毋母視(なばみ)村
信濃の国と越後の国にまたがる山々に囲まれた村、毋母視(なばみ)村は古くからの小さな村だが、過疎の村になることなく、今でも人々が元気に生活をしている。観光が村の人々の生活を支えることを示すいい例として、ニュースなどにとりあげられるほど発展している。
山菜茸、ジビエ料理、それにいい温泉がわきでていることから、老人ばかりでなく若い人たちも噂を聞き一年を通して遊びに来る。
この村には毋母湖(なばこ)という小さいながら、深い湖があることも若い人達の人気の理由の一つである。岸すれすれまで水がなみなみとたたえられ、水深二十メートルもあるのに、底で魚の泳ぐ様子が手に取るように見えるほど水がきれいだ。湖からでた毋母川は毋母視村の中を通り、村に多大な恵みをほどこしていた。
ところが毋母視村のまわりにあった村々は、その大昔、何度も起きた毋母山の噴火によって消滅してしまったということだ。それらの村では多くの村民が降り注ぐ火山弾や火砕流、溶岩流によって命を落とし、運良く助かった村人も村から離散した。
ところが、毋母視村だけは、噴火による火山灰や噴礫によって破壊され、埋まってしまっても、噴火を予知して人々は村から避難しており、状況が落ち着くともどってきた。埋まった家々を掘り出し、村を再建して今の発展の基礎を築いたといわれる。それには噴火の予知に長けている者が村の中に何人もいたからだと伝えられている。
民俗学者の卵である大学院生、伊能忠好は、高校の頃から、火山噴火のニュースに接するたびに、日本ばかりでなく世界においても、どうして危険が多いところに人間は住むのだろう、と不思議に思っていた。どこに住もうと自然の災害はいつ起きるか分からないことはわかるが。しかし大きな噴火が起こると、イタリアのポンペイのように村や町ごとなくなるような事態になることはわかっている。にもかかわらず人々は火山のあるところに村や町をつくる。
彼は調べていくうちに、火山地帯でも人が住むのにいろいろな利点があることを知ることになった。寒くて高い火の山の山間でも、地熱が高く湯も沸き、身にまとうものが発達していなかった古代の人間にとっても、自然から暖がとれるよいところでもあったということがわかった。地の熱は植物や動物にも大事であることを高校生ながら理解をした。
自然を神としてあがめる頃は、赤く火を噴く山は、恐れもあるが、なだめることで身を守ってくれる偉大な存在で、信仰の対象となった。生活の中で火の山のことを絶えず考え、なだめさえすれば生活を助けてくれる神である。そこに精神的な支えを得ることになったわけである。伊能は研究を深めるに従い、厳しい自然の中で生きてきた人間の歴史の中で、普遍的な人のありようであることをしることになった。人は怖い自然をそのようにして、自分のためにあるものとしてきたわけである。
大学に入り、毋母視村を調べれば、人間の自然を読む力がどのように備わってきたか知ることができるだろうと思った。周りの村が滅びたのに生き残ったとのは、村の人間が他とは違うものを持っていたからだろう、それを明らかにしたい
伊能は大学三年生なり、人類学の先生のゼミに入ってから、二度ほど毋母視村に行った。村の役場や図書館を訪れ、地元の人と話をした中で、驚くほどほかの村にはない独特のものを感じ取った。それだけではない、日本中の火山のある村や町にはないものが百年前に作られていることを知った。それはシェルターである。火山の噴火が起きたときにすべての住民が逃げ込めるようになっていた。
毋母山をはじめまわりの山の噴火は、少なくとも記録がはっきりしている室町あたりからは起きていない。休火山だからいまだっていつまた火を噴くかわからない。そういった村や町は日本中にいくらでもあるが、楽観的な感覚が大勢を占め、シェルターまでは準備が整っていない。
毋母視村の人たちは昭和のはじめから退避壕をつくっていたが、あらためて丈夫で普段も活用のできるコンクリートのシェルターを村に設置した。
退避壕を学校に設置するというのも先見の明がある。この村に中学校ができたのは昭和のはじめである。初めから地下にそう言うものを作ったわけである。そのころの地下壕はかなり雑なもので、石を積み上げ、それにコンクリートをかぶせたようなものだったという。戦時中は防空壕として役に立った。といってもこのような寒村に焼夷弾を落とすアメリカの飛行機などおらんじゃったよと、村の老人は笑っていた。
今の小学校や中学校には新たに設置された立派なシェルターがある。いつもは倉庫や、体育館として利用されているが、なにかあると、その学校に通う生徒の家族すべてが泊まれるようになっている。村役場や図書館にもシェルターがあり、観光客のためのものとして設置された。普段は会議室や遊戯室として利用されている。
伊能は毋母視村にいったとき村のいろいろなところにあるシェルターを見てまわった。ずいぶん幅広い機能をもったもので。普段つかわないものではあるが、村民がシェルターに親しむように、子どもの遊技場にしてあったり、老人の憩いの場になるようにしてあった。
学部学生のときから利用する毋母視村の宿屋の若主人はこんなことを言った。
「今この村の宿屋は、外から来たお客さんのために、地下にシェルターを作る準備をしているんだ、宴会場を地下に作っておくんだ、そこで夕食を食べる、寝るのは上のほうの木でできた部屋でね、今まで夕食を食べさせていた広い部屋も宿泊の部屋にできるから、収容人数も増えて一挙両得ですよ」
「そういったことは村長さんの指導ですか」
「そうね、村長さんや何人かの未来を予見することが得意な人たちがいるから、それに大体村の人はいつも毋母火山のことを考えているからね、むかしからのそういった気質を持ってるよ」
やはりこの村の人の遺伝子にはそういった血が流れている。
伊能がこの村を調べていくとこんなこともわかった。
この村の毋母湖が村の発展の原点のようである。周りには縄文時代の遺跡がいくつもある。歴史学者がすでにこのあたりを調べており、縄文時代の後期から集落が作られていたとのことである。3000年ほど前のことになる。さらに毋母湖は古生物学者も注目していた。
毋母湖には幻の蛙がすんでいた。毋母視村から蛙の化石が何種類か発見され、その化石蛙は尾がある蛙で、進化の過程で魚類から両生類が生じた移行期の古いもののようである。
毋母湖の縄文時代の遺跡に鳥はもちろん、魚や両生類、それに巻き貝の殻が見つかっている。縄文人の食べていたものと考えられる。それらは大森の貝塚のように、食べた後に捨てられたものだったが、離れた場所に尾の骨を持った蛙の骨が埋められていた。化石の尾の有る蛙に似ていた。縄文時代にもその蛙は生きていたわけである。肺魚の骨などもあったことから、縄文時代の毋母湖は進化の移行期の魚類や両生類が生息していた貴重な場所だったようだ。それをさぐるために海外からも研究者がやってくるという。
なぜ有尾蛙だけは別に捨てられていたか。研究者は、有尾蛙は食べたのではなく何かに利用したと考えている。一つには有毒蛙ではなかったかというもので、その毒を利用したのだろうという。
外国には猛毒の蛙がたくさんいるが、現在の日本にはそのような蛙はいない。しかし日本で普通にみかけるニホンヒキガエルの皮膚からでる白い液体も神経毒で、口にはいれば麻痺をするし、皮つきで食べたりすれば、けいれんや呼吸困難になる。これは蛙にとって自分の防御のためであるから、人がなにもしなければ問題ない。
毋母視村の昔の蛙に毒があったかどうかまだ明らかにされていない。もし毒があれば、鏃の先に獲物を捕るための毒薬として用いただろう。歯が痛いときには麻痺させ痛み止めにするなど、利用価値が高かったのではないかと考えられている。
極端な研究者は、その蛙が目的で縄文人は山奥の湖に集落を作ったという説をとなえた。
といっても、火山があるにも関わらず、そこに集落を作ったということは、生きていくのに、さらによい条件が整っていたからであることは確かだが、この蛙だけが目的とは考えにくい。
伊能は縄文人の村形成には水も一つの理由かもしれないと考えた。今でもこの湖は観光資源にもなっている。
毋母湖は水が豊富で、そこから流れ出る毋母川の利用価値は高い。それに野天湯がいたるところに湧き出している。昔はもっと豊かだったろう。動物たちもこの暖かい湯を利用していたに違いないが、縄文人は特に喜んだのではないだろうか。湯を好む日本人のルーツかもしれない。
この村には南の暖かいところに見られる樹木が生えていた。特にハゼの木がめだつ。が地熱が高いためだろうか。ハゼは木蝋といわれる蝋がとれ、蝋燭の原料になる。それは琉球からもたらされ、室町時代あたりから作られるようになったらしい。関西以西に生える木で、関東地方にはあまりみられない。毋母視村の森には当たり前に生えている。縄文後期には蝋燭とまでいかずともこの実を利用し、火を灯す技術をもっていた可能性がある。そういったことも縄文の集落ができた理由の一つかもしれない。
特記すべきは、秋に茸類が特に多い。この地方は茸の多いところだが、その中でも群を抜いて種類も多く、質の高い茸がとれる。茸は精神作用のある物質をふくむこともあり、食料としてでなく、薬や気持ちの高揚のために大昔には様々な利用のされ方をしていたようだ。
このように、毋母視村には人の住むための好条件がそろっていたことは確かである。
人間は長い時間がかかるが、生活によい物が見つかると、集まり、より楽な生き方を得ようとするものである。毋母視村もこうしてできあがったのだろう。
伊能はそういう修士論文をまとめている。ただ、最後の疑問、火を噴く山と共存してきた、そこに住む人の感性を明らかにしたいと、博士課程にはいった伊能は実地調査を中心とした研究をおこなっていた。時間と予算があれば毋母視村に出向くようになったわけである。
村の図書館には小さな地方の村にしては珍しく、明治のはじめ頃に書かれた古文書がかなり残されており、修士の学生のときに気がついていたことだが、毋母視神社のことが多くでてきた。この村にとって、村を取り巻く自然が生活に不可欠な大事な要素であることは詳しく調べてきたが、火山とシェルターのことを知るには、村を引っ張っていく力について追求する必要があると、伊能は毋母視神社に焦点をあてていた。
その大昔、火の山の気持ちを察することのできる人間がいて集落を引っ張っていた。今の村につながるのも、そういった人間がいたからだと考えたわけである。村人は何かに頼っていたはずである。それが毋母視神社の神主か巫女か、文献には神社のもようしについての記載はあるものの、神社の中のことが書かれているものはなかった。そこに鍵があるに違いない。伊能は村の人たちの話をまとめたり、文献に当たったりしながら、多くの研究報告をおこなった。
ある日、毋母視村のことらしきことが書かれたものが遠く離れた京都でみつかった。
六月に京都で開かれた学会で、伊能の学会発表を聞いた一人の男が、毋母視の意味を教えてほしいと話にきた。
彼は安部悟という京都の大学の博士課程の院生で、伊能と同じ年だった。茸の民族的な役割を研究しており、最近、鞍馬の黒皮神社の茸について調べ始めたところだそうだ。年が近いこともあって話は弾んだ。安部が調べている黒皮神社は地元の人からは茸神社と呼ばれており、五穀豊穣の神をまつっているという。
その神社の境内に毎年秋になると黒皮が至る所に生えるという。黒皮は苦みが強い茸だが、好む人はただ焼いて醤油をつけ食す。鞍馬は松茸のとれる地としてもよく知られているが、黒皮は松茸と同じように赤松林や針葉樹林に生えるので、鞍馬でも好まれているという。ただ不思議なことに、黒皮神社の境内には、数本の木があることはあるが、梅と椿で松や杉は少ない。草の生えているところにぽこぽこと黒皮が生えるのを見て、地元の人たちは、黒皮が神をまもる者たちの化身として、神社に生えた黒皮はとって食べるようなことはしないという。
黒皮神社の黒皮は「こくひ」とよんで、生えてきた茸の前に小石をおいて、その上に猪口に入れた酒をおいてもてなす風習があったという。今その風習はないが、年寄りはこくひ様にご挨拶をと黒皮に向かって手をあわせるという。
黒皮神社の歴史は長いそうだが、何代目かの神主は越後なばみ村の出で、江戸の中頃、京の都に働きにでてきた男だったという。いきさつはわからないが、鞍馬の神社の娘婿となり、修行の末、神社をついだということである。そのとき古くなった社屋を建て直したという。今の建物は昭和になり立て替えられたということだが、全く同じ形に建てられているとのことだった。なばみ村の男が神主になる前、神社の名前は黒皮神社ではなく、美鞍馬神社といっていたそうだ。
神主になった男の母親はなばみ村の占い術師で、それに使う干した黒皮を京都にでる息子にお守りとしてもたしたということである。男が住職になると、神社を守ってくれるようにと境内に母親からもらった乾燥した黒皮を砕いてまいた。そういったことが黒皮神社の歴史を記した古文書に書かれているという。
安部は伊能の学会発表で、毋母視村の歴史を聞き、黒皮神社の男が育ったなばみ村は伊能の研究しているところではないかと思い声をかけたそうである。
その話を聞いた伊能は、その神社に毋母視村のことが書き残されたものがないか安部に尋ねたが、安部は調査を始めたばかりで、これから宮司とともに神社の中を調べるつもりだという。
新たな文献などがみつかったら教えてほしいと、二人はメイルアドレスを交換した。
東京に戻った伊能はただちに毋母視村に行き、占い師の存在を調べることにした。何度も調査に行ったが村の占い師や黒皮茸に関しての話は聞いていない。とうぜんのこと毋母視神社がかかわっている可能性が頭の中をよぎった。
いつも泊まる朝日旅館に荷物をおくと村の図書館いった。一年まえより図書館には新しい司書さんがいた。由井亜衣という短大を出て司書の資格を取り、村役場にもどってきた人だ。毋母視村の酒屋の娘である。毋母視村の歴史には興味があるようで、いくといろいろ便宜を図ってくれる。
「由井さん、この村に伝わっている占い師って知ってる」
「知らないけど、お父ちゃんに聞けば何かわかるかもしれないわね、聞いておいてあげる」
由井酒店は村でも古い代々続く酒屋である。昔は酒も造っていたようだが、今は販売だけの店として続いている。住まいの敷地はかなり広く、酒蔵だったものがいくつか残っていて、古いものがおしこまれているという。一度町を歩いたときに、由井酒店で彼女の兄と話したことがあった。いつか古いものをみせてもらうことにもしてあったのだが、はやくそうするべきだったかもしれない。
「それはありがとう、お兄さんとは一度話したことがあるんだ、しまわれているものを見せてもらう話をしたんだけど、それっきりになってしまった、お兄さんにもよろしく言ってください、古い地図があったりすると助かるね」
図書館には明治になってからの村の地図はあるが、それより古い地図がみたい。
「どうかわからないけど、蔵があるから何か出てくるかもしれない、お父ちゃんにいって、蔵の中を見ておくわ、私も興味あるから」
「それはお願い」
村にも寺や神社があり、特に毋母視神社は山を背にした村の中心である。毋母視神社の古文書を調べたが、明治になってからのものしかなく、江戸時代から前の古いものはなかった。現在毋母視神社がおこなっている様々なもようしのしきたりは明治に書き残されたものに事細かにのっていた。しかし他の神社のものと特に注目するような違いはなかった。ただ檀家の名簿から、明治、昭和に村の人がどのような仕事をしていたのかはわかった。ほとんどが農家と商店をやっていて、医師の家があったがその家系の人はいない。村にある今の医院は、戦後になってから外から来た人がつくったもので、すでに話を聞いたが毋母視村の歴史はよく知らないということだった。
「伊能さん、直接見に来たほうがいいかな」
「そうできるかな」
「うん、朝日旅館にとまっているんでしょ、うちから遠くないから、うちにきてお父ちゃんかお兄ちゃんと話してみたら」
前に酒屋によったときには、主人の父親は旅行に行っていて、兄だけだったのだ。
「話が聞ければ助かるけど」
「携帯に電話するわね」
「それから、この村で茸の詳しい人、知ってる」
「この村の若い人は、詳しい人が多いのよ、若い人が観光にくるでしょ、茸狩りの案内なんかもやっているからみなよく知っているわよ、それこそ朝日旅館の若旦那なんかいいんじゃないかな、あそこ茸料理も得意だし」
「あ、それはいいことをきいた、今日話をしてみよう」
「茸にも興味があるんだ」
「いや、ちょっと、おもしろいことを聞いてね、その昔、毋母視村から京都に行った人が鞍馬の神社の神主さんになったらしくて、その人はここの黒皮の干したのをもっていて、それをまいたら黒皮が境内に生えて、黒皮神社と名前を変えたということなんだ、京都の研究者から聞いてね、その神主の故郷で母親が黒皮を薬にしていたということだったので、茸のことも知りたいとおもったわけ、ただ、ひらがなでなばみむらなので、ここの毋母視村かどうかわからないけどね、その神主の母親は黒皮を使った占い師だったようなんだ」
「ここと同じ名前の村なんてないと思うわ、きっとここのことね、占い術がおもしろそう、黒皮ってこのあたりじゃ、うしびたえ、っていうんだよ」
「なに、それ」
「牛の額みたいだから、まだ食べたことないの」
「うん」
「渋いから、旅館じゃ出さないかな、このへんじゃよくとれるのよ、食べたいというと、秋ならばとってきてくれるわよ」
「この当たりでも良く取れるんだね、若旦那にたのんでみるよ、それじゃお願いしますね」
伊能は図書館をでた。
旅館の若旦那にはシェルターのことを良く教わった。そのようなこともあり友達のように話しができる。だが今まで茸の話しをしたことはない。朝日旅館そのものは昭和になってはじめたものだから、それ以前の古い資料はない。
旅館に帰って若旦那をつかまえた。
「ウシビタエっていう茸が採れるそうですね」
「うん、特産というわけじゃないけど、どういうわけかこの村にはよく生えるね、苦みのある茸だから、宿では知っている人にしかだんさんけど」
「どこに行ったら見ることができます」
「そうだな、松茸と同じようなところといわれるけど、この村ではいろんなところに生えるよ、内の庭なんかにもでることがある、働いている連中で、好きな奴らが採っちまって、焼酎飲みながら焼いて食っている」
「そうですか、秋にきたときに食べてみたいですね」
「もちろん、ごちそうするよ、あれならただでいいよ、飽きるほど食くわしてあげよう、もしかすると今も冷凍庫にいくつかはいっているかもしれないな」
若旦那は丸い顔にしわを寄せて笑った。
「亜衣さんの由井酒店には言い伝えなんかが残っているかもしれないっていってました」
「そうだね、神社も古いけど、途中で宮司さんがかわってしまっているからな、代々続いているのは亜衣ちゃんのところが一番になるかもしれないな」
「土蔵の中を見てくれるって」
「必ずなにかあるとおもうよ、あそこは昔から神社に御神酒を納めていたから」
「そうだったんですか」
「亜衣ちゃんはね、女房の高校の同級生なんだ、うちのは高校出てすぐに料理学校にいったんだけど、亜衣ちゃんは勉強できて短大で司書の資格取ってもどってきてね、亜衣ちゃんの兄貴は俺と同級生なんだよ、酒を届けにきてくれるんでたまに話しをするけど、あいつもやり手でいつも忙しそうだ」
「お兄さんとも話をしたことがありますよ、感じのいい人だったな」
「商工会議所の青年部を引っ張っているからね」
その日の夕食に凍らせてあった黒皮をもどしてだしてくれた。かなり苦みがあるが、以外とさっぱりとしていて歯ごたえがあり旨いものである、日本酒とあう茸だろう。
夜、亜衣から電話が入った。明日由井酒店の蔵を見せてもらうことになった。
次の日、午前中は毋母視神社の境内をもう一度見にいった。神社の中は宮司さんに何度もみせてもらっていたが、境内の方は素通りしていた。
毋母視神社は全国の神社からすると平均的な大きさである。だが境内はかなり広く、山間地の神社がよくあるように、社の裏は毋母視山に続いている。これは毋母山の手前にある小さな山である。この山を越えれば、毋母山をはじめ高い山々がかこんでいるのがよくわかる。どれもが休火山である。いずれは活動しはじめるかもしれない。
本殿は昭和になってから建て替えられたものだが、間取りは一切合財昔のままで、建材はかわっているところもあるが、江戸時代から続いていたたてものと同じ形に立て直されている。
広い境内は花の咲く木が多く、大きな杉の木に囲まれるような他の神社と感じが少し違う。本殿の前は、真ん中の参道をはさんで草原になっており、盆踊りができるほどの広さを持つ。年に何回もの祭りがあり、数々の屋台もでる。観光客にも郷愁を誘うと人気になっているという。
鳥居をくぐり、伊能が境内にはいると本殿の脇に幌に囲まれた場所が眼に入る。
これは本殿の回廊につづく小屋のあったところだそうである。本殿が建て替えられるときに取り壊したという。神社に残されている古文書には、茶室に使われたり住職の趣味の部屋として使われていたことが書かれている。
こやのあとでボーリングをしているところだ。この試みは驚くべきものである。神社の境内に温泉を掘り当てようという魂胆である。村の青年会のきもいりで、若い住職も大乗りきのものだ。湯がでたら露天風呂をつくり、はいったあとに本殿の広い回廊で一休みできるようにするという計画だ。毋母視ビールを造ろうという計画もあり、神社の回廊で風呂上りにいっぱいという、商工会議所青年部の考えそうなことである。
露天風呂を持った神社となると、日本で唯一のものとなるだろう。
境内の草原には名もわからない小さな茸が顔を出している。秋になればそれなりの茸たちが生えるのだろう。黒皮も生えそうだ。安部が調査している京都の黒皮神社と似ていることになる。
本殿のの周りを回ってみると、裏の山の斜面に穴があった。防空壕かもしれない。そういえば、神社にシェルターはつくらなかったのだろうか。
神社の境内をひととおり見て町に戻ると、由井酒店のならびの食堂で昼を食べた。茸そばをたのむと、一種類の茸がたっぷり入った蕎麦がでてきた。
「この茸はこのあたりでとれたものですか」
店のおじいさんに聞くと、うなずいた。
「ああ、そうだよ、こりゃヒラタケ、山からとってきたのを水にして、かんずめにしておいたやつだからうまいよ」
確かに歯ごたえがあって味がいい。
「蕎麦も地元のですか」
「蕎麦は毋母視じゃないけど、信州蕎麦だからね、直接粉を買ってうちで打ったものだから」
「いや、うまいです」
定食屋でこれほどの蕎麦が出てくるとは思わなかった。これならば、遊びにきた若い人も飾らない町の食堂を楽しめるだろう。SNSを介してこの村が知られてくるのもこういうところからだ。ヘルメットをテーブルにおいて男女が定食を食べていた。バイクでツーリングのようだ。
食堂をでて由井酒店にいくと、主人が出迎えてくれた。丸顔の人の良さそうな、いい体格をした人だ。もう六十はすぎている。長男とよく似ている。
大学院生であることを言って頭をさげ、自己紹介して名刺をだした。
伊能は大学院生だが、いろいろな商店や個人宅も訪ねることが多いので、身分を明らかにするために名刺をつくっている。
「亜衣から聞いています。村がお世話になって、ありがとうごいます」
主人も酒屋の名刺をくれた。社長の由井秀吉である。
「僕の方がお世話になっています」
「あたしゃ、名前がはずかしいだけどね、父親がとっくりにひょうたんを使っていたものだから、息子に秀吉なんてつけちまった」と笑った。
伊能が名刺をみつめていたからだろう。
「蔵は物置代わりになっちまっています、入口の前の方につっこんであるのは、家で使わないやつです、奥の方と二階に古いものがおいてありますので、自由にゆっくりみとってください。役に立ちそうなものがあったら、どうぞもってってください、私は店にいますので、何かあったら呼んででください」
主人のはからいだろう、伊能は一人でじっくりと調べることができる。
一階には酒に関係する道具類がつみあげてあった。二階に上がると、棚に埃をかぶった古文書がかなりたくさん積んである。昔の勘定書きが大方だが、このあたりのことを書いたものもあった。そういったものを抜き出すと六冊になった。
本の積んであった棚の奥に、押しつけられるようにして和紙の袋があった。開いてみると干からびた茸である。しなびていて形はわからないが、もしやもするとと思い、それもとりだした。古文書と茸の袋を持って、店番をしていた主人のところに行った。
「何か珍しいものがありましたかね」
「ざっとみただけですけど、この六冊には村のことなどが書かれているし、絵も入っています。江戸時代のもののようです。ちょっとかしてください。コピーをとってお返しします」
江戸時代だとすると、図書館に保存してある古文書よりむかしのことを知ることができるだろう。
「どうぞどうぞ、お持ちいただいてかまいません、そのうち、村の図書館にでも寄付しますから」
伊能は借りていくことにした。
「こんなものも出てきました、写真を撮ったらお返しします」
「なんですか」
由井秀吉は袋をのぞいた。
「茸ですな、かなり古い、ウシビタエのようだ、なぜこんなもんがとってあったのでしょうかね、ウシビタエは珍しいもんじゃないんだけど」
「ウシビタエは薬になりますか」
「あまり聞いたことはないですな」
「他に使い道はありますか」
「私は知りませんな」
「これ茸の専門家に調べてもらっていいでしょうか」
伊能は京都の安部に送るつもりだった。
「どうぞお持ちください」
「茸の意味がわかったらおかえしします」
「研究のお役に立つといいですね」
「この村で占い師がいたという話しはありますか」
「占いというと」
「占星術だとか、天地異変を占ったり、雨を降らしたり、日を照らしたりすることを取り仕切る人がいたのでしょうか」
「豊作を祈願し、占うようなことは今でも神主がやってますが、村人にはそういう人はおらんですね、昔のことはわからんですけどね」
伊能は京都の黒皮神社の話をした。
「ほう、そんなことがわかったんですか、おもしろいですね」
主人もおどろいていた。
「この資料にもなにか書いてあるかもしれません、わかったらお知らせします」
伊能はすぐにでも旅館に戻って読んでみたかった。
由井秀吉は「そうだ」、といって、棚にあった酒をとった。
「この酒、これから発売ですけど、この村で作り始めたものですから、まだ朝日屋でもだしてはいないないんです、朝日旅館の若旦那にもっていって、一緒に飲んでみてください」
一升びんの「毋母視の流れ」を手提げ袋にいれてくれた。
「すみません、なにからなにまで」
「いえいえ、亜衣も毋母視村のこと興味を持ち始めているようでね、あいつは四年制の大学に行きたかったのだと思いますけど、家に早く戻らなきゃいけないと思って、短大にしたんですよ」
伊能が怪訝な顔をしていたからだろう、
「母親が早くに死んだものだから」
由井秀吉はそうつづけた。
「そうでしたか、いろいろありがとうございました、お酒は宿でいただきます」
御礼をいうと、朝日酒店をあとにした。
宿で若主人に酒をわたした。
「これから出す酒ね、夕食にだしますね、冷がいいのかな、由井さんにきいてみようかな」
若旦那は一升瓶を台所に持って行った。
伊能はすぐに部屋にこもって古文書を開いた。大学で詳細に読むつもりだが、ともかく目を通しておきたい。
どれも江戸中頃のものと古い。一つは毋母湖で穫れる魚の種類について詳しく書いてあった。おもしろいのは大きな真水クラゲが夏になると発生することが記されていた。一寸ほどの傘を持ったクラゲで、海ではないところにも、このようなクラゲがいるのは毋母湖だけだとあった。絵も描かれている。
すぐに、知人の生物学者にスマホで真水にいるクラゲが、毋母視村の湖にはいたらしいと書いたら、すぐに返事が来て真水クラゲはめずらしいものではないがが、直径は一センチほどの小さなものだと返事がきた。
毋母視胡の蛙に関する記載もあった。毋母視蛙とあり、絵を見るとガマのようだが尾のような突起がおしりにつきだしていた。
このこともメイルした。
「そりゃおもしろいね、絵が書いてあるなら、スマホで写真撮って送ってよ、水クラゲもね」
そういわれたのですぐに送った。
「水クラゲは条件がよければ大きく育つかもしれないな、新種ではないだろうと思う、蛙は大変な発見だよ、尾の有る蛙が江戸時代にも生きていたんだな、変態しても尾の部分が突起になって残っているようだ、蛙の専門家にも知らせとく」
やはり毋母視村にはなにかありそうだ。
江戸時代の地図がでてきた。
毋母視村の地図は毋母視神社を中心にして書かれていた。山の麓に地蔵が描かれている。毋母視村を歩くと地蔵が多いのには気がついていたが、地方の村にはよくあることなのであまり気にとめていなかった。だが地図に印がついているのは今までみたことがないし、それにしても多い。神社の裏にも印があった。いま神社に地蔵はない。この村では地蔵に何か意味があるのだろうか。毋母村の道沿いに置かれている地蔵について誰かに聞いてみる必要がある。そういえばシェルターのあるところには必ず地蔵がおいてある。この地図を今と比較する必要があるだろう。
古い神社の図面も出てきた。境内、本殿の簡単図があり、本殿の脇に小さな四角い家が書かれている。宮づくりの建物ではなく、絵からすると茅葺きのようだ。現在温泉のボーリングをしている場所だ。文を読むと、本殿の隣の茅葺きの小屋は、毋母視小屋と呼ばれ、秋に毋母視がそこにこもるところという記述があった。そこで村の名前でもある毋母視がでてくる。毋母視とはどいうものだろう。毋母視がこもるということは何か役割をもつ人だろうか。占いか。毋母視の役割でこの村が存続繁栄してきたわけがわかるかもしれない。
村全体は明治以降も大きな違いがない。もちろん道の整備、新たな家、そういったものはあるが、都会が明治の文明開化で大きな変革があったのに比べ、山奥のこの村には目立った変化はない。昭和の戦争と敗戦も都会ではさらに大きな変化が見られた。
ただ、バブル期になると、毋母視村にも廃村にならないように若い人たちの活躍があり、観光化による変化がある。あたらしくシェルターが作られたのも一つだろう。
江戸の地図では毋母視村の一番大きな道沿いに家が点在している。地図に酒の字がある家がのっている。位置からすると、由井酒店のようだ。いつの世にも酒は食料と同じほど人々に必要なものだった。
その古文書は大変役に立った。伊能は毋母視村の成り立ちの研究が一歩前に進んだと思った。
いつの間にやら夕食の時間になっていた。女中さんが時間になっても降りてこない伊能の部屋につげにきたのだ。伊能はあわてて食堂に行った。部屋の名前のおいてあるテーブルにつくと、料理が並べられている脇にガラスの容器に酒がはいっていた。毋母視の流れと書かれている。由井酒店でもらったものを冷やしておいてくれたのだ。
給仕の人がご飯は飲まれた後にしますかときいた。伊能は酒飲みではない。
「食事の用意もお願いします」
ご飯と味噌汁もいっしょにたのんでしまった。
日本酒は飲み慣れていない。用意されたグラスに酒をついで口をつけた。辛口というのだろう、口の中が甘ったるくない。確かにせせらぎのようだ。飲み込むと、ひんやりと胃の中におちていく。
料理に箸をつけた。茸と山菜の煮物だ。
ご飯と味噌汁が運ばれてきた。女中さんと一緒に若主人がきた。
「なかなかさっぱりとしていて、若い人が好みそうな酒にしあがってますよ、どうです」
前に座るとそうきいてきた。
「あ、ええ、うまいですね、酒はあまり飲めるほうじゃないんですけど」と答えると、彼は「ネーミングがいまいちだね、毋母視の流れ、じゃなくて、毋母視湖の水とか、毋母視湖の清水にしたほうがいいね」
伊能もうなずいた。
「ご主人のまれませんか、僕は少ししか飲めません。
「あまりのまないんですね、そうだな、それじゃ」
若旦那がコップを持ってきた。
伊能がつぐと、くっと一気に半分も飲んだ。そうとういけそうだ。
「いや、さっきはちょっと舐めただけなんで、こうくーっと飲むとうまい」
「そうとういけますね」
「まあ、中学生になった頃から、厨房で盗み飲みしてたからね」
彼は笑った。
「聞きたいことがあったんですけど、この村にはお地蔵さんがずいぶんありますね」
「うん、昔からたくさんあったね、爺さんたちは大事にしていたよ、この村を守ってくれてんだといってね、新しい家を建てるにしても地蔵はそのままにしておいたね」
「新しい地蔵を作ったりしないのですか」
「やってるよ、商工会議所の若手がたのんで、石屋が新しいの作ってる、だけど観光のためだけだね」
「江戸の地図に地蔵の位置がかいてあったものですから」
「へー、それは知らなかった」
「そのうちコピーでも送ります」
「うん、商工会議所の連中も知らないと思うよ」
若旦那は残っていた酒をくっと飲み干した。
「あ、うまかったです、さてもどらなきゃ、それじゃごゆっくり」
若旦那はそう言ってたちあがった。忙しいのに引き止めたようだ。
「すいません、ありがとうございました」
明日大学に戻ろう。あの文献をしっかり読み解かなければ。
大学に戻ると安部に毋母視村の酒屋で乾燥した茸が見つかったことをメイルに書いた。見たい、生物学の知り合いにも調べてもらうという返事が来た。すぐに干からびた茸を安部に送った。手に入れた神社の図などもメイルに添付して送った。
伊能は由井酒店の蔵から出た古文書を丁寧に読み解析した。明治より前の毋母視村の様子がより明らかなものになった。とてもよくまとめられていた村であることが感じられる。村人たち全員一致して村を守り、生活がしやすいように改良した様子がよくわかる。共同に使う小屋がいろいろなところに建てられ、村民が自由に使えるようになっていたようだ。たとえば、田畑の脇には大きな小屋が建てられ、どこの家のものも自分の農作業の道具をおいておけるようになっていた。住居地と田端が離れていたこともあり、道具の持ち運びは大変だったに違いない。その労力をを楽にする仕組みである。毋母湖脇には釣り小屋があった。それぞれの漁師の釣り道具がおいてあったようだ。
そういった共同小屋と、地蔵のマークの位置がかなり重なっているようである。ただ、山裾の地蔵のマークと小屋は重ならなかった。いずれにせよ村民のための施設には地蔵がおかれていたようだ。
酒屋の古文書の中の一冊は、特別の酒を神社の毋母視衆のためにとどけるということが書いてあった。酒は秋の祭りの頃のことである。毋母衆とはどういう人間か。神社の神主に電話をかけ聞いたが、まったく知らないということだった。もちろん亜衣にもメイルで聞いてみた。調べてくれたのだが、村に残されているもののなかにはでてこないそうで、酒屋の父親もしらないということだった。
秋になり、京都の安部悟が、茸の結果をメイルで知らせてきた。由井酒屋の蔵にあった袋の乾燥茸はすべて黒皮であるということだった。遺伝子調査の結果では、京都の黒皮神社に生えるものとほぼ同じだと言うことである。ところが毋母視村の由井酒店の黒皮も京都の黒皮も、一般の黒皮と遺伝子配列の違うところがあるということだった。色素の遺伝子の一部だそうである。
伊能には生物学的なことはよくわからなかった。安部は由井酒店の茸をかえしがてら、毋母視村の神社を調べてみたいといってきた。京都の黒皮神社の境内にはすでに黒皮がではじめたので、毋母村の様子をみたいという。亜衣に電話できいたところ、茸類は8月の終わり頃からたくさんでているという返事をもらった。安部と相談して、5日ほど朝日旅館に予約を入れた。
安部とは現地で落ち合うことにして毋母視村に向かった。
「久しぶり」
安部は朝日旅館に先についていた。
静岡で降りて飯田線できたという。電車の乗り継ぎさえよければ、新宿まわりより早いという。
「チェックインの時間より早くついたので、毋母神社見てきましたよ。やっぱり驚ろいたな」
もう毋母視村を歩いたようだ。なにを驚いたというのだろう。伊能が聞く前に、彼は鞄から写真をとりだした。
伊能もそれを見てやはり驚いた。
「ほら、送ってもらった神社の図などから想像してはいたんだが、黒皮神社は毋母視神社とほとんど同じ形だった。黒皮神社はなばみ村からきた神主が持ってきた神社の図面をもとに作ったということだから当然かもしれないけどね。黒皮神社を建てた宮司はあきらかに毋母視村の出身ですね、ここに来たのはそれも確認したかったんです、それで、毋母視村で黒皮はどのように使われていたのか興味があるなあ、さっき行ったとき毋母視神社にも黒皮がたくさん生えてたよ、酒店に干した黒河が残されていたほどだから、ここの村でも黒皮が大事なものだったんじゃないかな」
「そうかもしれない、本殿の左側でボーリングをやっていたでしょう」
「うん、あれは何のボーリングですか」
「温泉、温泉にはいって、本堂の外の回廊で休みながら、ビールをのみ、お払いをうけるという、青年部と宮司さんの共同作業の試みだって」
「ずいぶん大胆な試みですね、京都じゃ無理だな」
「あそこには小さな茅葺き小屋があったんだけど、なにをするところかわからない」
「京都の神社にはありますよ、茅葺きじゃないけど、今は物置に使っているそうだけど、昔はなばみ村から婿入りした宮司さんが占いに使っていたという話しです」
「宮司さんが占っていたのですか」
「ええ、おそらく、山のめぐみのでき具合ですね」
「山菜の豊作ですね」
「山の恵み、茸やアケビや、秋の味覚の出来具合を占ったんじゃないかな、田畑の神社ではお米の出来を占うやつ」
「この村の神社でもそのような占いをしていたのかもしれない、今はやってないようだけど」
伊能がはチェックインし終わると、玄関に若旦那が顔を出した。
「伊能さん、いらっしゃい」
「あ、若旦那、こちら京都の阿部君、僕と同じように人類学をやってます、ただ茸の人類学」
「茸ですか、どうぞ毋母視村を楽しんでください、ここは茸も豊富です」
「阿部君が調べている鞍馬の黒皮神社をつくったのは、毋母視村出身の神主さんで、神社そのものが毋母視神社とそっくりなんです、それに黒皮を占いに使っていたようです」
「へえ、そんな人がいたんですね、青年部の連中が知ったら、きっと鞍馬とこの村の姉妹都市を計画しますよ、あとでゆっくり教えてください」
そういって若旦那は帳場にはいっていった。
伊能は安部を神社に誘った。
「かまわなければ、これからもう一度神社行かないかな、宮司さんとも話しましょう、宮司さんは、前の宮司さんに子どがもいなかったので、よそからきた人です、このあたりの歴史はあまりしらないといってるけど」
安部がうなずいた。そこにまた若旦那が帳場にでてきた。
「伊能さんいい忘れちまった、由井が蔵の隅から神社に関わる書物(かきもの)がみつかったといってた。亜衣ちゃんがみつけたらしい、亜衣ちゃんがもっているということだから、帰りに図書館によってみたらいいですよ」
「あ、ありがとうございました、油井さんの茸を由井酒店にかえしたいので、もっていきます」
まだ古文書はでてくる。由井酒店ばかりじゃなく、他にもあるかもしれない。
伊能は荷物をおいて阿部と宿をでた。
この地方は8月の終わりになるともう秋風である。石段を登り境内にはいるとひんやりと冷たい空気がからだを包む。
「ほら、ここにもある、これが黒皮」
安部が草の間みつけた。もっこりと固まって生えている。黒と言うより薄黒い、形は不定形だ。
「黒皮神社と同じように、境内に生えている、面白いな」
伊能は生えている黒皮は始めてみるし、茸はよくわからない。
「一度旅館で食べさせてもらったけど、細く切ってあったので丸ごと見るのははじめてだな」
「そう、目立たない茸だけど、好きな人は好きですよね」
安部は写真を撮った。
宮司さんには旅館をでる前に電話をいれてある。社殿の脇の書院事務室の入口でまっていてくれた。
「伊能さん、いらっしゃい、温泉がでそうですよ」
30代の宮司さんはそちらの方が楽しみのようだ。
「こちら、安部君、京都の大学の博士課程です、京都に黒皮神社というのがあって、それが、毋母視神社とそっくりなんです、しかも境内には黒皮がはえている」
伊能はいままでのことをはなして聞かせた。
「それは不思議ですね、この神社の人が京都に行ったのですか、この神社には江戸の頃の書物はないないけど、代々宮司をやった人の名簿はあります、それには江戸の中頃からの名前が書いてあります、明治になってからまとめたもののようですけど」
「あ、それじゃ、この神社は江戸のその頃から続くものなんですね、僕も見てみたいな」
「おそらくそうです、どうぞどうぞ、書院にあります」
二人は書院に案内された。
宮司は古びた巻物をひろげた。
宮司の名前しか書いていない粗末なものだ。はじめのほうには名前の上に年号が書かれていないが、途中から明治二年とか十五年とかかかれている。年号の書かれていないはじめのほうから五番目の名前の後に享和と書いてある。
「享和は江戸の後記になりますね千八百年代、それより前の宮司の人数からすると、1700年代後半ごろにこの神社はできたのかもしれない」
伊能がそう言って指でその宮司の名前を示した。それを見て安部が驚いた顔をした。
「宮司の名字はみな安積(あさか)となっているけど、昭和になると、名前が変わるところもあるけど、またもとの安積になっている、実は黒皮神社を建てた宮司というのが安積なんだ、安積次之進」
さらに、
「ほら、文久と書かれているところの、宮司さんの名前が安積一之進でしょう。
「それがどうしたの」
「京都の黒皮神社をつくった宮司の婿入り前の名前がわかったんです、安積次之進だから、この人の弟のような気がしたものだから」
「確かに、弟だから外に出されたということはよくありますよ」
宮司さんがうなずいている。
「僕はこれです」
令和2年、安積光男とある。
「もとは足立光男です、山梨の神社の次男として生まれましてね、大きくなってからここの養子になりました」
「そういうことがかなりあるんですね、でもおかげさまで、話しが進展しました、ここにきてよかったです」
安部はうれしそうだ。
「ということは、安積一之進の親、この家系図からいくと、安積史郎の子供であり、史郎の奥さんが占いをしていたということになる」
伊能が指摘すると安部がうなずいた。
「占いのことはきいたことがありますか」
安部が訪ねたが、安積光男は、
「きいていませんね、毎年秋の収穫のお祝いの時に、次の年の収穫祈念と同時に、村の運勢をみますけど」と首を横に振った。
「どのようにですか」
「占星術です、夜空をみて、行います、方法は書いたものがあります、これはおそらく昭和になってからのものでしょう、私にはできないので、数年前から村に移住した、若い占星術師さんにたのんでいます」
「茸は使わないのですね」
「茸を占いに使うということは聞いたこともないし、書物もありません、黒皮神社では今でも茸を使って占いをしているのですか」
「いえ、黒皮神社を建てた神主の母親がそうだったというだけで、黒皮神社ではそういうことはしていなかったようです」
「そういえば、本殿に続く小さな建物は毋母視小屋といって、毋母視が使うところだったと由井酒店の江戸時代の古文書にありました」
「京都ではあの小屋は住職がつかっていたということしかわかっていません」
「小屋のあったこところにいってみませんか、温泉のボーリングをやっていますが現場をごらんになりませんか」
二人は宮司に案内され書院から外にでた。
幌で囲まれた試掘の現場では二人の作業員がボーリングの機械を操っていた。
「ご苦労様です」
宮司が声をかけると、一人が、「もうすぐ湯がでますよ」と言った。
「湯がでたら、この後ろの山の斜面に、露天風呂を作る予定なんです、毋母視村のもう一つの目玉になりますよ、毋母視神社が役に立ことは嬉しいですね」
宮司の期待はかなり大きいようだ。
安部が足下を見て、おやという顔をしてカメラをそちらの方に向けた。その先には赤っぽい茸があった。ピンクに近い薄い赤である。よく見ると形は黒皮である。
「桃色の黒皮だ」
安部はシャッターを押すとその茸を採取した。
「そうなんです、ここのところ、白っぽかったり、ピンクだったりする黒皮が生えるんです」
機械をあやつっている一人が言った。
「ここにもある」
伊能も気がついた。
「珍しいですね」
「境内にもでていますよ、この近くに」
ボーリング工事を囲んでいる幌の近裾のあたりにはピンクの黒皮がたくさん生えていた。
安部は取って袋に入れた。
「どうして黒からこんな色にかわったんでしょうね、渋みが感じられない色だな、食べてみようかな」
安積宮司がいう通りかもしれない
「実は京都の黒皮神社のものは真っ黒ですが、遺伝子がちょっとおかしくて、ここの由井酒店の蔵から見つかった江戸時代の茸と同じだったんです、今採った茸も調べてみます」
「茸の遺伝子とは想像もつきませんが、きっと研究する方にはおもしろいことなんでしょうね」
伊能と安部ここで宮司に礼をいって神社を出た。
「帰りに図書館によって、由井酒店で見つかった古文書をもらおう」
「酒店に行くのじゃないの」
「由井酒店のお嬢さんが図書館で司書やってるんです、蔵でみつかった茸も彼女に渡せばいいよ」
「ああ、そうなだ」
伊能は前もって亜衣に電話をした。
図書館に行くと、亜衣がすぐにカウンターから出てきた。
「伊能さん、こんにちは、神社の温泉でそうですよ」
「うん今行って来たところ、亜衣さんも元気そうだ」
「ええ、私も家にいるときには倉庫をひっかき回したり、古い金庫をこじ開けたりしてるんだ、そうしたら、金庫から、おそらく江戸時代の5ページほどの書いたものがでてきた」
「朝日屋の若旦那からきいた、お兄さんがらいわれたって、それでよったんだ」
「そうなんだ、これ茸の絵が入っているし、おもしろそうだけど、漢文で読めない」
亜衣が伊能に小冊子をわたした。
「ありがとう、こちら、京都の大学の安部君、同じ年なんだ。神社と茸のことを調べている」
「はじめまして、この茸とても役に立ちました、ありがとうございました」
安部が亜衣に乾いた茸の入った袋を渡した。
「はい、父親に渡しておきます、京都、いいな、まだ一度しか行っていない」
「どうぞいらしてください、いつでも案内しますよ」
「安部君に鞍馬の黒皮神社を建て替えた住職が毋母視村の人で、毋母視神社にいた人ということを教えてくれてね、建物もそっくりなんだ、黒皮がたくさん出る神社で、いま毋母視神社を見てきたけど、やっぱり黒皮がたくさんでていた」
「ふしぎね、縁があるところなのね」
「由井さんのところでみつけた干からびた茸と鞍馬の神社に生える黒皮の遺伝子が同じだそうだ」
「親戚ってこと、親族か」
亜衣が笑った。
伊能は受け取った小冊子を開いた。漢文で書かれている。タイトルは聞異老茸。
年をとった異なる茸から聞きおよぶ、ということかと伊能が考えていると、安部がのぞき込んだ。
「『老茸』はろうじといって、黒皮のことだけど」
「あ、そうなんだ、ということは、黒皮に聞くということか」
これは大事なことがかいてありそうだ。占いの本かもしれない
ページをめくると、茸の並んだ絵があった。黒皮のようでもあり、違うようにも見える。茸の傘の色が濃い墨からだんだん薄くなっている。その上に数字の番号がふってある。
「説明の漢文も一から五までに分かれているから、それの説明でしょう」
「僕は漢文弱いな、文学の先生にみてもらうよ、安部君にもコピーをわたしていいかな」
亜衣に言うと、コピーをもう一部部すっと差し出した。
「いくつか必要になると思って、たくさんコピーしといたんだ」
よく気がつく子である。
「ありがたいな」
「内容がわかったら、おしえるよ、お兄さんとお父さんによろしく、こちらにいる間に一度うかがいますといっておいて」
「はーい」
二人は朝日旅館にもどった。
「この漢文を写真にとって、知っている国文学者に送っておくよ」
伊能がいうと、「僕もトライしてみるよ」
安部は漢文が読めるようだ。社会の成り立ちを研究の軸においている伊能とは、研究方法が少し違う。
安部は帳場にいた朝日旅館の若主人に、亜衣がみつけた文献のコピーを見せて、
「このように黒い色にちがいのあるの黒皮がはえるのですか」
とたずねた。
「宿の周りにでるのは濃い奴だけど、もう少しネズミっぽいのはよくみかけるよ、山の方に生えるのはどっちかというと鼠色っぽいかな、毋母視湖の近くの林のものは黒っぽいかな」
「神社の境内にはピンクぽいのがあったんです」
安部はボーリングしているところの茸をみせた。
「こんな色のは見たことないな、本当に黒皮なのかな」
「専門家に調べてはもらいます」
「黒皮を採りに行った時に見てみるよ」
若旦那は到着した客の対応をはじめた。部屋に戻った二人は明日の相談をした。
「僕は明日、江戸の地図にのっていた地蔵のところを歩いてみるつもりなんだ、まだあるかどうか調べてみる。君はどうする」
「村には寺もあるでしょう、寺の茸も見てみようと思うんですけど」
「あれ、そういえば、歩いていてこの村に寺を見たことがないな、どこかにあるのはずだよね」
もっと村の構成をしっかり見なければいけないな、伊能は反省した。
「山の裾や、個人の家の裏に墓はみるけどね、またご主人にきいてみるよ」
伊能と安部が帳場にいくと客を部屋に案内した若主人がもどってくるところだった。
「たびたびすみませんけど、この村にお寺ってあるでしょうか」
「ああ、それがないんです、地蔵さんはあるけどね」
「葬式は毋母視神社がやるんですか」
「昔からの村のもんは、全部毋母視神社の氏子ですよ、毋母視神社が中心だな、坊さんも村にきてたようだけど、居つかなかったということだな」
「神社の氏神さまはなにでしょう」
安部が聞いた。
「後ろの毋母視山だな」
そうか、そんなことも調べてなかった。火山の噴火の予知ができる村ということで調べ始めたこともあり、シェルターや共同施設のことばかり気にしていた。
「今日の夕飯には、村山で採れたマイタケのてんぷらだすよ、うまいよ」
若主人は笑顔で厨房にむかった。
「昔の村の人たちは毋母視神社でまとまっていたわけか」
伊能はなるほどと思ったが、阿部は不思議そうな顔をしている。
「だけど、地蔵は誰が管理しているのだろう、あれ地蔵と言っているけど、道祖神の可能性があるかもな」
地蔵は仏教の地蔵菩薩だが、道にある地蔵は疫病、悪魔を払う道祖神の役割ももつ。
「神仏混淆の時代の影響が残っているわけか、神社が仏教信仰の地蔵の部分をとりいれてしまったのだな」
「明日はそういったことも考えて村を歩いてみるよ」
次の日、安部は山の裾の地蔵と黒皮を調べる、伊能は村の街中の地蔵を調べるということで二手に分かれた。
江戸時代に造られた村の中の道はほぼ今ものこっている。伊能が歩いていくと、地蔵はだいたい江戸時代の図に描かれたところにあった。すべてではないが、想像したとおり農作業の小屋や漁師小屋など、共同で使われた小屋のあったところにも地蔵はあった。今そういうところにはコンクリート制の地上一階、地下二階のシェルターがつくられている。もう数十年経っていると思われるので、シェルター自身もだいぶ汚れている。屋上はちょっとした遊園地のようになっているところや、駐車場になっているところがある。
そういった公共施設のところ以外は、水田や畑に接した広い道の交差点などにおかれている。誰かが面倒を見ているのだろう、必ずお供えものがあった。
畑にでていた人に聞くと、やりたい人がやっているということだ。
あぜ道を歩いていると、いきなりサイレンが鳴った。急襲警報の音だ。驚いていると、遠くから消防車の鐘の音、救急車のサイレンが聞こえてきた。火事だろうか。街の方も山の方にも煙は見えない。
街に引き返し由井酒店に行った。由井秀吉も亜衣の兄も店の前にでていた。
「伊能です、いろいろお世話になりました」
声をかけると、二人とも振り返り、
「伊能さん久しぶりです」と笑顔で声をかけてきた。
「火事でしょうか」
「わからんですね、どうも毋母視神社の方向だな」
「また後で、ご挨拶にうかがいます、ちょっと行ってみます」
「おれもちょっと行ってくる」
「ああ、たのむな」
伊能は由井酒店の若旦那と毋母神社に向かった。
神社の下には消防車と救急車がとまっているが、消防車からホースがのびていない。人が集まりかけている。伊能たちは石段をあがると、消防署の人が温泉のボーリングをしているところに集まっている。現場を取り囲んでいる幌の下から水がでている。
宮司さんがいた。
「どうしたんだ」
由井酒店の若旦那が声をかけると、安積宮司は「湯が急に噴出したんですよ、工事をしていた人にかかって、火傷しちまって、今、救急車で搬送するところです」
「よほど熱い湯だったんだ」
「百度近くらしい、まだゴボゴボでているんです」
そこに安部もやってきた。
「湯がでたようですね」
「作業していた人が火傷したらしい」
「この神社の鳥居近くの黒皮がピンクになっていて、境内のは赤に近い色になっているんですよ」
足下の草の中の黒皮をみると確かに赤に近かった。
「この茸、熱いと赤くなるようです、だから、ボーリング現場の茸がピンクぽかったんです、温度で色が変わるんです」
伊能はぴんときた。
「亜衣ちゃんが探し出した古文書は土の温度で色を変える黒皮の説明だったんだ」
「そうだと思います、それを見て、作物の出来具合などを占っていたのかもしれないな」
「うん、阿部君がいったことで、僕が知りたかったこともわかったようだよ、火山の噴火の予知を、黒皮のいろでやっていたのかもしれないな」
伊能は安部が言ったことから、この村が生き延びてきた理由が分かったと思った。
「毋母師の役割、毋母視小屋の役割がみえてきましたね」
伊能が言うと安部もこっくりうなずいた。
怪我人が担架に乗せられて運ばれていく。
安積宮司が「容体はどうです」と救急車の人に聞いた。
「宮司さん、よかったよ、二人とも顔はやられていない、服が熱い湯にかかったから、水をかけてから切り取るのに時間がかかった、足や顔をかばった手がちょっと大変だが、命には別状はないようだ」
救急隊の話が二人の耳にも入った。
救急車がサイレンを鳴らして病院に向かった。
安部と伊能は反対側から社殿の裏にいってみた。ボーリングをしていたあたりの草原に生えてる黒皮は真っ赤だった。
「茸の本体は土の中ですからね、土の中の情報を茸は表に出すのですね、養分条件が十分なら茸も大きくなるし、きっと土の状態で形などを変えていると思いますけどね、茸の専門家にみてもらいましょう」
「茸のそういう面を読むことができると、環境を知ることができるね」
「この村の毋母視は黒皮の色の変化で作物の状態を占ったばかりでなく、火山の噴火の予知もできたわけだ」
「村の人もそれはわかっていた、だけど黒皮が出るのは季節が決まっている、それ以外のときにも、毋母視は何かを見て、よそくをたてていたんだろうな、やっぱり予知能力のある人間がそのたちばになったんだろうな」
「あそこの神社裏の穴なんだけど、奥に黒皮が生えていたんじゃないのかな、ご神体である毋母視山の温度を一番感じやすいところだろう、あそこの黒皮の色が、占い師である毋母視たち判断になったんじゃないかな」
安部が言った。
「宮司さんにはいっていいか聞いてくる
伊能がまだ境内にいた宮司をつかまえた。
「裏の穴は何のための穴ですか」
「この穴は昔からあるのですよ、自然のものです、むかしはこの山自体がご進退だったようだから、中で何らかの行事があったとおもいますけど、聞いていないんです、書いたものもない、今ご神体はこの山の頂上付近にあった黒い石なんです、本殿のなかにありますけど、私もまだ見たことがない、六十年に一度だけご開帳です。前の住職があけてからまだ二十年です、後四十年後になりますね、私が七十すぎてからです、ともかくそう言うことで、あの穴はつかっていません」
「中はどうなっているんでしょうか」
「一度入ったことがありますけど、入口はとても狭くなっていますよ、そんなに長くて、奥には祈祷した跡が残っています」
「はいってみていいですか」
「かまいませんよ、でもよごれますよ」
伊能は裏手に戻り、安部に入ろうといった。
伊能と安部が穴の中をのぞくと、ふーっとかび臭い臭いが鼻をくすぐった。伊能が穴に一歩はいってみると、奥は見えない。
二人は中に入った。壁の所々に小さなへこみが作られていて、ちびた蝋燭がおかれていた。奥に進むと突き当たりは広くなり、壊れた机がおかれている。机の上には干からびた茸がころがっている。それだけだった。
外に出て境内の表に回ると、湯が出たボーリングの跡にたくさんの人が集まり、湯を止める作業をしていた。
宮司さんに挨拶をして二人は神社をでて朝日屋にむかった。
「いろいろ解決したね」
「京都からでて来てよかった、これで論文がまとまる、温度で色の変る茸とはおどろいたな」
「たしかに、あとは毋母視のいみだけだな」
「それだけどね、前から気になっていたのは毋母視の意味だけど、「ナバ」って茸のことだよ、西日本、特に九州で使われている方言なんだ、毋母視は茸を見るということになるでしょう、茸を見て何かするのじゃないかと想像できるよね」
「関東や中部のほうでは茸をナバときいたことはないな、でももし茸のことであれば、茸占いという意味になるかもしれないな」
今回の毋母視村の調査はとても大事なことがわかった。
伊野も安部も東京と京都に戻り、それぞれの立場で研究論文をまとめるのにいそがしくなった。
その結果、伊能によって毋母視村の神社を中心とした、茸の占いによる噴火予知により毋母視村が災害をさけることで発展してきた経緯、それが今の村における防災シェルターの発達という結果になったこと、特異的な村の歴史的背景が明らかにされた。京都では、安部により信州の毋母視による黒皮の色の変化による占いと、それが京都の黒皮神社にもたらされた経緯が詳しく解析された。
さらに、茸の研究者による、黒皮茸そのものの研究で、茸の色素の性質が明らかにされつつある。
まだ毋母視村の名前に関してはその由来があきらかにされていない。
奥沢康正、正紀親子による「きのこの語原店方言辞典(山と渓谷社、1998)」によるとナバは茸の古語でもあり、方言でもあるのだが、その語原はあきらかではないという。
一説には南方の茸の呼び名からきたものというが、確かに方言としてナバが使われているのは九州など暖かい地方である。平安時代の「なばる=かくれる」が変化したという説もあるようだが、信州の山奥の村にどのようにつたわったのかわからない。
さらに「毋母」という字である。毋は、ないの「な」である。母は乳母では「ば」と読む。読み方はともかく、母は「はは」、毋は「禁止」ととらえ、黒皮を土の母とし、赤くなった母は、この地があつくなっていることを村人に告げた。それを判定しているのがいつも黒皮を見ている毋母視の役割だったのだろう。これはあくまでも想像である。伊能と安部は二人して調べを進めているところである。
どのような結論になるのか、いずれ二人から発表されるであろう。
信州毋母視村は京都の黒皮神社の地域と姉妹都市になった。
毋母視村は研究とは関係なくおそろしいほど発展している。二人の結論がでると、それも毋母視村の宣伝に取り入れられていくであろう。村も茸である、役に立つものから養分を吸い取って、大きくなっていくのである。
毋母視(なばみ)村
私家版 茸小説集「毒茸村、2026 一粒書房」所収予定
茸写真:著者: 長野県富士見町 2016-8-2