第17話

1

 小さく閉じ込められた宇宙空間たちの間に、どんな科学力で現れたのかわからないが、ガハノフ姉弟の過去が映し出されていた幻影が消え、エリザベスが涙を流していた。

「これが君たちの前世」

 メシアはあまりにも悲しく、背徳的で倫理的に間違っていることなのに、愛することを知っている2人に、偏見の眼などなかった。

「つまらねぇものなんか、見せやがって」

 血だらけで動けないイラートが、しかし懐かしい気持ちを思い出したように、微笑んでいた。

「運命は残酷なものよ。また姉弟はとして生まれ変わった。また辛いけど幸せな2人だけの生活が待ってた。今度は両親に捨てられて、養護施設で育った。身分を偽り、お金に困らないように、不動産データを改ざんして、大学に入った。救世主さえ殺せば、わたしたちは永遠になれるはずだったのに」

 エリザベスの涙はさらに流れ出る。まるで何もかもがうまく行かない少女のように。

 それを見て、血まみれのイラートが身体を起こし、笑った。

「悔しいが俺より大切なやつができちまったんだよ。前世は前世。エリザベス、あれは俺たちの夢だったんだ。夢はいつか覚めるもんさ」

 すると沈黙していたファンが、面白がって口を挟んだ。

「救世主に恋をした。最愛の相手よりも大切な人ができてしまったのですよ、メシア」

 ファンの言葉に、戸惑いの瞳でメシアはエリザベスを見た。確かにエリサベスは、一緒にいて落ち着くし、楽しい。それに美しい。だけどメシアの心はマリアに惹きつけられたまま、離れたことがなく、女性をそういう眼で見たこともなかった。

 それに自分にそういう気持ちを向けてくれる女性も、始めて出会ったから、どんな顔をすればいいかメシアは分からなかった。

「最愛の人はけして変わるものではないと思ってた。でも、この気持ちは変えられないのよ」

 胸の服を掴み、苦しげにエリザベスは叫んだ。

 これをエリザベスの横で聴いているファンは、楽しげにその面長の顔をニヤリとしていた。

「なにがおかしいんだ」

 メシアは憤慨した様子で声を強く出した。

「や、やめろ。殺され――」

 抱きかかえていたイラートを優しく、宇宙空間の広がる空間に寝かせ、メシアは立ち上がる。

「人の想いを聴いて、他人の素直な気持ちを聴いて、お前はどうして笑っていられる」

 メシアは自分の身が危ないなど考えもしていなかった。


第17話−2へ続く

2

 メシアはファンのところへ歩いていく。その足取りに恐怖など微塵もなかった。

「物語もこれで終りだ。呆気ないものだな」

 そう言うとメシアに向けて手をかざし、重力操作で、人が潰れるほどの過度の重力をメシアにかけた。

 が、メシアは平然とファンのところへ近づいてくる。

 さすがのファンも動揺したらしく、両手を前へ突き出し、人の形が残らないほどの重力をメシアの周囲へかけた。

 現にバレーボールほどの大きさの岩石惑星がメシアの近くを通り過ぎると、粉々に砕けてしまった。

 それでもメシアは平気なように、足取りを軽くファンに近づいてくると、ファンのその面長の顔に、拳を叩きつけた。

 始めて人に殴られたらしく、倒れるファンは、自分の鼻から血が流れるのを指で触って確認し、憤慨してメシアを見上げた。

 だがそのメシアの瞳は、これまでのもの、人間のものとは異なり、神々しさの光を帯びて輝いていた。

 確実に覚醒は近づいている。ファンはそれを恐れていた。

 素早く立ち上がると、重力操作で浮遊し、メシアの顔面へ蹴りを入れた。

 だがファンの脚は空中でなにか見えない力に受け止められ、しかも跳ね飛ばされてのだ。

 ガス惑星に身体を打ち付け、星の世界に倒れるファンは、これまでの余裕はどこにもなかった。

「エリザベス、お前はそこで何をしている。咎人は願を叶えるために、物語を終わらせるのだ。そのために生まれ変わったんだぞ」

 鼻から血を流し、ファンはヒステリーを起こしていた。

 涙を流したエリザベスに、選択はできなかった。愛するものたちの、どちらかを選べなんて。

 だから彼女の身体は動くことができず、ただ神々しいメシアの瞳を見つめることしかできなかった。

 エリザベスを一瞥した後、メシアの視線はファンの面長の顔に落とされた。

「どうしてだ。なんでそこまで俺を狙う。お前の願いはなんなんだ」

 敵意を向けてくるファンに、メシアは疑問しかなかった。あれだけ信頼していたのに、あれだけ友達だと思っていたのに、運命の前では、ファンは豹変してしまった。その理由をメシアは、知りたかった。

 鼻血を上着の裾で拭い、ファンは劣勢に始めて立つ自分を、まるで憐れむかのように笑った。

「物語を終わらせるため、救世主を殺す、それが俺の望みだ」

「僕の命を。それだけのためにイラートを、エリザベスを、みんなを戦わせたのか」

 怒りを口にするメシア。

 しかしその言葉に、まるで分かってないな、と言いたげにファンは笑った。

「まったく、お前ってやつは何もかも分かってないんだな。お前のために全員死んだんだ。お前は、すべての運命の糸を握りしめている。その糸を切るために、俺たちはお前を殺す。殺すことで望みを叶えられる。俺たちの論理は、願いと代償に、お前を殺すことなんだよ。これは変えることも、避けることもできない。死ぬことは決まっていたってことだ」

「ファン、お前も前世に未練があるのか」

「いいや、俺は連中とは違う。お前を殺す、それだけのために宿命を組み込まれた存在。望みはお前の死だけだ」

第17−3へ続く

 

 

3

 自分の死を純粋に願うものが目の前にいる。ほんの少し前まで親友だと思っていた男が、死を誰よりも願っている。

 メシアの瞳の光が少し鈍ったように見えた。どんな気持ちでファンの顔を見ればいいのか、わからなくなっていた。

 それをファンの方は見逃さなかった。

 腕を振り、重力を操作して、メシアの身体を吹き飛ばし、岩石惑星へぶつけた。

 背骨と腰に鈍い痛みを感じ、ちょうど倒れているイラートの横に倒れ込んだ。

 能力の目覚めで、衝撃はたいしたことなかったが、これまで戦闘経験のないメシアは、身体の痛みに、驚いているようだった。

 横の、ボロボロのイラートが起き上がり、メシアに片腕を伸ばし、引っ張り起こした。

 これを見ていたファンは叫ぶ。

「もう終わりにする。物語はここで終了。閉幕だ」

 と、異空間が突如、揺れ始めた。

 ファンを見ると、眉間にシワを寄せ、額に血管を浮かび上がらせ、重たい物を必死に持ち上げてるような顔をしていた。しかしそれがあまりにも彼の身体に負担をかけているのだろう、鼻血が吹き出し、腕の筋肉の筋が引きちぎれる音がした。

「何を」

 メシアが叫んだ時、浮遊する、この空間に何らかの科学技術で閉じ込められていたオムニバース、メタバース、ゼノバース、マルチバース、銀河、恒星、惑星それぞれが、重力崩壊を始めた、粉々になるか、潰れてしまっていた。

 さらに異空間にヒビが入り、外に出られるようになった。

 エリザベスはとっさに弟とメシアを抱え、そのヒビの中には飛び込んだ。

第17話−4へ続く

4

 アルコールを一気飲みしたようなめまいに似た感覚を感じたメシアは、気がつくと、草原に倒れていた。

 横にはイラートとエリザベスの姉弟が、愕然と周囲を見ていた。

 メシアも地面の振動に気づき、周囲の水面、地面、シダの茂み、巨木の森、機械文明の化石を見回すと、重力に逆らい、空中に浮き上がっていた。

「あいつ、惑星ごと」 

 動かない身体を無理に起こして、イラートがつぶやく。

 が、エリザベスは首を振った。

「そんなもんじゃないわ。赤色巨星も動かしてる」

 空を埋め尽くす赤い恒星が、明らかに近づいてきているのがわかった。

 人の数字では数え切れないほど世代を重ねた人工の恒星が、無人でシールドを展開する地球に迫ってきていた。

 地球の緩やかな最後をも、ファンは・ロッペンは脅かすつもりらしく、地面に巨大な亀裂が走る。

「終わらせる、ここで終わるんだ」

 そう叫ぶ声が、空を多く雨雲から発する稲妻に光、空中にファンの姿が浮かび上がった。

 地面は揺れ、海水は上昇し、地球上の至るところで噴火が起こり、果てしない何千世代も続いた文明の遺跡が、破壊されていく。

 マグマで巨木は燃え、砂嵐は竜巻となり、天空をまたくまに覆った黒雲から発する、豪雨が降り注ぐ。

 メシアの足元は泥で埋まり、立っているのがやっとだった。

 このとき、黒雲の上では赤色巨星の接近で、自動の学力で保たれていた地球の地軸が歪み始めていた。

 メシアの足元は地震が起こり、立っていられなくなる。

 ファンの身体からは血液が吹き出し、眼からも涙のように血液が流れる。

「それ以上は、身体がもたない」

 叫ぶエリザベスはの声は、土砂降りに消えてしまう。

 と、ファンが腕を振った刹那、エリザベスの身体が空中に浮き上がり、重力に引かれて今度は急速に地面へ落下してきた。

 慌ててイラートがエリザベスの下に身体を滑り込ませる。

 鈍い音がして、エリザベスは苦悶に顔を歪める。

 意外と下になったイラートは大丈夫なようだが、エリザベスはたとうとしたが、身体が動かない様子だった。

第17話−5へ続く

5

 エリザベスは下半身の感覚がないことをすぐに把握した。受け止めたイラートが姉を気遣う素振りを見せるも、姉の顔には、何かを悟った表情があった。

「行きなさい」

 その一言が何を意味するのかわかっていた。

「エリザベス」

 近づいてきたメシアの上着を引っ張り、その唇に強く、唇を重ねた彼女は、唇を離すと軽く微笑んだ。

 そしてイラートの頬を軽く撫でて、ゆっくりうなずくのだった。

 涙が溢れそうなのを、奥歯を噛み締め堪えたイラートは、メシアを抱えて、蚊のように頼りなく空中に浮かんでいく。

 その刹那、エリザベスが座っていた地面がひび割れ、彼女の姿は瓦礫の彼方に消えていった。

 あまりにも呆気ない最後に、メシアも、イラートも、声を出すことができなかった。

 イラート姉の、最愛の人を失った悲しみが押し寄せる前に、胸に空いた喪失感が、身体を蝕む前に、メシアの安全を確保しなければと、傷ついた身体で、ゆらゆらと崩れゆく地面の上を飛行した。

「逃すはずがないだろう」

 体中から血を吹き出し、今にも破裂しそうな筋肉の腕を振り下ろした。

 崩れる地面の瓦礫が粉々に砕け、重力が2人を押しつぶすはずだった。

 それなのに2人の身体は平然としている。

 何度も、何度もファンは腕を振り下ろし、周囲が巨大なクレーターだらけになるにも関わらず、なんの影響も受けない2人に、とうとう苛立ちを感じたのだろう、血て弧を描き近づいてきたファンは、渾身の力でメシアの顔面めがけ拳を焚き付けた。

 が、メシアの身体は見えない力に、シールドに守られているらしく、ファンの拳が砕けて、血と肉と骨が飛び散るばかりだった。

 覚醒はもう始まっている。それはわかっていた。それでもファンは、この救世主を、目の前の消し去るべき存在を、破壊しようとする。

 ファンはそのために生まれた。ノクトにアストラルソウルを作られ、魂を入れられた。

 メシアを消さなければ自分の存在理由がないのだ。

 最後の力を振り絞り、赤色巨星の内圧を高め、自然の摂理より、だいぶ早く、赤色巨星を爆発させた。

「救世主の物語は終わりだぁ」

 ファンの最後の叫びが響き、メシアの耳にその声が残った。

 すると身体の重力が一瞬消え、目の前が真っ暗になると、次に光を感じた時、彼の身体は自然落下の中にあった。


第18話−へ続く

第17話

第17話

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-07

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