騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第二章 聖騎士のためしごと

第十一話の二章です。
ロイドくんたちのアタエルカ入国、そしてラクスたちと教皇の出会いです。

第二章 聖騎士のためしごと

 教皇と呼ばれる人物がいる場所。様々な武器を手にした石像が立ち並び、ステンドグラスが美しいその聖堂には、しかし教会でよく見かける長い机も椅子もなく、代わりに凝ったデザインの甲冑をまとった者たちが左右にズラリと並び、その間を一番奥の教皇の所まで面喰いながら歩いていた、ぼさぼさの髪の毛を適当な手櫛でまとめたような黒髪の青年――ラクスは、これはもはや王との謁見だなと思っていた。
「アタエルカの各地区はそれぞれの宗教の総本山ですからちょっとした小国――そこの頂点に立つ人物は言わば国王です。失礼のないようにお願いしますよ。」
 そんなラクスの考えを読んだかのようにコソコソと耳打ちした、らせんを描く金髪を揺らす女子――プリムラは、そう言いながらも左右に並ぶ者たちに鋭い視線を送る。
 まとった甲冑のデザインは統一されているが手にしている武器は周囲の石像のようにそれぞれに異なっており、一人一人から放たれる達人のオーラにプリムラは息を飲んだ。

「一人一人が一騎当千――とまでは言いませんが、それなりの猛者ですよ。」

 ラクスとプリムラ、そこに四人の女子を加えた一行が聖堂の一番奥までたどり着くと、そこに座っていた女性がプリムラの表情を見てニコリとほほ笑んだ。
 端的に表現するならば、金色の刺繍があちこちに入った白いウェディングドレスを着た女。つま先が見えないスカートで足を組み、腰の辺りまであるシースルーのヴェールの下から頬杖をついた顔が覗き、長いピンク色の髪が左右へ適当に広がっている。色合いの少ないその人物の服装が女教皇と呼ばれるにふさわしいかどうかはラクスにはわからなかったが、少なくともあの姿勢はイメージと違うと感じた。
 だがそんな違和感は、その女性の隣に立つ人物の存在に一瞬にしてかき消されてしまう。
 優に二メートルを越え、下手をすれば三メートルに届くだろう体躯。ズラリと並んだ者たちよりも豪華に装飾された甲冑。騎士の卵とは言え、既に多くの修羅場をくぐり抜けているラクスたちの呼吸を止める圧倒的な強者のオーラ。間違いなくこの場で最も強く、これまで出会った数々の敵の中でも上位に入るだろう人物に視線を奪われていると、女性がパンと手を叩いた。
「観賞用の飾りではありませんので、凝視されるとこれも照れてしまいますよ。」
 女性の言葉に一行はハッとし、プリムラが一歩前に出る。
「た、大変失礼しました! この度は――」
「ああ、ああ、そういうのは大丈夫です。楽にしてください。」
 プリムラが膝をついて挨拶しようとするのを手をひらひらさせて止めた女性は、スッと立ち上がって一段高いその場所から降りて一行の前までやってきた。
「これが戦士の皆さんであったらわたくしに首を垂れるのも間違いではありませんが、あなたたちはそうではありませんでしょう? 外国のちょっとしたお偉いさんに会っただけですよ。」
「戦士?」
 思わずそう呟いたラクスに、女性はニコリと笑顔を向ける。
「神とは偉大なる武神。強き者が正義であり、現世で磨き上げた武力で来る大いなる冬に挑む為、神の宮殿に入る事が人間の使命。ならばその道を行く者は信じる者ではなく、戦う者――戦士と呼ぶべきでしょう?」
 さらりと語られた事にちんぷんかんぷんという顔をするラクスを肘で小突きながら、プリムラが――膝はつかずとも深く頭を下げる。
「――お初にお目にかかります。カペラ女学園よりグロリオーサ・テーパーバゲッドの名代としてやってきました。わたくしは――」
「プリムラとラクスとヒメユリとアリアとリテリアとユズでしょう? 初めまして、アタエルカ第五地区の一番偉い人、教皇のフラールです。」
 あっさりとした自己紹介と同時に軽く伸ばされた手に驚きつつ、プリムラは教皇――フラールと握手を交わした。
「なるほど。」
「な、なにか……?」
「ふふふ。さあ、こんな所でお話はできませんから、別室へ移動しましょう。」
「移動って……初めからそっちに案内してくれた方が良かったんじゃ……」
 ラクスの独り言へキッとにらみを送るプリムラだったが、フラールはふふふと笑う。
「若き騎士たちへ、わたくしたちからの敬意を示したかったのですよ。」


 微動だにしない甲冑の者たちを横目に来た道を戻り、さきの聖堂を見た後では寂しく見えてしまう応接室に案内されたラクスたちは、フラールに促されてフカフカのソファに腰かけた。
「しかし名代とは少し残念ですね。『豪槍』とは一度お会いしたかったのですが。」
「こ、校長もお忙しく……」
 申し訳なさそうに笑うプリムラだが、脳裏には「アタエルカなんて面倒なとこ行きたくねぇ。」と言っていたグロリオーサの姿があった。
「まぁ見つけたのが俺たちだったんで、折角ならアタエルカを見てこいって感じでした。」
 本人に言われたからとはいえ、もはや教皇――この地区で一番偉い人間だという事を意識しなくなったラクスがフランクにそう言うとプリムラは再度睨んだが、フラールは気にせずにほほ笑む。
「若者に経験を、というわけですか。となるとこの国、そして皆さんが運んでくださったモノについて、知らない事も多いのでは?」
「正直全然――ああそうだ、アリア。」
「はい。」
 ラクスに呼ばれて返事をした、触覚のような髪飾りを頭に乗せた人形のような女子が唐突にシャツをまくってお腹を出す。フラールがヴェールの奥で目をぱちくりさせていると、アリアの腹部がガシャンと開き、中から布に包まれた何かが出てきた。
「大事なモノだって事なんでここが一番安全かと。」
 腹部から出てきた物をアリアから受け取り、机に置いたラクスは布をとる。中から出てきたのは巨大な鳥の卵のような物体。金色に輝き、数々の宝石が取り付けられたそれを前に、フラールが身を乗り出す。
「元々は姉ちゃん――校長が生徒の実戦訓練の為だって事で危険な土地やら未開の遺跡やらの調査を引き受けてるんですけど、その中で割と危なそうだからって後回しにされてた場所を今回俺たちが調査する事になって、そこでこれを見つけたんです。」
「……よくこれがアタエルカのモノだとわかりましたね。」
「それはプリムラが……」
 ラクスが目線を送り、プリムラがコホンと説明を引き継ぐ。
「騎士の世界には指名手配されている犯罪者のリストの他に、賊に盗まれたり災害や事件の混乱で紛失してしまった貴重品、マジックアイテムなどのリストもありまして、そこで見た覚えがあったのです。」
「素晴らしい。既に一人前の騎士ですね。触ってもいいですか?」
「勿論。元々そちらの国の物なのですから。」
 金色の卵を手に取ったフラールは、壊れている箇所がないか確かめるように各部をゆっくりと観察していく。
「もし差し支えなければ……リストにはかつてアタエルカで賊の手によって失われてしまった物が最重要品としていくつか登録されていて、それはその内の一つで強力なマジックアイテムという事なのですが……一体どのような力がある物なのでしょうか。」
 プリムラの問いかけにチェックの手を止めたフラールは、金色の卵を机に置いて姿勢を正した。
「この宝を再びこの場所へ戻して下さった皆さんには全てをお話したいところですが、これはアタエルカにおける数少ない国の機密ですのでその秘めたる力を教える事はできません。ですがこれがどういう代物なのかは説明しましょう。」
 そう言いながらフラールが視線を送った先には、綺麗に十二等分された円形の土地――アタエルカの地図があった。
「神の光が見つかり、世界中の宗教が降臨降誕の地としたこの場所に十二の教えが集い、自分たちの神こそが真実であると争いながら発展させ、気づけば一つの国と呼べる規模まで拡大し、世界連合がここを国と扱い代表者を決めるように求めてから長きにわたり、この場所には様々な王が誕生していきました。その仕組み――選定方法はご存知ですか?」
「確か十二の地区それぞれの長が候補となり、毎年各宗教の勢力……規模を信者の数などから厳密に比較して決めていると。一年で代わる事もあれば数年間代わらなかった場合もあると聞いています。」
「その通りです。血統で決まる一般的な王とは異なりますが、火の国のように財力のみで単純明快に決まるモノでもない……恐らく世界で最も王という立場が複雑な国でしょうね。おかげで商人たちからは世界一面倒な国とされていますが、この宝――レガリアが誕生したのもその複雑さゆえだと言われています。」
「レガリア……王位を示す品物の事ですね?」
「よくご存知ですね。そうです、選定の結果一年間の王位を得た者はこれを手にし、自分の地区の教会などに置くわけなのですが……宗教が異なれば王位を示すシンボルも異なる為、国際連合が用意した王冠を放って各地区がそれぞれのレガリアを作ったのです。」
「という事は……もしや騎士のリストに載っている品々はどこかの地区のレガリアなのですか?」
「そうです。かつて侵入した賊は十二の地区で厳重に保管されていたそれぞれレガリアの内の七つを同時に盗み出したのです。犯人は未だに明らかになっていませんが、騎士の皆さんの調査によれば手口の巧妙さと規模からして『大泥棒』の仕業ではないかという事でした。」
「S級犯罪者の……盗む品よりも盗む行為に重きを置くと言われている人物ですね。とある国宝が盗まれたと思ったら、近くの村の郵便入れにあったという話もありますから……レガリアがあの遺跡にあったのも特に意味なく投げ捨てただけなのかもしれませんね。」
「捨てるくらいなら戻して欲しかったところですが、結果としてレガリアが悪人の手に渡らずに済んだ点は不幸中の幸いでした。他のレガリアもせめてそうなっていれば良いのですが……」
「ん……? ちょっと待ってくれ。」
 プリムラとフラールが会話を進める中に首を傾げたラクスが加わる。
「プリムラがそれをこの国の物だって気づいた後は、それを聞いた姉ちゃんがアタエルカの知り合いに話してみるって言って、そしたら自分たちのだって返事が来たから俺らはここにいるわけだが……つまり俺らが見つけたレガリアがたまたまこの第五地区のレガリアで、姉ちゃんが連絡した相手も偶然第五地区の人間だったって事か?」
「ラ、ラクスさん! 失礼ですよ!」
「ふふふ、いえいえそれくらいの訝しみは騎士として当然でしょう。」
 ラクスの不審げな顔にプリムラが焦りを見せるが、フラールは軽く笑う。
「順に説明しますと……そうですね、これまでの話だけですと、アタエルカは一つの国であってもその内側では十二の地区が対立している構図を思い浮かべる事でしょう。実際その通りですし、だからこそわたくしの話に違和感を覚えたのでしょう。連絡した相手が別地区の人間であったなら、他の地区の為になる情報を渡すわけはないと。しかしレガリアは先ほども言ったように数少ない国の機密――つまり全地区が共通の認識を持っている代物なのです。」
「共通の認識?」
「危険なマジックアイテム、という認識です。」
「? それを作ったのはそれぞれの地区なんだろう?」
「ええ。ですが初めはどれもただの装飾品だったのですよ。」
「そりゃ一体……」
「複雑に切り替わる王位、神の光が降り注ぐ特殊な土地……直接的な原因は不明なのですが、ある時から全てのレガリアに魔法の力が宿ったのです。十二個それぞれの、しかしどれも強力な力が。」
「それが危険過ぎるって事か……? なんかこういう国なら神様の力だーって感じに喜びそうだが。」
「ふふふ、最初はどこの地区もそうでしたよ。ですが各地区がそれぞれのレガリアの力を使ったその年、数多くの死傷者が出る惨事が起きてしまったのです。故に、仮にそれらが神から賜った物であったとしても、使うのはまだ早いのだと――そういう結論に至り、結果全てのレガリアが封印されたのです。」
「それが盗まれたと。」
「悪用しようと思えばいくらでも、という力ばかりでしたからね。かつてこの国で起きた事以上の災厄がふりまかれたなら多くの人が犠牲になり、それがアタエルカで生まれたマジックアイテムによるモノだと判明してしまった日には、宗教という概念が地に落ちかねません。」
「そういうものなのか……? 非難を受けるのはせいぜいそのレガリアの持ち主の地区だけな気もするが……」
「封印される際、情報も厳しく規制されましたからね。詳細を知る者はごく一部――世界中にいる信者からすれば自分が信じる宗教の総本山がある国が凶悪な兵器を生み出した、というような認識になってしまうのです。信仰のない者からすれば余計にでしょう。故に盗まれたレガリアに関しては全ての地区がその回収に全力を注いでいるのです。そちらの学園の校長のお知り合いが誰だったのかは存じませんが、伝えられた外見的特徴から第五地区のレガリアと判断され、わたくしたちの所へ連絡が来たというわけです。」
「対立してる連中が協力するほどに、これはヤバイ代物ってわけか……」
 机の上に置かれた金色の卵――第五地区のレガリアを改めて見るラクス。それに一瞬、神妙な面持ちを向けたフラールは、ポンと手を叩いてさっきまでの柔らかな笑みに戻る。
「そんな物を長年人目から隠し続けた件の遺跡、数多くの試練があったのでは?」
「? まぁそれなりに……」
「それを突破したという事は恐らく学生の中でもかなり上位――いえ、きっと現役の騎士をも上回るような強さをお持ちなのでしょう。その力、わたくしたちに見せていただけませんか?」


 突然の話に戸惑うラクスたちを建物の外、軍や騎士団が訓練を行うようなひらけた場所に案内したフラールは、始めからこうする予定だったのか、先ほど聖堂にいた甲冑の者たちがズラリと並ぶ前に立つ。
「ここはアタエルカ第五地区、神の宮殿に入る事が最終目標であり、強さを求める戦士が集う場所。だからわたくしたちは常に探しています。自身を更なる高みへと引き上げる機会――格上との一戦、見た事のない技を使う猛者との戦いを。」
 当然のように運ばれてきた椅子に座ったフラールがパチンと指を鳴らすと、一人の甲冑の者が前に出る。
「紹介が遅れましたが、彼らは聖騎士隊。わたくし直属の戦士です。正確に比べた事はありませんが、フェルブランド王国の国王軍で言えば中級騎士……スローンでしたか。それくらいの実力はあるかと。」
「模擬戦しましょうって事か……偉い人直々のお誘いだが、こういう場合はどうすれば――」
 今更ながら外交的な事を気にしたラクスだったが、隣に立つプリムラは既に剣を手にしていた。
「……やる気満々か……」
「勿論です。教皇様はスローンと言いましたが、アタエルカの聖騎士隊と言えばセラームクラスの騎士が揃っているという噂です。彼女の言う通り、強者との戦闘はレベルアップにつながりますからね。」
「やれやれ……」
「ああお待ちを。その者の相手はラクスさん、貴方にお願いしたい。」
 剣を手に一歩前に出たプリムラは、フラールの言葉に少し不満そうな顔になる。
「わたくしでは実力が足りませんでしょうか……」
「ああいえいえ、そういうわけではありません。皆さん全員に一戦していただく予定ですが、こちらにもそちらにも利益の大きい組み合わせにしたいのです。剣の達人である貴女の相手は別の者に。」
「へぇ、こっちの戦力は調査済みって感じか。」
「調査? いえいえ――」
 既に名前も知っていた事もあり、強さがモノを言う場所だというならレガリアを運んでくる騎士学校からの使いである自分たちについても調べたのだろうと思ってそう言ったラクスだったが、フラールはニッコリと笑ってこう言った。

「皆さんの強さは見ればわかりますよ。」

 さらりと出てきた一言だったが、その瞬間にこれまで様々な戦闘経験を積んできたラクスたちはフラールに対して共通の認識を持った。
 この教皇はただ者ではないと。
「……残念だったなプリムラ、ご指名だ。」
「ええ……」
 グッと気持ちを引き締め、ラクスは武器を手に甲冑の者――聖騎士の前に立った。甲冑をまとった騎士と言えばその武器は剣か槍というイメージだが、その相手の腰回りには抜身の短剣がズラリとくっついており、その内の一本に手を添えて構えた姿は、まるで投げナイフの使い手のようだった。
「その姿でそういう得物ってのは変な感じだな……」
 教皇に会うというのに特に回収もされなかった自分の剣――どこにでもありそうだが、強いて特徴を挙げるなら片刃になっている剣を抜くラクス。それを見た短剣の聖騎士――はこれといった反応をしなかったが、椅子に座る教皇は「おお……」と呟いて少し身を乗り出した。
 姉であるグロリオーサ・テーパーバゲッドからもらった剣。ありとあらゆる形状の武器があると言われる最強の武器、ベルナークシリーズにおいて三つしかない「剣」の内の一振り。これを所持しているという事が騎士学校の交流祭にて公になった事で様々な面倒事に巻き込まれ、結果かなり強くなれたわけだが……恐らく剣の力とその成長も含めた上で教皇はこの短剣の聖騎士を自分の相手に選んでいる。
 自身では気づけない相性の悪い相手という事なのか、単に実力が拮抗しているのか、何にせよこの一戦はこれまでの修羅場同様に学びが多くなる――そう感じたラクスは剣を構えた。
 そして、そんなラクスの臨戦態勢を待っていたかのように、短剣の聖騎士は動き出す。
 予想通りに、素早い動きで投擲される一本の短剣。とんでもなく速いわけでもなかったその一撃を最小限の動きでかわしたラクスは、直後、たった今避けたはずの短剣が先ほどと同じ軌道で自分の方へ再び向かってきている光景を目にする。デジャヴのような感覚に思考が止まるラクスだったが、そこは経験から来る咄嗟の勘というべきか、身体をひねって剣を真後ろへと振りながら横へ跳ぶ。
 狙いはおろか構えもきちんと取れていなかったその一閃は、しかしラクスの背後にいた短剣の聖騎士を後ろに跳び退かせる事には成功し、間近に迫っていた短剣がラクスに突き刺さる事を辛うじて防いでくれた。
「今のは――」
 何とかなったが何が起きたのかは理解できず、思わずそう呟いたラクスへ再び短剣の投擲。先ほどよりも少し遅い気がするその短剣を同様に回避しつつ、さっきの現象を解明するべく自然と目で追った――いや追ってしまったラクスは、この攻撃がわざと投擲速度を遅くして注意を短剣へと向けさせる罠だと気づき、時間魔法における「送り」――ラクスが「加速」と呼んでいる魔法を自身にかけ、その場から緊急離脱を行った。

 トトトッ!

 そしておかしな姿勢で跳躍したせいで崩れた体勢を整えながら着地し、自分がいた場所に数本の短剣が突き刺さるのを見てふぅと息をはいた。
「読みはまだまだですが経験は重々。戦士として良い成長をしている途中、と言ったところですね。」
 フラールが口を開くのを察していたのか、どうにか着地できたとは言え隙は多かったはずのラクスへ追撃をせずにスタスタと歩いて地面に刺さった短剣を回収する短剣の聖騎士を横目に、ラクスはフラールを見る。
「最初の一撃、反応できてなかったらあの剣が俺の背中を貫いてたと思うんだが、もしかしてケガをしても治るような魔法がその辺に仕掛けてあるのか?」
「騎士の学校にはそういう魔法があるそうですが、ここにはありませんよ。優秀な治癒魔法の使い手がいるだけです。」
「……割と本気の模擬戦って事か……?」
「聖騎士たちは手加減などしません。ですがご心配なく、それを受けたら間違いなく即死という一撃が皆さんに迫った際にはわたくしが止めますから。」
「それ以外は実戦同様、ケガは後で治してやる――ってわけか。」
「正しくは、治す事を望むのならそれに応える事はできる、ですね。」
 折角だから軽く手合わせを――そういうレベルの一戦ではない事を理解したラクスは、厳しい顔をしているプリムラや青くなっている他の面々を見て少しホッとする。
 自分が最初で良かった。
「理解したぜ。ここが強さがモノを言う宗教の本拠地だっていうならそれくらいは当然だよな。実戦に勝る経験なしって事だろ? ならこっちも全力で行くぜ。」
「おや、手加減をしていたのですか?」
 特に隠していたわけではないが、フラールの性格――どういう人物なのかが見えてきてやれやれと肩を落としたラクスは、首からかけている指輪を外して指にはめる。
「当然、もしもの時はこっちの事も止めてくれるんだよな!」
 手にしていたベルナークの剣が閃光を放ち、次の瞬間、その剣が空気に溶けるように消えるのと同時に、ラクスの背後に青く透けた上半身だけを浮かび上がらせた六つの腕に六つの刀を持つ青い巨人が現れた。
「それがベルナークシリーズの高出力形態ですか……」
 欲しい何かを目の前にしたかのような顔になるフラールに対し、やはりこれといった反応を見せずに再び投擲の構えを取る短剣の聖騎士。ラクスも体勢を低くして六本の腕、六本の刀の操作に集中する。
「ふっ!」
 短く息をはき、一本の刀をその場で真横に振る。あらゆるモノを斬る事ができてしまうその刀は空間を切り裂くことで距離を削ぐ。結果、ラクスは一瞬で短剣の聖騎士の目の前に移動した――のだが、ラクスが攻撃を仕掛ける前に短剣の聖騎士の姿は消え、代わりに一本の短剣が宙に残った。
 刀を振る直前、ラクスは短剣の聖騎士が真横へ短剣を投げていたのを見ており、そっちの方へ視線を動かすとそこには目の前から消えた短剣の聖騎士がいた。
 この動きからラクスは理解する。短剣の聖騎士は第十系統の位置の魔法の使い手であり、投擲した短剣と自身の位置を入れ替えているのだと。
 位置魔法の戦闘時の強みは何といっても前動作無しで全く別の場所に移動できる点であり、確かに何もない空間に自身を移動させるのと、何かと自身の位置を入れ替えるのとでは魔法の負荷が後者の方が軽いのだが、短剣の聖騎士の戦術では折角の位置魔法の利点が半減しているように思われる。
 だがそんな風に考えたラクスの頭の中を透かすように、フラールが――
「早計は命取りですよ。」
 と言い、その言葉を合図にしたかのように短剣の聖騎士は、これまでの投擲は肩慣らしだったのか、先ほどまでとは比べ物にならない速度で同時に八本の短剣を放った。
「――!」
 全てがラクスの方に飛んでくるわけではなく、短剣の聖騎士を中心に扇状に放たれたそれらを目にした瞬間、ラクスの思考は自然と「選択」へ向かう。
 即ち、どの短剣と位置を入れ替えるのか。
 だが八本それぞれの軌道に視線を走らせる間に、短剣の聖騎士は強力な踏み込みと共に一瞬でラクスの懐へ迫った。
「――っ!?」
 予想外の動きに対し、しかし半分反射的に刀を振り下ろす事ができたラクスだったが、その刃はポツンと宙に残された一本の短剣のみを弾く。既にラクスの後方へと飛んで行っていた八本の内のどれかと位置を入れ替えたのだと思考したその瞬間、ラクスの腹部に激痛が走った。
「ぐっ!!」
 こぼれ出る熱と共に視界の隅で舞い散る鮮血。このまま追撃されたらそれで終わりだと直感したラクスは六本の刀を全力で振り回し、迫っていたであろう二撃目をけん制しつつ空間を切り裂く事による移動でその場所から大きく距離を取った。
 そして、かなり深い傷口を押さえながら顔を上げた先の光景を見てその判断が正しかったと知って息をのんだ。
 何故ならそこには、それぞれの指の間に短剣をはさみ、合計八本の刃を構えた短剣の聖騎士が――八人いたからだ。
 位置魔法には「位置の複製」という高等魔法があるが、あれは「行動」をコピーする魔術。とある個体を複数体にするとすれば、それは第十一系統の数の魔法の領分である。
「……まぁ、プリムラみたいにほとんどの系統を使える奴もいるわけだからおかしな事じゃないが……っつ、ほんとに容赦なしだな……」
 致命傷ではないが間違いなく重傷のラクスにプリムラたちは不安気な視線を送っているが、フラールはニコリとほほ笑む。
「こちらの攻撃はわたくしが止められますが、そちらがそちらで死にそうになるタイミングは計りかねますので、そうなったら降参と言って下さいね。」
 床に広がる多量の出血に対してあっさりとそう言うフラールにいよいよゾッとしたラクスだったが、降参するのかどうか決めるのを待つようにこちらを眺める短剣の聖騎士を見てふと考える。

 自分は珍しい第十二系統の使い手であり、更には時間の魔法しか使えないはずが他の系統も使えてしまうイクシードというこれまた稀な体質だ。加えて騎士ならば誰もが羨むベルナークシリーズを持ち、ある一件の影響でベルナークの血筋ではないのにベルナークシリーズが持つ真の力を解放でき、その力はありとあらゆるモノ――自分が斬りたいと思ったモノを軽々と切断する。
 そして体質で言えばもう一つ、第十二系統の使い手にしか発現しない、対象を一定時間見続ける事で次の動き――未来を完全に読む魔眼マーカサイトを持つ。
 姉でありカペラ女学園の校長であり『豪槍』の二つ名を持つ凄腕の騎士であるグロリオーサ・テーパーバゲッドにしごかれた事で戦闘技術も高く、魔法と武器と魔眼を組み合わせて様々な難敵に打ち勝ち、その経験は並みの騎士を軽く超える実力をラクスに与えた。

 だが、現状はどうか。八人に増えてこれから本気を出していくだろう相手の、しかしそうなる前の位置魔法しか使っていなかった状態で、実戦であったら詰みだろう深手を負っている。
 今ならば理解できる。どこに移動してくるかわからない点が位置魔法の強みだと思っていたが、その認識を利用された。本来なら全方位に向けて張り巡らされる集中を、あえて「ここに移動してくる」という目印を用意する事で一点に向けさせる。その後その対象を複数に増やす事でこちらに選択という思考を強要し、本来注意するべき相手本人の動きや死角への対応を遅らせる。
 しかもこうして手の内を理解したとしてもあまり意味は無い。結局のところ飛んでくるのは短剣であり、キチンと回避しなければならない攻撃である以上、注意は削がれるのだ。
 神経を使う位置魔法の使い手との戦いの中に余計な思考を追加し、更に数を増やして混乱を誘う。この短剣の聖騎士が第十一系統の数の魔法を併用するのは理にかなった戦術だ。
 そして何よりラクスが重く受け止めているのは、この状況を作っているのは特殊な体質でも素晴らしい武器でもない、ただの魔法という点だ。

 この国にやってくる途中でふと思い返した戦闘。あのS級犯罪者がやっていた事も、言ってしまえばその辺に落ちている何でもない物を投げているだけ。その数と速度が尋常ではなかったというだけで、何も特別な事はなかった。だというのに自分は手も足も出ず、空間魔法という魔法の高みに到達しているプリムラは死ぬ寸前だった。

 フラールが言った通り、経験だけはそれなりだがまだまだ成長途中――即ち未熟。今までの戦いが何とかなってきたのは……最悪、ただ運が良かっただけだ。

「……くっそ……こんな時に思い知るとはな……」
 ドクドクと血を垂れ流す傷口に手を当てて魔法をかけ、ラクスはよろよろと立ち上がる。
「時間魔法で傷口の悪化を「遅く」しましたか。まだまだやる気ですね。」
「まぁ……な……折角八人に増えてこれからだって感じだし……体験しとかねぇと勿体ないだろう……」
「よい心がけです。初めから無敵の戦士などいません。神の戦士に相応しい魂をお持ちですね。」
「もしかして、戦士……そっちに入信したら強くなれたり、すんのか……?」
「わたくしたちをただの猛者の集まりとでも? 互いに切磋琢磨し、神の宮殿を目指すのですよ。」
「やれやれ……魅力的なこった……!」

 その後の攻防は一分にも満たなかった。八人の短剣の聖騎士が八本の短剣を投擲し、合計六十四の選択肢が放たれたかと思ったら、直後その本数は急増してラクスの視界を埋める。数で言えば五倍の本数になったのだがそれを数えるような暇はラクスになく、八人による位置の入れ替えで完全に思考が置いていかれた上に対象が複数いては未来予知ができるようになるまで時間がかかる魔眼マーカサイトは意味をなさず、結果凄まじい猛攻を身体の反射だけで受ける事となったラクスは、喉元まで迫った短剣が寸止めされたのを見てその場で気を失った。



「少しいいかフィリウス。聞きたい事がある。」
「いきなり登場して当たり前のように座ったな!」
 フェルブランド王国の王城、国王軍の訓練場にある食堂でその体格通りにいくつもの大皿を積み上げながらご飯を食べていた筋骨隆々とした男――十二騎士が一角、《オウガスト》ことフィリウスは、何もない空間から突然現れて自分の目の前に座った男を、しかし大して驚きもせずに眺めた。
 場所が場所なだけに周囲には戦う格好をしている者が多い中で、その男はどこかの教会で神の教えを説いていそうな、ゴテゴテと様々な飾りがぶら下がった祭司のような格好をしており、登場の仕方も含めて食堂内の視線を一瞬で集めた。
 だがその奇怪な人物へ向けられる視線は不審人物へのそれではなく、驚きや尊敬、憧れといったモノだった。
「国に所属する騎士や軍の人間ならばともかく、ただの信徒が知り合いに会いに来ただけだ。特に問題はあるまい。」
「だっはっは! 問題はないがその信徒が十二騎士の《オクトウバ》となると一騒ぎにはなるだろ!」
 フィリウスの言う通り、周囲にいた国王軍の騎士たちは遠巻きに二人を眺め、まるで結界か何かでもあるかのように二人はドーナッツの中心となった。
「……場所を変えるか?」
「気にすんな! で、何の用事だ?」
「つい先ほど、アタエルカ上空に魔人族が現れた。お前の知り合いか?」
「だっはっは、やっぱりそっち系か!」
 何をどうやったらそうなるのか、一般的な大きさのフォークで一皿分のパスタをグルグル巻きにして口に突っ込んだフィリウスは、しばらくモグモグした後ゴクリと飲み込んでフォークを置いた。
「世界中の魔人族が俺様の知り合いじゃないし、スピエルドルフの所属ってわけでもないからあいつらに聞いても答えが返ってくるかわからんぞ! そもそもただの空中散歩かもしれない!」
「魔人族が一人二人でいればそういう可能性もあるだろうが、一人の魔人族に複数の人間……少なくとも私にはそう見えた。どうにも怪しいだろう。」
「見えた? なんだ、自分の目で見たのか? 天下の《オクトウバ》ならそれだけで位置を追跡できるだろう!」
「普段ならそうするが、タイミングが良くない。慎重に行動せねば。」
「? 今の時期アタエルカでイベントなんかあったか?」
「イベントではない、『預言者』の神託だ……嵐が近づいていると。」
「神の国に嵐か! そりゃまた穏やかじゃないな! 他の地区の『預言者』も同じ事を言ってるのか?」
「異教徒の『預言者』の戯言など知らん。」
「だっはっは! 相変わらずだな! そのくせ魔人族はちゃんと魔人族って呼ぶんだな!」
「偽りの神と悪魔という呼称に関係は無い。私は事実を知っているだけだ。連中を迎え入れているところもある。」
「第四地区だったか! 大将が鼻血ふいてぶっ倒れたとこだな! 俺様には素敵な場所だったがな!」
 何かを思い出してニヤリとしたフィリウスだったが、ふと心配そうな顔になる。
「嵐――規模はよくわからんが国の一大事って可能性もあるわけか。」
「何だいきなり……」
「いや、大将が今アタエルカにいたりしねーだろーなと思ってな。テロリストとバトったり火の国の騒ぎに巻き込まれたり、もしかするとそういう星の下に生まれたタイプなんじゃねぇーかと最近思ってるところなんだ。」
「ほう、お前の弟子が。仮にそうだとしたらアタエルカにやって来る事自体は素晴らしいことだ。災禍を引き寄せる者というのはそれらの元凶ではなく天から試練を課せられた期待ある人物、神の言葉を受けるにふさわしい。任せてくれれば正しき道へ私が導こう。」
「やめてくれ。」
 登場してからずっと無表情で喋っていた《オクトウバ》が見るからにテンションを上げたのを見てため息交じりに断るフィリウスだったが、全てを悟ったような顔で《オクトウバ》は頷く。
「師匠が否定しても神の祝福は運命となって示される、その時を楽しみにしていよう。とりあえず魔人族の件、お前の知り合いに尋ねてみてくれ。」
「ああ――いやちょっと待て。そいつがどういう奴だったのか聞いてないぞ。」
「蝶の羽の――いや、こっちの方が正確か。」
 そう言うと《オクトウバ》はこめかみの辺りを指でトントンと叩き、その指をフィリウスのおでこに押し当てた。
「――げ、まじか。こりゃ確かに嵐を起こしそうな面子だ。」
 たったそれだけで全てが伝わったのか、フィリウスが嫌な顔をする。
「蝶の羽を生やしたじいさんは初めて見る奴だが、その他は知ってる顔だ。」
「何者だ?」
「あー、悪いがそれは答えられん。デリケートな立ち位置の悪党でな。」
「ほう……まぁどこにでも何かしらの秘密はあるだろう。」
「だっはっは、えらくあっさり納得するな! 経験ありってか!」
「神は絶対でも人間は完全ではない。崇高な使命を持つ信徒にもままならない時はある。では逆に、どこまでなら答えられる。」
「そう来たか! そうだな、連中はとある組織で、俺様たちでも苦戦するだろう奴が二人はいるな!」
「苦戦、か……お前がそう言うという事はかなりのモノだな。その組織の目的を聞いても?」
「最終目標は秘密だな! ついでにアタエルカに何の用があるのかもわからん! だがそっちに聖騎士だの白の騎士団だの十二騎士だのががん首そろえてるのは知ってるはずだから攻め落とす的な目的じゃないだろう! 悪党に魅力的なお宝でもあるんじゃないか!」
「宝か……」
 眉をひそめてそう呟いた《オクトウバ》はそのままスッと立ち上がる。
「よい情報が得られた。礼を言う。」
「次からはいきなり登場すんなよ! 俺様が風呂に入ってる時とかだったらどうするんだ!」
「そのまま話を聞くだけだ。お前とお前の弟子に神のご加護があらんことを。」
 そう言うと《オクトウバ》の姿はパッと消え、フィリウスはだっはっはと笑いながら食事を続けた。



「普段は普通の生活をしているのですが、その地区には……その、よ、欲望を解放する場所や時間がありまして、そ、その間は食べて寝て……アレやコレを……するんです……兄さんのエッチ……」
「べべべ、別にオレはそそそ、それに従ってア、アレコレをしたわけじゃないよ!?」
 とりあえずロイドをボコボコにしてパムの説明を聞いてたら最後に怪しい事を言ったからロイドが大慌てする。まぁ、たぶん……というかどうせ言葉通りに何もせずに鼻血ふいて倒れただけなんでしょうけど……
「まぁ、ロイド様がその気になってワタクシがお伝えした吸血鬼の技術を発揮したのならその場の女性は全て足腰が立たなくなるでしょうね。」
「ミラひゃん!?」
「ふむ、この先比べる事は一生ないがロイドくんのテクニックがすごいというのは何となくわかるぞ。」
「ローゼルしゃん!?」
「欲望に従うねぇ……俺には無法地帯になるイメージしかわかねぇーんだが。」
「アレクの言う通りだ。その辺りはどうなっているのだろうか。」
「どうにもなっていませんよ。したいことをしたいままにするだけです。ただ、ご想像通りに無法地帯になりますが自身を守ってくれるルールもありませんから、悪意を通せばそれを上回る悪意に潰されるだけで、逆に犯罪の発生率は低いという噂です。」
 そういうモノなのかしらって思ってたら行ったときの状況を思い返して……同時にアレな事も思い出したっぽいロイドがまた赤くなる……このエロロイドは……
「ロイくんてばエッチな事思い出してる! ダメなんだからね、そういうのはボクで想像しなきゃ!」
「むぅ、これはドスケベロイドくん対策が必要だな。監視役としてこの正妻も同行せねばなるまい。恋愛マスターの運命の力によってロイドくんの下へ導かれた可能性が高い私であれば調査の価値もあるだろう。」
「そ、それを……言ったらロゼちゃんだけじゃなくて、あ、あたしたちみんながそうだと、思うけど……た、確かに、あ、あたしもついて行きたいな……」
 一人で知らないところに行くとついうっかり別の女がついて来ちゃいそうなロイドがよ、欲望まみれの場所とか、どう考えたってマズイ……っていうのをあたし以外も思ったらしく、カーミラの方を見るとやれやれって感じに、だけど納得の顔でフルトを見る。
「ワタクシはロイド様に妙な事がされないようについて行きますが……フルト、皆さんの同行をおばあさんは受け入れると思う?」
『恐らくはリシアンサスさんの推測通りで大歓迎でしょう。研究に関わりのありそうなモノは片っ端から調べ尽くすタイプですから。それよりも当然のように姫様も行くつもりなのですね……』
「当然です! ロイド様と過ごすこの期間に突然降ってきた余計な一日ですが、それとは別にロイド様の安全最優先ですからね!」
 って、あたしたちに説明するように言ったカーミラ。本来あるべきだった一日分、デ、デート期間を延長とか言ってたけど、よく考えたら別に丸一日ロイドがカーミラから離れるわけじゃないわけで……これだとただ単に日にちが伸びただけじゃない……!
「おれたちも一緒の行く事は可能だろうか。ロイドの運命とは関係ないだろうが、アタエルカという国には興味がある。」
「おお、俺も行ってみたいぜ!」
「自分も、妹として兄さんの体質はキチンと把握しておきたいところです。」
 強化コンビ――男二人と実の妹はどう考えても恋愛マスターの力とは関係ないと思うけど、フルトは――顔の中でコポコポなったから多分、笑った……
『良いと思いますよ。運命と無関係とは限りませんし、家族にどのような影響が出ているのかも調べられるのであれば彼女は調べたいでしょうからね。』
「ん? 無関係とは限らないのか?」
 真面目な顔でロイドを見たカラードと表現しにくい顔になったロイドの目が合う……いやいやないわよそんなの、あるわけないじゃない!
「ともあれ、おばあさんであれば『魔境』のアイテムに加えて恋愛マスターについてもワタクシたちが知らない事を知っている可能性は確かにありますからね。皆さんで行けば色々と手っ取り早いかもしれません。フルト、おばあさんに条件を飲むと連絡して。可能なら今すぐにでも行くとも。」
『相変わらずであれば部屋が恐ろしく散らかっているでしょうから今すぐは無理かもしれませんが……了解しました。』



 フルトさんの予想通りだったのか、あちらの……おばあさん? は今日は無理だから明日にして欲しいと言って来たようで、オレたちは……本来の予定だとミラちゃんが歓迎会を開いてくれるところだったのだが、雑事が済んでからにしましょう、という事でアタエルカから戻ってからという事になった。
 という事でスピエルドルフでの冬休み二日目はミラちゃんと……昨日は修行とかで遠くに何かを倒しに行っていたらしいユーリとストカと一緒に思い出の場所をぐるぐるまわった。
 見覚えのある場所はあったがやっぱりその記憶の中にミラちゃんはいなくて……だけどこれと言った思い出はないはずの場所でミラちゃんから当時の事を聞いたりするとデジャヴのような感覚と共に頭の中で何かがつっかかる。
 前に来た時よりも思い出しそうになる感じというか、喉元まで出かかっている感覚が強い。ミラちゃんへの感情――すすす、好き、というオオオオモイ、と、共に記憶が戻ろうとしているのかもしれない。
 ミラちゃんが言ったように、そのおばあさんは恋愛マスター――三人の王について研究を続けているという事だから、話を聞けば新しいキッカケが得られるかもしれない。『魔境』から出てきたっていうモノについてはよくわからないけど、おばあさんと会うのがちょっと楽しみだ。

 そして……ふふふ、二日目もととと、当然のように一緒のベッドで寝たミラちゃんが……「一日目は一晩中抱きしめてくださいましたから、二日目は一晩中……」っと、顔を近づけてクチヅケ――そそそ、そんなミラちゃんとオ、オレの理性の壮絶な戦いを経て……むむむ、迎えたその日……キラキラ輝いてヨルムさん曰く更に力を増したミミミ、ミラひゃんとオレをボコボコにしたみんなと一緒に、オレたちはアタエルカ――というかそのおばあさん魔人族の研究室らしい場所へとやってきた。
 ミラちゃんが空間に作った黒い穴を通って出た先にはとにかく大量の本と大量のメモ書き、レポートが山積みになっていて、部屋の真ん中に不自然に置いてある大きなテーブルにティーカップを並べていた人が……あっちからすれば突然現れたオレたちにビックリして短い悲鳴をあげ、だけどすぐにシュバババと近づいてきた。
「わあ、わあ! 外の人がこんなに!」
 研究をしている人に会いに来たから研究者っぽい相手を想像していたのだが、その人はイメージとかけ離れた格好をしていた。
 真っ白な髪を肩の辺りまでストンと伸ばし、街でショッピングを楽しむようなオシャレな服を着ている女性で、何となく同い年くらいだろうかとか思ったのだが……それよりも特徴的な点が一つ。
 その女性は、ラクガキのような「目」の描かれた目隠しをしているのだ。完全に両目が隠れているので前が見えているとは思えないのだが、積み重ねられた本の塔を避けながら、ちゃんと見えているかのようにオレたちの顔を覗き込んでいる。
 もしかしてこの人は……
「こらこら、いきなり失礼よ。」
「そんな風に顔を覗き込んで。」
「言ったでしょう、王族だって。」
 オレたちを見てハイテンションな女性に注意しながら本の影からぬぅっと出てきたその人の姿を見た瞬間、ミラちゃんとフルトさんはともかく、オレは少し驚き、強化コンビは火の国で機動鎧装を見た時みたいに「おお!」ってガッツポーズになり、エリルたちは目を丸くした。
「悪いわね、こんなところに女王を招くだなんて。」
「まぁ、正直言うと同行してくるとは思わなかったのよね。」
「それだけ我らに信用がないのか、それだけメロメロなのか……もしかしてそこにも王の力が関わっていたりするのかしら?」
 言葉だけ聞くと三人ほど登場したように聞こえるが実際は一人。白いシャツにチェック柄のベスト、蝶ネクタイをつけてビシッと決めた格好に、しかしダボッとローブを羽織って色や形が様々な帽子を三つかぶっている。
 三つというのは重ねてかぶっているという意味ではなく、三つの頭それぞれにのせているという事であり、その頭は人間のそれではなく白黒の毛色の犬の頭部。袖から見える手も五本指だが白い毛に覆われていた。
 つまり、何も知らない人にこの人の外見を説明するのなら、おとぎ話に出てくるケルベロスという三つの頭を持つ犬が二本の脚で立ち上がったような姿――となるだろう。
 ちなみに、ミラちゃんたちが「おばあさん」と呼んでいた通りに、その声は年配の女性のモノだった。
「残念ながら、恋愛マスターとかいうののせいでワタクシとロイド様の愛は一度引き裂かれていますから、ワタクシの想いはワタクシ個人のモノですよ。」
「ほうほう、我らにも「ロイド・サードニクスという人間について知っている事はあるか」と突然連絡が来た時には驚きましたが、本当に記憶が操作されたのですね。」
「その後すぐに我らの記憶も戻りましたが、まさか国を出ていてもその存在を知っている者であれば全員が対象になっていたとは。」
「やはり王の力は絶大……もはや神と言っても過言では――」
 ふむ、とあごに……向かって左側の頭のあごに手を添えてうなったその……おばあさん? はふとオレたちを見てハッとする。
「おっと失礼。初めまして、我らはルベロ・サーベラス。」
「スピエルドルフの魔法研究機関の元長でそこのフルトブラントの前任。」
「今は三人の王の研究の為にこのアタエルカ第四地区に間借りしている研究者。よろしくお願いするわ。」
 三つの口が一言ずつ喋っているのだが、声色も口調も何もかも同じなので同じ人が三人いるような感覚になり、どの頭と目を合わせればいいのかわからないでいると……割とどんな相手にも物怖じしないエリルがおばあさん――サーベラスさんを指差してオレたち全員の疑問を直球でぶつける。
「……あんた、一体何がどうなってんのよ……」
 ぽつりと出た一言に一瞬しんっとなり、そしてサーベラスさんが三つの頭全部で大笑いする。
「あはは! そこまでハッキリ聞かれたのはフィリウス以来ね!」
「いやいや、素直に聞いてもらって我らは嬉しいわ。」
「よそよそしく話されるのも嫌だからね。」
 確かにフィリウスも「それどうなってんだ?」って真顔で聞きそうだ……
「そうだね、よく三つの自我があると勘違いされるというか、そういう奴も我らの種族にはいるけれど、我らの場合それぞれの頭には同じ脳が入っている。」
「だから当然、頭同士で会話なんてしない。自分と話すようなモノよ。頭が一つだけの者と比べて何が違うかと聞かれたら、脳が多い分マルチに物を考えやすいというくらいね。」
「しゃべる時に三回に分けるのは、一つの口だけでしゃべっていると他の口で喋れなくなりそうだからって始めた我らのクセのようなものよ。」
「そう……」
 納得できたのか未だにこんがらがっているのか、微妙な顔でそう言ったエリル。んまぁ、たぶんこればかりは会話を重ねて慣れるしかないような気がするなぁ……
「高速の並列思考と広範囲の視覚に嗅覚に聴覚と、素晴らしく戦闘向けなのですがレギオンではなく研究者の道を選んでみんなから勿体ないと言われ続け、けれど見事に長まで上り詰めた面白い方なのです。」
 ミラちゃんがそう言うと、サーベラスさんはあははと申し訳なさそうに笑う。
「いやはや、その節、女王の御父上には大変お世話になりました。」
「だというのにこうして国を出てしまった我ら、スピエルドルフとは完全に関係が断たれたと考えていたのですがね。」
「我らの知識を必要と言ってくれるとは……」
 しみじみとした顔を三つ並べるサーベラスさんを、ちょんちょんと目隠しの女性がつつく。
「おばあさん、そんな立ったままで思い出話したらお客さん困っちゃうわ。さぁ皆さん、どうぞ座って。」
 妙にウキウキしている目隠しの女性に促され、オレたちは……我ら『ビックリ箱騎士団』にパムとミラちゃんとフルトを加えた総勢十一人とサーベラスさんと目隠しの女性が大きなテーブルを囲んで座る。何やら重要な会議でも始まりそうな光景だが、目の前に置かれている紅茶とクッキーにほっこりする。
『さて、旧交を温めつつ本題に入りたいところですが……一応、先にそちらの方を紹介してもらえますか?』
 水で出来た手の平を、水で出来た身体に興味津々な目隠しの女性に向けるフルトさん。
「あー、この子はある地区の『預言者』でね。重要視され過ぎてご覧の通りの箱入りなの。」
「国外から来た我らによく外の話を聞きにくるんだけど、こうしてお客さんが来るって事で是非会いたいと言ってね。」
「本題がデリケートなモノなら少し席を外させるよ。後でたくさんお話してくれるだけでこの子は大喜びだから。」
「こんにちは! 私はヨナ・タルシュ! ヨナって呼んで下さい!」
 ニッコリと口元がほほ笑む目隠しの女性――ヨナさんに、今度はアレクが直球で質問する。
「『預言者』ってなんだ? あとそれ前見えてるのか?」
 自分の事について質問されたのが嬉しいのか、いい笑顔になったヨナさんが答える。
「『預言者』っていうのは各地区に一人ずついる予知能力を持つ人の事です。そういう魔法やマジックアイテムを使える人、あとは私みたいな魔眼持ちで――」
「ああ、やっぱり……」
 ヨナさんの説明の途中で思わずそう呟いたオレにみんなの視線が集まる。
「あ、えぇっと、その目隠しの事で……魔眼の専門家の人に教えてもらった事なんだけど、魔眼って目だから視力との関係が強くて、宿った力が大きすぎるとその影響でモノが見えすぎたりするらしいんだ。人によっては透視ができちゃったりもするんだけど、それは魔眼の能力じゃなくてあくまで視力だから制御ができなくて、そういう時は特殊なメガネや目隠しを使って普通の視力に抑えるんだよ。だからヨナさんは魔眼持ちなのかなと……」
「その通りです! 外には魔眼の専門家なんているんですね!」
 嬉しそうに笑ったヨナさんは、ラクガキみたいな目の描いてある自分の目隠しを指差す。
「私の場合は――えっと……」
 オレの方を向いて言いよどむヨナさんを見て、そういえば自己紹介をしていなかった事に気がつく。
「えぇっと、ロイド・サードニクスです……」
「ロイドさん! そう、ロイドさんが言ったようにこれがないと私の目はモノを透視しちゃうんです! 人も物も丸ごと!」
「えぇ? 丸ごとって……それじゃあその目隠しをとったらオレたちや周りの本も見えなくなっちゃうんですか……?」
「私から三メートルくらいの距離にあるモノはそうなりますね。そこからは距離が離れるほど見えるようになっていきますから……ちょうどいい距離の人は裸に見えちゃいます。」
「裸――痛い!」
 何となくその単語を繰り返した瞬間、となりに座るエリルに脚をつねられた……
「んん? 三メートル以内のモノを透過――ああ、おれの名前はカラード・レオノチスだが、見えないという事は、もしや自身の身体も……?」
 自己紹介を混ぜながらそう聞いたカラードに、ヨナさんはあははと困った顔を向ける。
「そうなんですよ。こうなったのは小さい頃だったから、いきなり自分が透明人間になったってビックリしたわ――しましたよ。」
 笑って話しているが、それは相当に恐ろしい事だったはずだ。足も地面も透過したら自分がどこに立っているのかわからないだろうし、何かに手を伸ばしてもその何かも手も見えない。自分の姿を確認しようと思ったら数メートル先に置いた鏡を覗くしかない。
 魔眼は持っていない人からすると羨ましいモノだけど、ティアナみたいに暴走する危険性だってあるわけで……ヨナさんにあの目隠しを渡してくれる人がいて良かった。
『なるほど、相当な苦労があったのだろうがやはり聞かずにはいられない。それほどまでに力を持った魔眼で予知系の能力とは、その眼には一体何が見えるのだろうか。』
 手を組んであごをのせる――的なポーズをとっているんだろうフルトさんに対し、サーベラスさんが向かって右側の頭の口に人差し指をそえる。
「各地区の『預言者』の具体的な能力は地区の最高機密。」
「中にはそれを知られると力が落ちるモノもある。」
「我らもこの子の魔眼の力は知らないよ。」

 予知――未来を見る魔眼と聞いて真っ先に思い浮かぶのはカペラ女学園のラクスさんだ。魔眼マーカサイト――経験則の魔眼と呼ばれるその眼の力は、一定時間見続けた対象の動きを予知するというものだった。
 ラクスさんと試合をした後、ああいう未来を見る力を持った魔眼に興味が出て来て学院の図書室で調べた事があるのだが、「どれくらい先の事」を「どれくらいの精度」で見るかでこの種類の……ランク? みたいなモノが決まるらしい。
 マーカサイトは長くても一分程度先の事しか見えないのだがその精度は相当高いようで、ほぼ百パーセントの的中率らしい。ただし一度に対象とできる事象は一つだけで、オレとの試合では「曲芸剣術の軌道」を対象としていた。
 戦闘においては一分も先が見えるなら上々で、百パーセントに近い精度という事で騎士の間ではかなり羨ましがられるらしいのだが、未来予知の魔眼の中では下のランクになっていた。
 そしてヨナさんの魔眼だが……地区の『預言者』に選ばれるという事は、たぶん数分先の未来を見るタイプではなくもっと先の未来、そしてどちらかと言えば個人単位の物事よりも街とか国の未来を見るような魔眼のような気がする。それでいて視力に影響が出るほどとなると、確かにヨナさんには一体何が見えるのだろうか。

『ほう、あなたも知らないというのは少し以外ですね。そんなマジックアイテムを作ってあげているところからして、深い信頼関係があるのかと。』
 そう言いながらフルトさんが指差した先はヨナさんの胸元……これがオレだったらエリルたちから殴られるのだろうが、誰も特に何も言わず、ヨナさんが少し驚いた後に首から服の下へさげていた首飾りを取り出す。
「すごいわ! これがどういうモノなのかもお見通しって感じね!」
『先ほどサーベラスさんはあなたを「ある地区の『預言者』」と言いましたからね。これは唯一魔人族を受け入れているここ第四地区ではない他の地区の『預言者』という意味になりますが、であればあなたのような重要人物を悪魔である魔人族のところへは行かせることはあり得ません。つまりあなたがここにいる事は秘密――お忍びという事になります。』
「えぇっと……それじゃあヨナさんは位置魔法とかでこっそりここに?」
『そう、そこなのですよロイド様。この国において地区間の移動は厳しくチェックされますから『預言者』である彼女が正攻法でここに来ることはできません。ならば位置魔法で、となりますがそこもぬかりなく、全ての地区は位置魔法などを用いて地区外から中に侵入する事ができないよう、国の中心にある光の柱――通称神の光を根とした結界が張られているのです。これを突破するのは……人間であれば十二騎士クラスの使い手でなければ不可能でしょう。そして見た所、彼女はそういうレベルの使い手ではない。』
「あはは、一応勉強してるけど魔法は全然使えないの。小さな光を出すくらいしかできないわ。」
 そう言って指先に小さな光の球を作り出すヨナさん。
 セイリオス――いや、フェルブランド王国にいると錯覚してしまうが、誰も彼もがある程度魔法を使えるという状況は世界的には特殊なのだ。だからこそ、フェルブランド王国は「剣と魔法の国」と呼ばれている。
『しかし彼女はここにいる。それを可能にしているのがその首飾りです。位置魔法が組み込まれたマジックアイテムで、本人の技量に関係なく十二騎士クラスが使うような強力な『テレポート』の使用を可能にしています。魔力をためておく機構もあるようですから、定期的に補充する事で使用時の魔法負荷もない。こんなモノを作れるのは魔人族でもサーベラスさんくらいでしょう。』
「こんなおばあさん褒めても何も出ないよ。」
「それにそういう事を一目で見抜くのだって誰にでもできることじゃないわ。」
「どうやら我らがいなくなってからも研究者としての技量は伸びているみたいね。」
 十二騎士クラスでないと突破できない結界を魔法に関する技術をほとんど持たないヨナさんに越えさせてしまうマジックアイテム。さっきサーベラスさんはヨナさんを「箱入り」と言っていたけど……その強力な魔眼によって『預言者』に選ばれ、きっとその地区の人たちからしたら最重要人物って感じで……適切かわからないけど、言うなればちょっとした軟禁状態――なのかもしれなくて、それを見かねたサーベラスさんがあの首飾りをあげたとすると……うん、この人はかなりいい人だ。
『相変わらずの技術力で安心しました。そしてモノを透視する眼ももしかしたら解析に一役買うかもしれませんから是非あなたにも見ていただきたい。私たちがここへ来た理由はこれです。』
 サーベラスさんとヨナさんについて色々とわかったところでぬるっと本題に入ったフルトさんが『魔境』からやってきたというアイテム……なのか、どうやら植物みたいなモノらしい白い球体をテーブルの上に置くと、サーベラスさんがガタリと立ち上がった。
「こんな――まさかこれほどのモノが出てくるなんてね……」
「ヨナ、それには触ったらダメだよ。直視もなしだ。」
「一体どこでこんなモノを拾ってきたんだい……?」
 正直オレたちにはどこかのデザイナーさんが作った置物か何かにしか思えないそれを、しかしサーベラスさんは何か恐ろしいモノを見るような顔で見下ろす。
『経緯は省きますが『魔境』からこちらへやってきた代物です。後ほど私たちが調べた限りの事をお伝えしますが……これと同種のモノが人間の犯罪者の手元にあり、最悪の事態に備えてこれの制御方法を解析して欲しいのです。』
「犯罪者……それはまたぞっとしない話ね。」
「まぁ、人間にこれが操れるかどうかは別として、最悪の事態にっていうのは賛成だわ。」
「けれどこれはちょっと想像の斜め上……我らにできることはあるかしらね……」
 ごくりと三つの喉を鳴らしたサーベラスさんは、ふと三つの顔をオレに向ける。
「やれやれ、頼み事を聞く代わりにロイド様の事を調べさせてもらうという事だったけれど……」
「フルトが調査した以上の情報を用意できるかどうか微妙なところね。」
「まぁこれはこれで研究者としての腕が鳴る案件――」
「別に先払いでも構いませんよ?」
 恋愛マスター――三人の王について研究しているサーベラスさんからするとオレという存在はこの頼み事……というか取引が成立する条件だったようだけれど、そもそもフルトさんたちからの依頼をこなせるかどうかという点に困った顔を並べたサーベラスさんに、ミラちゃんがニッコリとそう言った。
「確かにその白い球体の調査は重要ですが、三人の王の専門家であるあなたにロイド様にかけられた運命の力の詳細を調べてもらうというのも大事なことです。恋愛マスターこと性欲の王が、ワタクシの愛するロイド様に、何をしたか、というのはね。」
 わざとではないのだけど、オレの中のミラちゃんの記憶を、ミラちゃんの中のオレの記憶を封じてしまった恋愛マスターにミラちゃんは……その、かなり怒っている。あわよくばここで恋愛マスターの居場所を突き止めることができればというくらいのことは考えているのだろう……
「あー……まぁ、確かに……これの解析には何にせよ日にちをもらう事になります。」
「対してロイド様の身体を調べる事は装置もそろっている故に今日……長くてももう一日あれば済むでしょう。」
「女王がそれでいいならば我らは異存ありませんが……」
 一応本来の依頼主であるフルトさんの方を見るサーベラスさんだが、フルトさんはコクンと頷いた。



 頭が三つの犬人間と目隠し女に連れられて部屋の奥に移動すると、本とか書類とかがテキトーに隅っこに寄せられてできた空間があった。地面にはどういうものなのかさっぱりな魔法陣が描いてあって、周りの本の上によくわかんない機械が不安定に置いてある。
「三人の王の中では性欲の王の力が最も観測しやすい。」
「何故なら睡眠は自分一人で完結し、食欲は食べ物という自分以外が必要だがこちらも一人で終わるのに対し、性欲は対象が必要。」
「つまり王の力を受けた者から外部へと影響が流れている。これを捉える事で本質に近づくのよ。」
 目隠しの女――ヨナが楽しそうに椅子を持ってきて魔法陣の真ん中に置き、そこにロイドを座らせる。
「これまで何人かの被験者に対して調査を行ったけれど、特定の誰か、もしくは不特定多数への願いというのがほとんどだった。」
「特定の誰かというのは、つまり誰々と結ばれたいという願い。この場合は対象が一人だけだから、研究者としては比較対象がいない為にサンプルとしての価値はそれほど高くない。」
「何故なら性欲というものは個々人によって異なり、王の力の解析を行うなら一人から複数の相手へと伸びる影響を比較する事が最適だから。」
 頭が三つの犬人間――ルベロがロイドの頭の上に変な機械をかぶせ、スイッチを入れる。
「ならば不特定多数への願い――即ち複数の異性からの好意……平たく言えばモテモテになりたいという類の願いを叶えてもらった者ならばどうかというと、この場合は特定の対象がいない為に測定が極めて困難。」
「王の力が被験者を中心に無差別に広がっているような状態だから、力の霧散が激しく捉えられないの。」
「だから理想は、この人とあの人とその人と結ばれたい、というような願いを叶えてもらった被験者なわけだけど、そういう者はなかなかいない。」
「うむ、ハッキリ言って最悪だな。いかに恋愛マスターと言えど叶えてくれなそうな願いだ。」
 うんうん頷きながらローゼルがそう言うと、ロイドが「うぅ……」って感じの顔をする。
「では今回――ロイド様の場合はどうか。スピエルドルフに関わりのある全魔人族が影響を受けたという事だからこれまでにはない測定結果が得られるかもしれないという興味だったのだけれど、さっきロイド様から詳細を聞いて我らの期待値は最高潮。」
「願いは「家族が欲しい」。これに対して恋愛マスターが行ったのは「運命の相手と出会う事」。願いの種類としては特定の誰かを指すタイプだけれど、恋愛マスター本人の話によればこの願いは今までに叶えた事がないという。」
「経験のない初めての力の使い方だったからか、もしくは王の力にも得手不得手があるのか、本人が「副作用によってハーレムが出来上がっている」と言った事も踏まえると、運命の相手とロイド様を王の力で出会えるように結びつけた結果、運命の相手一歩手前の異性をも引き寄せる事となってしまったようね。」
「つまり、ロイド様が受けた王の力は特定の複数人へ及ぼされるという、我らが理想とする願いに非常に近いモノとなった。」
「偶然の産物、恋愛マスター自身も予想してなかっただろう結果……これ以上のサンプルはないわ。」
「さあさあ早速始めましょう! 全員魔法陣には入らないようにね。」
 テンション高めに頭っていうか口が二巡したルベロ。本の上の機械のダイヤルを回してぶつぶつと……たぶん魔法陣を起動させる呪文を呟いた。すると……
「お? おお?」
 ロイドの身体がボヤッとした赤い光に包まれ、頭の上の機械から同じ色のひもみたいのが出て来て魔法陣の外へと伸びてった。だけど魔法陣の範囲の外に出ると消えるのか見えなくなるのか、そのひもは途切れる形になった。なんか途中で伸びるのが止まって魔法陣の中をふよふよしてるだけのもあって……ロイドは頭から赤い触手を伸ばす怪人みたいになってた。
「ルベロ、これはどういう事なのかしら。」
 白い球体の話をしてた時よりも真剣な顔でカーミラがそう聞くと、ルベロは少し考え込んだ後ゆっくりと魔法陣の中に入り、何も変化が無い事を確認すると手を緑色の光で包み、伸びるひもの一本に触れる。
「これは……ははは、恋愛マスターらしいと言いますか……」
「王の力――いえ、この場合は運命の力でしょうか。」
「女王様、これがロイド様の……いわゆる運命の赤い糸です。」
 ルベロのその言葉に、あたし――やローゼルたちは一瞬呼吸が詰まる。
 ロイドの運命の赤い糸。あれが伸びる先にいるのが……恋愛マスターが結び付けた運命の相手…………でも……ていうか……
「……何本もあるわよ……?」
 あたしの思わずの言葉に、だけどルベロはあっさりと答える。
「ええ、つまりこれが副作用の結果よ。」
「この内の一本が運命の相手で、他は一歩手前の人って事。」
「それを見分ける事は今の我らの研究段階じゃ難しいけれど……たぶんほら、そっちの糸はあなたに向かってるわ。魔法陣に入ってみたら?」
 見るとあたしの方に向かって途切れてるっぽいのがあるけど……え、つまり今、魔法陣の中に入ったら……あたしとロイドが……れ、恋愛マスターの力で出会う事になった相手――って、ててて、ていうかそういう……相性ばばば、抜群の相手って事が……わ、わかるって、こと……?
 それはすごく知りたい事だけど……で、でももしそうじゃなかったらとか……な、なんか今更こんな風に考えるなんて思わなかったけど、こ、心の準備――
「やったー! ボク、ロイくんの運命の相手!!」
 いきなりの事に頭の中がグルグルしてたら、いつの間にか魔法陣の中に入ったリリーが……自分の頭に赤い糸がくっついてるのを見て大喜びしてた……
 ――! な、なに怖気づいてんのよ! あたしがロイドの恋人なのよっ!
「不覚! 一番乗りを逃すとは!」
「あ、あたしも……」
「うわー、ドキドキするー。」
 リリーの行動にハッとしてドタドタと魔法陣の中に入ったあたしたちは、それぞれの頭とロイドの頭が赤い糸で結ばれてるのを見た。
 ローゼルが仮説を立てて恋愛マスターの言葉からたぶんそうだろうってなってた事。ロイドの事をす……好きになって……な、なんか自分じゃ思ってもみなかったような行動をしちゃうくらいにロイドに……なっちゃったあたしたちは、恋愛マスターの力でここに集まった運命の相手かそれに近い存在じゃないかっていう推測。
 それが今、たぶん間違いなく……確信に――
「あら? ワタクシにもキチンとありますね。」
 何とも言えない感情に顔が熱くなってロイドも真っ赤になってるところにカーミラが入って来る。そしてその頭にはロイドと結ばれた赤い糸が……!
「恋愛マスターは魔人族を対象の外にした、それ故にワタクシたちの記憶は封印されたはずでは……」
「ロイド様に複数回接触してきたという事ですし、その時に王の力が及ぶ対象を修正したのではないでしょうか。」
「話によれば本人も予期してなかった現象だったようですから、修正後も記憶の封印はそのままになってしまっているのでしょう。」
「しかしさすがですね。この糸で結ばれた者全てが王の力で引き寄せられたとは限らず、たまたま近くにいたという可能性はあるものの、女王の場合は確実に後者――王の力を受けずともロイド様に巡り合ったわけですから。」
 ロイドが恋愛マスターに会ったのはカーミラに会った後。別にこの赤い糸が無いとこ、恋人的なあれになれないってわけじゃないから、ロイドに恋するこの女王が赤い糸で結ばれる相手――ロイドと相性のいい相手じゃない可能性もあったんだけど、糸は繋がってた。
 ルベロが言ったように、あたしたちは恋愛マスターの力でロイドのところに集まったかもしれないけど、カーミラの場合は……偶然に、運命の相手――かもしれない相手に会ったって事で……それを理解したカーミラは満面の笑みを浮かべた……!
「ええ、ええ! 当然でしょう! ワタクシとロイド様はそうなのですよ、勿論です! 恋愛マスターとかいうのの力を借りずとも結ばれる、そういう絆があるのです!」
 自力でロイドと出会った……あたしだってそうかもしれないけどカーミラの場合は確実にそう。この事実が……ルベロが現状だと見分けがつかないって言った本命の赤い糸があたしに繋がってるかもしれない――い、いえ、絶対あたし――だけど! それがあっても、今、カーミラをあたしたちよりも一段階上にした……!
 まずい、これはたぶんすごくまずいわ! しかも今はカーミラのお、お泊りデートのターンなわけで、こんな事が判明しちゃったらもう――っていうか糸が繋がってるって事はロイドもカーミラに……アレなわけで、そんなんで毎日一緒に寝てたりなんかしたら……したら!!
「と、ところで! 問題はこれやあれではなかろうか!!」
 あたしと同じ結論に至ったっぽいローゼルが変な声で話題を変えようと……この場の誰にも繋がってない糸と途中で伸びるのが止まってる糸を指差した。
 ……確かに、これってどういう……?
「たぶんこの場にいない結ばれた相手がいるということね。」
「そして伸び切っていないのは……遠すぎるのかしら? 王の力にも射程範囲みたいのがあるのかもしれないわね。」
「それか将来的には結ばれるけど何らかの理由で今会っても恋には落ちない状態とかかしら。」
 ルベロの言葉に、あたしたちも満面の笑みのカーミラもかたまる。
「……何よそれ……つまりその……まだいるって事……?」
「あらあらまあまあ、ワタクシとロイド様の間に入ろうとする者が他にも……」
 魔法陣の外に伸びて途切れてるのが二……三本。そして伸び切ってないのが二本……あ、あと五人もいるってこと――
「残念ながらこうして伸び切っていない糸があり、それにも長さの差があるようですからそもそも顔すら出していない糸がある可能性もあります。」
「しかしこれは正常なのでしょうかね。ロイド様にかかった王の力を、例えば別の誰かにかけた場合もこう何本も伸びるモノなのかどうか……」
「とりあえず現状の本数と方角を記録して、次は別の測定を行うとしましょう。」
 糸を見上げてルベロがあれこれメモする間、あたしたちは青い顔で縮こまるロイドを睨んで――

 ピリッ

 ――たら、なんか頭の隅っこでそんな感覚がした。何がどうこうってわけじゃないんだけど、あんまり感じた事のないそれに何となくキョロキョロすると、ルベロとカーミラとフルトもあたしと同じように斜め上の方を見上げてキョロキョロしてた。
『今のは……?』
「感覚的に強力な魔法か何かが発動した感じね。」
「でも何も変化が見えない。」
「外に結界でも張られたのかしら。」
「この国での日常というわけではないのですね。ロイド様、お体に異変はありませんか?」
「えぇ? だ、大丈夫だけど……どうしたの?」
「何かが起きました。ワタクシたち――それとエリルさんのように魔法感覚の鋭い者でなければ気づけない何かが。」
 ロイドがあたしの方を見たからあたしはコクンと頷く。何も言われなかったら気のせいで済ませたと思うけど、カーミラたちの様子からするとただ事じゃないわね。
「状況を把握したいところですが、緊急事態の可能性もあります。ここはロイド様の身の安全を最優先に――」
 そう言いながら片腕をグッと伸ばし、ここに来た時と同じように空間に穴みたいのを開ける姿勢になったカーミラだったんだけど、直後カーミラは目を丸くした。
「力が使えない……? いえ、これは……」
 手の平に真っ黒な塊を出したり赤い武器を出したりした後、カーミラは信じられないって顔をあたしたちに向けた。
「……移動を、封じられました。」
『――! ……確かに、何故か位置魔法……自身の場所を移動する魔法が使えませんね……』
 すっと手を伸ばして遠くにある本を手元に移動させたフルトは、自分の水の手の平を……目はないけどジッと見つめる。
「ホントだ! ロイくん、ボクも移動できないよ!?」
「おばあさん! この首飾りも反応してないわ!」
 リリーとヨナもそう言って……つまりカーミラの言った通り、場所を移動する魔法が使えなくなったんだわ。
『これは一体……もしや狙いは私たちでしょうか。』
「いいえ、この魔法規模、恐らくこの地区……下手すればこの国全体に及んでいます。ワタクシたちはたまたま巻き込まれた可能性が高いですね。」
「我らが様子を見て来ます。」
「みんな――ヨナも含めて全員今ここにいる事にはなってないから、この部屋からは出ないように。」
「誰か来ても扉は開けず、返事もしないようにしてください。」
 そう言って、ルベロは部屋の外へ出て行った。
「ミ、ミラちゃんの力を封じるなんて、とんでもない魔法なんだね……」
「いえ……強力な事は確かですが何か違うと言いますか……何にせよ、ワタクシたちの都合でお連れしましたロイド様――と皆さんは絶対に守りますからご安心を。」
 ついでな感じで言われたけど、カーミラの強さは知ってるからかなり心強い。戦闘になったとしても安心だわ。
 つい昨日来るのが決まったようなあたしたちが狙いっていうのは考えにくいからカーミラが言うように何かに巻き込まれたんだと思う。そんなのに遭遇しちゃうのはあたしたちの運の悪さかもだけど……そうなるとこれをやった奴は何が目的って話よね。
 なんか、あたしたちってこういうパターンが多い気がするわ……

騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第二章 聖騎士のためしごと

二つのチームが別々の場所でそれぞれの歓迎を受けましたが、どちらもインパクトのある人が出迎えました。

聖騎士、今回はその内の一人が戦いましたが、三メートルくらいある人がどんな怪物かワクワクです。
アフューカスもそうですが、この物語の女性は強いので教皇も見物ですね。

そしてルベロとヨナですが、二人とも名前がそのままですね。正直ロイドたちがアタエルカにやってくる理由としての登場ですが、どんどんと要素が追加されましたから、キーになることは確実でしょうね。

さて何かが起きて終わりました第二章、次からが神の国編の本番……のはずです。

騎士物語 第十一話 ~神の国~ 第二章 聖騎士のためしごと

『魔境』のアイテムの解析の為に神の国アタエルカへやってきたロイドたち。 それを出迎える人たちの姿に驚くのも束の間、恋愛マスターの力の解析によってある事が判明し―― 同じ頃、遺跡で見つけたモノをアタエルカにもってきたラクスたちは、聖騎士との手合わせをする事となり――

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-03-21

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