タイガーバウムクーヘン

 この真冬に風鈴、それもまた風情があって、一興一興、とふざけて笑っていた吉田さんが、風邪をこじらせて入院していたことが判明して、風鈴が風情があっていいなどとほざいていたのをふと思い出して、吹き出し、ヤカンに入った熱湯の蒸気が指にかかり、あっつ、と声にならない悲鳴をあげて、ふと我に帰ると、言われたままで、全然片付けていなかったのを思い出して、縁起でもないから片付けようと決心した。

 不意に。無計画に。大体、後先考えずにこんなことをしているから、ろくな目に合わない。

 僕も真冬に風鈴のことを馬鹿にしているから、ロクな目に合わないんだろうなぁ、とバルコニーに向かう途中で、もうすでに、チリンチリンと音がする。

 縁起でもない。不吉だ。だから僕の人生はこんななんだと、全部風鈴のせいにして、物干し竿の脇に引っかかった水色の風鈴を見上げる。

 全体的に水色の風鈴は、筆で書いたように濃い青の部分があって、光るラメみたいなものが全体に散りばめられている。
 太陽の光を反射して、地球みたいに青く輝いていた。
 
 また冷たい突風が、突き刺すように吹き付ける。季節外れの風鈴が、大きく揺れて、クラゲのようにゆらゆらと揺れる。

 
 
 「傾いてるよ、この家」
 吉田さんといえば、この間、うちに来たときにそんなことを言っていた。床に転がったペットボトルが、自然にころころと転がっていって、テーブルの足に引っかかって止まったのをみていた吉田さんが、少し笑いながら言っていた。
 「傾いていたら住めないなんてこともないでしょう?」
 「いや別に気にならないならいいんだけれど、縁起でもないよこんなの」
 幽霊屋敷じゃあるまいし。
 「そんなこと言ったって、もうお金も払っちゃったし、引っ越すお金もないし」
 


 お金払う前に気付けよそこはー、と二人して笑ったのを思い出す。
 優しい人だったな。ああ、また。縁起でもない。死んでないのに。

 僕はそういう細かいところに気づくの苦手だったから、傾いた家に住み、風鈴も片付け忘れ、不幸が続き、その阿鼻叫喚の様を他人様に見られて笑われ、笑われた最初の頃は生意気にもセンチな気持ちになっていたが、今になってはもはや笑われてナンボ、存在するだけで笑いが取れる、いいポジションだと妙に納得して、がむしゃらにやっている、それもまた一興。
 納得している場合でもない。


 近所の人に、こんな風鈴一つ片付けるのも億劫がる生臭野郎なのだと思われる。まぁ、そんなに間違ってもいない。間違っていなくもない。
 本当に臭いのかもしれない。臭くないのかもしれない。加齢臭、抜け毛、笑い事でもなく、かなり深刻な問題、生臭って、そういう意味でもない、訳のわからないこと、ウダウダ考えていると風鈴が、僕の手から、ツルッと滑って、真っ白いセメントの上に、真っ逆さまに、落ちていく。

 冗談じゃない、と慌てて下の手で受けようと反射的に動いたけれど、遅かった。
 氷の塊みたいな風鈴は、悲鳴みたいに甲高い音を響かせて、ガシャンと割れた。

 口を真四角に開けてしばらく呆然としていると、阪神タイガースの帽子を被った近所のおばさんが、情なく佇んでいる僕に、ひんやりした声で、回覧板ですと一言、その回覧板が入ったレジ袋を突っ張り出してきた。
 
 「あら、大掃除?」
 レジ袋を受け取って、しばらく呆然としていた僕は、なんて答えればいいのかわからず、まさか友人が、とか、生臭野郎が、とか、加齢臭が、とか、今まで考えていたことが、濁流みたいに押し寄せてきて、全部説明するのもめんどくさくなったから、ええ、と答えて、おばさんも、ああそう、と言って帰っていく。

 この世の中で起こる、大半のことは大嫌いだけれど、青く静かに光る風鈴の残骸を、おっかなびっくり片づけるこの両手だけは、何となく好きなのかなぁと思いながら、真夏のプールの底みたいな破片を一つ一つ掬い上げる。
 やろうとすれば、時間も巻き戻せるし、誰も行ったことのない未来にだって、その気になれば行けてしまう、この両手が好き。青く光る破片を拾い上げるこの無様な手が好き。
 訳がわからん。

 
 と思ったところで、チクッと破片が突き刺さって、クラゲの毒針が身体の中に侵入してきたみたいに、僕はみるみる萎んで、一つの水溜まりになっていた。
 そこには太陽と、青空が一瞬曇りもなく写って、また北風が強く吹いたと思うと、みるみる蒸発して、跡形もなく消えた。

タイガーバウムクーヘン

タイガーバウムクーヘン

寅年とかけて、風鈴とときます。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-01-03

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