自己共鳴

 ろうや、のようなところだったので、くるしかった。月曜日に、近所の公園で、だれかが、だれかを、ナイフで刺したというニュースを、テレビで観て、いやだなぁと思って、でも、刺した、だれかの感情も、刺された、だれかのきもちも、わからないし、漠然と、いやだなぁと嫌悪するのは、浅はかなのかもと、一瞬、そういう思考の流され方をして、よく、わかんなくなって、わたしは、コンビニで買った菓子パンの袋を、ばりばりとあけて、むしゃむしゃと頬張った。スティック状の、コッペパンのあいだに、クリームがはさまっている、無難なやつ。他者を傷つけるのは、いけないこと。けれど、もし、刺されただれかが、さきに、刺しただれかを傷つけていて、ナイフを手に取った原因だとすれば、という背景を想像して、ああ、こういうのは、内に留めておくのがいいのだと気づいたのは、スマートフォンのむこうでは日々、こたえがひとつじゃない論争に、みんなが精神を砕いているから。
 たべても、たべても、みたされないときのむなしさって、きっと、いきているものは等しく、しっている気がする。
 きょうはもう、情報という情報をひとつも、とりいれたくない日だった。

自己共鳴

自己共鳴

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-09-13

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