花冷え

 すこしずつ、夜が、みじかくなっていく頃の、採取したての蜜のような、春の気配。金星をさがして。雪のかわりに、花びらが降り積もる季節に、街の一角だけが、冬からそのまま、氷河期を迎えて、ネムの飾られている美術館も、凍った。ひとも、車も、犬も、信号機も、みんな、街、という機能を失って、でも、きぼうをすててはいけないと、あらいぐまはいう。凍ってしまった区画をみまもっている、あらいぐまで、なまえはないのだと、自己紹介をしてくれているあいだ、あらいぐまのちいさな手を、ぼくはじっとみつめていた。ネムは、もともと、ガラスケースのなかでねむっているので、暑いだの、寒いだの、感じないかもしれないと、ぼくがつぶやくと、いや、きっと、さむいおもいをしているだろうから、一日でも早い春のおとずれを祈ろうと、あらいぐまは熱弁をふるって、自動販売機の「あったか~い」紅茶をおごってくれたけれど、自動販売機もあまりの寒さにおかしくなってしまったのか、紅茶はつめたかった。

 ただ、空気が澄んで、ときおり幽かに、ぱちぱちと、なにかがはじける音だけがする。

花冷え

花冷え

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-03-13

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