睡る水晶

25~26くらい。

  1
 十七歳、そのとき私は、みずからの片想いにそっとてのひらをおき、精緻なゆびづかいでおそるおそるとりあつかって、死へとかたむきかねぬあやうさのなか、あたかも科学実験のようにして精確にゆびをはこばせ、その感情から不純なものをとりのぞき、それを純潔なものにしようとして、あわよくば、魂に睡る美しい鉱石のようなそれにしようと、苦心していたのだった。
 わが恋が叶わず、かのひとにわが身がとどかぬならば、せめてわが感情をただしく奇麗なものとし、ありとあるみにくいものをきんと撥ねかえす、つめたく硬質で、壮麗に屹立する水晶のような魂を、つくりあげようとしていたのだった。
 私はそのために、けっして、報われてはならないのだった。私は私の恋を、美しいかたちで天へ昇らせるために、深い森のなかへ、わが感情をなげ棄てねばならないのだった。私は私の片想いを、王子のために身を投げ泡となった人魚姫の、空へほうっと浮かんだ純粋な魂のようにするために、死ぬる覚悟で磨かなければならないのだった。
 こんな、あまりにも観念的な心の作為は、おそらくや、肉欲に潔癖な少年少女にごくごくみられやすい、自己陶酔のともなう、破滅的なそれであったろう。良識的なおとなたちは、私の内面努力を一笑にふすであろう。
 しかし私は、この心の操作に身も心もいっぱいいっぱいにさせていて、わが感情が果して、美しいものであるかみにくいものであるか、それこそが私の生死をも左右する、もっとも重大なことがらであったのだ。

 高校二年生、わが恋の相手、かのひとは、私の高校の数学教師であった。
 かれはメタルフレームの眼鏡をかけ、けっしてよれたジャージなんか身につけず、いつも清潔な、濃紺のスーツを着ていた。トラウザーは折り目ただしく、ネクタイの趣味はシックだった。三十七歳、私よりも二十も年上で、それは私の年齢よりもおおきな数字だった。ただかれが独身なこと、それだけが救いであったのは、私の自己本位な感情によるものである。
 先生。
 この物語では、かれのことを、先生とよぶことにしよう。この物語で、私が先生と呼ぶのは、かれだけ。
 先生。この響きよりも甘く沈鬱な音楽を、さまざまなニュアンスを重ねられたこころ揺さぶる詩を、私はほかに知らないのである。
 先生。こい焦がれるひと。とどかないひと。私の恋をうけいれず、そしてぜったいに、それができないひと。きらと輝る眼鏡。その奥にある、感情のよみとりにくいほそい眼。硬く論理的な口調から、ときおり春のこもれ陽のように照りかえすやさしい感情。チョークを巧みにあやつる、流麗な手つき。自分が書いた数式に「美しい」とはしゃぐ、少年のようなかわいらしさ。
 先生。私は壁にむかい、かの言葉を、ものかげにかくれ後ろめたいことをする、子供のような高揚のなかで、そっと、舌のうえで響かせてみることがある。
 「sen」の発音は、くるしい。産まれたての小鳥が、身をふるわせるように喉からしぼりだされた「se」の音は、「n」の、喉をふさぐような響きにとざされ、くちのなかで、熱をもったまま籠ってしまう。それはものくるおしく、もどかしい感情を、私にもたらす。
 その後、幸運なことに、「sei」と、水の落ちるような、あるいは空がまっさらな青をひろがらせるような、そんなきよらかな音を発することを、私はゆるされる。
 私は罪ぶかい、なぜといい、このさわやかな「sei」を発音するとき、まるで夜空を曳く星がかすかに燦り、またたくまにきえて往くように、私のかなわぬ幸福の夢を、奥ゆきのない群青色の空に、うっすらと、かさねてしまうのだから。
 私はふだん、媚を売るような女ではないのに、「先生」と呼ぶときだけ、どこか、コケティッシュだ。そして私は、それに罪の意識をもっていたのである。

 私は奇麗じゃないから、むしろ、ちいさいころから男の子たちに容姿をからかわれてきたほうだから、「可愛い」なんていわれたこともないから、その反動で、水晶や白いアネモネ、夜空をかがよう星々などの、美しいものをこのむようになったとおもっていたのだけれども、先生はちっとも、美しくなんかなかった。タイプでも、なかった。
 けれども恋は、どうしようもない、いいしれない愛しさをうむから、その制御しきれぬ愛しさは、かれの濃紺のスーツ、そしてかれの筋肉のとぼしい細い躰にまでくいいって、かれの容姿も、大好きになってしまったのだろう。
 授業中。私は先生を、じっと、みつめている。そのまなざしはひたむきであり、それでいて、こっそり悪戯に耽るこどもの、無我夢中な眼にあるような、たえず背後で後ろめたい感情のひびきわたる、かの快楽がまじっている。それがあるために、私はこの行為に、さらに夢中になる。それはしばしば、私にノートを取らせることや、そもそも授業の内容を聴くことを、忘れさせる。
 されど私は、数学が得意だということになっていた。理系クラスを選択する女子は、男子とくらべ、どこの学校もややすくなめであろう。
 ときおり、「女の子なのに、数学ができてかっこいいね」という、みずからの性にたいし、やや自虐的な誉めことばを、女友達からいただくことがあった。
 しかし、私の数学の成績がほんのすこし良かったのは、ただ先生に好かれたいから、そればかり勉強していたためであり、そのためにほかの教科をおざなりにしていて、実際のところ、べつに得意でもないし、好悪の話をさせてもらえば、ちょっときらいなくらいだった。しかし私は、みずからへ、「私は数学がきらいである」という命題を提示することを、それをゆるすことを、禁じていたのだった。かれの教える教科をきらうことを、私はけっして、してはならなかったのである。ところが、かれからの好意をえようと努力する私自身のことを、私はとても、きらっているのであった。
 かれが、ある男の子をあて、解答を発表することをもとめた。男の子は、正答することができなかった。その言い方から、なんとなく、ほかのことを考えていたのだろうと忖度された。それは私も、おなじであるけれども。
「ダメだよ、ちゃんと集中しないと。また当てるから、次はきちんと解答しろよ」
 ちょっぴり厳しいその口調には、「相手に負担をあたえたくないために、厳しくしたくない」という感情と、「教師として、生徒のために厳しくしなければ」という感情との交差・葛藤がみいだされ、それが、冷たく厳しいけれど、いくぶん義務めいている、いわばみずからの言動にたいし、どこか他人行儀な言いかたをさせているのだろうと、私は推測した。かれは心のなかで、生徒を傷つけたことによる苦痛に、涙をながしているのだろう。それを心に、秘めているにちがいない。
 私のなかで、涙を秘めているかれが、教壇のうえで、もの悲しいひかりを浴びながら、それを天上の砂のように、さらさらと、こぼれるように反映させながら、しろく、しろく聖化されていった。
 私はなんだかどぎまぎしてしまい、自分の思いこみのはげしさにうんざりもし、けれども私の肉体は、叱られたかれにたいし、ちょっぴり嫉妬を起こしているのだった。(私は肉体ということばを使ったが、これはけっして性欲の話ではないことを、ここに念押ししておく)

  2
 私は私の感情を、純化させねばならなかった。
 ありとあらゆる欲望を、エゴイズムを、それを私じしんが躰をもって産み落とされるまえの状態へ、つまり無に帰することはできずとも、「肉体」という概念の箱に投げ入れ、それを価値がないもの、不潔なものとして否定し、ただ「魂」を崇拝し、磨きぬき、それによって、死にものぐるいで「肉体」に反逆して、ただ純粋な魂の衝動に、したがわねばならないのだった。わが肉体を、その水晶の感情に、したがわせねばならないのだった。
 淡い色彩のひろがる、あらゆる輪郭線のとけこんだ、点描画のようなまっさらな砂浜で、私は待っていたのだ。学生らしい、みじめな体育ずわりで、海と空との境界線をじっとながめながら、かの水晶の、真白に透きとおった、それでいて複雑きわまる純潔な感情が、私の内部にその姿を立ち昇らせ、わが身がかの境界線へ、ついに纜を解かんことを。
 私はそのために、先生からの愛をえようとする、いっさいのあざとい行為を、みずからに禁じはじめたのだった。ふたたび、「肉体」と「魂」の仕分けを、まえよりも厳密におこなったのである。
 私にゆるされている感情は、だんだん削ぎ落とされて、ミニマルに痩せていった。かれからのなんらかの好意をえるために、数学の勉強をすることをも、私はようやく、みずからへ徹底的に禁じはじめた。私は、学生の本分は勉強であるがために、それをみずからへ、義務の観念によるものだと考えさせていたが、それこそが肉体的な欲望との馴れ合いであり、そもそも義務の観念でなしに、魂の衝動、すなわちわが美意識を音楽によって打ちすえる、美的な衝動のみを、私じしんへ求めていたはずであった。
 私はとりあえず、もっとも勉強したくない教科を、すなわち、きらいな教師の教科を、いやいや、そして必至で努力しはじめた。これはいうまでもなく、わが魂を発現させるための、ある種の無益なレッスンであった。
 しかしその禁止の行為には、恋のアプローチが失敗することによって、自分が傷つきたくないというおそれが混入しているはずであり、それは私の心の作為と結びつき、ほくそ笑みながら、手をにぎりあっているはずであった。そして、自分を悲劇のヒロインにおもいたがる、とくに私のような人間に見られやすい、もっともいやしいエゴイズムのひとつさえも、そこにみいだされたのだった。
 私はそれらをたえず批判し、みずからを攻撃した。やすみなく批判の鞭をくわえれば、やがて欲望の声は息をひそめ、それに反抗しつづけてさえいれば、やがては睡る魂の感情が、そのがらす質の姿を、さながら不穏な雲間に姿をあらわした月が、湖上に月影をうつすように、ほうっと浮かびあがらせることであろう。そんな幻想が、私にあった。それを紙にだけでも、創作のなかにだけでも反映させようとして、私はいつも、夢のように美しい詩を書いた。だれにも見せず、どうせ世間でみとめられないとわかっていても、それでも無益に詩を書く自分を、いじらしく、可憐におもっていた。
 されど、「わが感情を純化させる」という、いやおうなしに悲劇へ導かれることが決定している、このさみしい希みこそが、それこそが欲望であり、エゴイズムではなかっただろうか? なぜといい、それの施行のための努力には、かならずやわが生活の義務をそこなわせ、他者に迷惑をあたえることがともなうであろうし、これの究極のかたちを、すなわち自己犠牲の透明な死を、みずから望むことには、なにか恐ろしいエゴイズムが隠されているように、私には思われるからである。みずから希んでなす殉死、いったいこれの、どこに透明性があるであろうか? 殉死とは、そこに自己の欲求の一切がなく、やむにやまれぬ外の事情に殉って、はじめて成り立つものではないだろうか?
 私は単なる、「不幸好み」の、他者への迷惑をかえりみぬ、かわいそうな自分だけを愛する、もっともいやしい女ではなかっただろうか? 私の先生への愛に、ドルジェル伯爵夫人にみいだされるような、美しく素朴で、それでいて複雑怪奇な感情は、果して、すこしでも混入しているのであろうか?
 私はこの、みずからの肉体へのたえまない批判によって、肉体に操作されるあらゆる行為への嫌悪によって、つねに「生の後ろめたさ」とでもいうべき感覚をえて、それは私を、生きていることの罪悪感へと駆って、もしやするとそれが、死によってその苦しみを終わらせたいという、単なる逃避への欲望をあたえた、あるいは元来あったそれを、ますますつよめたのではなかっただろうか?
 このように考えると、私の魂への希求には、肉体の欲望以外のものは、いっさい発見されないように、おもわれるのであった。私はただ魂の存在を、みずからのうちにたしかめたかったのである。
 私はこれを支持していたのだ、「魂とは、肉欲に反抗するなにものかである」。しかしある肉欲に反抗するなにものかの感情だって、ともすればある肉欲とあざとく手をにぎりあっていて、しかもそれは肉欲に反抗するべつの肉欲そのものであって、双方は生活の処世術によって、妥協しあい、なんらかの欲望を、誤魔化しあっているのではないだろうか? 誤魔化し、虚飾、きらいだ、きらいだ。みにくい余剰物、過剰にして悪趣味な衣装、精神に付着した贅肉である。
 私は、だれしもがもっている嫌悪と憧れの種類が、やや宗教的にかたむいていることをのぞけば、ほかの少年少女と、なんらかわりはないはずであった。そう、私の肉体が欲望をうったえることを、私はとめることはできない、それはいやおうなしに躰から発せられるであろう。されどそれを、みずからの行為をさだめる記号にしてはならない。くわえて私は、けっして、みにくい感情を美辞麗句で偽装し、それがあたかも美徳であるとみなして、自己へそれをゆるすようなことを、しないと決意していたのである。たとい、それを許すほうが楽であろうと。
 あらゆる少女にとって、嫌悪とは、いかなる哲学にもまさるはずだ。されど嫌悪こそ、肉体に属すものの代表ではないだろうか? ともすればひとの思想は、おのおのの嫌悪と憧れに、追従しがちではないだろうか? …
 私は、こころの底では、おそらくや、魂なんてないのだと、思っている。それを虚数のような、「人間の性(さが)」をどうにか把握するために、ないものをあると仮定してつくりあげた、虚しい、かわいた風の吹きわたる、がらんどうの概念であるように、ときおり、いや、つねひごろ感じている。しかしその存在を、私は、信じざるをえない。信じる義務みたいなものがあるから、信仰しているのだ。なぜといい、魂の衝動による美しい行為が、目も眩むばかりに美しすぎるから。私の躰には枷がつながれ、その真冬のかわいた聖地で睡っている、美しく高貴な観念に、その吹雪と喪失の遥かで硬い幻影に、どうしようもなく、引きずられてしまっているから。
 十七歳。殉教者のそれのような死を、むかえたかった。

 数学の成績は、だんだん下がっていった。もともと能力がたかくないうえに、努力を放棄したのだから、当然である。しかし私は、「先生の気を惹くために」勉強をするという自分を、もはやすこしでも、ゆるすことができなくなっていた。
 いっさいの欲望を、肉体に属するけがらわしいものを、私は憎んだ。性欲も、虚栄心も、食欲でさえも、私には気味がわるかった。有機性。なにかを食べているときの人間の姿に、私は獲物をとらえ肉をひきさく虫けらのような、ぞっと血の気のひく、なまなましさをみた。
 贅肉は、私の肉に余剰にはみ出た、可視化した欲望そのもののようにおもわれ、私は厳密な食事管理をおこなうようになった。あばらが、浮き出るほどには痩せた。私は私の肉体のうちで、骨だけには愛着をもっている。それはある種の半永遠性を有した、ほとんど無機的な、白く硬いものだからである。しかしそれでも、乳房は、やや残った。私にはそれが、男へ媚びるために肥大化した、セックスアピールの球体のようにおもわれ、「私は女の肉体をもっています」と、ぶらぶら動物的に揺らしながら、周囲へ示すもののようにおもわれ、いまにもナイフでそぎ落したいくらいの、嫌悪をもった。
 身だしなみを気にかけることなんか、私じしんにゆるされるはずもないから、私の髪はいつもばさばさで、ひとつにくくっただけだった。私の容姿は、わが意志、いやちがう、これこそが、美徳じみたことばによる偽装だ、それはなによりも強いわが感情、わが嫌悪によって、不健康で汚ならしいそれへと、落ちこんでいった。
 されど私は、美しくなりたかった。その美の純潔性、完全性ゆえに、だれをも欲情させることのない、硬い氷のような美貌をもちたかった。大理石のような、あるいは睡る水晶どうようの、透きとおった裸体。硬質な人形のような無機質性。無機物は美しい、なぜといいあらゆる有機性、すなわち、なまなましい細胞のうごめく肉体性を拒否する、残酷な冷たさがあるから。夜空には完全な美、すなわち銀に燦めく月が、死者の骸を反映した燐光によって、いのちを供物とし燃やしつくした青みのかかる音楽によって、涙をふりそそがせながら、私たちをかなしんでいるはずである。…
 しかし実際の私は、不健全にやせ細った、栄養不足で肌のきめの粗い、身形のなっていない、ひとりの不器量な女にすぎなかった。私の肉体では、血はどくどくと流れ、私の意思に反して、こんな劣悪な健康状態のなかで、わが細胞は、ひっしに生き抜こうとしていた。私にはそれが、いかにも気持ち悪かった。生きてあるだけで、苦しかった。わが全細胞の呼吸は、みにくい傷口が鯉のようにくぱくぱと口を開け、ものほしそうに、欲望の餌を食らいたがっているようなイメージをあたえた。息をするだけで、嫌悪に、全身が総毛立つことさえあった。
 私はようやく気がついた、すでに私は先生と、肉体が霧消しているために清潔な、死者の硬く冷たい観念のみをしか、人間を愛せなくなっていたのである。
 私はどこにいてもみずからのみにくさを意識したが、それはあらゆる意味での、いやしい肉体にたいするひけめからだった。私は、ただ廊下を歩いているだけでも、骨ばったみにくい脚が周囲に合わせたがる臆病さによって前に出て、病人のそれのような腕をものほしげに揺らし、怠惰に操作され力なく瞼を垂らし、欲に視線をぎょろつかせ、そしてそれを覆い隠すために、すなわちある種の虚栄心によって床ばかりをみつめる、私じしんの肉体を、天井、壁、あらゆるところにある目から観察し、軽蔑し、肌があわだつほど嫌悪していた。平気で制服のズボンの裾をまくり、すね毛を露わにしている男子たちの神経が、私には理解できなかった。

 3
 先生に、呼びだされた。
 なぜ担任でもない、一教科の担当の教師が、私を呼ぶのだろう。しかし私に、ある期待があったのも事実であった。それはむろん、私の小心な怖れによって可能性を否定され、またその心理は私じしんによって、娼婦のコケトリーだと批判された。たとえ娼婦であろうと、このコケトリーだけはもってはならないと、当時私はかんがえていた。
 されど私は娼婦とは、もっとも崇高な仕事を為しえる職業であるとおもう、ただみずからの肌があらゆる悦楽を撥ねかえし、ただ他者のためにのみ悦んでいるふりをし、そして肉体の悦びを、自己を犠牲にして、男たちにあたえるのならば。たとい賃金をえていようと、そこには偽りの悦びに秘められた涙、そしてひとしずくの真の奉仕があるように、私にはおもわれる。

 現在、扉の前。
 先生。先生に、会える。初めて個室で、かれとふたりきりで話せるのだ。結局のところ、私は廊下を歩いているとき、わかりやすく浮き立っていた。そのあとに、みずからへの攻撃によってふたたび落胆し、そうした一喜一憂をくりかえしていた。
 扉に、手をかけた。ノブをもつ手が、ふるえていた。この手のふるえ、これを操作しているのは、欲望だろうか、魂の衝動だろうか。魂の衝動であるはずはなかった。肉体の衝動かどうかも、正直、よくわからなかった。私にわかるのは、それが、恋の衝動であるということだけだった。恋がおしなべて肉欲か、性欲の別名か、あるいはプラトニックラブを含むか、それを愛へ変貌させる義務があるのか、そんなこと、いったい人間に把握することなどできるのだろうか? それはおのおのが抱けば好いだけの、絶対的なものなんてない、個人の思想にすぎないのではないだろうか?
 扉をひらいた。先生が、神妙な顔ですわっていた。窓から陽が射して、眼鏡がひかった。私の顔をみると、やさしく、微笑みかけてくれた。陽の照りかえしが、レンズの領域から去(い)ってしまっても、ほそめられた目のなかでは、黒目がみえない。心臓が、早鐘を打った。
「…か。まあ座って」
「は、はい」
 私は椅子にすわった。
「最近体調悪そうだけど、どうかしたのか」
「いや…」
 私のこえは低く、しかも銅でも叩いたかのように、太く、ふるえていた。もっと可愛いこえを偽装(つく)れば好かった、私は素直に、そうおもっていた。私は、自分のこえがきらいだ。その可愛くもなんともない、女の子らしくないこえは、どんなところにいても調子っぱずれで、教室で、私が話したあとのしんとした空気、肌を刺すような居心地のわるさ、それが、とくにきらいだ。
「先生、」
 と、おもわず私は、淡いひかりの射す部屋で、塵がしろい陽を反映しながらはらはらと舞う密室で、そっと、かすかなこえで、かれを呼んでいた。
 せつな、そのこえのあまりの可憐さに、私じしんがおどろかされたのだった。私は、好きなひとをまえにして、そのひとを呼ぶとき、こんなにも奇麗なこえがでるのか。これは、こっそり壁に「先生」と呼びつづける、かの後ろめたいレッスンのたまものであろうか。
 私の太く低いこえは、わが恋の感情と調和し、地味な灰いろの布地が風になびき、ふりそそぐ陽光がはっとする耀きへうつりかわらせるように、あたかも、大人びた色香のある、美しい和音となって、私の喉から、きよらかな鳥のように飛び立ったのである。これはいったい悪いことなのだろうか、そう私はいぶかった。
 ふだんこんなこえをだせば、これこそ娼婦のコケトリーだと、みずからを攻撃するにちがいないのに、私は、先生といると、なにかおかしい。しかしそのおかしささえも、私は慈しんでしまうのである。だめだ、先生とふたりきりでいると、私は、自己と闘うことができない。ただ同じ空間にいる幸福に、それだけでしかないのに、それに黄金いろのしあわせをみて、みずからのみにくさも忘れ、酔ってしまう。
「…先、生」
 ふたたび、なんらかの感情に操縦されて、くぎりをつけて、呼んでいた。
 「先」と「生」のあいだに、一瞬間おくと、なにか、その余白に、わが感情が秘められているようで、それによって、余白に埋没し消えいるような私のこえは、死せるまぎわの鶴の歌のように、身を折るほどにせつなげにきこえて、この空白の抒情詩、音楽性の破綻による感情表現、これに、先生は、気づきはしないだろうか。私の恋に、気づいてはくれないだろうか。
 気づいてください。私の恋と、憧れと、とどかないからこその苦しみを、眼鏡の奥の澄んだ瞳よ、すべて、どうかみとおしてください。すれば黙って、素朴にして透明な愛情のままに、そっと、私の肩を抱いてはくれませんか。なんの下心も、性欲も、虚栄さえも不在した、純粋な愛情にあやつられ、自然な感情のままになされた、やさしき抱擁。これさえこの世に在るならば、私のいやしい悩みなど、ことごとくが霧消してしまうのです。…
 そして、「先生」と二度呼んで、ようやく、みずからによってかってに形状をきめつけられ、みにくいとなじられ、否定されつづけ、傷だらけになっていた、それでも、木のようにすくと立っていたわが本心が、眼前で、忽然と、壮麗でもなんでもない、しかし陰気でもない、いわば素朴な絵画のような姿でしめされて、私の胸は、その線描・色彩のあまりの単純さをみて、おどろきに打たれたのだった。
『私は、先生と、ずっと一緒にいたかった』
 ただ、それだけなのだ。
 恋、それは、この感情であると、私はおもう。そのあまりの、恋するひとへの感情は、恋ではない、さまざまな感情で、それは性欲でもいい、愛しさでもいい、同情でもいい、殺されてしまいたい、そんなものでもいい、そんな、別のものであって、それらが、かそけき恋の糸と綾織られ、それはあたかも、はかない絹であって、それは真夜中、青い月の光だけを、さらさらと、おもてをこぼれるようにうつして、それは外の風になびいて、ときにひきちぎられそうにもなって、されど優雅に、さみしく舞踏っているのである。
 恋とは、けっして、性欲の別名ではない。それは、そんなことをいう、あなたの恋でしょう? 恋の感情とは、単純きわまりない、べつに、とうときそれでもないだろう、善いも悪いもないだろう、されど素朴であわれな、幻のこの感情を指すはずである。
 けれどもそれ、「ずっと一緒にいること」、それが私にできなくて、できないならと自暴自棄にもなって、それが、私の欲望への嫌悪、みずからの肉体性への潔癖、そして、魂の衝動、いいえ、もっと別なことばをつかわなければならぬ、私は、「プラトニックラブ」にいまだに憧れていて、それを、なんらかの欲望を充たすいっさいのリターンがない、すなわち愛するひとのために命を投げる行為だけに、かつては、その純粋な姿をみていて、それが、ただの自殺願望とも結びついて、かれのために自己を犠牲にするならば、自殺しても好いという、はなはだ自己本位な理屈にもゆがんでしまって、それは自殺願望を充たすリターンそのものであって、そうだ、恋するひとのために死にたいという希いは、むしろ純粋なエゴイズムだ、それはみずから、希んで為すものではないのだ。
 けれども私の本心は、ただかれと、一緒になりたかっただけなのだ。それだけなのだ。できることならば、それはあらゆる意味で実現不能だけれども、プラトニックラブを、かれと与え合いたかったのだ。
 私の感情をとりわけて、ひとつひとつ注視して、それらが肉体の感情であるか、魂の感情であるか、逐一分析し、仕分けをし、一方を責め立てることは、人生において、そんなにも重大な思考であろうか。必要だろうか。私は先生と一緒になりたい、ただ、それだけだ。ああ、いまの私はおかしい、おかしい。
「私は、みにくいんです」
 気づくと、私の眼からは涙があふれ、しかし私の虚栄心は、私の本心をおおい隠して、いまの考えから離れて、ただ最近の悩みを、吐露させていたのだった。
「私はきたないんです。ぜんぶ自分のことばっかりなんです。自分のために生きているんです。エゴしかないんです。」
「みんな若いうちは、自分のことでせいいっぱいだよ」と、先生が優しくいった。
 ほそい眼が、微笑によって、さらにほそくなった。その肉の動きが、いかにも私には愛しかった。肉体が憎くとも、先生の肉体は、特別だったのである。
 抱きしめてください、と、私はつよく、おもった。他のだれでもなく私だから、特別な私だけを抱きしめる、もはや、そうじゃなくて、よいのです。
 ほかの生徒とおなじで好いから、特別な存在になんてなれなくて好いから、ただ私の苦しい躰を、つつんでください。私には、その一瞬が、永遠なんです。その一瞬が、空に、煙のようにたかく昇るんです。すれば私は、その美しい時間を追憶するだけで、かの空を見遣るだけで、これからの、先生のいない時間を、耐えることができるのです。その一瞬に、相思相愛の保証など、もはや、いらないのです。
 けれども先生は、すこしだけ手をだし、私の肩にそっとふれようとして、しかし途中でそれを、すっと、ひっこませたのだった。
 どうして。
 私はすこしいらだったが、おもえば、こういうところを、ずっと、私は好きだったのである。慰めるために、肩に触れたい。けれども異性の生徒に、触れてはいけない。先生の義務の観念には、他者への愛情と、仕事の誠実さとの、葛藤があった。いつも自分の気持ちよりも、思い遣り、そして教師としての務めを優先させ、なにをするにも、愛情と誠実のあいだで、もだえくるしんでいた。そんなひとだった。
 「先生には個がない」と、なじるひともいた。それはそうかもしれない。先生は、仕事はできるけれど、ちょっと弱い。けれども私は、たといかれがほんのすこし弱くとも、それよりも美しいとおもえるものを、もはや、現世にはみつけられない。愛情によって他者のために心で流し、理性によって胸に秘められた、みえない涙。手のひらに汲まれた、透きとおった青い海。そのあまりのあらゆる美は、もはや月への供物となって、ただぞっとするほどに青く、燦爛と、もえあがっているようにおもわれる。私の手の、とどかないところで。
「若いひとは、自分がみにくい、汚いと悩むものだけれど、多くの場合、自分がおもっているほどそうではないんだよ。君はみにくくも、汚くもないよ。ただ、いっぱいいっぱいなんだよ。いまはそうおもってしまっても、大人になったらわかる」
「私が生きているのは、」と私はいった。
「いまなんです。大人のいまじゃないんです。十七歳の、いまなんです」
 先生は、黙りこんだ。十代の相手はむずかしい、そうおもっているのであろうか。先生はこんなにも私たちを優先させるのに、私は、自分のことばかりいって、先生を、困らせている。自分が恥ずかしくて、また、めそめそと泣けてきた。
「…そうだよね、そうだよね」
 と、男らしくないことばで、私を肯定してくれる。私の涙に合わせて、言動を、ころっと変えてしまう。こういうところが、徹底されていないから、弱いのだとおもう。こういうところも、私は、愛しいとおもう。かわいいとさえ、おもう。好きな男の弱さを、かわいいとおもってしまったら、もう、終わりかもしれない。
「どうして、私の話を聞いてくれるんですか。先生は、担任ではないでしょう」
 沈黙。どうしてこんな、嫌ないいかたをしたのだろう。心では、感謝のきもちでいっぱいなのに。私は自分に、腹が立った。
「…先生な、」とかれは切り出した。
「まだ、だれにもいっていないんだけど、」
 …息が、とまった。
 私の胸は、ある期待にはり裂けそうになった。ばくばくと、心臓が鳴った。恥を、ああ、恥と書いてしまう自分があわれだ、しかし自己憐憫は不可(いけ)ない、私はみずからにそれを禁じているはずだ、そうだ、恥を、告白しよう。
 私は待ったのだ、かれからの、愛の言葉を。
 が、次の言葉は、わが心臓をずたずたに破り、私をどん底へ落ちこませた。血の花が、はらはらと落ちた。視界はまっしろになった。私はふだんの習慣のままに、屋上からわが身を投げ棄て、そのとき私は、みずからのばらばらになり、コンクリートの地にはりつき物質へ回帰した死骸さえも、眼窩で視たのだった。
「もうすぐ、結婚するんだ。婿にはいるから、退職するんだ」
 私は椅子からとびあがり、「失礼します」もいわず、どこか遠くへ、ここではない遠いところへ、死にものぐるいで走りだした。

  4
 先生が結婚する。先生がほかのひとに奪(と)られる。なぜ私はこれを、いままで懸念しなかったのだろう。たしかに先生は、ちょっぴり気が弱いし、それほど格好よくもないけれど、清潔感があるし、職業は聖職の教師だし、仕事はできるし、なによりも、かなしいほどにやさしいひとだ。なぜ先生のように素敵なひとが、結婚できないものだと決めつけていたのだろう。私はばかだ、ばかにちがいない。しかも先生は、この学校から去ってしまうのだ、いやそのほうが好いのか、ほかのひとのお婿になった先生と、毎日顔を合わせなくて済む。いやだめだ、だめなんだ。
 結婚を、阻止したい。
 その考えが浮かんだとき、私はみずからの欲望のみにくさに、さっと血の気がひき、頬に爪をたて、憎悪のままに肉を引き裂いた。獣のような、くるしい息がもれた。しゃがみこんだ。呆然と、ゆびさきをながめていた。伸びすぎた爪の間には、黒い垢と、真赤な血がたまっていた。頬からはあたたかいものが、つとながれていた。床に、ぽたぽたと落ちた。もっと破壊してしまえばいい、もっと壊してしまえばいい、私は自分を、ころしてしまいたい。私はその場にうずくまり、汚い髪をぐしゃぐしゃとかきまわし、おもいきりひっぱりながら、廊下の隅で泣きじゃくった。きもち悪い、きもち悪い。自分がきもち悪い。もしやすると、私の神経は、病んでいるのだろうか?
 私はただ死にたかった、いな生きていたくなかった、そして消えたかった。それはもの心ついた頃より私の胸に棲みついていた、いつもものほしげな眼でにたにたと嗤いながら私を仰いでいる、毛の深いおびただしい脚をわが心臓にくいこませている、肉体の魔物のようなものだった。いかなる思想も信念もない、詩にもならぬ、どうにもならぬ、墜落の衝動のようなものであった。
 もし自殺を決意したならば、私はきっと飛び降り自殺をえらびとるとおもう。裸足と縁がすべる始まりの音、風を切る小気味好い墜落の旋律、肉が地を叩く壮大なラスト、わが死骸をながめまわす、事後のしずかな沈黙…。
 それら音楽的要素は、私の深いところにある官能が喚びかける陰鬱なグルーヴと、いかにも調和するはずだから。

 私は、肉体とはなにかを把握しなければならない。肉欲の全貌をみなければならない。精緻なゆびさきで恋にふれ、科学実験のように精確に、魂を純粋なかたちで抽出する、そんな詩のような観念的行為、むりだ、むりだ。美辞麗句もはなはだしい。
 私は、わが肉体を乱暴にかきまわして、ぐちゃぐちゃにそれをかきわけて、奥へ奥へと潜って、その底に眼を遣って、そこにあるものを、光を、あるいはなんらかのものを、みいださなければならない。あらゆる肉体は私の乱雑なゆびにかきわけられ、視界のよこをすぎ往くだろう、私は飛び降り自殺さながらに、自己の底へ底へと墜落するだろう。そこには、なにもないかもしれない。あるいはそこにあるのは、恐ろしい欲望そのものであるかもしれない。深淵の獣性、ああ、おそろしい。けれどそうでもしなければ、魂の姿なんて、みえるはずもないのではないか。ないなら、ないでいいのだ。そこに在るのが空無なら、絶望すればいいだけなのだ。私はそれの存在を、確認しなければならぬ。
 そういった、ある種自暴自棄なかんがえに操作されて、私は無料の出会い系アプリ、表向きはチャットアプリであったのだが、そこに登録して、セックスの相手を求めるむねの文章を書いた。必要だとおもって、「ブスです」と自己紹介したとき、私は、おもわず顔を覆いたくなるような悲しみに駆られた。
 みにくい、汚い、まだよかった。
 ブス。
 この、無駄な音を廃し、ただ不器量な女に無価値だと、たった二文字でレッテルをつける、本来言葉が必要とするあらゆる誠実さに欠けた(私には、これがもっとも辛かった)、おざなりな響きを有する、暴力的なことば。これを、みずからの手によって自己に烙印づける、胸かきむしるような、くるしさ。私は、ひとの顔にブスといっては、いけないとおもう。
 おびただしい男たちが、無機質な活字の向こう側でもえあがる性欲の群れが、似たりよったりな文面で連絡してきた。みんな、はやばやと写真を要求してきた。性の対象になる容姿なのかどうかを、確認したいのだろう。文面ではないのだ、確認作業をさせるその意欲が、その意欲を覆い隠して要求するかれらの虚飾の態度が、きもち悪くて、きもち悪くて、肌があわだった。
 写真を要求しないひとを選ぼう、そうおもった。別に、そういった男が誠実だとはおもえない、しょせんは出会い系アプリで、セックスの相手をさがすような男だ。写真を要求しない男は、節操のない性欲をもっているか、待ち合わせで「無理」な女が現れたら、声をかけずにどこかへ消えるにちがいない。とはおもっていたが、なんだか、こういう場面で写真を要求されるということに、私は烈しい嫌悪をもったから、そういう選択の仕方をしたのである。いうまでもないことであるが、私の嫌悪に、論理性などない。
 十数人もの男と、チャットのやりとりを数十分つづけていると、ようやく、いっこうに写真を要求しない男が、ひとりだけのこった。私のような女を想定した、こなれた遊び人の、テクニックだろうか。トップ画像は男本人の写真のようで、明るい茶髪の三十代だった。私は、肉体の悦びをみずからが感じられるはずがないとおもっていたし、そもそも目的からして、悦ぶためではないのだから、容姿なんてどうでも好いはずだった。体臭がきついのは嫌だとおもったが、むしろそちらのほうが、肉体性をよりつよく、暴力的に感じられるかもしれなかった。私は他者の肉体によって、わが肉体を害させたかった。
 待ち合わせをし、次の日の朝、私は学校をやすんで、都心の駅でまっていた。
 身だしなみはいつもどおり、ただお風呂にはいり、髪をくくっただけである。トリートメントなど、家にない。眉毛はくろぐろと盛んである。爪は切った、あの日の自傷行為をおもいだすからだ。傷はだいぶ、癒えているけれども。服装は適当に、もっているものから選んだ。母親が購ってきたものだ。ダサいのか、ダサくないのか、それさえも私には判らない。安っぽい生地のスカートから伸びる、鶏(とり)のそれのようにガリガリの脚は、ずっとふるえていた。怖くて、怖くて、なんども帰ろうとした。しかしここで処女を失おうと、逃げ帰ろうと、私の人生なんてなんの価値もないはずだし、そもそも「こう生きたい」という欲求が、いま私にはなにもないのだから、そもそも、かつてあったかも定かではないのだから、どう生きようと、なにをしようと、なにを喪おうと、同じことだった。
 すこし遅刻して、男は現れた。不誠実さに、すこし苛立った。私は、平気で遅刻してくる人間の神経を、理解できない。若作りをした服装。全然かっこよくもないし、しかし、いかにも拒絶感をもよおす容姿なわけでもなかった。すこしほっとしたが、実際このひとに抱かれることを想像すると、嫌悪に、わっと鳥肌が立った。その生理的反応に、理由はちがえど、ふたたび安堵した。
「化粧してないの?」
 私は黙ってうなずいた。不満なのだろうか。かれの表情からは、なんの感情もよめなかった。おそらく私の容貌に、落胆しているのだろう。
「ほんとうに女子高生?」
「…はい」
「そっか」
 どんな感情による確認であろうか。「ブスだけど、ジェイケー・ブランドがあるならいいか」と、自分を納得させたのだろうか。私はかれを心から軽蔑し、平気で邪推することをみずからにゆるしていた。
 男はそっと、私の手をとった。
 私はおどろいた、そのせつな私の肉体は、なんの拒絶感も起こさなかったのである。ただやわらかく、なまあたたかいものが触れただけだった。私には不感症の気があるのだろうか?
 …先生だったら。先生の手が触れたとしたら、私はどう感じるのだろうか。先生の手。きっと、かれの書く数式のように冷たいとおもう。冷たさの奥に、太陽のようなあたたかさがあるとおもう。そこまで潜っていきたいとおもう。きっとかれの手つきには、いやらしさなんてなにもなくて、素朴なゆびづかいで、そっと愛情ぶかく、けれどもためらいがちに、にぎるちからをつよめるのだとおもう。
 …私は男にばれないようにして、瞼をぬぐった。
「カフェにでも行く?」
「ホテルに」
 むだな時間を、過ごしたくなかった。
 男は苦笑いをした。そして、みだらな笑みを浮かべてこういった。
「そんなに、したいんだぁ」
 鳥肌が立った。のばされた語尾。ねっとりとした口調による、無神経な発言。むろん、私はそれを無視した。出会い系で女を探すような男だ、女性のあつかいなど知らないにちがいない、とかれをせいいっぱい軽蔑しながら。
 ただ軽蔑が、男が約束どおり待ち合わせに現れたことへの、ゆいいつの復讐であった。…

 …男と寝た最中のことに関して、特筆すべきことはなにもない。「なにもない」という事実を報告することだけが、このシーンの描写における私の義務であろう。私は行為のさなか、あらゆる肉体の悦びから疎外されていて、しかもあらゆる嫌悪は息をひそめ、いまかいまかと待機していたのだが、それは待ちくたびれた結果、ついに穀つぶしのまま、寝たきりで労働時間を終えたのである。
 特筆すべき私の感情は、すべて事後にあった。しかしそれさえもが、短文による報告で事をえる。(あるいはその余りを、私じしんが書きたくないのか?)。
 処女を喪ったことによって、直後私の内面で起きたことは、ただふたつである。自尊心のさらなる損傷。後ろめたさの肥大化。以上だ。
 こんなものか。そんなふうに、セックスのことをおもった。後悔さえも、それほどになかった。起きる、歯磨きをする、学校へ行く、寝る。面倒ではあるが、日々のルーティーンとしてこなせるほかの様々な生活上の義務と、とくに変わりはなかった。
 自分は堕落したのだ、という意識はあった。デカダン。そんなふうにも、自分をおもった。その発想の浅薄さに、うんざりとした。
 私はとりあえず習慣化した義務によって、堕落した自己に酔うあらゆる感情を攻撃しておいた。それにも強敵は存在せず、一突きで死に絶えるようなよわよわしい観念のみだった。私に残ったのはただ倦怠であった。しかし倦怠こそが、自己の堕落への酩酊、あるいは本来必要な堕落の自覚への麻痺作用のために私の肉体が欲した、処世的な投薬治療だったのかもしれなかった。
 肉体とはなにか。愛も欲望も不在したセックスは、なにひとつそれを私に教えなかった。

 往々にして恋がそうであるように、私は先生に、私の理想の姿を重ねていたのだった。先生にとどかないというのは、すなわち私がわが理想にとどかないということと、おなじ意味なのだった。
 私は、無垢なほどにやさしいひとになりたかった。悲しい奉仕を、ほんのすこしの下心もなしに、捧げられるひとになりたかった。純粋に信じられるひとに、なりたかった。恋するひとのためにいのちを投棄げた、ナイチンゲールの小鳥のようになりたかった。
 ゲーテはこういったのだ、「ただ虚飾の衣装をぬぎさえすれば、人間とはどんなに崇高な生物であろう」。私の教養・知性は、これを信じるにも、否定するにもあたわない。ただ、この命題が真であるならば、どんなに好いだろうと希うばかりである。虚飾の衣装を脱いだ人間が、おそろしいエゴの怪物でないことを、私は切望する。
 先生はべつに、無垢なほどに優しいひとでは、ない。きちんと人間らしい忖度をしたうえでの、思い遣りがある。されどひとの心に共感だけして、慈しみだけもって、あざとい忖度をしない人間というのは、いったい存在可能であろうか? 結局のところ、他者の痛みへの共感とは主観にすぎないために、その純粋な共感によるやさしさは、ワイルドやアンデルセンの童話の登場人物はべつとして、すなわち現実的にいうと、社会のなかで自己本位なものにすぎないのではないだろうか? 真のアガペーは、神への愛のために民衆を惨殺した、狂気的な大悪党のなかにこそ発見できるのではないだろうか? 無垢なほどにやさしいひとになりたい、これこそ若者にみられやすい、自己本位な欲求ではないだろうか? きれいな心。きれいな躰。まっさらな美しさを有したい。心も躰も、まっしろに無垢になりたい。私のこの願望こそが、くろぐろとしたエゴイズムの反動、あるいはそれそのものではないだろうか?
 私のそれに反して、先生の優しさには、リアリティがあった。いわば社会人のそれだった。義務と愛情との交差・葛藤。本心・欲望を覆い隠して、義務と他者のために尽くす態度。自分が、ない。そうそしるひともいる。
 しかし、私はこう信じていたのだ、自己の欲望よりも、奉仕を欲する自己の声にしたがう、自己の意志だってあるはずだと。そもそもこの時代において、奉仕を求める自己の生き方こそ、時代との乖離に悩むそれであるはずで、それを無理強いに自分じしんの手によって選択する生き方にこそ、みずからの強靭な意志が必要であると。
 されど奉仕を強制する、旧日本的なもの、だいきらいだ、だいきらいだ。なにに奉仕するかは、自分じしんで決定すべきなのだ。
 意志である。それを施行する勇気である。私は頭がよくないから、陰鬱な知性よりも、わかりやすくて明るい意志と勇気を賛美する。知性を、意志に追従させたいとおもう。奉仕をえらびとり、涙と血をながす意志こそが、人間の感情のうちで、もっとも美しいとおもう。そして私はそれに、とどいていないのである。…
 されど、先生が意志のひとであるか、私にはわからないはずである。ひとの心は、みえない。それが、悲しい。
 私は夢みる、めくるめく愛の幻想を。疎外され孤独にひりつく心と心を結びあわせて、深いところまで潜りあって、魂と魂を、官能たたく音楽のなか、やわらかに融けあわせて、双方の熱いものが一体化して…。
 私はいつもいぶかってしまう、魂の孤独をほぐす愛の幻想を語るとき、なぜ私の表現は、いくぶんエロティックになってしまうのかと。

  5
 私はあれ以来、何度かいろいろな男と関係をもった。私に恋人はいない。つまり私のセックスに、不誠実性はない。誠実であるならば、どんなに躰が汚れても好いとおもうようになった。そして、そもそも私には、セックスをしたら汚れるというような、意識がなかった。それは男たちの欲望を投影した声にすぎぬとおもう。かれらはただ、自分が処女に跨り、みずからの性欲と征服欲を満たしたいだけであるとおもう。処女が減るのが、かれらはくやしいのである。
 私は肉体を追及するため、肉体の不在した純粋な奉仕をみいだすため、性風俗店で働くことにした。
 私の肉欲への潔癖のはては、皮肉なことに、娼婦の世界であったのだった。

 性風俗店で働くことで変わったのは、まず身だしなみであった。
 私はこれまで、自己の虚栄のためにお洒落をすることを拒絶していたのであり、他者を悦ばせるために奇麗になることを、否定していたのではないのである。ただ他者に捧ぐお洒落、これこそが、歩くたびに足裏に激痛が奔るにもかかわらず、王子のために踊った人魚姫とどうようの、かの美学があるはずである。恋人のために履く、歩きづらく、しかも痛みを与えるハイヒール、私には長くまっすぐにみえるようになった脚よりも、その態度こそ美しいようにおもわれる。
 愛する人のよろこびのため、奇麗なヒールを履く女、いたみを秘めて、にっこり微笑む彼女らは、みんな、美しい人魚姫。
 私は得た給与の一部をもちいて化粧品を購い、肌を白くきめこまやかにし、美しく化粧し、高級シャンプーとトリートメントを購入して、艶やかで男性ウケの好い、まっすぐにさらさらな黒髪を獲得した。出勤前に振るコロンも手にいれ、給与のその余りを、全額ホームレスに与えた。
 私はその寄付によって、あらゆる喜び・充実感を得てはならなかった。なぜといい、たといみずからの感情のみに起こるものであろうと、リターンのある奉仕は、もはや奉仕ではないから。私は石でも蹴り飛ばすようにして、出勤後、毎度数万円をかれらに与えた。「マリア様」と、かれらは私を呼んだ。私はその呼び名を失笑し、そんなことをする自己を嗤わなければならなかった。私は自己肯定を拒んだ。

 なつかしき、面接の挿話が想い起こされる。
 私は価格帯の相場も、さまざまなジャンルの店があるのもまったく知らずに、とりあえず検索の一番上に出た店に電話したのだが、面接官は私の顔と躰をまじまじとながめたあと、こう言ったのだ。
「君、うちの子たちと比べて、そんなに可愛くないからさぁ、」
 同年代の少年たちよりは、ひかえめな指摘である。慣れているといいたい、しかし慣れることができない。今回ばかりは事情も事情で、仕方がないとおもうけれども、男たちは、いつも私たちの美しさを、他の女と比較する。あたかも私たちが、淫らな肉をもった物質であるかのように。人格の、軽視である。私だって男どうしを比較して、軽蔑することがある。しかしそのとき私は、かれらの人格、あるいはあるとすればの話だが、魂を審美しているつもりだ。
「もう少し価格帯が下のところを紹介するから。経験もないしね」
 私は男の視線に身を固くし、閉じられた脚を、さらにぎゅっと締める。私は外にいるとき、いつも下腹部のあたりに、肉体のうちでもっとも肉体的なものがあることを、意識しているようにおもわれる。無意識に、それを守護しようとするのである。身をかがむときも、胸元が見えないように、脊髄反射的に、手でそれを隠す。
 その様子が扇情的であるという、あまりにも無知な男たちに性感覚に、ぞっとする。
「…でも、」
 私は衝動に駆られ、それに反駁した。
 いまおもえば奇異なことであるが、私は調べもせずに、価格帯と被虐性は比例するものだと、そのときかんがえており、高い店であればあるほど、暴力的な性サービスを強要されるものだと、思い込んでいたのだ。価格帯があるという知識もはじめなく、検索の一番上を適当にえらんだのに、いまになってそこに拘るだなんて、あいもかわらず、私はものぐさである。
「私、女子高生です」
「今の時代さあ、」
 面接官はいらだちはじめる。
「ジェイケー雇ってるなんて、謳えるわけないでしょ。うちのグループは裏の世界の者がやってるわけじゃないし、街中の路面店ばかりなんだから」
「…ごめんなさい」

 そしてそのまま、そのグループの格安店を紹介された。
 面接官は終始にやついている、いけ好かない中年男性だった。髪はばさばさ、肌はがさがさだった、当時の私がおもうのもなんであるが、何故そのふけの吹く脂ぎった髪で、毛穴に黒いものの溜まった汚い肌で、気味の悪いにやけ垂れ流しで、ひとまえにでられるのかが、いっさい理解できなかった。
 私は容姿の美醜を説いているのではない、あくまで可視化された、かれのふだんの習性のことをいっているのである。裏側にあるもの、それが、無理である。
「女子高生なんだね、フン、フン。お店では絶対言わないでね。同僚にもだよ」
「はい」
「NGなサービスある? アナル舐めたくないとか、キスは嫌とか」
「殺される以外なら、なんでも」
 殺されるサービスは、先生限定の裏メニューに取っておこうと思い、自分のかわいらしい発想に、おもわず顔がほころんだ。くだらない。直後にそう、自己へ指摘しなおしたけれども。そもそも先生が、風俗店なんて利用するわけがない。
 男は一瞬目をみひらいたが、すぐにやけ顔にもどった。
「根性あるねえ。まあうちは暴力とか暴言とか禁止だし、それが起こったらボタンを押せばいいよ。怖いひと来るから。あ、暴力団じゃないよ? うちはちゃんとした企業だから」
 ふたりから念を押されると、逆に怪しげであるが、そんなこと、とるにたらないとおもっていたから、話半分に聞きながした。
「今日から働けますか」
「急かさないでよぉ」
 全世界のおじさんに告ぐ。語尾を伸ばしたまうことなかれ。我ら少女は、それに殺意さえいだく。…先生だったら、ぜったい可愛いけれども。
「まずは研修で、一度教えながらプレイするからね。技術次第では、今日から入れるよ」
「相手はだれですか?」
「え?」
 とわざとらしく訊きかえす。
「私だよ」
 にんまりと笑う。私はかれを、きっと睨みつけた。

  6
 そして私は、かれと、寝た。
 私はただ義務に徹し、わがうらわかき肌はあらゆる悦びをしりぞけ、それでいながら、めくるめく淫乱な女を、私へ演技させた。そのとき私は、もっとも猥褻で、しかしもっとも貞淑な女であったのだった。私は淫猥の虚勢をはった。淫乱の仮面をかぶり、されど素顔では、あらゆる肉欲を拒絶し、貞操をまもり切った道化者であった。私の魂は、もしあると仮定すればの話であるが、いぜんとして清潔であった。
 横臥わるわが裸体は、さながら一篇の詩であり、あたかも、あでやかに波うつ不感症の海であった。
 ねがわくば、ただわが身に、魂の発現せんことを。
 私はわが裸体が、いまにも透きとおって、空へ霧消することを希った。

 その後、私はその日のうちに二人の客を相手にし、しっかりと射精させ、帰りに男性スタッフにすすめてもらったシャンプーとトリートメント、化粧品だけを購って、残りを浮浪者たちにばらまいた。
「お風呂入ってくださいね」
 そう言って、にっこり笑ってみせた。私は美しく惨めなかれらにたいして、聖女のようにやさしい態度であった。私は皮肉をいっているのである、かれらにたいしてではない、みずからの卑しさにたいして。
 されど本心から、私もいつか、かれらのようになりたいとおもった。社会的な価値基準、あらゆる虚ろなしがらみを脱ぎさって、自分じしんが消え、空っぽになって、ただそこに埋没したいとおもった。
 魂。
 それでもなお残った、かすかな光があるならば、それこそが、かの睡る水晶ではないか?

 産まれもったものに恵まれていないとはいえ、髪や肌に気を遣って、放課後の労働のためにアイプチをし、ひかえめな化粧をして登校するようになったため、やや奇麗になった私は、ある同級生の少年から呼びだされ、「付き合ってください」と、告白を受けた。
 生まれて、初めてだった。やはり容姿なのか。ちっとも嬉しくなかった。くわえて私に、男性から好意を受けるに足る美点が、一つでもあるようにはおもえなかった。
「どこが好きなの?」
 と訊くと、
「なんか、翳のある感じが色っぽいし、最近すげえ可愛くなったし、清楚で、いつも一人でいるけど、なんだか俺が支えてあげたくなるんだ」
「清楚?」
 憎悪に、顔をゆがめた。おもわず衝動のままにまくしたてた。
「あばずれビッチですけど、なにか? 見た目で判断しないで。ただ黒髪でスカート丈が長くおとなしい女に、『清楚』という透きとおった言葉をもちいないでください。言葉は厳密につかってください。清楚な人間なんていません。人間はあらゆる意味でみんな汚いです。あらゆる感情は不純です。それで好いんです。汚濁にまみれ、けがらわしい肉体をもった生物が、だからこそみずから泥へ潜りこみ、真善美を求める、だからこそ人間は美しいんです」
 少年は、ふだん教室でひとことも喋らない私の、感情的な雄弁に、驚きに打たれていた。
「支えてあげたいってなに? 私が支えられないと生きていけない弱い女だとおもってるの? それはあなたの願望であり、傲慢さでしょう。私にはいつ独り暮らししてもいいくらいの、収入があります。あなたにそれが、ありますか。翳がある? 病んでる弱いひとが好きなの? その感情、気持ち悪い。弱くて病んでるのはあなたでしょう。格下に尊大な態度で奉仕したがり、その優越感がないと生きていけない。そのくせ、どうせセックスを要求するんでしょう。リターンがないと、『あんなに優しくしてあげたのに』って、怒り狂うんでしょう。あなたみたいな男、いや人間、だいっきらい」
 …かれは顔を真っ赤にして、なにかを言いかけたが、黙りこみ、その場から走り去った。
 すっきりした、そのあとに気持ち悪くなった。
 私はふだんだれにも自分の考えをいわないから、それを外に出してみると、羞恥と焦燥にもだえ、みずからにしめされたそれの青くささにぞっとし、いまの発言をとりけしたくて、とりけしたくて、居たたまれなくて、息ができなくなって、いまにもわあっと叫びだしたくなった。
 格下とみなしたものへの尊大なホウシ、それをしないと生きていけない、浮世離れした殉教へのそれを除き、いっさいの夢がない、自己の人生をみずからによって選択できない、決定できない、選択肢が自我の黒板に掲示されていない、みちびいてくれる友人もいないゆえに、どこの教室へ行けば好いかわからない、ただ生きていたくない、はやく終わらせたい、だから他者の欲望に身を委ねて、希まない苦しいことに身を突き落として、他者の肉欲に四肢を緊縛させて、それさながら、宗教の戒め、あらゆるわが憎たらしき欲望から解放された気分になって、しかも性的なエクスタシーをえていないだけで、心のどこかでは、それを存分に悦んでいる。
 それは、私だ。
 私にとって、性風俗の職場とは怪しげな教会にほかならず、私は肉欲に悩める男たちの下半身を癒す、いんちき聖女の一人であったのだ。
 されど、真の意味での聖人、ほとんどがみな、幸福そうではないか。むしろ世俗のしがらみ・わが肉欲にまみれ悩む、卑しき俗人の私よりも、なにかから解放されているようで、気楽そうではないか。自己がなくてもゆるされて、戒めにみずからを委ねて、権威のある様式に四肢を縛って、肉欲に操作されなくなった気分になって、おもい悩まなくなって、自分はこれで好いんだと肯定できて、それはそれは仕合せでありましょう。
 されど私は、そうはなりたくない。いったいそこに、聖なるものは果してあるか?
 私にとっては、聖人のそれよりも、人格破綻者で甘ったれ、他者への迷惑をほとんど顧みぬ、世間からは逃げ続け、軽蔑すべき、かの田中英光の、爪たてられ鮮血の垂れた言葉のほうが、よっぽど好ましい。
 わがいだく真白の美は、骸の糧を吸いとり、壮絶な美しさを炎やさせる、真冬の廃墟さながらに、いまにも逃避したくなるほど戦慄の奔る、おそろしいものであるはずだ。幸福そうにやさしくほほ笑み、教訓を説く宗教家、私はかれらを、ぜったいに信じない。私の宗教心、それを、他者にはぜったいに侵させない。どこの教団にもはいるものか。私の神は、私がいだくのだ。
 十七歳、私はつぎのように考えていた、焦がれるものが不在して、どうしようもなく希求して、無いのに在ると信じこみ、それに永遠さえみたら、それが、そのひとの神であると。

 先生が、学校から去った。
 挨拶のとき、私はそれの日にち・時間を知らず、ワンナイトの一泊出張を終えたばかりで遅刻をしていて、学校にいなかった。
 放課後、橙いろの夕日射す、かの教室へ足を運び、先生が座っていた椅子、そうでないかもしれないのに、それに躰をもたれて、脚にしがみつき、さめざめと泣き臥した。金属の脚、それはひややかだった。世界と、どうように。
 窓にきりとられた、空を仰いだ。天はうすい膜を張っていて、向こう側が、神々のすまうところが、かの魂の昇る場所が、いつもとどうよう、視覚できなかった。なにを打ち上げようと、詩、音楽、絵画…、それらすべてを、膜はきんとがらす音を立て、ことごとくを撥ねかえす。
「地上に、コンドーム付けてるみたい」
 あきらかに、職業によって感覚が変貌(かわ)ってしまった、みずからのその発想に、ちからなき笑いがのどもとを込みあげてきて、その笑いは、みずからへの軽蔑を孕んでいて、それが与える苦痛への麻痺作用のために、おのずから産み落とされた自己憐憫は、甘い蜜のような粘着性で、その感情をねっとりとおおっていて、私にはそれが後ろめたいのだ、そして、はらはらと、涙が流れるままにしながら、永続せぬ蜜の効果がせつな切れた際の、ヒキツリのような自己への嗤い、私はそれら肉体を操作さす、物質的感情に、わが全肉体を委ねた。
 それを拒む義務が、私にはあったのに。
 とまらない、泣き笑いが、とまらない。
 空よ、どうか、かのむこうがわを、私に見せてはくれませんか。
 聴こえない、音楽が、聴こえない。
 熱き吐息をもらす、愛するひとの唇さながらに、ついに真白の空われて、かの歌を、神秘と地上を交差さす、涙の音楽をふりそそがせ、それをわが胸いっぱいに、ひびかせてはくれませんか。

  7
 職場の近くの公園。ふらりと、私はそこへ現れた。
 真白なワンピースを着て、風になびく裾はきえいるようにほのかにひかって、白い肌はさながら陽との境界線なく、黒髪だけがはっきり艶やか、紅い椿の薫りが、むっと濃い。
 この日のために購った、男好きのするワンピース。化粧には、自信がついた。アイプチなんか、後ろめたさを感じるまでもない。不器量な女の、偽装った美。社会的な人間が、みんな、していることだ。
 私は歩く、目的は明瞭だ、だんだん、饐えたような、泥のまじるような、生ける肉のにおいが接近してくる。私はそれを、なんともおもわない。とるにたらない。生物に、元来そなわるにおいである。
 燦き立つのは、はや地上になき、彼方でひかる、硬き月光照りかえす、かの真冬の聖地のみ。
「こんにちは」
 尊大に、私は微笑んだ。美しく惨めな、ホームレスたちへ。
 水商売。微笑みに、巧みになる。
 先生が、校内の喫煙所で、煙草をとりだすのを見ると、私は遠くからポケットに手を入れ、おのずからライターをさぐってしまう。先に火をつけなきゃ、そんな意識に、自然と、苦もなく駆られる。これは、特殊な職業であるがゆえの、かなしい性なのであろうか。私には、それが美しいともおもわれる。美の背後には、いつも、かなしみの翳りがあるようにおもわれるから。
「ああマリア様…」
「今日も奇麗です」
 お世辞。私は奇麗といわれても、嬉しくないタイプである。「なにが欲しい?」と身構えるだけである。
 私は林の奥をゆびさした。そして、ワンピースのボタンを、ひとつ、そっとゆびではずして、にっこりと、かれらへ微笑みかけた。

 そして私は、希んでかれらに犯された。「いま私がしていることに、果して奉仕の衝動は混入していようか」と、自己に問いつづけながら。

 自分で希望したこともあり、私は裏のSM風俗へ転勤になった。
「堕ちたね」
 と、同僚は、くちぐちにいった。
 それは娼婦としてはたらく彼女らじしんが、他者から投げられ、そしてみずからを苦しませている、他者の生き方・職業には本来いってはならない、呪わしい暴言であるはずだった。
 自己を傷つけた、他者からの悪の言葉を気にかけてしまうと、いつのまにか、その悪の命題を帰結させた悪の論理が、私たちに構築されてしまい、すればどうようの発想が、おのずから私たちの脳髄から産み落とされるようになって、私たちは、その悪にみずからが汚された復讐のため、みずからを傷つけたそれとおなじ悪の言葉を、他者へ投げつけるようになる。悪は、連鎖する。純潔を守りぬくには、ただ拒絶のほかはない。気にかけてはならない。悪への軽蔑をも、拒まなければならない。
 されど私は、その「堕ちた」という響きに、くろぐろとした洞窟の奥に這入りこんで、すきまから射す海上の月光が、岩壁を青く照り返させるそれのような、そこで発見した、半永遠性を有す、古代は「融けない氷」とされていた、真白の氷晶石のそれを幻視したような、ぞっと肌のあわだつ、翳りのある蠱惑をみた。
 睡る、水晶。
 それは、もしやすると、底の底に墜落したところに、微睡んでいるのではないか。

  8
 堕ち、切る。されば、生き、切る。
 消えてしまいたい、欲望を断ち切って、憎悪すべき自己を破壊しつくして、ただ肉体を脱ぎつくして、肉体でない、美しいひかりのみを発して、空へ消えてしまいたい。あらゆる理性から、社会が要請するしがらみから、解放され陶酔してしまいたい。
 私の自己無化への意欲、これは自己犠牲から、もっとも離れたところにあるはずである。なぜといい、その意欲によって私が凝視めているのは、いつも自己なのだから。私は、自分ばかり見つめている。利他的な人間の、逆なのである。
 愛とは、対象を慈しみ、理解しようとし、そして、役立とうとする、貴き感情であると思う。私には、自己へのそれのほか、いっさいの愛がない。だから平気で、男性を、人間を、きたならしい言葉で、罵倒できる。それは次のことを意味している、私には、いっさいがないのだ。私のこころには、善も、美も、あらゆるものがないのだ。私が夢みていたもの、ことごとくがないのだ。
 私の縋った、ロマン派めいた人間賛美、まさに、夢のようにとおく感じる。
 殉死。様式美の話ではなく、個人の心理の話において、それは果して、ほんとうに貴いものだろうか。様式美に、疎外されたプライドをきわみまでを昇らせたいだとか、そもそも消えてしまいたいだとか、そういう欲望が蔽い隠されているだけではないのか。
 心に、高貴なんて、あるだろうか。

 新しい職場、私は待機室でまっていた。すぐに呼ばれた。
 扉をひらく。
 先生だった。
 あわてる顔、毅然としたそれをとりつくろおうとする態度、眼は合わない、私はずっと、かれを呆然と見ている、もう私たち、教師と生徒の関係じゃないのに、ようやく先生、おそるおそる、怒れる教師の顔をのぞきこむ罪をなした少年のように、私をそっと、ながめやる。私はその一連を、ただみていた。男の人の心理って、なんでこんなに解りやすいんだろうと、やや軽蔑しながら。女の人の心理、私だってよく、解らない。優美って、ずるいってことじゃないかしら。
 先生は、他人行儀な雰囲気で、私の肩に手をかけた。
「若いね」
 かれは私が私であることに、気づかないふりをすることにしたらしかった。
 卑怯だ、臆病だ、なぜこんなひとが、誤魔化すひとが、聖職にあるのだろう。ひとから、承認されているのだろう。尊敬さえ、されているのだろう。社会から落っこちている私は、ひとから承認されない私は、こんなにも自己の卑しさと、無益に闘っているのに。なんだ、この意味の解らないひがみは。私のなかの世間が、そう指摘する。
 ボードレールの「悪の華」、「アベルとカイン」の詩、カインであるという選民意識、私からすれば、おめでたい。この詩人は、才能があったではないか。凄まじい詩を、書けているではないか。詩集、売れたではないか。ほとんどのカインは、呪われた者は、私のように、これといって、なんの才能もないのだ。特殊な才能を得て、実績をあげたカインは、たしかに、ようやく世間に承認されるであろう。私たちには、その道だけが残されているように、おもえていたときもあったのだ。私が、ちょっと詩的な文章を書けるのはそれゆえだ、「どうせ詩人になれないのに、詩を書く自分がいじらしい」、これは自己欺瞞だ、詩人に、なりたかったのだ。しかも賞が、ほしかった。そうしたら、地元国立の医大に行けなくても、お母さんに褒めてもらえると、おもったのだ。
 私は、不登校の娼婦の、地下生活者の立場からかれに嫉妬し、しかし私の躰は、それでもかれの手に、どぎまぎしていたのです。肌に記憶させるように、その手のあたたかさを、一瞬でも意識をはずさず、刻もうとしていたのです。先生、先生、だいすきなひと、愛しているひと、どうしようもなく、愛してほしかったひと、ずっと、一緒にいたかったひと。
 こんなところで、私たち再会するなんて、かんがえられるかぎり、サイテーの再会ですね。
 でも好いんです、それで好いのです。ここから、ここから恋人どうしになれたら、ずっと一緒にいることができたなら。
 私はいつもありのままの自己を、現実を、人間を拒んでいる、そのことごとくを、認めたくないのである。
 ほんとうは、人間が大好きなのに、焦がれているのに、だって私、仏文学が好きなんだよ、「仏文学が好き」、「お洒落!」、なにも解ってないな、仏文ってお洒落かなあ、サガンやコクトー、アポリネールはそうかもね、でもね、私の説はね、だれも聴いてくれないけどね、フランス人は、人間性にふかくもぐり、明晰性によってそれを追求してしまう態度がつよくて、その反動として、装飾のお洒落が流行したの、つまりおおくの仏文の態度は、いわばお洒落の逆再生、ああ私は、世界を、抱きしめたいほどに求めてしまうのに、皆のいうとおりには生きられず、ごめんなさい、ごめんなさい、私の癖、頭のなかで謝ること、ぜんぶ自分のためだけど、自己陶酔、ああお母さん、お母さんの希むように生きられなくてごめんなさい、地元の国立医学部になんて、行きたくもなかったんです、なまじ成績が良かったから、お母さんを期待させてしまいましたね、ごめんなさい、ああこれ、あてつけの混じる、しかもひとを軽蔑してしまう自分、「大衆」という言葉をつかってしまう自分、ああにくい、貴様に「大衆」なんて言葉をつかう資格はないのだ、中原中也でもあるまいに、ああ私、この期におよんでも優劣ばかり、卑屈は尊大のうらがえし、自己否定につかう知識だけ、私、もはや教養人、仏心理小説、レイモン・ラディゲなんてかっこつけて、ただ自己否定の材料にしかなってないくせに、なんて後ろめたいジャンルだろう、ところでラディゲってイケメンだよね、ただし横顔にかぎる、私、文学者にそんなことおもってしまう自分がすごく嫌、「お前ほんとは自分のこと好きだろ、自分のことばっかり考えて」、あのですね、愛には4つあるんです、めんどくさいので、ウィキペディアで調べてください、あなたの「好き」と、私の「好き」の、定義がちがうだけですよ、ああ、もう私、こんなふうにひとを軽蔑したくない、傷つける自分を責めるのに疲れた、でも私、人間ってつねに差別してなにかを峻別してるとおもうんだ、ああうるさい、私、私へのツッコミうるさい、精神病のひとの文章って、「私」が多用されるみたいですね、ネットニュースでみましたよ、私、ずっとまえから知ってた、私知ってた私、いつも後ろめたい、ひとを憎悪したくない、軽蔑したくない、奇麗になりたい、まっしろになりたい、無機質になりたい、陶器さながら、硬く硬く凝固したい、私は自分を、ころしてしまいたいのです。
 そう、私は、わが憧れが利他の極みであるにもかかわらず、ひといちばいワガママなのだ。わが殉教への憧れ、こんなもの、自己嫌悪の反動、単なる自己愛的なコジツケなのだ。
 自分じしん、私にそんなものいりません、空っぽになっても構いません、むしろそれを希むのです、なぜって私は醜いのです、エゴが憎い、欲望が汚い、私は化け物だ、怪物だ、なにもかもを捧げたい、殉じてしまいたい、極端に美しい存在に跳躍したい、観念に昇華されたい、そう、それ永遠、すれば私はこの世から、壮麗に光って貴くたかく、ついに霧消してしまいたい。
 私のこの願望、全て、自尊心に捧げているだけではないのか。
 忽然と、かれの手が振り降ろされた。
 痛み。殴られた箇所が、じんじんと疼いた。私は床にころげ落ちて、先生を、見上げた。動物の、眼をしていた。くちもとが、にやついていた。私のなかの、美化された先生像が瓦解して、しかしそれでも、先生は先生で、ああ、いまおもえばそういうひとなのは解るな、とおもって、なんだか納得をして、ただ、被虐されるがままになった。
 雨のように、幾度も、暴力がふりかかる。
 先生、ちゃんと、力をセーブできていますか。私、明日も学校なんです、保健室登校ですけれども。行けるかどうか、わかりませんけれども。痣、残っちゃいますよ。
 私は気がついた。私の陰部は、人生ではじめて、濡れていたのだった。私はそれのわけを、ふかく知っている気がした。私の、自己憐憫ばかりの人生をかえりみれば、なにが苦しかったか、なにが嬉しかったかを考えれば、そうとしかならないだろうということが、逆算してわかったのだった。
 もはや、殴られるごとに、私の思考は、躰は、異様な高揚だけをのこして、融けていく。
「殺してください」
 と、陶然と、ながれでる葡萄酒のように、がらすの躰を横臥えて、わが裸体、睡る水晶さながら、そして、幸福に酩酊し、夢みるこえで、そっと、先生のみみもとへ囁いた。
「え?」
 と、訊きかえした。かれの手首が、かすかにうごいた。
 先生の眼が、ふっと、青い月のようにつめたく、燦々とした。
「殺してください。私には、この期におよんでも、みずからに、エゴイズムの他の感情を発見することができません。けれどももはや、私はあらゆる欲望をかなえてしまい、それと同時に、ことごとくを喪ってしまったのです。そう、一切を。殺してください、殺してください。どうか、愛する先生の手で、私の、真白に立ち昇る霜のように朦朧たる頸を絞めて、私を、どうか殺めてください。
 私の憧れはただひとつでした。
 アガペー。
 私は、ひとを、無償で、愛してみたかったのです」

睡る水晶

睡る水晶

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更新日
登録日
2022-05-01

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