恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

hougen

第7部 水に流れたと思っていた海には 編

第48話「物忘れな遠い声掛け」

第48話「物忘れな遠い声掛け」

 誰かの気持ちの中にまで入り込んで
 それでも君がしたかった事は?


ーー瓶に入った手紙が流れ着く


忘れることも、洗い流すことも、諦めることも
できなかった


漂流しつづけていた

どこかに存在しつづけていた

消し去ることができなかった時間があった



水に流れたと思っていた海には

瓶に入った 手紙が流れ着いたーー



透明な歩廊は
そのカプセルのような輪郭を次第に消して
青空のように早く
穴を開けて
雲(足)は次第に遠のき
遠景が、また明日へと戻っていった


戻ってきたとき
私はかつてのミラジーノの車内にいた

…あれは夢だったのだろうか


閉じかけたドアに滑り込んだのだろうか?
私がなぜ、生きているのか?
不思議なことだ

信じたことに裏切られ、身の回りからは孤立し
げっそりと細く、あったはずのものを輪郭ごと失っていった

死にかけた記憶


ーー喧騒が続いた



夜は開けたままのノートパソコン
夜中に目を覚ますと、いつも同じ画面を読み込んでいた

ループしていることに気づいた

同じような日々で、日はめくれている

めくれているはずのものは実は違って
浪費になって、ぬかるみを作っている

ーー喧騒が続いていた



人生が出し入れできるものだったなら
別な誰かが何処からか顔を出して
“本歌取り”してゆく様を見ているかのよう



何がって?

言いかけて、やめたでしょ?

言いそびれて、後悔したでしょ?

伝えきれなくて、もう一度って思ったでしょ?

戸惑って…忘れられなくて、でもって


水に流れて消えてったって、思ったでしょ?


ーーきびすを返す(還す)夢、言葉がある



裏返してみる

それでもって、っと思ったら
自然と矛先が向かったら


  生き返りたいと、思うでしょ?


青空は早く
雲(足)は遠のき
また明日が来る


この道は、どこへ繋がっているのか?

好奇心によって

私はあの場所へと戻っていったーー


「心残りはあるかもしれないけど、もう決めてしまったことだから
 止めはしないけど、私だって本当は、寂しいんだよ?」


そう云って、送り出してくれたあの気持ち



春になり
懐かしさを感じている
なんとなく思い出すことがある
どこから来たのか分からない香りがする
暖かさを感じる香り

昔を思い出すこと
過去、そして、経年劣化したこと
ドアは崩れかけていた
私が選んできたものは何だろうか?

この人生でーー



  空で空中分解した夢が、今

   降っておりてきている


破片に映った
「なぜ?」が輝いている


 また輝き始めている

「きみ」

 「きみ」 

   「きみだよ」


  「呼んでいるんだ」


「忘れてしまわないうちに、叶えられるうちに」



乱反射の中

 「なぜ?」が輝き映る



放り出されたのは、かつて失敗した場所


水に流れたと思っていた海には
瓶に入った手紙が流れ着く


 
 誰かの気持ちの中に入り込んでまで
 
 それでも君がしたかった事は?

 

第49話「明日になってから考えればいいこと」

第49話「明日になってから考えればいいこと」

 「時間軸が崩れているのだろう」


私は、断片的に、記憶が面から面へと挿し替わっていることに気がついた

漂流しつづけ、どこかに存在しつづけて
消し去ることができないように
水に流れたと思っていた海の上で
瓶に入った手紙が、どんぶらこ

言いかけて、言いそびれて、伝えきれなくて、もう一度って
波の上で、きびすを返し(還し)続けるーー



ーー眺め

かつて、そこにあった私の職場
時代が変わり、人の生き方が変わり
そこに埋めたてられた記憶
更地になった後、建築された
そこがまた、私の新たな職場

8階からの新たな眺め
かつて、彼が飛び降りた高さ

今の眺めはーー


階段を降り、外へと出た
確認すべきことがあった

彼が飛び降りた地面

亀裂が入った、アスファルトの暗がりを確認するために


天気は曇っていた
あの時のような晴れ間は、空の何処にも残っていない
もう忘れてしまったことのように

穏やかさよりも、喧騒が
街の中は何らかの危機感で溢れていた
世の中の出来事が丸ごと身に降りかかってくるような空気だった

人通りは穏やかだった
裏通りのような場所だったから、人目につかずに終わる出来事がいつも傍にあった

私は、あのアスファルトの亀裂を見つけようと、一度、顔を見上げた
曇り空から、わずかな光が射し込んだ

光は、建物の外壁に斜めの見え方で指し示した
何かが明るみに出るように

1階、2階、3階、4階、
5階、6階、7階…8階。

それぞれの場所には、それぞれの光が射し込んでいるようだった
全ての色が似て異なるように、窓枠の内側から事情の異なる問題が透けていた
人目につかない日常的な行いが、解決されなければならない灰色の事として
光の斜めの線は、外壁の段差に沿いながら延びて、あるところで角度を変えた
私に何かを伝えるように止まった

物事の外から確認して、初めて気がついた
8階の窓の外には、知らないフェンスが出来ていた

もう一度、地面に眼をやった
眼を移すスピードが、彼の落下をフラッシュバックさせるようだった

私は、首を横に振り、確認すべきことに取り掛かった


地面にあるはずの亀裂
それは、確か、ある程度の深みがあったはずだ

裏通りのアスファルトの地面は、乾燥しているようだった
陽が当たらないような場所なのだろうか
道路の街灯の横を車が通り過ぎていった
対向車と擦れ違ったあと、左折して消えていった
何事も関係ないことのように自然なことだった
不思議もなく、不自然もなく

誰かが歩いてくるのが見えた
その方向には、ホテルのような建物があった
女だった

その歩く姿には特に不自然なものはなかったから、私は自分のことに集中して取り掛かることにした
地面をつたって、私は自分の眼を付き従わせた

なかなか見つからないことに、気を揉んだ
何かが変わってしまっているような気がした
一度、地面から顔を上げることにした

道路を挟んだところから、男が歩いてくる姿が見えた
その男の様子には、不自然なものはなかった

ただ、何かが気がかりなまま、もう一度、地面に眼をやった


あの花は、もう、見えないのか?
見ることがないのだろうか?

アスファルトの亀裂の奥には、まだ残っているのだろうか?

まだ生える余地のある希望が
亀裂の暗がりの奥に、残されているものは?


ーーその時、風が

タンポポのような綿毛が舞い
かつての唄が残像となって、私の足元に張り付いた

それは、透明な歩廊を私に思い起こさせる風だった


 「全部、なくなったわけではないよ」


記憶の隙間に残された場所
覚えている


私の前を、歩いてきた女と、男が
すれ違っていった

二人はすれ違って過ぎたあと、何事もなく自然だった
私の足元から、タンポポのような綿毛が風で舞った
立ち留まった

空中で二手に分かれた綿毛が、それぞれの躊躇いの間を置いた
それぞれの肩口に乗り上げて、綿毛が編み物を作った
何かを思い起こさせるような、躊躇いの間が立ち留まりの中で生まれた
そして、決断させるように背中を押した
振り返った


私は、その男女の顔が合わさる瞬間を見た


「あの、何処かで、何処かで、会っていませんか?」



記憶も、種子も
なくなったわけではないーー

時間軸が狂っていて、アスファルトの花も消えている

でも、こんなに静かなことが、私を感動させる


 私は、戻ってきた

 でも、忘れてはいない



“海に流された瓶が、揺さぶられ、岸に運ばれて着くように”

私は、次の場面へと流れて運ばれていた



 ココ、
 君はまだ生きている


 

第50話「道を駆け上がる」

第50話「道を駆け上がる」


 手紙を入れた瓶を見送り
 大きなリュックに感じた急な重みを確認したあとーー


「虫の知らせって、あるんですかね?」

タクシーの車内に戻ったわたしは、この先のことを考えていました

運転手は、わたしの独り言のような問いかけに特に思うことがないのか、フロントガラスに止まった1匹の蝶を見ているようでした。

「蝶というのは、数え方がいくつかあるようです」

わたしは、運転手が何の脈絡のない話を始めたことで、先ほどまで自分の身に起こっていた出来事が、現実の彼方へと消え入ってゆくよう暗示されているように思えてきたのです。
そう、“暗示”をかけられたかのように。

『暗示』に刺激されて、わたしは今まで生きてきた…?


 “わたしは、報せなければならない”


ーー波の音

覚めるように、視界が開けるように
押し寄せて、満ちて、引く
わたしが運んでいるものの音が、跳ね返って、自分に湧き立っていることにも気づきました。

「一般的には、1匹2匹や、1羽2羽です。でも、学術的には1頭2頭になるみたいです」

「……そう、何ですね」

今、自分の眼の前で起こされていく話に付いていかないと、わたしは現実に置いてけぼりにされてしまう。
そんな怖さを感じ、一旦、自分の脈を諦めて、運転手の話をなぞることにしました。
そこでわたしも、運転手と同じようにフロントガラスに止まっている蝶を見てみたのです。

「この蝶は、何ていう蝶なんでしょう?
 黄色くて、可愛らしくて、子供の頃によく見ていたようで」

わたしは繰り返すように前方、運転手が座る運転席の方へと、少し身体を前のめりに移したあと、また、運転手の表情を覗こうとしました

「ああ!」

運転手が浮ついたような声を上げました

わたしがその声に驚いて、前のめりに移していた身体をビクッ と後方へと引き下げてから、その声の先に目を移したときには、すでに蝶はその脈から飛び立ち、わたしたちのフロントガラスから離れていました。
その様には、海を越えて、別なフロントガラスを探すかのようでした。

眼で追っているうち、黄金色の陽光が羽根に沿ってなぞり、後光が差したと思った後のことでした。
海の空の上、躍動する雲の群れが鳳凰のような広がりを見せ、力強く、空を駆けていたのです。

「ああ! 綺麗…」

鳳凰の羽根の広がりからは天使のはしごが降り、海面上に道を照らし応じたかのように

「運転手さん!!
 あれは、何ですか!?」

運転手は、わたしの問いかけに反応が薄く、地蔵のように固まっていました

「運転手さん…?」

わたしは恐る恐る、前方、運転手が座る運転席の方へと、少しずつ、身体を前のめりに移しながら、運転手やタクシーの急な反応に備えつつ、また、運転手の表情を覗こうとしました。

運転手の顔を覗ける位置まで来て、ほっ と安堵感と、妙な達成感を味わう間があったと思ったら、運転手の顔が湧水で潤っていることに驚き、引きました。

「……そんなに蝶が好きなんですか?」

様々な不思議がわたしの中に湧いてしまい、思わず運転手の心情を確かめてみることにしました

「虫の知らせです」

「虫の知らせ……? ああ…!!」

現実と運転手が、わたしの脈をなぞっていた事に感嘆の声を上げ、自分がこの世にいる実感に沸き立ちました。
その実感を少しの間、味わおうかなと思った矢先、タクシーは動き出しました。

「少し場所を移してもよろしいでしょうか?」

わたしは、動き出したタクシーの振動を感じながら、急なアトラクションが始まるかもしれないことに身構えるだけの状態なので、もう好きにしてくださって結構です。
あ、ほら、もう返事をする間もなく、動き出してるの知ってるんだから!
でも割と、低速ね。あ、普通の運転なの。物足りなさを感じているの? 人間慣れるものだっていうの本当なんでしょうね!
タクシーは峠を上り、標高の高い場所を目指しているようです。

峠を上ってゆく間、車内の窓からは木々がチラチラと外の様相を隠していたので、運転手が先ほどの光景をひた隠しにしたようで、わたしは不満を感じていました。
膨れっ面になりながら車内の窓から外を眺めていると、耳の閉塞感が高まり、自分の声を出してみても、誰にも届かないように思いました。

「声……せんぱい」

タクシーは、峠の頂上で止まりました

運転手は何かをわたしに話し掛けているようですが、こもった声になって聞き取ることができません。わたしは自分の声を出してみますが、運転手には届かない音量のようです。

運転席から、運転手が降りて、わたしの窓をとんとんと、ノックをしました。それから外の方向を指差して、わたしの眼を助け、ドアを開けました。
わたしはタクシーから降りて、運転手が指差す視界の先には木々があり、その間に見晴らしのよさそうな場所が見えるのに気がつきました。歩いて向かって、木々の間の小道を通り抜けました。

眼下には、展望できるかぎりの鳳凰の姿を解いた雲海が広がっていました。
遠く先の方には、モノリスのような光の柱が一柱だけ立って見えています。
それはまるで、手紙のような形をしています。

「お客さん、どうしますか?」

帰ってきた声の響きに振り返ると、涙の分泌液で潤った肌をもつ運転手が真面目に、わたしに問い掛けてきました

「わたしは…どうしたらいいの?」

そして、わたしの声も帰ってきました

「お客さん、行って来なさい
 今、できることをしてくるんです」

「今、できること…?」

あのレンタルショップに立ち寄る前に、タクシーの車内で見ていた夢が、
わたしの脳裏に浮かんできました。


ーー祭りの時期

 あの時とは異なる気持ち

 部屋のカーテンの向こうから来る子供の声の誘い

 柔らかい日差しが部屋の中を照らし

 盆踊りの放送が流れ、太鼓の打音が木靈する

 不意に、笛の音色がわたしの内側に入る

 見慣れていたはずの“いつもの景色”

 普段と異なる角度から見る

 無数の明かりが乱反射し、眼に飛び込む

 夢の中の人

 彼の頭上には、大きな桜の木

 カーテン越しの触れられそうな距離

 でも絶対に触れることのできない距離感

 「心の中の穏やかな月を視なさい」

 彼は云い、わたしは彼に訊ねる

 「私のいつもの通り道に有り触れた者たちが、
  異なる表層を見せる時」


  “ある唄が舞い始める”


  
 『赤い星』が見え


 そして、炎上する「せんぱい」の車が見えましたーー



「分かりました」


わたしは、今、自分ができることを
     今、自分が知りたいことに変え


まず、せんぱいを探すことにしました



 私の悲しさから、遠巻きに
 遠心力をつたって、彼方へと
 充満した空間で、いっぱいになる

 早く触れておくれよと、物語るのは
 人恋しさというよりも、溢れ出た艶

 “氷のような手”をした語らいで
 木々の上っ面を季節の暦が通り去る

 私の道には、誰もいない


 誰も、

 いないんだよ



 

第51話「私が欲しかった遺伝子」

第51話「私が欲しかった遺伝子」


「我々の祖先が行った選択は、間違いだった」
 

教会の瓦解する天井の下、一人の修道女が祈りを捧げていた。
幼い私は、空襲を逃れるためにただ、一息つくことのできる間が欲しかった。

美しい女だったーー

このような時に、一心になってただ祈る姿は、滑稽にも思えた。
だが、それ以上にただ、ただ、

美しかった



私は思った。
神が美しいのではない、神を思わせるものに注ぐ人間の姿勢が美しいのだと。

キリストの十字は、傾き落ちつつあった。
この場所も終わりが間もないことを示していた。

ーー手が震えているのが分かった

「主よ、わたしが神を見届け、失望するのはもう、何度目か」

美しい女は、私の姿を認識すると、特に驚く様子もなかった。
諦めがあったのか、覚悟があったのか。
ただ、私がまだ幼い子供だったから、危害を加えることのないものだと思ったのだろう。

「あなたは、人類が招いた結末について、どう思いますか?」

幼い私に、修道女の問いかけに応えるべき何かがあったのだろうか。
私は、頭上を見上げた。

残された一枚のステンドグラスから零れた一滴のような光線が、祭壇の上で跳ね返り、修道女の内奥から燐光を発していることに気がついた。

修道女は、私に大きく十字を切ったーー

アーメン


光度を灰色で失いつつあるステンドグラスの演出は、もう判別がつかないように誰かの面影だけに消えていた。
気配や、見通し、予兆もなく、色褪せてゆく写真の黄ばみと似ていた。


修道女は最後の一絞りを差し出すように、燐光する一輪の花を私に手渡した

私の右手が震えていた

その震えに気づいた修道女-美しい女-は、鳥が止まるべきところへ留まるように、私の右手を両手で包んだ

私は、その震えについて説明をするべきだと思ったが、美しい女の手の温もりに包まれた右手の震えが次第に治ってゆくのが分かり、説明する必要のないことだと思い直した。


私の年齢は、13歳だった

その時、初めて

人を愛したのだと、分かった



 そして、神が美しいのではない
 神を思わせる美しさを持つ、この女性の姿が美しいのだと


手始めに思って、
たまたま図書館で借りた本に挟まっていた髪の毛から、
クローン技術を試し初めて…そして産まれた、娘。
誰かの面影に気づかず、成長した姿に…。

非道な別れをしてしまったあの女の髪の毛だった事に気づいた時ーー

それは報いのための作業になるのか…?
あの女が書き記した本の内容…その重なりによって…。



「私が行ったことは、こうして結果として生まれた」


「あの女は、私のmonogamyだった」


「何処へ行ったのか分からないままだ」



 我々の祖先が行った選択は、間違いだったーー
 

第52話「煙の先、虹の色が落ちてきて」

第52話「煙の先、虹の色が落ちてきて」


 雨風凌ぐ衣の先、物思いに沈んでゆく
 ガードレールが乗っかった
 曲がり損ねた人生の身に
 耐えかねて曲がった、レールの重み

 遥かな丘陵、死の淵

 遠景がある



ーーせんぱいの車が炎上するのが視えた

空に、黒雲が雷を落とす支度を始め、報せや予兆で胸騒ぐ鳥々が四方八方へと乱線を描くなかで、煙が上へ、上へと、高く、高く、紡がれている。
行き場を失くしたわけではなく。
向かうべき先を知っている煙。
立ち昇る炎が、誰かへのランドマークに為って。
“視ていたもの”と、“見てきたもの”が重なり、わたしの脳裏に浮かんだ夢が、何かに成って行く。 
コントロールのできない乱気流のものにーー


「運転手さん、あの煙のところへ急いで!」


わたしの眼に、峠の途中で見え隠れしていた向こうの山の立ち昇る煙の先に、炎上する車のシルエットが輪郭を増して訴えるように浮かんできたのです。
その瞬間に、その中に、せんぱいの顔が“あった”のです。

「運転手さん、急いで! 急いで!」

「お客さん、峠のカーブが穏やかではないのです」

ここに来て、安全運転の心がけを仕出す運転手に、ここが、車体機能の潜在能力を発揮する場面であることを気づかせようと、わたしは必死な文句を探します

「例のあれよ……あの…あの、あのアトラクションを使えばいいのよ!」

「あのう、勢いよくガードレールを越えちゃいますよ?」

わたしは語勢を強めたあと、運転手の弱気な顔を眼でなんとかできないかと懸命なプレッシャーで伝えました

「…越えちゃいますよ?」

連続する急カーブを、ギア操作で切り抜けながら、カーブを曲がり終えた後にバックミラー越しで「これでいいですか?」「これでいいですか?」とでも言うように、わたしの表情をチラッチラッと伺い見る運転手の軟弱さ。
あはれ、わたし!

わたしは、バックミラー越しで合わせてくる運転手の軟弱な顔に、再び眼で、より過酷なプレッシャーをかけることにしました。
あ、眼を逸らしたわね? 逸らしたでしょ? ねえ? わかってるのよ。


その時、タクシーが風で揺れて浮き上がるのを感じました

それほどに強い風が何処からやって来たのでしょうか?
標高の高い場所に差し掛かっていたから、それほどに不思議ではないのですが、
そう思ってはみても、車を浮かせるほどの急な突風は初めての体験だったのです。
それにしても、このタクシーは…様々な体験型アトラクションを味わえますねえ。
あ、でも、少し運転手さんにプレッシャーをかけ過ぎたのかも……まあ、いっか。


ーー気づくと、わたしの隣に誰かが座っているのを感じました

眼を向けると、白い服装をした女性が座っていました。
誰なのかと考える間もなく、急カーブが重りのように、わたしの思考を鎮めました。


「あなたには大切な人がいますか?」


白い服装をした女性がわたしの内側で響くような声で話しかけてきました。
わたしはどう答えるべきかを考える間を起こさず切り、答えました。


「大切な人がいます」


そう答えたあと、わたしの大きなリュックに入っている、あのココの本が揺れるのを感じました。
再び急カーブが、余計な憶測をさせないようにと、重りで、わたしの思考を鎮めました。
白い服装をした女性からの声が、ただただ、わたしの内側へと響き届きます。

「これは、一度きり。来るべき時の一瞬の行動で決まります」


「……わたしはどうすれば?」


わたしの内側で響く声の主に、どうにか線を結ばないとならない状況の中、わたしの集中は研ぎ澄まされてゆきました


「あるシナリオを完成させてほしいのです」


声の主ーー白い女性ーーが、わたしの内奥に強い日差しのような眼光を注いでいるのを感じました

その瞬間ーーわたしーーの考えの中に、読み起こされる『物語』が上書きされていったのです


ーーその心地の良さに、天翔鳥々の音が、木靈を返すようにポリフォニー を上げています。

まるで、潜っていた物事が表へと繰り出すことのように湧いて、鬱憤がこもっていた季節の変わり目のような、その荒々しさが出でる風は渦を巻きながら統合されて、癖やクセが一本一本の育ちとして複雑に組み合い絡め、歪みを混ぜながらも、一へと、モノフォニーへと、そしてーー

何かを同時に見ている眼となりました



一から十を知る

十から一を知る

その両極性

一は十を所有する必要がない
なぜなら、一に全てが含まれるから

十は一も所有しなければならない
なぜなら、十は一から成り立つから


漲るような想いが、わたしの命を活性化させました

連続する急カーブが終わり、急に、見通しのよい開けた直線が続きました。
隣の席に眼をやると、それは、褐色に乏しく、鎮まっていました。

わたしはバックミラー越しに振り返り、向こうの山にあった立ち昇る煙の先に視ていた車のシルエットも、鎮かに、消えて。
“眼”は、「未来」と「過去」を『現在』として、ただ、視るように成っていました。


 「苗木は、渡しましたよ
  あとは、頼みましたよ」


声だけが、わたしの内奥で響き、隣の席には、役目を終えた花が一輪


 

恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

そして、動き出す時間

恋した瞬間、世界が終わる 第7部 水に流れたと思っていた海には

安楽死 ココ・シャネル アリュール 地上の上 路上 ログアウト マニュアル ビートニク 恋した瞬間、世界が終わる

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第48話「物忘れな遠い声掛け」
  2. 第49話「明日になってから考えればいいこと」
  3. 第50話「道を駆け上がる」
  4. 第51話「私が欲しかった遺伝子」
  5. 第52話「煙の先、虹の色が落ちてきて」