恋した瞬間、世界が終わる 第8部 思ひそめしか

恋した瞬間、世界が終わる 第8部 思ひそめしか

第8部 思ひそめしか 編

第55話「思ひそめにし、夢のなか」

第55話「思ひそめにし、夢のなか」

正午過ぎーー雲がピタッと、空に貼り付いて止まっていました

買い物予定だった本やらは不意に必要のないものに変わり、
急に素顔が表に晒されたみたいに、考えることが別にあったように思いました。

寄り道をすることになりました


道に、音楽だけが流れるように、
行き交う人たちは話しをやめていました。
イヤホン、ブレインWi-Fi、わたしたちは運命に溶けていました。


正午過ぎーー雲がピタッと空に張り付いて
不意に、別に、何か

視界が開けすぎて、隙間を埋めようとしていました


神社まで歩きました、通り過ぎずに
向かい合わせた鳥居の前で、雲に影が見え始めました

境内を踏んでいる、足跡が見えます
雨が落ちました

雨宿りの神社


砂利を土砂降りが踏み始めました

雨音が大きくなり、わたしたちを溢れさせていました

わたしたちが解けてゆくーー



誰かが見ていた


不意に、わたしは“早川真知子”ではないことを思い出しました


わたしは急な雨に打たれていました



そして、雲はまた空に張り付きました

第56話「旋回する頭上の鳥」

第56話「旋回する頭上の鳥」

「この暗闇は……、そうなると、これも陰と陽になります。もちろん闇の中へ入る。隠れた側に入るのですね。かたちを作りだすなかで、つまり花に、果実に、葉に、姿を現す力は、外的には消えてしまう。そして、外的にはもう存在しないから、だからこそ力は自由になり、内へと入り、そこでかたちを作る、変容する。(中略)姿かたちを得ることは、外へと現れ出ることです。わたしがカバラから学んだように、世界の二元性は、実はこの現れることが永久に交錯する、そのことにあるのです。(中略)たとえば、旧約聖書の冒頭の言葉、“はじめに神は天と地をつくられた”を、こう翻訳してもいいのではないでしょうか。“はじめに神は内と外をつくられた”」
(ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと 岩波現代文庫より)


雨が続いていましたーー


ファミレス

平日の店内は、一昔前のPOPsをずっと選び続けていて、もう終わる頃になってからも何処かの懐古主義者がBGMを変えることを拒んでいるようでした。
その場では、ウェイトレスや客の所作が、音の隙間で目につくように立ち昇り、わたしは余韻を聞き取りながら、接客をしていました。

若い男の客

知らない顔の客

見覚えのある顔の客が一人いて、
ウェイトレスの“あの娘”に、話しかけていました。

わたしは会話の内容が気になって、若い男の客に「いちごパフェ特盛」を運びそうになりました。
タブレット端末を覗き注文を再確認、あれ、合ってる? あなたさっき大盛りのパスタ食べたでしょ? 
…好きなの? その目、堂々と食べなさいよ、今さらでしょ。


ウェイトレスの“あの娘”とはプライベートでもよく会います。
読書が好きだというお互いの共通の趣味がありました。
ある時、わたしに本を貸してくれました。

本のタイトルは、

 “once, at the place that I gave up” という詩集でした


わたしはよく、詩集の中の言葉を頭の中で想い味わいながら働きます



ーー1ページ目

「旋回する頭上の鳥」

  
  頭上を見上げ
  空から仰ぐ
  記憶は…漏れて
  音は…旋回する

  決して降りては来ない
  鳥が頭上に 一羽

  あれは…なんて鳴くんだろう?

  旋回する頭上の鳥は
  軌道上に描く声を落とし
  霞む景色が
  独り善がりで
  つぶらに円を描いて
  旋回する 一つの声

  夢にも現れない
  何処に居るのだろう?
  どうして和えるだろう?
  もう居ないかな…

  旋回する
  頭上の鳥
  円を描いて
  軌道上

  vortex

  頭上を見上げ
  空から仰ぐ
  記憶は…漏れて
  音は…vortex

  旋回する 頭上の声

  旋回する 一つの声

  もう嫌だ
  続きばかりだ
  何処にも
  出れそうもない

  あれは…なんて鳴くんだろう?



「ことめいこさん」



見覚えのある顔の客と、眼があった時

音楽が近づいてきたーー初め、そう思いました

それとも、死が近づいていたのでしょうか?



何処かに悲しい響きが残っていました

聖歌の終わりの余韻

最後に、天から堕とされて終わる響き

物悲しさ、そして

雨はまだ、足らないというかのように続いています

わたしは、窓に降り、撥ねかかる雨の波形が何故、店内の中に入ってこないのだろうか?と不思議に感じました。その時、


ーー恋した瞬間、世界が終わる


と、石板に書かれた言葉みたいに、手元のタブレット端末の画面に現れました



「あなた達に与えられた猶予は、あと3日間
 -恋した瞬間、世界が終わる-」


見覚えのある顔の客が、“あの娘”に語りかけます

「あなたは、今日から
 別な誰かになるんです」

「誰か……に?」

見覚えのある顔の客は、“あの娘”に何かを思い出させるように

「元は同じでも、波形が、どのように辿って来たのかが大事なのです」

「占いとか、家系ですか?」

店内のBGMは証言するかのように停止して、まとまりを欠いたそれぞれの生が、3日間で与えられた可能性を巡って、店の窓に撥ねかけ、もっと、強く、雨音を叩きつけながら暴れるように、行き場をぶつけ求め始めていました。

わたしは、“あの娘”の中で、止めることのできない流れがあることを察しました

見覚えのある客は、わたしの方を向きましたーー


「いえ、方法なのです」

第57話「メッセージ1 良いことを視て、良いことを聴き、良いことを発する」

第57話「メッセージ1 良いことを視て、良いことを聴き、良いことを発する」

 
反発者の男に残った「詩人」の記憶なのかーー


 -わたし達に与えられた3日間の猶予
 
 そして「恋した瞬間、世界が終わる」-


ハッキングされた世の中の電子機器は幸いなことなのか、電子機器自体の使用は可能なままになり、ただ、画面には3日間、時折、メッセージが流れたーー


有名な詩人ではなかった

有名どころか、無名。
ネット上にありふれた投稿サイトに埋もれた詩人のようだ。
私には彼に才能があるのか、どうかは分からない。

ただ、詩は
彼にヴィジョンを示していた。


人々の画面には彼の詩が現れたーー



 私たちが 造っている これは 
 何だろう
 生産し、並べて、販売し
 誰かから 受け取り
 すこし 手を加えて
 誰かに 引き継いで
 みんな 同じ事をしている のに

 孤独だ

 受け取り方 みんな 違って
 傾いて
 私たちが 造っている これは
 何だろうか

 どっちに 転んでも 最悪
 そんな 状況 上京 そんな 物事
 造っている

 ぼくたち 自分の 『後始末』 考えているだろうか

 ああ… 生き抜くことの 難しさ

 「憂鬱」というものが
 最近、分かり始めた

 それを 感じながら
 生きることの 危うさ

 意味や 価値の 世界は ない
 発散の 気休めの 逃れの 気後れした 世界

 この生活のなか
 詩に 描くほどの 何かが
 あるだろうか
 灰色 ルーティーン 時折の運び
 何かに向けて 燃え上がるには
 手放せない 日常の 居場所がある
 近づく 何かを 遠ざけ
 長い眼で 先を見越して
 この生活のなか
 自然な反応と 歪み
 それ以外に 詩は ない

 質素な生活

 詩が 歪み 始め

 何かを、露出する

 日常に 裂け目を 入れ

 何かを 思い起こし 揺らすために

 全く、余計だ

 ぼくは鎮めるために
 出てくる何かを 鎮めるための

 バランス屋

 むしろ 選択を縮めてゆくほうが
 生きやすい
 厭世主義の クソやろう
 何に しがみついてゆくのか ということ
 最近、なんか イライラする

 自分が 自分の 人生に 追いつけてない
 自分が 自分の 人生に 引き離されてゆく
 自分が 自分の 人生は 先送りに

 自分を 見失わないように 必死だ

 ただの 断片や ただの 連続
 それで 終わらせない

 再び、時が 廻り
 実を結ぶ 瞬間
 それを 待ち

 出来ないことが 増えていっている


 私は、私の都市伝説から抜けることにした
 私は、私の履歴を消去して、歩み直すことにした

 こだわっていたのは、間違わないという選択だった

 私は、私の未来を選び直すことを許していなかった

 私はログアウトすることで、世界を見直すことにした

 春になり、人生を変え
 新たな陽の光を浴び
 hisasiburinisotonokuukiwosuini

 外に出よう


私たちが作った「マニュアル」の世は、
苦しみや、切なさや、痛みを遠ざけるべきではなかった。

第58話「余震」

第58話「余震」


見覚えのある顔の客が、わたしに向かって放った言葉

「いえ、方法なのです」

それで、わたしの頭の中には、詩集の2ページ目が思い起こされました

季節の変わり目を告げるように雨を強めて、震えさせます、身体を

 “once, at the place that I gave up” 



詩集の2ページ目はーー


「余震」 2012/05/13-00:24


 あの娘の眼に映る
 不吉な気配

 鏡に反射され映る
 読み取られた思考

 大気の流動と、街灯と、先見の明で赤く、光る

 ゆっくりと…時代が決別してゆく

  夢中になっていたあの頃が
  戻りたいと脚を惹く鏡に変わる
  留まりたいと脚を惹く郷愁によって
  弱さの線が歩き出し、私と対面している

 反対斜線に君が通る
 擦れ違いざまで気づいていた

 大気の流動と、街灯と、先見の明で、赤く
 
 私たちは考える、君のために
 
 あの娘の眼に巣食う、不吉な気配
 読み取られた思考が、鏡に反射する
 
  夢中になっていたあれら...あの頃が脚を引く
  鏡に変わったら、流転する郷愁
  弱さの線が溢れ出して、過去が加速する

  嘆いて、地団駄して、想い出が憑く

 私たちは考える、君のために、春になるために

 旋回する頭上の鳥
 地上の余震を知らす



ーー見覚えのある顔の客の眼から、わたしは眼を逸らしました

逸らした先には「いちごパフェ特盛」を食べ終えた若い男の客が居ました。
若い男の客の器官から漏れた息が、店内の隙間に消えてゆくところ、余韻のあるはずの男の視線はすでにメニュー表へと移っていました。
この男とも眼が合いそうな気がして、わたしの眼は何処にやって良いのか可笑しく彷徨っている気がして落ち着きません。
わたしの頭の中は、別な混沌を選んだのです。
「あなた達に与えられた猶予は、あと3日間
 -恋した瞬間、世界が終わる-」
タブレット端末の画面に現れたあのメッセージ。
3日間の猶予が本当なら、残された時間をどう過ごすのでしょう?
残された時間で何をするのでしょう?
犯罪的な行為で終わらせようとする人。
思いを遂げようと時計の針を進める人。(いちごパフェ)
四季がこの3日間の中で起こされて、通り過ぎる間。
迫りくる足音を聞きながら、最後の一滴を考える人。
もし、3日後に地獄の業火のようなものがやって来るのだとしたら。

そうだ!と、“あの娘”が近くにいることを思い出して、あの娘に眼を移してみると、あの娘は、わたしの方を向いて何か戸惑った表情でいます。
店内のBGMは一昔前のPOPsの円環を終えて、新たな循環を聴かせ始めました。


「ピアソラ、ブエノスアイレスの冬」


見覚えのある顔の客は、わたしに聞こえるように言いました。
重苦しいカーテンを開けて、引きずりながら向かって現れる音の連なり。
アストル・ピアソラ の音と分かる、彼のタンゴ。
わたしの“認識”は、まだ見覚えのある顔の客の中にあるのだと気づかされました。


見覚えのある客の視線に耐えられなくなったわたしは

「お客様! ご注文は!?」

振り払うように向けたわたしの伺いに、見覚えのある顔の客は黙っていました

「あの、お客さ

わたしの言葉の途切れた隙間に
赤く、光り輝くような眼で


「ことめいこさん、僕のことを、忘れたのかい?」


男の背後では、吹き抜けになっている空間に大きな窓があり。
BGMーー
「バンドネオン」が空間を切って中に入り、
「ピアノ」の雨脚が大きな窓に強弱を調えぬまま乱れ、
「ヴァイオリン」によって引かれる線が雲間から顔を見せ、
「コントラバス」が入り乱れる重い輪郭を留めさせながら、
「エレキギター」が照明を当てるーー


  明るいときは、あなたの場所からも「視える」もの

  暗いときには、あなたの場所からは「視えない」もの 
 


“赤い星”が現れました

  
                  
バンドネオンとピアノとヴァイオリンとコントラバスとエレキギター。
一体となった輪郭から滲み出た夜のインクが、出づる星の影にsignを。
赤く、光輝くような眼を映し出していました。

わたしの言葉の途切れた隙間には、“矢”が放たれていましたーー


 もう、窓の外で撥ねかかる出来事は、店内(わたしたち)の中にあるのです


その場を離れてゆくわたし。
あの見覚えのある客の眼と、赤い星が、後を引いてゆく。

別れ、離れがたい、この世。
人は、恋をあきらめることが出来るのでしょうか?

人々の惑乱が高みに達し、
人々は再び、カロドポタリクル(安楽死)を手に取り始め、
終末の期限前に、自らの手で“先にゆく”。

人類の延長期限はもう、許されず。
生まれ変わることもなく、これで終わりと。


厨房の中に駆け込んだわたしは『わたしの方に向けられた顔』が眼に焼き付いて離れず、『思い出せ』という訴えで詰まった観念が、嘔吐するように器官から溢れ漏れ出て、厨房の調理器具の隙間で詰まった余韻を残しました。
「ん? 慌ただしいな、ホールは忙しいのか」
マニュアル通りに調理された料理が湯気を上げ、皿洗いの先輩は、皿から皿へと、次の皿に流転させる空き皿を待ちつつ、わたしに皿を求めて横目を流します。

ーー9月23日 わたしは必死になって人生を変えようとしていました。
世界政府が新たに打ち出した施策「マニュアル」
『あなたの人生に充実を与えます』
『あなたに向いている人生を得られます』
『あなたの人生の置き忘れ防止を保障します』
「マニュアル」の世、
わたしの『充実』は、何だろう?
わたしに『向いている』ことって、何だろう?
わたしの『人生の置き忘れ』って、何だろう?

わたしの居場所

今よりもっと良くなるかもしれないし、
今よりもっと悪くなるかもしれない。
そんなことも忘れていたのです。

人生を呪うあの人たちの列にいつの間にか参加していたことに気づいたのです



メトロポリスという映画を観たことがあります

以前、あの娘が借してくれました


わたしに浮かんでくる“見覚えのある顔”の正体


わたしたちが、誰なのか、何なのか。
思い出すのです。



アバター

造られたもの

誰の漫画?

わたしは、キャラクター

いつでも死ねる

ダルマの“ ”の中

物事の始まりと、物事の終わり

覗き見るように

記憶を疑うように

この身体は、わたしの物

あんたや、きみの物じゃない

話しかけてこないで

わたしの左眼を取らないで


ーーわたしはホールを覗き見るようにして振り返り、殺人現場を眺める慎重さで見ると、あの娘も厨房へと戻って来て、わたしと、眼を合わせます。
立ち止まって、わたしの左眼を覗くように見ていることに気づいたのです。

「8番の注文の、できたよ」

皿洗いの先輩が、無愛想な調理スタッフの代わりに出来上がりを知らせ、全自動で切り替わるわたしは皿を運ぶ少女へと戻り、明るい笑顔を売りに8番テーブルへと、ホールへと舞い戻ります。

「お客様、お待たせいたしました。ご注文の品の山盛りポテトフライと、150gのサーロインステーキになります」

(総摂取カロリーもお伝えしますか?)わたしの心の声の後、呼び出しベルの音が、もっと冷たく響き、あの娘がそこへと向かって行きました。見覚えのある顔の客のベルでした。
わたしは、厨房へと戻る足で、動線上で仕方なく見覚えのある顔の客の横を通り過ぎようとする急ぎ足を、

「ことめいこさん」

見覚えのある顔の客は、赤い星を背中にして言いました

「地上では、もう“new leaves”の活動によってハッキングされた電子機器上で
『この世』の暴露が始まるだろう。人の体内に流れる粒子を読み取る機能によって、次世代のコンピュータは今までとは異なる磁場を発するものであり、利権の問題があったからというのもあるが、離れて行けば行く程に新しくなるものなら、誰にも介入しようがない。それは“テレパシー”そのもので、コンピュータを作る以前に、人間に組み込まれている。あのワクチンには、魂が混入されていて、魂の浸食によって、あなたの立ち位置をそっくりそのまま変えてしまうよ」


「私が、どれ程の月日で待っていたと思っているんだ? 迎えに来る事もせず、置いて行ったあなたを、ことめいこさん」


長い雨は、止まず、夜中まで続いてゆきます


ラジオからは、アストル・ピアソラ の“ブエノスアイレス午前零時”ーー

第59話「あなたに見せてあげられるもの」

第59話「あなたに見せてあげられるもの」

「じゃあね」

少年たちが折り返し、手をふって、別れてゆく

窓から見届ける

手から滑り落ちるように、大河の一滴を落とす

まるで、雲から雨を一滴、垂らすみたいだ

まるで、雲から雨を一滴、垂らすみたいで、それが変えてしまうことの

いつか太陽が、干して、もう見分けがつかなくなる

玄関の松が枯れかかっているよ


老朽化した建物を取り壊すようだ

残された駐車場に、広場に集まった一人一人にライトが当てられた

品評会だった


等級が与えられてゆく、

「ランクB4」
「ランクC5」
「ランクA4」

A5が最高で、C1が最低。
何だか急に自分がその場にふさわしい格好をしていない気がした。
紺色のスエットシャツの毛足が荒くなっていること、ジーンズの色が褪せ過ぎていてサイズ感がだるくなっていること。
自分に合わないものを身につけたままでいることが、急にアレルギーになった。
まるで、殺されるものと、殺すものの差のようで。

「C1が、最低とは限らないよ」

そう言って話しかけてきた

出品された次の魂、次の魂へと、品評会の開票は進んでいった

「あなたとは、確かエジプトで会いましたね」

「いつのこと?」

「ネイトの下、一緒に戦っていました」

浮かび上がったのは一人一人の背景だった。
魂ごとの描きかたは自由で、そこに優劣があるだけだ。
自分が何を欲しがっているかなんて、本当はわからない。
誰かの基準の中で測られて、そこにあった閃きを比べるものではない。
その影が物語るのはーー

説明を聞いている間、胸がときめいていた

「もう、始まるんだな」

と、感慨深い想いでいっぱいだった

「あなたに見せてあげられるのはここまで
 カーテンの向こう側へは行けない」

「記憶の鍵を開けて、元の身体に戻るといい」

その時、空の奥の方から、コチラに徐々に拡大してゆく雲の群れが見えた

new leaves
そのメンバーになって良かった


空間を撫でるように

空間を愛でるように

記憶の鍵を開けて

第60話「その時間に当てる」

第60話「その時間に当てる」

 
 
 人をデザインするとき、印象は一つのモチーフで良い



白いスニーカーを履いた男。
黒い丈の短いジャケットを羽織った女性。

どんな型か、雛形か。
パターンか。
細々とした人の記憶などいらない。


 対象物を用意すれば良い


その人に与えられた“イメージ”は、全く同じ生年月日に生まれたり、同じ名前を持っていたとしても、コピー人間でも、アバター上でも、人それぞれ、育ち、文化、親、友達、国の安泰で、いや…魂のものか、どんなに“イメージ”を殺しても、殺しきれない。

ブエノスアイレスの街を歩いているとき、気づいたら、誰かの背中を探しているワタシがいました


与えられた3日間
残された3日間
ワタシは、自分の謎を解決することで“当てよう”と、決めたのです



ワタシのパパは、人生から逃げ出すように去っていきました。
それから残されたママとワタシは、アルゼンチンのブエノスアイレスで細々と暮らしました。
生活苦にありながら、ママはワタシの人生にタンゴを割り“当て”ました。

「ウノ、ドス、トレス」

「ウノ、ドス、トレス」

ダンスのパートナーは、いつも年上の中年男。
先生から習うタンゴのリズムに集中しようと、ウノ、ドス、トレスの数で頭の中をいっぱいにしようと努めても、中年男の粘着的な動きに耐えられず。
かといって、若い男のタンゴには先走りだけで、おぼつかない足取りが気になって仕方がなく、ワタシはついつい意地悪になって、鋭い足捌きで、若い男をつまづかせて嘲笑ってしまう。
タンゴに飽き飽きしていたワタシの苦悩に応えたのは“フォルクローレ”でした。

フォルクローレは、ダンスではありません。
タンゴも、ダンスばかりではありませんが伝統的な音楽で、フォルクローレもアルゼンチンの伝統的な音楽です。
アタウアルパ・ユパンキというフォルクローレの有名な人物のレコード。
父が残していった物でした。

ワタシがフォルクローレから受ける印象はいつも、虚空への呼びかけ、嘆き

ママは疲れたとき、どういう心境からなのか、よくリビングで聴いていました。
ワタシタチを置き去りにしてったパパ。
行き先は、地球の裏側、日本だと、ママは言っていました。


当時ワタシは、仲の良かった友達がいて、文学が好きだという共通の趣味の付き合いで(友達はボルヘスが好きでしたが、ワタシはバルガス=リョサ、オクタビオ・パス、ロベルト・ボラーニョが好みでした)、その友達の友達が通う大学の構内に忍び込んで哲学の講義を聴きました。哲学にはあまり詳しくないワタシでしたが、友達との悪ふざけのような行いの一環としてよく分からない熱意に溢れていました(ボラーニョの登場人物みたいにハメを外したかった)。
時間通りに割り“当てられた場所”教室にやって来た先生は、少しふくよかな女性で、優しさや明るさを感じさせる見た目でした。先生が教壇まで来て、教科書を開き、いかにもな雰囲気の鼻にかかった眼鏡を少しすくい上げた後に視線を上げ、生徒一人一人に“風の告白”のような送りものを届けたのです。そして、第一声

「見たことのない顔がいますが、良い時間に当たりましたね、いいでしょう」

ワタシは、ドキッとして眼を逸らせようとしましたが、先生の眼は優しく、思いやりに溢れていて、その必要がない安心な居場所を与えてくれることを伝えていました。

先生の名は、リリアナ・エレーロ

ワタシと同じ、“リリアナ”の名を持つ、まるで違った運命を生きる人でした


それから、何度も先生の講義を聴きに行きました。
あるとき、先生は、ワタシを呼び止めました。

「あなた、いつも来てくれますね。好きな哲学者はいますか?」

ワタシは、その質問に、学のない自分を隠すことができず

「リリアナ先生です!」

「その回答は不十分です、点数をつけられませんね」

そういって、先生はあの明るい笑い声で優しく、思いやりに溢れた声で、その場を包んでくれました

それからワタシは、哲学の勉強を始めました



「先生、ママが、ママが…死にました」

穏やかな時期が過ぎたあと、ワタシのママは自宅で首を吊っていました。
床には、パパが日本から送ってきた手紙が落ちていました。
第一発見者のワタシは、ボラーニョの小説の中の悪ふざけが現実に現れたのだと思って、小説的な出来事に捉え、自分の立ち位置を確認することをおろそかにし、2001年に財政破綻を体験しているアルゼンチン市民には珍しくない“日常の出来事”だと納得してしまいました。
ただ、タンゴのことを忘れて教室にも通わず、現実の何かが欠け始めていることに対し、人生には何の値打ちも、甲斐もないことに思えて仕方がありませんでした。哲学は、先生の哲学は何かを教えてくれるのかもしれない。落ち着いた頃、ワタシは先生に自分の人生に起きた事柄を告白してみました。

先生は、ワタシが告白する間、手を取って真摯に耳を傾けて下さいました。
ワタシは大学の学生ではないことも伝えました。哲学には詳しくなかったことも。
先生の眼は、穏やかなままでした。


「リリアナ、日本はどうかしら?」


フォルクローレの歌手、リリアナ・エレーロ

先生は、大学の講師でもあり、ミュージシャンでもありました。
CDを何枚か出していて、2006年に日本公演を行ったことがあり、日本の夜のニュース番組でも歌ったことがあるそうです。

日本に何の繋がりがあり、いったい、何か魅力があるのか?

なぜ、先生は行き先に、日本を薦めたのか?


日本


ワタシタチを置き去りにしてったパパの行き先で

地球の裏側


久しぶりに、タンゴの教室へ行き、ワタシは独りで、タンゴを踊りました。

「ウノ 、ドス、トレス」

「ウノ 、ドス、トレス」

数のことだけ、無心に、考えを現さないように、その瞬間だけのワタシになれるようにーー



時が経ち、タンゴのダンサーとして、スペインに渡ったワタシは、生計を立てながら、日本語の学校に通って、その日暮らしの生活をしていました。
日本には行ったことがないまま、夢なのか、希望なのか、先行きだけをリリアナ先生に示されたまま。
世界政府の「マニュアル」は、スペインでのダンサー生活の生計に役立つものでしたが、『貧困』や『後のなさ』が失われ、ワタシの自己表現の根底にあった切迫感の足捌きを変えてしまったのです。
スペインで出会い学んだフラメンコ の踊り手たちにも、内なる炎が消え、安楽死を選んでいたのです。

日本からスペインへとやって来てフラメンコギターを学んでいた男がいました。
ワタシは彼に日本語を教わり、彼にワタシはスペイン語を教えました。

「新型マナヴォリックウィルス」の流行があり、そして政府の「マニュアル」により、世の中が変わった。
彼は言いました

「フラメンコ から感じたあの情熱が、スペインから失われた
 生活の安定や精神的な安定は、この音楽には却って不要なものなんだ
 僕は死にに来たわけでも、フラメンコ に殺されに来たわけでもない
 自分の心に火を灯すために、選んで来たんだ
 だが、もうここで死ぬか、本当に全く異なる人生に変えるしか
 選択はないようだ」


彼は日本へは帰らず、スペインの地で死ぬことを選びました

「カロドポタリクル」を内服して


スペインでの夜、夢の中で、故郷、ブエノスアイレスの街を歩いているワタシがいました。
あの乾燥した空気、街は、穏やかな表層の下、夜の通りではギター弾きの指が切断される。誰かが殺され、喧騒があり、朝になれば通りは穏やか。街は続いて、そして、気づいたら、ワタシは誰かの背中を探している。
パパの姿が、もう、忘れかけて、朧げに浮かんだパパの背中がーー


時間が、ワタシに何かを当て

ワタシは、その時間に、何かを当てる


日本へ、日本へ行こう


ワタシは、パパの背中が残るであろう日本へ。
『人生の置き忘れ』を、ワタシは、自分の時間を解決することに決めたのです。



日本の空港に着いて、降り立った後、空気が湿っているのを感じました。
アルゼンチンの乾燥した空気と違って、重く、そして、暑い。
ワタシはパパの消息をママが床に残した「パパの日本からの手紙」の住所を頼り。
ギター弾きが遺してくれた日本語も頼りに、リリアナ先生の優しく明るい安心で包んでくれる声、ワタシの背中で見守っているものに力を与えられながらーー

ヒッチハイクで乗り合わせた人たち、ワタシの日本語の流暢さに感心していて、何だかボラーニョの登場人物の旅みたいで、可笑しく思いました。


郊外の駅で降ろしてもらった後、ワタシは歩いてみることにしました。
日本の地に来てから、車で移動する時間が多かったので、この見知らぬ土地を自分の足で感じてみたい気持ちになりました。
湿った空気、暑い太陽、アルゼンチンの面影も感じない。でも、歩いていると、街の少し郊外まで来たら、自然があり、森林浴ができる公園があり、神社という宗教施設があり、人の顔は少しずつ、柔らかく、穏やかに、リリアナ先生のような優しさを感じさせてくれます。
パパもきっと、そんな表情を、この日本の地で、浮かべていることを思うと、ワタシの足取りは、軽やかなタンゴで、ウノ 、ドス、トレス と刻むのです。


「マテ茶が飲みたい」

ワタシのアルゼンチンの血は渇望していました。この日本の地についてから、何かが足りなかったの、喉が乾いて仕方がないの!

街の郊外の辺りを見渡しながら、この際、スターバックスでもいいから、マテ茶はあるかしら?、飲み物を置いてそうな店の看板を探し、ウノ 、ドス、トレス。
それっぽい看板を見つけ、店内に入りました。店内の雰囲気は、何故だか落ち着かない様子で、何かがあった風でした。これもまたボラーニョ風な展開かしら?とワクワクして、店のカウンター席のモニターの警告画面が眼に留まりました。


「あなた達に与えられた猶予は、あと3日間
 -恋した瞬間、世界が終わる-」


「は? なに? 何の店?」

「コーヒーショップだよ」

ワタシが受けた日本へのカルチャーショックに対し、店を出る去り際の男が穏やかな口調で話しかけてきました

「マテ茶は? マテ茶はあるの?」

「待て茶? マテ…? すみません、日本語のもしかしたら、表現が…」

「合ってるの! 『日本語』で、マテ茶なの!」

面倒くさい男に感じて、タンゴを踊って、つまづかせてあげようかしら?と条件反射的に男の手を取って、ワタシは強制タンゴを男に踊らせました。その場で、ウノ 、ドス 、ト…

男はあっけなく、3カウント目で床に崩れ落ち、最悪なことに…男の足はワタシの足を道連れにしながら絡み合い、もつれたままの床ビターン!

床についたワタシの鼻先には、一輪の花が舞い落ちてきました

店内の客たちは、そんなワタシタチの様子を見て、場が和んだのか

「わはははは!!」
「あっははは!!」
「ぷぷぷ!!!」
「だっさー!」
「アホか」


「ハポン!!」

「葉ポン?」

床に落ち、ワタシと鼻先で居合わせる男が、またワケノワカラナイコトヲ

「日本って、意味よ! バカ! バカ日本人!!」

ワタシの日本への印象はもう、床ビターンに

「君は、どこの国の人?」

男は、ワタシの鼻先に落ちた花をさっと取って、立ち上がった後でワタシに手を差し出しました

「…アルゼンチンよ」

「アルゼンチン? アルゼンチン…」

と、男は何か自分の中のアルゼンチンへの情報に引き出しはあるのかを探していました

「リリアナ・エレーロ?」

ワタシは、眼を見開いて、男を見ることになりました

「先生を、リリアナ先生を知っているの?」

「先生? ああ、何かの先生もしていたんだったか
 いや、CDを持っているんだ
 日本に来日したことがあって、日本のニュース番組で歌ったのを見てから
 ファンなんだ
 君はところで、なんで日本へ?」

「ワタシが降り立った地は、
 “ワタシタチ”がやり直すための地なの!」

今度は男が、ワタシのその言葉を聞くと、眼を見開いて、何か、はっ とさせられたような表情を見せました

「そう、“私たち”だ」


 ーー何かを変えたければ、その時間、その人に“光”を当てる
   その人のイメージに“光”を当てる
   そして、文脈を変えなければならない 
 


 

第61話「メッセージ2 彼方からの手紙」

第61話「メッセージ2 彼方からの手紙」

ある日の午後、エリヤがいつもより早く帰ってくると、女が家の戸口にすわっていた。
「何をしているのですか?」
「何もすることがないのです」と彼女が答えた。
「では、何かを習いなさい。今、沢山の人々が、生きるのをやめています。この人たちは怒りもせず、泣きもせずに、ただ、時間がすぎるのを待っているだけです。人生の挑戦を彼らが受け止めようとしないので、人生はもはや、彼らに挑戦しようとしません。あなたも、その危険をはらんでいます。人生に反応し、立ち向かいなさい。生きるのをやめてはいけません」
「私の人生は今、意味を持ち始めました」うつむいたまま、彼女は言った。「あなたがここへいらしてからのことです」
(第五の山 パウロ・コエーリョ 山川絋矢と山川亜希子訳)



彼の詩が、再び、世の中の電子機器の画面上に公開されたーー


 
 送り先を知ったのは、いつのことだったか?
 
 いつもあなたは、空の下
 空の下から写真を撮る
 物珍しさを欠いた構図で
 目先を変えるためのテクニックで
 そうじゃない?

 いつもあなたは、空の下
 空の下から声をかける
 『早く』と、私は声をかけるのに
 空の上を知らないまま
 

 物語から書き起こされて
 誰かが書いた物語から産まれた
 その上書きが書き換えられて、曖昧さを残す
 だけど、その曖昧さがまして人間のように思えたら
 作者がオリジナルなの?
 私たちはコピーなの?

 空の上を知らないまま、生きている

 でも、
 今は物が私たちを動かしている
 物が私たちの時間を奪っている
 奪っている
 魅了されて、離れ難くしている
 偶像崇拝に
 脳味噌を腐らせている

 不機嫌になってしまった自分が不快で
 素直に受け止めようと思っても
 怒りがそれを勝った

 怒りが悔しかったーー

第62話「小さな愛の木」

第62話「小さな愛の木」

 リリアナ・エレーロ が歌う
 Arbolito del querer(邦題:小さな愛の木)

 与えられた3日間
 残された3日間


 最後の3日間をーー


「へー、マテ茶は知らなかった」

「そうよ、ニワカ男。アルゼンチンを知った気になってたのよ」

果たして、自分の知らないことを知るのは良いことなのか? 知識をひけらかす奴は嫌いだが、知る必要があることをそのタイミングで教えてくれるときは受け入れることが大切だと思う。今は何かを受け入れるときなのだろうか?

「おまえは、“何処”に向かっているんだ?」

「アンタ、リリアナ先生のCDかけてよ」

なんだか知らないが、この女は、助手席の収納スペースのグローブBOXを勝手に開けて、探っている。

「なんだ、あるじゃない。ところで、今どきCDを車で聴くなんて、アンタ何歳なの? おっさんでしょ?」

面倒臭い女を乗せてしまったことに後悔している。
そして耐えられないことに、カーオーディオのCD取り出しボタンを勝手に押したあと、出てきた“doc watson”のCDを、リリアナ・エレーロのCDケースに入れて閉まった。

「そういうこと、困るんだよ」

「ハポンって、神経質なんだね。それに何このCD? doc watson? だれよ? アンタ、きっとオタクって奴ね」

「よく言うよ。外国人は、日本のアニメオタクばかりじゃないのか? オタクの気質は全世界共通だろう? 伝統文化に目を向ける外国人を見習えよ。ただ、武士道、ブシドーと、誰かに固められ造られた日本のイメージばかりに目を向けるやつも困るんだよ」

「ハポン、そう言うアナタは日本の何を理解し、護っているの? 神道って奴? 神仏習合は知ってるの? 縄文文化は? 日ユ道祖論は? 日本の古代の言葉は? 旧仮名遣いから変わった経緯は? 旧暦については? 明治時代で変わってしまった伝統は? どうせ2礼2拍手1礼をしてるんでしょ? 麻についての知識なんて無いんでしょ? 日本の伝統工芸の物を選んで買って家に置いてあるの? 松岡正剛の本は読んでいるの? ワタシは日本酒は純米大吟醸が大好きよ。アナタはどうせ醸造アルコールが入っている日本酒にごまかされているんでしょ? そうでしょ?」 

「…日本文学は好きなんだ、川端康成は読んでいる」

きっと、こいつの性格は、お国柄ではないのだろう。そうなんだ。きっと、こいつは独特なんだ。そうなんだ。きっと、こいつは他人には理解されずに苦しんできた人生なのだろう。そうなんだ。そういうやつなんだ。そういうやつなんだ…さあ、あとは深呼吸を何回かして、心を落ち着けよう。それから、こいつを車から降ろせばいい。

「ああ、早く、マテ茶が、飲みたいなー」

「おまえ、降りろ」

後続車が来ていないことを確認すると、私は車を路肩に停めた。助手席のドアが勝手に開いたらどんなにいいことか。アルゼンチン女は、助手席に座ったまま少しも動かない。

「ハポン、ワタシタチは知り合ってから何分くらい経ったかしら?」

「さあ、神経質じゃないから、いちいち時間なんて気にしないんだよね」

「お互いのことを理解するのって、時間が掛かると思うのよ? そうでしょう? それにアルゼンチンの女って、珍しいでしょ? そうでしょう? 余計に時間を掛ける…そう“賭ける”ことに価値があるように感じないかしら? そうでしょう? そうでしょう?」

カーオーディオからリリアナ・エレーロ

 遠くもない 老いもない 「決してない」もない
 この忘れ去られた無価値の中では
 もしみんなが考え始めたなら
 人生はもっともっと長く感じられるだろう
 あなたがワタシの人生にもう一度“賭ける”なら
 ここには「その間」も、「その後」もない
 放っておいて、ワタシタチのためにそれを繰り返さないで
 ワタシタチとカレラ、アナタとワタシ
(リリアナ・エレーロ「隣の家」対訳:谷本雅世 ※一部を書き換えてます)


いつの間にか、私は隣のアルゼンチン女と一緒に歌い始めていた。そう、私は、アルゼンチンの言葉で、その訛りで歌ってみたかった。スペイン語を習いたくて、教室に通おうと思ったこともある。スペイン語の本も買ったことがある。仕事が忙しくなって、学習の時間が徐々に確保できなくなって、そのうちに諦めた。諦めても、頭の片隅で思い出すことが何度もあった。
私は行ってみたかった、アルゼンチンに…ん? 日本文化についてあまり考えてこなかった…?

「ワタシ、スペインに居たこともあるの。フラメンコ にも詳しいの」

私は、スペイン、同じスペイン語圏の国々にも関心を抱いていた。
フラメンコ ギター が好きだった。

「おまえ、マテ茶が飲みたいのか?」

「はい、ワタシはマテ茶が飲みたい雌犬です!」

「そうか! 連れて行ってやろう、ワハハ!!」


   (ぷぷぷ… by アルゼンチン女リリアナ)



ーーその男は、エンジニアの職をしているそうで。
(強制)タンゴしたあと、ヒッチハイク?して、たまたま乗り合わせた。

日本人のくせに、日本のことをあまり知らない奴。
今は、マテ茶を飲みに、共に行動している。
何処まで? さあ? ワタシは、パパに会いたい。

「その、時代遅れのノートパソコンは何なの? それと、その、胸のポケットに忍ばせている花、すごく目立つわよ」

「ああ、それはいけない」

そう言って、彼は、胸ポケットの奥に差し入れるように隠しました

「あんまり変わらないじゃない! ワタシに任せて」

ワタシは、彼の胸ポケットに手を差し入れようとしたとき、彼がワタシの手を払い除けようとする仕草を感じましたが、何か躊躇するようにした後、何かを感じたのか、諦めて、それからなるようにワタシに任せてくれることを感じました

「アナタ、勘違いしてない?」

「何を?」

「別に、いいけど」

そう言って、ワタシは彼の胸ポケットの花を、ワタシのハンカチーフで包み。
また彼の胸ポケットへと戻しました。

「却って、目立ってないかな?」

「ウルサイ!」

「一つ、言っておく」

「なに?」

「日本には、四季がある。春、夏、秋、冬
 君たちの国は、それが欠けている」

「アルゼンチンの冬だって、寒いわよ?」

「日本の四季は、他の国と比べて、それぞれがバランスよく際立っている」

「まあ、日本は国土が広いからよね?」

「そう、それぞれの季節を際立たせる場所がある
 北海道と沖縄では季節感が、かけ離れている
 でもだから、それぞれの季節を意識して、忘れられない
 忘れてはならない
 夏の日差しと、秋の日差し、その差、その差の印象
 一陽来復
 冬が来れば、また必ず、春が来る
 雪の下、次の季節が忍んでいる
 それぞれの“物語”が人生に帰ってくることを思い出させる
 人生は四季を巡り、その中でそれぞれの出逢いがある
 そして、四季それぞれに活かされる人がいる」

「つまり、ワタシってこと?」

「自分“だけ”が特別と思わないことだ」
 
「分かってるわよ…そんなこと」

「おまえ、名前は?」

「リリアナ」

「は? おまえが?」

「“特別”ではない、リリアナよ」

「おまえも、リリアナ? そう…なんだろうな多分」

「なによ?」

「リリアナ、日本には、居場所がある
 四季それぞれを際立たせる場所がある
 きっと、日本のどこかに」

「…先生」

「おまえの先生にはなりたくないよ」

「マテ茶は?」

「思い出すなよ、忘れろ」

「ハポン、分かったわ。ワタシは、あなたを信じる」

きっと、どこかにマテ茶が飲める場所があるのかもしれない。この日本にも。
でも、有っても、無くても、あの安楽死したギタリストのようにワタシはここを死に場所にはしない。ワタシには、アルゼンチンがある。
だから、その間は、アナタの四季を信じて、視ていてあげる。
車が目的地へと向かうのかは分からない。でも、その間を、忘れないであげる。

ハポン、アナタに、ワタシは光を当てるーー


「アルゼンチンの先生のことよ」

「…アルゼンチンの先生なんて知らないよ。そんなに国際的な人間に見えたのかな? ワハハ!!」

「早く、強制タンゴがしたいな」



 ※恋した瞬間、世界が終わる -第8部 思ひそめしか 完-

恋した瞬間、世界が終わる 第8部 思ひそめしか

確かなもの

恋した瞬間、世界が終わる 第8部 思ひそめしか

メトロポリス ファミレス 鳳凰 安楽死 ココ・シャネル アリュール 地上の上 路上 ログアウト マニュアル ビートニク 恋した瞬間、世界が終わる

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第55話「思ひそめにし、夢のなか」
  2. 第56話「旋回する頭上の鳥」
  3. 第57話「メッセージ1 良いことを視て、良いことを聴き、良いことを発する」
  4. 第58話「余震」
  5. 第59話「あなたに見せてあげられるもの」
  6. 第60話「その時間に当てる」
  7. 第61話「メッセージ2 彼方からの手紙」
  8. 第62話「小さな愛の木」