森のお主

森のお主

茸のファンタジー 縦書きでお読みください。

 夏の終わり、二泊三日の旅にでた。たまった有給休暇を消化するために休みである。リュックを背負い、カメラをかけて、気軽な旅行スタイルだ。旅行会社の店先でみた旅行パンフレットから、近場の山梨の西沢渓谷に行くことにした。有名な勝景地で、林の中のトレッキングにはいいところである。重装備は必要ない。その日、電車からおりたら、そのままバスで渓谷に行って、歩ける範囲の山歩きをしようという魂胆である。
 台風の季節だが、天気予報によると、幸いかなり先まで台風が発生する様子はない。秋の気配がするいい日和である。青い空がきれいだ。
 西沢渓谷は塩山駅からバスで45分ほどである。バスの終点、西沢渓谷入り口にある宿を予約した。塩山駅には午前中につき、予約しておいた宿着いても、チェックインまで、かなりの時間がある。ホテルに不必要なものをおいて、西沢渓谷の途中まで行ってみようと思い、川の脇の道を歩くことにした。
 夏休みも終わりに近い。塩山駅でも旅行者らしき人はあまり見かけない。
 緑に囲まれて歩くなど久しぶりのこと、自分が思っている以上に気分がいい。宿に帰ればおいしい料理と露天風呂も待っている。明日は本気で、西沢渓谷のトレッキングをしよう。
 そんな思いで、歩いていると、いきなり林の中から白い髭を伸ばした老人がでてきた。ジーパンをはいて、茶色のTシャツに、ドテラをはおっている。このあたりをよく知る地元の人がちょっと散歩にきた感じでもあるが、まだドテラには早い。
 老人は濁った目を僕に向けると、近寄ってきて
 「なにかもってるか」
 ときいた。
 どのような意味なのか、すぐには飲み込めず、もしかすると、腹が減っているのかと思ったのでこう答えた。
 「食べるものは、チョコレートを三つもっているだけです」
 ちょっとした散歩にしろ、なにがあるかわからない。水とエネルギー補給のためにチョコレートを持参している。
 「そうか、手ぶらで行くと森のお主に食われちまうからね」
 そういって、僕がきた道を西沢渓谷入り口の方に、歩いていってしまった。食べ物を要求したのではなかったことが分かったが、どのような意味なのかやはりわからなかった。そうか、熊か、熊がでたら、食べ物をおいて逃げろということか、そう、勝手に解釈した。
 ちょっと歩くだけだ。このあたりで、老人のでてきた林の中に入ってみるか。
僕は林の中の道にまがった。立て込んでいない木々の頭上に青空が見える。すがすがしい。老人は普段着で小さなショルダーバックを持っていた。近くに住んでいるに違いない。適度に日が入り、明るく気持ちのいい林である。まだ紅葉の季節ではない。まだ濃緑色の葉をつけた枝が、さわさわとこすれる音も気持ちがいい。
 ふっと足元を見ると、羊歯などの下草の中に、ぽつりぽつりと、茸が生えているのに気がついた。そうだ。茸の季節の始まりだ。細い柄に黄茶のランプの傘のような頭を持っている茸が落ち葉からたくさん生えている。茸の名前はわからないが、きれいだし、かわいいし、足元を見るのが楽しみになった。白い茸もでている。赤い小さな傘が苔の間から顔を出している。
 かさかさと足音がした。右の方を見ると、生い茂った草の中からおばあさんがでてきた。Gパンをはいて、薄い茶色のセーターの上からちゃんちゃんこを羽織っている。今度はちゃんちゃんこだ。しわの寄った丸い顔で僕を見た。
 「そっちのほうで、いま着替えしているから、あとにしたほうがいいよ」
 と、なんだかわからないことを言った。だけど、返事をしなければまずいだろうと思い、「はい」と頷いたら、おばあさんは、にこっと笑うと林の出口のほうに向かった歩いていった。
 地元の人だ。さっきのおじいさんと散歩にきたのではないだろうか。
 僕は、ふっと、おばあさんの言ったことを忘れて、前に歩いていってしまった。
 チラッと赤いものが目に入った。そちらに目を向けると、太い木の脇で、赤い服を脱ごうとしている、と思われるものがいた。背の高さはおそらく150センチくらいだろう。
 だけどなんであんなところで、着替えをするんだ。丸見えじゃないか。と思い、そこで止まって引き返そうかと思っていると、おそらく女性と思ったそいつは赤い服を脱いでしまうと、真っ白になって、手早く黄色い服を着たようだ。そんなに詳しく見えていたわけではない。もう道をすすんでいいだろうと思い、歩こうとすると、黄色い服を着た、やっぱり女性が一っ飛びで、僕の前にあらわれた。
 いや、違った。女性じゃない。真っ黄色の茸の形をしている。茸が歩くわけはない。頭がこんぐらがった。
 「失礼ね、着替えているところを見るなんて」
 茸は傘をふるわせて言った。
 なにがなんだかわからなくて、僕は「ごめんなさい」というと、おそらくおじいさんが言ったことが頭にあったのだろう、無意識にザックからチョコレートを一つとりだして、さしだした。
 「あら、このチョコ好きなのよ、いい人ね、通っていいわよ、先に行くと、茸の湯があるから、入ってから、宿に戻るといいわよ」
 黄色い茸は傘の襞の中に差し出したチョコレートを挟むと、ぴょんぴょこ飛び跳ねていってしまった。
 なにがおきたんだ。茸の湯があるってどういうことだろう。
 一瞬の出来事は、頭の中から疑問とともに走り去った。野天湯がある、そればかりが頭の中にうずまいた。
 時計を見るとまだまだ時間はある。もう少し先まで歩いて、生えている茸でも楽しもう。
 林の中では木々が時々ざわざわと揺れる。風が吹くのだろうかと、揺れている枝を見ると、必ず鳥かリスがいた。ぽとっと、目の前にドングリも落ちてくる。あいつらがおとすんだ。
 ちょっと歩くと、大きな岩が顔をだすようになった。岩は苔蒸しているものもあれば、岩肌がそのままのものもある。岩からも茸が生えている。すすんでいくと、岩と大きな木が交互に立っているような、今まで見たこともないような不思議な光景になってきた。
 一つの大きな岩の脇を通り抜けると、いきなり光がいっぱいになった。まぶしい。広い場所にでた。目が慣れると、岩に囲まれて池がある。池の周りの石の隙間から茸がニョキニョキ生えている。
 池をのぞいてみると、湯気が立っている。露天風呂のようだ。茸がいっていた露天湯だ。手をいれてみた。かなり暖かい。いつもはいる風呂より、すこしぬるいくらいだから、39度あたりだろう。
 ザックを脇に置き、石に腰掛けて、靴を脱ぎ、靴下を脱ぐと、裾をまくって、足を湯に漬けた。足湯だ。気持ちがいい。中はかなり深そうで、立つことはできそうだが、水面が肩まできそうだ。入ったら気持ちがいいだろうな、そう思いながら、周りに生えている木を見て驚いた。枝の上に生き物が鈴なりになっている。栗鼠だろうか。いや違う。
目をこすってみた。そいつ等が動き始めた。枝から幹を伝わり、ぞろぞろと降りてきた。なんだ、茸じゃないか。黄色い傘をゆらゆらゆらして、ぞろぞろと僕の方にやってくる。
 逃げた方がいい、足を湯からあげようとすると、何かが僕の背中を押した。
 僕はもんどりうって、露天湯の中に顔をつっこんだ。あわあわして、やっと体勢をたてなおすと、水面から顔を出すことができた。
 野天湯を囲んでたくさんの茸が身体を揺らしている。小指ほどの小さいのから、大きいのにいたっては自分ぐらいある。傘が上下に揺れて明らかに笑っている。
 「服着たままはいってる、脱いだらいいのに」
 聞いたことがある声だ。声の主はとみると、茸の中で一段と大きい、真っ赤な傘をもった茸だ。さっきチョコレートを与えた黄色い茸のようだ。また服を着替えたのか。
 「チョコレートまだあるの」
 僕は湯の中から頭を出したままこっくりうなずいた。 
 「ザックの中」
 赤い傘の茸は傘をくねらせると、器用にザックのひもを引っ張ってあけると、あと二枚あったチョコレートを引っ張り出した。
 「ちょうだいね」
 そういって、紙を向いて、割ると、「食べなよ」
 みんなに渡している。
 「うま、うああ、うま」
 茸たちがチョコレートを食べている。
 「服ぬいだら」
 そういうので、湯の中を縁まで歩き、立ったまま、ヤッケを脱ぎ、シャツを脱ぎ、ランニングをぬいで、湯の周りの岩に乗せた。ズボンもパンツも脱いだ。
 「こんなもん着てるんだ」
 茸たちが服のところによってきた。
 「濡れてちゃかわいそうだろ、だれか着ておやり」
 赤い傘の茸がいうと、僕の脱いだものと大きさがちょうどいい茸がよってきて、僕のヤッケを羽織ったり、ランニングシャツをかぶったり、なんと、パンツまではいた。茸の一本の柄が、パンツの片方に通され、反対側の穴はふらふらしている。
 「そんじゃ乾かして」
 その声で、僕の服を着ている茸たちから蒸気がたちあがった。濡れた服がみる間に乾いていく。
 「ごくろうさん」
 茸たちは服を脱ぐと、たたんで石の上に置いた。お行儀がいい。
 「わたいたちも入るかい」
 赤い茸がいうと、周りにいた茸たちが、身体をくねらせて、脱皮をするように周りの皮を脱ぐと、真っ白になって、野天湯の周りを取り囲んだ。
 あれ、お乳のある茸がいる。あ、おちんちんを持っているのもいる。あの赤い傘の大きな茸には、立派な乳房があった。
 なんだ、これは、いつも見ている茸は洋服を着ていたのか。
 茸たちはぞろぞろと、湯の中には行ってきて、浮いて僕のそばにきた。
 「いい湯でしょ」
 赤い傘の茸が傘を僕の肩の上にのっけて言った。僕はこっくりした。
 気持ちがよくて眠くなってきた。ふと気がつくと、茸たちが、少し赤くなって、湯から上がっていく。肩に傘をのっけていた大きな茸が、「あたいもあがろう」と、目の前で水面に浮かぶと、白い乳房がゆらゆら揺れた。
 ありゃ、自分のからだが堅くなる。
 茸たちは湯から上がると、石の上に置いておいた自分の抜け殻に身体をいれると、もとの茸にもどった。
 僕もあがると、ザックからタオルを取り出して身体をふくと服を身につけた。
 「気持ちよかったわね、また入っていいわよ」
 赤い茸はそういうと、みんなを引き連れて、林の中に消えていった。
 時計を見ると、チェックインできる時間だ。林のなかをもどると、入り口に、大きな紅天狗茸が茸たちに囲まれて立たっている。
 何か言うかと思ったら、何もいわずに立っていた。

 宿に行って、部屋に食事を持ってきた女中さんに、林の中の野天湯のことをきいた。
 「この近くに野天湯なんかないですよ」
 「でも、茸と一緒にはいりました」
 「お客さん、森のお主に遊ばれたんですよ」
 「入り口で、おじいさんとおばあさんに会いました。おじいさんに、食べるものを何か持っているかきかれました」
 「はは、昔から、この辺に、森のお主の話が伝わっていましてね、森の中の紅天狗茸なんぞの大きな茸に会うと、化かされるというものですよ、狸じゃなくて、茸なんですよ、このあたり茸がよく生えるからね」
 後でリュックをあけてみたが、チョコレートは三枚ともなくなっていた。自分で食べてしまったのか。落としたのか。
 ふと、自分のはいているパンツの中をのぞいてみた。黄色い茸の傘の小さな破片がくっついていた。

森のお主

森のお主

茸の言い伝え:林に入ろうとした時に老人が「食べるものを持ってるか」ときいてきた。ぼくはうなずいた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-08

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