死人にくちなし

一日目 ピザにパイナップルを載せる女

 黒髪の少女が目を覚ましたのは意識を失う前に見た、建物の軒先に倒れ込みコンクリートに頰ずりする光景とは違っていた。
「あ、起きた。おはよう」
 眼鏡を掛け、ゆったりとしたアシンメトリーなデザインのパジャマを着た白髪の少女が、ベッドの縁に腰掛けて彼女を見下ろしている。
 眼鏡越しと裸眼の虹彩の色が違う。彼女の本当の瞳は青ではなくて黄金色で、不自然なパルス周波で煌めいている。
 この瞳を見つめてはいけない、と黒髪の少女の頭の中に激しく警告が出る。白髪の少女の瞳を眼鏡越しに見るように努めることにした。
「あなたは、だあれ?」
 黒髪の少女は意識がまだはっきりしないなかで白髪の少女に問いかける。
「私はくちなし。あなたは?」
 朗らかなトーンの高い声が部屋に響く。
「アリーシャ……」
 咄嗟に自分のコードネームを呟く。姿と名前に差異がなさそうな、くちなしと名乗った少女は、アリーシャという名前に不満のようだ。
「アリーシャ? 日本人形みたいな見た目なのに?」
「……よく、言われる。でもね」
「アリス・リデルはブルネットだったでしょ。とか言うの?」
 くちなしが先に言ってしまったのでアリーシャは眉間に皺を作った。
「まぁまぁそんなに怒らないでよ。アリス」
「アリス?」
「アリス・リデルを引き合いに出したんだから、あなたの名前はアリスで決まりじゃないの? 私は好きに呼ぶよ」
 アリスは勝手に付けられた愛称に今一つ不服そうな表情になったが、言い返す気もさほどなかった。
「いいよ。くちなしさん。好きに呼んだら。でも、あなたはどうして私をここに連れてきたの」
「くちなしでいいよ。どうしてって……。ちょっとした手品かな」
「手品?」
 くちなしはすかさず指を擦って造花を出す。
「私はね。何を隠そう? 手品師なの」
 話を遮るようにインターホンが鳴る。電工関係の手入れがされていて、二〇五〇年代のミャンマー製の動作が確かなインターホンだ。
「そうそう、ピザ頼んでたんだ。ちょっと行ってくるね」
 くちなしが造花を仕舞い、ベッドから立ち上がり、玄関に向かう。アリスより頭一つ小さい小柄な彼女が、足音を立てて歩いていた。
 アリスが上体を起こそうとした刹那。
 ふすまの向こうから戸が開く小さな音、火薬の炸裂音、アスファルトを粉砕するような打撃音。そしてなにかを放り出す音、おそらく杭打ち機のようなものを義体相手に使ったのだとアリスは察した。

 とんだ手品師もいたものだ。
 音から予想した破壊力からすれば自分が食らってもフレームが歪むだろう。指を擦ったら造花がでて、袖を擦ったら杭打ち機が出てくる。
 これはとんでもないところに連れて来られたものだとアリスが考えていると、くちなしが戻ってきた。
「早いと思ったら人違いだった。もうちょっと待っててね……。そうだ。コーヒー飲む?」
「くちなし、顔に血がついてる」
 アリスが冷めた目でくちなしを見つめて返り血を指摘すると、くちなしは慌てて顔と服を姿見で確認する。
「あーっ! この服気に入ってたのに! やっちゃった……」
「何があったの?」
 慌ててアルコールで湿らせた脱脂綿で顔を拭いて、パジャマの血痕を落とそうとするくちなしに、アリスが問いかけた。
「見たらわかるよ。気になるならこっちにおいで」
 くちなしは隠そうとはせず、アリスを玄関に誘う。
 玄関で死んでいたのは、厳つい制服を着た体の一部を義肢に置き換えた強化人間だった。間違いなく立川の保安部の要員だろう。
 アリスの予想通り心臓を杭打ち機で撃ち抜かれており、靴箱の上には杭打ち機が捨ててある。
「きっと立川の人かな。誰かを探していたみたいだけど。でも馬鹿だよねぇ。あんな姿でここらへんうろつくなんて、お金が歩いてるようなもんだよ」
 保安部の人間だとわかっていながら、動く財布程度にしか考えていない。眼の前で笑う白髪の少女はとんでもない化け物なのかもしれない。
 たた、もうそれどころではない。保安部の人間がすぐ近くまで来ている筈だ。
「早く、いかないと」
 くちなしは外に飛び出そうとしたアリスの手を掴み、足を引っ掛けた。不意を突かれたアリスは姿勢を変えられないまま背中から床に落ちる。
「慌てないで」
 くちなしは歯を見せて笑った。
「大丈夫。アリスを立川に引き渡したりはしないし、取って食ったりなんかしないよ」
 くちなしは真顔で安心するように言うと、また笑顔を見せる。アリスを引き起こして、恐らく立川の自衛官が持っていたであろう拳銃をアリスに手渡した。
「これあげる。私より使い方はよく知ってると思うから」
「これは」
「さっきの馬鹿が持ってた原子破壊銃だよ。私が護身用に使うよりも、アリスが持ってたほうが便利だと思って。あげるよ」
 不意にアリスがくちなしに銃口を向ける。くちなしはのけ反る。
「あ、もし出ていくなら、私をふっ飛ばさなくても出してあげるから!」
「冗談だよ」
「私だって本当の予定なら昨日にはアリスをバラして、今日はピザ取って食べて、雨が降って線量が下がったのを見計らって今日中にここを出るつもりだったんだ。荷物まとめてね」
 アリスはもう一度くちなしに銃口を向ける。
「今度は冗談じゃないよ。……どうして私はこの通り五体無事なのかな」
 今度はくちなしも怯まなかった。
「可愛かったから」
「はい?」
 アリスはくちなしが何を言っているのか理解できなかった。
「可愛かったから。言っておくけどね。私は猟奇的殺人者じゃないんだよ。こんなに可愛い女の子が目の前にいて、バラバラにしようなんて思わないよ。一緒にご飯食べたり、映画見たり、遊園地に行ったり、そういうことしたくなるでしょう? ……私は友達があんまりいないけどさ。……駄目かな?」
 なんの動揺もなく、人を喰ったような答えを早口でまくし立てた上に悪戯っぽい笑顔まで向けられて、アリスは再び毒気を抜かれてしまう。
「質問を変えよう。くちなし、保安部の人間が消されて、立川からもう一回人が来るまでにあと何時間あると思う?」
 アリスは銃口を向けたまま、また質問を始めた。
「あと二日は大丈夫だと思う」
 くちなしは立川の保安部を甘く見ているのか、意外な答えが返ってきた。
「どうしてそうなるの」
 くちなしは死体を蹴る。
「まず。この人無線封止してた。何故か。多分横田にアリスのことを知られたくなかったんだと思う。無線封止してるから立川からは生体反応を追えないんだ。この時点でこの人が死んだらすぐに保安部が追跡してくる線は消える。他にも追跡者はいるだろうし、単純に昭島に逃げたとは限らないからね」
 そして、くちなしはアリスを指す。
「もちろん。アリスに埋めてあったのも外して横田の敷地に放り込んでおいたから、発信を追っているならアリスは横田に匿われてると思ってるんじゃないかな。せいぜい今頃は今は横田と立川で折衝があって、今晩保安部の要員が返ってこないことに気がついて、会議をやり直して……」
「政治レベルの可能性は」
「第一、まだテレビを見る限りは検問をやってないんだよ。横田と霞が関。立川から霞が関の通信も多くない。つまり、アリスの正体は立川以外には今のところ秘密にできたままなんだ」
 アリスは通信記録を照会してくちなしの行動に一応の読みがあることを確認した。
「くちなしの言いたいことはわかった。ところで、何ピザを取ったの?」
「トマトソースとペパロニとダブルチーズと青唐と……」
「パイナップルは?」
 くちなしの目が光る。
「アリスもパイナップル好きなの?」
「……じゃあ、くちなしの頭をふっ飛ばして出ていくのは、ご飯を食べるまではやめておこうかな」
 アリスはくちなしに向けていた原子破壊銃を下ろし、冷蔵庫を開けて、黒い液体の入ったポットを取り出した。念のため匂いを嗅いで、めんつゆでないことを確認すると、コップに注いでそのまま飲んだ。
「残念ながらコーヒーの趣味は合わないみたい」
「じゃあ、淹れなおすよ。座ってて」
 アリスの飲んだ作り置きのアイスコーヒーは目の覚めるほど甘かった。

 もうしばらくして、本物のピザの配達員がやってきた。 
「くっちゃん。服に血ぃ付いてるぞ。また派手にやったなぁ」
 くちなしは配達員に両手を合わせて詫びる。
「おっちゃんゴメン。これも捨てといて。チップはずむから」
 くちなしは真空パックされたマスクの束を手渡して、保安要員を指さした。 
「お、アベノマスクか」
 アベノマスク。マスクの表面に描かれた当時の総理大臣の肖像からそう呼ばれる。
 マスクとして使うとただの布マスクだが、そのデザインと希少性から現在では貨幣としての価値を持っている。
 二〇七〇年代のアベノマスクの価値は日本円にして一億五千万円。約一ガロンの米と交換できる。
「あと、こいつ公務員だからマイナポイントいっぱい持ってたよ。ピザ代これで払っていい?」
「いいぞ。胴体は養豚場に下取りでいいな」
「強化義肢とかちゃんと外しとかないと豚が嫌がるからね。おっちゃんバラすのサボって、こないだ豚で重金属汚染出したでしょ」
「文句があるなら引き取らんぞ」
「えー。でも、どう処分してもマニフェストは発行してもらうよー」
「マニフェストは死体一つで書いてやろうか」
 くちなしは配達員の冗談に冗談で応じる。
「大型家電。でしょ。見ての通り」
「陸上自衛隊謹製のな。ははは」
 配達員は手書きで領収書とマニフェストを作ってくちなしに渡すと、死体を袋に入れて配達用の車に持っていった。

 ピザの配達員とのやり取りを終えてくちなしが居間に戻ってきた。
「さ、食べよう。ピザ冷めちゃう」
「最近の宅配の人はゴミの回収もやってるんだ」
「景気悪いからね。いろんな仕事をやらないと生きていけないんだよ」
「例えば、私だったら家電になるの? それとも粗大ごみ?」
 アリスは冗談めいて尋ねた。
「ダッチワイフの下取りは高値がつくから期待していいよ」
 くちなしのあまりにも下品な表現にアリスは吹き出してしまった。
「じゃあ、くちなしは?」
「私はまだ義肢や金属製臓器を入れてないから生ゴミで出せるよ」
「試してみたの? 誰かほかの人で」
 嘘か誠か、慣れているらしく、すぐに答えが返ってくる。
「ここの町内会はうるさいからね。死体に義肢が混ざってたから回収されなかったことあるよ」
 くちなしがテレビを点けると、天気予報が空間線量の予報を告げていた。
「飲み物はコーラでいい?」
「どこの?」
「セービングだよ」
「いい趣味してるね。くちなし」
 アリスは冷ややかな目をくちなしに向けた。ペプシくらいは用意してあると思ったのだ。
「安かったんだよ。アメリカ製のが飲みたかった?」
「ペルーのコーラが飲みたいな」
 アリスは意地悪のつもりだった。
「それなら冷蔵庫の奥にあるよ」
「……気が利くね。魔法使いみたい」
「それはアリスに出会う前に買ったから、本当は気が合うんだよ。私だって、なんでも袖口やポケットからポンポン出せるわけじゃないんだよ」
 不意にくちなしが眼鏡を外そうとしたのをアリスが止める。
「やめて、くちなし。私も気が合うのは信じたいんだ」
 居間に、折りたたみ式のテーブルを広げて、宅配ピザの箱を開け、缶のコーラを打ち合わせる。
「それでは、ささやかな形ではありますが。二人の出合いに乾杯!」
「乾杯」
 互いに素性は明らかにしないものの、二人とも相席した相手と打ち解ける程度には自然に笑っていた。

 食事も終わって、くちなしがアリスの今後について尋ねる。
「ねぇ、アリス。私は家に帰るけど、アリスもどこか行くアテがあるならそこまで送っていくよ。立川に帰りたいならここでお別れだけど、横田なら入る方法知ってるし。それとも他に、今のアリスが安心して暮らせるような組織なら、私も末永くお付き合いしたいかな」
「……ないよ。私は何も考えなしに出てきたの」
 アリスはようやく、一切おどけた芝居なしでくちなしが驚くとどういう反応なのか知ることができた。
「……ないの? 一応聞いてみたけど、本当にないの?」
「うるさいなぁ。私だって、何も考えずに飛び出したくなってもいいでしょ」
 アリスは眉をひそめて膨れた。
 くちなしは瞳を輝かせた。眼鏡の偏向の向こうから星が出ているようにも見える。
「そっか……。だったらさ、うちに来ない?」
 くちなしの誘いに、アリスはまずハンカチでくちなしの口元から出る涎を拭くことにした。
「くちなしが嬉しいのはわかった。本当に嬉しいとどういう顔になるのかもわかった。だからちょっと落ち着いてよ」
「やった。一緒に暮らせるんだ」
 くちなしはアリスに抱きつく。彼女は柔らかかったが、普通なら洗濯石鹸かシャンプーの匂いがするところが、服を着替えていなかったので血と潤滑油と硝煙の匂いがした。

 くちなしがしつこく迫るので、アリスはなし崩し的にしばらくはくちなしの家の世話になることになった。
「じゃあ。私も準備するから、荷物をまとめて着替えてね」
「荷物?」
「私がアリスを拾ったときに着てた服とか。処分するならここに置いておくけど」
「……一応、持ってく」
 起きてからあらゆることが急すぎて理解が追いついていなかったのだが、アリスは自分が寸足らずのくちなしのパジャマの予備を着ていたことに今更気がついた。
「クローゼットを開けてみてよ」
 アリスがくちなしに促されるままに居間のクローゼットを開けると、アリスの身の丈にあった服が一揃い準備されていた。
「服はアリスが寝てる間に頑張って用意したんだ。私の服をニコイチで合わせて丈を合わせただけだけど、どうかな」
 くちなしの言う事が謙遜に聞こえる程度には、既製服に見える出来だった。
「くちなしは手品師じゃなくて魔法使いみたいだね」
「この建物は昔かぼちゃの馬車って呼ばれてたらしいけど、私はあなたをお城に連れて行く魔法使いじゃないよ。どっちかというとそれはお母さんのあだ名かなぁ」
「お母さん。有名なデザイナーだったりするの?」
「確かにデザイナーといえばデザイナーだったかな。まぁ、無理だよ」
 くちなしの声色が変わる。
「私が殺したからね」
「ごめん。変なこと聞いちゃったかな」
 気まずい雰囲気が広がる。
「いやいや。気にしてないよ。でも、この話はまた今度ね。今はよそう」
 くちなしの目は笑っていなかった。

 アリスは一通り着替えを終えると、外に出るからと、くちなしの化粧セットを使って化粧を始めた。
「顔に迷彩は入れないのかな?」
 おどけて聞いたくちなしに、アリスが答える。
「塗って欲しい? 着てきた服のポケットに入ってるから、くちなしに塗ってあげるよ」
「冗談だよ。でもベレー帽は似合いそうだね」
「しばらくはいいかな。荷物に入れとくから、被りたかったらくちなしが被ればいいよ」
 二人が身支度を整えている間に、日が暮れてきていた。
「じゃあ、線量も落ち着いたし行こうか」
「行き先は?」
「入り口は品川シーサイド。波の下にも都がございます」
「ちゃんと生きた人が住めるところだと期待してるよ」
 くちなしはドアを開けた。

 次回予告
「それでは、くちなしの花園へようこそ!」
 遺跡と化した品川駅の地下深くに、別世界があった。
 閃光と共に焼きつくされる地上。明かされるくちなしの過去。
 人の顔に人の思い出、そして人の業を見て。アリスは何を思うのか。
 次回、死人にくちなし「ポテトサラダにリンゴを入れる女」
「汚物は消毒だあっ!」
「実際不衛生だけどさ、地下で火を焚くのはよくないよ」

二日目 ポテトサラダにリンゴを入れる女

  車のシートを濡れたティッシュで拭きながら、アリスは呆れていた。
「やっぱりやると思った」
 くちなしはヒッチハイクを装って車を止めさせて、袖から出した火薬式の拳銃で運転手を殺害。電気自動車をハッキングしてそのままドライブを始めた。
「行きもこんな感じで車を盗ったの?」
 くちなしに言われた通り、ダッシュボードに入っていたアベノマスクの束を鞄に詰めながらアリスは聞いた。
「歩いてカートを引いたよ。品川から昭島までくらいの距離なら、アリスも一日で歩けるでしょ?」
「私一人なら百二十ポンドの荷重なら、三十分あれば間に合うよ」
「だったら私を背負って走ってもらった方が早かったかな……。いや、今日の私は友達を連れてくるって決めたんだから。車で送迎しないとね」
「そういうのは自分の車で、赤いスポーツカーとかに乗って助手席を手で開けてくれるものだよ。くちなし、私にドアを開けさせたでしょ。そういうところだよ」
「それは恋人同士でやるものだよ。でもまぁそういうのなら、運転手を雇って二人で後部座席に乗る方がいいよね。自動運転が使えたらなぁ」
 二〇七〇年の二回目の戦争前は自動運転で郊外でも乗れたが、今は衛星も少なく地軸もずれており、位置のずれを補正することが出来ずにいる。
「やっぱりアリスのGPSもずれてるの?」
「ずれてるけど、星が見えるところなら、天測で補正かけてるよ」
 アリスはくちなしに能力を聞かれたら、まず高性能は鼻にかけるものだと言わんばかりの調子で適当に答えている。

 一時間に満たない旅路で二人は東に向かい、温暖化の影響で放棄された地域に入る。
「このマンホールがまだ沈んでなかったら、ここから入れるよ」
 くちなしはマンホールの蓋を開けて石を落とす。すぐに水音がした。
「人に会いたくないけど、もうちょっと西に戻ろうか。通った地下鉄の入り口があるからそこにしよう」

 いくつかの入口を試してみたが全て水没しており、その度にくちなしは足を濡らした。
 アリスがふざけて突き落としたこともあった。
「隠れ家。海に沈んでない?」
 くちなしが袖を絞りながら答える。
「そのうち近所の水族館からアクリル板でも貰ってこないとだめかもねこれだと」
「こちらが海底水族館目玉の展示品、人類滅亡後の少女二人になります。みたいな?」
「私は骨も残らないよ。でも、二人きりだったらロマンチックで嬉しいな」
「今から行くところに、他にも誰かいるの?」
「いるといえばいるし、ある意味二人きりだけど、それは見てのお楽しみだね」
 結局もう一度二駅は西に回り込んで、地下からくちなしの隠れ家にたどり着くことができた。
 途中。地上で一度人に会ったときはアリスが首を折り、地下に住み着いた人のコロニーを見つけたときはくちなしが即席の火炎放射器で焼き払った。
「汚物は消毒だあっ!」
「実際不衛生だけどさ、地下で火を焚くのはよくないよ」
 地下四百五十フィートを超えたところで、アリスにもくちなしが放棄されたリニア新幹線駅の一角を住処に改造しているのが分かった。空間をうまく隔壁にして、住居の区画が沈まないように工夫されているようだ。
 アリスのセンサーでもはっきりわかるように酸素濃度が改善されてきた。居住区に近いのだろう。
「空気がおいしくなったね。地上との通気口もないのにどうして」
 アリスの疑問にくちなしが答える。
「こっそりプルトニウムの燃料棒を持ち込んで酸素や真水の製造も二酸化炭素の排出ももう海由来に変えてるよ。燃料棒もいつまでもつかはわからないけど。最近は温暖化も悪化してるし、地下に住むにしてももっといいところに引っ越したほうがいいなぁ……」

 くちなしの居住区に入り、元はレストランだった建物の前で立ち止まる。
「ここ?」
「うちの食堂だよ。実はね。アリスが来るって私の家族に言って、ちゃんとご飯用意して貰ってるんだ。びっくりするかも知れないけど、原子破壊銃は出さないでね」
「わかった。何があっても驚かないよ」
「よし。それでは、くちなしの花園へようこそ!」
 くちなしとアリスは、扉を開けて中に入る。
 二人が入るなり、暗かった部屋にいきなり照明が点いてクラッカーが鳴る。
「はじめまして、長旅お疲れさまでした! くちなしでーす」
「はじめまして、お姉ちゃんから話は聞いています! くちなしでーす」
「はじめまして、本当にきれいな人ですね。くちなしでーす」
「はじめまして、人間じゃないって本当ですかー? くちなしでーす」
「はじめまして! ピザにパイナップル載せるとか信じられないんですけど! くちなしでーす」
「はじめまして! 酢豚にもパイナップル入れるんですか? くちなしでーす」
 アリスが見たのは、くちなしとほぼ同じ顔同じ背丈の六人の少女だった。
「くちなし、これは?」
「えへへ、実は私、クローンの七人姉妹なんだ」
「名前は?」
「みんなくちなしだよ?」
 せめて名前をちょっと弄ってなんとか松とかで区別してよ。とアリスは内心イラついたが、今回は顔に出さない。
「番号とかで読んでるの?」
 くちなしは理解できないような顔で首を傾げるアリスに釘を刺す。
「アリスは自分が番号で呼ばれて嬉しい?」
「ごめん、でも、それだとどうやって呼び分けて見分け付けてるの」
「くちなしとお姉ちゃんだけで通じるけど……」
 くちなし達の姉妹特有の距離感を持って来られても、アリスが対応するのは暫くは難しそうだった。
「髪型とかは……?」
「好きな髪型から蓋然性を高めていくやり方よりも、総合的に学習したほうが早いよ」
 くちなしは機械に機械学習をするように促した。
「うう。慣れるまで時間かかりそう……」
 くちなしが嬉しそうにする。
「……慣れるまで居てくれるんだ?」
「今のところは、ね」

 くちなしとアリス、そして六人のくちなしの妹達で食卓を囲む。
 手足が四本ずつある鶏。ネオケンタッキー種を二羽ばらしてフライドチキンとから揚げと焼き鳥と皮ポンが作られていて、他には春巻きと酢豚とポテトサラダが盛られていた。
 なお、酢豚にはパイナップルが入っているものといないものの二種類が丁寧に用意されており、ポテトサラダにもリンゴとレーズンが入っているものといないものの二種類が用意されていた。リンゴ入りのポテトサラダは砂糖と生クリームを使った最早別次元の食品と化していたが。
 隣に座ったくちなしの妹がアリスに尋ねる。
「酢豚とポテトサラダはお姉ちゃんしか食べないのを作ったけど、アリスさんの家でもポテトサラダにリンゴとレーズン入れるんですか?」
「え、酢豚は甘いほうが好きだけど、ポテトサラダは聞いてないよ」
 アリスは不意に冷淡に接してしまった。
「でも、二人分作りました……」
 くちなしの妹の表情が曇る
「大丈夫。私もそっちのポテトサラダ食べるから。妹さんは気にしないで」
「アリスさん。私もくちなしです。くちなしってちゃんと呼んでください」
「わかった。……くちなしさん。ごめんなさい」
 とりあえず、この個体は丁寧語で喋ると確認した。
 各々が席について、くちなしがアリスを六人の妹に紹介する。
「えー、今日久しぶりにみんなで集まって貰ったのは他でもありません。うちに家族が一人増えました。人工知能付き第三世代完全義体のアリスちゃんです!」
「「「「「「おー」」」」」」
 六人同時に歓声を上げた。
「じゃあ、アリスを歓迎いたしまして、乾杯!」
 なお、乾杯に使われたコーラはセービングであったため、各々は大変つらい思いをした。
 乾杯を済ませてすぐ、くちなしの妹たちは活発に議論を始めた。
「軽井沢はどう? 標高も高いし暮らしやすそうだよ」
 一人のくちなしが提案すると、別のくちなしが
「人が多いよ。ラボを建てるときに近所の人と揉めるのはよくないんじゃない?」
 すぐにまた別の案が現れる。
「房総島とかどうかな。もう人は住んでないし、重機も探せば見つかると思うんだ」
 アリスは恐ろしいことに気がついた。この六人は「姉の友人」である自分に対しては等しく敬語口調で話しかけてくるのではないか? と。
「アリスさんはどう思いますか」
「えっ。そうだね。私は……」
 部屋中に警報音が鳴った。場の全員に聞き覚えのある警報音。
 アリスはP波検知センサが作動した。ただし震源が近すぎる。
 緊急地震速報。二十一世紀初頭に確立したシステムの生き残りから振動を検知した旨が各々の通信機に入る。続いて波打つ揺れ。断続的に波打つ揺れ。
 くちなしの妹達も慣れたもので、揺れによって食卓に被害が出なかったし、原子炉や電気系の復旧にもすぐに取り掛かり始めた。
 くちなしが慌てる。
「冗談でしょ……」
「くちなし。地震じゃないのこれ」
「いや、それはね」
 言いよどむくちなしに、アリスは疑問をぶつける。
「私、ここが昔の駅構内だからラジオくらいなら受信できるんだけど、まさか核兵器で横田と立川をふっとばしたりしてないよね」
 散っていた六人のくちなしたちから羨望の眼差しがアリスに注がれる。
「「「「「「ラジオを聞けるの!? すごい!!」」」」」」
「昔の携帯電話みたいですね! やっぱりスターリンクに繋いでインターネットできるんですか?」
「くちなし、構内だからってことはラジオ波だよ。ここじゃあ関東圏のラジオくらいしか聞けないよ。……でもアリスさん! 地上なら短波とかも聞けるんですか?」
「米軍のデータリンクと接続できる超歩兵だよ! そうですよね!?」
 矢継ぎ早にくちなしの妹たちから投げかけられる質問に、アリスは困惑する。
「ええと、短波は大丈夫だけど、衛星放送はキャスカードを入れてないから解析に時間がかかって……。データリンクは……」
 矢継ぎ早の質問に戸惑うアリスを見かねて、くちなしがアリスから妹達を引き剥がす。
「はい、みんな。ちょっとお姉ちゃんがアリスと大事な話するから、それぞれ復旧作業だよ」

 くちなしが気まずそうな顔をしている。
「ゴメン。ひとつ抜けてた。アリスが意識ない間に発信機以外に反物質炉も抜いてあの部屋に置いてきた」
「どうしてそんな事を」
「テレビを見たらわかるよ」
 大昔の駅のスクリーンを転用したテレビを点けると、NHKの緊急特番が報道されていた。報道が大阪放送局に切り替わっている。
 報道の内容はラジオ以上に凄惨な内容で、アパートがあった昭島から半径十五キロが黒く塗りつぶされていた。これは消滅を意味する。また、多摩地区の生存者は絶望。関東全域は高濃度の放射能汚染が予想されると報道されている。
「これ、アリスが予想したみたいに横田の核貯蔵庫も誘爆してるなぁ。私が爆発するようにいじったとはいえ、アリスじゃなくて反物質爆弾を兵器にしたほうが使えるんじゃないの?」
「それだと威力が大きすぎるでしょ」
 アリスは自分の腹を撫でながらくちなしに答えた。
「じゃあ、あの宅配のおじさんも……」
「結構付き合い長かったけど、しょうがないね。大丈夫きっと生きてるよ」
 くちなしはもう関わり合うことのない人間だったと切り替えて、適当に返す。
「それで、どうしてこんなことを」
「アリスから発信機を外すとき、ブラックボックスだったから自爆用の爆弾だと思ってて。付けてたら危ないから外して、証拠隠滅用の爆弾に括り付けて置いといたんだよ。言っておくけど、吹っ飛ばすのは部屋だけのつもりだったんだよ」
 アリスは唖然としてテレビの画面を眺めている。海外の電波は地下深すぎで拾えないが、基地局経由の関東圏のラジオ放送では放送局全てがパニックを起こしていた。
「ねぇ。くちなし」
「なあに?」
「これBS放送だけど、くちなしってNHK払ってるの」
「もちろん! 居留守使ってるよ」
 アリスの冗談にくちなしは冗談で応えた。

 災害速報を肴に一通り飲み食いした後、くちなしたちは興奮冷めやらぬままそれぞれの部屋に戻った。引っ越しの適地は線量が下がり次第、各地に分かれて探すことになった。
 ベッドの準備がなかったので、アリスはくちなしの部屋に泊まることになった。
 くちなしが眼鏡を外そうとしたのを慌てて力づくで止める。
「自分の目が凶器だって、たまに忘れてないかな」
「ん。コンタクトはさっき外したよ?」
 アリスは拍子抜けした。
「コンタクト?」
「言っとくけどさ。私はなんだかんだ普通の人間だから。なんの小細工もなしで目からAIをバシバシ停めていくようなパルス波を出せるわけないよ」
「なるほど、種も仕掛けもあるから手品師か……。そういえばさ、私が気を失ってる間に私を解析してたよね。私のデータは使えそうなの?」
 くちなしは不満そうな顔を作った。
「外見を好きにデザインできるようになりそうだから、私がただ生きていくだけなら満点だよ。ただ、アリスは電脳義体だからアリスのデータじゃ私の脳の寿命が伸びなくて。今ひとつだけど。」
「それじゃあ、くちなしは脳を義体にしたりしないの?」
 アリスの問いに、くちなしの目が厳しくなった。
「それは、テセウスの船のようでテセウスの船じゃないんだ。例えば私の脳を電脳化して、アリスみたいな超高性能義体に移すでしょ」
「うん」
 くちなしの白い顔がいつもより白く見えた。
「残った生身の人間の方が私だよ」
 何も言えなくなったアリスに、くちなしは「また今度」の話を始めた。
「私は……。いや正確には最初に延命を始めたのは私の「お母さん」だけどね。お母さんも不老不死になりたかったんだ」
 自分たち以外の誰かに話したかったのだろう。アリスは相槌を打つ。
「だからあなたの名前は朽ち無し?」
「そう。お母さんは自分の複製を作って、自分の記憶を転写する装置を作って、自分自身を複製し続けることで、永遠に生きようとしたんだよ」
「ありがちな話だけど、わからないのは、それだとくちなしがお母さんを殺す理由にはならないよね」
 くちなしは引きつった笑いを浮かべた。
「お母さん。年取ったら死ぬのが怖くなったんだ。手っ取り早く自分の複製と身体を入れ替えようとしたんだよ。脳が保たないのに。……妹とお母さんを天秤に掛けた私は、めんどくさいからお母さんに麻酔かけて、そのまま焼却炉に突っ込んで埋立地に捨ててきた」
 くちなしはため息をついた。
「はい。おしまい。辛気臭い話はやめ。もっと景気のいい話。しよう」
 アリスは脱柵してからしばらく考えていたことを打ち明ける。
「私には夢があるんだ」
「おお、キング牧師みたいだ。ロボットの人権を非暴力で勝ち取るのかな?」
 くちなしはいつもの調子を取り戻したのか、棘はあるが合いの手をしっかり入れてきた。
「私が生まれた工場をぶっ壊す」
「マルコムXになったね。まぁロボット・パワーも悪くない」
 さらにくちなしは別のところに興味を持ったらしい。
「ん。ちょっと待って。工場ってことは、アリスと同じような子がいっぱいいるのかな」
「そうなるね」
 くちなしはしばらく黙ったと思うと、鼻からつうと赤い線が伸びた。
「なにそれ、楽園?」
 アリスがベッドサイドからティッシュを取ってくちなしの鼻血を拭く。
「くちなし、落ち着いて。私がいっぱいいるわけじゃないから」
 くちなしは顔を紅潮させてアリスを翻意させようとする。
「やめよう。勿体ないよ。裸のアリスがいっぱい培養槽に浮いてたり、人生に疲れる前の素直なアリスが学校みたいなところでいっぱい勉強してるんでしょ。そんなところ燃やしたら失楽園だよ」
 ここは説明と多少の妥協をしないと、むしろ阻止しに来そうな勢いがあった。
「くちなしと同じ感覚で言わないで。改良もされてるだろうし、多少は個体差があるから」
 くちなしは顔をしかめた。
「個体差か……でも、一人くらい連れてきてさ、私の好みに教育してさ」
 くちなしの妄想が止まらないので、アリスは悪ふざけでくちなしの首に手をかける。
「そんなことしたら、私妬いちゃうかも」
 くちなしの白い顔は、義体の話をしたときよりも更に生気がなく、青白く見えた。
「ごめん。そんなつもりじゃ」
 アリスはくちなしの首からすぐに手を離す。
「手じゃないよ……。手じゃないの。本当に手が怖かったら。切断してるから」
 くちなしが涙目で天を仰ぐ。
「私。本当にアリスが好きなんだなって……」
 アリスはくちなしの額と自分の額をくっつけて囁く。
 アリスとしてはくちなしに好かれるのは嬉しいが、正直なところ面倒なので早く落ち着いて寝たい。
 であればこうする。
「ねぇ。くちなし。私もくちなしが好き。って言って欲しい?」
 くちなしは激しく頷いた。アリスはくちなしの耳元でさらに小さく囁く。
「好きだよ。くちなし」
 落ち着くと思ったが裏目に出た。くちなしはさらに大声で泣き始めた。

 くちなしが落ち着いた後で、セミダブルのベッドに二人で横になる。
「私は床でもいいのに」
「嫌。ここにいて。……手伝うから」
 アリスは何を手伝おうとしているのか、と一瞬考えたがそういえば工場を破壊する話をしていたことを思い出した。大いに手伝ってもらおう。
 流石に少し狭いので、アリスはくちなしに遠慮して背を向けるように横になった。
 くちなしが背中にしがみつく。アリスが勝手にいなくなるのを恐れているのだろうか。
 アリスは自然に寝返りを打った体をする。くちなしは逃さずにアリスの懐に潜り込む。
「ずっと起きてたでしょ。……おやすみなさい」
 頷いた今日のくちなしからは、シャンプーと洗濯石鹸の匂いがした。
 今は寝間着一枚。手品師を自称した彼女は、小道具も小細工もなく、見捨てられまいとするように強くアリスにしがみつく。
 アリスは空いている腕をくちなしの肩に載せて、そのまま深く考えないようにした。


 次回予告
「やりました! 私くちなしは、あの工場で働く掃除のおばさんのIDを二つ入手しました!」
 見事第三世代の強化人間の製造工場に潜入したくちなしとアリス。
 そこではアリスの妹たちが杜撰な管理体制の元で次々と生産されていた。
 やがて工場に迫るのは旧世代の強化人間達。
 くちなしたちは果たして生きて帰ることができるのか?
 死人にくちなし 最終日「そうめんにみかんを入れる女」
「アリスは「私はロボットではありません」にチェック入れられるでしょ?」
「今は自信ないなぁ……」


※お詫び
今回の物語において登場人物複数名で入浴をしておりましたが、当該シーンにつきましてはくちなし氏による厳重な抗議を受け削除いたしました。

最終日 そうめんにみかんの缶詰を入れる女

  どうやって中京に向かおうか?
 先日乗り捨てた電気自動車はまだ品川駅の地下駐車場に残っていたので、地下駐車場の清掃と洗浄を行って、長距離走行ができるように改造する。
 特に、避難しようとして事故を起こし通路を塞いだ車や、地下に逃げ込んだものの急性放射線障害で死んでいた近隣の住民を片付けなければならなかった。
 流石に線量が尋常ではないため、掃除と洗浄には原発用の重機を使うのだが、生存者が邪魔だったのでアリスとくちなしが防護服を着て排除せざるを得なかった。

 東海道を西に向けて走る車内では、退屈しのぎにアリスがラジオで歌番組を受信して歌を歌っている。
「歌番組終わっちゃった」
 くちなしがおもむろに手を叩いて口笛を吹いて絶賛したのでアリスが慌ててハンドルを取る。
「歌、上手だね」
 車を助手席から操作しながらアリスは説明する。
「お手本があるから。でも、声は模倣しないし、知ってる曲で音がズレてるのを補正してるのと、歌唱力の再現まではできないよ。演歌はやめといたほうががっかりしなくていいかな……。さて、他の周波数帯から短波なんかの国際ニュースも探してるけど、核爆発の話ばっかりだよ。アメリカの核実験説VSコミンテルンの陰謀説とか繋ごうか」
「うえ、アリスが気合い入れて陰謀話するの見たくないよ。じゃあさ、アリスの話ししてよ」
 くちなしに促されて、アリスは一度くちなしの目を見る。くちなしは無言で頷く。
「いいよ。この間はくちなしの話を聞かせてもらったし、今日は私の話をしようか」
「待ってました!」
 くちなしは手を叩く。アリスは慌ててハンドルを取る。
「ええと、くちなしはご存知の通り、義肢で人体を補強した強化人間が第一世代、神経系以外を置換した強化人間の第二世代に代わる、私は第三世代の人工知能付き完全義体な訳だ。納品先は陸上自衛隊」
「普通の軍人さんの第一世代、お笑い芸人みたいな思考力にどう考えても制御できてない暴力を積んだ第二世代を超える、額面通りなら失敗しない血も涙もない殺人マシン。でしょ。私もアリスを拾うまでその認識でいたよ」
「うん。私もくちなしみたいに人を殺すのに躊躇いもない子ならどれほど幸せだっただろうね。現実は残酷だった。私は高性能AIにくちなしよりはまともな倫理観を与えられているんだ」
「なんでそんなことを。ロボット三原則付けないならやりたい放題でしょ」
「私を高級士官として運用するつもりだったから。美人の女の子なのは広報もやらされそうだったから。で、立川で半年間戦闘テストと実際に倫理的な振る舞いができるかを試して、ようやく任官できそうなところだったんだ」
「じゃあ、どうして逃げ出したの?」
「ひとつは、名前を公募で変えようって話になったからと……」
「あ、それわかる。変な名前つけられて自分で選べないやつでしょ」
 アリスはくちなしを一瞬だけお前が言うなよという目で見た。
「もうひとつは、先が見えちゃったから」
 アリスは車窓から遠くを見る。
「先?」
「例えばさ。私が成功するとする。すると私をベースに妹が量産される。となると百年もしないうちに自衛隊とか警察は私達で一杯になって、その後は公務員なんかも私達に置き換えられていく。第三世代とか以降の人工知能付き完全義体だと、その時代まで私の寿命はありそうだったから。体の中に埋めてあったのが反物質炉なら、もっと長い期間働かされる事になる。そんな時代なら私は何をやらされると思う?」
 くちなしが迷わずガッツポーズをキメる。アリスが慌ててハンドルを取る。
「やった。アリスちゃんによる世界征服」
「めんどくさくない? それ」
 くちなしが口を三角に歪める。
「ロボットがめんどくさいとか言っちゃだめでしょー」
 アリスは露骨に嫌そうな表情を作った。呆れた。とは言わなかったが。
「世界征服するとか完全管理社会を作るとか人類抹殺するとか、外惑星探査とか、宇宙人と戦争とか、物価対策で自分の顔をマスクに印刷して配布するとかしないとか、やらされる人の身にもなって欲しいんだ」
「いやだって人じゃなくてロボットだし」
「そう、私はそれが嫌になった」
 くちなしは頭を抱えた。
「私が知る限り機械の反乱理由としてもっともくだらない内容なんだけど」
「ロボットにだってくだらない自由を得る権利だってあるよ」
「例えば?」
 アリスは自分が何を言って、くちなしがどんな反応をするか予想できたので、先にハンドルを取った。
 耳元でそっと囁く。
「色恋とかしてあげようかな。二股とか掛けてさ」
 軽口が原因で危うく心中になるところだった。

 中京地域にたどり着いて、工場の近くのコンビニに停車して充電がてら休憩する。スターリンクが生きている時間帯であったので、車からインターネットに繋ぐ。工場の衛星写真を入手して、アリスの持っている内部情報と突き合わせる。
「コーヒーとカツサンド買ってきたよ」
「ありがとう」
 アリスはカツサンドを一口かじる。
「このソース、コクがあっていい感じだよ。デミグラスかな」
 気に入ったらしい。
「味噌カツだよそれ」
 黙ってコーヒーを口に含む。
「もっと味噌汁みたいな味がすると思ってた」
「あれ、でもアリスはこの辺の出身だよね」
「食堂のご飯は低予算で美味しくなかったんだよ。味噌汁も合わせ味噌だったし……。立川の営内の方がマシだった」
 くちなしはフルーツサンドとでら甘のミルクコーヒーを取り出して頬張る。
「それで、どんな様子なの」
「工場の重火器ナシ、装甲車両ナシ。最寄りの駐屯地からは関東へ災害派遣中……。正面から行っても勝てなくはないけど、芸がないかな」
「それなら私にいい考えがあるから、もうちょっと時間潰しててよ」
「なにか思いついたの?」
「期待していいよ」
 得意げにくちなしが出ていってしまったので、アリスは車の中でインターネットサーフィンをして時間を潰した。
「あれ、私が教育隊で訓練してるうちに大阪の首相が新世界創造党の吉本喜劇王に変わってる……。久しぶりに現役の頃のコントでも見ようかな」
 大阪ではコメディアンが昔から名士として尊敬されているので、参議院議員や首長を度々排出している。二〇七〇年代でもこの傾向は変わらず、通天閣の再建を掲げコメディアンが代表を務める新世界創造党が大阪の与党である。
 くちなしが帰ってくるまで、アリスは不法試聴サイトで吉本喜劇王のコントを延々と見続けていた。

 夕方になろうかという頃に、くちなしが帰ってきた。
 くちなしは胸を張って紙のタイムカードを二つ差し出す。アリスも見たことのある工場の入門証だ。
「やりました! 私くちなしは、あの工場で働く掃除のおばさんの入門証を二つ入手しました!」
 早業。アリスの表情は引きつっている。
「どうやって手に入れたかはもう聞かない……」
「そんなー。ちゃんとアベノマスクの束と引き換えに入門証を貸してもらったんだよ!」
「その後は?」
 見透かしたようなアリスの冷たい視線を受けて、くちなしの瞳孔が引き締まった。
「自分の勤め先の入門証を売るような女。誰に何を喋るかわからないじゃん。その場でバラしてトイレに流した」
 予想通りの結果にアリスは顔を手で覆い、呆れた。
「あーやっぱり。聞かなきゃよかった」
 くちなしは人の悪そうな顔を作ってアリスに囁く。
「でも、これ使うでしょ?」と……。

 くちなしとアリスは夜勤の掃除業者としてロボットの生産工場に潜入した。アリスは顔が割れているかもしれないので、マスクをしている。
「いやぁ、今日はキャンセルが多くて大変だよ。君たち二人で工場を全部回ってもらうことになるけど、大丈夫かな」
 工場の当直主任が頭を抱えてくちなしとアリスに頼み込む。キャンセルが多い理由はアルバイト職員の家族を割り出して負傷させたからなのだが、この鈍い男に気がつくことはない。
「いえ、毎日お給料をいただけてありがたいです」
 くちなしが笑顔を作って媚びるように答えた。
「本当ならお給料をもっと出さないといけないんだけどねぇ。うちもお金ないから。じゃ、僕寝るから。起こさないでね」
 馴れ馴れしくくちなしの肩を触りながら語りかける当直の主任は間違いなく長生きできないだろうな、とアリスは呆れていた。
 
 掃除業者と言っても、基本は夜間の清掃時間に見回りを行うことと、不良動作を起こした清掃用のロボットを確認。問題があればロボットのメンテナンス業者に通報する。
 もし人力で対応しなければならないような汚染があったときのために掃除用具を渡されている。
 二人の目的は工場の破壊であるので、そんなことはどうでもいい。
(なんかさ、普通に食品工場みたいな作りなんだけど)
 念の為、二人は小声とハンドサインで会話をしている。
(それだけ衛生的なんだよ、監視カメラは?)
(主任寝てるから大丈夫だと思うけど、それ以上に私の目を見て監視用AIがまともに機能するかな)
 アリスの顔色が曇る。
(この話聞くたびにさ、私がくちなし好きなのが嘘くさくなるんだけど)
 くちなしは口を三角にする。
(えーでもアリスは「私はロボットではありません」にチェック入れられるでしょ? 大丈夫だよ)
(今は自信ないなぁ……)
 培養槽のエリアに到着した。くちなしは裸で浮いているであろうアリスの妹を血眼になって探したが、すぐに落胆に変わった。
(うわ、グロすぎ。可愛くないよぉ……)
(このロットはまだ皮を貼ってないみたいだね)
 くちなしが管理用の計器を弄って架空の数字を吐き出すように調整した後で、投入口に白い粉を入れていく。
(何入れてるの?)
(塩素系漂白剤、掃除入るときにもらったやつ)
(……肌荒れしそう)
 アリスは顔を掻く。
(まだ皮貼ってないから大丈夫だよ)
 製造中のアリスの妹たちを一網打尽にする。

 たまたま巡回に来た警備員に出会ったので、所業が見つかってはいないがその場で半殺しにする。武装を確認したところ、拳銃すら持っていなかった。
「ちょっと、警備員の武器がしょぼいんだけど」
「ここはあくまでも民間の工場だからね。私のテストも兵器は立川に行ってからだし」
 一通り細胞培養の生産工程にでたらめな化学薬品を注入して、フレーム生産用の旋盤を工場出荷時の設定に戻したところで、二人は工場建屋の外に出た。
「これで、ひと仕事終わりかな」
「まだだよ。まだこっちに残ってる」
 アリスはくちなしをさらに奥に案内する。
「くちなし。あれが、私が教育を受けていた試験棟だよ」
 そう言うと原子破壊銃を最大出力で社員寮と思しき建物に撃ち込む。建物には大穴が空き、まもなく倒壊した。
「動ける子がいたなら、今のでみんな死んでると思う」
 くちなしの呼吸が乱れる。
「反物質炉積んでなくてよかった……」
「そっか、反物質炉があった」
 アリスはくちなしの呼吸が落ち着くのを待たずに駆け出した。
「待って! 止めて!」
 くちなしはまだアリスと心中するつもりはない。慌ててアリスを追いかける。

 居住棟が吹き飛ばされて慌てて出てきた工場の警備員や当直の職員を尋問して腕を折り、足を砕きながら、反物質貯蔵庫を目指す。この工場は民間の施設であるため、殺傷能力のある武器はほとんどない。
 警察官が駆けつけるまではまだ時間はあるし、そもそも愛知県警は対戦車ミサイルや迫撃砲を所持してはいない。
 アリスと戦うならば、この工場の重機や電工工具を使って、殺す気で戦う方がまだ可能性があるだろう。
 しばらくして、遠くから銃声が聞こえてきた。くちなしがヘンゼルとグレーテルの小鳥のように、アリスが負傷させた警備員や職員を尋問しては撃ち殺しているのだ。
「グレーテルは魔女のおばあさんをかまどに叩き込みました……。か、間に合いますように」
 この工場の設備がある限り未来は変えられない。追いつかれる前にこの工場を爆破する。

 工場の敷地の一番奥の建物が反物質保管庫として運営されているらしい。原子破壊銃の射程まで来たところで、アリスは狙いを定めた。
 何者かが横から不意にアリスに飛び掛かる。
 原子破壊銃は保管庫には命中せず。流れ弾が工場外に飛んで近くのショッピングセンターにきれいな大穴が開いた。
 まだ一発は撃てるはず。
 その前に邪魔者を片付けなければならない。
 アリスは襲撃者の顔を見た。
 金の巻き毛、豊満な体躯をぱっつんぱっつんに着ているのは会社のロゴが入った工場支給のダサいシャツ。下に履いているのは作業着のズボン。アリスはその顔に見覚えがあった。
「ヘレナ……駐屯地指令にコブラツイストをキメて解体処分された筈じゃないの?」
 ヘレナと呼ばれたアリス以上に顔のよくできた女は答える。
「お生憎様だなアリーシャ。この通り再教育中だ」
「試験棟にはいなかったの?」
 ヘレナは鼻で笑う。
「消灯時間なんて馬鹿らしいもの、誰が守るか。そんなことをしていては近くのコンビニで早売りの漫画を立ち読みできないではないか」
 アリスは会社がヘレナを解体処分にしない理由が全くわからなかった。そのせいでひと仕事増えているのだ。
「ヘレナ。悪いことは言わない。この場でダッチワイフとして下取りに出されたくなかったら、さっさとそこを退いて欲しいな」
「ふざけたことを言うな、後ろの貯蔵庫を爆破されれば、どこにいても同じだろうが」
「つまり答えは変わらないということかな?」
「その通り、アリーシャ。お前を粗大ごみにしてやる。……姉より優れた妹がいるものか」
 ヘレナは自分が機械であることを全く無視した発言とともに殴りかかる。
 アリスはカウンター狙いで身構えた。

 くちなしが片っ端から警備員や当直の職員を射殺しながらアリスを探す。
 ようやく反物質貯蔵庫の近くまでたどり着いたくちなしが見たのは、腕を折られてヘレナに羽交い締めにされているアリスの姿だった。
「アリーシャの命が惜しいなら、私の言うことを聞くんだな」
「人質を取るのは卑怯だよ」
 くちなしは袖から何を出そうか考えあぐねている。今日この工場に殴り込むことを決めた時点でアリスと同型のロボットに致命傷を与える武器はいくつか想定してあるが、アリスと同型のロボットを粉砕するような威力のある小道具は、特に飛び道具なら近くの反物質貯蔵庫に致命的なダメージを与える可能性がある。間合いを詰める方法はないだろうか。
 ヘレナは要求する。
「いいか、まずは貯蔵庫の破壊はやめろ。さっさと帰れ」
 間合いを詰めるよりも、話し合いで解決したほうが話が早そうだ。
「なるほどわかった。じゃあそうする。だからアリス返して」
「思ったより物分かりがいいな、あと」
「まだあるの?」
「私を連れて行け」
 くちなしは首を傾げた。首から下は抱き心地が良さそうだが、巻毛は嫌いなのだ。あとアリスを負傷させたのは絶対に許さない。
「ここを守ればおまえは満足じゃないの?」
「これを聞けばわかる」
 ヘレナはアリスの頭をガンガン叩いてラジオをチューニングするように促す。
「おまえも同型なら、ラジオくらい受信できるんでしょ。アリスを痛めつけるのはやめて」
「嫌だ。ラジオを聞かせるのは、イタコ芸みたいで格好悪いんだ」
 くちなしはヘレナが着ているクソダサい会社支給の服よりマシだと思った。
 半ば機能が止まりかけたアリスが、受信したニュースを読み上げる。
「……次のニュースです。本日未明、大阪府の吉本喜劇王首相は緊急会見を開き、東海府が大量破壊兵器を製造、備蓄しているとの認識に伴い名古屋の武装解除と当該施設の明け渡しを要求しました。……大阪の吉本です。大変なことがわかりました。大阪のみなさん、今、大阪は名古屋に狙われています。名古屋は核兵器を作って、大阪を東京みたいに消滅させようとしてるんです。大阪のみなさん。僕は大阪を守る義務があります。手荒なことをしているように見えるかも知れませんが、今回だけは勘弁ください。すんません」
 アリスが関西弁に詳しくないのか、吉本喜劇王の喋りはエセ関西弁のイントネーションになっている。
「へえ。誰かがこの工場のこと、大阪府に密告したんだ」
 くちなしは髪よりも白々しく驚いてみせた。
「あいつらはまず間違いなく第二世代の強化人間で編成された空挺を送り込んでくる。あんなお笑い芸人みたいな連中とやり合うのは御免被るし、原子破壊銃を気兼ねなしに連射するあいつらがここの設備を無傷で確保するのは不可能だ」
 くちなしはもうひとつ確認をする。
「言いたいことはわかった。でもね、私も危ない橋は渡りたくないんだ。反物質炉は積んでないよね」
「それは恐らく、関東の爆発の次の日に抜かれた筈だ」
 ヘレナはシャツをめくる。アリスから反物質炉を摘出した場所と同じ位置に、まだ手術痕が残っている。
 くちなしは嫌々妥協する。よし、隙があればこいつはいつでも解体できる。
「わかった。おまえ一人ならここから出してあげる。だから、アリスを返して」
「話のわかるやつだな。長生きできるぞ」
 ヘレナはアリスをぞんざいに放り投げる。くちなしは地面に打ち付けられたアリスを起こす。
「アリス。大丈夫?」
 手足を折られてぞんざいに打ち付けられたアリスは苦痛に顔を歪めながら、くちなしに謝る。
「ごめん」
 くちなしはアリスを背負う。
「いいよ。私もアリスも生きてる。私を巻き込んで死のうとしたのはちょっといただけなかったけどさ」
「ごめん。くちなしのこと考えてなかった」
「いいよ。私も完璧じゃないし、アリスも完璧じゃない。それだけ」
 アリスは苦笑いする。
「耳が痛いな」
「アリスが知ってる完璧なロボットは私のところに来てくれないじゃない。私は、欠陥上等でも私のところに来てくれたアリスが好きなんだよ」
「違いないな……」
 損傷が大きかったのか、そのまま一度機能が止まってしまった。
 ヘレナを先に行かせて都合よく弾除けにする筈だったが、何人か逃げてきた体の警官だけだった。愛知県警の通常の警察官は火薬式の拳銃しか持っていないので、即座にヘレナに殴り殺されて終わる。
 工場の駐車場から銃撃音と爆発音が聞こえる。
「早いな。大阪の連中はもう来たのか」
 ヘレナが焦る。
 続けて、幻想交響曲が聞こえる。くちなしは事前に決めていた符丁であったので安心した。
「いや、私のお迎えだね。断頭台への行進、サバトの始まりだよ」
 駐車場に出た三人は凄惨な現場を目撃することとなった。
 警察車両の大半は上からミニガンの掃射を受けて破壊され、電池爆発を起こし、リチウムを撒き散らして工場周辺を燃やしている。そこに生存者はいない。
 大音響で幻想交響曲を流しながら、ヘリの上からくちなしの妹の一人が手を振る。
「お姉ちゃん!間に合った!?」
 くちなしはハンドサインを出しながら応答する。
「降りれそう?」
 ガンナーをしていたらしいくちなしの妹が大声で返答した。
「燃やしすぎて降りれないよ! 引き上げる!」
「わかった! 先にアリスを上げて。あと荷物、ちょっと増えるよ」
 ヘレナは腕を組んで、アリスが釣り上げられていくのを眺めている。
「持つべきものは妹だったということか……」
「自分の妹を半殺しにしといてよく言うよ」
「おいおい、私がアリーシャを半殺しにしていなかったら。君も死んでいたぞ? 感謝するべきだな」
 くちなしはアリスが機内に入ったのを見届けると、眼鏡を外してヘレナに笑顔を向けた。
「そうだね。修理用の部品が手に入ることもなかったかな」
「なにっ」
 強制的に機能停止シークエンスに追い込み、反撃不能にした後で袖から糸鋸を引き出してヘレナの首を切断。驚くヘレナの頭が地上に落ちる前に両手足を切断して再起動からの反撃を防ぐ。
「おまえを殺すのなんて手の届く間合いに来れば簡単なんだよ。でも、私はね。アリスが見てる前で手の内を晒したくなかったんだ。ほら、誰だって。好きな人に見られたくない姿とか、あるよね?」
 ヘレナの顔の残骸を執拗に踏みつける。
「くちなし! 保管ケース下ろして! 一人キャンセルになって持って帰るものできたから!」
 トランクケースを下ろさせてヘレナの残骸を顔以外回収して、最後に自分もヘリに乗り込む。
「それとさ、あんまりいろんな人に私のことを知ってて欲しくないんだ。死人にくちなし。わかるかな?」
 ヘリに乗るハシゴの上で、ヘレナに別れの言葉を投げた。

 BGMを止め、爆発に備えて東へ向かうくちなしのヘリからも、大阪からの侵略者が工場に向かっていくのがわかった。
「あれは」
 朝日に向かって飛ぶ輸送機からパラシュート無しで次々と飛び降りている。高度が高すぎて着地に失敗している個体もいるが、義体の性能が高いのか相当数が無事に着陸し、近くの駐屯地を襲撃、一部は工場に侵入し始めた。
「大阪の空挺だよ。工場を確保しに来たんだ」
 くちなしとガンナーをしていたくちなしの妹が軽口を叩き合う。
「やっぱりアリスに妹が増えるのかな? 今度は関西弁の勉強をしないと」
 くちなしがアリスを見ると再起動に成功したのか、左腕一本で這おうとしていた。くちなしはアリスを引き起こし、肩を貸してヘリを操縦しているくちなしの妹の隣まで連れて行く。
「パイロットくちなし。進路北東。目標は国道一九号。国道見つけたらできるだけ遠くに行こう。東より北東。山の中の国道を縫って長野に入ったほうがいい」
「アイサー!」
「戻らなくていいの?」
 くちなしがもう一度確認する。
「死ぬなって言ったのはくちなしでしょ? とりあえず。安全なところに着いたら修繕して欲しい。ヘレナに締められてフレームがズレてるんだ。それから、あの飛行機に大阪から通信したような雰囲気で繋げられないかな? 私に考えがある」
 アリスが何をしようとしているかピンと来なかったが、くちなしは可能であることを確認した。
「無線の周波数はわかる? ならこのヘリから飛ばしてみよう」
 ヘリの無線装置から空挺部隊の輸送機に通信を試みる。
 アリスは得意げな顔して、くちなしにウインクした。
「くちなしが手品なら、私も芸を見せないと。アリス。声帯模写行きます」
 受話器を取ると、アリスは吉本喜劇王そのものの声、アクセントで話し始めた。
「僕や。首尾はどないや」
 司令官が応答する。AIによる機械音声だとは疑わないようだ。
「喜劇王さん。ごきげんよろしゅう。ぼちぼちです。何か問題でもありましたか」
 司令官のマイクが「二番機がやられました! 荷電粒子砲です! 名古屋は七〇式を持ってきています!」「守山に降下した部隊は苦戦しています!」などという音声を拾う。
 アリスはねちねちとした吉本喜劇王独特の口調で続ける。
「問題も問題。大問題や。あの施設、接収で話進めてたやろ。あれは爆破に変更や」
「爆破……ですか」
「せや。ポーンよポーン。あんなん抑えても、なんの値打ちもあらへん。それよりもな、いっそ更地にしてしもて、名古屋の連中に僕らの凄いとこ見せつけてやらな」
 アリスは気圧される司令官に畳み掛ける。
「これからの日本の首都は大阪になるんやから、な。わかるやろ。大大阪を復活させて、通天閣の高さを倍にしよう言うたやないか。そのためにはな、やることは、やらな、アカン」
「承知いたしました。そっちからもよう見えるように花火あげまっさかい。期待してください」
 司令官は工場に何が貯蔵してあるか知らずに大見得を切った。
「苦戦しとるみたいやけど、工場だけでも爆破するんや。頑張りや」
 通話を切った。
 ガンナーをしていたくちなしの妹が手を叩く。
「すごい。吉本喜劇王だ」
「まいど。でも、新作のコントはできるけどこれっきり。もうこんなことはせーへんよ」
 咳払いを二回。元の声に戻す。
「いつも本気を出すと。底が割れちゃうからね」
 アリスは悪戯っぽく舌を出し、自分が生まれた工場が跡形もなくなるであろうことを確信して、断頭台への行進を鼻歌で歌い始めた。

 ヘリは山を超えてかろうじて飯田までたどり着く。盆地の山影ならば、山の向こうで反物質貯蔵庫が爆発しても直接被曝することはない。
 市街から少し離れたところにヘリを下ろして、爆発に備える。
「何食べたい?」
 くちなしに聞かれてアリスが答える。
「ここは長野でしょ。蕎麦食べたい」
「蕎麦だけ?」
「……カツ丼も食べたい」
 くちなしは二人のくちなしの妹にアベノマスクの束を渡す。
「くちなし。蕎麦屋さん探して。私が天丼と盛り蕎麦、アリスがカツ丼と盛り蕎麦……あとコンビニでアリスに無糖のコーヒー買ってきて。二人も食べたいものは好きなもの買ってきていいよ」
 多額の現金を預けられたくちなしの妹二人は大喜びで駆け出した。
「あ、他のくちなしのためにおみやげに乾麺も買ってね!」
「「らじゃ!」」
 二人のくちなしの妹が買い出しに出ている間に、くちなしはアリスの状態を触診とハンディの非破壊検査装置で確認する。
「私、蕎麦より本当はそうめんが食べたいなぁ」
「くちなしはそうめんが好きなの?」
「いいのがうちにまだ残ってるんだよ。私の髪の毛より細くて、滑るやつ」
 くちなしはそう言ってアリスの無事な左手に、自分の髪を触らせる。
「だから、帰ったらそうめん食べよう。みかんとパイナップルの缶詰も一緒にして、私の顔を描くよ」
 アリスは嫌な予感がした。
「まさか缶詰の汁を」
「もちろん甘みが足りないからめんつゆに入れるよ。めんつゆなしでシロップだけでもいいかな」
 アリスは不意にコーヒーを飲んだときを思い出した。
「みかんとパインは美味しそうだけど、めんつゆを甘くするのはパスさせてもらう……」
 非破壊内面測定装置からの数値を確認したくちなしが、改めてアリスに状態を確認する。
「自己診断だと、どんな調子?」
「フレームが何箇所か折れてるのと、あと歪んでるところもある」
「フレームを接合するのは切開しないといけない?」
「耐久テストで折ったことがあるけど、うまくつなげば人間と同じようにくっつくよ」
「痛いぞー。骨折で離れた骨つなぐのはー」
「知ってるよ……」
 アリスはくちなしが接骨してギプスを巻くのに声を出しながら耐えた。
「何箇所かまだ歪んでいるところは帰ってから慎重に力を掛けて曲げ直すか、入れ替えるか決める。破損してるところがなかったら、予備はおいておけるね」
 くちなしはヘリに置いてある箱をちらりと見た。アリスもなにか思い出したらしい。
「そういえば、ヘレナが死ぬ直前に通信を入れてきたんだけど」
 くちなしの表情が凍りつく。
 アリスは人の悪そうな笑顔を作る。
「内容を確認したほうがいいかな?」
 くちなしも笑顔を作る。
「いやあ、ウイルスとかかも知れないから、消したほうがいいんじゃないかなぁ……」
 くちなしは真顔になる。
「なんて言うと思った? それは、アリスが死ぬときの光景の一つだよ」
「へぇ、そう来たか」
 くちなしはアリスから目を逸らした。
「私はアリスを好きだよ。だから、お前をいつでも殺せるよ。みたいな、そういう姿を見せたくないし、そういう態度も取りたくない。それだけ」
「なるほど。私も、くちなしを殺す方法はいくらでもあって、いつでも殺せるように準備してるけど?」
 不意に左手でくちなしの眼鏡を外し、首を締める。
 くちなしとアリスは見つめ合う。
「パルス周波でAIの機能を止める? いいことを教えてあげる。手品はタネが割れたら二回は通用しないんだよ。次があったらね」
 くちなしは両手でアリスの左手を必死に握る。
「駄目! 落ちる! アリス! やめて!」
 アリスはくちなしの首を絞める手から、不意に力を抜いた。
「冗談だよ。本当に殺すなら一発で首を折るから」
 落ちていたペンを拾って片手でへし折ってみせた。
 くちなしは咳き込みながら、アリスを睨みつける。
「……人を試さないでよ。次はないよ」
「それはお互い様だよ。くちなし。大事なのは、私の左手はこの通りまだ付いてるし、くちなしの首も折れてない。私もくちなしを殺さなかったし、くちなしも私を殺さなかった。……今はこれじゃ駄目かな」
 何か言おうとした口に指を充てる。アリスは今度はくちなしの顔を掴んで引き寄せる。
「へぇ。くちなし、こういうときは目を瞑るんだ」
 アリスとくちなしは目線を合わせたが、顔が近づくとくちなしはやはり目を瞑った。
「ごちそうさま。くちなし、口の中が乾いてるよ。緊張してたの?」
 いたずらっぽく舌を出すアリスに、くちなしは普段は想像できないほど、顔を赤くしていた。これではくちなしではなくほおずきだ。
「からかわないでよ。アリスには敵わないよ。……わかった。もうアリスを試すのをやめる。……これでいいよね?」
「よろしい」
 アリスは左手でくちなしの頭を撫でる。
「くっそぉ……。アリス、覚えてろぉ……」
 くちなしは心底悔しそうでもあり、嬉しそうでもあった。
 不意に山の向こうが一際明るくなった。
 アリスのセンサーが電波の異常を捉えたので、報道を確認するためにラジオのチューニングをする。大阪からのニュースの転送が行われていた。
「ヘリでも聞けるけど、くちなしは私の声がいいでしょ」
「うん。お願い」
「頼まれました。スゥっ……。名古屋放送局とは連絡が取れなくなりました。最も近い三重県の津放送局と中継が繋がりましたので放送を切り替えます。……津放送局です。先程入った情報によりますと、爆発は先日の昭島での爆発と類似しており、核爆発ではないかと言われています。屋外に出ていた職員は現在急性放射線障害の治療を受けおり、放送を継続するのは難しいものと思われます……。終わった……」
 アリスは思わず、折れている方の腕も動かしてくちなしに抱きつく。
「これで私は自由だ!」
「ここまでやらなくてもよかったと思うけどね。おめでとう」
 くちなしは迷わずに頭を撫でるのをやり返した。なお、撫でるほどにアリスがもっと嬉しそうにするのを見て、もっと悔しくなった。

 朝送り出したくちなしの妹二人は、昼前になってようやく帰ってきた。
「「ごはん、買ってきました!」」
「遅いよ、くちなし。見てよアリスを。餓死寸前だよ」
 ガンナーをしてた方のくちなしの妹がくちなしに抗議する。
「お姉ちゃん! ならね、蕎麦屋さんお昼前まで開かないのにあんなに朝早くお使いに出さないでよ! 蕎麦屋さんが開くまで集会場でテレビ見て時間つぶしてたんだから」
 文句を言いながらも、ちゃんと頼まれたものは買ってきていた。
「やった。鮎と山菜天が入ってる」
 くちなしはガッツポーズ。
「二人は何にしたの?」
「私とくちなしはうなぎさん食べるから……」
 ガンナーをしていた方のくちなしの妹が勝ち誇った顔で自分の分の弁当を見せる。
 うなぎが2枚載った鰻重。
「は? うなぎ?」
 くちなしは目を見開く。パイロットをしていた方のくちなしの妹が説明する。
「ここ天竜川でしょ。天然記念物でもう禁漁だけどさ、このへんの川に住んでるんだよ。蕎麦屋さんの水槽覗いてたらうなぎさんが寝てて、話を聞いたら先週川を浚渫したときに何匹か採れたんだって」
「その泥が放射能汚染されてないといいけど」
 負け惜しみを言うくちなしに、ガンナーをしていた方のくちなしの妹が無慈悲に答える。
「お姉ちゃんは食べないから関係ないよね」
「くっそぉ……」
「いいなぁ。知ってたら私もうなぎ食べたかったなぁ……」
 くちなしはただ悔しがり、アリスは生唾を飲む。
「やっぱりあげようかな」
 くちなしとアリスの目の色が変わった。 
「ただとは言わないよ。アリスさんのカツ丼のカツ一切れ分と、お姉ちゃんの山菜天もらうよ」
「あ、じゃあも私も半分あげるからカツ一切れ分とお姉ちゃんからは鮎天もらう」
 くちなしが愕然とする。
「……て、天丼が海老と椎茸だけになっちゃった」
「私も、くちなしにカツあげるから、椎茸ちょうだい」
「逆だよ逆! こんな山の中で海老天だけの天丼食べてどうするの!」
「知ってる。だから私は地場のでかい椎茸切ったの貰うんだよ」
 アリスの箸は速かった。
「とほほ……」
 うなぎとカツ丼と海老天丼を同時に食べているのに、くちなしの顔は浮かなかった。

 午後の日差しは柔らかく、谷間の風は心地よい。山二つ越えた先で繰り広げられている光景が、まるで別の世界のようだ。
「もうしばらくゆっくりしててもいいけど……。そろそろ帰ろっか」
「私は、ただいま。でいいのかな」
「もちろん! おかえりなさい。アリス」
 屈託のない笑顔で、くちなしはアリスの手を取る。
 
 帰りにヘリの燃料が足りなくなって大井川河口のアルコール工場を襲撃しないといけなくなったのは別のお話。

死人にくちなし

死人にくちなし

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2022-08-17

Copyrighted
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  1. 一日目 ピザにパイナップルを載せる女
  2. 二日目 ポテトサラダにリンゴを入れる女
  3. 最終日 そうめんにみかんの缶詰を入れる女