アマゾンの茸
大学三年が終了した時点で、同級生の空間史郎(くうましろう)は大学を休学し、海外留学をした。誰もがイギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど欧米を留学先に選んだものだが、彼が行ったのはアマゾン川だった。
アンデス山脈からブラジル、そして大西洋にそそぐアマゾンは、いくつかの国を通る。彼はまず上流に位置するペルーのイキトスという、飛行機か船でしか行けない町にいったのである。そこの大学や研究施設に行ったわけではなく、アマゾン川流域を探検したかったのである。
一年後、空間はアマゾンから元気に帰ってきた。学生食堂に入ってきた彼は真っ黒に日焼けし、髭をぼうぼうに生やしていた。僕をみつけた彼は、テーブルによってくると、こけた顔を向け、
「がんばってるんだろう、青っちろいな、そのうちゆっくりな」
と食券売場に行ってしまった。ふっと彼の焼けた首筋を見ると、てらたらに光ったケロイドのような跡があった。アマゾンでなにをしてきたのだろう。
僕は四年になり、卒業論文作成と、国家試験を受けるべく準備していた。彼は三年生の授業に出ているはずだが、食堂で会った以来、なかなか出会わなかった。
その日は、学部事務所に隣接する学生ラウンジでたまたま一緒になった。
「やあ、忙しいと思って連絡しなかったが、確か外務省に入りたかったんだよな、入ったら、こういうものももっていた方がいいよ」
彼は髪と髭をきれいに整えて、舶来品のような紺色のブレザーを着ていた。
彼が差し出したのはシェーファーの古い万年筆だった。
「これはね、ペルーのリマの市場でたまたま見つけたんだよ、そこからアメリカ経由で帰ってきたんだ、何でこんなものがあそこにあったんだろうな、古いけどいいものだ」
「嬉しいけど、万年筆は使ったことがないよ」
「君はきっと外交官になる、僕は未来が見えるようになった。この万年筆はサインをするときに使うことになるさ、シェーファーはサインのための万年筆だよ」
小豆色のキャップに白い丸い印が埋め込まれている万年筆だった。彼はテーブルの上に万年筆をおいた。
僕の上着の内ポケットには、宣伝入りボールペンやシャーペンがはいっている。こういった上等な万年筆など持ったことはなかった。
「アマゾンでの暮らしはどうだった、いつか聞かせてほしいな」
「いつでもいいよ、君が卒論を書くのに飽きたときに連絡くれよ、話して聞かせるよ、電話番号を教えてくれ」
そういってスマホを出した。僕はまだガラ系の携帯を使っていて、たまに両親に電話をかけるだけだ。ネットはほとんど利用していない。彼は僕の言った電話番号にすぐにかけた。僕の携帯がなった。
「来たよ、番号は登録しておくよ」
僕が言うと「スマホじゃなんだ」と不思議そうな顔をした。
「うん、ネットは無料ワイファイでのみつかっている」
ああそうかという顔をして、
「それじゃ、いつでもいいよ、電話くれよ」
そう言って彼は出ていった。
それからかなりたったが、やっとの思いで卒論のおおよその枠が決まった。後は集めた資料を読みこなし、自分の考えをまとめていくだけである。この大学の政経学部では、卒業論文は書きたい者だけが出すという仕組みになっていた。卒業論文をだすかわりに、いくつかの科目を加えて受講することでも卒業可能だった。しかしそれではものをまとめる力を養えない。メディア関係にいくのならそれでもかまわないかもしれないが、分厚い報告書を作成したりする外務省関係などを希望するには、卒業研究を選んで、文章をまとめる力をやしなったほうがいい。
タイトルは日本の原始的政治形態について、というものにした。古くは倭国の時代、小国に分かれていたときのそれぞれの国の民をまとめる仕組みと、それが大きな国へとまとまっていく課程での政治の仕組みである。言うなれば、民衆の心をつかむ方法とでも言うことだろう。民を安心して生活をさせる、そのために、政治を司るものは、まわりに自分を信じさせなければならない。原始的な方法としては、卑弥呼の鬼道、すなわち呪術、シャーマニズムである。民衆の安心と糧を得る方法を考え出したものが政治の中心になり、領土を拡張するために、戦の強いものが頭になる。
そこで空間のことを思い出し、アマゾンの民族の生活はどのような形で治められているものなのか、という興味がわいた。彼の話を聞いてみるのも役に立ちそうだ。そう思って電話をかけた。
彼は喜んだ声で、土曜日に自分の家に来るように言ってくれた。だいぶ前になるが、一度彼のマンションに行ったことがある。月島の高層マンションだった。親が東京に出てきたときに使うため、買ったものだという。3DKの東京湾が望める立派な広い部屋だ。大学の近くではあるが、僕は一部屋の風呂なし下宿にいた。月三万の家賃である。彼はそのほうが趣があっていい。親のものじゃなきゃ俺もそういったところで、大学生活を送りたかったんだ、と言っていた。お坊ちゃんだなとそのとき思った。
彼のマンションには地下鉄半蔵門線で西新宿から一本でいける。彼の部屋は三十階建てマンションの二十八階だ。エントランスで来たことをつげ、エレベーターに乗った。そのときはすごいものだと感激すらした。
ところが今は自分の住むたった四畳半の一部屋がとても暖かい。いまさらながら、あのときの彼の思いが正しいものだということに気がついたのである。
288号室に行くと、ドアが半開きになっていた。ノックをして開けると、「やーよく来てくれた」、と彼は笑顔で迎えてくれた。
リビングルームの部屋は様変わりしていて、しゃれた西欧の家具があったのが取り払われ、木でできた床の上にはゴザが敷かれ、丸太でできたテーブルの前には、座布団がおかれている。壁には祭壇のようなものが作られており、しなびたものが三角に積まれていた。
「ずいぶん変えたんだな」
「ああ、アマゾンの生活はこんなものじゃなかったが、ともかく、少しは木の臭いがほしくてね、本当なら引っ越したいのだが、それは卒業して独立してからだな」
彼の家は九州の唐津にある、旧家で焼き物の窯元である。
彼は日本茶をいれた。前はサイフォンコーヒーだった。
「アマゾンはどうだった」
「自分の思っていることが間違っていなかったことが明らかになったんだ、よかったのは僕が半年生活をともにした部落の人たちかな、ペルーは古くからの国だが、今の町はどこも同じかも知れない」
「イキトスはどうだったの、昔怖い事件もあったよね」
「あそこは行くのは大変だが、やっぱりそれなりの発達した大きな都市だよ、悪いところではないよ、便利なとこだ、そこに一月いて、情報を得てから外船モーターの小さな船を買って、アマゾンを下っていったんだ、その途中でとある部落についた、そこはよかった」
「同じように筏でくだっていた大学生が殺された事件があったよな」
1997年だと思ったが、ある大学の探検部の2名が筏で川下り中、イキトスで兵士に殺害された事件がある。これは結局、金ほしさの犯罪であった。貧困故のことではあるが、様々な議論が巻き起こった。
「あれは運が悪かったんだな、なにもペルーだからではないよ、日本だって今でもおこっていることだから」
確かにそうである。
「僕は船にテントや諸々のものを積み込むと、陸地沿いに下った、木々の中で、猿や鳥の声を聞きながらね、船の中から見た、星のまたたきは日本では見られないよ。
二日ほど行くと、支流というか流れ込んできている川の一つにそって森の奥にはいったんだ、しばらくいくと、森の脇に舟を上げることのできる広がった草地があってね、その日はそこで船から下りた。林の中を歩いてみたいと思ってね。
船を草地に持ち上げてシートをかぶせ、テントを担いで、磁石を頼りに東に向かってともかく歩いた。
蔓の絡んだ木々の間を一人で行くのはちょっと怖かったな、猛獣がいたら危ないから銃をもっていた、イキトスで手に入れたんだ。射撃訓練もしたよ。歩いていく途中で、食べられる木の実などを教えてもらっていたから、見つけたら食べるかリュックに入れた。テントを張るところをみつけたらそこで一夜を明かし、船に戻るつもりだったんだ。
かなり歩いた。日本の森をイメージすると全く違う。ともかく湿っている。所々に湿地があって、足を取られないように気をつけた。三時間も歩いただろうか、なかなかテントを張るのに適したと思われるようなところがない。船を引き上げたところに戻った方がいいだろうと思ったときだった。ぴちゃぴちゃと獣の歩く音がした。どんな猛獣が出てくるかわかったものじゃない。銃を手に持ち替えたとき、俺の周りは、すでに取り囲まれていた。
周りにいたのは獣ではなく、身長が百五十センチほどの原住民だった。荒い繊維で織った布でできた半ズボンをはき、上半身は裸だった。男の茶褐色のからだは筋肉が盛り上がり、力がみなぎっていた。顔は丸く鼻が低く広がって、目の大きな、アフリカの人に近い顔をしていた。だが黒い髪は縮れておらず長くのばし、唇も厚くはなかった。
彼らは俺をみてなにやら言ったが、とても柔らかな声で、ゆっくりした話しぶりだった。全くわからなかったが、俺は日本語でこんにちわとお辞儀をした。
そのあとスペイン語でこんにちはと言ったのだが、彼らは同じようにお辞儀をして、なにやら言った。聞いたことのない言葉だった。
彼らの中の一人が森の奥をさして一言言ったので俺はうなずいた。奥にいきたいかと言ったと俺は感じた。危害を加えるような連中には見えなかったんだ。
そうしたら、リーダーらしき男が手招きをしたので、後を付いて森の奥に進んだ。
「よく怖くなかったね」
「こわかったさ、だけどね、他にしようがなかったということかな、いやだと首をふったらなにをされるかわからないしさ」
「そりゃそうだな」
「こっそりと持っていた磁石で確認すると南の方向に向かっているようだった。かなり歩いたな、一時間ほどもかかった、森がとぎれて小高い丘が見えてきて、煙がいく筋かあがっていた。部落のようだった。
近づくにつれ、草でふいた三角のテントのような家がたくさんたっているのが見えてきた。
やがて家々に囲まれた広場に到着した。縁に竈が並んでおり、そこでは男たちのズボンと同じ生地のスカートをはいた女たちがたむろしていた。料理をしていたのだ。
リーダーがこっちにこいと手を挙げたので、行くと、水が入った瓶がいくつも用意されており、彼は一つの瓶に両手を入れると手を洗った。ほかの男たちもそれぞれの壷で手を洗った。俺はどうしたらいいのか迷っていると、リーダーがまだ使ってない壷を指さし手を洗うまねをした。
俺も同じように手を洗った。そのあと、リーダーは俺を一つの家に連れていった。
家から出てきたのは、白髪の混じった髭を生やした男だった。老人と言うにはまだ早い感じだ。つれてきてくれた男が何か言うと、柔和な顔をして手を伸ばしてきた。握手の習慣があるようだ。求められるまま、英語でこんにちわ、自分は空間史朗といいます、と言ったんだ。彼はよくいらっしゃった、私はウビエル、サンドライと英語で返答した。英語が話せるようだ。これにはほっとしたな。
後々わかるのだが、そこはパシキア人と呼ばれる民族の部落で、独自の言語を持ち、自給自足で生活をしている人々だった。ウビエルは英語が話せた。
部落の習慣として、外から人が来たときには家を提供し、来訪者の国の言葉を誰かが必ず教わるということだった。アメリカ人が来たことがあり、ウビエルが英語を覚えたそうである。
今度はウビエルが俺を酋長の家につれていってくれた。酋長は長い髭を生やした老人で、アリサイといった。彼は私に空いている家を一つ提供してくれ、いつまで使ってもいいと言ってくれた。ただあんたの言葉を一人に教え、話せるまでにするように求めてきた。
俺は十ヶ月後には日本に帰らなければならない、この村には半年ほどいて、イキトスに戻りたいとアリサイにウピエルから伝えてもらった。
部落についたその日、俺の歓迎の宴開いてくれた。広場に何十人ものパキシア人が集まり、鳥や獣の肉を焼き、なにから作ったのかわからない酒を飲んで、陽気だが秩序正しく話を楽しんでいた。
まず驚いたのは、肉を焼いたり芋を蒸かしたりしている中で、たくさんの茸類が並べられ、石焼されていた。不思議だったのは、食べ物や酒の係りというものがいなかったことだ。誰かが自然にやっていた。指揮するものがいない。
俺はウピエルとアリサイに挟まれて、アリサイの言うことに俺が答え、俺の言ったことを、ウピエルがみんなに言うと、みんなが「おー」といったり、ある男がした質問を俺が答えると、その男が握手を求めてきたりした、その間に俺の器の肉がなくなると誰かがもってきてくれる、一度ならず長老のアリサイがいつのまにか自ら俺に鮭をとってきてくれた。焼いた茸は醤油のような味の汁につけて食った。後で知ったのだが、魚から作った醤油だ。日本にもある魚醤(ぎょしょう)っていうやつだ。魚醤油とも塩魚汁(しょっつる)ともいうな」
タイのナンプラーだ。秋田のしょっつる鍋は有名だ。
「それで、竈の焼いている肉がなくなると、倉庫のような建物から肉を運びだし、竈の火の上に載せるのだが、一緒に飲んでいた誰かがやっていた。
もうひとつ、最初から驚いたのは、料理をするのは女だけではなく、飲んでいた男もいつの間にか竈に立ってなにかをしている。もちろん女も一緒になって飲んでいる。お互いに区別なく話しているようだ。男も女も物腰が柔らかく、俺としてはずいぶん安心したものだったよ。
だけど用心には越したことがないと、与えられた家で、その晩はちょっと気にしながらシュラフに入った。だけどそんなことは取り越し苦労で、朝になったら、パンが焼けているからとさそいにきてくれた。広場の竈の上にはナンに似たものが焼けていた。それになんとも柔らかいチーズが用意してあった。
ウピエルが来ていて声をかけてきた。
「チーズの作り方はヨーロッパの人が教えてくれました。イタリアの冒険家だったと思います。ここには山の方に行くと山羊がいるので、そちらの部落の者が山羊のミルクをもってきてここでとれた茸と交換するのです」
「昨日食べた茸ですか」
「そうです、食べる茸もあるけど、薬になったり、楽になったりする茸があるので、彼らはそれを喜びます」
パキシア人の部落は俺のいたところだけではなく、広く散らばってあるようだ。
その日は男たちとボートを止めたところまでもどって、水が増えたときの用心に森の中のちょっと小高くなったところに引き上げた。
帰りにウピエルが、生えていた一本の紫色の茸を指さして、ウットウットと言った。何だと聞くと、「これは、男に必要な茸で、我々の部族には大事な茸だ」と言った。
バイアグラのような作用があるに違いないと思った。
ウピエルはそれを採ると肩に掛けていた袋にいれた。男たちは茸を探しながら部落にもどった。昨日俺に会ったのは茸を探しにきて、なかなか見つからなかったので、いつもより遠出し、珍しく川の近くまできたからだそうだ。
彼らはいろいろな茸をとり、部落にもどると倉庫のような建物の中で仕分けをして乾燥する棚に広げた。
アリシアが日本語を学びたいという女がいるのでおまえのところにいくがよろしくたのむと伝えてきた。
俺は部落の中を見て歩いた。個人個人の家があり、女が子供をあやしていたり、男が家の修理をしていた、だが俺が通るとかならずにこやかにお辞儀をした。俺が最初お辞儀をしたものだからそうしてくれたようだ。
パキシア人は一日三食きちんと食べるが、昼はスープと果物だけのこともある。これも部落にきたどこかの国の人間の習慣を取り入れたもののようだ。パキシア人は自分たちの生活に、新しいことを取り入れるのが得意だ。あのお辞儀を見ても、まさに俺がやったのを見ておもしろいと思ったに違いない。新しいものをすぐ生活に取り入れることができるのは頭が柔軟な証拠だろう。
夕方食事の前にウピエルが女を一人連れてきた。麻のような荒い繊維で織った布のスカートをはいて同じ生地のランニングシャツのようなものを着ている。はちきれんばかりの乳房がシャツの脇からはみ出している。若そうだ。
パキシア人はだれもが丸い顔をしているが、彼女はその中でも横に長い楕円のような顔かたちだ。目は大きく鼻と口は大きめで整っている。髪は黒く縮れている。
微笑みながらペルー語でこんにちはと言った。ウピエルはこの女の子をマノンカと、紹介して帰って行った。家の中に入った彼女は床の上に横座りになって、もってきたなめした皮を広げると、炭をもってマノンカとパキシア語で書き、自分を指さした。彼女が俺に炭を渡したので、パキシア語で書かれた彼女の名前に「まのんか」とひらがなで書いて読んだ。彼女はうなずいて、俺を指さしたので、「しろう」とひらがなで書いた。彼女がそのわきにパキシア語で「あきら」と書いた。これでそれぞれひらがなに相当するパキシア文字が推測できた。
俺は彼女に日本語を教えるのに、最初は物の名前から教えた。キノコはパキシア語でポコリだ。彼女の年がわかった、十六歳だ。俺は二十一だと言った。長老のアリシアは六十五だそうだ。
彼女は毎朝食後すぐにやってきて、俺のやることを手伝いながら、日本語をおぼえようとした。おはようとか、今晩はとか挨拶はすぐに覚えた。動物たちの名前も覚えた。一週間たつと、動詞もかなりわかるようになった。主語、目的語、動詞といった、日本の言葉の並び方もわかるようになったのには驚いたが、パキシア語も同じようなので覚えやすいらしい。さすがに漢字はむずかしいらしく、書くのはひらがなを中心におこなった。
二週間ほど経ったときである。マノンカが俺を見て、いく、という。スペイン語も少ししゃべるのだが、どうもよくわからない。彼女は英語のできるウピエルをつれてきた。彼はマノンカが隣の部落の人間で、この部落に勉強に来ているところなのだが、父親の具合が悪いので、ケアーするために家に帰ると言った。二週間ほどしたら戻るということだった。
なぜマノンカが他の部落で暮しているのかとウピエルにきくと、十五をすぎた子供たちは二十になるまで、違う部落で生活をすることになっているという。一つには、違う環境に適応する力を養うためと、いい相手を見つけることだそうで、希望によっては毎年、違う部落に移動することもできるそうである。近親遺伝子の交配による人間の劣化を防ぐとてもいいしきたりといえるだろう。
俺はノートを一枚切りとり鶴を折った。マノンカもウピエルも驚いて見ていた。鶴は病気を回復させ、まわりも平和になるお守りだと、すこしばかり脚色してマノンかに持たせた。
彼女はずいぶん喜んで自分の家に帰っていった。
ウピエルも教えてほしいといったので、紙があればできるとうなずくと、俺の家から出て行き、すぐに数人の男と女数人を連れてやってきた。
クレーンを教えてくれと彼はアメリカの週刊誌を俺に渡した。おっと、開いて驚いたね、ここにきたアメリカ人がもってきた雑誌らしいが、ウピエルに言わせると、興味がないものだからこの紙を使いたいとうことだ。紙は貴重だがこの紙は読むところがなく役に立たないと言う。目をおおいたくなったが、ここの人たちは男も女も顔色一つ変えず興味を示さない。アメリカのアダルト写真の雑誌である。これで鶴を折って平和になるだろうか。いや平和なのかもしれない。などとどぎまぎしたね。
破っていいのかと聞くと、もちろんいい、何でこんな写真を撮るのだろうと、言った。
切り取って一ページをめいめいに渡し、正方形に切る方法を教え、それからいっしょに鶴を折った。
彼らは覚えるのが早かった。出来上がった鶴を、皆大事そうに家に持って帰った。家のお守りにするという。
数日後ウピエルがポコリの日だといってきた。「茸の日」ということだ。三十日に一度、竈のある広場で茸の薬をのみ、茸の料理を食べ、パキシアの神であるポコリコルシュファに感謝する。その日にはほかの部落からも人が集まり、ここのポコリコルシュファに挨拶をすると言う。それぞれの部落で同じ祭りが違う日に行われ、お互いに行き来すると言っていた。
その日は部落総出でおいしいものを作り、倉庫からたくわえておいた茸を出してきて煮たり焼いたりした。数人の男たちは夕方までかかかって、新たにたくさんの赤い茸をとってもきた。それが大きな切り株の上に積み上げられる。
茸の山の前で篝火を焚き、だれ彼ともなく手の空いている者から、積み上げた茸に、手をあわせた。
ウピエルに茸の山に対して、皆はなにを拝むのか聞いた。ポコリコルシュファに、健康で楽しく日々が暮らせるようにお願いしているということだった。赤い茸を積み上げたものが、神でありご神体というわけだ。
長老のアリシアが集まった者に声をかけた。何人かの人たちが順番に並び、大きな木の葉の上に並べられた乾燥した赤い茸を一つ選んだ。その人たちは草原に腰をおろした。アリシアがあたかも神主が祝詞をあげるような声をだすと、民たちは選んだ茸を食べ始めた。赤い大きな茸がなくなると、誰かが倉庫にとりに行って木の葉の上においた。
俺はどうしたらいいかわからなかったので、列に加わらず見ていた。多くの人たちもまわりで見ている。ウピテルが赤と黄色い茸をとってきて、俺に「おまえはどこか悪くないか」と言った。体の調子はとてもよかったので、「ない」と答えると、彼は「俺は腹がちょっと悪いのと、目が疲れるので、これを食うんだ」と赤い茸と黄色い茸を食べ始めた。
祭りは、薬になる茸を食べることから始まるようだ。
だれもが食べ終わると、アリシアが瓢箪のような器から何かの実のかけらに入っているものを注いだ。酒だ。彼がのみ始めると、何人かの男女が倉庫から大きな樽を持ち出してきて栓をぬいた。大樽の酒だ。村人たちはそこから自由に自分の器に取ると、のんだ。もう後は自由だった。何人かで話すものもいれば、二人で草の上で語るものもいる。
他の部落から数人の人たちが来た。その人たちはこの部落の人々に挨拶を始めた。俺は挨拶の仕方にとても驚いた。他の部落からきた家族が、ここの一つの家族と挨拶をしたときのことを話そう。
赤子を抱いた他の部落の母親と父親が、この部落の知りいと思われるやはり赤子を抱いた母親と父親のところに行くと、父親同士は後ろをむいて尻をつきあわせ、こすり会わせた。赤子を抱いた母親は、相手の母親と前向きで、前のところをこすり会わせた。実に奇妙な光景だったな、猿の連中を思い出してしまった」
そこまで話して、彼は僕に「ボノボ」っていう猿を知ってるかと聞いた。僕は知っているよとうなずいた。ボノボは高等霊長類で、ピグミーチンパンジーと呼ばれるアフリカの猿だ。雄同士がマウンティングをして、お互いを認識する、雌同士は前をこすり会わせるほかほかと呼ばれる行動をする。本来は性的な行動が相手をなだめ、挨拶として変化してきたといわれている。
「ボノボの行為とよく似てるんだな、いつからこの挨拶をするようになったんだ、とパキシア人に聞いたら、その昔、このあたりにいた絶滅した猿がそう言う挨拶をしていたので、祖先が同じようなことをするようになったと答えたんだ。彼らは猿の動きをまねたのだ、彼らの祖先はその猿だったのかもしれんな」
彼は笑いながら言った。彼の話はそこで終わりではなかった。
「男同士、女同士の挨拶を終えると、他の部落の父親は赤子を抱いてここの部落の母親に挨拶をした。父親は子どもを抱いたままは半ズボンの前から自分の陽物をだすと、母親のスカートの中にいれ腰を振ったんだ。母親は片方の足で立ち、もう一本は夫の手が高く持ち上げていた。明らかに性交をしていた。その後、母親の足を支えていた夫が、子どもを抱きながら、相手の母親に同じようなことをした。それが男と女の親愛の挨拶なんだ。その夫婦だけではなかった、ほかのところでもやっていた。
やってきた外部のものもいっしょになって酒を飲み、料理を食べた。
用意されていたたくさんの茸の料理がなくなってくると、みんなはゆっくりとしたテンポで踊り出した。俺も茸を食べたらなんだかほんわかとしてきたんだ。茸の成分の影響だろうな。部落の仲間同士でも、男同士は尻をこすり会わせ、女はスカートの前を会わせてこすり会わせた。女が片足をあげ、男が陽物をスカートの中に入れた。激しく腰を振っているのだが、その男女ともただにこにこしているだけだった。射精している様子はない。ただの挨拶なんだ、挨拶が終わると男は大きくなったままの物をズボンにしまっていた。
そのときマノンカの姿が見えた。実家のある部落からもどってきたようだ。人を掻き分けて俺のところに来て、片足をあげたんだ。驚いたね、どうしたらいいんだかわからずにいたら、マノンカが俺のあそこを指さしたんだ。縮こまってたよ。するとマノンカの手が俺のズボンに差し入れられたもんだから、急に膨らんじまった、すると、マノンカは笑顔で俺のをひっぱりだすと、スカートに入れたんだ。それで下履きをつけていないことがわかった。おれはあっという間に果てちまった。マノンカが「きゃー」と大声を出した。まずいことしたと思ったら、ウピテルがよってきた。マノンカに何か言った。マノンカは笑って俺を見ていた。俺はどうしようと、ウピテルを見ると「やあ、おめでとう、すごいもんだ、これで、マノンカはあんたの嫁だ」
と言った。責任をとれと言うことかと思ったが、男たちがよってきて、俺の尻に尻をこすりつけて何かを言うんだ。ウピエルに聞くと「大した男だ、日本人はすごい、と言っているということだった。
訳が分からなかった。
それから、マノンカは俺と一緒に住むようになった。おかげで俺の生活は楽になったし楽しくなった。彼女はめきめきと日本語が上手になった。おれはあと三ヶ月で部落を離れなければならないことを言ったが、マノンカはうなずいて笑顔で、わかってると答えた。
残りが二ヶ月ほどになったとき、長老とウピテルがやってきた。長老の言うことを、ウピテルが通訳してくれた。マノンカも聞いていた。
俺にある夫婦のところに行って子供を授けてほしいと言うんだ。なんでもパキシア人はなかなか子供が授からないそうだ。結婚するのは自由だが、なかなかこどもができない。そのため一人に戻るカップルが多いのだそうだ。
それで俺がその夫婦のところに行ってどうするんだときいたら、子供を作ってほしいという。
不妊の夫婦に精子を提供するような物なのだろうかと想像した。
マリンカも「ぜひいってください」と笑顔で言うし、行くことにした。
ウピテルと一緒にその家に行くと、夫婦が喜んで迎えてくれた。
夫は俺と尻を会わせた。奥さんとはとはどうしたらいいか、ちょっと迷ったが男と女の挨拶をしたよ。ともかく俺は射精しそうなのを、かなり我慢してたったまま奥さんと交わった。それが挨拶なのだ。
ウピエルが通訳してくれたところによると、結婚して三年になるが子供はできない、夫はウットウットをたくさん食べてもだめだという。ウットウットは紫色の茸でウピエルが大事な茸だと教えてくれてものだ。そこの家にはたくさんのウットウットがおいてあった。
夫は俺の見ている前でウットウットを生のまま一本かじった。すぐにズボンの前をあけると堅く大きくなった物を取り出すと、たったまま奥さんの中に入れた。賢明に腰を動かしていたが、おそらく三十分もそうしていただろう、夫婦とも疲れたように離れた。夫は堅くなった物をズボンにしまった。何か言った。ウピテルが、「夫はこの茸は効かない」と言っている、お前は強い助けてやってくれ」と言った。
何をしたらいいか戸惑っていると、奥さんがおれのズボンに手を入れて引っ張りだすと自分のスカートにいれた。そのまま交わって、奥さんが腰を動かしたら、マノンカのときと同じように、あっという間にはてちまった。奥さんは嬉しそうに微笑んだ。夫もわかったとみえてありがとうとパキシア語でいった。とても喜んでいる様子だった。そのころ俺も少しはパキシア語がわかった。
ウピテルも喜んだ「おまえはすごい」といった。俺は不思議に思ったことを聞いた。ウットウットはどんな作用があるのか知りたかったのだ。彼の話ではパキシア人の男は一時間交わっていても射精ができず、この茸を食べると、三十分ほどで射精ができるようになるという。だが茸が効かない者も多い。ともかくこどもを絶やさないようにすることが我々民族の大事だと彼は言った。
俺は自慰をしないのかと言ったら、いくら試みても射精にいたらないという。
俺が想像するに、性行為が挨拶にもちいられるようになったことから、脊髄にある射精反射の仕組みが退化しつつあるのだろう。
それでその夫婦のところには毎日かよって、夫の前で交わって射精をして、感謝されたんだ。子供ができたら大事に育てたいと言っていて、俺が部落から離れる頃、子供ができたようだと喜んでいた。
ところでな、ウットウットという紫色のポコリは、俺みたいにこらえることができない男が食べたらどうなるか知りたくウピエルからもらって食べてみた。すると、いきなりあそこが膨らんで、頭の中が快楽に満たされて、何度も射精が繰り返されたんだ。おどろいた効果だよ。夢精を引き起こすんだ。
ともかく性に関して彼らは全く我々とは違う思いを持っていることがわかった。部落を離れるとき、マノンカも妊娠していたが、七、八人の奥さんが俺の子を宿していたんじゃないかな、その後どうなったかな」
彼はなつかしそうに語った。
彼は立ち上がると、祭壇の前においてあった干した茸を一もってきた。
「これがウットウットというポコリだよ、乾いたものだと一本必要ないんだ、ちょっと削ってお茶にでもいれて飲んでみろよ」
彼は僕にさしだした。
「すごい経験したんだな、それで卒業した後どうするんだ」
「唐津のおやじの会社を継ぐことになると思うよ」
その日は、それから彼の将来のことを話し、彼のマンションをあとにした。
彼の話は事実なのだろうか。それにしても、そのような部族がいることを聞いたことがない。アメリカやヨーロッパの探検者も訪れているというのだから、そのような珍しい習慣のある部族なら、雑誌やメディアが取り上げていても不思議はない。
大事なことを聞き忘れた。彼の首の傷のことだ。かなり目立っていたから、大きな怪我のはずだ。彼はその話をしなかった。
信じられない気持ちで四畳半の下宿に帰り、夕方いつものように食事をした後、公務員試験の受験のための勉強をした。寝る前に彼のくれた、干したアマゾンの茸を少し削ってお茶に入れて飲んでみた。
それは驚いた反応だった。のんでからほんの一分もたたなかっただろう、頭の中に快楽が走り、下の物が膨らみ、あっという間に下着の中に放精してしまった。そのときあまりにも強い快感が頭の中を満たし畳の上にころがってしまった。気がついたときはお茶を飲んで一時間たっていた。私はのろのろと風呂につかり布団にはいった。
そんなことがあって、彼の話したことへの疑いは自分のあたまからなくなっていた。
次の日、電話で茸の効き目はすごかったと彼に話した。彼はそうだろう、使いすぎると頭がつかれるぜと言っていた。
五月の連休があけ、大学にでると級友が私を呼び止めた。その男は「空間と仲良かっただろう、あいつが大学どうして辞めたか知ってるだろう」と言った。
しばらく空間とは連絡をとっていなかったので、寝耳に水である。
「いや、初めて聞いたよ、電話してみよう」と携帯で彼を呼びだした。しかし、この番号は今使われていないというアナウンスがながれるだけだった。
「でないな、俺は聞いてないよ、おやじのあとを継ぐと言っていたから、唐津にもどったかもしれないが、それにしても電話も変えているのはどうしてかな」
「そうなのか、おまえも知らないのか」と級友は言った。
それからも空間と話すことはできなかった。私は無事、公務員総合職試験にうかり、念願の外交官の道が開けた。外務省にはいることもできた。
二年外務省内で諸々の仕事をさせられ、二十半ばのときに、ノールウェーの日本大使館に三等書記官で赴任した。
大学時代、外交官をめざしていたこともあり、他学部聴講で文学部の北欧の言葉と東欧の言葉を任意科目で受講していた。ノールウェーとハンガリーのことばである。そういったこともあり、ノールウェーは住んでみたい国の一つで、自分としてはとてもうれしいことだった。ノールウェー歴史、風習、それにもっとも大事なこととして、ノールウェーの人間を学ぶことができる。
ノールウェーは漁業国で日本と似たところがある。ハンザ同盟の発祥の国として長い海の貿易の歴史がある。ノールウェーという国はいればいただけ好きになった。他の国の大使館との交流もあり、世界のことを知る機会になった。
赴任して七年がすぎ、二等書記官になった。一生ノールウェーに住もうかとも思うようになっていた。
毎年、ノールウェーの外務省の招待で、大使館の大使たちのパーティーがある。私も大使とともにいつも参加していた。海の珍味とワインの立食パーティーで、会場はもりあがっていた。そういったパーティーではいろいろな国の人たちと話ができて、楽しい。基本的には英語で話すことが多い。
小皿に入ったキャビアをとって、テーブルに戻ろうとしたとき、大使が私を呼んだ。そばに日本人のような背広姿の男性がたっている。大使は私をその人に紹介した。その上で、彼がペルー大使館の領事で、隣にいる小柄な女性が奥さんだと、私に教えてくれた。領事と握手し、奥さんは、「こんにち」はとぎごちない日本語で挨拶された。見ると小柄な丸顔の目の大きな女性だった。焦げ茶色の肌をして、健康そうではちきれそうな体をしている。
「奥さんは、リマの大学で日本語を学んだそうだ、領事もいずれ日本のペルー大使館に行きたいと考えている、奥さんが日本語をしゃべりたいそうだからお相手してあげてください」と大使が言った。ペルーの領事も日本語で「よろしく」と頭を下げた。
奥さんはシャンペンを飲みながら、
「マノンナです、よろしく」と自己紹介された。
私も名前を言って、挨拶をして、「日本語がお上手ですね、どこで習いました」と聞くと、「リマの大学です」と答えた。
「あなたはどこの大学ですか」ときいたので卒業した大学を言った。
「私、その大学の一人の日本の男性知っています、かわいそうに、私たちの生活の習慣を間違えて、もう少しで死ぬところだったのですが助かって日本に帰りました」
「どうしたのですか」
「その人は、一人でアマゾンをくだって、私の部族のところにきました。それで、部族の習慣として、訪ねてきた人の国の言葉を教わるのです、その人は親切に日本語を教えてくれました。おもしろい言葉なので、何人か習いました、私は十六歳でしたが教わりました」
ちょっと驚いた。とうぜんのことだが空間を思い出した。
「もしかしたら、奥さんはパキシアの人ですか」
「よくご存じですね」
彼の名前はださなかった。
「私たちパキシア人は変わった挨拶をします。男性同士、お尻をすりあわせ、女性同士、前の方をすりあわせるのです。すりあわせるといっても、必ずしも本当にこすらずに、離れてちょっとお尻をふったり、前を振ったりするだけです。男性と女性も挨拶をします。男はズボンの前に手をかざし、女性もスカートの前で手をかざします。見た目には、性的に見えるのですが、男と女がふれるのはタブーです」
空間が言っていたのとはだいぶ違う。
「そのような風習は、今では、飲んだときや、よほど仲のいい仲間だけの間でみられるだけで、ほとんどおこないません、日本人の彼が来たとき、彼に見せる為に、皆がやって見せたようです。
我々の村は、いろいろな神を祀っていましたが、それぞれの神に、茸を供えました。いろいろな茸があって、薬としても使っていたのです。もっとも珍しくて、不妊の夫婦に利く茸があります。部族の長老が、その日本人にもその茸をちょっと食べさせました。すると彼は急におかしくなり、部族の女性を追いかけ回し、男たちに取り押さえられました。女性を触ったということで、男の人たちは、森の中の木に縛り付けろと息巻きました。森にはいろいろな生き物がいます。ほとんど生きていることができないでしょう、一晩生きていれば、そのまま放免になります、ところが長老は、わしが食べさせた茸が日本人にはおかしくさせる物だったのだ、わしにも責任がある、森でなくともよいだろうとおっしゃったので、広場に縛られて転がされたのです。蛭やダニがたかったりするでしょうけど、気持ちが悪くても死ぬことはありません、ところが、彼は運悪く蛇に首を深くかまれました。肉が腐る毒をもった蛇でした。
ただ運が良かったのは、朝のことだったので、見つかったときはかまれてから時間がたっておらず、見つけた男がかまれたところをナイフでえぐり取りました。首の動脈を切ったら死んでしまいます。だけど男たちはうまいもので必要なところだけくりぬきました。それでも毒が残り長い間彼は苦しみましたが助かり放免されたのです」
「その茸はあなた方にはどのような薬になったのですか」
「不妊症の女性は排卵周期が安定し、無精子症の男性には精子を作るようにします」
「すごい薬ですね」
「あまり生えることはありません、めったなことではありませんがたくさん採れることがあります、すでに国が調べました、ホルモンと同じように働く物質が入っているそうです、同じ物質ではありませんが、すでにそういった薬はいろいろ開発されているそうです」
空間がアマゾンから戻って、くれた乾燥した茸がそれなのだろう。自分にもとても良く効いた。
「私は日本に行ったら、その人を捜すつもりです」
「どうするのです」
「とてもいい人でした、私は彼に日本語を教わったので、リマの大学に行く気になったのです、恩人です、お礼をいいます」
「そのときはお手伝いしますよ」
それから彼女は日本のことを知りたがった。
パーティーのあともたびたびペルー大使館によばれ、大使と奥さんにごちそうになり、日本の話をした。
奥さんは私がシェーファーの万年筆を持っているのに気がついて、
「それ、部落にきた日本人がもっていたのと同じです」と言った。
私はそうですかと笑った。心中では空間はこの万年筆をリマで買ったと言っていた。本当は自分の使っていた物をくれたかもしれない。
彼は話を作る癖があったようだ。決してうそを言うつもりなのではないのだろう、芸術家に近い。唐津で陶器の修行をしていたのなら、きっと個性的な作品を作り出していることだろう。
それから二年後、ノールウェーのペルー大使館の領事は、日本のペルー大使館の大使として赴任した。奥さんから時々メイルがはいってくる。
日本では夏休みの季節である。北欧は稼ぎ時、観光客がどっと押し寄せる。日本からの観光客も多く、トラブルや病人が増え大使館は忙しくなる。
そのようなとき、マノンナからメイルが入った。日本語を教えてくれた男性がわかったということだった。空間という人で、やはり九州で陶芸家になっていたということだった。九州に行って会うことができたという。彼も覚えていてくれ、大そう喜んでくれたという。
彼の作品と、彼の写真が貼付されていた。髭を顔じゅうに生やして、熊のような顔になっていた。作品は彼らしい想像力に富んだデザインだった。紫色の茸が一面に飛び跳ねていた。
この茸がウットウットという不妊に利く茸ですとマノンナの説明があった。
私もずいぶん日本に帰っていない。両親はまだ元気でいる。時間が取れるようになったら帰ろう。空間にもあってみたい。
アマゾンの茸
私家版 茸小説集「毒茸村、一粒書房」所収予定
茸写真:著者: 長野県蓼科 2019-8-26