砂の魚
時計塔のある街だった。砂となり、おわった。かなしいから、かんがえないようにしていて、いっしょに水族館の巨大水槽をながめていた、ねおんが、わたしの手をおもむろにつかんで、サメはかわいい、と呟いた。世間は夏休みだというのに、水族館は、たくさんの海洋生物と、わたしと、ねおん以外、だれもいなくて、水族館のひとびともいなくて、これでは彼らはそのうち、しんでしまうのではないのか、と、心配になりながら、わたしは、ねおんのつめたい指に、じぶんの指をからめた。すでに失われたもの、いずれは失われていくものを想うと、かなしみは尽きない。ねおんの思考は、体温をわけあっても、わからず。優雅に泳ぐ、水槽のなかのさまざまないきものたちが、なにを思っているのかも。無数の人工的建造物が砂となり、山となり、生命体が暮らすには適さない環境となり、でも、わたしたちにはまだ、空気があり、水があり、限られてはいるけれど食料があり、雨風をしのげる場所もある。ねおんは言う。うれしいとか、たのしいきもちがまやかしになってしまうと、わたしたち、だめになるから、うそでも、うれしい、たのしいって思うようにしようね、と。
砂の魚