狂詩人的不幸論

不幸は……不幸といふ言葉はなぜ()くも甘美なのか……それは不幸なぞという事は人間しか考えないからだ……不幸になりたがるのは人間しかいないからだ……人間の価値はその人間が説く不幸論によって定まるからだ……(おれ)は説明する、誰もいない空間に向けて病人の如く説明する……何を?己といふ一箇の不幸を、生きて死ぬという事の、(くつがえ)されざる、避けて通れぬ受難を(なげ)きながら説明する……説明に(おわ)りは無い、知らぬ間に始まっていた説明に終りは無い、歎くという行為に終りは無い……己はあの狂人ボードレールと同じ、他人を見るかの如く自分を見る事を撰んだ憐れな人間だ……、詩人は憐れでなければならない……憐れさ、惨めさを忌避し、唾棄する人間に詩の真髄を解す事は出來ない……(ああ)、詩!一体()れが何の役に立つといふのだらう?何の役にも立ちはしない。詩は、不幸の美しさは其れが最早(もはや)何の役にも立たない事に由來する。詩人の運命は(あらかじ)め定まっているのだ、最早詩に出來ぬ程不幸であると……それでも詩人は詩を書かなければならない、あらゆる他人の振りをしなければならない……運命といふ語を想像の限り嘲弄(ちょうろう)しなければならない、()ては己そのものが詩となる事を夢みて。

狂詩人的不幸論

狂詩人的不幸論

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted