「簪華(かんざしばな)のお噺(はなし)」

「簪華(かんざしばな)のお噺(はなし)」

よしの かい

簪華のお噺

「簪華(かんざしばな)のお噺(はなし)」

 
 善平長屋の造りは二軒ずつで、薄い板一枚隔てた隣の様子が見える様に伝わって来る。
日当たりも建て付けもあまり良くない部屋には絶えず隙間風が入り込み、秋口には昼間でも羽織る物が欲しくなる。
鶴瓶(つるべ)落としの瞬く間の黄昏れに、忙し気に狭い往来を行き交う足音を聞きながら、修太郎は黙々と傘貼りに勤(いそ)しんでいた。
どこからか、夕餉(ゆうげ)の味噌汁の匂いが漂って来る。
危うく鳴り掛けた腹の虫の音を、ぐいっと力任せに抑え、思わず苦笑した。
 幕藩体制の確立以降、禄(ろく)を失い仕官先にもあぶれた食い詰め浪人の数は増す一方で、様変わりするぐるりの予感は漠然とした不安を募らせる。
ふと作業の手を止め、行く末の身の振り方を思案し掛けた時とんとん、と隣室との間仕切り板が叩かれ、
「─大根の煮物が出来上がりました。召し上がりますか─」間もなく細く美しい声が籠(こも)り勝ちに聞こえて来た。
「お─ありがたい。では遠慮のう」
そう応えると程なく、表戸に訪(おとな)いが聞こえた。

 ゆきは、元宮大工の父親と二人暮らしをしている。
数年前、肺を患い寝込んでしまっている父親の看病をしながら針仕事をしてどうやら糊口(ここう)を凌(しの)いでいる。

「─いつも、こげなんばかりで─ごめんなさい─」申し訳なげにそう言い、下げる髪に簪(かんざし)が部屋の薄灯りに鼈甲(べっこう)色の微かな光を返している。
若くして病に倒れた母親の形見の簪を何よりも大切にしていた。
笑みを絶やさず弱音を見せぬ性格がいじらしく、可愛らしい片笑窪(かたえくぼ)が童顔を余計幼く見せた。
「─滅相もない。そなたの煮物は、実に美味い。いや、遠慮のう頂戴いたす」丁重に頭を下げ押しいただき、目線を上げると頭ひとつ眼下にまた可愛らしい笑窪を見つけた。
「─美味そうな匂いだ─」次いで掛けられた白布巾を上げ鼻をひくつかせて見せると、ゆきは今度は小さく声を立て笑った。

「─ところでな。─店賃の─その、─工面はついたのか─」思い切って懸念を問い掛けた。
自身も困窮していて、心配を声掛けしても何の役立ても出来ないことに引け目を感じながら訊かずには居られなかった。
ゆきは刹那(せつな)に表情を曇らせたが少しの間の後、
「─はい。大方は、─」と言葉少なに応え、また笑みを戻した。

つい三日前、大家が店賃の取り立てに来たのだ。
「善平」はその名には凡(およ)そ相応しくない傲慢(ごうまん)で欲深い質(たち)をしていて、僅(わず)かひと月の家賃の滞りにも不快感を露わに自ら請求に訪れる。
他にも家作を持ち、加えて居酒(いざけ)の店も兼ねていて、店にはしばしば呑みに来る役人どもに接しては露骨に媚びを売る。弱きを挫(くじ)くやり方には容赦が無く、過日ゆきの家を訪れ、店賃の催促の際の目に余る物言いには聞くに耐えかね、帯刀し乗り込んだくらいだ。
「─あたしにだって、女房子どもがおるんすちゃ。食い扶持を稼がにゃならん。道楽で住まわしてる訳じゃあねえんだ!」仕舞いにはそう捨て台詞を吐き、その場は引いたのだがまた性急に督促に来る筈だ。

『─はい。─大方は─』良く味の沁み込んだ大根を頬張り、薄汚れた細い支柱に立てかけた太刀(たち)を見つめ修太郎は眉間に皺を寄せた。
太刀は、かつて仕えていた豊前国小倉藩藩主小笠原忠幹(ただよし)より直々に頂戴した名刀「歌仙兼定(かせんかねさだ)」である。
室町時代の刀匠、兼定に依(よ)るもので名の由来は三十六歌仙にある。名高い武将であり初代藩主でもある細川忠興の得意とした居合いに向く実用性と、また茶人として美意識を兼ね備えた外装が歌仙拵(こしらえ)と呼ばれ忠興の創作拵の形式「肥後拵」としても有名である。

懐から巾着の紐を解き、中を数えると十文ほどの小銭しか入っていない。粗暴に戻し茶を啜り大きく溜息を吐くと、立ち上がり鞘を掴み太刀を抜き行燈(あんどん)の薄い灯りに翳(かざ)し、じっと刃先を見据え、
「─三月(みつき)分、か─」と呟いた。

「─いかほどのご用立てちょ─」質屋の主人が相好を崩さずに窺いを立てた。
「いや、一両と二朱でええのだ─ 」修太郎が言うと、
「お安い御用で」主人は即座にそう応え深々と頭を下げた。
店賃は月一分二朱。ゆきの家の遅れた三月分丁度の計算になる。

 陽が沈み冷え切った秋風に吹かれ下弦の月をぼんやり見上げ、金の入った巾着を懐手に触れ確かめながら不慣れな腰の軽さに戸惑い苦笑した。
不思議なことに武士の魂でもあり、自身の証しでもあると自負していた太刀を質入れしたことへの罪悪感や後悔はなかった。
「─ふうむ─こげなんか─」僅かばかりの銀子(ぎんす)になり果てた自らの自尊心を愚かしく滑稽にも感じ、思わずそう呟いていた。同時に、
『─戰(いくさ)の世は終わりじゃ。よいか、これからは学術に秀でた者が国を治むる─』節くれだった太い指で盃をつまむ様に酒を呑みながら言っていた今は亡き父親の言葉を思い返していた。
儒学については多少の学びはあったが、倫理や道徳心、忠誠心や礼節に触れることが果たして行く末の立身に繋がるのだろうか─。しかし、泰平の世。現実に戰が無くなり刀剣の天下は確かに変革の兆しを余儀なくされていると感じる。
太刀に代わり得るべきものとは如何なるものか─。

 隠刀流「秘剣闇鷹」は、その名の通り太刀を隠す。詰まり太刀筋を見せず、確実に相手の急所を突く秘剣である。
実践の中での習得を旨とし、故に修太郎自身、幾度も致命的な深傷(ふかで)を負った。
「兼定」は在藩の折、御前試合にて勝ち抜き譲り受けたものだが、その際にも闇鷹は披露していない。秘剣は修行の際より門外不出を誓約されたものであるからだ。
『─この眼で是非とも確かめたいものだのう。お主の秘剣、とやらを─』兼定を授けながら藩主忠幹がそう言い、目を細めていた。
 
「─修太郎様─遅うございましたね。今晩は、阿羅(あら)を煮つけました。お召し上がりになられますか─」一旦家に入り、改めて訪いを入れようと考えていた時、ゆきの声が聞こえた。
「─おう。ええ匂いだ。魚は久しぶりだ。ええのか、馳走になってん」そう言いながら懐から巾着を取り出し掛けた時ふと、ゆきの髪に簪が無いことに気づいた。
「─簪は、─どげんした─」そう問うと、ゆきは瞬時に顔を俯け少しの間の後、
「─あ、─置いて─きたです─」そう応え皿ごとを押しつける様にして頭を下げ、踵(きびす)を返した。

翌朝、井戸端で水汲みをしているゆきを遠目に見たが、やはり髪に光る物は無かった。他に人が居ないことを確かめ、
「─ゆき」襷(たすき)を掛け桶から槃(たらい)に水を移している小さな背中に声を掛けると、修太郎は昨夜渡しそびれた巾着ごとを差し出した。
「─あ、おはようございます。修太郎様─こりゃあ─?」小首を傾げ、いつもの笑みを返した手許に指を伸ばし包み込む様に巾着を握らせると、ゆきは驚いた眼差しでこちらを見上げた。
初めて触れた彼女の手は荒れていた。日々、欠かすことの出来ぬ水仕事で手の甲までがさついていた。柔らかな白い肌が憐(あわ)れに思えた。
「─昨夜も馳走になった。実に美味かった。─遣うてくれ─」声を顰(ひそ)め、口早にそれだけ言うと背を向けた。

「─修太郎様、─ありがとうございます─助けられました。有難さが─言葉に─なりません─このご恩は─生涯─」その日の晩遅い時間に、戸板の向こうでか細い籠り声が聞こえた。
ゆきは泣いていた。
修太郎はじっと息を殺し、寝たふりをしながら目を細め応えずにいた。

朝から降り出した雨は幸いだった。
阿弥陀に傘を差しながら歩けば、顔を隠せる。
途中、植え込みの南天の実を啄(ついば)むメジロの番(つが)いを見つけた。
滴り落ちる冷たい雫を青草色の可愛らしい背に弾いている。
『─裏切らず、裏切らず。ただ寄り添い生涯を共にする─わしら夫婦(めおと)も、仕舞いまでかくありたいものだのう─』そう言い、妻である母を振り返り笑っていた父を思い出す。

 関ヶ原の戰での西軍の敗戦は、間も無く容赦のない懲罰を敗者に課した。
粛正と称した領地の没収、禄を取り上げ果ては実に数多(あまた)の浪人を作り出した。
与(くみ)していた小倉藩も勿論例外ではなく、ほとんどの家が憂き目に遭った。
右筆(うひつ)の任に就いていた修太郎の父、玄右衛門もかなりの禄を削られ領地も減らされたが剣術の腕に思い立ち、剣道場を設け何とか難を軽減出来た。
修太郎も幼い頃より指南を受け、また受け継いだ資質もあり件(くだん)の奥義を授けられるまでに熟達した。
しかし役位にあった玄右衛門と母親の逝去と時を同じくして、藩の財政の更なる逼迫に拠り、登城間も無くの修太郎も脱藩の選択肢を甘受せざるを得なくなった。

 ゆきの簪の行方を質屋に見当をつけ、知る限りの質屋を廻るつもりでいた。
途中、番屋にも立ち寄り確かめたところ界隈では四軒の質屋があると云う。大方の場所を訊き二軒を訪ね、次に向かう途中、何やら往来に人集(だか)りを見つけた。
「─ええいっ!勘弁できんっ!」林立する傘の間を縫う様にして激昂した声の方に向かうと、一人の武士が町人を見下ろして仁王立ちしている。
「─真に申し訳ござらん。しかし、故意にではござらんのです─平に、ご容赦を─」消え入りそうに詫びる町人は、ぬかるんだ地べたに土下座をしその身体は慄(おのの)き震えていた。
「ならんっ!そこに直れっ!」武士が鬼の形相をして柄(つか)に手を掛けたと同時に、修太郎が前に出た。

「─口出しをすなっ!」目を吊り上げ頬を紅潮させ、武士が修太郎に向き合った。どうやら同年輩くらいに見えるが身繕いから在藩の者と思われた。
「─雨降りだ。見れ。下もこげんぬかるんでおるではないか。傘を差しながら歩きゃあ、前に不注意にもなる。躓いたんや。お主の鞘に庇(ひさし)を当ててしもうた詫びはほれ、こうして重々しちょるではなかか─」何とか諌(いさ)めるべく、半ば笑みを造り穏やかな口調で語りかけているが、武士の憤りは収まる気配がなかった。わなわな口元を震わせている。
「─許しちゃれ」もう一度そう言った次の瞬間、
「─ええいっ!黙らっしゃい!帯刀もせん貧乏浪人などに諭される言われなどないわっ─!」そう一喝し差していた傘を投げた。不穏を察し修太郎も傘を畳んだ時、武士は太刀を抜くと、力任せに修太郎目掛け振り下ろした。
一の太刀を躱(かわす)─
秘剣闇鷹の極意だ。体(たい)が自然に反応し、瞬時に武士の柄を握る手を払い捻り、太刀を取り上げ横一閃(いっせん)刃先を返した。
武士の髷(まげ)が落ち、固唾を飲み事の顛末(てんまつ)を見守っていた衆から響(どよ)めきが上がった。俄かに滑稽な武士の様相に含み嗤(わら)いをする者もいた。斬ばらに割れた髪の垂れた額から滴る雨の雫が口元にまで流れる様子が悲壮に見えた。
緊張した静寂の中、一層激しさを増した雨がたくさんの傘とぬかるんだ地べたを打つ音が響いていた。暫くの間の後、
「─あ、いや─すまぬ。手を誤った─いや、許せ─」蒼白に膝をついた武士の手に太刀を戻し握らせると、修太郎は詫びを繰り返し深く頭を垂れた。

四軒の質屋を回ったのだが、とうとう簪の行き方は掴めなかった。
「─質屋でないとすると、一体何処へ─」思わずそう呟いたが、それ以上の思案は及ばなかった。率直に経緯を訊いてみようと、ゆきの家の戸口に立った時、奥から激しい咳き込みが聞こえ次いで、
『─大丈夫?おとっつぁん─ゆっくりちゃ、ゆっくり息をして─』懸命に看病をしている様子の不安げな声が聞こえて来、訪いの手を止め傘を畳んだ。

 翌日は朝から晴れ渡っていた。
高い蒼天に鳶(とび)が輪を描いている。
いつも通り井戸で水汲みをしている女たちに混じり、ゆきの姿があった。
何かを談笑しては賑やかに作業に没収している。男一人がその中に紛れることは流石に躊躇(ためらわ)れた。
長屋の住人達は皆気さくで、飾りが無い。
殊(こと)に女たちは逞しさをその体(てい)から滲ませていて、元は武士である修太郎に対しても軽口を掛けては無遠慮に笑う。
そんな気取りの無い人間関係が、浪人に落ちぶれ鬱屈した気持ちを自然に癒してくれるのだった。
「─出直す、か」背を向け、井戸端の輪を後目(しりめ)に一度家に入るとふと、改めて番屋に出掛けることを思いついた。
ゆきは人目を忍び界隈の店に質入れすることを躊躇い、隣町にまで足を運んだのやも知れぬ。

番屋に行く途中、一人の娘とすれ違った。
歳格好がゆきと同じくらいだと思われる。すれ違い様、その髪にある簪に気づいた。
ゆきの物と良く似ている。
「─あ、あの─」訊ねたいことがある、と話し掛けると立ち止まり訝(いぶかし)げに修太郎に向き合った。

 昨日訪れた三軒目の質屋の主人は頬の辺りを引き攣らせていた。
簪は美しい鼈甲(べっこう)に丁寧に華に小さな布を織り合わせてあり、透し彫りに丹念な模様、螺鈿(らでん)の細工までが細部に渡り見事に施されていた。
「─見事な造りよのう。気に入るも致し方あるまい。─時に、持ち込んだ女子には、幾ら用立てしたのだ─」半ば詰問口調の問い掛けに、 
「─あ、いや、─に、二朱にござります─」主人が言葉をつかえさせながらそう応えた。
「─ほう─女子(おなご)と見受け、足元を見おったか」不機嫌に眉間に皺を寄せ重ねてそう詰め寄ると、
「め、滅相もご、ござらん─」主人はそう返し、三つ指をついて頭を深く下げた。
主人は簪を相当気に入ったのだろう。
貧しい身なりのゆきには質出しすることも儘(まま)ならぬであろうと高を括(くく)り、持ち主に断りも無く愛娘に付けさせていたのだ。
昨日、修太郎にも簪などの質草には憶えがない、と嘘をついていた。
「─直ぐに戻る故、そのまま待っておれ」咎(とが)める目線を厳しく配ると、過日兼定を入れた質屋に急いだ。
立ち寄ると二朱の貸し増しを申し出、先刻の質屋に取って帰り簪を質出しした。
「─よいか。弱きを挫(くじ)くではない。嘘はお主の方便として、流しちゃる。だがな─次は、許さぬ─」語尾に憤りを込めそう言うと、主人は三度平身低頭し声を震わせて詫びた。

 帰路を町外れの野を通る近道に選んだことが災いした。
陽は既に暮れなずみ、冷ややかな風が頬を撫でつけたが、懐にしまい込んだ簪が、気持ちを弾ませていた。
可愛らしい片笑窪が目に浮かぶ。囀(さえず)る小鳥の様な、しかし控え目な笑い声が耳に蘇る。
「─ゆき」思わず口の中でそう呟いた時、左の脇腹に鈍い痛みが走った。
「─お、思い知るがええっ─!」憶えのある声が背後に聞こえた。脇腹を抑えた指の間から、夥(おびただ)しい血が溢れ流れ出しているのが判った。深く抉(えぐ)られた痛みに声が出せずにいた。蹲(うずくま)りやっと顔だけ振り返ると、一昨日髷を落とされた武士が仁王立ちに修太郎を見下ろしていた。
肩で息をしているが、嗤っていた。
鬼の形相が笑みを浮かべている。
「恥をかかせおって─苦しみ、のたれ死ぬがええ─」鬼は絞り出す様な声を吐き捨てると、足早に立ち去って行った。

夜半の野原に、人影は無かった。
火事があったのだろう。遠くから半鐘を叩く音が聞こえて来る。
「─親父、殿、─やは、り仕舞い─がええ、のう─戰は─諍、いは─ 仕舞、いが─」やっとそう言うと次第に混濁する意識の中、その耳に鳥の鳴き声が聞こえた。
「─目白(めじろ)、か─ゆき─お前、とあのような─番い、にな─りたか─った─」修太郎は笑みを浮かべた。
満点の星空が、幻覚が故かいつしか晴れ渡る蒼空に見えて来た。
生まれて初めて、空を見上げた気がした。
「─前ばかり─見据え─生き─て来た─のう─な、─何を─求め─て、きた─の、か─ゆき─もっと─も─っと─そ、なたに─寄り添─うて、と─もに生きた─かっ、─た─す、─す─ま、ん─」息絶え絶えにそう言うと懐から簪を取り出し、きつく握り締めながら事切れた─。

一向に気配の無い修太郎の家の様子に、ゆきは落ち着かずにいた。
腕によりを掛けた阿羅の煮つけに布巾を掛け、外の様子を窺いながら薄闇の中、修太郎の帰宅を待ち侘びていた。
ふと見上げた時、星が一つ流れた。

翌早朝、まんじりともせぬ耳に行き倒れの風聞が届けられた。
咄嗟(とっさ)に良くない勘が衝き上げ、人々の脚を追うと芒(すすき)の生い繁る原に仰向けに倒れているのは、確かに修太郎だった。
人垣を分けながら近づくと、ゆきは膝から崩れ落ちた。
「─知り合いかい。可哀想に、なあ─」十手持ちが宥める様に声を落とした。
右の手に握りしめた母の形見である簪を見た時瞬時に、ゆきの脳裡に一連の出来事が見えた気がした。
「─うちの─うちなんかの─ために ─」声を震わせて亡骸(むくろ)にしがみついた時、
「─馳走になったな。大根も、阿羅も─美味かったぞ─」そう言う修太郎の穏やかな声が聞こえた気がした。

「─何だかよ、簪が取れんのや。指が、離れやせん─」検分をしていた男が声を上げた。しかし、
「─修太郎、さん─」ゆきがそう声を掛けその指に触れると、簪がぽとり、と外れた。

堪らずに、声を上げて泣いた。
大粒の涙が止まらなかった。
深い悲しみが蒼天に響き渡り、ひしがれた様に何人(なんぴと)も声を掛けることが出来なかった。

三日三晩泣き明かしたゆきの涙が、修太郎の倒れた原に華を咲かせた。
純白の花びらに、陽の色の花芯が美しい簪の様な華だった。

簪華が揺れる時、風の音に紛れゆきの嗚咽が聞こえると云う─



「簪華のお噺」

       ─了─



泣かないで

もう

泣かないで

ほら

簪(かんざし)を

さして
あげる

栗色の

その
髪に

似合うよ

お陽様が
分けて
くれた

陽の
橙(だいだい)と

雲の
白を
合わせて
飾れば

きっと

滲んだ
涙を

誤魔化して
くれる

遠い

心を
遺(のこ)した
戦人(いくさびと)が

今際(いまわ)に
込めた

この

恋の
華を

いつも

淋しげな

佇まいが

似たもの
同士の

掌に
一輪

よかった
やっと

微笑んで
くれた

かんざし華も

僕と
同じに

君に
寄り添い

ちょっぴり

はにかんだ
みたいに

やっと

笑った─

「簪華(かんざしばな)のお噺(はなし)」

「簪華(かんざしばな)のお噺(はなし)」

  • 小説
  • 短編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-08

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