第21話

1

 白昼夢を見ていたジェフ・アーガーは、ベアルド・ブルに肘で身体を突かれ現実に戻ってきた。メシアの様子を自分のことかのように見ていたジェフは、今度は現実と向き合わなければならなかった。

 軍用の装甲車の中に詰め込まれたジェフ達は、向かい側に座ったイギリス軍の軍人たちに、警戒心の光がある視線を向けられていた。

 装甲車の小さい窓から外を見るベアルドは、車両がウェストミンスター橋。渡っていくのが見えた。

 この時、装甲車の他に軍用の車両が車列を組み、橋を渡っていた。軍人たちは警戒心を緩めず、外を警戒する兵士たちは、トリガーに常に指をかけていた。

 車列はそのまま橋を渡りロンドン水族館を横目に通り過ぎ、ジュビリー庭園へと向かっていた。

 ビッグアイ、ロンドンを代表する大観覧車の前で車列は停車した。

 本来は丸く、その名の通りまんまるの観覧車なのだが、ロンドンの街同様、半分、破壊されていた。

 車列はその前で停車し、兵士たちに促されるまま、ジェフ、ベアルド、ポリオン、ブレグドは装甲車から降りた。ビッグアイのあたりもだいぶ瓦礫に覆われていた。しかし死体がそのままになっているということはなかった。

 ジェフたちもこの辺に生存者を探しには来ていなかった。

 兵士たちが銃口で周囲を警戒する中、兵士たちの後に続き、ビッグアイの真下まで来た。そこには丸いハンドルがついたハッチが地面から突き出していた。

 周囲を兵士が警戒している中、1人の兵士が素早くハンドルを回し、分厚いハッチを持ち上げ、地下への入り口を開いた。

 すると兵士たちは1人ずつ地下への穴へ入っていく。ハシゴで地下に降りるらしく、1人が降りたのを確認すると、また1人、地下へと消えていく。

ビッグアイの真下に地下への入り口があるとは、ロンドンで暮らしていたジェフも知らなかった。

 兵士にまた促され、ジェフは穴の中へ入っていった。兵士が素早く入っていくので、怖さはなかったが穴の先に何が待っているのか、不安な気持ちは拭えなかった。

 穴の中を除くとはしごが5メートルほど地下まで伸びており、湿っているのか、濡れたコンクリートの地面が見えていた。

 冷たいはしごを降りていくと、そこはトンネルになっていた。

 ジェフが地下にトンネルが続いているのにも驚いたが、そこに生存者たちがいたのに、何よりも驚いた。

第21話-2へ続く

2

 イギリス人ばかりではない。観光客やビジネスマンなどの、国外から来たと思われる人々の姿も見られた。

 トンネルの両側に毛布で身体を覆った人々が並んでおり、兵士の姿を追って、ジェフは人々の間を進んでいく。

 疲弊した人々は、瓦礫の中を逃げたのか、みんな泥や土で汚れ、中には乾いた血が頬についたままの女性の姿などもあった。

 普通の精神状態なら、ポリオンのような巫女のような姿の人物を見たならば、眼を引くはずなのだが、ここに避難している人々にそんな余裕はなく、知ったコンクリートの地面に座り込み、自分の祖国に起こったこと、観光地で発生した信じられないことに、未だ、呆然としていた。

 そうした人々の間を抜けると、広い部屋に一行は出た。通信機器、監視カメラのモニターなどが並ぶ、いかにも司令室と言わんばかりの部屋であった。

中央の簡易的なステンレスのテーブルには、紙の資料やタブレットが無造作に置かれていた。

 そこに複数人の兵士がベアルドを含めた一行が武装していた、押収した武器を置いていく。

 白髪の口ひげをはやした、身体が筋肉質の黒い迷彩柄の衣服を着用した男がそれらの武器を不機嫌そうに見てから、ジェフたちの顔をひとりひとり確認するように、一瞥してから、口髭の下の口を開いた。

「部下から公園で銃声を聞いたと連絡が入ったとき、部下の聞き間違えだと思っていた。まさかこんな若い民間人が最新鋭の武器を使っているとはな。この装備をどこで手に入れた」

 初老の男は、鋭い視線で一行を睨んだ。

 ジェフを含めた4人は口を真一文字にした。まさか対デヴィル組織から装備を揃えてもらったなど、言っても信じるはずがない。そもそも目の前にいる司令官は、何と戦っているのか分かってないのだから。

「では質問を変えよう」

 顎の無精髭を軽くなで、司令官は司令室の中を歩き回りながら言った。

「君たちはどこから現れは」

 ジェフは司令室の中を見回し、モニターに監視カメラの映像がたくさんあることに、司令官の言いたいことが何なのか理解した。

「我々はロンドン中の稼働している監視カメラの映像を逐一チェックしている。生存者がいたら保護するためにだ。しかしロンドンに入る道を君たちが通ったところを、部下の誰一人見ていない。忽然と現れて、最新鋭の装備をを抱え、ロンドンの街を徘徊する。しかも妙な格好の女を連れている。だから我々は保護するよりも、なにが目的か監視することにした。君たちのここ数日の行動は把握済みだ」

 明確に司令官は4人の行動を把握していたこと、4人がどこから来たのか不明なのが疑問なのを、口早に聴いた。

 もちろん答えられることはなく、4人は依然として口を開かない。

「まあいい。我々は民間人の保護を目的としている。君たちももちろん保護対象だ。答えるつもりがないのならば、深く追求はしない。ただ外にいる化け物が擬態している可能性がある限り、それなりの検査はしてもらう」

 そう言うと、1人の兵士が立ち上がり、4人を司令室の奥につながる通路へ進むように促した。

第21話-3へ続く
 

 

3

 ジェフたちは血液検査など身体検査を受け、普通の人間なのが証明された。

 もちろん武器は押収され、一般人と同様にトンネルの中にいるように指示された。

 シェルターに部屋はあるのだが優先的に、先に保護した人からあ部屋を使う権利が与えられ、シェルターが抱えられる人員を超えた人々は、トンネルに溢れていた。

 毛布や食料は渡されたが、コンクリートの湿ったトンネルは、冷え切っていた。

ジェフが仕方なく座ると、横にいた、白髪の老婆が声をかけてきた。

「何が起きてるんだろうね」

 神話の中の驚異、聖典の中の魔物が世界を喰らっている、等と言えるはずもなく、ジェフは老婆の震えて冷たい手をとった。

「軍隊がなんとかしてくれるますよ。安心して、ここで待ちましょう」

 そんな口先の言葉に、老婆の不安が消えるのであれば、老婆の震えはとっくに止まっている。

「たくさんの人が亡くなって、ここにも遺体が運ばれてきてるみたいだよ。あんたのご家族は無事かい」

 その時、ジェフの抑え込んでいた感情が、マグマのように溢れ出しでした。考えないようにしていた、家族のこと。それが胸を不安感で押しつぶした。

 彼の顔色が変わったのを見た老婆は、続けていった。

「向こうで安否確認できるから、調べたらどうだい?」

 老婆のしなびた指が、司令室とは反対側を指差した。

 ジェフはいても立ってもいられず、駆け出していた。

 湿ったトンネルの中を、不安に背中を押されてかけていくと、机が置かれた場所にたどり着いた。

 イギリス軍の兵士たちが重装備で扉を守ってある。

 かけてきたジェフは止められ、弾む息の中で、兵士の1人に聞いた。

「か、家族の安否を、か、確認したいのですが」

 ジェフの問いに、兵士は厳粛な表情で答えました。

「申し訳ありませんが、現時点では家族の安否確認はできかねます。状況が混乱しており、情報収集が難航しています。ただ、我々は最善を尽くしていますので、しばらくお待ちいただけますか」

 ジェフは言葉に詰まり、落胆した表情を浮かべた。兵士の言葉を受け入れざるおえない。彼はしばし立ち尽くし、不安と焦燥が心をかき乱していた。しかし、ロンドンどころか、世界中、月面までもが混乱している状況下で何かをすることは難しいと理解していた。彼はひとまずその場を落胆の足で立ち去り、老婆のもとへと戻った。

 老婆はジェフの表情から、何かを察したようで、優しく手を添えた。

「大丈夫、焦ることはないんだよ。わたしたちはここで待ち、頼りになる軍人さんたちが、きっと家族を探してくれるさ」

 ジェフは老婆の言葉に少しだけ心を落ち着かせ、彼女の隣に座り、今はただ待つしかないのだという現実が彼の心を押し潰そうとするのを、希望という柱で必死に心を押し上げていた。


第21話‐4へ続く 

4

 未来人、べアルド・ブル、ブレグド・フォーク、術者のポリオンタリーは、どこまで通じているか分らない、トンネルの、人気のないところのライトの下、集まりジェフ・アーガーの話題を卓上にのせていた。

「歴史的には間違ってはいない。彼の家族は最初の攻撃で亡くなっている。現にさっき兵士から死亡が宣告されている。だが、問題は彼のメンタル面だ」

 ベアルドが腕を組み、苦い顔をした。

「家族を亡くしたんだから、狼狽は当然の反応です」

 ポリオンが巫女のような服の裾から白い細腕を出し、合唱した。

 ブレグドは鋭い目つきで壁に持たれかかり、鼻を鳴らした。

「このままでは困る。お前たちも分かるだろ。戦場で家族が死ぬのは当然のことだ。それをいつまでも引きずっては生きていけない。ましてや彼は歴史的に重要な男なのだから。

集まりの中で、ジェフ・アーガーの未来が不透明な中、彼らは立ち直らせなければならないことを、改めて確認し合った。

 戦場で家族を失った彼の心の傷は深いものであり、それを克服するためには時間が必要だらう。しかし、彼の歴史的な役割は重要であり、彼が過去の傷にとらわれすぎることなく、未来に目を向けることが求められていた。

第21話−5へ続く

5 

 彼らは、ジェフがこれまでと同じように生活することはできないかもしれないという事実を受け入れつつも、彼が再び立ち上がり、自分の使命を果たすことができるように支援することを決意した。彼が悲劇を乗り越え、未来に向かって進むために、彼らは団結し、共に力を合わせることを誓った。

 彼らの取り組みは、ジェフを取り巻く不確実な未来に対する明確な行動計画を生み出し始めた。彼らは、ジェフが困難な過去を克服し、再び自分自身を取り戻すために必要なサポートを提供することに集中した。未来への希望と共に、彼らはジェフの復活を信じた。

 そのためにどうするべきか、3人は沈黙し、自問した。

 それぞれができることを、それぞれの立場で考える。

 だができることは限られていた。大宇宙が変動した今、宇宙の中の1つの惑星、地球のこのイギリスのロンドン、しかも市民には知らされていない避難用の地下洞窟。

 ここで、できることなどほとんどないのだから。

 後ろを向けば、避難してきて、状況も把握できていないロンドン市民とイギリス陸軍の兵士。

 状況を把握できているのは3人だけ。

 そこにどんな選択しがあるだろうか。

第21話‐6へ続く

6

 ジェフ・アーガーの未来に対する取り組みは、さらに深く具体化していく。ベアルドは、心理学者やカウンセラーに本来ならば託すべきことなのだろうが、イギリス軍が用意したカウンセラーには列ができていた。皆、大切な人を失っているのだ。

 ポリオンは、定期的な儀式や瞑想の集まりを開催する場所を探し、参加者が心を落ち着かせ、内なる平和を見つける機会を提供することも考えた。が、それが時間の無駄であることは、分かっていた。世界が、宇宙が激変してしまった今、時間は有効活用しなければならない。

 一方、ブレグドは、戦闘技術の向上に焦点を当て、ジェフが再び戦場での任務に戻れるようにするためのトレーニングプログラムを開発した。彼はマスターの資格を持つ、HMの操縦者。戦場で落ち込んでいる暇がないことを一番わかっており、ジェフを殴ってでも、引きずってでも戦場に立たせるつもりだった。

 それぞれのプランを持ちつつ、ジェフが落ち込んでいるトンネルの奥へと向かい、3人は歩き始めた。

 その時、けたたましい警報音と、赤い警報ランプが飛んでるの天井で回り始めた。

 軍人たちは慌ただしくライフルを抱え、ブーツで湿ったコンクリートを蹴り、走っていく。

 3人は知っている。

 デヴィルズチルドレンの襲撃だ。

第21話‐6へ続く

7

 ジェフは、両親の死を知らされたばかりの絶望感に打ちひしがれていた。薄暗い地下トンネルの壁に背を預け、冷え切ったコンクリートに頬を寄せる。周囲には、ロンドン陥落後の混乱から逃れてきた人々がひしめき合っていた。

 突然、トンネル全体を揺るがすような轟音が響き、赤く点滅する非常灯が不気味な影を落とす。けたたましい警報音と共に、兵士の怒鳴り声が響き渡った。

「なんだ、一体何が起こったんだ?」

 ジェフは不安に駆られ、周囲を見渡す。

 その時、トンネルの奥からべアルド、ブレグド、ポリオンが走ってきた。肩で息をするべアルドは、ジェフに告げる。

「デビルズチルドレンが入ってきた」

 ジェフは驚きと同時に逃げ場はないことへの、恐怖を顔ににじませた。

 銃声が響き、兵士たちの悲鳴がトンネルにこだます。

 どちらから銃声がこだましているか分からない状況に、周囲の避難民も怯えた様子で立ち上がり、逃げようとするが、どちらに逃げればよいのか分からないでいた。

 ジェフを見たべアルドは、とりあえず自分たちが来た方向では、兵士を見かけなかったので、そちらに逃げるよう眼で合図し、4人は駆け出した。

 だが、すぐに銃口の火花がトンネルに反射するのが見えた。

 兵士たちが並び、ライフルを乱射するそこには、漆黒の体躯、タールのように光る皮膚、天井に届きそうな巨大な頭部の、化け物が暴れていた。そればかりではない。化け物の奥のトンネルはタール状の液体に、眼や牙、嘴、腕、足などが混ざり合った不気味な液体で全面が覆われていた。

 兵士の1人が巨大な怪物の鋭い爪によって胴を貫かれ、そのまま引き裂かれ血煙の中に散っていく。

 同じく複数の兵士が怪物の腕の一振りで壁に叩きつけられ、激しい雄たけびの中でイギリス軍の兵士たちは倒れていった。

 その時、ブレグドがコンクリートを蹴り、数メートル先の巨大な怪物の顔のところまで、跳ね飛ぶと、拳を引き腰を入れて凄まじい力で怪物の頭を貫いたのだった。

 その衝撃で化け物はヘドロのように溶け崩れ、後方の黒い気持ちの悪い液体と同化した。

 茫然とするジェフとイギリス兵士たち。

 コンクリートの地面にブレグドが着地すると同時に、べアルドが叫んだ。

「あれは人が対処できる相手じゃない。逃げるぞ」

 その声に引っ張られ、ライフルを乱射する兵士も、後方へ引き、ジェフたちも反対側へと駆け出すのだった。

第21話‐8へ続く

8

 ジェフたちは、トンネルの出口に向かって必死に走った。絶望的な状況の中、唯一の望みは逃げ延びることだった。

 ポリオンが先頭を進み、次にブレグドが後を追った。ブレグドは時折振り返り、後方の様子を確認していた。べアルドはジェフの腕を掴み、引っ張るように進んでいった。

トンネルはどこに続いているのか分からない。先を急ぐべアルドは、逆方向に走る兵士の腕を掴み、

「この先は」

 強い口調で問いかけた。

「ここはシェルターとして創られた施設だ。この先は駐車場になってる。車で港に出るしか、逃げ道はない」

 必死な兵士の断言に、べアルドは兵士の腕を離した。

 兵士はライフルを構え、その先が死地であることも知らず、走っていった。

 駐車場まで走るしかない。生きるために。

 べアルドは戸惑うジェフの腕を引き、また走り出した。

 逃げる群衆の中で離れないように4人が駐車場に向かうと、兵士たちが待っていた。

 市民を逃がそうと、トレーラーに乗せていたのである。

 4人へも兵士の叫びが飛んでくる。

「君たちはこっちだ」

 すでに人で溢れているトレーラーの荷台に、4人は詰め込まれ、港へと向かうであろう広いトンネルを、列をなして、車は走り始めた。

 べアルドは車の数と、避難する人々の数を見て、ここで置いていかれる人もいることを察した。

 だが自分の使命のために、歴史的役割を果たすため、彼はそれを呑み込むのであった。

第21話−9へ続く

9

 ジェフたちは、トレーラーの中で押し込まれながらも、必死に窮地からの脱出を願った。
 
 人の恐怖の匂いと言えばいいのか、汗の匂いと言えばよいのか、一種、独特の人間の匂いでトレーラーの荷台は充満していた。

 荷台は人が入ってもいいように改造が施され、丸い窓がいくつも取り付けられ、外が見えるようになっていた。

 外と言ってもどこまでも続くコンクリートの壁である。

 べアルドは静かに、しかし決然としていた。

 その声はジェフへ向けられる。

 ロンドンから一番近い港は?

「サウサンプトンの港が一番近い」

 イギリスの地理に疎いべアルドがジェフに尋ねた。

 車で1時間50分はかかるであろうその道を、おそらく直線的に作られた地下トンネルは、その半分の時間で到着できるであろう。

 そこからどこへ向かうのか、ブレグドとポリオンは大体、予想がついていた。

 ジェフはしかし分かっていない。逃げるのであればもっと頑丈な軍事施設の方が、対策ができると考えていたからだ。

「港からどこへ向かうんだ」

 ジェフが問いかけると、べアルドは眉間の皺を深くして答えた。

「アトランティスに渡る」

 と、ジェフがその言葉を耳にした瞬間、べアルドの声が二重に聞こえた。さらにべアルドの肉体にまるで重なり合うように、黒いタンクトップ姿の女性が見えた。

 瞬きを幾度も繰り返し幻覚かと思ったジェフ。

 だが周囲の男たちが全員、女の姿に一瞬見えた。

「大丈夫か」

 べアルドが様子のおかしいジェフに尋ねると、今度は鱗にまみれたトカゲのような人型の生物が、べアルトに重なって見えたのである。

 何かがおかしい。

 ジェフが自分の身体に起こっている異変に気付いた。

第21話‐10へ続く

10

ジェフは不安に駆られながらも、周囲の異変に気づいた。

幻覚なのか、それとも何らかの敵の攻撃なのか、さらにジェフの視覚に異変は続く。

 今度は目の前の人物が浮遊するカプセルに入り、中にはタコのような生命体が、満たされた液体に浮遊している。それは周囲の人物も同様で、自分だけが違う世界に入り込んだようだった。

「大丈夫か、ジェフ?」べアルドの声が、なぜか遠くに聞こえた。

 彼の声で現実に引き戻されたのか、ジェフの前には、人間の形をしたベアルド・ブルがいた。

「ジェフ、なにか異変か?」べアルドの声が再び彼の耳に響いた。

 白昼夢を見ているようなようすのジェフへかたりかけるも、ジェフは、何が起こったのか、自分でもわからない様子だった。

第21話−11へ続く

11

 彼の意識は暗闇の中に沈んでいくようだった。何が起こっているのか、彼にはまだ理解できなかった。だが、ひとつ確かなことがあった。彼はただ受け入れることなく、この状況に抗う覚悟を持っていた。

 沈みゆく意識を必死に食い止めたのはベアルドの冷たい手であった。

 シェフの右の頬に手を当て、身体を揺さぶり、異変の起こっている彼を、現実に引き戻そうとする。

 その時、トレーラーの停車する音が聞こえ、荷台に詰め込まれた人々は、体制を崩す者もいたが、逃げられる安堵からか、トレーラーの扉が兵士の手で開かれると、我先にとばかりに、降りていく。

 そこはもう港であり、避難民たちは、次の行動、軍隊が用意した船へと、乗船をすでに開始していた。

「精神の乱れを感じます。メシアとなにか似ている異変です」

 人の流れを外れ、蒼白のジェフの精神を読んだポリオンが呟く。

 息の荒いジェフが視線を上げた時、その視界には皆とは別の光景が見えた。

 あるはずのない火山が港町に溶岩を降らせ、海とマグマが混じり合い、水蒸気が勢いよく噴射していた。

第21話−12へ続く

12

 イギリスにはない火山の炎を見つめながら、自分に何が起こっているのか、混乱しながら、ただ呆然とするしかないジェフ。

 すると舞台装置のように目の前の風景がまた転換した。
 今度は船を有に超える巨大な津波が、港へ迫りくる瞬間だった。
 人々は逃げていくが、その逃げていく人々は、人間ではなく、無数のエイリアン、あるいはミュータントであったのだ。

 津波が船を呑みこもうとしている中、また風景は転換し、今度は海のない砂漠の世界に彼は立ち、プロペラのついた船に、青い皮膚の色をした人々が列をなして乗り込んで行く。その顔には、不安の影が差し込んでいる。

「何を見てるんだ、ジェフ」

 ベアルドの声が、彼の意識の迷宮から現実に意識を戻した。

「船に急ぎましょう」

 白く細い腕がジェフを抱え、船へ促した。

と、その時、獣のような、人の断末魔の叫びのような音が聞こえ、黒い粘液の津波が街から港へ押し寄せてくるのが見え、その中から鋭い爪を持った化け物、牙をむき出しにした化け物。触手と無数の顔がある、奇妙な動きをする化け物の群れが現れた。

第21話−13へ続く

13

 ジェフは急かされるまま、青い皮膚の人々の乗り込むプロペラ付きの船へ向かおうとしたが、目の前に広がる異形の群れから目を離せなかった。黒い粘液の津波の中で蠢くその存在たちは、見るたびに形を変え、まるでジェフの恐怖を映し出すかのようだった。触手の一本が近くの建物を掴み、軋む音を立てて崩れ落ちる。

 砂煙の中、腕で口元を抑えるジェフ。すると複数の怪物が人々を襲い始め、またたく間に皆とは鮮血と肉塊と化した物で溢れかえった。

 何もできないジェフは、その場から逃げることすらもできないほど、足が痺れたように、動かすことができなかった。

 その時、ジェフの身体は揺さぶられていた。ベアルドの声が彼の意識を、元の世界に引き戻した。

 そこはすでに船の中で、軍艦の狭い一室に、数組の団体が詰め込まれ、彼らもその一組であり、ジェフを床に座ら去るのがやっとだった。

「何を見た。どこに行ってたんだ」

 少し強めな声でベアルドが、彼の両肩を抱き、揺さぶるように聞く。

 そのベアルドの腕に、白く細く暖かいポリオンの指が置かれた。

「彼の意識はパラレルワールドを彷徨った様です」

 彼女は静かに未来人たちと、現代人に告げた。

第21話−14へ続く

14

 ジェフは荒い呼吸を整えながら、ポリオンの言葉を理解しようとしたが、その意味は彼の頭の中で霧散していくようだった。目を閉じると、先ほどの光景が鮮明に蘇る。黒い波の中で形を変え続ける怪物たち、崩れ落ちる建物、人々の絶叫。まるで現実のような感触と匂いが脳裏に焼き付いていた。

 ブレグドはそれが一般人にできる芸当ではないことを、理解しながらも、彼がメシアと行動を共にしていたことを思うと、あながち術者の言葉もでたらめではないと感じ、腕組みした。

 ジェフは頭を抱えた。彼が見たものが異次元の存在だというのか? あの得体の知れない恐怖が、現実ではないとしても、どうすれば忘れられるというのだろう?

「ジェフ、何が見えた?」ベアルドが問いかける。

 彼は本当にあれが現実なのかわからないまま、口を動かした。

「本当にそこがイギリスだったのか、はっきり断言はできない。ただそこに生きる生命体は、人間ではなかったし、世界も崩壊しているように見えた」

 ポリオンは頷き、彼が見たものが現実なのを、彼女の超感覚が察知していた。

 だがパラレルワールドは、厄介な次元なので、ベアルドは頭を抱えた。

「いいかジェフ。これから話すことは紛れもない事実だが、理解するには難しいかもしれない。それを承知で聞いてほしい」

 ベアルドはそう言うと、パラレルワールドが何なのかを話し始めた。

第21話−15へ続く

15

「時間はいつから始まったのか? その答えを口にできる者は、誰もいない。仮にこの宇宙に限って言うならば、ビッグバンの瞬間からだとする。だが時間軸はその瞬間に、無限に、別々の道のりを歩み始めた。しかも時間軸は、宇宙のガスの動き、素粒子、超弦の動きで、人の体感できない短い瞬間に枝分かれして、進む。つまり枝分かれした分、世界が増える。これをパラレルワールドという。
隣り合ってはいるが、別の違う世界に進化している。例えば人間が滅び、恐竜が進化した世界などだ。厄介なのは、時間の流れは一方向に進むわけではない。ある時点から逆行する時間もある。その世界がどうなっているのかは、俺にもわからない」

 ベアルドは混乱するに決まっているジェフを見つめ、呼吸を1つして、続けた。

「俺が所属するソロモンは時空を研究する機関が調査しているが、未だに答えは出ていない。ジェフの、お前はその膨大な時間の中に自然と意識を入れることができる能力を身に着けたと考えられる。おそらくメシアの影響を受けたものと思われる」

 ベアルドも自分で言いながら、確信は持てずにいた。それでも話は続く。

「どんな運命を背負っているか、計り知れないが、慣れるんだ。そしてお前にしかできないことをしろ。それがお前ができるデヴィルに対する最大の攻撃だ」

 頭が混乱するジェフ・アーガーは、さっきまで見た様々な生き物、光景を脳裏に浮かべ、自分にしかできない何かを、探り始めていた。

第21話−16へ続く

16

 分岐した無限の時間軸。そこからさらに細部に分かれる時間と、パラレルワールド。

 長い説明を聞いたジェフは、ますます気分が悪くなった。

 無限のパラレルワールドに自分が行ける。この事実に、普通の人間として生きてきたジェフは、どうして自分が、と自問するしかなかった。

 気づくと、狭い船室の狭いベッドにジェフは眠っていた。精神があれだけのパラレルワールドを行き来きしたのだから、疲弊したのも頷ける。

 未来を知ってるベアルド、ブレグドは、始まりを実感した。

 寝いいるシェフのおでこに、白い手を乗せ精神の安定を促すポリオンは、何が起きようと驚く様子はなく、ジェフを支えようとしていた。

運命の歯車がまた1つ、重い音を立てて動き始めるのだった。

第22話−1へ続く

第21話

第21話

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-10-18

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