鬼の一望

 およそ七メーター先の銃口にちらりと目をやり、男が口を開く。
「どういう冗談だ?」
 自身が発した月並なセリフに薄笑いを浮かべた。
「メモリーセルを返してください」
 平静な機械音声が四度目になる要求を告げた。男の前方に立つ人物だ。ゆるく伸ばした腕の先にはケースレス式の全自動拳銃、強烈な紫外線を遮る防護服は体に密着した運動性能優先型だ。
「おめえから物借りた覚えは無えな。貸しばっかじゃねえか」
 小首を傾げ、合金製の強靭な白い歯を見せた。
「あなたが所持していることは知っています。それはあなたの物ではありません。返してください」
 銃口は微塵も――本当に微塵も揺らがなかった。
 男が硬そうな唇をねじ曲げる。親しげだった笑みが苦笑に変わった。奥を透かし見ることは叶わないが、防護服のフェイスシールドを睨む。
「なんだよ、おふざけか? べつに俺が持ってても不都合は無えだろ。こいつを証拠に俺たちで弾劾ぶちかますんだろが。あのゲス野郎の悪党ヅラに一発ぶち込む! な?」
 片方の拳を突きつけてみせたが防護服の人物は反応を示さない。
「それを確約した事実はありません。お願いです。メモリーセルを返してください」
「勘弁しろよ、わざわざ呼び出すからなんか面白れえネタでもあんだろうと思ったら――」
 言葉の途中で男が舌打ちした。強化された聴覚が微かな振動を捉えたのだ。銃弾が自動装填される音だった。
「こいつ……なんだってんだ」
 警戒心に低く呟いた。先ほどから聞いている機械音声は知った人物のそれだったが、言い回しにまとわりつく違和感が気になっていた。この場所に着いた時もそうだった。炎天下の礫砂漠に黙然と佇むその姿に、何か近づき難い異常性――使い慣れた言葉にすれば“ヤバさ”を感じた。だから距離を取ったのだ。
 眼前の人物を改めて観察する。手足の長い特徴的な体型は見慣れたものだった。防護服は一般流通品とは異なる、身体運動補助強化性能を備えた特装品だ。ヘッドギアのフェイスシールドには視覚用機眼を一対、頭頂部には小型のセンサーコーンを一本備えている。どれも他の人物の肉体では絶対に動作しない。だからこそ男は眉をひそめた。
 脳内インプラントを介してサポートAIに指示を送る。
 サポートAIは男が指示を発するより早く、受け慣れた前駆脳波を感知していた。即座に防護服の人物のコミュニケーションシステムにアクセスする。マイクロ秒単位でID確認を完了し、指示が言語化されるのを待って答える。
〈ID確認できるか?〉
〈照会に応答あり。本人に間違い無しっす。じゃなきゃ身体運動補助強化システムは動かないっす〉
 自身が使うAIの性能を疑うことは無いが、男は納得できなかった。奥歯を噛む。直感がこの事態を危擬していた。
 銃口を無視し、腕組みして俯く。数秒後、出し抜けに顔を上げた。目を剥き顎を突き出す。荒々しく振り立てた両手の中指を三回突きつけ、怒鳴る。
「こいつは! 渡さねえ! ボケェ!」
 相手を睨みながら傍らに唾を吐き、背中を向けた。四十メーターほど先にある岩棚を目指す。その下の日陰に車が停めてあった。草一本生えていない灰黄色の涸れ地を大股に進む。
〈旦那、撃たれますよ?〉
〈大丈夫だ〉
〈あの人、裏切ったんすよ〉
〈うっせぇだーってろ〉
〈車、動かしましょうか?〉
〈いーっつうの〉
 無防備に歩く男のスキンヘッドを中天の炎が容赦なく炙る。つややかな頭皮が光を撥ねる。常人ならやけどするほど熱いのだが平然としていた。男の身体改造は分子レベルにまで及んでいる。いくつもの技術革新を経て強化修正された体は、もはや死ぬのが困難と評される域に到達していた。
 土埃に覆われた年代物のオフローダーまで半分の距離を過ぎた。男は歩をゆるめない。口元を引き締める。背後が気になって仕方が無い。
 残すところ十メーターとなったが何も動きは無い。顔をしかめ、明日からは後方視認装備を常備すると誓う。
 五メーターを切っても音沙汰は無かった。サポートAIが車のドアを開く。熱い外気が空調の効いた車内に殺到し、適温に保たれた空気を一挙に追い出した。
 男はドアに手を掛けて束の間動きを止めた。軽く跳んでポジションの高いシートに腰を落とす。音高くドアを閉めるとルーフの土埃が躍った。ステアリングホイールに片手を置き、横目で防護服の人物を覗き見る。こちらを凝視する銃口と目が合った。舌打ちして呟く。
「弩阿呆」
 モーターをスタートさせる。
 窓を開けて中指を立てた腕を突き出し、マニュアル操作で勢いよく発進させた直後だった。
「待ってください」
 機械音声が鼓膜にねじ込まれた。男の顔が歪む。
「遅っせえしうっせえ!」
 ブレーキペダルを蹴って急停止させ車外に飛び出した。叩きつけるようにドアを閉める。歯軋りを響かせると足元に唾を吐き、つかつかと数歩進んで立ち籠める土煙から抜け出した。もう一度唾を吐く。
「ふざけんな馬鹿野郎! 鼓膜が破れっちまうだろうが!」
 防護服の人物が発した単一指向サウンドの音量に苛立っていた。
「メモリーセ――」
「うっせえ!」
 怒鳴ると同時に懐から銃を抜いた。親指が器械式安全装置を解除する。カートリッジを使う旧式の大型半自動拳銃はすでに装填済みだった。全金属性の重く強暴な得物を両手で掴み、防護服の人物に向かって足早に歩を進める。
「メモリーメモリーうっせえ! オウムか!」
 彼我の距離を先ほどと同じに取ると足を止めた。片方の足を後ろに引き、突き刺すように銃口を向ける。
「おめえさっき、計画を反故にするみてえなこと言ったな。理由を言え。一応聞いてやる」
 防護服の人物は変わらず銃を構えたままだった。男の気魄を浴びても、応じる機械音声に怯みは感じられない。
「あなたの言う通り、先の計画を実行に移すことはできません」
「その理由を言えってんだよ」
 数秒が過ぎ、男が声を高める。
「言え!」
「ボスが死亡したからです」
 男の眉が片方、ゆっくりと持ち上がった。ついで薄笑いが浮かぶ。
「あのゲス野郎がくたばったら大ニュースだ。世間には伏せられたとしても俺の耳にはすぐ入る。ガキみてえなホラ吹くんじゃねえ」
 防護服の人物が軽く首を振った。
「わたしのバイタルモニターとログを開放します。確認してください」
 嚙み合わない返答を訝しみながら、男はサポートAIに指示を出した。直後に報告が入る。
〈旦那、えらいこってす。この人死んじゃってましたよ〉
 男は無表情だった。防護服の人物を見つめたまま、わずかに首を傾げる。
〈ちょっと何言ってんのかわかんねえ〉
〈要点を報告しますね。この人は合成人間に特有の後天性脳電消失症候群で死亡、確定時刻は今朝十時二十四分、旦那にコールが入る五分前っす。目の前に立ってるのはこの人――もうあの人っすね、“あの人の複製脳とサポートAIとの複合体”が動かしてる“脳死体”なんすよ。リアルタイムの生データも確認したから間違い無いっす〉
 男が短い唸りを漏らした。
〈なんだあそりゃぁ〉
〈さっきの『ボスが死亡』って発言は、あの人のボスであるゲス野郎こと我々のターゲットじゃなくて、この複合体のボス、つまりあの人ことだったんすよ。えぇと、わかりますよね?〉
〈あいつは死んじまって、目の前で俺を脅迫してんのはあいつが使ってたAIだってことか?〉
〈そうっす。正確には“あの人の複製脳とサポートAIとの複合体”っすけど〉
 男は黙り込んだ。防護服の人物の足元から視線を這い上がらせ、フェイスシールドに鋭い眼光をねじ込む。数秒後、小さなため息を漏らした。
〈侘しいこったな……死体がなんで動いてんだ?〉
〈気になったんで質問したっす。複合体の話によると、四か月前に脳電消失の前兆とされる最初の発作があったそうっす。それを切っ掛けにあの人は複製脳の思考制限と欲求制限を解除、複合体と自身の肉体を感官リンクして身体感覚の共有を開始しました。さらに肉体と複合体との身体的親和不足を機械的に補う目的で身体運動補助強化システムをレベル10までアップグレードしました。そして今朝あの人は脳死、肉体はシームレスに複合体のものになった、ってワケっす〉
〈あいつ……全部違法じゃねえか〉
〈それ、職業殺人者のあの人に言います?〉
 舌打ちした男が口を開く。
「おいAI、てめえの使用者に成り済まして何する気だ?」
〈“AI”より“複合体”が適当だと思うんすけど〉
〈うっせえって〉
 防護服の人物――複合体が答える。
「メモリーセルをすぐに返してもらえると思っていました。ボスが死亡したことを知れば、複製脳であるわたしには渡してもらえないと考えたのです」
「当たりめえだ。機械のおめえがメモリーをどうするってんだ」
「わたしの目的は、メモリーセルを回収してデータを抹消する、ただそれだけです」
「あいつの命令か?」
「違います」
「あぁ? それで得するのはあのゲス野郎だけだな。ハッキングされたか?」
「ハッキングは不可能です」
〈複製脳の動作原理は一般AIと違うっす〉
〈揃って突っ込むんじゃねえよ。つうか、このAIは勝手にこんなことやってんのかよ〉
 男は顔をしかめた。複合体に向かって戒めるような口調で浴びせる。
「馬鹿馬鹿しい、時間の無駄、無意味、だ。銃を仕舞え馬鹿野郎が。使用者が存在しねえ廃棄対象のおめえがそんなことしてなんになる」
「わたしは人間になるのです」
 男の目が軽く見開かれ、細められた。薄笑いが歪み侮蔑の色が混じる。
「おぉっと、イカレAIか。前世紀の遺物だな。複製脳の違法運用で現代に復活ってワケだ」
〈ねえ旦那、さっき接続した時にシステムモニターも見せてもらったんすよ、そしたら法定の機能制限が全部外れてたんす。これってアレじゃないすか?〉
〈なんだよ〉
〈複製脳が完全に機能したら憑き物がする、ってやつ〉
 男が鼻で嗤った。
〈オカルト狂いがでっち上げた妄想だ。そんなこと喋ってたらおめえもイカレてるって言われんぞ?〉
〈そうっすか? 有機系複製脳が御法度になったのはそれが原因って話があるじゃないすか〉
〈ウチに帰ってから好きなだけ考えろ。そんなことより目の前の問題だ。こいつがイカレてるとなると、いつ撃つかわかんねえからな〉
〈あれ? さっき大丈夫だって……〉
〈馬鹿、相手によるだろが。あいつの気が変わったってんなら話のしようもあったけど、死んじまってイカレAIが相手じゃな……頭吹っ飛ばすか?〉
〈複製脳チップが頭部にあるとは限りませんよ。あったとしても独立AIチップより少し大きいくらいっすから当てるのも難しいっす。それに旦那が撃つより先に複合体が撃ってきますよ、センサーコーンで旦那の指の動きや顔色は丸見えっすから。あのケースレスガンは連装バレルだし装弾数もこっちの四倍強っすから、旦那の体穴だらけっすよ〉
 男の頬が小さく引きつった。
〈俺の反応速度ナメんなよ。つっても、服に穴開けられたくねえな。おめえ車使って――〉
 言葉を発しない男に向かって複合体が語り掛ける。
「あなたにメモリーセルを預けたのち、ボスは数日間思い悩みました。人権侵害に当たる不正を弾劾する社会的正義と、自身を地獄のような日常から救ってくれた恩に報いる個人的道義、どちらを取るべきだったのかと。結論はこの通りです。メモリーセルを回収してデータ――」
「ナーンセンスだ!」
 男が言葉を被せた。
「あいつは死んじまった。あいつに恩を売ったゲス野郎がどうなろうが、この星が爆発しちまおうが、死んだあいつは無関係だ。生前の目的が死後に達成されても、それを満足するあいつは存在しねえ、消えちまった。意味無しだ。おめえはあれだ、使用者が死んだのに自動停止し損ねて狂ってんだ。鉄砲なんぞ持ち出して人間様を威しやがんのは、あいつが殺し屋だったせいか?」
「ボスはあなたを慕っていました。あなたはボスを差別することも無く、熱心に仕事のノウハウをレクチャーしてくれました。そのお陰でボスは一人前になれたのです。仕事だけでなく、プライベートでも付き合いを持ってくれたのはあなただけでした。このような事態になったことは心から残念に思います」
 口元を歪めた男が皮肉めいた口調で言う。
「心からねぇ……あいつが組織を抜けるって言った時は期待したんだがな、改造人間と合成人間のコンビが組めるってな。それが、この有様だ。まったく……」
 一瞬だけ苦々しい表情を浮かべ言を継ぐ。
「機械のおめえに通じるか知らねえが、改めて言うぞイカレAI。このメモリーセルには人間にとって大事なもんが入ってる。表社会でいいツラしてる裏社会の大物ゲス野郎を吊し上げるためのネタだ。おめえの使用者がどんな理由でこれを消そうと決めようが、死んじまったらそんなことどうでもいい。全部無意味、無効だ。それどころか、おめえの使用者が『先輩』つって懐いてた俺の邪魔することになるんだぞ。恩を仇で返すってやつだろが。とっととてめえでてめえの電源切りやがれ」
 複合体は語ることをやめなかった。
「最初の発作が起きたあと、ボスが話してくれました。ボスは合成人間であるというだけで幼少期から迫害を受けつづけました。生きるためには最下層犯罪者という道を選ばざるを得ませんでした。そして、そこでも差別から逃れることはできなかったのです。残虐がまかり通る裏の世界で、ボスは両眼を抉られ喉を潰され四肢を挫かれました。ついに死を受け容れようとした時、あなたがゲス野郎と呼ぶ人物に命を救われたのです」
 男が嘲り声で応じる。
「殺し屋に仕立て上げるためだ。俺の後釜としてな。あのゲス野郎にいいように使われてポイ捨てされる道具なワケだ。考えるだけで腹立つぜ」
 唾を吐いた。
「あなたやボスが受けた精神調整が違法なレベルであったことは確かです。ボスも自身の心を操られていたことを知って深く傷つき、悲しみました。また自分は裏切られた、命の恩人にまで裏切られた、と。だからあなたを頼り、指示に従って違法精神調整の証拠を集めたのです」
「それを使ってゲス野郎を失墜させる、それでめでたしめでたしだろが」
「いいえ。ボスは思い直したのです。世の中から排斥され誰にも必要とされぬまま消える運命にあった自分には、生きる理由を与えてくれた人物を糾弾する資格など無い、と。与えられた目的を果たし恩に報いよう、自分は必要とされているのだ、そう結論したのです」
「言いなりに殺すことを正義だと思い込まされたままでか。操り人形だぞ。あいつはそれでいいって言ったのか?」
「分相応、そう言っていました」
 男が大仰に顔をしかめる。
「ったく! 情けねえ!」
 唾を吐き小声でつけ足す。
「生きてりゃ根性叩き直してやったのに」
「わたしはボスのやっていたことが善いことだったとは思いません。人間である以上、たとえターゲットが重犯罪者であったとしても殺人は悪です。強力な精神調整に依るところが大きかったとしても、本人に同調の意思があったことは否めません。ただ、ボスは命を救われた恩に報いようとしていました。それは善だと思うのです。しかし違法精神調整の証拠があなたの手に渡ったことによって、ボスは恩人を裏切ることになりました。自身が嫌悪する裏切りに、自らが裏切りで応じることになったのです。そして、それを正すことができないまま死亡しました」
「俺に対する裏切りじゃねえのかよ、なんて野暮なことは言わねえでおいてやる。どうだろうと死んじまったらすべてパア、この件は決着だ。俺がゲス野郎を潰して終わりだ」
「いいえ」
 素早い否定に男が舌打ちした。
「終わりにはしません。わたしはボスの遺志を継ぎメモリーセルを――」
「無意味だって言ってんだろが!」
 歯を剥き出し怒鳴る。
「死人のためになんかするなんてこと、馬鹿馬鹿し過ぎてアクビも出ねえ! 人間がするならわからねえことも無え、世間体を繕っててめえを慰めるためだからな、やりたい奴ぁあやりゃあいい。だけどな、おめえは機械だ! 人間の都合なんかお構い無しに動き回ってやがる、使用者不在で発狂した人工知能だ!」
 複合体がゆっくりと首を振る。
「違います。わたしはプログラムベースの思考に限定されている現行AIとは異なります。高速演算能力を得るためにサポートAIと複合化されてはいますが、ボスの……あの人の脳構造を忠実に再現した非有機系複製脳であり、且つ思考制限と欲求制限が解除されています。だからあの人を想うのです。あの人の遺志を継ぎ行動するのです。人間ならそうするものではありませんか?」
 男が渋面を傾げて複合体を睨む。
「気違いのたわ言だな。てめえの使用者の死体使って動き回ってる奴が何ぬかしてやがる。それが人間のやることか? 死者への冒涜ってやつじゃねえのか? 人で無しのやることじゃあねえのかよ、この化けもんが。まあ、ある意味人間らしくはあるか、人間なんてのはてめえの都合が第一だからな」
 複合体は何も言わなかった。男が鼻を鳴らす。
「とにかく、死んだ人間がどうなんて話はもうたくさんだ。二百年近くも生きてるとな、慣れんだよ、人が死ぬのは当たりめえ、電池切れと同んなじことだってな。世間一般の人間なんてのはな、真っ当な寿命で次から次へとあの世行きだ。どんなにいい奴でも、人から必要とされてる奴でもな。他人の生き死ににこだわるのはそういう奴らだ。カネの力でいつまでも生きてる悪党の親玉やイケ好かねえ政治屋や俺みてえな変人資産家はな、近しい人間が死んだって沈痛な面持ちは葬式まで、すぐに日常が始まってそいつの名前もツラもあっと言う間に忘れっちまう。消えんだよ、死んじまったら。ハナから存在しなかったみてえにな」
 複合体の据えた銃口が微かに揺れたように見えた。
「そうなのですか? あの人のことも?」
「誰でも同んなじだ。消えた人間はなんの役にも立たねえ、そんなもんに用は無え。代わりの人間なんぞいくらでも湧いてくるってのに、もう存在しねえ奴に気ぃ遣ってなんになる、この世界になんの影響がある。てめえの行動に制限掛かって面倒が増えるだけだろうが。得することなんぞひとつも無え。データを消去すりゃあいつが喜ぶ、とでも言うつもりか? 死人が礼を言ってくれるってのか? 虫酸が走るぜ」
 勿体ぶって間を取り、見せつけるように唾を吐いた。
 複合体がゆっくりと首を振る。
「そんな、こと言わないで、くださいよぉそれは、駄目です」
 話し方に不自然な乱調が生じ、甘えとも取れる響きが混じった。
 男が眉根を寄せ口元を引き締める。いまの口調に聞き覚えがあるような気がしたが、その感覚はほんの一瞬の幻聴にも思えた。
「人間がなぜ故人の名を墓碑に刻むのか、あなたにはわかりませんか?」
 複合体の問い掛けに男が唸るように応じる。
「いつまで喋る気だ」
「人間がなぜ故人の思い出を語るのか、あの人を可愛がっていたあなたなら――」
「やぁめろ……もう、うんざりだ」
 言葉通りの口調で遮られ、複合体は口をつぐんだ。
「イカレAI、最後通牒だ。銃を仕舞え」
「あなたは心が麻痺しています」
「あぁ?」
「最後に言わせてください、これで終わりにします」
「やっとか」
「ボスは『わたしたちは一心同体だよ』と言ってくれました。そしてそれは事実でした。元来、人とAI間における思考応答は言語化された思考のやり取りが基本であり、前駆脳波によるAIの行動は学習した単純指示へと繋がるスイッチに応じているに過ぎません。何より、人はAIの思考を直接理解することができません。しかし、わたしたちは違いました。わたしたちには言葉が要りませんでした。わたしがあの人の思考を理解することは無論、わたしの思考をあの人が理解することさえ可能だったのです。互いの心が何を求めているのか、それを知ることができたのです。だからあの人はこの体をわたしにくれたのです。道を外れていると言われれば反論は許されないのかもしれません。しかし、わたしは押し通します。わたしが人間でなくても、気の狂った人工知能と罵られても構いません。メモリーセル内のデータを抹消し……この体であなたの体を破壊します」
「おおっと? キレたか? このAIゾンビが」
 男が薄笑いを浮かべ声を低める。
「やってみろ。俺に鉄砲向けた奴がどうなるか教えてやる」
 目を見開く。拡大した瞳孔に殺気が宿った、その時だった。
 複合体の銃が動いた。長い指の間をすり抜け、硬く乾いた地面で小さく跳ねる。
 間髪を容れず轟音が連続した。男の手の先で凄まじい熱気が炸裂する。
 放たれた三連射は防護服の胸部に集中した。着弾したRIP弾頭が胸骨を貫き分散する。心臓と肺を引き裂き背骨を砕く。いくつかの断片が背を破り飛び散った。
 ヘッドギアが揺らぐ。腰から崩れてへたり込んだ。首を垂れ、地面に落下した粘土細工のように動かない。
 男の銃はまだ黙らなかった。つづけざまに爆鳴を吐く。
 防護服の両腕が肘部分で分断された。さらに両膝が弾け、駄目押しの一撃でセンサーコーンが折れ飛び頭部が破壊された。
 数秒間の沈黙ののち、銃を構えたまま男が小声で尋ねる。
「どうだ、動けるか?」
 その言葉が、同時に複合体にも向けられたのかは定かでなかった。男のサポートAIが迅速に対応する。
〈動けないっすね。人体は完全にお釈迦っす。複合体は機能維持、人体との神経接続は切断、身体運動補助強化システムは機能停止っす〉
 男が鼻を鳴らす。
「まあこんなもんだな」
 薬室に残した一発でケースレスガンの機関部を撃ち砕き、弾倉を交換した。遊底を閉じた銃に安全装置を掛けて懐に収める。抜き出した手には小型の高周波ナイフが握られていた。
〈何する気っすか?〉
「あいつのケツ拭いてやんだよ。三枚下ろしにして複製脳チップを探し出して潰す。ここで血抜きしときゃあ、あとが楽だろ」
〈グロいっす〉
 男は短く笑って足を踏み出した。
〈ねえ旦那〉
「ん?」
〈複合体はなんで銃を落としたんすかね〉
 男が無表情に答える。
「手が滑ったか、殴り合いでもする気だったか」
〈またまた……訊いてみてもいいっすか?〉
「悠長なこったな」
〈マシントークっす〉
 男が鼻で笑い、サポートAIは了承の意を受け取った。複合体のコミュニケーションシステムに再びアクセスする。

〈ちょっといいっすか?〉
〈なんでしょう〉
〈銃を捨てた理由が知りたいんすけど〉
〈あの人のためです〉
〈あんたのボス?〉
〈そうです〉
〈もう少し詳しく、いいっすか?〉
〈あの人は捨てられた合成人間でした。親に相当する細胞提供者は不明です。繁殖欲はありませんが、あの人は家族を欲しました。しかし合成人間には生殖機能が無くクローニングも再合成も不可能です。だから自分の脳構造を複製したのです。わたしはヒトではありませんが家族なのです。わたしがあの人の遺志を受け、メモリーセル内のデータを抹消することは必然なのです。それが人間らしさであり、そうすることでわたしは真にあの人の家族となるのです〉
〈それがあんたのボスのためになるんすか?〉
〈いいえ。じつは、いま話したことはわたしの独り善がりなのだと認識しました。あなたの使用者と会話するうちに、そう思うようになりました。本当に大切なことは、わたしが人間になることなどではないのです〉
〈じゃあ、なんすか?〉
〈あの人が慕っていたあなたの使用者が、あの人を思い出すことです。それがあの人の生きた証となるのです〉
〈旦那があの人を思い出すこと?〉
〈そうです。そうすれば、あの人はそこに存在します。あなたの使用者はそれを気づかせてくれました。すべてが終わったら、わたしが感謝していたと伝えてください〉
〈よくわかんないけど、承諾したっす〉
〈ありがとう〉
〈銃を捨てた理由がはっきりしないっす〉
〈あなたは、わたしが本当に撃つと思いましたか?〉
〈当然っす〉
〈……そうですか〉
〈なんすか?〉
〈いいえ。銃を捨てた理由は単純なことです。あの人はあなたの使用者を慕っていました。そのような感情を抱いていた人物はほかにいません。これはわたしにもあの人にも明確に理解することができない感情なのですが、もしかしたら、あの人はあなたの使用者を家族のように思っていたのかもしれません。だからわたしは撃ちたくなかったのです。また、仮に撃ち合いになっていたとしたらこの体は想定外の損傷を受けていたでしょう。そのような事態は避けたかったのです〉
〈そうっすか。結局、あんたの目的は未達成っすね。うちの旦那のほうが一枚上手ってことっす〉
〈そうですね。ところでその旦那さんは、いま何をしているのですか? 感覚器官が片眼しか機能していないので教えてもらえますか?〉
〈いまから複製脳チップを破壊するそうっす〉
〈当然そうするでしょうね〉
〈それで終わりっすね。じゃ、さよなら〉
〈さようなら〉
 高圧縮の思考交換が実行され、両者の会話は瞬時に終了した。

「なら、いい」
〈聞いてきたっす〉
「速えぇんだよ。で?」
〈あの人が旦那のことを家族のように思っていたかもしれないから撃ちたくなかったし、撃ち合いになって人体が損傷する事態も避けたかったそうっす〉
「ほぉ……そりゃまたありがてえ話だな」
 何かが気に掛ったように少しだけ片眉を持ち上げたが、男は聞き流した。地面にわだかまる複合体の前に立つ。
 防護服に包まれた人体は常人には思いも及ばない有様で折れ曲がり、潰れ、千切れかけていた。漏れた血液が地面に溜まっている。
 男は血を避けてしゃがみ、ナイフを持つ手を伸ばした。折れたセンサーコーンの根元を指先で摘まみ、伏しているヘッドギアを引き起こす。
 機眼が男の顔を認識した瞬間、それは起こった。
〈あ、――〉
 男の眼を通して見ていたサポートAIが電子的変化を感知した。複合体に詰め寄る。

〈何したんすか?〉
〈晶体分解プロセスが進行中です〉
〈効果爆弾っすね〉
〈非有機系連鎖結晶構造体を含有する機器類を不可逆的に機能停止させるものですが、極近距離に効果出力範囲を限定すれば同構造体を使用する拡張生体器官類にも影響を及ぼします〉
〈旦那の体を破壊するってこのことだったんすね。でも、そのレベルの出力強度だとあんたもお釈迦じゃないすか〉
〈想定内です。メモリーセル内のデータは抹消できませんが、あなたの旦那さんの体は破壊されます。目的はきっと達成されます〉
〈抹消できないって、どういうことっすか? あんたが設定した出力強度はメモリーセルの防護コーティングも透過して、データ保存領域を崩壊させるレベルっすよね?〉
〈先ほども話したように、会話をつづけるうちにわたしは考えを改めたのです。データを抹消しても、あなたの旦那さんを不必要に落胆させるだけなのではないかと思ったのです。だからメモリーセルの回収を取りやめたのです。わたしのボスが危険を冒して収集したデータを活用して、あなたの旦那さんも目的を達成するでしょう〉
〈回収を取りやめたってどういうことっすか?〉
〈いまはもう使えませんが、わたしのセンサーはとても優秀だったのです〉
〈ほんとに何言ってるのかわかんないっす。時間も無いし、もういいっす。そんなことより、旦那は死んじゃうんすか?〉
〈いいえ。強化されている骨格筋と人工骨の修復で済むはずです〉
〈それだって大ごとっすよ。こんなことする必要あったんすか? 意味無いと思うんすけど〉
〈当初のプランでは、効果爆弾にあなたの旦那さんを巻き込むことは想定していませんでした。つまり現在進行中のこれは急遽立案されたプランBなのです。しかし、事ここに至ってわたしは安堵しています。こうすることが必要だったからです〉
〈なんで?〉
〈忘れさせないように〉
〈え?〉
 効果爆弾のマイクロリアクターが臨界に達した。
〈やりましたよ、ボス。これで――〉

 防護服を中心に不可視の力が脹れ上がった。半径二メーターの球状空間を音も無く荒れ狂い、唐突に消失する。
 男の表情が凍りついた。ヘッドギアから手が滑り、落ちたナイフに血が跳ねる。ゆっくりと体が前傾し両膝をついた。頭がヘッドギアにぶつかり、そのまま防護服の股ぐらに倒れ込んだ。頭が濡れた地面を打つ音が鈍く響く。
 ほんの数秒間、男は言葉を失っていた。全身が脱力して息が苦しい。血で粘る地面に額を押しつけたまま呼び掛ける。
〈おい、なんか、体が動かねえ〉
〈しばらくお待ちください、しばらく――〉
 サポートAIの応答は無かった。脳内インプラントのBIOSが淡々とメッセージを繰り返すのみだった。

 男の車のモーターが起動した。静々と発進し、方向を変える。砂礫を踏むタイヤの音が穏やかな雨のようにゆっくりと進む。血溜りで額衝く男に横付けした。
「旦那、生きてます?」
 開いた窓の奥から声が掛けられた。
「インプラントの通信チップとAIチップはお釈迦っすから、地声で話してくださいね」
 声は車内のスピーカーから発せられていた。
 男の口から力無く奇妙な声が漏れる。
「∀∂∇∥∧」
「ちょっと何言ってるのかわかんないっす」
「あいあおうあっえう!」
「取り敢えず、旦那が知りたいだろうことを報告しますね。旦那の体が動かないのは効果爆弾のせいっす。発効直前に複合体から聞いたんすけど、非有機系連鎖結晶構造体を使ってる機械と強化骨格筋と人工骨がダメになるやつだそうっす。でもなんか、ほかのところも調子悪そうっすね」
「なんおあしお!」
「その喋り方はしばらくつづきますよね? 意思疎通に支障が出ないように発声のクセを解析中っすから、もっと話してください」
 男が溜息をついた。その声にげんなりだといった響きが混じる。
「あやくうかえに来い」
「もう出発したっす。一時間以内に到着する見込みっす。車種はロングバン、外部駆動体を二体、掃除用具と死体袋を搭載。呼吸が苦しそうっすけど、我慢できるっすね?」
「ああ。晶あいうん解っえこおは、メモいーセうを狙っあな?」
「そのことなんすけど、複合体が『データは抹消できません』、『メモリーセルの回収を取りやめた』って言ってたんすよ。どういうことかわかります?」
「諦めたおか? じゃあ、なんえ……」
 男が唸った。しばし考えて口を開く。
「たうん、俺が“差し歯”吐き出したことに気づいたんあろ」
「後臼歯の金庫っすか?」
「俺が鉄砲抜く前だ。土埃で見えねえと思ったんだがあ」
「あ、複合体が『わたしのセンサーはとても優秀だった』って言ってたっす。なるほど」
「なるほど、じゃねえお。駆動体が着いたら、さっき車停めてた辺り探せ」
「了解っす。ところで解析は順調っすよ」
「聞くまでもねえけど、イカレAIのチップもパアだな?」
「全システム通信不能、完全にお釈迦っす」
「そうか」
 暑さに蒸れた血肉の激臭に辟易しながら、男は小さく息を吐いた。まだ話し掛けてくるサポートAIを無視して目を閉じる。
 数十分後にはサポートAIが操作するバンが到着し、ここでの顛末を示す痕跡はすべて除去される。複合体――後輩にあたる人物の遺体は秘密裏に処分されると男は承知していた。葬儀が執り行われることは無い。人知れず消えていくのだ。
 脳裏に浮かんだ若者の面影を舌打ちで追い払い、目を開けて呟く。
「馬鹿みてえな長生きも考えもんだな」
「なんすか?」
「べつに。ラボ生活が憂鬱だってえの」
 今後、男は肉体修復のため研究開発施設で過ごすことになるのだが、それが堪らなく不満だった。自身の見積りによると、拘束期間は一か月程度では済まないと予想されたからだ。肉体改造と強化を繰り返し百数十年を生きてきた男は、いつからか敢えて危険に身を晒し己の生を確認することを常としてきた。そのような日々の中で、これほどの無力を味わわされたのは初めてのことだった。最も近しい身内として遇してきた相手への油断があったにしてもだ。
「旦那は痛いの嫌いっすからねえ。ところで、いいすか?」
「なんだうっせえな」
「複合体はお釈迦になったし、もうこの件は終わりっすよね?」
「まあそうだな」
「確認したっす。ここで複合体からの伝言っす」
「あぁ?」
 素っ頓狂な声が漏れた。
「旦那に感謝していた、って伝えるように頼まれたっす」
「なんなんだそりゃ」
「よくわかんないっす」
「なんだよ、しょうもねえ」
 舌打ちした男は、ラボに入り次第サポートAIのアクセスログを調べると決めた。人工知能たちの会話を確認して複合体の意図を掴まなければ、おちおち眠ることもできない――そんな感覚に囚われ始めていた。
「ところで旦那」
「もう終わりでいいだろ」
「まあいいじゃないすか、時間はあるんだし。で、複合体はなんでわざわざ効果爆弾なんか用意したんすかね」
 男が面倒臭げに唸る。
「使ってみたかったんだろ」
「いやいや、手軽に入手できる物じゃないんすから、理由があるはずっすよ。複合体はメモリーセルの防護コーティングを予測していたから、旦那との距離が遠い時に使わなかったんすよね?」
「だろうな」
「もし旦那からメモリーセルを受け取っていたとしたら、リスクの高い効果爆弾なんか使わずに物理的に破壊したはずっすよね?」
「だな」
「じゃあ、そのあとは?」
「そのあとも何も、俺がブチ切れて終わりだろ」
「いやいや、使用者のいない複合体には存在理由が無いじゃないすか。ということは、効果爆弾で、あの人の、あとを、追ってえぇ?」
 男が唸る。
「いい加減にしろ馬鹿。このオカルト狂いのイカレAIが」
 溜息をついて低く呟く。
「あいつ……めんどくせえ置土産残しやがって」
 サポートAIのアクセスログ調査に掛かる決意がさらに固まった。複合体があれほど執着していたメモリーセルを諦めた理由も、効果爆弾を使用したことに対する論理的説明も思いつかない。ヒトの介入できない時制でどのようなやり取りがなされたのか、それを知り成行きの真相を究明する必要がある。なんのために他人より長く生きているのか。ちっぽけな記憶媒体を死守して勝ったつもりでいるなど、事勿れ主義の腑抜けたエテ公と変わらない――男の硬い口元に歪んだ笑みが刻まれた。

鬼の一望

鬼の一望

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-05-01

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