今回やって来た理由を話さざるを。
「病が・・もう・・君に会う事は出来無い・・と思う・・」
 ニナは既に気付いていたのだろう、何度か頷きながらハンカチを目にあてていた。
「元気で。此の素晴らしい国で、何時までも君が幸せである事を祈っている」
 ニナは、勇の若かりし頃の姿を思い出したのか、涙が零(こぼ)れ落ちるのを憚(はばか)らなかった。



 シャルル・ド・ゴールから、翌日の20:30の便の予約をした。
 ミナは2Eターミナルまで見送りに来てくれた。
 何度か振り返って別れを告げた。
 勇は何もかもが夢だった様な気がしながら、サテライト3からJAL機に搭乗した。
 

 機は何事も無かったかのように目的地を目指して只管進んで行く。


 やがて、羽田空港に近付いた頃、機内に日本人機長自らのアナウンスが流れた。
 此の機は機長にとってラストフライトだったらしい。(国内線でもあるが、此の便が自分にとりLastflight~最後の飛行だとのアナウンスが聞けることもある。)
 


 勇は窓際の席で、窓に凭(もた)れる様にして、目に映る灯りを感じていた。
 


 全ての灯りが次第にぼやけて行き、恰も旧いカメラのレンズにキャップがされた様に・・真っ暗になった。



 C/Cが窓に凭れたままの勇に呼びかけ、
「お客様、どうかなさいましたか。お客様・・?」
(此の国では且つてスチュワーデスと言われていた時代があったが、日本航空は此れを使用しない事にし、代わりにCA~キャビンアテンダントという言葉を使用している事と思うが、海外では部分的に通じない言葉でもあり和製英語とも呼ばれるが、やはりCCの方が幅広く使用されるが、キャビンクルー。)


 偶然だったが・・勇のラストフライトも終わった・・・。

Dernier vol (Last Flight) Europian Union (EU)弁護士

航空機は何も、直行便だけでなく、安い~時間がかかり経由地がある~航空機会社を使用する事も一種の楽しみとも言える。エールフランスはやめた方が良い~virus感染期のチケットでも返さなく愛想が悪い。其れに対し、此の国の航空機は誠実でサービスも良い。また、トルコTurkey航空のイスタンブールIstanbul空港経由やChina航空北京経由(今は営業をしていないと思う。)タイ航空はお金がないようで、其れでも半年たってから返してくれた。ところが、europe上空ではやはりエールFrance・その子会社であるKLMHollandオランダ航空を使用するしかない。~Paris・Amsterdam・Zurich・Parisの様に周遊チケットの場合だが。

Dernier vol (Last Flight) Europian Union (EU)弁護士

詩なので特にない・・。Lastflightに巡り会えれば結構では・・。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-11-26

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