幻の楽園(十ニ)Paradise of the illusion

幻の楽園(十ニ)Paradise of the illusion

幻の楽園(十ニ)再会 I 港街にて
Paradise of the illusion

二十代の終わり頃、九月の最初の週末。
秋晴れの青空。爽やかな秋風の吹く日だった。

慶は焦っていた。
旅行先の港街で、
財布を無くしてしまったからだ。

幸いにクレジットカードと免許証は、別のカードケースに入れてあった。
ホテルにチェックアウトする時、クレジットカードで支払った。多分、利用限度額に近い。

所持金は、色の褪せたブルージーンズの尻ポケットに硬貨と紙幣が少しだけ入れてあった。
お釣りは財布に入れず、つい尻ポケットに入れる癖がある。  

それにしても、財布を何処に置いたのかわからない。ホテルの部屋を出る時は確かにあった。

その後、買い物を楽しんだりして、何度か財布を取り出した記憶がある。何度かブティックで試着室に入ったし、カフェにも入った。途中、公園や通りのベンチに何度か座った。
それとも、歩く途中で落とした?どうも記憶がはっきりしない。

港町から列車に乗って帰るには、現金が少し足らない。所持金で帰れる駅までは歩くには程遠かった。

駅前のベンチで、再び荷物を確認した。
やっぱり無い。どうしようもなくて途方に暮れた。

ベンチに座り通りを、ぼんやりと見た。

しばらく、そうしていた。

午後の浅い時間の港街は、週末のせいか大勢の人で賑やかだ。
人の往来は止まる事がなかった。

やっと、慶は諦めた表情で立ち上がった。

どうする事も出来ない時は、とりあえず歩く癖がある。見つかるあてもないままに。

そして、目抜き通りへ向かって歩きだそうとした時だった。

彼は目抜き通りの向こう側から、歩いてくる一人の男性を正面にとらえた。

何処かで見た人だった。

男性が十メートル辺りまで来ると確信に変わった。

男性も慶を見ていた。五メートルまで近づいた距離で男性は気がついた。

「あれ?川崎君」

「青山さん!」

「偶然だね。こんなところで、会うなんて…」

「本当ですね。何年ぶりかな」

二人は旅先の港町で、偶然に再会したことを喜んだ。
港街は、都市部にある。何年も会わない人に偶然 出逢う事は奇跡的だ。

二人は、すぐ笑顔になり。お互い元気そうなのを讃えた。

慶が大学生の頃、街の小さなコーヒーショップLe soleilで働いていた。青山健二だった。
時々、卒業した後もひとりで店に通っていた。

慶が24才の頃に、青山健二はLe soleilを退職した。

彼の後任は、冴えない中年の痩せた男性が店を営業した。手入れの行き届かない長髪を後ろで束ねて、無精髭。独特の匂いのするタバコを吸うので嫌だった。
彼は何処で買ったのかわからない様な、民族衣装の服を身につけていた。

彼の趣味は、筋金入りのこだわり派で、妙にアカデミックの様でいて、陳腐で興味のない話題ばかりだった。音楽もフリージャズや民族音楽ばかり聞かされる様になって常連客も徐々に変わっていった。
一年も経つと店の雰囲気がすっかり変わってしまった。

慶は、青山健二の頃の居心地の良さが無くなって、次第に店に通わなくなった。

この間、店の前を通ってみたら
あの頃のお洒落なコーヒーショップの雰囲気は一変していた。
多分、後任の男性を最後に閉店したのだ。

その後に、カラオケスナックの様な店が開店したらしいく趣味の悪い看板が取付けられていた。

電飾も取り付けられ変わり果てていた。
ガラス張りだった所は、中が見えないフイルムを張り付け奇妙な雰囲気だった。

内心、ガッカリさせられた。

遥との思い出の場所だったから悲しかった。

青山健二は、ハンサムな顔立ちで爽やかな雰囲気の大人だ。さほどお洒落にこだわるというわけでもなく、さりげなくシンプルな服を着た人だった。

いつも、色褪せたブルージーンズに白いTシャツ。チェックのネルシャツや洗いざらしのオックスフォードのボタンダウンを羽織る様に身につけていた記憶がある。
冬はMA-1かダウンベスト。いつもそんな感じだ。
髪は、いつもサラサラで艶があった。
程よく細く、鍛えられた身体は引き締まっていた。
あの頃は、大人のさりげない雰囲気がカッコよくて少し憧れた。

彼は、今日も同じ雰囲気だ。

何か無性に懐かしい。

彼は、店に来る若い女の子にモテた。
彼のグルーピーが何人もいた。
女性関係は、結構派手にやらかしていたらしい。

会話が上手で、聞き上手。そして、いいタイミングで優しさを感じさせる。
憎めない天性の女垂らし。
まあ、ハンサムだしカッコいいから仕方ないか。

幸いな事に、南沢遥は彼を男性として見たことが一度もないとよく言っていた。

Le soleilは、いつも僕と一緒じゃないと行かなかった。

「居心地はいいの。けど一人で行くのは嫌なの」

よく口癖の様に言ってた。

青山さんと二人きりになってしまうと、自然に男と女の雰囲気になってしまうのを避けていたのだろうか。
彼女は、青山さんに口説かれた事があるのかもしれない。要するに彼は好みのタイプではなかったわけだ。

ほら、つい遥の話しになる。
今でも、彼女は自分にとって大切な存在だった事に気づく。

慶は健二に財布を無くした経緯を話した。

健二は慶の話しを聞くと了承した。

「列車を乗り換える駅は何処」

僕は、駅の名前を告げた。

「自動車で来てるんだけど。よかったら送るよ」

「いいんですか?」

「用事で今からその駅の近くまで、行くところだったんだ」

「それじゃ。お願いします」

二人は並んで駅に向かって、歩き始めた。

駅の有料駐車場に健二の自動車は停めてあった。

自動車は、国産の銀色のクーペだった。

二人はクーペに乗り込むと、エンジンを始動した。

「シートベルトしてくれるかな」

「はい」

「何かこの先で検問をやってるらしいから」

僕は、シートベルトを装着して前を見た。

銀色のクーペを緩やかに発進した。

駐車場の出口で、料金を決済してから道路に合流した。

銀色のクーペの乗り心地は、上々だ。
彼の運転の癖だろうか。ギアをチェンジして加速する時、エンジンの振動が気になったがそのうち慣れて気にならなくなった。

彼の運転に不安な要素は見当たらなかった。

安心して心地よく身を任せた。

途中、二人は港町の郊外で昼食を食べた。

和食の店で、同じ天ぷら定食を差し向かいで食べた。

男同士、なんの気兼ねもなく豪快にご飯をかきこみ、おかずを大口で食べた。時々、漬物を口に放り込みポリポリ音を立てて食べた。

無言で大した話しもせずに豪快にご飯をかきこむ。
目的があれば、無言で通じ合う感じは男同士じゃないとわからないだろう。

食事を済ませて、クーペは夏の海沿いの湾岸道路を、更に東へ向かって走らせた。

目的地の駅まで、半日はかかった。
青山さんは、海岸線を縫うように走り
時折、海を眺めながらクーペを走らせた。

「あっ。そうだアレを聞きこう。アレだ」

途中、健二はクーペの車内で聞いていたFM局のスイッチを切った。ダッシュボードを開けてからブレット&バターのCDを取り出した。

CDを掲げて、僕を見て微笑した。

あの頃、よく遥が借りてたアルバムだった。

懐かしさが込み上げてくる。

「あっ。それ」

「南沢さんがよく借りて行ったやつ」

「ブレッド&バターですね。懐かしいな」

遥は、ヨットの情景を歌ったクルージングオンが大好きだった。

彼女がドライブで聴きながらよく口ずさんでいた。

彼女が大好きだった。

何度もドライブで聴いたブレット&バターの曲が流れている。

僕は、切なさを悟られない様に窓の外の海を見ていた。
午後の夏の海は、穏やかに太陽の光を浴びて輝いて見えた。
慶は懐かしかった。曲を聴きながら南沢遥の事を想い出していた。

「南沢さんは元気かい?」

と、健二が 言った。

「彼女とは別れたんです」

「えっ?いつ」

「卒業前に別れたんです」

「えぇ?嘘」

「本当です。卒業前に就職の事で口論になってしまって会わなくなったんです」

「フーン。そうだったんだ」 

「まあ、実際にはその一年後に彼女から別れの手紙が来たんですけどね」

「一年も曖昧な関係のまま会わなかったの?」

「えぇ。なんか、終わりにしなきゃ。と、思ったんですけど。気まずくて会えなかったんです」

「へぇ。そうなんだ」

青山さんは、それ以上は深く聞かなかった。

二人は大学を卒業する前に就職の事で口論になり会わなくなった。

一年間、二人の関係は微妙に変化していった。 
時が経過すると共に、気まずくて会えなかった。
会う事もなく一年も曖昧な関係だった。

彼女は、隆一と恋人同士になった。
一年後、彼女から別れの手紙をもらい。
遥と隆一との関係もはじめて知った。

別れの手紙をもらった後。
直接、彼女に電話で別れを告げた。
春の桜が散る季節だった。

神田隆一は、勤めていた会社を辞めて、実家の会社で管理職に付く予定だ。ゆくゆくは社長だ。
遥は、隆一と結婚したはずだ。
結婚の報告の手紙が届いていた。

そこから二人がどうしているかはわからない。
きっと、幸せなのだろう。

「少しラジオでも聞こうか」

青山さんは、ブレッド&バターを聴き終えてCDをトレーから出してケースにしまうとFM局のスィッチを入れた。

Welcome to Ocean Bay FM. Free music selection program. Please enjoy the fleeting time of the day.

Welcome to the afternoon lounge. Ocean Bay FM.

皆さん、こんにちわ。オーシャン ベイFMの七海 理央奈です。

午後の微睡みの時間に、音楽を添えてお送りいたします。

今日は、秋晴れの日ですね。爽やかな秋風が心地よい午後です。残暑は一旦お休みの様ですが、来週からまた残暑が舞い戻ってきそうです。

それでは、今日の一曲目。

Wait a little while Kenny Loggins

" The more he fills his empty evenings
 The less he feels that there's a chance
to find

Something that can bring a peace of mind
Is there a place where you can go?

A little something you should know to turn
the tid to you favor?

Wait a little while to welcome what you're
 after

 Give it the time to find its way to you "


 彼が空の夜を埋めるほど
 見つけるチャンスがあると彼が感じないほど

 安心できるもの
 行くことができる場所はありますか?

 流れを好転させるために知っておくべきちょっと
 したことはありますか?

 あなたが求めているものを歓迎するために少し待
 ってください

 あなたへの道を見つける時間を与えて


「あぁ、中川さんだっけ?よく一緒にいたでしょ?」

「中川玲子さんですか?」

「あぁ。そうそう。ほら、澤田奈津子て知ってるでしょ。少し派手な雰囲気のお姉さん。よく、店に来てたじゃない」

「えぇ」

「中川さんと澤田さんは、二人でニューヨークに行ったよ。今も、ニューヨークで二人で暮らしてる」

「えっ。二人は知り合いなんですか?」

「あっ。知らなかった?まあ、恋人同士の様な」

「えっ。恋人?」

「あぁ。まあ、なんていうか。ほら、アレ」

「アレ?」

なんとなく察しはついていたが惚けてみた。

「ほら、あの......。LというかLilyというか」

「あぁ、そうなんだ」

「察しはつくでしょ」

「えぇ」

「こないだ、手紙と写真が送られてきてて元気そうだったよ」

「そうなんだ。元気そうでよかった」

健二は更に続けた。

「今だから言うけどね。僕がコーヒーショップに居た頃、南沢さんのことを好きだった」

「えっ」

「驚いたかい?」

「えぇ。少しは」

「一度誘ってみたけど、彼女に断られたよ」

「えっ。そうなんですか?」

「君と付き合ってるなんて知らないときにね」

「知らなかったです」

「困った顔をして俯き加減でね。川崎くんとお付き合いしているから駄目です。て…」

「彼女らしいですね」

断り方が遥らしくて微笑ましくて愛しい。
僕は内心、ホッとした。
遥が、一人で行くのを嫌がっていた訳が今頃わかった。あぁ。そう言う事だったんだ。


「まあ、その後も気まずい雰囲気にもならずに君と二人でよくコーヒーショップへ来てくれたし」

「Le soleilは、僕達の居場所の様な空間だったし。青山さんだから居心地が良かったんですよ」

「そぉ?なんか、嬉しいな」

「青山さんが辞めて、別の人に変わってから雰囲気が一変しちゃって居心地悪くて行かなくなったんですよ」

「そうか、そうなんだ」

「多分、みんな行くのやめたと思う」

「その人を最後にLe soleilも閉店しちゃったしね」

「閉店した後、一度だけ店の前を通ったんですよ。そしたら、カラオケスナックの様な店が開店してて、趣味の悪い看板が取付けられてて…」

「へぇ。そうなんだ」

「思い出の場所が酷い雰囲気になってしまって、ほんとガッカリしました」

「まあ、話は戻るけど、南沢さんは、いつも笑顔で、親しみやすくてさ。自然体だったね。素敵な女性だった」

「えぇ。そうですね」

慶は、前に視線を向けたまま応えた。

「彼女がいる時は、楽しかったよ」

「懐かしいですね」

「まあ、彼女を好きなのは僕だけじゃなかったみたいだけどね」

「そうなんですか?」

健二は、意味深に言ったもののそれ以上は語らなかった。

「まあ、あの頃の彼女は君の事しか視界になかったからね」

慶は健二の話しを聞きながら、淡々と静かに微笑した。

二人は、走行する車の中で、
あの頃の懐かしい話や趣味の話をした。
時々、話は途切れた。
そんな時は、健二は運転に集中して慶は静かに窓の外の夏の海を見ていた。

目的の駅に着いたのは、黄昏の時間だった。

健二は駅の入り口で、慶を降ろした。

彼はクーペの車内から、僕を見た。
そして、微笑した。

「青山さん、ありがとう」

「元気でね」

「青山さんも元気で」

「じゃあね」

彼は、慶を見て軽く手を挙げて微笑した。

慶は、微笑して返した。

それから前を向いてエンジンを始動させ徐行するように銀色のクーペを発進させた。

慶は、そこに立ち止まり東へ走り去る銀色クーペを見送った。


健二と駅で別れてから 、十年の歳月が流れた。
慶はある風の便りに、彼が元気でいる事を知った。


引用 
Wait a little while Kenny Loggins
   
Songwriting Kenny Loggins E.Ein Loggins

幻の楽園(十ニ)Paradise of the illusion

幻の楽園(十ニ)Paradise of the illusion

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-28

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