アーユルヴェーダ伍拾肆
これちか
3月3日
「ごめんねえ結、誕生日なのに忙しくってお祝いが」
「いいんだ、電話できたし」
「電話?」
「間違い電話だっていう人とたまに話をしてるんだ。
でも向こうは俺を知ってるみたいで、不思議なんだけど」
「でも本当にごめんね、仕込みが忙しくて夜も一緒に食べられない」
「いいんだ、俺には昔からそういう日だったから」
父さんと母さんと別れて俺は母屋に入る。
そして包丁を研ぐ。
最近研いでなかったからなあと自分を責めたりしてみる。
「…あ」
がっちゃん。
シンクに落としてしまった。
その瞬間だった。
「…結ちゃん、来ちゃった」
母屋の入り口で、そう言って立っているのは、間違いなく、
あの電話の人だった。
「と…」
「結ちゃん、ごめんな、俺のこといろいろ考えてくれてたって知らなかっ」
「冬至!」
俺は走り寄って抱きしめる。
記憶がよみがえる。
でも多分また消されるけれど、でも今はまだ、覚えていられる。
「また泣いてたのか、俺が泣かせたのか」
「違うよ、嬉しくて泣いてたんだよ」
「嬉しい?」
「さっきも言っただろ、俺のこといろいろ考えてくれてたって知らなかったって。
吹奏楽部に俺を戻そうとしてくれてたなんて知らなかった、
いつからそんなこと考えてたんだよ」
「団旗が持てるようになった頃から、ずっと」
「そんな前から」
「電話でも言ったじゃないか、応援団なんて今どき流行らないって。
それに、廃部になってもいいんだ、俺は無理やり冬至を吹奏楽部から奪った。
それをずっと悔いてた。だから、少しだけだと思って付き合ってもらってただけで、
いつかは吹奏楽部に返そうと思ってた」
あったかい。
あんなに冷たかった冬至の体が、出逢った頃のようにあったかい。
「熱、戻ったのか」
「違う、少し力を貸してもらってるだけだ。今夜だけ、一緒に居られるようにって、
冬馬が力を貸してくれてる」
「冬馬って、古関先生?」
「今は先生じゃないよ、俺と同い年の男子になってる。
それより、ケーキ、作ろうよ」
どういう意味だろうと思いながら俺は準備をする。
「俺にも手伝わせてよ」
「じゃあ生クリーム泡立てて」
「ほーい」
夢でも見ているんだろうか。
今日は忙しい日で、職人さんたちもいない。
父も母もいない。
「今日はいつまで居てくれるんだ」
「…分からないけど、できるだけいたい」
「じゃあ、一緒に寝てくれるか」
「うん、いいよ」
冬至が笑って俺を見る。
茶色い目に俺が映ると、すごくドキドキした。
「こんくらい?」
「もうちょっと、ツノが立つまで」
「分かった」
その間に俺はスポンジケーキを焼いておく。
昔はよくこのオーブンでもやけどをした。
「砂糖はどれくらい入れるの」
「目分量なんだ、これは俺がやる」
「結構ドバドバ入れるのな」
「冬至が好きな甘さはこれくらいだから」
「え、そんなの目分量でやってたの、今まで」
「好きな人の好みの味くらい、絶対に忘れたりしない」
「…うん」
焼きあがったスポンジケーキに切れ目を入れて、冷蔵庫からイチゴを出した。
「これをスライスしてここに並べる。その前に生クリームを塗る」
「ほえー」
「包丁はこう入れるんだ、そうすれば簡単にできる」
「ほおー」
「で、この台の上に乗せればこう、ぐるぐる回るから、
クリームを塗りやすくなる」
「ふわー」
こうして出来上がったケーキを離れに持っていく。
「何で離れに行くんだよ、母屋で食べればいいのに」
「邪魔されたくない」
「冬馬は今はいないよ、それにおじいちゃんとおばあちゃんも混ぜたかったのに」
「邪魔されたくない、って言っただろ」
暖炉に火をつけておけばよかった、と思いつつ、俺は火を入れる。
その前にテーブルを持ってきて、ケーキを乗せた。
「どう食べる?かぶりつくか?」
「結ちゃんの誕生日なんだから、…ああそうだこれ」
ろうそく17本。
「立てるの難しいなー、多すぎだよ17本は」
「俺がやる」
で、火をつけて俺が吹き消す。
「夢みたいだ、誕生日をお祝いしてもらえるなんて」
「みんな忙しいのか」
「この時期は忙しいんだ、だからいつも三人だった」
「おじいちゃんとおばあちゃんね」
それからナイフを入れて、二等分した。
「本当に冬至しかいないのか?先生は」
「だから先生じゃないって冬馬は。多分いろいろ見て回ってるんだと思う。
気配を感じない」
「じゃあ二人きりなんだな」
「そういうこと言うな」
照れてる。
俺はおかしくなって笑ってしまった。
「じゃあ食べよう」
「その前に、ちょいちょい」
何だろうと手招きに応じる。
「17歳、おめでとう」
キスされてしまった。
しかも久々のキスなので、感覚がやばい。
痺れる。
「すげえなあ、料理男子ってモテるって冬馬も言ってたしな」
「あの、その冬馬呼びはやめてくれないか」
「いや俺たち友達だから」
「今は俺だけを見てて欲しい」
「…器用になりやがって」
二人でケーキを食べる。
俺は甘いものをそんなに好きではないのだが、
好きな子と食べるものは味が違う気がした。
「やっぱり結ちゃんの料理が世界一だ~」
「でもどうして来てくれたんだ?それに…また俺の記憶、消していくんだろ」
「寂しかったんだ」
「え」
「すげえ寂しかった、だってちゃんとしたお別れもできてなかったし、
結ちゃんには悪いことしたなって思ってて、
そんで電話しちゃったんだ。他人行儀の電話、すげえ笑えた」
「あれは本当に冬至だって分からなかったから」
「でも俺はずっと見てたよ。はざまから結ちゃんのことずっと見てた。
俺のこと思い出して悩んでるのも見てた。
だから痕跡も残さないようにって頑張ったのに、
それでもまた思い出そうとして奮闘するのも見てた。
だから余計に、逢いたくなっちゃったんだ」
「…うん」
「俺ね、今もまだ成長途中なの。冬馬は世界最強だって俺を言うけど、
普通の人間とは変わらないよ。
ただ神様的になっちゃっただけで、気持ちは変わってない。
結ちゃんのこと、好き。大好き」
「嬉しい」
「だからさ、久々に号泣したよ。いろんなこと考えた。
柳瀬橋のことも、近藤のことも、でも絶対的に結ちゃんのことを考えた。
逢いたくて仕方なかった。ごめんな、俺から逃げたのに、
勝手に逢いに来て、ごめん」
「でも俺も冬至に逢いたかったから嬉しい。電話じゃ駄目だって思った。
電話で俺のこと結ちゃんって呼んだ時、少しだけ思い出したんだ」
「まじか」
「城善寺だけしか呼ばないはずの呼び方だったから、いろいろ思い返したんだ。
だから午後の授業はあんまり聞いてない」
「駄目じゃん、学年四位が泣くよ」
「でもまた俺は忘れるのか?冬至のこと、こんなに好きなのに」
「…」
「お前が考えてること、もう分かってるんだ。
藤原家をつぶしたくないっていう気持ちを実は知ってた。
俺が結婚しないとか、冬至しか要らないとか言ったのが原因だって、
だから余計に冬至を苦しませたんだと分かったから。
でもな、これは俺たちが考えることじゃない。
現当主の父さんが考えることなんだ。冬至が悩むことじゃないんだ。
だから心配しないで、戻って来てくれないか」
「…でももう3月になっちゃったし」
「俺はもう逢えないと思ってたから今すごく舞いあがってて何言ってるか分かってないけど、
でも、冬至は俺の弟としてこの家に来てくれたことはすごく嬉しかった。
家族になれたこと、たくさんいろんなところに行ったこと、
冬至を守れたこと、初めて海を一緒に見たこと、初めて外泊したこと、
そういうこと全部、俺は忘れたくない。
冬至はここにいていいんだ。生きてていいんだ。
自分から死のうとするな、二度と、誰も悲しませるようなことをするな」
それからもそもそとケーキを食べた。
冬至はすごくにこにことしていて、俺はそれが嬉しい。
「俺、帰ってきたい。でも、向こうにいないと生きていけない体なんだ。
もう人間じゃなくなってる、神人類と同じような体になっちゃったんだ」
「血は何色なんだ」
「それは分からないよ、どこも怪我してないから。
でも永遠に生きていく体になっちゃったんだ。
何でもできるんだよ、今なら。時間を止めることもできる、
多分神人類がやれること全部できる、忘却も、共有も、全能も、
みんなみんなやれるんだ。でも、ひとつだけできないことがある」
「ひとつだけ?」
「癒してもらえないことだ。融和者にしかできないことなんだって。
はざまとを癒せるのは、融和者だけだってお母さんが言ってた。
だから離れるなって何度も言われてたんだ。
それなのに俺はそれを軽視してて、何度も結ちゃんから離れちゃったから、
今ももう半年も離れちゃったから、もうここに残るのは難しい」
「俺が何とかできないのか、俺が融和者だって忠則さんも言ってたけど」
「それは未知数だけど、でもこっちに戻ってくるのは難しい。
ほれ、お得意の体温計」
「うん」
俺は冬至の口に体温計を突っ込んでみる。
「…6度」
「さっきまではすんごくあったかかったんだけど、やっぱりすり減るな…」
「あの日、最期の日、最期に測った時は3度だった、
俺が何とか上げるから、もうちょっとだけ一緒に居てくれないか」
「どう上げるんだよ」
「お前を抱く」
「…は?」
「セックスしたい、キスもしたい」
今日は俺の誕生日だぞ、と付け加える。
「分かった、じゃあ風呂入ってくるから、綺麗にしてくる」
「いい、そんなのしなくていい。今すぐ、しよう」
「ほえ」
俺は立ち上がって目の前に座っている冬至を抱き上げた。
「だ、駄目だって、俺、何の準備もしてない、」
「やっぱりそうだ」
「なに、」
「制服の匂い、嗅いだんだ。柑橘系の匂いがした。
祖父が好きだったオレンジの匂いがした。
きっと祖父と喋ってたから同じ匂いがしたんだ」
「オレンジ?」
「すごく、俺の好きな匂いなんだ」
やっぱり体が軽い。
覚えが薄いけど、多分、最期の時よりも軽くなってる。
「駄目だって、俺、心の準備が!」
「俺だって緊張してる、最後にしたのが8月なんだ、
うまくできるか分からない、でもちゃんと気持ちよくしてやる」
「結ちゃん、駄目だって、下ろして、」
このまま部屋に行く。
途中で冬至が自分の部屋を見た。
「変わってない、俺の部屋」
「戻ってきてくれると思ってそのままにしてある。
後で制服とか自転車とか持って来い、
それで、こっちの世界に戻ってこい」
「…無理なんだよ」
「無理でもなんでもいい、俺が何とかするから。
兄貴を信じろ」
一人で寝ていたベッドに冬至を下ろす。
「本当にするのかよ」
「うん、とりあえず、半年分はさせてもらう」
冬至は耳が弱い。
俺はとりあえず服を着たまま冬至に覆いかぶさる。
「こうすると、声がいつもと違う風に聞こえないか」
「…な、なに、」
「じゃあ始める」
「…ひゃう」
平熱は何度だったんだろう、昔は。
俺はそれよりも熱くさせる気分で冬至に触れる。
「あ、や、」
「冬至、脇腹が弱いんだよな」
「はう」
最後かもしれないと思うと余計に燃える。
「俺は確かにお前が初恋で、他の人なんかになびかなかった。
冬至以外要らない、お前しか見えないんだ」
言葉を使わなければ。
冬至が不安にならないように、心配しないように。
「この家のことは父さんが何とかする。父さんができなければ俺が何とかする。
だからここがお前の帰ってくる場所なんだ、もう忘れたか」
「…ううん…」
「じゃあ俺は俺でやれることをやるから、踏ん張れ」
「どういう、…ぎゃ!」
冬至を抱くのは六回目。
もう五回目が遠い世界のようだ。
それでも、俺は痛みを感じさせないように、丁寧に抱いた。
「熱い…熱いよ結ちゃん…」
「俺はもっと熱いんだから感じろよ」
「結ちゃんがおかしくなっちゃったよ…」
3月3日、俺の誕生日。
また新しい記念日ができた。
3月3日Ⅱ
「寝るな、起きてろ冬至」
「うへー、もうやだ、気持ち良すぎて死にそう」
「死んでるんじゃなかったのか」
「もうやめて、何回目だよ、」
「15回目」
「数えてるのかよ…あう、」
途中途中で体温計を突っ込む。
「37度になった、これは微熱だ」
「うそ、そんなに上がったの俺」
「もっと上げる、今度は後ろ」
「うう…」
時計を見ればまだ3月3日のというか、3月4日になるところで。
「冬至、時間を止められるんだよな」
「できるけど…」
「止めてくれないか、俺の誕生日をもっと満喫したい」
「やだよ、何でだよ」
「俺にとってはお前がシンデレラなんだ、魔法が解けないように、
ずっと3月3日にいたい」
「んだよシンデレラって…手塚先輩のあれかよ…」
「あと2分で4日になる、だから止めてくれ」
「分かったよ、んー」
時計が止まった。
でも俺が動けるということは、冬至がそうしてくれているんだろう。
「やだ、後ろからはやだ、」
「どうして」
「顔が見えない…」
「…はあ」
何て可愛いんだろうか。
俺はごろんと冬至を仰向けにさせる。
「このまま冬至と一緒にいたい、駄目なのか」
「…わかんねえよもう…頭がどろどろ」
「どうしても戻って来てくれないのか、時間を止められるってことは、
戻すことはできないのか」
「戻す?できるけどしねえよ」
「戻りたい、9月のあの日に、後夜祭の日に戻りたいんだ」
「知ってる…ラストダンスだろ…」
「俺は誰とも踊らなかった。十和子が高瀬と踊ったから、
だから俺には相手がいなかった。
でも今戻れば、冬至がいる。
俺と踊ってくれないか」
「…はあ…?」
駄目だ、気持ち良すぎてどろどろになっちゃってる。
「頼む、9月28日だ、あの日に戻ってやり直したい。
いや違うな、4月8日に戻りたい」
「やだ」
「頼むから、俺を離さないでくれ、置いて行かないでくれ、
ずっと一緒に居てくれ、頼むから」
「…」
「冬至、寝たら駄目だって」
「…」
「冬至、おい、」
「…あ、やべえ、呼んでる」
「呼んでるって誰が」
ごめん、抜いて、と冬至が目を開ける。
「行かないと、もう。だから記憶を」
「頼む、俺がお前を生かすから一緒に居て欲しい、
どこにも行かないで」
「俺だって、俺だって結ちゃんと一緒にいたいよ、
いっぱいいちゃいちゃしたい、
でも呼んでるんだ、呼ばれてる。
行かなくちゃ、あったかくなったからもう大丈夫だ。
すげえ疲れが取れた。
だから」
「行かせない」
「結ちゃん…」
「誰が呼んでるのか知らないけど、俺はお前を帰さない。
ずっと此処に居てもらう、時間が止まってるんだろう、
動かさなければ行かなくてもいいはずだ」
「…結ちゃん、本当に駄目なんだ、
これは俺の戦いなんだ」
「誰と戦ってる」
「はざまには平和じゃないところがある、そこに行くことが決まってる。
昔神人類だった冬馬たちが戦って、仲宗根先輩が送り込んだ、
敵と戦わなくちゃいけない」
「じゃあひとつだけいいか」
「なに」
「記憶だけは消さないでくれ。そして、その戦いが終わったら、
戻って来てくれ、俺のところに」
「…結ちゃん…俺、」
「頼むから、消さないでくれ。そしてできたら、戦いが終わったら、
時間を戻して、9月28日からやり直させてくれ」
「…分かったよ、でも他言無用だからな。
それまで、時間がかかるかもしれないけど、
待ってられるなら、…だったら消さないで行く」
「よかった」
俺は渾身のキスをかます。
「愛してる、俺の一生を賭けて、お前を愛していくから」
「うん、俺も。
結ちゃんが死んで生まれ変わっても、
また逢いに行くよ」
「頼む、9月28日だけは覚えておいてくれ。
ラストダンスは、お前と踊りたい」
最期だと思って抱きしめる。
大好きだ、大好き。
愛してる、冬至。
アーユルヴェーダ伍拾肆