聖ビッチ

27。「セント・ビッチ」とお読みください。

 わたしはだれとだって性交渉(セックス)をすることができる、されどだれとだって愛の交合(セックス)をすることができない。
 わたしの躰はかれらの肉欲・肉体の浸食を希むままにうけいれる、そしてわたしの魂はそのことごとくをきんと撥ねかえすのである。わが裸体は肉欲の不在ゆえにかなしいほどに透きとおり、その奥に秘められた淋しくも澄んでいる硬質な憧れを蔽いかくす。それはあるいは少女性のようなもの。幻ともうたがわれるイノセンス、驕りたかぶる淋しさ、そんなもの。
 わたしはただ、この不連続で淋しい躰を林立する花々の群に埋れさせたいのだ──「人間は、みな同じものだ」、そう想い淋しさを埋めたいだけのわたし──、孤独にうがたれ喘ぐように疎外にむせぶ空白を満たしてほしい、ねがわくば、魂をかのひとと連続させたい、そして繋がったままに果てへと連れ込まれてみたい。されどかのひと、センセイは、わたしを愛してなどくれないのだった。すれば仮の男のそれで、代替せざるをえないのである。
 魂を連続させたい、そんな夢のようなことを想いながら、わたしは仮面を被りその純粋さ──そんなものあるのかもわからないだけれど──、そして疎外状況を、むしろ守護しようとする。
 美と善の落す翳のかさなる処、そこに彫刻された蠱惑めいた陰翳、愛の様式。ちらちらとかがよう城。そこへ往ってみたい。まるで愛のようにうごいてみたい。わたしには判らない、果たしてどう生きるのなら、善く美しいのだろう?
 ゆきずりのセックスに躰をくろぐろと染まらせていたくせして──それを穢いだなんてわたしはいっさい想っていないけれど──、まるで、純化された愛のそれのようにうごいてみたかったのだった。純白に浄化された魂を跳ねあがらせ、ついに空へ昇ってみたかったのだった。

  *

 わたしのセフレの平均年齢は二十七歳、そろそろ出世、結婚を意識する年齢、されどかれらはみな、わたしの躰を愛撫しながら、くちぐちにこういうのだった。
「ずっと、このままでいたいな」
 わたしはそれをきくたびにかれらをさげすむ、クズである、わたしだって、おなじ穴のむじなにすぎないのだけれども。軽蔑、この心のうごきは、いつもじぶんに後ろめたい。
 現実逃避。リフジンにたいし奴隷根性でもって抵抗をあきらめて、被害者意識による自己憐憫で自尊心を誤魔化しごまかし、奴隷化された不幸なお姫様きどりで可哀相なじぶんをどこまでも愛している、そんな女がわたしであるのだった。
 人間が変わろうとするのなら、まずもって容赦のない自己批判が必要なのだ。リアルにちかい自画像をドローイングしなければいけない。けれど自己否定、それで終わるのがいつものわたし。はやこれでいいじゃん、そんなのっぺりとした、薄明さながらの虚無がある。
 のらくらと大学に行って──あるいは行かずに寝て過ごして──、遊び代を稼ぐため、男に酒を飲ませるバイトを気が向いたときだけやっている。怠惰に引きずられ、もっとも俗悪な意欲でえたうすっぺらいニヒリズムが、わたしにある。
 すべて、それでいい。
 この言葉に「あなたを愛している」というルビを付け、それを投げこまれてみたいある種のひとびと、いくらなんでも、甘えすぎである。そしてそれがわたし。みずからの悪徳を知っているという注釈の狡さ、自意識過剰によるもの、その俗悪さだって、わたしは識っているのである。
 わたしが識らないもの、それ、果たしてなに?
 まずもって勇気のうごきである。そして有機のうごきである。
 わたしの世界、それには、生活に爛れたセックスが満ちみちているにもかかわらず、はや肉体性がないのだった。世界とわたしは切りはなされていた、まるで疎外者きどり、現実味だってない、じぶんをまるで他人のように想っている、だから他人事のような文章でじぶんの醜さを書ける、じぶんをいっさい信頼できない、男に抱かれていてもどこか他人行儀、自己嫌悪の心のうごきだってそれなのである、快楽もないのに艶々となまめかしくうごくわが躰を、まるで亡霊として、うえから冷然と見すくめているよう。
 わたしには、わが意欲を現実世界に働きかけ、有機的に融けこみリフジンと争う勇気がないのだ。野心。それさえないのだ。どこかへそれを、置いてきたのかもしれない。

  *

 きょう会うセフレくん、かれにだって、野心がない。
 というよりも、わたしのセフレは、ふしぎとそんな野蛮な意欲を押しこめて、どこかリフジンへの抵抗を──ちなみにリフジンって片仮名にしているのは、わたしたちが理不尽だと感じるのは、甘ったれていないひとにとって当然のことにすぎないから──諦めているようなひとばかりなのだった。あるいはわたしがそういうひとをえらんできたのかもしれない、いや、きっとそうだ。なぜってかれらは、わたしを後ろめたい気分にさせないから。すくなくとも、会って躰を重ねているあいだだけは。
 性欲という、肉体に付属されているそれ代表ともいわれがちな欲望に従い──ああうたがわしい──、あるいは引きずられ、社会秩序的に悪徳の関係をまだ十八のわたしと結んでいるくせして、かれらはさながら、神経さえ通っているはずのゆびさきを、枯れた植物のそれのように無気力に垂らしている、されどあわよくばわたしの深部へ這い入れようと、ケモノじみたふるえをうちにみなぎらせているはずなのである──されど人間だって、もしやケモノじゃないかしら──。
 わたしはそんな憐れなかれらを、尊大な気持で、かわいいとさえ思う。わたしは男性を愛玩することで、かのひとに、復讐を果たそうとしているのではないか。わたしたち家族を棄て愛人と一緒になり、ある芸術畑で優れた人間となって、差別的な自尊心をふとらせた父親のことを、わたしは不潔きわまる男だとにくんでいるのだ。不良な男であった。
 野心と勇気がないということ、これはけっして、わるいことではない。されど強くなるということはある種悪人になるということ、野蛮な意欲をもって現実に踏み込み、世界の形状を変えようとする、全我を掛けた勇気をもつということ。格闘の姿がある。自立している。そういう男がモテるのは当然であると、わたしにはおもわれる。わたしにだって、野蛮なものにちからづよく浸食され、果ては身を委ねたいという深い願いがある。そのために本を読んでいるふしもある。わたしはセクシーで危険な色男さながらの書物に、果てはぐいと誘拐されたいのである。良書より、危険な悪書に、わたしは魅かれる。
 やはりわたしには、どこか着付を受身で待っていたい、そんなお姫様気質があるのだと想う。
「あかりちゃん、いらっしゃい。入って入って」
「お邪魔しまーす」
 わたしの声は、淋しいくらいに澄んでいる。いったいだれに似たのだろう。
 ところでわたしの名前は「あかり」ではない、この文章で、わたしは本名を明かす気はないのである。ビッチ。そう呼んでくれれば、よい。破れかぶれに、わたしはそう吐き棄てる。
 仮面の欺瞞を透かす真実の明りへのおそれ、虚構の自分と調和し真実の自分を夢と切りはなさせる必要条件としての淫靡な灯への焦がれ、このふたつに掛けた偽名が、これなのである。
 くわえて、「あかり」って名前はわりとかわいい、気にいっている。少女っぽくて、清楚である。わたしの入念に手入された、楚々たる黒髪ロングにも似つかわしい。男好きもすると思う。繋がったまま「あかり」と呼ぶと萌える、そうもいわれる。わたしは呼ばれるたびに、こう想うのだけれども。
 あかりって誰? そもそも、わたしは誰?
 わたしはセフレをアプリで探しているから、プライベートの自分とセックスをする自分を、ほぼ完全に切りはなすことができる。学校名なんていうわけがない、男たちはなぜか答えるとおもっていて、しばしば訊かれるのだけれど。偽名、これは不誠実なものではない、ネット・リテラシーである。安全に、危険なことをできる時代なのである。ところでわたしとおなじことを、やってはいけない。
 ああ、それにしても、と、わたしは思う。わたしがいえたことじゃないけれど、表札の付いた家に呼ぶなんて、なんて愚かなのだろう。かれらは、わたしたちの愛らしくやさしい演技を、かいかぶりすぎなのだ。男の希むままにうごける女にこそ、おそろしい悪意が秘められているのかもしれないのに。それは男だってどうようであるとおもう、相手を傷つけるたぐいの異性癖のわるいひとは、たいてい異性の要求するような魅力的な人格のふりをするのが巧く、そんな演じられた振舞は、きっと秘められた心とほとんど一致しないはずだ。そもそも素で異性の欲するような男女なんて、もしやいないんじゃないかとうたがわれる。
 恋愛に期待をしすぎる人間は、果ては異性を憎むようになったりもする。男なんて、あるいは女なんて、どうせたかが知れている。このくらいが、じぶんを守れるようにおもう。わたしのすでに大人びた、他者への期待の放棄、それはただ、傷からじぶんを守るため。
 わたしはだから、敢えてモテなさそうで、どことなく不幸の香る、まあ清潔感はあるかな、くらいのひとをセフレにえらんでいる。いわゆる、女性をドキドキさせるのが、まだ拙いひとたち。けれどもそれだって、──いや、キリがないのでやめておこう。恋愛の高揚効果、蒼く沈む頬を花さながらに染めあげるそれ、そんなものを、好きでもないひととやりとりしようと努力するのはもはやとっくに飽きてしまったし、はや、与えるだけでせいいっぱい。つぎにそれを体験するのなら、センセイが相手じゃないと、嫌。
「健くん髪形変えた? マッシュ似合う」
「そうかな。ありがと」
 まずはよろこばせる、良好な関係を保つために。
 わたしはかれの家に入った、かれがわたしの手をとり、その感触で、情欲のぐあいを匂いのように予測できるのだった。
 かれの部屋、わりに乱雑。わたしはとりあえずベッドに座り、「なんか飲みたいな」、と甘えてみた。かれがキッチンへ行くと、いまの言いかたのイントネーションが可愛かったかの自己批評をして、時間を潰した。
 …
 ぼーっとしていると、あるいは心の鏡に映ったゆらめく自画像を眺め、把握不能であるみずからの心のうごきを解読しようとしていると、気付いたらわたしの下腹部にアレが這入っていて、すべらかにうごいている。わたしの性体験は、だいたいがこんな感じである。
 情事に及ぶまでのストーリー、これを書けないのだから、わたしのこれは恋愛小説でもなんでもない。ポルノにもならないだろう。情痴と淋しさを書き殴った拙い散文、それにすぎない。されど「情痴作家」、いつかそうよばれてみたい。うらがえしの自尊心。
「気持ちいい? ねえあかり、気持ちいい?」
 ああ。そんなわけがない。ただ薄い膜の張った躰が重なっているだけ。それはコンドームのみの話ではないのだった。
 わたしはかれのことをセンセイと想おうとして、天井ばかりをながめ、愛らしい情婦とおなじうごきをして、わたしの不在した情事に置かれたわが身に献身を感じ、それでなんとなく淋しさが癒え、心が落ち着くだけなのである。
 わたしの裸体ははや透明なのだ、海である、海のように生誕の出発点としての躰をひらき、それの虚無な慈愛のようにすべてを享けいれて、男の腰は、まるで寄せ波が逆行し砕けるように、おなじうごきをくりかえしている。果ては死を迎えるようにかれを虚空(ニヒル)に呑みこんで、そうして、そのうごきはまたくりかえされる。
「うん、気持ちいいよ」
 リップ・サービス、ほとんど義務めいたそれ。
「好きっていって。嘘でいいから」
 そんなことをいわれる。
 わたしはかれを軽蔑し、その期待のこもった自己本位な要求にいらだち、そしてその凶暴な感情のままに、まるで復讐をするような意欲、乱れた息遣いで──それはむしろ言葉を淫らに響かせる──、そっと、こう囁いたのだった。
「健くん、好き、だよ。愛、して、るよ」
 好きでもないひととのセックスでなにかが穢れる、そんな意識は初めからない、されどこの時ばかりは、みずからの唇が、どっと欺瞞で穢された気がするのだった。
 赦して。わたしは、まだ、愛に夢をみている。
 好きっていって。暴力である。いわなければ、雰囲気を壊してしまうことをわたしは知っている、そしてわたしはそれに従ってしまうほどに、ひととの対立がどうしてもこわいのである。こんなとき、わたしにできる復讐は軽蔑くらいしかないのである、そいつの正体、果てはじぶんの心臓へ否定として突き刺さる、魂の貴賤の比較意識である。
 霊肉二元論による鞭の自責。人間の心の貴賤の比較による自他への軽蔑、そして、最後の審判でなしに自己本位に為される、他者の魂への裁判。はや、虚無の海へなげ棄ててやりたい。

  *

 帰り路はいつも後ろめたい、果たしてわたしは、なにを満たそうとしているのだろう。
 うたがわしい答え。心の空白。魂の不連続性の意識のうがつ、いっとき満ちてはさっと引いてゆく、浪のように迫られ往く淋しさの穴。
 まるで壊れたヴァイオリンを乱雑なゆびのうごきで弾き散らすように、神経の糸をぞっと乱しひりひりとそこなわせる淋しいいたみが、わたしの躰をつねにさいなんでいる。疎外の淋しさは不可視のいたみ、しかも、そいつは恥でもある。知られたくないのだ。はや陰部に属する。隠さねばいけない陰部を繋がらせることで淋しさが癒えるのは、真のじぶんを蔽いかくしているという仮面、そして世界から疎外されているという意識の生むこの淋しいという感情と、ひとと連続し果てへ往きたいという情欲は、なんらかの糸で結ばれているからだとわたしには想われる。
 それどころか、わたしのほとんどの、いやすべての行為・感情は、淋しい情欲を起点にしているのではと想えることまでもある。社会的な営みだってそうなのだ。わたしは引きこもりになるタフさがない、だれかと繋がっていたい、なにかに献身していたいというような脆さがある。書くことだって、情欲による。秘密の陰部をさらけ放って、言葉と交合し、殺意にもまがう慈しみで自画像を書き殴って、しかも、それをひとに読んでもらおうとする。公開自慰行為、どころではない。あろうことか、それにより他者に共感してほしい、深い心はみんないっしょだと実感させてほしい、ふかく秘められたところで、わたしは他者と繋がりたいのだ。わたしの絶えず孔のうがたれ、風の吹きこむような情欲を満たしてもらうため、そんな意欲で、わたしは書きつづけている。
 センセイはいまなにをしているのだろう。高校時代の数学教師。結婚して婿に入り、その家業を継ぐために辞職したひと。ともすれば自己犠牲へもむかいがちな、こっちがせつなくなるくらいにやさしいひと。センセイ。
 破れかぶれに放蕩をし、たいしてよろこびもないのに男と遊ぶわたしに秘められた、おそらくや一条の、澄んだ、陽のしたたらせる透き徹った光りのしずくにも似た感情、あるいは、しろい木洩れ日の逆光、それが、わたしのセンセイへの片想いなのだった。ここに魂があるのだ、澄んだ水晶が睡っているのだ、さながら、死の燦きのように硬く蠱惑めいて。わたしはそう信じたかった、されどそう信じることさえもできなかったのだ。
 魂。わたしにはそれが、虚数のように想われる。人間の不合理な愛の行為を心理的に逆算し証明する上で無いものを在ると仮定したもの、そんな幻の観念のようにうたがわれるのである。
 けれども在ったらいいな、純粋なそれのままにうごいてみたいな──わたしには理性がわずらわしいのだ──、そう、わたしは希ってしまう。なぜって、愛のままに操作される不合理な躰のうごきが、わたしの眼には、はや真白の積雪に散るグラマラスな真紅の花びらさながら、けざやかに、そして神殿めいて壮麗に映るから。そこに魂を埋めてみたい、オスカー・ワイルドのそれ、当然うまれえる感情ではないのか。意志に叩きすえられた魂が火花を散らし跳ね舞踏して、ついに善へ純化し美とかさなって昇華される、そんな、愛の幻想即興曲。垂流しの美酒の酔い痴れる、ヴェールさながらの薫りたかい天の川。ラピスラズリの光りの塵の如く硬く照る、かなたの死者の魂たち。
 そう純愛、それは、むっと死を薫らせるよう。路端になげ棄てられ、さみしいほどに精緻に整ってしまった、いちりんの真紅の薔薇さながらに。
 いつやわたし、そらから降るしろいゆびさきに、わが身を薙げ棄てられてみたいのだ、巨大なものに手折られてみたいという、根ぶかい欲心が、わたしにある。
 わたしは淋しい躰をビッチな生活の深みへ墜ちて往かせ、その疎外された魂を、聖なるものへ昇らせてみたかった。上と下。善と悪。美と醜。合理と不合理。どちらへの欲望もわたしにあるのだ。『重力と恩寵』、『悪の華』、コントラストが異なるだけで、どちらも、おなじ種の蠱惑をもっているようにおもわれる。まるで白と黒が、色彩学的におなじであるのにも似て。
 重たく後ろめたい肉体なんか脱ぎ棄てて昇ってやりたい、さながら死者の星の煌きのように、とおく純潔でありたい。
 こんな願望は、むしろうすぎたない疎外者としての自己愛に出発した、あるいは鏡ばかり眺めさせるつよすぎる自己愛の反動の、潔癖な欲望にすぎないようにもうたがわれる。永遠性への欲心。みずからの肉体を罰し滅ぼして、空で死者と連続したい、どうにもならない淋しさをかかえた疎外者がしばしば想う、妄念にすぎないのではないのか。人間は、死んだら終わり。そうである。
 愛の殉死への憧れ。理詰めで自己否定し醜悪な自画像ばっかり眺めているから、それに疲れ果てちゃって、不合理な衝動のままに自己を破壊して、美へ昇華させ霧消させることにより、果てはまるっと肯定してあげたくなるんじゃないだろうか。
 殉死、これはあるひとたちにとってじつは、損得勘定的に、コスト・パフォーマンスが好いのである。みずから希むのは、愛でも不合理でもなんでもない。
 わたしはそれへの憧れを、あるとき、絞め殺してやった。告白しよう、どうせ結ばれないのなら、わたしは、センセイのために、死んでみたかった。だれにも知られず、深遠の森のなかで、ひっそりと血をながしながら。さながら、赤い薔薇を生成するために命を投げた、ナイチンゲールの小鳥のように。他者への純粋な愛に殉うことを、すべて自尊心に捧げるためだけに、わたしは欲望したのだった。
 されど生き抜こう、そう思ったのだ。

  *

 猫。わたしはそれを愛している、なかでも優美にして、うごくたびに漆黒のエロティシズムの陰翳をうつろわせる黒猫は、いかにもわたしのうっとうしい偏愛を受けるにあたいする。艶をもつのである。わたしはたとえば衣服でも、柄より、織をこのむ。無地だけれども、光りを照りかえし翳うつろわす優雅なおもての波うちのほうが、わたしには美しい。
 わたしはいつや、黒猫のような少年を愛してみたい。ぷいって拒絶されたあと──自己憐憫家にとって、拒まれるというのは身もだえするような悦びをひき起こす──、ほとんど壊すような気持でいとおしい華奢な背中にしがみついてやりたい。黒のタートルネックのニットを細身で着て、整った顔がましろの月のように沈鬱に映る、孤独を抱え、暗い眸をしたエレガントな美少年。むっと死のエロスを薫らせるハイゲージの黒がむしろかれを清楚にみせる、そのくらいに綺麗で、雪のようにしろい肌の、果敢なげな美貌の男の子。そんなひとを、寵愛してみたい。支配したい。穢してやりたい。果てはわたしが、××してあげる。
 学校帰り、そんな黒猫が、わたしの脚にすり寄ってきたのだった。残念ながらひとのそれではなかったのだけれど、しかし、うるわしい美少年にはちがいないのだった。
 ちいさくよわいものを慈しみ献身しようとする心のうごきは、ひとの気分、あるいは自画像をさえも、淡いタッチでほうっとやさしくさせるよう。
 つまり、みずからを含めた人類を憐憫しまるっと肯定して慈しむ人間は、その尊大さ、うらにある卑屈さを狡くも蔽いかくしつつ、菩薩さながらのやさしい微笑を唇にたたえている。さながら聖女のそれ。人類愛、そんなものをいまにも説きはじめそうな。
 わたしは、そっちへは向かいたくない。じぶんをまるっとゆるしたくない、そうしたら、誰がわたしを誠実に批判できるであろう。かれらを信じたくもない。なぜってうさんくさいのだ。人間はみな憐れだ、真実ではあるけれど、身も蓋もない、麻薬中毒者めいた息遣いがある。それに縋ってはいけない、そうおもう。花や星の比喩をよくつかう人種だ。男であるならば、もしや、心がよわっている女性にモテたがっている。ケモノめいたつよさで、女性から愛される自信がないのだろう。臆病な欺瞞、やさしさの仮面、それらのむっと香らせる、不潔きわまる魂。キライである。
 しかしいずこへ往けば善いのか、わたしにはまるで判らない。信念をもつのも怖いのだ。信念はひとを偏らせ、他者を傷つけ、対立へも導き、あるいはそれを避けるため、さらなる厚い仮面を必要とする。きらわれたくない、これ以上、淋しくなりたくない。できることなら、わたしは生涯決めつける手前の複雑さのうちで佇んでいたい、そこで、あらゆるものをうたがいつづけていたい。それに耐えていたい。
 欺瞞がキライ。自己欺瞞はもっと嫌。じぶんを美化なんてぜったいしたくない。わたしは正直な感情のままに現実と対峙したい、これ、甘えた気持。自分に正直に生きたいだなんて、虫唾がはしる。そう、わたしは幼稚なエゴイスト。されどそのためにじぶんの心のうごきを凝視して、批判の鞭を打ち、感情の化学変化を施して、心のまなざしを美と善へむかわせて、自己を操縦していたい。いつや地上を蔽うましろの積雪に、純化された真紅の鮮血を、「わたし」の不在したわたしじしんを、ひとしずくだけ注いでみたい。とくと溶けあう、双の肉体。
 わたしとは不連続な、美と善への欲望。そう、あらゆるかれはわたしを愛さない。さればじぶんに正直に、善くうごき、美を、きっとみすえていたい。
 されどわたしは、全体主義にかぶれた孤独な少年たちがしばしば想うように、純粋な感情でなにかに尽くしたいだなんて、いま、いっさい想えない。そんなこと、できるのだろうか。わたしの抱くそれらの話にすぎないが、美と善という観念とは、肉体的に交合し産み落とすことはできないように想われる。かれと融けあい一致することは、不能なのではないか。ともすれば背徳。美と悪の配合した狂気。わたしから脱獄しはや垂れ流され、悪酒アブサンの酩酊のままになされた、他者への慈しみ・道徳をも踏みにじる、乱痴気騒ぎの愛のうごき。血肉湧き踊らせるワーグナー、『トリスタンとイゾルテ』。怖ろしい。
 わたしは愛という、慈しみの殺意のようにうたがわれる真紅の感情を、美と善の落す翳のかさなる領域でどうにか包み、美をみすえ善くうごくことをまず法則として、それへの尊敬と限定のなかでなにかを愛したい。菫色した、沈鬱に照るアメジストの感情。されどそれにだって、きっと悪が孕むのだ。すれば注意ぶかく、注意ぶかく自己批判・自己操縦していきたい。
 湖を覗きこみ誇大妄想するナルキッソスのそれのようなうごきで、美と善に交合の情欲をもよおす人間はキライなのだ。永遠の片想い、なぜそれじゃダメなのか。報われない自己への憐憫、それを、わたしは突き放していたい、まるでわたしをけっして愛さない、かれのように。
 猫が、にゃあと鳴いた。わたしもにゃあと、言ってみた。とたんに恥ずかしさで身もだえ。周囲を、恐るおそるうかがった。だれもいないから安堵をして、かれを抱きあげてみた。ぐしゃりと潰したくなるほどにかわいい。こんな愛情、わたしのそれにはおそらく、美と善がない。醜く悪いわたしなんてズタズタに破壊してやりたい、そして感情を再構築して、美と善の落す翳と影絵さながらかさなる衝動、それを産み落としてみたい。ああ。机上の空論。
 わたしはやがてかれを慈しむのに飽きてきて──だって甘えて、にゃあというだけである、つまらない──、家へ向かいはじめた。するとそいつは、あろうことかてくてくと追ってくるのだった。え。かわいい。ふたたび、このどうしようもない巨大な感情が浮ぶ。わたしはかれを無視するのを酷におもい、抱きあげて約束のホテルへと歩きはじめてしまった。
 わたしの推測にすぎないが、いい齢をして、こんな少女らしいどうにもならない感情がつよすぎると、やや大人の社会秩序と、相性がわるくなってゆくのではないだろうか。水商売のアルバイトで、厳しい社会に傷つき辞めていく、どこかガーリーな感受性の愛すべき同僚たちを見ていて、それによってわたしだって傷ついてしまう、そんな他者との境界線が引けていない自分の心のうごきを凝視していて、そんなことを想ったのだった。
 ちいさくて愛らしく、依存を必要とするかよわいものを愛しすぎてしまう感受性は、つよく自立したものへ向かわねばならないこの厳しい秩序のなかで、どうしても、傷ついてしまう宿命にあるように想う。じぶんのことをそんなふうに想っていれば、なおさらではないのか。
 なぜそう推定しえるといって、そんな甘ったれた心のうごきは、わたしのなかに、むしろつよくあるものだから。よわいままでいたい、若く綺麗なままがいい、かわいがられ、いつまでも他者に生を委ねていたい。けれどもつよく、やさしくなりたい。いいかえると、善く躰をうごかし、現実と争えるようになりたい。これだって、いのちの正直な声ではないだろうか。そしてこの声に従うのは、わたしを世界のなかで生き抜かせるようにおもう。生き抜く際に大切なのは、社会秩序の通念による自己否定ではない──それは神経によくない──、じぶんに向いたやりかたで、現実との折合いをかんがえ、行為と身振り、思考に工夫を施すことであると、わたしはおもう。まるっと人格を否定しても、意味はない。
 善く生き抜こうとじぶんや現実に抵抗しくるしむのは、それじたいも善のうごきとかさなる。そうかもしれない。俗悪美(キッチュ)。わたしにはむしろそれが美しい。なまなましいのだ。可憐である。わたしの働くガールズバーのある、飲み屋街・風俗街のうす汚れたグレーッシュなビルの一群、情欲を煽るような、チープでどぎつい色彩の看板。美しい。ここに、ひっしで生き抜こうとする、リアルで卑俗ないのちが宿るよう。わたしは、リフジンな現実の裡でみずから負う善への有機的なうごきにだって、いや、むしろひとにはそれだけに、聖なるものが宿りえるのではといまうたがっている。むろん、虚数として。自負。みかえりは、これだけでいい。
 聖なるもの。無機物のそれへの憧れなんてどうしようもない。たどりつけない。死んだら終わり、むしろ、そうであって欲しいくらい。
 わたしが死んだら、わたしのことなんてみんな忘れて欲しい、そうじゃないと、恥の感情でどこまでも身もだえ、そもそも、産まれなかったことにしてほしいくらい。宇宙、はやく爆発しないかな。ねえ、ここ共感して。「わかる」っていって。わたしのことを理解して。心と心を溶けあわすなんて、不可能だって識っているけれども。すれば私のこと、どうか愛してください。なんだこいつ、キライだ。虫唾がはしる。
 現実にとびこんで、みずからの意欲をそれにはたらきかけ、うごきつづけ匂いのつよい体液をながす有機の勇気にこそ、霊性の光りが宿るように、わたしには想われる。いや、想いたいだけ。唯物論者の、虚数としての霊魂信仰。
 みずからへの提案、前言撤回上等。疎外感があるのなら、わたしはセフレと性交渉するんじゃなくて、セカイと愛の交合をすればいいのだ。わたしと切りはなされた硝子盤さながらのセカイに、肉体性を与えるのだ。まずもって、リフジンを理不尽ゆえに愛するのだ。飛び込み、脱ぎ棄て、闘い、強化された自我から正直にエゴを働きかけ、対象と擦りあわせながら、献身との一致をめざす。ああセックス。どこまでもセックス。ビッチ。そうである。セカイと愛の交合、わたしにはきっと、それができる。なぜって、残酷で冷たく突き放すものは、わたしにはなによりも美しいから。さながら吹雪舞う城のまえに佇む、雪女の青き眸である。現実って、神殿のように冷たくて、美しくないですか。むしろ穢したくて、反抗したくて、にくたらしくて、なんだかそそります。わたしはヨブ? 自惚れるな。
 わたしはたとえば自殺という硬質な行為がいま好きではない、事情はあったとおもうけれど、わたしとは考え方や感受性がちがうんだから、否定や軽蔑をしてはいけないとおもうけれど、いまのわたしがもししたとしたら、合理的な賢人のする行為だと思う。わたしは可憐な愚かさが好きなのだ、風車と闘うくらいの不合理な天衣無縫がいとしいのだ。しかし、いまにも自殺へ傾きそうなあやうさを、わたしはもっている。死の硬さ、冷たさ、いたみさえも拒絶した大理石の人形のそれのような色香に、戦慄にも似た蠱惑を感じる。淋しいだけで死ねるのは、兎じゃなくて、人間です。だからこそ、わたしはまずそれに抵抗し、そして生き抜きたい。わたしはもしやすると、肉体的な生理と道徳法則を照らし合わせ道徳をじぶんで構築し、それに従い生きたいのかもしれない。どうしても、じぶんをおし殺したくないワガママ女。そうである。
 よわいままでいて、リフジンから逃げて、野蛮な意欲をおしころし、自己憐憫でじぶんを納得させている固くささくれだったかつてのわたしの心の状態は、どこかに、あざといカラクリが施されていたようにうたがわれる。ほんとうにそんな風に、生きたかったのだろうか。そうしたいのなら、それでも好いとおもう。されどわたし、カラクリはきらいなのだ。生粋のぶりっこのように正直でありたい。仮面を脱ぐまえに、「わたしはじぶんに嘘がつけないの」という自己欺瞞を破壊してやりたい。
 わたしは、聖女には、ならない。戒めに四肢を緊縛され、エゴから解放された気になって、安心立命のような幻想に悦ぶ女にだけはなりたくない。
 淋しさを癒すだけのセックスはこれっきりにしよう、そうかんがえた夕暮、黒猫を連れ予定していたホテルへ行くと、待っていたのはセンセイであった。

  *

 かれは初めうろたえていた、しかしわたしが呆然とばかみたいに突っ立っていたからか、毅然とした態度をとりもどし、「初めまして。可愛いね」と、お世辞をいったのだった。卑怯な態度。こんなひとだったんだ、おどろきに打たれた。わたし、卑俗なひとは好きだけれど、卑怯なひとってキライ。元生徒、それに気付かないふりをすることに決めたらしかった。
 わたしは猫を放した。黒猫はセンセイがあまり好きではないのか、さっとどこかへ往ってしまった。動物って、正直。そして鋭い。そうでありたい。
「すごい若いね、何年生だっけ」
 記憶にございませんか。あなたが去年学校を辞めた年にあなたの担当していた三学年で在席、つまりは、今年度大学一年生であります。
「一年生でーす」
 みとめよう。わたしはかわいこぶりっこである──ファッションスタイルは典型的地雷系、いつや爆発いたします──。しかももっとも狡猾なそれ、きらわれない程度の、ほどほどの猫かぶりである。卑怯とは、いわく、わたしのこと。
「女優の××に似てるね。ドキドキするな」
 わたしのなかのセンセイ像は瓦解した。しかしよくみると眼鏡の奥にある眸は理知的で、身のこなしは教師のときのまま、センセイは、センセイではあった。心臓が音を立てていた、身を折りそうなくらいに、劇しく。
 奥さんとは、別れたのだろうか。別れたから、こういうことをしているんじゃないか。そうであるならば、出逢い方は最低だけれども、わたしたち、付き合えるんじゃないか。そんなせつない希いが昇ってきた、わたしは傷つかないために、はやばやとそれを絞殺した。
 感情の絞殺、とくいである。呪文はこれ、「とるにたらない」。硝子瓶の倒れる、からんと乾いた音である。注意。要所でしか、つかってはいけない。大切にしたいものが、洩れて了うから。
 ほどよくニヒリスト、その釣合をとっていたい。
「結婚してるんですか?」
「ふふ、してるよ」
 ですよね、とおもった。
 こんなことがひき起こすいたみは、やや遅れてからやってくる。
「わるいひと」
 変な感じ。どうせお互い、正体を解っているのに。
 わたしたちはホテルに這入り、扉を閉め、淫靡なる紅い灯をつけた、ある種の緊張が神経をはしる、演技者としてのそれ。おそらくや、わたしの肌は光りをかすめるのではなく、まるで匂いのように食い入らせ、その心と調和させることができる。そうわたし、さながら娼婦。なにがわるい。
 するとかれはこういうのだった。
「無理強いはしないんだけどさ、」
 愛らしく首をかしげて、つづきを待った。
「頸、締めてもいいかな」
 センセイだったら。そう想って、わたしは頷いた。
「ありがとう」
 そう言って微笑む。そのままつよく、おし倒された。
 まだ服を剥がれてもいない、そうであるのに、かれはわたしに蔽いかぶさり、しろくほそい頸を、おやゆびでつよく圧しはじめた。くるしい。わたしは痙攣を上げた、されどそのわななきは、悦びのそれでもあったのだった。ごめんなさい。おのずからこう囁いていた。これを欲していたのだ。わたしはそうおもった。ここから産まれてきたのだ、そんな気さえした。
 わたしはしばしば頭のなかで謝っている、親に、世間に、そして世界に。ときに頭を、狂ったようにどこかへ打ちつけながら。後ろめたい。生きているだけで、後ろめたい。わたしのこんな謝罪なんて、すべて自己満足。そう。わたしは、ただ、赦されたいのだ。暴力によって。おそろしく強靭で、残虐なものによって。なにか、在りもしない罪をのぞんで背負いたがるようなところが、わたしにはあるのかもしれない。不幸面。そうである。不幸な顔をしていたい。幸福に、拒絶感がある。わたしみたいな醜悪な人間がそうなっては、いけないような気がする。幸福に、嫌悪さえあるのだ。不幸に埋没したいのだ。不幸のさなかでうごいている自分しか、愛せないのだ。不幸ほど可憐なものはない。まるで不幸だけが、わたしを赦すよう。
 倫理的に生きるということ。条件付きでしか自己を愛せず、肯定できないということ。わたしは、それでよかった。そう、生きるということは、たしかに、喜びよりもくるしみのほうが多い。ならば、くるしみを喜びに転化すればいい、そう想っていたのだった。
 されどわたしはわたしがきらった、かの聖人きどりの人類愛者といっしょなのだ。そっくりである。花や星、なにより月、むしろ大好き。不幸への憐憫によってしか、わたしは他者をも愛せない。セフレたちは不幸である、なぜって報われていない、ああ、わたしの決めつけだ。注意力、注意力──ところでわたしは、かれらを果たして愛しているであろうか? 愛ってなんだ。愛ってなんだ。センセイもどうせ不幸、なぜってアプリで、暴行のあいてをさがしているのだ。かつては、かれの自己犠牲的な、じぶんをおし殺し学校や生徒に献身するやさしさに、内心の不幸と、秘められたやさしい涙を連想していたのだった。
 人間は、じぶんを愛するようにしかひとを愛せない。そうもいわれる。愛するひとは、みずからの分身であるらしい。
 つまりわたしは、よくいわれているように、ひとを愛したいのなら、大切に慈しみたいのなら、みずからの愛し方をこそ、自己操縦しなければいけなかったのではないか。
 ひとを愛したい、純粋じゃなくていい、それははや狂気。わたしは、善くひとを愛したい。美と善の落す翳の重なる領域で、ひとを、愛したい。やさしくなりたい。なにより、やさしくなりたい。行為を抑制し、注意ぶかく、注意ぶかく思慮をかさねて生きていきたい。そのうえでじゃないと、つよくなりたくない。不倫まがいのことをしておいて、あろうことか、ひとを踏みつけることにいちいちわなないてしまう、それがわたし。泣き声の幻聴。わたしのせいで、とおくで飢えているひとびとの存在が後ろめたい、こんな神経を、美化しちゃダメ。ぜったいダメだよ、わたし。繊細さを衒い差別を差別で復讐するなんて、やっていることはおなじだからね。そもそもわたし、じぶんのいたみに敏感で、他者のいたみに鈍感な気がするの。強くなりたくない。しかしつよくなりたい。わたしはつよく、やさしくなりたい。平凡な道徳。じぶんのことを平凡だと想うと、わたしはなにより嬉しい。可憐な生活者の林立する花畑に、わが淋しい躰をうずめたい。かつては、海なる虚無を抱きすくめ、義母の愛に溺れ、すべてそれでいいよ、そういわれてみたかった。わがニヒリズム、もっとも俗悪な意欲でえた救いにすぎぬ。わたしは、甘えているのだ。
 されどわたし、この期に及んでも、まるで愛するように戦いたいの。ひとを、愛したいんです。ひとを、愛したいんです。人間。にくたらしくて、にくたらしくて、すこぶる愛らしい。可憐だ。無意味に美しい。だって生きている。わたしはかれらに背を向けることなぞできやしない、なぜって、どうしようもなく淋しがりやだから。ひとへの執着。劇しく、はげしくにくむほどに、人間が好きなのだ。大好きで大好きでたまらない、憧れの、可憐きわまる魔法少女のような献身のうごきで、現実と争いたいのだ。魔法少女とは、いわく、青春の孤独のことである。セカイに含まれていないというそれ。それをみずから背に負い、他者を愛し他者に献身すること、それをいうのである。無頼派。魔法少女のおじさんである。オトナになんか、なってやしない。わたしは、好きだ。
 ああ。わたしは、つぎのことを希む。そして、このわが深い欲望により、さまざまな他者たちと、さながら花々に埋れるようにして、わが身が「大衆」というものの裡に埋没することを希う。
 わたしは、じぶんに正直に、他者に献身したい。
 この一致。賤民のダンディズム。それだって、在る。
 整理したことはあるけれど、やっぱり、美と善の区別が、わたしにはいまいちつかない。おなじ月として、立ち昇るのだ。
 かれの暴力はだんだんエスカレート。平手打ち。髪を引かれる。腹を殴られる。わたしの頭、だんだんと朦朧。服を脱がすそぶりもない。暴力をふるいたい、だけであった。勃起しているかもさだかではない。
 わたしのあらゆる欲望は、かれの暴力という戒めにより禁止・緊縛され、ついに、たえず為されていたエゴイズムへの自責から解放されたよう。かれから降りそそぐいたみの罰により、わが罪は雪降るようにましろへとぬりかえられて、いま、完全無欠な被害者となることにより、わたしは、ことごとくの後ろめたい肉体を、空無へ投げだされるようにしてがらんどうへと吹き飛ばされ、あらゆる罪、どっと赦されたのだった。さながらわたしから、「わたし」が剥奪されたよう。その果ては空無。はや空無であった。
 項垂れたわたしの唇にただようのは微笑であった、いわば、安心立命ともいえるような感情に、うらづけられているよう。幸福。そうであった。不幸のきわみの、さなかであるから。
 そう。わたしは、いま、聖女であったのだ。
「殺してください」
 陶然と、ながれでる葡萄酒のように、がらすの躰を横臥えて、わが裸体、睡る水晶さながら、そして、幸福に酩酊し、夢みるこえで、そっと、センセイのみみもとへ囁いた。
「え?」
 と訊きかえされた、かれの手首が、幽かにうごいた。
 センセイの眼が、ふっと、青い月のようにつめたく、燦々とした。…

  *

 せつな、わたしの肉体のうちから、青空さながらのきんと澄んだ凶暴性ともいえるものがめざめ、すればかれをつよく突きとばし、燃ゆるようなにくしみをもってきっと睨みつけると、かたわらの電灯をもち、火のように劇しい殺意のまま、脳天を破るようにぶん殴った。それはある種純化されたわたし、真紅の鮮血の迸りであったかもしれない。判らない。
 セイトウボウエイ、セイトウボウエイ。
 ふっと洩れ往く、猫の鳴らす喉のような、満たされた、ニヒルを帯びる群青色の、暗みを帯びるうすらわらい。ぞっと燦る月が、わたしの俗悪きわまる冷然なすがたを、せつなだけ、きんとメタリックに照らし往く。
 ビッチで、かまわぬ。
 たとい、いくたび倒れても、わたしは、ぜったい、手折られぬ。

聖ビッチ

聖ビッチ

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更新日
登録日
2022-05-01

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