恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

第7部 水に流れたと思っていた海には 編

第48話「物忘れな遠い声掛け」

第48話「物忘れな遠い声掛け」

 誰かの気持ちの中にまで入り込んで
 それでも君がしたかった事は?


ーー瓶に入った手紙が流れ着く


忘れることも、洗い流すことも、諦めることも
できなかった


漂流しつづけていた

どこかに存在しつづけていた

消し去ることができなかった時間があった



水に流れたと思っていた海には

瓶に入った 手紙が流れ着いたーー



透明な歩廊は
そのカプセルのような輪郭を次第に消して
青空のように早く
穴を開けて
雲(足)は次第に遠のき
遠景が、また明日へと戻っていった


戻ってきたとき
私はかつてのミラジーノの車内にいた

…あれは夢だったのだろうか


閉じかけたドアに滑り込んだのだろうか?
私がなぜ、生きているのか?
不思議なことだ

信じたことに裏切られ、身の回りからは孤立し
げっそりと細く、あったはずのものを輪郭ごと失っていった

死にかけた記憶


ーー喧騒が続いた



夜は開けたままのノートパソコン
夜中に目を覚ますと、いつも同じ画面を読み込んでいた

ループしていることに気づいた

同じような日々で、日はめくれている

めくれているはずのものは実は違って
浪費になって、ぬかるみを作っている

ーー喧騒が続いていた



人生が出し入れできるものだったなら
別な誰かが何処からか顔を出して
“本歌取り”してゆく様を見ているかのよう



何がって?

言いかけて、やめたでしょ?

言いそびれて、後悔したでしょ?

伝えきれなくて、もう一度って思ったでしょ?

戸惑って…忘れられなくて、でもって


水に流れて消えてったって、思ったでしょ?


ーーきびすを返す(還す)夢、言葉がある



裏返してみる

それでもって、っと思ったら
自然と矛先が向かったら


  生き返りたいと、思うでしょ?


青空は早く
雲(足)は遠のき
また明日が来る


この道は、どこへ繋がっているのか?

好奇心によって

私はあの場所へと戻っていったーー


「心残りはあるかもしれないけど、もう決めてしまったことだから
 止めはしないけど、私だって本当は、寂しいんだよ?」


そう云って、送り出してくれたあの気持ち



春になり
懐かしさを感じている
なんとなく思い出すことがある
どこから来たのか分からない香りがする
暖かさを感じる香り

昔を思い出すこと
過去、そして、経年劣化したこと
ドアは崩れかけていた
私が選んできたものは何だろうか?

この人生でーー



  空で空中分解した夢が、今

   降っておりてきている


破片に映った
「なぜ?」が輝いている


 また輝き始めている

「きみ」

 「きみ」 

   「きみだよ」


  「呼んでいるんだ」


「忘れてしまわないうちに、叶えられるうちに」



乱反射の中

 「なぜ?」が輝き映る



放り出されたのは、かつて失敗した場所


水に流れたと思っていた海には
瓶に入った手紙が流れ着く


 
 誰かの気持ちの中に入り込んでまで
 
 それでも君がしたかった事は?

 

第49話「明日になってから考えればいいこと」

第49話「明日になってから考えればいいこと」

 「時間軸が崩れているのだろう」


私は、断片的に、記憶が面から面へと挿し替わっていることに気がついた

漂流しつづけ、どこかに存在しつづけて
消し去ることができないように
水に流れたと思っていた海の上で
瓶に入った手紙が、どんぶらこ

言いかけて、言いそびれて、伝えきれなくて、もう一度って
波の上で、きびすを返し(還し)続けるーー



ーー眺め

かつて、そこにあった私の職場
時代が変わり、人の生き方が変わり
そこに埋めたてられた記憶
更地になった後、建築された
そこがまた、私の新たな職場

8階からの新たな眺め
かつて、彼が飛び降りた高さ

今の眺めはーー


階段を降り、外へと出た
確認すべきことがあった

彼が飛び降りた地面

亀裂が入った、アスファルトの暗がりを確認するために


天気は曇っていた
あの時のような晴れ間は、空の何処にも残っていない
もう忘れてしまったことのように

穏やかさよりも、喧騒が
街の中は何らかの危機感で溢れていた
世の中の出来事が丸ごと身に降りかかってくるような空気だった

人通りは穏やかだった
裏通りのような場所だったから、人目につかずに終わる出来事がいつも傍にあった

私は、あのアスファルトの亀裂を見つけようと、一度、顔を見上げた
曇り空から、わずかな光が射し込んだ

光は、建物の外壁に斜めの見え方で指し示した
何かが明るみに出るように

1階、2階、3階、4階、
5階、6階、7階…8階。

それぞれの場所には、それぞれの光が射し込んでいるようだった
全ての色が似て異なるように、窓枠の内側から事情の異なる問題が透けていた
人目につかない日常的な行いが、解決されなければならない灰色の事として
光の斜めの線は、外壁の段差に沿いながら延びて、あるところで角度を変えた
私に何かを伝えるように止まった

物事の外から確認して、初めて気がついた
8階の窓の外には、知らないフェンスが出来ていた

もう一度、地面に眼をやった
眼を移すスピードが、彼の落下をフラッシュバックさせるようだった

私は、首を横に振り、確認すべきことに取り掛かった


地面にあるはずの亀裂
それは、確か、ある程度の深みがあったはずだ

裏通りのアスファルトの地面は、乾燥しているようだった
陽が当たらないような場所なのだろうか
道路の街灯の横を車が通り過ぎていった
対向車と擦れ違ったあと、左折して消えていった
何事も関係ないことのように自然なことだった
不思議もなく、不自然もなく

誰かが歩いてくるのが見えた
その方向には、ホテルのような建物があった
女だった

その歩く姿には特に不自然なものはなかったから、私は自分のことに集中して取り掛かることにした
地面をつたって、私は自分の眼を付き従わせた

なかなか見つからないことに、気を揉んだ
何かが変わってしまっているような気がした
一度、地面から顔を上げることにした

道路を挟んだところから、男が歩いてくる姿が見えた
その男の様子には、不自然なものはなかった

ただ、何かが気がかりなまま、もう一度、地面に眼をやった


あの花は、もう、見えないのか?
見ることがないのだろうか?

アスファルトの亀裂の奥には、まだ残っているのだろうか?

まだ生える余地のある希望が
亀裂の暗がりの奥に、残されているものは?


ーーその時、風が

タンポポのような綿毛が舞い
かつての唄が残像となって、私の足元に張り付いた

それは、透明な歩廊を私に思い起こさせる風だった


 「全部、なくなったわけではないよ」


記憶の隙間に残された場所
覚えている


私の前を、歩いてきた女と、男が
すれ違っていった

二人はすれ違って過ぎたあと、何事もなく自然だった
私の足元から、タンポポのような綿毛が風で舞った
立ち留まった

空中で二手に分かれた綿毛が、それぞれの躊躇いの間を置いた
それぞれの肩口に乗り上げて、綿毛が編み物を作った
何かを思い起こさせるような、躊躇いの間が立ち留まりの中で生まれた
そして、決断させるように背中を押した
振り返った


私は、その男女の顔が合わさる瞬間を見た


「あの、何処かで、何処かで、会っていませんか?」



記憶も、種子も
なくなったわけではないーー

時間軸が狂っていて、アスファルトの花も消えている

でも、こんなに静かなことが、私を感動させる


 私は、戻ってきた

 でも、忘れてはいない



“海に流された瓶が、揺さぶられ、岸に運ばれて着くように”

私は、次の場面へと流れて運ばれていた



 ココ、
 君はまだ生きている


 

第50話「道を駆け上がる」

第50話「道を駆け上がる」


 手紙を入れた瓶を見送り
 大きなリュックに感じた急な重みを確認したあとーー


「虫の知らせって、あるんですかね?」

タクシーの車内に戻ったわたしは、この先のことを考えていました

運転手は、わたしの独り言のような問いかけに特に思うことがないのか、フロントガラスに止まった1匹の蝶を見ているようでした。

「蝶というのは、数え方がいくつかあるようです」

わたしは、運転手が何の脈絡のない話を始めたことで、先ほどまで自分の身に起こっていた出来事が、現実の彼方へと消え入ってゆくよう暗示されているように思えてきたのです。
そう、“暗示”をかけられたかのように。

『暗示』に刺激されて、わたしは今まで生きてきた…?


 “わたしは、報せなければならない”


ーー波の音

覚めるように、視界が開けるように
押し寄せて、満ちて、引く
わたしが運んでいるものの音が、跳ね返って、自分に湧き立っていることにも気づきました。

「一般的には、1匹2匹や、1羽2羽です。でも、学術的には1頭2頭になるみたいです」

「……そう、何ですね」

今、自分の眼の前で起こされていく話に付いていかないと、わたしは現実に置いてけぼりにされてしまう。
そんな怖さを感じ、一旦、自分の脈を諦めて、運転手の話をなぞることにしました。
そこでわたしも、運転手と同じようにフロントガラスに止まっている蝶を見てみたのです。

「この蝶は、何ていう蝶なんでしょう?
 黄色くて、可愛らしくて、子供の頃によく見ていたようで」

わたしは繰り返すように前方、運転手が座る運転席の方へと、少し身体を前のめりに移したあと、また、運転手の表情を覗こうとしました

「ああ!」

運転手が浮ついたような声を上げました

わたしがその声に驚いて、前のめりに移していた身体をビクッ と後方へと引き下げてから、その声の先に目を移したときには、すでに蝶はその脈から飛び立ち、わたしたちのフロントガラスから離れていました。
その様には、海を越えて、別なフロントガラスを探すかのようでした。

眼で追っているうち、黄金色の陽光が羽根に沿ってなぞり、後光が差したと思った後のことでした。
海の空の上、躍動する雲の群れが鳳凰のような広がりを見せ、力強く、空を駆けていたのです。

「ああ! 綺麗…」

鳳凰の羽根の広がりからは天使のはしごが降り、海面上に道を照らし応じたかのように

「運転手さん!!
 あれは、何ですか!?」

運転手は、わたしの問いかけに反応が薄く、地蔵のように固まっていました

「運転手さん…?」

わたしは恐る恐る、前方、運転手が座る運転席の方へと、少しずつ、身体を前のめりに移しながら、運転手やタクシーの急な反応に備えつつ、また、運転手の表情を覗こうとしました。

運転手の顔を覗ける位置まで来て、ほっ と安堵感と、妙な達成感を味わう間があったと思ったら、運転手の顔が湧水で潤っていることに驚き、引きました。

「……そんなに蝶が好きなんですか?」

様々な不思議がわたしの中に湧いてしまい、思わず運転手の心情を確かめてみることにしました

「虫の知らせです」

「虫の知らせ……? ああ…!!」

現実と運転手が、わたしの脈をなぞっていた事に感嘆の声を上げ、自分がこの世にいる実感に沸き立ちました。
その実感を少しの間、味わおうかなと思った矢先、タクシーは動き出しました。

「少し場所を移してもよろしいでしょうか?」

わたしは、動き出したタクシーの振動を感じながら、急なアトラクションが始まるかもしれないことに身構えるだけの状態なので、もう好きにしてくださって結構です。
あ、ほら、もう返事をする間もなく、動き出してるの知ってるんだから!
でも割と、低速ね。あ、普通の運転なの。物足りなさを感じているの? 人間慣れるものだっていうの本当なんでしょうね!
タクシーは峠を上り、標高の高い場所を目指しているようです。

峠を上ってゆく間、車内の窓からは木々がチラチラと外の様相を隠していたので、運転手が先ほどの光景をひた隠しにしたようで、わたしは不満を感じていました。
膨れっ面になりながら車内の窓から外を眺めていると、耳の閉塞感が高まり、自分の声を出してみても、誰にも届かないように思いました。

「声……せんぱい」

タクシーは、峠の頂上で止まりました

運転手は何かをわたしに話し掛けているようですが、こもった声になって聞き取ることができません。わたしは自分の声を出してみますが、運転手には届かない音量のようです。

運転席から、運転手が降りて、わたしの窓をとんとんと、ノックをしました。それから外の方向を指差して、わたしの眼を助け、ドアを開けました。
わたしはタクシーから降りて、運転手が指差す視界の先には木々があり、その間に見晴らしのよさそうな場所が見えるのに気がつきました。歩いて向かって、木々の間の小道を通り抜けました。

眼下には、展望できるかぎりの鳳凰の姿を解いた雲海が広がっていました。
遠く先の方には、モノリスのような光の柱が一柱だけ立って見えています。
それはまるで、手紙のような形をしています。

「お客さん、どうしますか?」

帰ってきた声の響きに振り返ると、涙の分泌液で潤った肌をもつ運転手が真面目に、わたしに問い掛けてきました

「わたしは…どうしたらいいの?」

そして、わたしの声も帰ってきました

「お客さん、行って来なさい
 今、できることをしてくるんです」

「今、できること…?」

あのレンタルショップに立ち寄る前に、タクシーの車内で見ていた夢が、
わたしの脳裏に浮かんできました。


ーー祭りの時期

 あの時とは異なる気持ち

 部屋のカーテンの向こうから来る子供の声の誘い

 柔らかい日差しが部屋の中を照らし

 盆踊りの放送が流れ、太鼓の打音が木靈する

 不意に、笛の音色がわたしの内側に入る

 見慣れていたはずの“いつもの景色”

 普段と異なる角度から見る

 無数の明かりが乱反射し、眼に飛び込む

 夢の中の人

 彼の頭上には、大きな桜の木

 カーテン越しの触れられそうな距離

 でも絶対に触れることのできない距離感

 「心の中の穏やかな月を視なさい」

 彼は云い、わたしは彼に訊ねる

 「私のいつもの通り道に有り触れた者たちが、
  異なる表層を見せる時」


  “ある唄が舞い始める”


  
 『赤い星』が見え


 そして、炎上する「せんぱい」の車が見えましたーー



「分かりました」


わたしは、今、自分ができることを
     今、自分が知りたいことに変え


まず、せんぱいを探すことにしました



 私の悲しさから、遠巻きに
 遠心力をつたって、彼方へと
 充満した空間で、いっぱいになる

 早く触れておくれよと、物語るのは
 人恋しさというよりも、溢れ出た艶

 “氷のような手”をした語らいで
 木々の上っ面を季節の暦が通り去る

 私の道には、誰もいない


 誰も、

 いないんだよ



 

第51話「私が欲しかった遺伝子」

第51話「私が欲しかった遺伝子」


「我々の祖先が行った選択は、間違いだった」
 

教会の瓦解する天井の下、一人の修道女が祈りを捧げていた。
幼い私は、空襲を逃れるためにただ、一息つくことのできる間が欲しかった。

美しい女だったーー

このような時に、一心になってただ祈る姿は、滑稽にも思えた。
だが、それ以上にただ、ただ、

美しかった



私は思った。
神が美しいのではない、神を思わせるものに注ぐ人間の姿勢が美しいのだと。

キリストの十字は、傾き落ちつつあった。
この場所も終わりが間もないことを示していた。

ーー手が震えているのが分かった

「主よ、わたしが神を見届け、失望するのはもう、何度目か」

美しい女は、私の姿を認識すると、特に驚く様子もなかった。
諦めがあったのか、覚悟があったのか。
ただ、私がまだ幼い子供だったから、危害を加えることのないものだと思ったのだろう。

「あなたは、人類が招いた結末について、どう思いますか?」

幼い私に、修道女の問いかけに応えるべき何かがあったのだろうか。
私は、頭上を見上げた。

残された一枚のステンドグラスから零れた一滴のような光線が、祭壇の上で跳ね返り、修道女の内奥から燐光を発していることに気がついた。

修道女は、私に大きく十字を切ったーー

アーメン


光度を灰色で失いつつあるステンドグラスの演出は、もう判別がつかないように誰かの面影だけに消えていた。
気配や、見通し、予兆もなく、色褪せてゆく写真の黄ばみと似ていた。


修道女は最後の一絞りを差し出すように、燐光する一輪の花を私に手渡した

私の右手が震えていた

その震えに気づいた修道女-美しい女-は、鳥が止まるべきところへ留まるように、私の右手を両手で包んだ

私は、その震えについて説明をするべきだと思ったが、美しい女の手の温もりに包まれた右手の震えが次第に治ってゆくのが分かり、説明する必要のないことだと思い直した。


私の年齢は、13歳だった

その時、初めて

人を愛したのだと、分かった



 そして、神が美しいのではない
 神を思わせる美しさを持つ、この女性の姿が美しいのだと


手始めに思って、
たまたま図書館で借りた本に挟まっていた髪の毛から、
クローン技術を試し初めて…そして産まれた、娘。
誰かの面影に気づかず、成長した姿に…。

非道な別れをしてしまったあの女の髪の毛だった事に気づいた時ーー

それは報いのための作業になるのか…?
あの女が書き記した本の内容…その重なりによって…。



「私が行ったことは、こうして結果として生まれた」


「あの女は、私のmonogamyだった」


「何処へ行ったのか分からないままだ」



 我々の祖先が行った選択は、間違いだったーー
 

第52話「煙の先、虹の色が落ちてきて」

第52話「煙の先、虹の色が落ちてきて」


 雨風凌ぐ衣の先、物思いに沈んでゆく
 ガードレールが乗っかった
 曲がり損ねた人生の身に
 耐えかねて曲がった、レールの重み

 遥かな丘陵、死の淵

 遠景がある



ーーせんぱいの車が炎上するのが視えた

空に、黒雲が雷を落とす支度を始め、報せや予兆で胸騒ぐ鳥々が四方八方へと乱線を描くなかで、煙が上へ、上へと、高く、高く、紡がれている。
行き場を失くしたわけではなく。
向かうべき先を知っている煙。
立ち昇る炎が、誰かへのランドマークに為って。
“視ていたもの”と、“見てきたもの”が重なり、わたしの脳裏に浮かんだ夢が、何かに成って行く。 
コントロールのできない乱気流のものにーー


「運転手さん、あの煙のところへ急いで!」


わたしの眼に、峠の途中で見え隠れしていた向こうの山の立ち昇る煙の先に、炎上する車のシルエットが輪郭を増して訴えるように浮かんできたのです。
その瞬間に、その中に、せんぱいの顔が“あった”のです。

「運転手さん、急いで! 急いで!」

「お客さん、峠のカーブが穏やかではないのです」

ここに来て、安全運転の心がけを仕出す運転手に、ここが、車体機能の潜在能力を発揮する場面であることを気づかせようと、わたしは必死な文句を探します

「例のあれよ……あの…あの、あのアトラクションを使えばいいのよ!」

「あのう、勢いよくガードレールを越えちゃいますよ?」

わたしは語勢を強めたあと、運転手の弱気な顔を眼でなんとかできないかと懸命なプレッシャーで伝えました

「…越えちゃいますよ?」

連続する急カーブを、ギア操作で切り抜けながら、カーブを曲がり終えた後にバックミラー越しで「これでいいですか?」「これでいいですか?」とでも言うように、わたしの表情をチラッチラッと伺い見る運転手の軟弱さ。
あはれ、わたし!

わたしは、バックミラー越しで合わせてくる運転手の軟弱な顔に、再び眼で、より過酷なプレッシャーをかけることにしました。
あ、眼を逸らしたわね? 逸らしたでしょ? ねえ? わかってるのよ。


その時、タクシーが風で揺れて浮き上がるのを感じました

それほどに強い風が何処からやって来たのでしょうか?
標高の高い場所に差し掛かっていたから、それほどに不思議ではないのですが、
そう思ってはみても、車を浮かせるほどの急な突風は初めての体験だったのです。
それにしても、このタクシーは…様々な体験型アトラクションを味わえますねえ。
あ、でも、少し運転手さんにプレッシャーをかけ過ぎたのかも……まあ、いっか。


ーー気づくと、わたしの隣に誰かが座っているのを感じました

眼を向けると、白い服装をした女性が座っていました。
誰なのかと考える間もなく、急カーブが重りのように、わたしの思考を鎮めました。


「あなたには大切な人がいますか?」


白い服装をした女性がわたしの内側で響くような声で話しかけてきました。
わたしはどう答えるべきかを考える間を起こさず切り、答えました。


「大切な人がいます」


そう答えたあと、わたしの大きなリュックに入っている、あのココの本が揺れるのを感じました。
再び急カーブが、余計な憶測をさせないようにと、重りで、わたしの思考を鎮めました。
白い服装をした女性からの声が、ただただ、わたしの内側へと響き届きます。

「これは、一度きり。来るべき時の一瞬の行動で決まります」


「……わたしはどうすれば?」


わたしの内側で響く声の主に、どうにか線を結ばないとならない状況の中、わたしの集中は研ぎ澄まされてゆきました


「あるシナリオを完成させてほしいのです」


声の主ーー白い女性ーーが、わたしの内奥に強い日差しのような眼光を注いでいるのを感じました

その瞬間ーーわたしーーの考えの中に、読み起こされる『物語』が上書きされていったのです


ーーその心地の良さに、天翔鳥々の音が、木靈を返すようにポリフォニー を上げています。

まるで、潜っていた物事が表へと繰り出すことのように湧いて、鬱憤がこもっていた季節の変わり目のような、その荒々しさが出でる風は渦を巻きながら統合されて、癖やクセが一本一本の育ちとして複雑に組み合い絡め、歪みを混ぜながらも、一へと、モノフォニーへと、そしてーー

何かを同時に見ている眼となりました



一から十を知る

十から一を知る

その両極性

一は十を所有する必要がない
なぜなら、一に全てが含まれるから

十は一も所有しなければならない
なぜなら、十は一から成り立つから


漲るような想いが、わたしの命を活性化させました

連続する急カーブが終わり、急に、見通しのよい開けた直線が続きました。
隣の席に眼をやると、それは、褐色に乏しく、鎮まっていました。

わたしはバックミラー越しに振り返り、向こうの山にあった立ち昇る煙の先に視ていた車のシルエットも、鎮かに、消えて。
“眼”は、「未来」と「過去」を『現在』として、ただ、視るように成っていました。


 「苗木は、渡しましたよ
  あとは、頼みましたよ」


声だけが、わたしの内奥で響き、隣の席には、役目を終えた花が一輪


 

第53話「マニュアル、残された(現れた)行動」

第53話「マニュアル、残された(現れた)行動」


連続する急カーブを抜け、急に見通しのよい直線が開けたあとーー

 タクシーの車内のラジオから流れたのは
 GI達が計画していた「マニュアル」の政府の発表でした

 
政府から国民へと伝えられたのは、ある「マニュアル」でした。
それは、国民への行動規範になるもの。
全世界の国々の代表者が代行して伝え、一斉に伝えられました。
生存戦略…としての「マニュアル」。
「生き方」の一つ、一つを細かく指示した内容です。
人工知能とのマッチングによって行われる人生紹介……。
人工知能と、人間が手を取り合って作られる「生き方マニュアル」。
“メトロポリス”が近づいています。

「人間と人工知能は争わない?」
「共存できる?」 
「もう、間違って自殺する人間はいない?」
「もう、踏み外した人生を送る人間はいない?」
「全ての人が、正常なレール上に沿った人生を送れる?」
「やっと、まともな人間になれる?」

何らかのコントロールのようなものだと思いました。
これまでのGI達の計画により、それぞれの物語が用意されたのです。
人々はその計画された物語の型に進んで嵌められてゆくのです。


ーーそれが、わたしの『眼』に視える、上書きされた物語でした

「マニュアル」は、物語を作ることだったのかもしれません。
わたしは何かを通り抜けて、立ち位置が変わっていました。

バックミラー越しに振り返って見た…いえ、振り放けて見た「未来」と「過去」を『(仮の)現在』として置き、重層的な視点の切り替わりが、何らかの安全な位置と場所へと誘(イザナ)っていたのです。
次元の絡まりで有るのか、統合で有るのか、上昇で有るのかなど、そういったことは分かりません。


「運転手さん、“黒い服”の男は…?」

「大丈夫です、ここまで来れば追って来れません」

「本当に…?」

「ええ、大丈夫です」

「運転手さん、お腹すいた」

わたしは、最後の食事からどれくらい時間が経っていたのか。
身体全体に急な疲労感を感じ、とりあえず必要なことは食べることでした。
お腹の音まで、誰かに伝える必要はないですよね?

「分かりました。もうすぐ何か見えてくると思います」

「運転手さん、ひょっとして、ファストフードにする気なの?」

「…有機栽培の農家にでも行きましょうか?」

「生野菜を丸かじり…」

わたしは、その姿を想像しました。
眼の前には、ばあばの庭の野菜があり、お腹を空かせたわたしが、懐かしい庭から引っこ抜いた野菜を口に入れようとした瞬間、野菜の葉の上で何かが動いている姿に気づき、「いっしょに食べる?」と葉っぱに付いたアブラムシさんが身を起こした記憶が蘇りました。
涙が出そうになりました。

「アブラムシさんとは、いっしょに食事はしません」

「え…、お客さん、私の名前はアブラムシではないですよ?」

「ファストフードでも構いません」

わたしたちは、ファストフード店で食事を摂ることにしました。
運転手さん、脂っこいものばかり食べるわね、わたしは健康のことを考えているのよ。でも、ここのえびグラタンは物足りないわね。えびが小さいんじゃないかいしら? その他の具で誤魔化そうなんて考えてるんじゃないでしょうね?
えびグラタンは健康に良い? そんな訳ないじゃありませんか!
ここの代金はご馳走するわよ。

「そして、お客さんはこれからどうするんですか?」

食事を終えて、車内に戻ったわたしたちは血糖値の上昇で心地良い眠気を感じながらも、考えるべきことの整理が必要なことに気を向けていました。

「これから…ですか」

「もし差し支えなければ、このような考えは如何でしょうか?」



『(仮の)現在』のわたしの手元に残されたのは、
 
 「白い服の女性から与えられた物語の苗木」
 「ばあばから貰った大きなリュック」
 「ココの手紙と原稿」
 「ココがわたしに読んでほしいと貸してくれた本」
 「ココがプレゼントしてくれた白いブラウス」
 「メトロポリスのビデオテープ」


ーーそれらが有ることが、今後のわたしを勇気付けています

いつの間にか、隣にあった役目を終えた一輪の花は、もう『(仮の)現在』にはありません……あ、そういえば、タクシーの運転手さんは居ますね。
すっかり忘れちゃってました。

ただ、せんぱいの消息は分かりません。
手がかりだった、消えた炎上する車のシルエットは、何処へ行ったのでしょうか?


とにかく、わたしは『(仮の)現在』で、自分の暮らしを“やり直すこと”を考えることにしました。
“どこ”が振り出しなのか、“どこから”が振り出しのなのか、まだ分かりません。
だから、まず昼の生活に戻ろうと思いました。


ーー懐かしい駅前で、タクシーから降りたあと、運転手さんとは行動を別にすることにしました

「お客さん、どうかご無事で」

そう言って、午後の混み合った交通の中で消えてゆくようにタクシーは行ってしまいました。
遠ざかってゆくタクシーを見ていると、あの手紙を入れた瓶を見送ったときのような感情ではなく、ばあばと暮らす生活から夜の仕事へと移っていったときのような、今まで編んでいたものを一旦、解いてしまったような、尾を引く感情がありました。
きちんと代金は払いましたよ。GIの下で働いた蓄えがありますから。タクシーの料金メーターはきちんと回ってましたね!


わたしは、変わったもの、変わらないものを眼で確認しながら駅前の通りを5分ほど歩きました。
商店街の跡地が並んでいた場所は、更地や駐車場になっていたり、変化は有るものの、相変わらず人通りの寂しさが残っていました。
そんな場所に、ココとの共同生活を過ごした物件はひっそりと残されていました。

かつての印象に「マンション」というには古く「アパート」というには新しい、
どこか団地のような雰囲気だった物件は、外壁にはヒビが入っているのが見え、老朽化で『アパート』という見た目になっていました。
入り口のドアは開いていました。
懐かしい通路に足を踏み入れると時間が停止しているような感覚がありました。
通路には、取り残されたのか忘れ去られたのか、自転車(カゴにはペットボトルが)や植木鉢、ゴミ箱、新聞紙…
誰かの生活跡が、居場所を決めた思い出が転がったまま、消えないまま、待っているようです。
でも、その取るに足らない破片たちを見ていると、まるで、“わたし”に照らされることで初めて『現れたこと』のように思えてきました。

ココとの共同生活から時間が経っていることを物語っていました。
懐かしい番号の表札には、何も書かれていません。
そこには、ココの姿はありません。

この『(仮の)現在』にも、ココはもう…居ないのかもしれません


この場所でまた暮らすことにしました。
ただ、あの高級クラブには戻りません。
理由は、GIに会ってしまうかもしれない事と、あの頃のわたしを知らない場所でやり直したいこと。

ーーわたしは再び、歩き出さないと



 「そして、お客さんはこれからどうするんですか?」

 「これから…ですか」

 「もし差し支えなければ、このような考えは如何でしょうか?」


 「仮の生き方です」

 「仮の…ですか?」

 「ええ、建前上の生き方です」


 「大丈夫です、彼らの“マニュアル”というものを利用させて頂くだけです」

 「そんなこと出来るんですか?」

 「ええ」


 
 

  

第54話「実証された物語の中に閉じ込められる」

第54話「実証された物語の中に閉じ込められる」


 ーー勤め始めたのは“ファミレス”のホールスタッフでした



世界政府が新たに打ち出した施策「マニュアル」

主となる公約の3つはこうでした


 『あなたの人生に充実を与えます』

 『あなたに向いている人生を得られます』

 『あなたの人生の置き忘れ防止を保障します』



わたしの『充実』は、何だろう?

わたしに『向いている』ことって、何だろう?

わたしの『人生の置き忘れ』って、何だろう?



ネット上での政府公認のマッチングで人々は以降の人生を、仕事を、選んでいきました。
わたしは、パソコンや携帯端末などを持っていないので、政府から郵送された封書に従い、簡単な記入をした後、公共職業安定所へと登録のため足を運びました。
そこには、たくさんの人の姿が行き交っていました。

「マニュアル」によって世の中が乱れることはなかったのです

より良い人生を選択したいが為に、それまでの人生(職)から別の人生(職)を選択する人が溢れて、誰もが「主役に成れる」ようなことを欲しがるのではないのかという「混乱」というより、「惑乱」による世の中の崩壊が起こるのではないかと予想する記者はいたのですが、実態は世界的に流行した「新型マナヴォリックウィルス」と死者数の多さ。
「回復」「解決」「復興」への希求を欲する声が、まず、世の中に溢れていました。
安楽死の薬「カロドポタリクル」による不安への後押しの拍車がけで、人口減少も加速しました。

生産者・労働者・消費者のバランスの安定が必要に求められ、以前ほどの過剰な需要と供給はもう、なくなっていたのです。
「誰かが、これをしなければならない」
「誰かが、誰かの為に働かなければならない」

そのようなリセットが起こったことを、人々はニュースで、肌で、自分の脈で

 
 “分からされていた” のです


「今は、この仕事が世の中に求められています!」

若者は立ち上がっていました

「誰かがあなたの行動を待っています!」

年寄りも若者を助けようと立ち上がりました


そうしなければ、自分の国は滅びることを“分からされて”いました


「ヒロイズム」

「良心」

「行動」

「決心」

「勇気」

「リアルなろう系的行為」

「まるで2度目の人生を生きるかのように」


そんな流行語が生まれていったのです


人々は『ある熱』によって、天命を受けたような気持ちで自分の仕事を選ぶ姿が職業安定所のあちらこちらで見られました。
わたしは、そんな世情で熱に浮かされたような気持ちを斜めに見ることもなく、ただ好きなことを選ぶ気持ちになって考えました。
わたしに適合したのは「接客業」でした。
わたしが求める詳しい条件から絞り出されたものは、そんなごく普通の職業だったのです。

「接客業」は、夜の仕事の経験から自分に合うものだと感じていました。
具体的なものには、喫茶店なども候補に上げましたが、自分の服装のこだわりや、自分が好きな食べ物。
それと、運転手さんと一緒に行ったファストフード店で食べた「えびグラタン」の味が頭に浮かびました。
「わたしなら、もっと美味しいえびグラタンを提供できる!」
あ、でも料理は苦手なんですよね。提案はできるという、小姑のようなこと…イメージが悪いですねえ。
そんな「好き」から導き出したのが、「ファミレス」でした。

「いらっしゃいませぇーっ!!」

わたしの声は、生き生きとしていました。
やりがいを感じ、どこかで政府のマニュアルにもありがたさを感じていました。
『(仮の)現在』を眼で捉えながら。


ーーまず、歩き始めたわたしに訪れたのは過去の清算でした


働き始めて、少し経った頃


「あなたはもしかして、早川さん?」

入ってきた女性のお客様がわたしの顔を見つけて話しかけてきました

「はい! そうでございます、早川です……が?」

「やっぱり。久しぶりねえ」

私に名刺が手渡されました



「真知子! ひさしぶりね、本当に!」

「ママ…」

わたしはその夜、あの辞めた高級クラブを訪れました

「あの時、突然いなくなって…びっくりしたよ
 でも、寂しかったわ」

「ごめんなさい…」

ママは、あの頃と同じで勝手なわたしの思いつきを許してくれました

「ああ、真知子。あなたが居なくなってから、あの入り口に生ける花も寂しくしてしまったの…ごめんね」

「いえ、わたしが謝らないと…わたしの思いつきでやっていた事ですから」

「違うのよ、真知子。あれは、あなただから出来たことなの
 私には出来ないことなのよ
 あなたが居なくなってから、自分にも出来るのか?
 あなたの生けた花を思い出しながらやってみたの
 でも、いくら似せようとしてもダメだった
 お店のホステスさん達にも頼んでみたけど、ダメだった
 お花屋さんもダメだった
 それで考えたの、なんで私には出来ないんだろう?って
 でも、すぐに分かった
 なぜなら、花はいつもあなたが居たから、輝いていたのよ
 真知子は政府のマニュアルのことは知っているの?
 これが真知子には求められていることだと思うの」

「ママ…ありがとう…ごめんなさい」

「ちょっと、ママ時間がないんじゃない?」

そう言って会話を遮り入ってきたのは、ファミレスに来た女性でした。
女性は、ココと働いていた高級クラブに居たホステスでした。
顔を覚えていなかったのは、ONとOFFの化粧が違うからです。

「ママ、話はしたの?」

「ああ! そうね、そうね」

女性は、わたしの顔を一瞥し、それでもう充分だという内心がわたしにわざと聞こえるように 

「真知子。お店に戻って来ない?」

「え、お店に…」

ママはもうその希望が叶ったような顔をしながら、わたしを口説いた

「あれから、ココも辞めてしまって…寂しかったわ
 あなた達が看板だったから。今も代わりはいないわ
 またもう一度、私たちを助けて欲しいの
 真知子の居場所は、ここだと思うのよ
 あなたを必要とする場所なのよ、どう?」

わたしはママの心からの本音を間違いなく聴いたように思いました。
ママの人柄は、一緒に働いてよく分かっていました。
とても尊敬できるし、人に好かれ、人を好きになれる。
心地の良い人です。

「働いてみたら? 今のファミレスより、ずっとマシだと思うよ」

あまり関心のないことなのか、女性は手早い会話で繋いだ

「あの…わたし」

「真知子、今日で決めなくていいの
 少し考えてみて?
 いつでも待っているから」

ママは、わたしの気持ちを確認するのは今日ではなくても、
きっと明るい返事へと運命が向かうと。
そんな確信があるように、大きくうなずきながら、わたしの手を取りました。

わたしは返事に困り、お辞儀をして、手を滑らせるように放しました

もう一度、今度は敬礼してその場を離れました
  


あの頃、わたしは

昼の仕事、昼の生活に憧れていました

昼の太陽、週末のお昼の空気

週末で混み合う家族連れ、あの幸福感

「健全な仕事を得たい」

昼間寝ていたわたしは、時折眠れずに目が覚めました

部屋のカーテンの向こうから来る、小学生の声の誘い

柔らかい日差しが部屋の中を照らして

健全な人生が欲しかった



どうしたものでしょうか…と悩みました。
「もう一度」という気持ちになれるのでしょうか?
わたしはあの高級クラブは好きでした。
ママのことも好きでした。
ただ、今はココがそこには居ません。

ココ…

その時、頭に浮かんだのは


 あの時、なぜ
 ココが用事で休みの日にGIは来たの?



翌日、平日のファミレスの暇な時間帯。
わたしはホールでデーブルを拭いたり、乱れた置物を直したり。
考える間をあまり作らないように動いていました。

「いらっしゃいませぇーっ!!」

入り口からの空気の侵入を感じ、お客様の来店を肌身で感じました

「何名でしょ…」

わたしの言葉はそこで詰まりました

「早川さん、いいかしら?」

あの女性でした

わたしは一名で来店した女性をテーブルへと案内しました

「ご注文が決まりましたら…」

「ねえ、今の時間、暇なんでしょ?
 ちょっと話を聞きなさいよ」

「は、はあ…」

女性は店内に客が居ないのをもう一度確かめるように鋭く見渡しました

「覚えているかしらね?
 あなたが居なくなった日
 ほら、あんたが“GI”と接客したでしょ?
 あの日、ココが居なかったの覚えているわよね?」

「あ、はい。ココは…用事があって」

「そ、覚えているわよね
 それで、あんたがココの代わりにGIの接客をしたんだけど
 そもそもどうして、ココが居なかったのか知ってる?」

「え…ココ? 何かあったんですか?」

女性は、クスッと笑いました。
それから眼で、わたしの眼を貶めるようになぞりました。

「ココの用事を作ったのは、あたし
 知り合いの高級クラブの勧誘があったのよ
 あたしの友達がやってるクラブのね
 どうしても会って欲しいって、あたしがココを誘ったのよ」

「…なんでですか?」

その真意が分からず、わたしは女性の濁った眼を見ながら動悸を感じました

「GIを呼んだのは、あたしよ」


「ココも、人が良いわよね、ふふ
 断れば良かったのに
 どうせクラブを移る気なんてなかったでしょうに
 あたしが泣きそうな顔をして頼んだのが効いたのね
 ああ! 女優にでもなれば良かった
 政府のマニュアルでも利用しようかしら?
 後悔するわあ」

そう言って、自分の顔の自信をなぞるように長くか細い指で愛ではじめました

「あたしは、ココの事が好きじゃないの
 ママや他の客の気を惹いていたけど
 あたしは誤魔化されないわ
 あの花を生けたあなたのことも、嫌いよ
 ずる賢かったわよね、あなた?
 ママに相談もせず、勝手にやってたわよね?
 見ていたのよ、花を生ける以外も勝手にやってたこと
 ママにも話したのよ? あなたがしていたこと
 でもね、ママも人が良いわ
 あなたを許すの」

「…ママ」

わたしはママへの罪悪感で、さらに動悸が続きました

「おかしいじゃない?
 どうしてなの!?
 誰かがいないところで、あなたは隠れて何かしていたわよね?
 知っているのよ
 コソコソと動き回るネズミみたいよね」

責められていても、返す言葉もなく。
わたしは自分の行いを受け入れなければならない。
深く胸のうちに刻む必要があること。
これは人生に必要な学びであることを悟りました。
そして、過去の清算でもあるのだと。
涙が頬を伝ってもーー

「悪いけど、信用できないのよ、あなた」
 
「…GIをなぜ、呼んだんですか?」

言えなかった言葉がその時を選んで出てきました

「あら、ずる賢いあなたでも頭が回らないのね
 うふふ、あはは!」

「どうして…!?」

わたしは声の高ぶりで訴えました

「簡単だと思うけど、まあ、いいわ
 GIは、ココの客よね?
 そのココの客をあなたが盗ったら…どう思う?
 信用できないわよね?
 自分の客を寝盗る人なんて」

頭に浮かんだのは、ココの同人誌の手伝いをしていた時。
ココの指示にはないやり方で、こっそりとわたしの色使いへと侵していたこと。

「ああ…わたしは確かにそういう人だったんだ」

口には出さず、心の中で振り返り、なんてことをしたのかと

「ココは、“あら、その使い方は素敵ね”と
 わたしの勝手な行動を責めずに受け入れてくれたけれど
 本当は…いい気分ではなかったのかな?
 わたしは、ココを傷つけていたのかな…」

想像は妄想ではなく、逡巡の中、現実を強化しました

「どうしたの? 何か思い当たる節がまだあるの?
 まあ、あなたの事だから、あるでしょうね、ふふ」

「それと、もともとGIを接客していたのは
 ココとあたしなの
 たまたまココがGIの気を惹いてお気に入りになったけど
 ココもずる賢わね、あんな金持ち他にいないから
 あんたたちは本当に、コソコソと動き回るネズミみたいね!」

わたしの手が、思いがけず相手の顔を平手で打った

「っッツ…何するのッ!?
 あんた、頭おかしいんじゃないの!
 世の中から、ズレてるのよ!
 あんたは合わせなさいよ! あたしに!
 周りの歩調に、空気に!
 一人で勝手にするんじゃないよ!
 何考えてるか分かんないし、“信用”できる人間じゃないのよ、あんた!」

わたしは、内側に溜まっていたものが自然と吐き出ていくのを感じました

「分かりました
 あなたにも立場がある
 それと、居場所がある
 だけれど、わたしはあなたに合わせたいとは思えない
 想像性を失った場所でわたしは働きたくない」

いつの間にか、厨房にいた同僚たちがテーブルの近くまで寄ってきていました

「早川さん、どうしたの?
 お客様、大丈夫ですか!」

平手の音が、お客様の顔の赤い跡にあると気づいたようです。
わたしは終わりを感じました、わたしの居場所の終わりを。

「ふふ、いいんです
 まあ、もう会うことないでしょうから」

そう言って、その場を元同僚のホステスは去って行きました



わたしはその後、店長に呼ばれました。
事情を聞かれたわたしは「すみません!」と、詳しいことを何も話さず。

ただ、同じホールスタッフの“あの娘”が、わたしに代わって事情を説明してくれました。

お客様が元同僚であること。
その元同僚がわたしを貶める行いをした話であったこと。
そして、わたしがこのファミレスに必要なこと。


まるで、“ママ”のように
わたしをかばって
助けようと

たぶん、ココも

そうやって、わたしを守っていたのかもしれない



わたしは、このファミレスでまだ働けるようです

ありがとう



ーー明くる日の休日

昔の生活が急に懐かしくなったのか、田舎へと行ってみることにしました


わたしが失っていた時間は大きなものでした

左折するための目印だった、看板を失った元商店。
更地になった跡の見分けがつかないほど草が生え茂って、目印としての役割を完全に失っていました。
田んぼのカエルの合唱隊は、住処をかえて何処かへ消えていました。
わたしの田舎には、夕方のわたしの帰りを待つ台所の母のシルエットを感じさせるような郷愁があり、ほっとする場所としての面影がありました。それも、どこにも今はありません。

SNSに遺されたある文章を読むかのように。
何かが再発して、精神的なぶり返しを味わうように。
辛かったあの時期の感覚が蘇って。
これまでの自分を後悔のものに変えてしまう感覚が襲うのです。


あの頃ーー


夜遅くまで床に座ったまま、小さく丸い木製のテーブルと、肩を丸めたわたしが居ました

アルバイトをしながら、こっそりと、ノートの中に漫画の構想を練り、夜更かしを続けたわたし

朝を報せる窓のスズメの音、不健康な生活リズム、、、ただ、自分の夢があり生きていました

子供の頃の夢を追いかけていた時間がありました


「それ飽きないの?」と羽をバタバタして話しかけるマイマイガ、引き寄せられるダイドーの自動販売機の馴染み、立ち止まって外の空気ーー夜風に当たる心地よさ。
「ガコンッ」と、わたしにとってのアウフヘーベン、取り出し口から缶コーヒーに触れる最初の感触。

そして閉じる音


思春期を迎えた頃にある女子から言われた言葉がわたしを傷つた時間もありました

「自分」という存在を隠すことに必死になって、引きこもった時間もありました

漫画が一時期のわたしの背中をさすってくれる友達だった時間もありました

そして、図書館でわたしが思わず上げた声を読み取って、気づいてくれた、
せんぱい。


せんぱいとの時間ーー


図書館も移転してしまい、思い出は隠れていって


ばあば、大好きだよ


家に帰る時間を告げる電信柱の街灯だけが、昔と変わらぬまま残っていました



 明るいときは、あなたの場所からも「視える」もの

 暗いときには、あなたの場所からは「視えない」もの 
 
                    


 そういった、自分の心の動きを
 どうにか捉え直して

 わたしは、生きているのです


 ※恋した瞬間、世界が終わる -第7部 水に流れたと思っていた海には 完-

恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

そして、動き出す時間

恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

ファミレス 鳳凰 安楽死 ココ・シャネル アリュール 地上の上 路上 ログアウト マニュアル ビートニク 恋した瞬間、世界が終わる

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第48話「物忘れな遠い声掛け」
  2. 第49話「明日になってから考えればいいこと」
  3. 第50話「道を駆け上がる」
  4. 第51話「私が欲しかった遺伝子」
  5. 第52話「煙の先、虹の色が落ちてきて」
  6. 第53話「マニュアル、残された(現れた)行動」
  7. 第54話「実証された物語の中に閉じ込められる」