獣の国から来た教師

一時間目

「あり得なーいー」
 言う。
 言ってしまう。
「だってー」
 聞かれたわけでもないのに、言いわけが口をつく。
「あれだよー」
 あれ――
「花房先生のこと?」
「そのこと!」
 言う。声を強めて。
「メク」
 名前を呼ばれる。これから言いわけの本番に入ろうっていうところで。
「やめときな」
 ちうちうと。チルドパックのコーヒーを吸いながら、
「消されるよ」
「ぶっ!」
 前のめる。
「やっぱり!?」
「っていう噂」
「噂かよ!」
 そう、その『噂』だ。
「ヤッコ」
 真剣な顔で、
「あなたは神を信じますか?」
「………………」
 ヤッコは言った。
「信じる信じない以前に存在する」
「おお!」
 断言された。
「マジかよ!」
「マジだ」
「すごいことを言われた!」
「別にすごくない」
 いつものようにすました顔で、
「どうしても『人間』では説明がつかない」
「ん?」
「たとえば」
 ビシッ!
「うおっ」
 パックに刺さったストローを突きつけられ、ワタシは思わず手をあげる。
「や、やめてくれよー。ワタシが何したってんだよー」
「メクは」
 あわてるワタシに構わず平然と、
「いまとっさにどう感じた?」
「感じたよー」
 感じたに決まってる。
「刺されるってさー」
「刺されるのはイヤ?」
「イヤだよー。痛いしさー」
「痛いのはイヤ?」
「いつまで続くのこのやり取り!?」
「それは」
 言う。
「人間だね」
「んー……ん?」
「『人間』で説明ができる」
 言う。
「だけど」
 ヤッコはパックからつまみ取ったストローを、
「おお!?」
 あーん、と開けた口の中に放りこもうと。
「なんでさ!」
「説明ができない」
「……!?」
「まー、正確には『メクを驚かせるため』とか説明できちゃうんだけど」
「驚かせないでよー。ストローをくわえる人はいても、常食する人なんていないよー」
「そう。いない」
 不意に。また真剣な目で、
「けど、正確にはいるかもしれない」
「おおお!?」
「事実、ゴムを食べたり石油を飲んだり、そういう嗜好の持ち主はいるから」
「い、いるんだ」
「いる」
 自分の頭を指さし、
「そういう風に、脳の回路がちょっと他の人と変わっちっゃてる」
「それが『人間で説明できない』ってこと?」
「ちょっと違う」
 何なんだよ、もう!
「お賽銭ってあるでしょ」
「おっ」
 話変わった!
「あるよー。ありますねー、お賽銭」
「あれって」
 軽く人差し指をふり、
「何のためにある?」
 おっ……お?
「何のためにって」
 いや、ちゃんと考えたこととかないけど。
「お礼参り?」
「いろんな意味で意味が違う」
「違ったかー。惜しいっ」
 パスッ。
「指、鳴ってないって」
「アメリカ人っぽいでしょ」
「コメントはひかえておく」
 ひかえられたー。
「まあ、ダイナマイツとはほど遠いボディだな」
 って、されたー。
「一般的日本人感覚では? そのボディと同じように」
 そう、一般的! 一般的なんだよ、これが。
「まあ、神社とかにお参りしてー」
「うんうん」
「そのときにお賽銭を出す?」
「何のために」
 何のためにと来たかー。
「普通、しない?」
「普通はする」
「だよねー。お参りとお賽銭はセットだよねー。お参りしてお賽銭出さないなんてずうずうしいことできないよねー」
「なんで、ずうずうしい?」
 く、くそー。隙を見逃さないな。
「だって、そういうものだし」
「そういうもの?」
 くそー。
「お願い事するのにタダってわけにいかないでしょ」
「お願いごと」
 ポンと手をたたく。なんか、おじいちゃんくさいなー。
「そうかそうかー」
 うなずく。
 って何にうなずいてるんだよ!
「メクは」
 指をさされ、
「何かをお願いするために神社に行くのか」
「ど……」
 どうしてそういうことになるかなー。
「確かに、確かに」
 あぜんとなるこちらに構わず、
「そうやって神仏にお預けするというのは人間の知恵だな」
「おあずけ?」
 餌をもらえないワンコか。
「そういうことなのだ」
 どういうことなのだ?
「願い事に多いのは、病の平癒に関してだ」
「んー……うん」
 それは、まあ、わかる。
「事実、いくらでもある。目の病を癒してくれる、歯の病を癒してくれる」
「それは」
 あるんだろう。あんまり詳しくないけど。
 なんか、お地蔵様をなでると、その部分が良くなる――みたいな。
「まあ、わらをもつかむというやつだな」
 だろうけど。
「それでいいのだ」
 いいのか?
「お預けするというのは、結局、治っても治らなくてもどちらでもいいということになる」
「ん……んん?」
 どういうことだ。
「だって、神様のすることだし」
 肩をすくめて。
「だったら、どうなるか人間がわかるわけがないよ」
「えーと………えー」
 それって。
「詐欺じゃないの?」
「とんでもない」
 心外だという顔で、
「絶対に治すなんて言ってない」
「んー」
「それこそ人間相手にそんな約束なんてしないよ。神様なんだし」
「えーと」
 それって、なんなんだかなあ。
「詐欺……じゃないの、やっぱり」
「だますつもりはないんだ」
 きっぱりと。
「ないんだ」
 いや、二度言われても。
「治ったって別にいい」
「ええっ!?」
「そういうことなんだ」
 どういうことなんだ!
「『別にいい』って」
「別にいい」
 くり返す。
「そういうのをまかせちゃうんだよ」
「えっ」
 まかせちゃう?
「お預けしちゃう……ってこと?」
「然り」
 いやいや『然り』って。女子中学生のセリフじゃないよー。
「預けてしまえば、そのあとどうなるかは神様におまかせだろう」
 それは、そう……なるのかな。
「それで人は救われたんだ」
 そうなるの? そうなっちゃうの?
「どうにもならない」
 ならないのか!
「それでも、どうにかしようとしてしまうのが人間」
「あー……うん」
 それは、わかる。
「いろいろあやしい民間信仰はあるだろう」
「あやしいっていうか、まあ、あるけど」
 梅干しをこめかみに貼る、だっけ? まあ、そんなの。
「まさに、どうにかしたいという心の表れだね」
 それは――きっとそうなのだろう。
「えーと」
 ワタシは、
「あれ? それで何の話してたんだっけ」
「あー」
 ヤッコもうっかりしていたという顔で、
「何の話をしていたんだろう」
「おい」
 夢遊病者か! って、ワタシもだけど。
「待て待て。一から追って思い出そう」
「ラジャー」
 いやいや『ラジャー』って、ワタシも。
「わたしたちはいまどこにいるんだろう」
 そこからか! 記憶喪失か!
「部室です」
 思わず丁寧口調になる。
 部室――
 正確に言うと専用の部室なんてワタシたちにないんだけど、放課後のこの時間はそういうことになっている。
「いや待て」
 なに、その気取った言い方とポーズ。
「それは正確ではない」
 うん、正確じゃない。
「正確には、わたしたちは『部』ではないから『部室』とは言わない」
 そっちかー。
「なに、その『惜しかった』みたいな顔」
「惜しかったし」
「惜しくない」
 言う。
「さすがに二人だけで部を名乗るのはね」
「!」
 そこでワタシははっとなる。
「思い出したよ!」
「今朝の献立?」
「なんでいまここで朝ご飯の内容を思い出さないといけないの!」
「ボケ防止に」
「まだ高齢じゃないよ! JCだよ!」
「ジャンプ・コミックス?」
「単行本化してないよ!」
「にしても『JC』って」
 う……ちょっとアレな言い方だったか。
「って、そんなことはともかく!」
 強引に、
「ワタシが言いたいのは」
 ガラガラガラッ。
「!」
 固まった。
「……おう」
 困ったように。その大きな男の人は頬をかいて、
「ノックはしたぞ」
 ワタシは、
「えーと、その、あの、えーと」
 ヤッコを見る。
「してたね」
 気づいたら言ってくれよ、おーい。
「音が小さかったようだな」
「いえいえいえ!」
 思いっきり首を横にふってしまう。
 大きい――っていうか巨大すぎて壁にしか見えないようなそんな迫力に恐れおののいたっていうのもあるけど、その身体に釣り合ったゴツい手でまともにノックなんてされたら、それこそ薄い扉なんて粉砕されてしまって。
「おい」
「!」
 またも固まる。
「……むぅ」
 困ったように。頬をかかれる。
 やー、そういう仕草は、思わずちょっと愛らしいとか思っちゃうんだけど。芸をする熊みたいなカンジで。
「あー」
 何かを自分の中で確かめるように。意味のない声をもらして、
「ここは、その」
 言う。
「手芸部、でいいんだな」
「違います」
 おお!?
 びっくりしてしまう。
 てゆーか、この巨大な人を相手にぜんぜんビビってないよ、ヤッコ!
 ヤッコはワタシと同じで巨大じゃないのに。
 普通なのに。
 まー、胸とかはちょっとダイナマイツだけど。
「正確には、手芸同好会です」
「ふむ」
 何が『ふむ』なのかわからないけど、納得したみたいで。
(納得……)
 そうだよ、納得できてないんだよ!
 こっちが!
「あ、あのっ」
 思わず。
「ワタシからもいいですか!」
「む……」
 困ったように。
 いや、そういう反応とか気にしてる余裕なんてなくて、
「先生は!」
 そう、この人は先生だ。
 そして、
「顧問であることを誓いますか!」
 ガターン! お約束のように椅子ごとひっくり返ってくれるヤッコ。
「いやいやいや」
 立ち上がってツッコミも入れてくれる。
 サンキュー。
「顧問って、誓うものじゃないから」
「どうするもの!?」
「普通は、まあ……押しつけられる?」
「そうなんですか!」
 アタシに見られて、
「………………」
 またも頬をかかれる。
「俺は」
 口を開く。
「花房樹央(はなぶさ・じゅお)だ」
 知ってる! 有名だし。
 とにかく目立つ。
 大きいから。
 と、その大きな身体がワタシたちに向き直る。
「う……」
 深々と。頭を下げられる。
 九十度くらい?
 普通だったら礼儀正しいとか思うんだろうけど、相手は先生だし、何より大きいから圧迫感のほうが。
「よろしく頼む」
 よろしく頼まれたよ、おい。
「今日からここの……手芸部の顧問になる花房樹央だ」
「だ……」
 だから、それがおかしいんだって!
「あ、同好会だったな」
「そんな細かいことはどうでもよくてーっ!」

二時間目

 どうでもよくはなかった。
 少なくとも、先生にとっては。
「穂乃上芽久(ほのうえ・めく)」
「あ、はいっ」
 ぴしっと。
 思わず起立して気をつけしてしまう。
「う……」
 見られてる、見られてる。
 え、何これ、風紀委員のチェック?
「よし」
 何が『よし』なんだよー。
 どっと脱力して椅子に座りこんでしまう。
「冷泉柳(れいぜい・やな)」
「うす」
 なぜに体育系男子風!?
「ふむ」
 って、なんか納得したみたいにうなずいてるし! いやいや、ヤッコが男の子っぽいとかぜんぜんないよ、普通に中学生女子で。
 普通――かどうかは微妙なとこあるけど。
「おい」
 パチッ。
「あ痛っ」
 おでこを指ではじかれる。
「いま何か失礼なことを考えていたろう」
 エスパーか!
「それはよくないな」
 うわっ、先生にいきなり悪印象! けど、誤解とも言い切れないし。
「ご、ごめんなさい」
 あやまるしかない。
「よろしい」
 だから、なんでそんなに偉そうなんだって。
「ふむ」
 またも納得したようにうなずかれる。
 ど、どういう納得のされ方をしてるんだろう、いま。
「以上、でいいんだな」
「へ?」
 思わず間の抜けた声が。
「以上と聞いているが」
 あの『以上』って? 『異常』ならわかるけど――ヤッコが。
「おい」
 パチンッ。
「あ痛っ」
「だから、失礼なことを考えない」
 本当にエスパーか!
「ふむ」
 またも何かを納得された!
「では」
 と、そこで困ったように目が泳ぎ、
「ふむ……」
 何か考えこむように腕を組まれる。いや、大柄な男の人にそうやって黙られると結構怖かったりするんだけど。
「難しいな」
 む、難しいですか! 難しい顔でそんなことを言われても。
「素人だ」
「へ?」
「俺が」
 隠したりはしない。そんな堂々とした態度で、
「手芸に関して」
「………………」
 ワタシは、
「し、しゅげー」
 ああっ、なにダジャレで場をごまかそうとしてるんだぁっ!
「?」
 しかも、先生に首をひねられた! 通じてない!
「うちの子がすいません」
 って、なんでヤッコがあやまってるの! まるで、万引きした子どもの親みたいに!
「ちょっと、この子、テンションがおかしくなってて」
 それは認める。
「ふむ」
 うなずかれた! 納得したように。
「ところで」
 流された!
「手芸というのは」
 おっ、ようやく顧問らしいことを、
「なんだ?」
 がくぅぅっ!
「すいません、うちの子が」
「いやいや、いまのはガクッてなるでしょ!?」
「なるのか」
 そうだよ、『なるのか』だよ!
「ハッ!」
 いやいや、きっと違うよ。
 これは――ものすごく深い意味なんだよ。
 手芸とは何か。
 うん、なんか深いし!
「ですよね!」
「………………」
 沈黙。そこに若干の困惑をふくんだ。
「えーと」
 は、外したー。
 ってことはホントに手芸を知らないってこと!? えええっ!
 顧問なのに!
 大きいのに! ってそこは関係ないけど。
「すまない」
 あやまられた!
 って、ずっと感じてたけど、この人ぜんぜん腰が低いよ。
 先生なのに。大きいのに。
 いや、見た目は堂々としてて、おどおどしてるとかはないんだけど。その一方で、無駄にいばったり偉ぶったりするところもない。
 いまだって、あっさり『手芸のことはわからない』って言っちゃってるし。
「……って」
 やっぱり、それは問題だよ!
「どうする、ヤッコ!?」
「教育」
「ええっ!」
 教育!? 先生たる先生を生徒たるワタシたちが!
「な、なんかそそる」
「………………」
 思いっきり冷えた眼差しをワタシに向けたあと、
「すいません、うちの子が」
 またあやまられてる! 三度目だし!
「で、でも、そうでしょ!?」
「確かに、この筋骨隆々とした男性教師をわたしたちの手で思うままに調教できると考えるとそそるものが」
「そんな黒いこと考えてないから!」
 調教とかじゃなくて!
「手芸のことを教えるってこと! でしょ!」
「そうか」
 うなずいたのは先生で、
「よろしく頼む」
 またも頭を下げられた!
「よ、よろしく頼まれる」
 ってなに言ってんだ、ワタシも!
「えーと」
 もういまのこの状況がどういう状況なのかわからなくなってきた。
「つまり」
 おっ、まとめてくれるか、ヤッコ女史!
「すいません、うちの子が」
「もういいよ、あやまらなくて!」
 ワタシが悪いって方向に持っていかないでーーっ!
「ふむ」
 またしても何か納得された!
「教えてくれる、ということでいいんだな」
「へ?」
 あ……そういうことになってるのか。
「オ、オーケーです」
 どう『OK』なのかはわからないけど。
「では、さっそく」
 前に出るヤッコ。
「手芸とは何かキミにわかるかね」
 なんで、いきなりすごい上から目線!? なんで、伝統芸能の巨匠風!?
「う……」
 先生、ひるんで、
「わ、わからない」
「愚か者めがーっ!」
 ビシッと。
「そんなことでは一生かけても手芸を極めることなどできんわ!」
 いや、極めるつもりも必要もないんじゃない、先生に。
「破門じゃ」
 破門! いきなり!?
 ていうか、どこに顧問を破門しちゃう部があるの!?
 韻は踏んでるけど!
「わ……わかった」
 納得してるし! 落ちこみながら!
「よろしい」
 何が!?
「おぬしの覚悟は見せてもらった」
 どこをどう見たの!?
「合格じゃ」
 何に!?
「おぬしに認可状を授ける」
 ないよ、そんなもの!
「免許皆伝じゃ」
 ないって!
「そ、そうか」
 なんか、ちょっぴりよろこんでるし!
「いやいやいやいや!」
 さすがにツッコミを入れてしまう。
「何も皆伝されてないし! 何一つ教わってないし!」
「おおっ」
 言われてみれば、という顔になる先生。
 言われる前に気づいてよ。
(……でも)
 緊張、してるのかな。
 わからなくはない。
 見た目大きいけど、まだ新人先生なカンジするし。
 こうして部屋で女子中学生二人と向き合ってるのって、男性教師的には緊張するものなのかもしれない。
「……とにかく」
 それでもすこしは先生の威厳を出そうとしてか軽くせき払いして、
「俺は顧問だ」
「は、はい」
 それは最初に、いやいまもかなり信じられないって思ってることなんだけど。
「できる限りのことはする」
 深々と。またも頭を下げられ、
「よろしく頼む」
「………………」
 何も言えないワタシ。そのそばで、
「よろしくお願いします」
「おい!」
 いままでの異常なやり取りが何もなかったかのような普通のあいさつにさすがに声をあげてしまう。
「い、いいの?」
「『いいの』とは?」
「だって」
 だって――
 子犬がこちらを見つめるように。や、そこまでかわいいとはさすがに言えないけど、でもそんな目でこちらを見ている先生。
 ど、どうしろっていうんだって。
「わ……」
 ワタシは、
「わかりましたっ」
 言っちゃっていた。

三時間目

「謎なんだよ」
 言った。
「だよね」
「………………」
 ヤッコは、
「報告だな」
「え?」
「メクが」
 冷たい目で、
「顧問に対し明確な反意を抱いていると」
「い、抱いてないって!」
 なんでそうなる!
「では、受け入れると」
「う……」
 そう決めつけられてしまうのも。
「反意」
「違うって!」
 ち、違う! 違うということにして、
「叛意とかじゃなくて!」
「逆心」
「そうでもなくて!」
 難しい言葉知ってるなー。
「花房先生だよ!」
「花房顧問か」
 や、顧問は顧問だけど、そういう風に言われるとなんか会社の偉い人みたいだな。
「その顧問が!」
 あえて乗って、
「このままでいいと思う?」
「よくない」
 おお! 思いがけず頼もしい言葉。
「花房顧問には」
 花房顧問には?
「期待している」
 え……えーーー?
「ということにしておく」
 どっち!?
「花房顧問は」
 続ける。
「でかい」
 でかいよ。知ってるよ。
「花房最高顧問は」
 いよいよ会社っぽい!
「勇敢だ」
「ゆ……勇敢?」
 なぜ?
「普通は女子二人だけの部とも言えない同好会の顧問なんて引き受けない」
 それは……その通りだろうけど。
「押しつけられたんでしょ? だから」
「できる?」
「は?」
「いくら教師として若手とはいえ」
 くいっと。眼鏡を押し上げる仕草。いや、あんた裸眼でしょうが。
「あの花房先生を相手に何かを強制できる?」
「う……」
 それは、確かに難しいかもしれない。
「け、けど」
 ワタシは言う。
「押しつけるとかは無理でも、頼まれたら断れなさそうなタイプじゃない?」
「それは言える」
 ヤッコもうなずく。
「つまり」
 くいくいっと。だから眼鏡ないでしょ。
「よくわからないということかな」
 がくぅっ! なんか大げさそうに言ってて、結局その結論?
「だけど、わからないままにしておくつもりはないから」
 おっ、それはつまり?
「諜報」
 チョーホー!?
「便利という意味ではない」
「?」
「いや、シャレの説明をさせないで、頼むから」
「あ、なんかごめん」
「ううん、わたしこそ」
 新鮮だなー、こんなにへこんでるの。
「というわけで、ここにすでにまとめた資料がある」
「早っ!」
「わたしにできるのはこの程度のことだから」
 へこんでるの通り越して卑屈だよ!
「ううん、すごいよ、ヤッコ」
 フォローの言葉を口にしつつ、ワタシはその資料を受け取る。
「おおっ!」
 タイトルに、
「ちょっ……これはいけないよ、ワタシたち中学生なのに」
「何を考えている」
 早くも回復したヤッコ。
「だって、こんな『ドキッ! 新米男性教師の赤裸々な日々』って」
「ちょっと昭和っぽくしてみた」
 なぜに!?
「平気。中身は合法」
「合法……」
 って言われると逆にアブナいものを感じちゃうんだけど。
 や、その、花房先生のナニナニ――的なものを期待してるわけじゃないんだけど! そういう対象じゃないんだけど!
「よ、読むね」
 ごくりと。って、ツバ飲むなよ、ワタシ。
(赤裸々な資料……)
 中身は――
「………………」
「どう?」
「うん……」
 あっさり、
「普通」
「だよねー」
 同意される。
「いや、普通にいい先生だよ?」
「見た目を裏切ってね」
 見た目通りだったら怖すぎるって。バイオレンスすぎるって。
「まー、見た目通りなところもあるけど」
 いわゆる『不良』な生徒との付き合いだ。もちろん一緒に悪いことをしたりするわけじゃなくて、悩みとかを真剣に聞いてあげるみたいな。やっぱり、ああいう人たちって腕力自慢なところもあったりするから、花房先生に一目置いてるみたい。
「他の生徒にも受けはいい」
「うん」
 たとえば、オタクなカンジの子たちにも。彼らの好きなものを、一方的にどうこうと決めつけないで真剣に理解しようとする。わからないものはわからないと言いつつ、その絵や音楽には素直に感心を示す。自分にはできないことだからと。その正直な感想は生徒たちにも伝わって、結果やはり信頼を得ているようだ。
「あと動物たちにも」
「アニマルかー」
 それはキャラっぽいというかなんというか。
「確かに、人間より動物のほうと心が通い合いそうなところあるかも」
「ワイルドだものな」
「マンモスに乗って荒野をさすらうみたいな」
「いやいや、狩るほうでしょ」
「原始人か」
 軽いチョップでツッコミ。
「原始人って……」
 自分で言っておいて何だけど、
「似合うなー」
「ねー」
 そこに、
「がるがるっ。がるっ」
 はっとなる。
「いまのヤッコ?」
「や、わたしにがるがる特性ないし」
 なに『がるがる特性』って。
「それに聞こえてきたのって外からじゃない?」
「えっ、でも」
 いまいるこの部屋は三階で。
「おおうっ」
 いた。
 しがみついていた。
「がるぅぅ……」
 ちっちゃい。
 ちっちゃかわいい。
「登ってきたのかな?」
「この近くに高い木なんてあったっけ」
 首をかしげつつ窓に近づく。
「ゆっくり開けてね。驚いて落ちるかもだから」
「窓枠にしがみついてるのかな。だとすると開けたらそのまま落ちそうだけど」
「そんなのだめだよ! ヤッコ、ほら、あれない? くるーって回すと窓ガラスがすぱって切れる道具」
「怪盗か、わたしは」
 おそるおそる。
 様子を見ながらワタシはゆっくりと窓を、
「がるっ」
「きゃっ」
 ひゃあ! た、食べられるぅ!
「いやいや、ないから」
 冷静なツッコミ。
「こんな小さなワンコ相手に」
「ワンコ!?」
 驚いて、
「いやいや、ニャンコでしょ!」
「あれ?」
 首をひねり、
「いつから子犬のことニャンコと呼ぶように」
「違くて! ポチをタマっていうくらい違くて!」
「どっちがどっち?」
「そんなの決まって……」
 ――る、と思うけど。
 あれ、でもなんで『ポチ』と『タマ』なの? 誰が決めたの?
「混乱しているね」
「いやでも、この子はニャンコだよ」
 こんなに立派な牙が。
「牙!?」
 いやいや、牙自体はめずらしくないんだけど、小さな身体に釣り合わないっていうか、なんか不自然に目立ってるっていうか。
「な、ワンコだろう」
「えっ、えーと」
 牙イコール犬、でいいの?
「がるがるっ。がるっ」
 戸惑うワタシにさらに吠えかかるワンコ? なニャンコ?
「メク」
 がっかりと。あからさまな失望感で、
「そういう人間だったとは」
 どういう人間!?
「こんな小さな生き物を欲望のままにいじめるような」
「欲望のままにいじめてないよ!」
「本能のままに」
「本能でもなくて!」
 ていうか、どんな何かもなくて!
「いじめてないから!」
「記憶にないと」
「記憶にございません!」
 って言うと、逆にやってるみたいじゃん!
「素直に吐いたほうがいいぞ」
「取り調べ!?」
「おまえにも家族がいるだろう」
「いるけどさ!」
「がるがるっ」
「二人がかり!?」
「正確には一人と一匹がかりだね」
 組まないでよ、コンビを!
 あと、なんでワタシばかり責められるの!?
 いじめたとかホントないから!
「おい」
「!」
 一瞬で立ち上がり、気をつけ体勢になる。
「すみませんでしたぁ!」
「フッ。ようやく罪を認めたか」
「あっ」
 違う違う違う! いまのは反射的にっていうか。
「ふぅ」
 こちらはため息。けど、それはワタシに向けられたものじゃなくて、
「リィオ」
「がるぅ」
 軽くたしなめられ、ワタシの上から降りたその子は不服そうに花房先生を見上げる。
「がるがる。がる」
「そうか」
 会話してる! アニマル好きの報告資料は正確だった。
「うっ」
 ちらり。こちらを見られてどきっとなる。
 けど、すぐにリィオと呼んだ子に視線を戻して、
「生徒に悪いことは何もない。俺がただ未熟というだけのことだ」
「がるぅ……」
 それでもまだ不満そうにうなりをもらす。
「リィオ」
 かすかに声の調子が厳しくなる。
 こちらを見る。今度はリィオと呼ばれた子のほうが。
「がるがる」
 小さく頭を下げる。それはつまり、
「あ、あやまることなんて」
 ワタシはあたふた、
「こっちだってキミのことをワンコとかニャンコとか」
 で、実際はどっちなんだろう。
「猫寄りと思ってくれ」
「は、はあ」
 猫『寄り』って何?
 年寄りと同じ意味かな。けど、そもそも年『寄り』の意味が。『年に寄ってる』って何なんだろうか。
「なるほど」
 なんか、ヤッコは納得してるし。
「あれですね」
「あれ?」
「先生が」
 言う。
「不良だということです」
 ぶーーーーっ! お茶か何か飲んでたら思いっきり逆噴射してたよ! あれ、この場合って逆じゃなくて正噴射? って、正も逆もどっちでもよくて!
「お、おう?」
 先生も目を丸くしている。するって!
「不良……か」
 がっくりと。いや、へこむのおかしいって!
「不良でなければだめなんです」
「……なるほど」
 納得したようにうなずく。
「確かに、そう呼ばれる生徒たちを理解するには、自分がその立場に身を置かなければ」
 真面目だよ、すごいこの人!
 いやまあ、元ヤンが名教師になるみたいなのはよく聞く話なんだけど。
 って、元ヤンなの、先生!?
 ぜんぜん可能性ありそうだけど。
「で、でも、いま不良ってわけじゃないよね」
「いま不良でないと意味がない」
「どういうこと!?」
「その」
 すっと。先生の足元でかしこまってる小さな影を指さし、
「リィオ氏だ」
「氏!?」
 なぜ? いろんな意味でもうぜんぜんわかんない。
「リィオ嬢?」
「がるがる!」
 そこには、はっきりと否定の鳴き声が返る。つまり、男の子ってことでいいのかな。
「では、リィオ氏ということにして」
 そこにこだわる必要はあるのかなあ。
「雨の路地裏でふるえている」
「えっ!」
「想像だ」
 言う。
「想像してみるといい」
「想像……」
 してみる。
 雨の日の路地裏でふるえている小さなリィオちゃん。
「か……」
 叫ぶ。
「かわいそうだよぉ!」
「そこに」
 キラーンと。だから眼鏡ないんだって。
「通りかかるのが不良な花房先生」
「不良な!」
 あっ、確かにそこはポイントかもしれない。
「不良な学ラン姿の花房先生が」
 いや、先生が学ランっておかしいでしょ! 『学ラン』って言い方自体はものすごくそれっぽいんだけど。
「リィオ君を見つける」
 あっ『君』になった。や、どうでもいいけど。
「雨に濡れて哀しそうにがるがる鳴いているリィオ君を見て」
 が、がるがる鳴いてる?
「じゃなくて、みぃみぃ鳴いてる」
 うん、そこ大事だと思う。
「そんなリィオ君を見て」
 見て? それで?
「立ち去る」
「立ち去っちゃうの!?」
 ひどい! 最低だよ、花房先生!
「い、いや」
 自分はそんなことはしないというように首をふる先生。
「そう、そんなことはしない」
「しないの?」
「しないことはない」
「どっち!?」
「いったんはする」
 いったんは?
「しかし」
 しかし?
「戻ってくる」
 おお!
「すぐに」
 すぐに!
「手にミルクと皿を持って」
「すごい!」
「い、いや」
 思いっきり戸惑ってる先生。話は続いて、
「黙ってリィオ君の上に傘をかかげ、持ってきた皿にミルクを入れて差し出す」
「うんうん!」
「ただ黙って見てるんだよ。声をかけたりしないで」
「うんうん!」
「そして」
 ここがポイントというように声を強め、
「去り際になって、ぽつりと一言だけ言う」
「何を?」
「フッ」
 それっぽく遠くを見つめるポーズで、
「一人でも強く生きな」
「きゃーーっ!」
「そして、傘を置いて雨に濡れながら帰っていく」
「カッコいーい!」
「ですよね!」
「う……」
 ふられた先生は、大きな身体に似合わずあたふたとなって、
「そ、それは」
「それは?」
「ミルクを取りに行ったとき、傘をもう一本持ってくれば濡れずに済むのでは」
「ちがーーーーう!」
 違う違う違う! そこは声を大にして言わせてもらうよ!
「先生、わかってない!」
「おう……」
「不良の気持ちが!」
「いや、あんたも不良じゃないし」
 ヤッコのツッコミは無視して、
「不良はね、強がるものなんだよ」
「つ、強がる?」
「ツッパるものなんだよ!」
 ツッパることが男のたった一つの勲章!
「『ツッパる』とは……なんだ?」
「ハッ」
 そうだそうだ、いまどき本物の不良でも『ツッパる』なんて言わないよ!
 そもそも『不良』って呼び方も結構微妙だし。
「……相撲か?」
「減点」
「おう……」
 容赦ないな、ヤッコ。や、たぶんギャグで言ったんじゃないと思うけど。
「ツッパることが男のたった一つの勲章!」
 知ってるね、ヤッコも。
「く、勲章なのか」
 おっ、その気になった。
「というわけで」
 ごそごそと。
「はい」
 出された。
「う……」
 アンパンと牛乳。
 もとい、雨傘とミルク。
「な、なんだこれは」
「さあ」
「『さあ』とは」
「さあ!」
 逃がさない。そんな目でにじり寄る。
「いや、雨は降っていないし路地裏でも」
「イマジネーション」
「おう?」
「補ってください」
 無茶なことでも正面から言われると逆らえないものがある。
「がるがる」
「リ、リィオ」
 こちらからもやってほしそうに見上げられ、先生は追いつめられた顔になる。
 ワタシは思わず、
「だめだよ」
「だめ?」
「がるぅぅー」
 不満そうな目がダブルで向けられる。
「だめだって」
 ワタシはあらためて、
「ないもん」
「ない?」
「がる?」
「ないでしょ!」
 もー、にぶいなー。
「肝心の学ランがないじゃん!」
「あー」
「がるぅー」
「い……いやいや」
 納得の息がこぼれる中、先生は首をふり続ける。
「俺は教師で」
「自分で『未熟』って言いましたよ」
「未熟でも俺は」
「いっそ学生からやり直すつもりで」
「お……う……」
 返ってくる言葉がない。
 よし! この隙に一気に、
「ヤッコ、採寸!」
「心得た!」
「お、おい!」
 服を脱がされそうになって、さすがに抗議の声をあげる。チッ、本気で抵抗されたら、かよわい小娘だけではさすがにどうにもならない。
「がるがるっ」
 いやいや、小リィオが加わっても同じだって。
「い、いいかげんに」
 あっ、ヤバい、本当にキレられるかも。
「これは部活動なんです!」
 お、いいぞ、ヤッコ。服を作るのは手芸じゃなくて裁縫のほうに入るような気がするのは当然のように置いといて。
「おう……」
 ほーら、これが『部活』って言われると弱い。真面目だもん。
「顧問が部活動の邪魔をするんですか?」
「い、いや、それでもこれは」
「どれならいいんです?」
「お……う……」
「手芸に無知な先生が!」
「おうっ」
 そこを突かれるとますます弱い。さらに容赦なく、
「生徒の頼みに協力できない! そんな先生でいいんですか!」
「よ……良くはない」
「だったら!」
 ガバッと。
「おおうっ!」
 不意をつかれて上着を脱がされた先生が、あわててそれを上から抑える。
 いや、乙女かって。
「や、やめろ」
 声までふるわせる。だから、乙女かって。
「やめません」
「おう……」
 あんたも襲いかかる男かって。
「や、やはりだめだ!」
 いやいやをするように首をふりながら、
「問題がある! 俺は教師として」
「問題はあります」
「そ、そうだ」
「先生の考え方に」
「!」
 ふるえが走る。って先生もノリいいなー。
「俺の考え方に」
「そうです」
 クールに、
「女子中学生二人を前に何を考えているんですか、先生!」
「っっ!」
 ビビッと。
 ふるえて直後赤面し、
「な、何も……俺には柚子(ゆこ)が」
 ユコ? えっ、先生のカノジョ?
「だったら」
 それに乗って、
「申しわけないと思わないんですか!」
「!!!」
 ビビビッと。
「も……」
 ズン。巨体が膝をつく。
「申しわけない」
「ほら」
 何が『ほら』なのかは微妙にわからないけど。
「先生」
「おう」
 しずしずと。
「おー」
 脱ぐ。自ら。
 な、なんかエッチぃって。
「メク」
「ハッ!」
「食い入るように見てないで採寸」
「く、食い入るように見てないって!」
 しかも、ワタシが採寸することになってるの?
「い、いきますよ」
 ドキドキドキドキ。
「生唾飲まない」
「の、飲んでない」
「人夫(ひとおっと)相手に」
「……!」
 ひと――おっと?
「それって」
「ん?」
「いわゆる、その『人妻』の夫版?」
「資料参照」
「あっ!」
 そうだ、あったよ。
 花房先生――結婚してるって!
「ひとおっと……」
「人夫」
「……う」
 や、やばい、なんかその、血圧が。
「おい」
 冷たい目。
「い、いやっ」
 あわてて、
「ユッコが悪いから! 人夫とか言うから!」
「教師と生徒」
「それもそれでなんかヤらしいから! 間違ってはないんだけど!」
「間違い……」
「そういう意味じゃないからーーーっ!」

Ⅳ時間目

「問題がある」
 あるよ、あるある。
「この間のことでしょ」
「この間のことだ」
 当たった。
「がるがる」
「おおっ」
 びっくりしたー。
「リィオ氏も問題と思っているか」
「がる」
 また『氏』に戻ってる。
「ていうか、いつからいたの」
「がる。がるがる」
「なるほど」
「ヤッコ、わかるの!?」
「『がる。がるがる』と」
「それはワタシにもわかるよ」
 つまり、わからないということか。二つの意味で。
「ペットなのかなー、リィオちゃん」
「がる!」
 違う! そう言ってるように見えた。
「ペットかどうか以前に、何なのかがまだわかっていない」
「えっ、ニャンコでしょ」
「がるがるっ!」
 またも怒るように吠える。
「ほら、遠吠えをするのは犬と決まっている」
「吠えてはいるけど『遠』ではないよ。それに猫だって吠えるし」
「あれは鳴くと言うのだろう」
「リィオちゃんのこれだって鳴き声かもしれない」
「猫が『がる』なんて鳴くか!」
 平行線だー。
「あっ、そうだ」
 思いつく。
「リィオちゃんに聞いてみようよ」
「何?」
「がる?」
 何を? と首をかしげるリィオちゃん。
「リィオちゃんは」
 顔を近づけ、
「小猫ですか」
「がるっ!」
 あー、怒ってる怒ってる。
「なるほど。イエスノー方式で質問するんだな」
 そーそー。
「リィオちゃん、賢いからいけるよ」
「では、続いて」
 ヤッコがしゃがみこみ、
「あなたは小犬ですか」
「がるがるぅっ」
「ほら、怒ってるー」
「がるぅー」
「なぜ怒る? 犬が犬と言われて」
「だから犬じゃないんだって」
 つまり、リィオちゃんは、
「……えーと」
 つまり――何だ?
「あなたは」
 再びヤッコが、
「タヌキですか?」
「がるぅっ!」
「うーん、怒ってる」
「怒るよー、タヌキって言われたら」
「なんだそれは? タヌキに対する差別?」
「がるがる」
 そうじゃない、というように首を横にふるリィオちゃん。
「でも、もっとのんびりしてるイメージあるし、タヌキ」
「いやいや、あれでなかなか狂暴らしいよ」
「へー」
 狂暴、というところはちょっと近いかも。
「野生の動物をなめるなということだ」
「がるっ」
 リィオちゃんにまでうなずかれる。
「だったら……キツネ?」
「がるっ!」
「イタチ?」
「カワウソ?」
「アライグマ?」
 次々と動物の名前をあげていく。
「うーむ」
 三十分後。
「これは、ひょっとすると、アレかもね」
「アレ?」
「そう」
 うなずいて、
「動物じゃない」
「いやいやいや!」
 動物は動物だって!
 ――たぶん。
「動物じゃなかったらなんだって言うの」
「架空の存在」
 架空の? 言ってることが中二っぽくなってきた。
「なんなの具体的に。その、ドラゴンとかユニコーンとか」
 そこに、
「サーベルタイガー」
 さらりと、
「……えっ」
 いた。
 部屋の中に。
 リィオちゃんのときも驚いたけど、それはまだ小さいから見落としたとは言えるわけで、けどこれは、
「あっ、昔はいたんだっけ」
 さらりと。言う。
「あのー」
 おそるおそる。ヤッコが、
「……誰?」
「僕?」
 にこにこと。初対面とは思えない打ち解けた笑顔で、
「花房森(はなぶさ・しん)」
「!」
 花房――ってことは、
「妻」
 ずざざざー! 倒れこむ。
「なんで、そうなっちゃうの!」
「調査書に書いてあっただろう。結婚していると」
「いや、苗字が同じだけで、この人が妻とは」
「つま?」
 きょとんと。首をかしげられる。
「では、子どもだと」
 子ども――には見えない。
 大体、でかいけど花房先生は結構まだ若いはずだ。未熟な教師だなんて自分のことを言うくらいなんだから。
「まあ、若くても子どもがいないとは限らないが」
「で、でも」
 大きすぎるよ!
 ワタシたちと同じくらい? か、たぶん、ちょっと上?
 童顔だから、はっきりしないんだけど。
「子ども?」
 森と名乗ったその男子は再び首をかしげる。
 そして、あっさり、
「うん、子どもだよ」
「えーーーーーーーーっ!」
 絶叫した。
「メク、うるさい」
「なんでそんなに落ち着いていられるの、ヤッコは!」
「あははー」
 森君は笑って、
「それに、そんなに若くないし」
 花房先生が? まあ、こんな大きな子どもがいるんだもんね。
 し、知らなかったー。
「うーん、わたしの素行調査にも抜けがあったな」
 大きすぎるよ、この『抜け』は。
「まーまー」
 何が『まーまー』かわからないけど、森君はニコニコ笑顔で言って、
「いつもお世話になってます」
 深々と。
「あ、こちらこそ」
 思わずこっちも頭を下げる。日本人だなー。
「わざわざご丁寧に」
 ヤッコもおじぎする。って、もう完全に日本人の世界だよ。
「いやいや、子どもだから」
 謙遜したように森君が言う。けど、いまどき、親の職場でこういう風にあいさつできる子ってなかなかいないと思う。
「森君はどこの学校?」
 彼が着ているのは、ここらでは見ない制服(?)だ。
「学校?」
 またも小動物のように首をかしげ、
「行ってないよ」
「えっ」
「あ、来てるか。こうして」
 いやいや、そういう意味じゃなくて。
(ひょっとして)
 不登校ってやつ?
 わー。
「あ、あの」
 わーわー、どういう風に接すればいいんだろう。
 いや、別にここまであわてることでもないと思うけど。
「森氏」
「シンシ!?」
 またもの呼び方に、意識をそっちに持ってかれる。
「わー。僕、森氏ー」
 無邪気によろこんでるよ、こっちも。
「森氏はここへ何をしに?」
 そうそう、それだよ。
 あいさつをしに来ただけってわけでもないだろうし。
「あー」
 ぽんと。思い出したって感じで手を叩いて、
「困ってるって聞いたから」
「困ってる?」
「うん」
 にこにこと。あくまで悪意も何もない顔で、
「みんなが」
「みんな?」
 ヤッコと顔を見合わせる。
「ワタシとヤッコ?」
「リィオ氏もいるな」
「がる」
 当然というようにうなずく。
「あ、リィオ」
 ぱっと表情を輝かせ、
「今日も来てたんだー。ジュオのこと、大好きだもんねー」
「がるぅ~」
 抱き上げられ、心地よさそうな鳴き声をあげる。こうしてると、やっぱりかわいい子猫にしか見えない。
 ていうか、こんなになついてるってことは、やっぱり家族なんだなー。
(家族……)
 あらためて、
(に、似てないなあ)
 はっきり言って。ぜんぜん似てない。
 そっくりな部分がない。
 言いすぎじゃなくて、事実そうで。
 それとも、このかわいらしい森君も、大きくなったら先生みたいなゴツい〝漢(おとこ)〟って感じになるんだろうか。
(う……)
 正直、ちょっと気持ち悪い。この顔で、身体だけ筋肉ムキムキって。
「なーに?」
「! み、見てないから! 何も想像してないから!」
 ホントは見てたし想像もしてたけど。
「まったく。いやらしいな、メクは」
「いやらしいの?」
「いやらしくないって!」
 必死に首を横にふる。
「いやらしいくせに」
「いやらしくなーい!」
「先生にあんなことをしておいて」
「『あんなこと』って、ただの採寸でしょ!」
「あー」
 ぽんと。
「それだ、それだー」
「それ?」
「採寸」
 言うと、ぱっと両手を広げ、
「はい」
「………………」
 い、意味が分からない。
「つまり」
 わかるのかよ。
「森氏が採寸してほしいと」
「そーそー」
「えっ」
 な、なんで?
「だって、問題があるって言うから」
 問題――
 まあ、確かにこの前はあったよね。
「だーから」
 変わらずの明るい調子で、
「僕が来たの」
「………………」
 ワタシとヤッコは、
「……ど、どうする?」
「いいんじゃない」
「いいの!?」
「いいと思うよ」
 くいくいっと。
「美しい親子愛じゃない」
 美しい――のかなあ。
「そーそー、親子愛!」
 その通りだと身を乗り出して、
「僕たち、仲良し親子だから!」
「な、仲良し……」
 言うかなー、年頃の男子が。まあ、言いそうなキャラクターではあるんだけど。
「では、さっそく。メク」
「えっ、ワタシ?」
「よろしくお願いします」
 深々と。
「う……」
 いや『お願いします』って言われてもなー。
「大体、何を作るの」
「手芸」
「それは作る物じゃなくて、作るための技術のほうで」
「また学ランというのも芸がないな」
「がるるっ」
 それでもいい、というように鳴き声が上がる。
「よし」
 手が叩かれ、
「制服でいこう」
「いや、だから」
 学ランじゃ芸がないって言ったばっかじゃん。
「何をカン違いしている」
「へ?」
 カン違い? 何が。
「制服は一種類とは限らないだろう」
 あ、そういう。
「本来は水兵の服だったが、それがなぜか日本ではセーラー――」
「いっ……いやいや」
 ま、まさか!
「どう?」
 にやり。
「似合うと思わない?」
 わっるい笑顔だなー。
「に……」
 ワタシは、
「似合う」
「よし決まった」
 き、決まっちゃったのね。ドキドキドキ。
「わー、楽しみだなー」
 こっちも楽しみにしてるし。い、いいんだよね。
「じゃあ、ぬぎまーす」
「ちょっ」
 そんなあっさり!?
 いや、じらせとかってわけじゃないんだけど、その、あらためて心の準備が、
「親父!」
 驚愕の声が部屋をふるわせた。
「えっ」
 花房先生だった。
「……あれ?」
 いま先生、何て言った?
 オヤジ――
 親父? 誰が?
「あっ、ジュオー」
 ひらひらと。森君が手をふる。
 ジュオ――『樹央』って、花房先生の名前だよね?
 それって……ええっ!
 えっ、で、でも、はっきり言ったし! 『親子愛』って!
「特殊だな」
 特殊? う、うん、特殊だよね。
 でも、それって、何がどういう風に特殊なの?
「つまり」
 指をあごに当てて、
「何が何だか、わたしにもさっぱり」
 わかってないんじゃん! 何なんだよ、そのポーズ。
「わーい、ジュオー」
 てとてとと。リィオちゃんを抱えたまま、大きな胸に飛びこんでいく。
「お、おいっ」
 戸惑いつつも、さすがと言うかしっかり受け止める。
「こんなところで、何を」
「ぶかつどー」
「おうっ!?」
 驚きに目を白黒させる。あー『目を白黒』ってこんなカンジなんだね。
「ば、馬鹿な」
 目をそらしつつ。つぶやく。
 すると、
「もー、なんてこと言ってるの。お父さんに向かって『馬鹿』だなんて」
 再びフリーズするワタシ。
「お父……さん」
 お父さん。親父。
 これって――
 先生じゃなくて森君に向けられた言葉だよね!?
「なるほど」
 わ、わかったの?
「特殊だな」
 同じじゃん!
「逆ということだ」
 逆?
「つまり」
 またも、くいくいっと。眼鏡ないのに。
「親子だ」
 それはわかってるよ。
「逆だ」
 それも聞いたって――
「!」
 衝撃が走る。
「えっ……え?」
 逆? 親子が?
 それって、
「う……」
 見る。まじまじと。
 リィオちゃんをはさんで抱き合っている同じ『花房』の苗字の二人――
「え……ええぇぇぇーーーーーーっ!」
 絶叫していた。
「ウソウソウソウソウソーーーーーーっ!」
 嘘だろう! だって!
「じゃあじゃあじゃあじゃあ!」
 我ながら、多いよ『じゃあ』が。
「先生が子で!」
「お、おう?」
「森君が親! で親子なの!?」
「せいかーい」
「!」
 固まった。
「う……」
 あらためて、
「嘘―――――――っ!!!」
 絶叫していた。
「うるさい」
「って、だからなんで冷静なの、いつもいつも!」
「冷静じゃない」
 めずらしく、
「ふっ」
 笑う。
「ふ……ふふっ……ふふふふふふふふふふふふっ」
 冷静じゃなかった!
「先生!」
 ワタシはあわてて、
「説明してください!」
「おう……」
 照れくさそうに森君をそっと脇に寄せながら、
「……親父だ」
「先生の?」
「おう」
「お父さん? 森君が?」
「おう」
 あらためて絶句。
「……えーと」
 見る。
「森君が」
 見比べる。
「先生の」
 比べる。
「……に……」
 おそるおそる、
「似てないんですけど」
 そんな言葉ではとても追いつかない。親子関係が逆だと思っていた状況よりなお信じられない。
「まー、成長期だから」
「いやいやいや」
「お父さんより大きい子どもってよくいるよね」
「いやいやいやいや」
「もー」
 ぷんと。首をふり続けるワタシに頬をふくらませ、
「だめなの? 僕がジュオのお父さんだったら」
 いい悪い以前に信じられないんだって。
「だったら」
 ぎゅーっと。大きな身体に抱きつく。
「お、おい」
 引き離そうとするも、その腕に力はない。いやもう、体格がぜんぜん違うんだから、本気出せばあっさり突きとばせそうなんだけど。
 できない。
 そこにあるのはやっぱり『目上の者』への遠慮なのだ。
「ほら、ジュオも」
「お、おう?」
「ぎゅーってして」
「い、いや」
 ちらり。こっちを見る。
 それは普通、気になるよねー。
「えー」
 悲しそうな目が先生を見上げ、
「してくれないの?」
「う……」
「いやなの?」
「い、いや」
「やっぱり、いやなんだ」
「違っ……」
 もう完全に追いつめられた顔で、なかばヤケ気味に森君を抱きしめ返す。
「わーい」
 無邪気によろこんでる。何がなんだか。
「メク」
 肩に手を置かれる。
「これはもう認めるしかないだろう」
「認める?」
「二人は」
 言った。
「愛し合っている」
 ぶっ! たまらず噴いて、
「な、なに言ってんの! 親子でそんなの」
 親子――
 あれ? だったらいいのか。
「いいんだよ」
 肩を叩かれる。いや、そう言われると意味深だからやめて。
「ほーら、僕たち、仲良し親子でしょー」
「お、おい」
 相変わらず抱きしめ合っている二人。
「よくわかりました」
 パチパチパチパチ。
「ええっ!」
 拍手!?
「ほら」
「えっ!」
「感動しただろう。二人が愛し合う姿を見て」
 だからやめて、その言い方!
「じー」
「うっ……」
 見られてる、見られてる!
 その視線に負けて、
「わ、わー、すごーい」
 パチパチパチパチ。
「うん、実にすばらしい」
 パチパチパチパチ。
「お、おい」
「よかったねー、ジュオ」
「親父……」
 わー。パチパチパチ。
 もうワタシたちは、笑って拍手を続けるしかなかった。

Ⅴ時間目

「では、懸案になっている事項のことだが」
「は?」
 唐突だって。
「懸案……って何?」
「何だと思う?」
 逆に聞くかい。
「花房先生のこと?」
 だって、他にワタシたちの間で最近『事件』なんて呼べることないし。
「どう思う?」
「うーん」
 む、難しい質問だなー。
「普通にいい先生、じゃないかな」
「普通?」
「うっ」
 確かにいろいろ普通じゃなけど。
「で、でも、悪い先生じゃないよ!」
 そこは声に力をこめる。
「悪い先生じゃない……」
 意味深につぶやき、
「メクは彼のことをどれだけ知っていると言うんだ!」
「うっ」
 って、なんでワタシが責められる感じになってるの!?
「足りない!」
 た、足りない?
「何が」
「何もかも!」
 いや『何もかも』ってことはないだろう。
「花房先生は!」
 頭をかきむしって――ってオーバーすぎるよ、そのアクション。
「本当に先生なのか!」
「……は?」
 根本的すぎるとこ、突いてきたなー。
「先生……なんじゃないの」
「『なんじゃないの』!?」
「だ、だって」
 先生だろう。みんなに『先生』って呼ばれてるんだから、普通は。
 あー、普通じゃないんだっけ。
「普通はあんな先生はいない」
「それは……うーん」
 かなりひどいこと言ってる気もするけど。
「いないこともない……んじゃないの」
「あんな大きくてゴツくてマッチョな先生が?」
「いや、体育の先生とか、そういう人が多そうだし」
「サーベルタイガーの子どもになつかれたりする先生が?」
「リィオちゃんのことは、あれは冗談だと思うし」
「あんなに若くて童顔でとても子どものいる親には見えない男性のことを『親父』と呼ぶような先生が?」
「う……」
 そう立て続けに言われるとさー。
「じ、じゃあ」
 反撃ってわけじゃないけど、
「先生じゃなかったら何なの?」
「原始人」
「もっとあり得ないよ!」
 見た目とかは、まあ、そういうワイルドなところあるけど。
「目的」
 はっと。
「何か目的があって、教師として学校に潜入してるんじゃない?」
「目的……」
 なんか、急に現実味が出てきたような。
「どんな目的?」
「どんな?」
 ふふっ。変にクールに笑ってみせて、
「言うまでもない」
「言うまでもないの?」
「わからない」
「そっちの『言うまでもない』!?」
 ぜんぜんじゃん!
「わからない……」
 がっくり。
「ヤ、ヤッコ」
 なんだか落ちこんじゃってるよ。
「仕方ないって。わからないのが普通だし」
「普通か」
 普通、だと思う。
 生徒にプライベートの細かいことまで知られちゃってる先生なんて普通いないし。いたら逆に問題な気もするし。
 適度な距離。そういうのがあって、なんか普通な気がする。
「普通か」
 くり返す。
「普通ではない」
 言い切る。
「やはり、花房先生を普通の範疇に入れるのは無理がある」
 それはワタシも『そうかな』って思う。
「なぜだと思う」
「は?」
 なぜって。
「なぜ『普通でない』のか」
「う……」
 こ、答えるのが微妙に難しいぞ、それは。
 何も言えないでいると、
「わたしたちの中における『普通の教師』の定義」
「う、うん」
「先生はそこからおおいに外れる」
 外れてる――だろうなあ。
 さっきあげられた理由からも、そこは明らかに。
「なぜだ」
「なぜって」
 だから、そんなの人それぞれ違ってるとしか。
「普通は『向いてる人』がなる」
「えっ」
「教師に限らず大抵の職業がそうだ」
 それは……そうだろうなあ。
「けど、向いてない人だっているじゃん」
「花房先生とか?」
「うーん」
 前の調査報告にもあったけど、生徒からの評判は決して悪くないんじゃなかったっけ、先生って。
 ワタシも――悪い人ではないと思うし。
「そこだ」
 えっ、どこ?
「向いていないが、嫌われているわけではない」
 だから、それは逆に『向いてる』ってことになるんじゃないかな。
 あー、なんだか、わからなくなってきた。
「そもそも、最初からわたしはあやしんでいた」
 あやしんでいた?
「いると思うか」
「は?」
「ここに」
 いつもの『部室』――正確には同好会室を見渡し、
「顧問が必要だと思うか」
「それは」
 いらない。
 正直、顧問がいるような活動をしているとはとても言えない。
「念のため、調べてみた」
 おっ、出た、調査報告。
「いない」
「ん?」
「ないんだ」
「調査報告がないの?」
「そういうボケはいまはいい」
 そうっスか。
「本気で」
 ずいっと。
「調べた」
「う、うス」
「そしたらわかった」
「何がっスか、アネゴ」
「わたしは姐御じゃない」
 あ、そこはツッコむんだ。
「いない」
 だから何が。
「顧問だ」
 は?
「わかる限りのすべての同好会に当たった。どこも顧問なんてものはいない。顧問がいる同好会は存在しないんだ」
 あ……だから『いない』で『ない』か。
「えっ、でも」
 じゃあ、なんでうちの『同好会』には顧問が――
 花房先生がいるの?
「顧問についた理由」
 はっと。
「はっきりと説明は受けてなかったな」
「えっ、でもそれは、若いから押しつけられたんじゃないかって」
「推測にすぎない」
 推測――
「そ……」
 その通りだ。
「でもなんで!?」
 パニックになりかけている自分を意識しながら、
「わからないよ!」
「わたしにだってわからない」
「聞こう!」
 はっきりと。ワタシの言葉にヤッコがひるむ。
「き、聞く……?」
「聞く!」
 なんだかヤケになって、
「聞いちゃおう! それではっきり――」
 そこに、
「おう」
「!」
 がらっと。
「せ、先生! 今日こそ本当のことを」
 固まった。
「お……おおっ!?」
 目を見張る。
「……おう」
 目をそらされる。
「本当のこ……ここっ……」
 こ――これは!
「それが」
 びしっと。指をさす。
 そして言う。
「それが先生の本当の姿ですか!」
「ち……」
 たちまち大きな身体に似合わない乙女の羞恥顔で、
「違う! こ、これは」
 叫ぶ。
「俺が――手芸部の顧問だからだ!」
「……!」
 先生は――
 正直、かなり似合ってない普段のパツパツの教師スーツ姿ではなくて。
 学生服。
 まさに不良というか番長というかな学ラン姿だったのだ。
「おー」
 似合う。こっちのほうがぜんぜん似合うじゃん。
 これで雨の日に子猫を大きな手でなでてたりしたら――
 ていうか『まんま』じゃん!
「がるっ」
 得意げに。
 先生の背中にくっついていたらしいリィオちゃんが肩越しに顔を出す。
「あ、おい」
 あわてる先生。
 ずりずりと。リィオちゃんがずり落ちていく。
 びりびりと音が聞こえる。
 爪で生地が裂けてるらしい。
「さすがですね」
 そこへ。
 復活した顔のヤッコが、
「わたしはカン違いしていました」
 カン違い? えっ、いままで話してたこと?
「そこまでの本気をわたしは見誤っていました」
 本気? 何の?
「先生は」
 ぐっと。拳を握って、
「やっぱり悪が好きだったんですね」
 ぶーーーっ!
 な、なんだよ『悪が好き』って!
「だって、そうじゃないですか」
 目を輝かせ、
「その格好」
「う……」
 恥ずかしそうに腕で自分の服を隠そうとする。いや、ぜんぜん隠れてないって。
「こ、これはおまえたちが」
「知っています」
 知ってるのかよ。
 まあ、前に、先生にこういう格好させようとしたのはワタシたちだけど。
 しかし、いまごろになって、しかも先生自ら――
「感動です」
 そこまで? うんまあ、似合っては確かにいるんだけど。
「や、やめろ」
 ますます恥ずかしそうに目を伏せる。だから乙女かって。
「がるがるっ」
 いじめられていると思ったのか、再びリィオちゃんが顔を出す。
 けど、またずりずりびりびりと。
「あ、暴れるな、リィオ」
「暴れていいんです」
 いや、どういうこと?
「リィオ氏の気持ちです」
 気持ち?
「先生のために」
 先生のため――
「もっとその制服を素敵にしようと」
 がくぅっ! す、素敵って。
「言うな」
 いっそう恥ずかしそうに、
「そのような皮肉など言われなくても、不出来なのは俺がよくわかって」
「最高です」
 本心からの絶賛。
「先生は悪なんです」
 おいおい。
「不良なんです。それが似合うんです」
 そういうことを言いたいんだとはわかってたけど。
「あ、悪か」
 がっくりと。
 あ、いや、悪人って言ってるわけじゃないんだと思うし。
「ボロボロの学生服。それが似合うんです。つまらない社会に染まったりしない孤高のワルというカンジで。一匹狼で」
「がるがるっ」
 あっ、リィオちゃんは狼じゃなくて一匹――ナニなの? いまだに不明だけど。
「そのようなつもりでは、俺は」
「いいんです」
 何がだよ。
「したかったんですよね」
 にやにや。
「ホントは」
「……?」
 先生は、
「な……何をだ」
「またまたー」
 胸をひじでつつく。いや親しすぎるって。
「わかったよ、メク」
 へ?
「わかったんだ」
 な、何が。
「先生の本当の姿が」
「い……いや」
 先生を見る。
 すぐに頬を染められ、目をそらされる。だから乙女かと。
「本当って」
 このダメージだらけの学生服姿が――
「すごく似合うってこと?」
「すごく似合う」
 あ、くり返された。
「本当だ」
 くり返す。
「ここには本当がある」
「お、おい」
 たまらずというように、
「何が本当だ。言っただろう、不出来だと」
「本当です」
「う……た、確かに」
 目を伏せて、
「顧問と言いながらこの程度だ。情けない話だ」
 あ……やっぱり先生のお手製なんだ。
 作ってくれたんだ。
「教師として生徒のおまえたちに身体をさわらせるような……誤解を招かれるようなことはできない。それならとこうして」
「感動です」
 再び。言う。
「本当の自分をさらけ出してくれて」
「あ、あの、ヤッコ」
 ワタシは我慢できなくなって、
「だから、さっきから『本当』って何?」
「言うまでもない」
 言うまでもないのかよ。
「説明しなくてもわかるだろう。先生のこの姿を見れば」
「この姿を」
 見れば。
「おお!」
「わかっただろう」
「わからない」
 すぱーーーーん!
「ぬおっ」
 どこから出した、その白いスリッパ! てか『白い』ってとこに変なこだわりを感じる。
「お、おい」
 先生があわてる。
「ケンカをするようなことはよせ」
 自分のほうがずっとケンカ上等な格好してるけど。
「俺が」
 言う。
「この場はあずかる」
 すかさず、
「はい、番長」
 ずるっ! ば、番長?
「もはやそう呼ぶしかないだろう」
 呼ぶしかないの? まあ、ホントにそれそのものな見た目ではあるんだけど。
「ば、番長じゃない」
「番長です」
 強引に言い切る。
「押忍!」
「お、おすっ」
 つられて頭を下げる。舎弟かって、ワタシら。
「おまえたち……」
 完全に困惑しきった声。そして、
「リ、リィオをかわいがればいいのだろう!」
「がるっ!?」
 やけになったような声と共にリィオちゃんが抱え上げられる。
「がるぅぅ~」
 心地よさげに。
 大きな手になでられ、至福の鳴き声がこぼれる。
「フフッ、これでこそ番長」
「そうなの!?」
「そうだ」
 だ、断言するよなー。
「さあ、拍手を」
 ぱちぱちぱちぱち。
「な……」
 なんだか前にもあったよ、このパターン。先生の目的とか正体とか、いろいろ気にしなくちゃならないことがあった気がするんだけど。
「わ、わー」
 ぱちぱちぱちぱち。
 とりあえず。
 いまはヤッコと一緒に拍手するしかなかった。

Ⅵ時間目

「結局さー」
 めずらしく。
 なんか、ぶーたれた感じでワタシからヤッコに話しかける。
「何も変わらないんだよね」
「どういう意味だ」
 顔を上げて、
「世は無常。そういうことか」
「いや、それは変わるってことじゃん」
「無常という真理は変わらない」
 難しいこと言われるなー。
「そーゆーことじゃなくて」
 強引にそこは打ち切り、
「花房先生が顧問になってからだよ。ワタシら、ぜんぜん変わんないじゃん」
「そうか?」
「そうだよ」
「メクは」
 ぐっと。顔が近づき、
「変わりたいのか」
「えっ」
 なんだかワタシはあせって、
「か、変わりたいとかじゃないけど」
「変わりたくない?」
「う……」
 いやその、なんて言えばいいんだろう。
「……このまま」
 言葉が口をつく。
「変わらなかったらどうなるんだろう、ワタシたち」
「そんなことはない」
 あっさりと、
「変わるさ」
「変わる」
「いつかは」
「いつか」
 言葉が途切れる。
「……えーと」
 またもワタシから、
「ほしいよねー」
「ほしい?」
「そう」
 言う。
「恋の予感?」
 ざざっと。
「え……」
 そんなにひかれるかなー。
「は……」
 叫んだ。
「花房先生か!」
「なんで、そうなる!」
「そうなるだろう!」
 叫んで、
「最近、わたしたちの前に現れた男性といえば花房先生しかいないんだぞ!」
「それは」
 確かにそうかもしれない。
「い……いやいや、人の趣味をどうこう言うつもりはないが」
 その時点で結構ひどい言い方だなー。
「だが、不倫は」
 がくぅぅっ!
「しかも、教師と生徒で」
「おいおいおいおい」
 しないって!
「不倫とか」
 言葉も重いよ。中学生が口にしちゃだめだよ。
「けど、そうなるだろう」
「なるの?」
「なるさ」
 そんな自信満々に言われても。
「花房先生は既婚者だ」
「う……」
「ハニーがいる」
「ハニーって」
 そう、そこも信じられないところなんだよね。
 若すぎるあのお父さんにも増して。
「なあ」
 ぐっと。
「どう思う?」
「どうって」
 はっとなり、あわてて、
「考えてないよ! そんな、略奪とか!」
「ほーう」
「『ほーう』って!」
 ホントに考えてないし!
「考えてみないか」
 なっ、何を言ってんの!
「どういう人なのか」
「……へ?」
「ハニーが」
 だから、やめてよ『ハニー』って言い方。
「えーと」
 つまりは、
「花房先生のハ……じゃなくて奥さんがどういう人なのか考えてみようと」
「しかり」
 しかりますか。
「うーん」
 とは言われても、
「ヒントがぜんぜんないよ」
「では、ヒントその一」
「『では』って」
「姓は花房である」
 それは当たり前だって。いや、別姓って可能性もあると思うけど。
「名前は樹央」
「いや、先生の名前でしょ」
「そんな名前の」
 言葉は続き、
「男性を好きになるのはどんな女性だと思う?」
「いやいやいや」
 名前で好きになったわけじゃないでしょ。そんな恋愛聞いたことないし。
「名前を馬鹿にしたものじゃない」
 ヤッコは引かず、
「事実、人間には自分のパーソナリティと類似しているものに好感を抱く傾向があるそうだ」
「パ、パーソ……?」
「名前や誕生日、干支や星座や血液型」
「あー、なるほど」
「夏の甲子園は、出身地域の学校を応援するだろう」
 おっ、言われてみれば。
「そこから推測するに、先生の相手がその名前に魅かれた可能性もないとは言えない」
「そっかー」
 そこでワタシは気づく。
「お父さんだよ、お父さん」
 先生とは別の意味で、また忘れられないインパクトなあのお父さん。
「森だったよね、名前」
「『森』と書いて『シン』だな」
「そうそう」
「あのお父上」
 しみじみと、
「セーラー服を着せてあげられなかったことはいまでも惜しい」
 だぁぁっ!
「いや、希望を捨てるのは早い。先生のように自分から」
「おい!」
 話題をそっちに持ってくなって。
「期待をするのはやめてくれ」
「あっ!」
 せ、先生!
「なんとか止めたんだ」
 止めたって――えっ、お父さんを?
 つまり、本当にセーラー服で来ようとしてたってこと!?
「なんていうことを」
 それって、お父さんの行為への非難? それとも止めた先生のほうへの?
「……仕方ない」
 どっちへの『仕方ない』!?
「だから、その、俺があの服を着ていくことで納得させて」
 あの服って、この間の学ラン?
 あー、そうだったんだ。
 確かに、ものすごく恥ずかしそうだったもんね。ワタシたちに採寸させないようにっていう考えがあったとしても、それでも進んでってカンジじゃなかったもんね。
「服の仕立てを手伝ってもらって、それで親父も満足して」
 お父さんも参加したの、学ラン作りに? ていうか『お父さんに手伝ってもらう』って、夏休みの工作の宿題みたいだよ。
「でも」
 ワタシは、
「手伝ってもらった割には、すごくボロボロでしたよね」
「馬鹿者。むしろあれがいいと何度も」
 ヤッコの意見はスルー。
「い、言いわけはしない」
 と言いつつ恥ずかしそうに、
「俺も親父もああいうことには手慣れていない」
 言いわけのようだけど、まあ、事実を語っているということなんだろうな。
「柚子が手伝ってくれなかったら、とてもまともな形には」
 はっと。
「その人!」
 思わず身を乗り出しちゃって、
「その、ユコさんって人!」
「お、おう」
 なんか妙にこっちも照れつつ、
「先生の……お、奥さんなんですよね」
「っっ」
 先生は、
「……お、おう」
 いままで以上に赤くなって。うなずいた。
(うーわー)
 いや、ヤッコの報告書で知ってはいたんだけど。
「先生」
 思いっきり好奇心むき出しで、
「どういう人なんですか」
「そ、それは」
 目をそらし、
「クラブ活動には関係ないことだろう」
 あー、ずーるーいー。
「関係はあります」
 お、いいぞ、ヤッコ。
「言いましたよね。『柚子が手伝ってくれた』と」
「お、おう」
「ならば」
 ここぞとばかりに、
「活動に十分関係があると言えますよね」
「おお……っ」
「ですよね」
 ダメを押す。
「お……おう」
 うなずくしかない、という弱々しさでうなずく。
「先生」
 攻めをゆるめず、
「恥ずかしいんですか」
「っ」
 真っ赤になり、
「な、何を」
「奥様のことです」
「!」
 クリティカルに赤面する。
「恥ずかしいなどと」
「恥ずかしがっています」
「う……」
 否定できない。
「奥様のことを恥ずかしい奥様だと思っているのですか」
「馬鹿な!」
 そこはすかさず、
「柚子はその……つまり」
 再びしどろもどろ。
 んー、照れてるんだよな、やっぱりこれって。
「わざわざ生徒に語るようなことじゃない」
「差別ですね」
「なっ」
 さらに容赦なく、
「語るほどでもない奥様だと」
「ち、違う」
「では、わたしたち相手だから語れないと」
「む……」
 すこし口ごもるも、
「そ、そうだ」
「やっぱり差別です」
「!」
「だって、そうでしょう」
 もはや完全にヤッコのペースで、
「わたしたちが子どもだから。そう言いたいんですよね」
「そんなつもりは」
「じゃあ、どんなつもりです?」
「お……う……」
 続く言葉は出てこない。
「認めてください」
 容赦なく、
「恥ずかしいんですね」
「は……」
 言う。
「恥ずかしくは……ない」
「だったら」
「柚子は」
 かぶせるように、
「違う。人に語ることが恥ずかしいような人間じゃない」
 そして、言葉につまりつつ、
「お、俺が選んだ相手なんだ」
 おー。言う言うー。
「ひゅーひゅー」
「おい!」
 いつの時代かっていうひやかしに、しかし、またわかりやすく赤くなる。
「無駄話はもういい。それより今日の活動を」
「無駄ということはないでしょう」
「う……も、もちろん柚子が無駄ということじゃない」
 おっ、先手を打ってきた。
「当然です。先生の奥様にそんな失礼なことを言うはずありません」
「お、おう」
「ですけど、話自体も無駄じゃありません」
「む……」
 どういうことだという顔になる。
「先生は言いました」
 続ける。
「先日のあの服は奥様に手伝ってもらったと」
「う……い、言った」
「なら」
 ぐぐっと。前に出て、
「話を聞かないわけにはいかないでしょう」
「お……う」
 先生の負けだった。
「何を聞きたい」
 これから自白する犯人みたいだな。
「それでは、まず」
 待ってましたというように、
「お二人の出会いは」
「そ、それは手芸のこととは」
「質問しているのはこっちです」
「む……う」
 苦しそうな顔になった後、うつむいて、
「学生のときだ」
 おー、学生恋愛。で、そのまま結婚? めずらしくはないんだろうけど、花房先生の口から語られると新鮮。
「お付き合いのきっかけは」
「おう……」
 またも苦しそうな顔で、
「姉貴の親友だった」
 えっ。ということは年上?
「歳は同じだがな」
 いつも聞かれていることなのだろう。進んで自分から口にする。
「ふむふむ。同い年ですか」
「……おう」
 もじもじと。次は何を聞かれるのかという警戒の目をしつつうなずく。
「では、ずばっと」
 ぐぐぐっ。
「奥様のどんなところを好きになったんですか」
「おい!」
 赤面に怒りも入り混じり、
「今度こそ手芸と何の関係も」
「あります」
 言い切る。
「愛です」
「う……」
「愛、です」
 くり返し。強調して、
「手芸に一番必要なもの。それは愛です」
「そ……」
 そんなことはない――と言おうとしたのかもしれないけど、素人だって意識がそれ以上は言わせなかったみたい。
「愛です」
 強調するようにさらに言って、
「それを使ってくれる相手のことを考えながら作る。それが手芸でしょう」
「お、おう」
「使い心地がいいように。長く使ってもらえるように。そういった想いが愛でなくて何だと言うのですか」
「おう……」
 一言もない。
「というわけで、あらためて」
 ぐぐぐぐっ。
「奥様の好きになったところを」
「お……う……」
 やっぱり苦しそうな表情を見せたけど、あきらめたように、
「……優しいところだ」
 おー。ベタだけど、リアリティあるー。
「俺は」
 告白は続き、
「こちらの世界には合わない人間だ」
「こちらの世界?」
 はっと。
「み、見た通り、普通に人と慣れあえない男だ」
 そうかなー。
 ワタシたちとはずいぶん……って、まあ、微妙な距離感ではあるけど。
「そんな俺に柚子は」
「奥様は?」
「………………」
 なになに? わたしも身を乗り出す中、
「普通に接してくれた」
 なーんだ。ちょっと肩透かし。
「うれしかった」
 ほんのりと。
(あ……)
 いままでとはちょっぴり違う赤面。
(ふーん)
 本当に好きなんだな。心から。
「それが理由だ」
「理由? 好きになった理由ということですか」
「おう」
「もー、それだけじゃないでしょ」
「!」
 固まる。その場にいた三人全員。
 いや、いたのは――四人。
「親父!」
 声が跳ね上がる。
 森君――じゃなくて森お父さん。
 けど、その格好は、
「おい!」
 あわてて詰め寄り、
「何なんだ、それは!」
「森なんだ」
「そういうことを聞いてるんじゃない!」
 相変わらずだなー。
 と、先生があわてるのも当然で、だってその格好は、
「なめたらあかんぜよ」
「なんでだ!」
 本当に『なんでだ』だ。
「おお!」
 ヤッコは目を輝かせてるけど。
 確かに――似合うんだけど。
「ジュオとおそろいだよ」
「どこがだ!」
 先生のツッコミが続く。
「俺は」
 そこからが言葉にならない。
「くっ」
 思い出したくないのだろう。この間の自分の姿を。
「確かにおそろいです」
 そこへヤッコが、
「だろう、メク」
「えっ」
 おそろい……か?
 確かに、その、出来がよろしくないところはそうかもしれないけど。
 ただ、お父さんが着てるのは、
「やらないと言ったはずだぞ!」
 声が張り上げられる。
「えー」
 心外そうに唇を曲げる。
 か、かわいいなー。だから、何歳なんだよ、お父さん。
「そんなこと言ってないよー」
「言っただろう!」
「嘘はつかないよ。お父さんだもん」
「う……」
 ぜんぜん『お父さん』らしくない格好ではあるんだけど。
「じ、じゃあ、その服はなんだ」
「似合う?」
 うん、似合う。
「ではなくて、なぜそんな格好をしているのかと」
 そんな格好――
「作ったから」
「なぜだ!」
「えー」
 またも「何を言うんだ」という顔で、
「作るでしょー」
「作らない!」
「作ります」
 おっ、ヤッコがお父さんに味方する。
「セットですから」
「おう?」
「先生の学ランと」
 指さす。
「お父さんのミニのセーラー服は」
「いやいやいやいや」
 さすがにここで『いやいやいや』だろう。
「なんで『ミニ』なの」
「似合っているだろう」
 確かに。だけど、
「なめたらいかんぜよ」
 それって、ロングなスカートの不良が言ってたセリフじゃなかったかなー。ミニのギャル風じゃなくて。
 で、スカートから見えてる生脚にムダ毛が一本もないんだよ。
 マジで女子かってカンジだよ。
「この間はジュオのほうで手いっぱいだったからー。昨夜までかかって、やっとできたんだよー」
「くっ、いつの間に」
「もちろん柚子ちゃんも手伝ってくれたよー」
「!」
 さらにあわてて、
「また手伝わせたのか! 柚子に!」
「うん」
「そんな、だってあいつは」
「大丈夫だよー」
「大丈夫じゃない!」
 いままでにない真剣な顔で、
「この間だって止めたんだ。なのに、あいつは」
「いい子だよねー、柚子ちゃん」
「つけあがらせるな!」
 その声の強さに、そばで聞いているこっちが跳びあがってしまう。
「せ、先生、ケンカは」
「っ」
 こちらを見て、はっとなり、
「……すまない」
「あ、いえ」
 なんて言えばいいんだろう。傍目には、女装したお父さんをはさんでものすごくアレな状況ではあるんだけど。
「不安なんだよね」
 そのお父さんが、
「よしよし」
 う……頭なでなでしてるし。
 自分のほうが背が低いから、つま先立ちしたりして。
「………………」
 されるがままの先生。こ、これが当たり前なのかな、この親子は。
 ていうか――落ちこんでる?
「俺は」
 口を開く。
「不安だ」
 認める。
「親父の言う通りだ」
 す、素直な息子だなー。
「初めてだもんね」
 初めて?
「おう」
 うなずく。
「僕も初めてだよ」
 え? え? お父さんも。
 二人で初めてって……な、なんかアヤシいんですけど!
「もちろん、柚子ちゃんには無理をさせてないよ」
「……おう」
「ジュオがあんまり心配しすぎるからね。それがちょっと不満みたい」
「………………」
「楽しそうだったよ」
 くるくると。セーラー服をよく見せるようにその場で回ってみせる。
 って、中が見える、中が見える!
「ジュオの学ランを作るときも楽しそうだったでしょ」
「………………」
 うつむき、完全に言葉をなくしてしまう。
 そんな先生を優しい笑顔で見つめる。うーん、お父さんってカンジだな。
 ――服装をのぞけば。
「ひょっとして」
 ずいと。ヤッコが前に出て、
「おめでたですか」
「ええっ!」
 ワタシが驚きの声をあげる中、
「せいかーい」
「えええっ!」
 マ、マジか!?
「お父さんが……じゃないですよね」
「んー?」
 ああっ、なにアホなこと言ってんだ、ワタシは!
「柚子ちゃんがだよー」
 にこにこで。言う。
「うれしいよねー。初孫だよ、初孫―」
 は、初孫……。いやまあ、そういうことにはなるんだろうけど。
「おめでとうございます」
「……おう」
 ヤッコの言葉に恥ずかしそうに目をそらす。
「愛だな」
「愛だね」
 ワタシもうなずく。
「よし」
 ぱんと。手のひらを打ち合わせ、
「作ろう」
「えっ」
 わたしたちも? 学ランとミニのセーラーを?
「何を考えている」
 ち……違うよねー。
「わたしもあまり詳しくないけど、こういう場合、赤ちゃんの肌着の類いはいくらあっても困ることがないはずだぞ」
 あー、そういう。
「おまえたち」
 先生の表情がやわらぐ。
 が、すぐはっとなり、
「い、いや、生徒にそのようなことをしてもらうのは」
「先生、かたーい」
「かたーい」
 ワタシと一緒にお父さんも言う。
「お、親父」
「だめだよ」
 めっ、と叱るようなしぐさで、
「生徒の気持ちを笑顔で受け取れるようじゃないと。先生失格だよ」
「し、失格?」
「そうです、気持ちです」
 そこにヤッコも、
「わたしたちから先生への感謝の気持ちです」
「そんな」
 本当に戸惑った顔で、
「俺は何も」
「しました」
 言い切る。
「わたしたちは」
 言う。
「変わりました」
 おっ、それって。
「変わったんです」
 こっちを見て、
「そうだな、メク」
「う、うん」
 ワタシは、
「変わりました」
 言う。
 言ってすぐ気づく。
 そうだ――変わったんだ。
 変わっていたんだ。
「ワタシたちは」
 言う。確信をこめて。
「もう二人じゃない」
 そうだよ、そこなんだよ。
 同好会の活動が変わったとかどうなったとかそういうこと以前に。
 それはもう、明確な変化なんだって。
「……むぅ」
 戸惑いにただ瞳をゆらす。
 うん、それでいいよ。
 何もしてくれなくたっていい。
 そばにいてくれるだけで――なんて言うと『昔の歌か』ってカンジだけど。
「よくはわからないが」
 軽く頭を下げ、
「おまえたちの気持ちはありがたく受け取る」
「気持ち『だけ』っていうのはだめだよ」
「う……親父」
 クギを刺され、たちまち困り顔に戻る。弱いなー、お父さんに。
「しかし、教師としての立場が」
「言ったでしょ。教師失格だって」
「お……う」
「あっ、こうすればいいんじゃないかな」
 我ながらナイスアイデア。
「先生も一緒に作るの」
「おう!?」
「そうだ、それがいい」
 ヤッコもうなずいてくれる。
「では、さっそく」
「ま、待て。何度も言っているが、俺は素人で」
「学ランを作ったじゃないですか」
「う……」
「作ったよねー」
「お、親父」
「だいじょーぶ。お父さんも手伝ってあげるから」
「おううっ」
 きょろきょろと。逃げ場を求めるように意味なく視線をさまよわせる。
 そして、そんなものはないと気づいたのか、
「す……好きにしろ」
「違うでしょ」
「おう……」
 縮こまる。ホント、お父さんの前では借りてきた猫っていうか大型犬っていうか。
「ありがとう」
 言う。
 ワタシは、
「どういたしまして」
 笑っていた。
 ヤッコも、お父さんも。
 先生も。

Ⅶ時間目

「先生はどうして先生になったんですか」
 針を動かす手が止まった。
 昨日に引き続き。
 先生は今日もワタシたちと裁縫にいそしんでいた。
 大きな身体の見た目通りっていうか、先生はあまり器用なほうじゃないっぽい。ごつごつした手で細かいことをするのが単純に苦手なのだ。
(なのに、手芸って)
 あらためてだけど、なんで顧問になったのかって思ってしまう。
「そこ、違う」
「お、おう……」
 ヤッコの指摘に、大きな身体をますます縮こまらせる。やー、どう見ても、生徒と顧問って光景じゃないよ。
「がるっ。がるがるっ」
 忠猫(?)だなー、リィオちゃんは。
 先生がいじめられてると思い、ヤッコに向かって威嚇するように鳴く。
「ふふっ」
 ヤッコ、余裕の笑みで、
「ほら」
「がるっ?」
 投げ落とされたそれは、
「がる? がるる?」
 ちょいちょいと。
「がるぅー」
 警戒の鳴き声。けどすぐに、
「がるるっ。がるっ」
 はずむ毛糸の玉とたわむれ始める。
「がるぅ~❤」
 すっかり気に入り、抱きしめてごろごろしたりなんかしてる。
「リィオ氏は冬はコタツで丸くなるタイプだな」
「それだと、もう完全に猫じゃん」
「猫ではないのだが」
「えっ」
「あ」
 はっと口に手を当て、
「い、いや」
 失敗したという顔で目をそらす先生。
(ふーん)
 まー、いいけど。
 リィオちゃんはただリィオちゃんって感じだし、いまのワタシの中では。
「そこ、違う」
「おう……」
 またも厳しい指導が入る。
「それとも」
 ヤッコの視線が冷え、
「生まれてくるお子さんも自分のような不良にしたいと」
「な、何!?」
「だって、そうでしょう」
 明らかに縫い目の粗い先生の『作品』を指さし、
「そのわざとらしいダメージの付け方」
「わざとでは」
「わざと『らしい』と言っているんです。世間はそう見てしまうと言っているんです」
「世間が」
 がく然となる。
 いやこれ、あのボロボロの学ランと同じノリで話してるのかな。ああいうのを着させるってことは、番長イメージな不良にする気なのかと。
「感化しようとしているんですか」
「感化!?」
「自分の趣味に」
 趣味――なわけではないと思うけど。
「本当の自分に」
 はっと。
 大げさなくらい先生の身体がこわばるのがわかった。
「………………」
「? 先生」
 不意の空気の変化に、挑発していたヤッコのほうが戸惑いを見せる。
「いえその、わたしが言いたいのは」
「わかっている」
 重々しく、
「俺たちの子どもは」
 言う。
「柚子のような優しい子に育てる」
「は、はあ」
 どう返していいか。そう聞きたそうにヤッコがこっちをうかがう。
 ワタシは、
「先生みたいになっちゃ、だめなんですか」
「だめだ」
 すぐさま。
「だめだ」
 くり返す。ゆるぎない想いをにじませて。
「………………」
 ワタシは、
「だめ……なんですか」
「だめだ」
 取りつく島がない。
「なんで」
「俺が」
 重々しさに苦さもまじえ、
「この世界にふさわしくない人間だからだ」
「なんでですか!」
 声を張り上げていた。
「『この世界』『この世界』って! 先生はどの世界の人ですか!」
「………………」
「先生は!」
 ワタシも。言う。
「この世界の先生です!」
 花房先生は、
「……おう」
 うなずく。
「どの世界の先生でもないんです! そうですよね!」
「おう」
「だったら!」
 迫る。
「あやまってください!」
「お……う?」
 さすがに目を丸くする。
 ワタシは先生をにらみ続ける。
「ぉう……」
 ゆれる瞳が落ち、
「おまえたちに……か」
「当たり前です」
 我ながら何を言ってるんだと思ったが、
「あやまってください」
 止まらない。
「う……」
 こちらの勢いに負けたのか、
「す、すまない」
「なんでです!」
「何?」
「なんであやまるんですか!」
「………………」
 言葉もない。
 こちらも完全にわけがわからなくなりながら、
「先生は先生なんです!」
「お、おう」
「大人なんです」
「……おう」
「だから」
 言う。
「自分みたいにならないほうがいいなんてこと、言わないでください」
 ちょっぴり。
 涙声みたいになってたと思う。
 わからないけど。
「………………」
 先生は、
「すまない」
 あらためて頭を下げる。
「あやまらないでください」
「おう」
 もう何がなんだかわからない。
「ワタシは」
 ワタシが言いたいことは、
「先生は先生のままでいいってことです」
「………………」
 先生は、
「いい……のか」
「いいです」
 言う。
「……そうか」
 顔をあげる。
「俺は騎士だ」
 ………………。
「は?」
 何を言われたのか、よくわからなかった。
「聞いてほしい」
「お、おす」
 なぜか舎弟風にうなずく。
「俺は」
 わずかなためらいの後、あらためて、
「騎士だ」
「は、はあ」
 キシって――『騎士』?
 えーと。
「それって」
 聞く。
「どうとらえればいいんでしょう」
「……知っている」
 ? 何を。
「この世界で」
 出た『この世界』。
「騎士はあまり知られている存在ではないようだな」
 うん、ワタシ、知らないもん。
 いやその、昔、いたっていうのは知ってるよ? けど、それがここでどうかかわるのか見当もつかないっていうか。
「騎士は」
 続ける。
「正義のため、愛のためにあるものだ」
「う、うす」
 またも舎弟言葉になる。
「俺はそれを親父に教わった」
 親父――えっ、お父さん?
 お父さんが『騎士』を? や、そんな、戦う人っぽいイメージからかけ離れたキャラクターなんですけど。
「だからだ」
 ぐっと。拳を握って、
「俺は教師になった」
「は?」
 いや、微妙につながらない。
「親父のようになりたかった」
 言葉は続く。
「力しか信じなかった俺を変えてくれた。そんな親父のように誰かを導ける人間になりたかった」
「先生を」
 えっ、お父さんも先生? これまたぜんぜんイメージっぽくない。
「あ、あの、いいですか」
 ワタシは一息つこうと、
「先生は」
 先生は――
「騎士で」
「おう」
「それで先生なんですよね」
「おう」
「それで」
 それでだ――
「お父さんみたいに……なりたい」
「おう」
「だったら」
 ワタシは言った。
「お父さんのようなお父さんにならないと」
「む……」
「生まれてくる子どもに尊敬されるような」
 はっと。
「お……」
 瞳がゆれる。
「子どもに尊敬される……」
「そうです」
「………………」
 先生は、
「そう……だな」
「そうです!」
「俺は」
 確かな想いをこめて。口にする。
「花房森の息子だ」
「そうです!」
「伝説の騎士の息子だ」
「で……!」
 伝説の!?
 おいおい、そこまでいくとかなり『イタい』感じなんだが。
「ま、まあ、いいか!」
「む?」
「あっ、なんでも」
 伝説でもなんでもいいじゃん!
 伝説の教師!
 ……いや、負けず劣らずイタいけど。
「誇るべき兄もいる」
 お兄さん? へー。
 先生みたいにゴツいのか、それともお父さんタイプか。
「姉がいる。家族がいる」
 うん、お姉さんがいるってのは聞いた覚えがある。
 家族――
 それは、先生にとってすごく大きな意味を持つみたい。
「一人加わりますね」
「っ」
「家族に」
「……おう」
 うなずく。その頬がうれしさの赤みを帯びる。
「誇るべき……家族」
「はい」
「俺も」
 顔をあげる。ゆるぎのない目で、
「家族だ」
 言った。
「はい」
 笑顔でうなずく。
「では」
 そこにヤッコが、
「新たな家族のためにがんばって続きを」
「お、おう」
 とたんにまた硬くなる。
「しかし」
 弱音を口にしたくないという気持ちをにじませながらも、
「俺のような不器用な男にやはりこういうことは向かないのでは」
「向いてない?」
 気持ち「ははーん」という感じで、
「向いていないんですか」
「お、おう」
「家族のことも『向いてない』で済ませる気ですか」
「おう!?」
 あわてて、
「なぜ、そういうことになる!」
「なります」
 しばらくワタシ一人が熱くなってたけど、ここからはヤッコのターンか?
「手芸はつまり家族なんです」
「む……」
 しばらくまばたきした後、
「な、なぜだ」
「なります」
 言い切る。
 強引だなー。や、さっきのワタシもそんなカンジだったけど。
「なるんです」
 たたみかけるように、
「手芸はさまざまな布や糸を縫い合わせるでしょう」
「お、おう」
「同じです」
 ヤッコは。言う。
「家族と」
「……むぅ」
「だから」
 軽く微笑み、
「丁寧に作り上げていくことが大切なんです」
「そうだよ!」
 そこにワタシも、
「見せてあげよう。着させてあげよう。先生の赤ちゃんに」
「………………」
 先生は、
「そう……だな」
 笑った。かすかに。
「騎士として弱音は禁物。うまくいかない物事から逃げ出すようなこともな」
「そうですよ!」
 騎士として――のところは聞かなかったことにする。
「教師としても」
「そうですよ」
 そっちの誇りは普通に口にしてオーケーさ。
「騎士としてですか」
 反応するなって、ヤッコ。
「だったら」
 縫い物の手を止める。
「作りましょう」
 は?
「お、おう。だから、生まれてくる子どものための」
「だけじゃありません」
「おう?」
 先生だけじゃなくワタシも驚いていると、
「槍です」
 や、槍!?
「槍……」
 あぜんとなっている先生に、
「騎士といえば槍。ですよね」
「おう」
「だったら」
 ずずずいっと。
「作りましょう」
「や、槍をか」
「わたしたちは手芸部です」
 それはそうだ。
 いくら手〝芸〟でも、槍までは作らないと思うぞ、普通。
「カバーです」
 カバー?
「カバー……」
 先生もあぜんとつぶやき、そして、
「そうか」
 わかったの?
「槍のカバーか」
 槍の……カバー!?
 えっ、それって、布団カバーとか枕カバーとかと同じ?
 それの、槍版!
「なるほど」
 納得しちゃった!
「確かに作るべきものだな」
 作るべきものなんだ!
「しかし」
 おっ、さすがに止まるか、先生。
「難しい」
 難しいっていうか何ていうかだけど。
「子どものものでもこんなに苦戦しているのに、その上、槍カバーというのは」
 そういう心配か。てゆーか、作る気まんまんか。
「弱音ですか」
「弱音ではない。自分のものより子どもを優先したいと」
「自分のものではありません」
「む?」
 まばたきして、
「いや、しかし、子どもにはまだ早いだろう」
 子どもに持たせる気か、槍を。
「違います」
「なら」
「伝説の騎士」
 はっとなる。
「お父上にプレゼントするためにです」
「親父に」
 頬がかすかに赤くなる。かなり乗り気になる提案だったみたい。
「家族ですよね、お父上も」
「おう」
「だったら作りましょう」
「おう!」
 力がこもってるな、うなずきに。
「えーと」
 ワタシは、
「じゃあ、追加決定ってことかな」
「そうだ」
 だから自信たっぷりにうなずかれても。いや、一番不器用なの、先生だし。
「そうと決まれば」
 ヤッコも勢いこんで、
「がんばりましょう」
「おう!」
「がるがるっ」
「いや、リィオちゃんはがんばらなくていいから。ちょっ……ほどいちゃだめだからーっ」

Ⅷ時間目

「できた」
 苦闘数日。
 達成感たっぷりに先生が口にする。
 けど、手芸ってこんなに汗まみれになるものなのかな、ずっと思ってたけど。なんだか、無駄に筋肉もぱんぱんだし。
「できたな」
 満足そうにうなずくヤッコ。弟子の成長をよろこぶ師匠かって。
「けど」
 ワタシはおそるおそる、
「何ですかね」
「む?」
「これ……」
 いや、努力を認めないとかじゃないんだけど。
「何なんでしょう」
 わからなかった。
 生まれてくる赤ちゃんのために――
 そして、完成したものは、
「……物?」
「物に決まっているだろう」
 そう言ってすぐ、
「先生が心をこめた逸品を物あつかいとは」
「いやいやいや」
 あんたが『物』って言ったんでしょーが。
「さー、次は槍カバーを」
「いやいやいや」
 話、終わってないって。
「他にどんなカバーが」
「カバーでなくて」
 先生も、
「む……作らないのか」
「そういうことでもなくて」
「達成した感触の残るこの状態ならうまくいく気がするのだが」
 どこから来るんだ、その自信は。
「達成したって」
 言ってもねえ。
「うーん……」
 わからない。どこをどう見ても。
 布製品であることは間違いない。それしか使ってないんだから。
 なのに、なぜこういうことになるんだろう。
 複雑怪奇なもろもろがついたタオル。
 いや、雑巾。
 いやいや、もはや素材そのもの。
(ワ、ワタシたちも手伝ったはずなんだけどなあ)
 どう見ても、もらってよろこぶようなものとは思えない。まあ、赤ちゃんだから、よろこぶもよろこばないもないんだろうけど。
 それに先生も満足してるみたいだし。
(まあ……いいか!)
 無理やり自分を納得させる。
「では、次の槍カバーだが」
 はいはい、次、次。
「問題がある」
「えっ」
 最初から問題だらけな気はしてるけど。
「赤ちゃんならある程度は想像することができる。その想像に基づいて物を作ることも」
 いや、あてにならないと思うよ、ワタシたちの想像力。
「しかし、槍は」
 苦しそうに。顔をゆがめて、
「さすがに実物を見たことがない。想像で補うにも限界がある。くっ」
 いや、そこまで悔しがることでも本気になることでもないと。
「先生」
 顔をあげて、
「教えてください。この無知なわたしに」
 だから、卑下しすぎだって。
「むぅ」
 困った息がもれ、
「教えろと言われても」
「じゃあ、先生の槍は」
 や、やめてよ『先生の槍』とか。な、なんかヤらしいよ。
 って、オヤジかワタシは!
「むぅ」
 またも困ったように、
「簡単に見せられるようなものではないのだが」
 えっ、ホントに持ってるの? 槍を!
「それに俺のと親父の槍は違う」
 お父さんまで!
「親父の槍は」
 表情に緊張がにじむ。
「それこそ、簡単に人が触れていいようなものではない」
「えっ」
 なにこのマジな空気。
 や、それ以前に槍が『マジか』ってカンジではあるんだけど。
「………………」
 しばらく沈黙した後、
「やめよう」
「えっ」
「カバー作りだ」
 あっさりと。先生は言った。
「ち、ちょっと待ってください」
 ヤッコがあせって、
「そんなことでいいんですか。騎士は逃げたりしないんじゃないんですか」
「そうだ」
 迷いのない目で、
「だから」
 言う。
「俺だけで作る」
「えっ」
 ワタシとヤッコ、同時に驚きの声をあげる。
「で、でも」
 ますますあせって、
「先生一人だけではまだ」
「その通りだ」
 認めるも、やはりゆるぎなく、
「生徒を危険な目にあわせることはできない」
 危険って……槍カバー作りが?
 いや、槍そのものはいわゆる凶器? なわけだから、危険って言えば危険なんだけど。
「でも」
「反論は聞かない」
 未練たっぷりなヤッコをきっぱりはねつける。こういうところは、さすがというか教師だと思った。
「槍カバーは俺の手で作り上げる」
 宣言する。
 や、カッコイイとは思うんだけど、内容が『槍カバー作り』だからなー。
「たとえ、俺の手が血にまみれようと」
 言い方が物騒だって。
 それって、ただ手に針を刺しちゃうってことでしょ?
 血まみれにはならないよ。
 いやだよ、血で染まったカバーって。
「親父のために」
 お父さんのために……なるのかなあ。
「僕のためにー?」
「!」
「きゃっ」
 とっ、唐突だって、いつもいつも!
「お、親父」
 これでもかとうろたえる先生。
「ねー、なーになーに」
 相変わらずのあどけなさで先生を見上げる。
「お、親父こそ」
 あわてふためく自分を必死に抑えつつ、、
「なぜ学校に」
「はい」
 差し出したのは――お弁当箱。
「い、いや」
 たまらずツッコんでしまうワタシ。
「もう放課後なんですけど。とっくにお昼終わってるんですけど」
「あー、そうなんだ」
 ぜんぜん悪びれてない顔で、
「ジュオがお弁当忘れちゃったから、それで届けに来たんだー」
「遅すぎますって」
「僕、時計とか持ってないから」
 持ってないんだ。
 スマホでも時間はわかるけど、それもなかったり?
 まー、自由に生きてそうなお父さんではある。
「ごめんね、ジュオ。おなかすいたよね」
「い、いや」
 先生は目をそらす。
「えー、すいてないのー? ジュオ、大きいからいっぱい食べるのにー」
 もう完全に子どもあつかいだな。
 いや、実際に子どもではあるんだろうけど。
 てゆーか、見た目、完全にお父さんのほうが子どもなんだけど。
「だめだよ、子どもはたくさん食べないと。大きくなれないからね」
 だから、大きくなったほうがいいのはそっちだって。
 先生、もう十分に大きいって。
「すまない」
 それでもお父さんには逆らえないのか、先生は素直にお弁当を受け取る。
「それでー」
 にこにこと。
「『僕のために』ってなーに?」
 ぎくっと。わかりやすく大きな身体がふるえる。
「な、なんでも」
「ジューオ」
 あくまでにこにこと。
「お……う」
 逆らえないらしい。
「ひ、秘密だ」
 うーん、正直に言っちゃうなー。見た目ゴツい先生が『ヒミツ』とか言うのはホント似合わないけど。
「えー」
 やっぱりというか、お父さんはほっぺをふくらませて、
「お父さんに言えないのー」
「お、おう」
「そう」
 しょんぼり。肩を落として、
「言えないんだ」
「おう」
「お父さんの僕に言えないんだ」
「お……う……」
「わかった」
 うるうるし始める。だから何歳なんだって。
「ジュオは」
 うるんだ目で『息子』を見上げ、
「不良になっちゃったんだね」
 ずざざざーっ!
 な、なんでそうなる!
「なぜそうなる!」
 ほら、先生も。
「だって、お父さんに隠し事するなんて。不良だよ」
「おうっ」
 いや『おうっ』じゃなくて。
 親に隠し事なんて当たり前にするって。何もかも話してるほうが逆に気持ち悪いし。
「こんなことになるんじゃないかって思ってたんだ」
 思ってたんだ。
「この前だって、よろこんで番長やってたし」
「ううっ」
 よろこんでたっけ!? 恥ずかしがってはいたけど。
 てゆーか、学ラン作り、お父さんも手伝ってたはずだけど!
「きっと、チェーンとかカミソリとか持ち歩くようになっちゃうんだ」
 いつの時代の不良だ! いやまあ、あの番長スタイルがそもそも『いつの時代だ』ってハナシだけど。
「信じられないよ」
 切々と、
「ちゃんといい子に育てたつもりだったのに」
 い、いい子……。
「すまない」
 いや、先生も真に受けなくても。
「責任とる」
 へ? お父さんがどう責任を。
「僕が先生やる」
 ……は?
「不良の息子に先生をやらせるわけにはいかないから」
「お、おい」
 さすがに先生もあわてて、
「何を言っている」
「僕が先生をやるって言っている」
「そんな」
 言葉が出ない。いや、止めろって。
 やっぱり、どうしてもお父さんに強いことは言えないらしい。
「というわけでー」
 にこっと。
 笑顔が向けられ、ぎょっとなる。
「これから授業を始めまーす」
「おい!」
 ますますあわてて、
「な、何を言っている!」
「授業を始めると言っている」
「いまは放課後だ!」
 いや『放課後』とかそういうこと以前に、
「あ、そーか」
 納得した!
「放課後だったら、もう授業はやらないよねー」
「そ、そうだ」
 ほっと。あからさまに胸をなでおろす。
「あ、でも、補修とか」
「いまはクラブ活動の時間だ!」
 またもあわてて声を張る。
「そっかー。そうだよねー」
「そうだ」
「じゃあ、ジュオの代わりに僕が顧問を」
「おい!」
 ははは……笑うしかないって。
「というわけで、今日のクラブ活動はー」
 ワタシたちに笑顔を向けたお父さんの言葉が――止まる。
 先生のほうをふり返り、
「何をやってたの?」
 ぎくぎくっ! またもわかりやすくふるえる。
「お、親父には関係ない」
 いや、関係あるんだけど。
「関係ないとは言い切れないが、言うほどのことでは」
「言えないんだ」
「お、うっ」
「やっぱり言えないんだ」
 じわり。
「なっ」
 泣くことはないって! だから何歳なんだって!
「親父……」
 うろたえちゃってるよ。ものすごく効果あるし。
「……わかった」
 えっ。
「俺の負けだ」
 何に負けたの?
「すべて話す」
 話すんだ。や、そんな大げさなことでもないけど。
「実は」
 そして、先生は話した。
 お父さんの『槍カバー』を作ろうとしたこともふくめて。
「あー」
 納得。そんな息をもらして、
「それで言えなかったんだ」
「……おう」
「秘密にして、僕を驚かせようとして」
「おう」
「そっかー」
 にっこり。本当に幸せそうに微笑んで、
「ジュオーっ」
「おおっ」
 飛びつかれて驚くも、それをしっかり受け止める。
「うれしいよー。さすが僕の息子だね」
「お、おう」
 なんだか、お姫様だっこみたいな状態になってるし。
「じゃあ、さっそく」
 さっそく?
 先生の腕の中から降りたお父さんが手を高々と――
「おい!」
 これまでに勝る必死さではがいじめする。
「やめろ!」
「えー」
「『えー』じゃない!」
 な……何を『やめろ』なんだろう。
「学校でそんなことをするな!」
「学校じゃだめなの?」
「だめに決まっている!」
「学校で何かあっても?」
「おぅ……」
 言葉につまるも、
「い、いまは何も起こっていない」
「けど、いつか起こるかもしれないでしょ」
「そのときはそのときだ」
「だめだよ、そんな無責任なことじゃ」
 びしっと。
「そんなことじゃ、先生として生徒を守れないよ」
「うっ!」
 最後の言葉は、先生的にかなり来たようだ。
「ど……どうすれば」
「練習」
「練習?」
「そう」
 そして、
「少々お待ちください」
 出ていった。二人で。
「………………」
 ワタシたちは、
「待つって……何を待てばいいのかな」
「何かをだね」
 答えになってない。
 と、そこに、
「わははははー」
 笑い声。
 笑い声――だよね。
 てゆーか、ものすごくわざとらしいというか、演技ともいえない演技というか。
「泣く子はいねーかー」
 バン。扉が開く。
 なまはげかよ。
「わははははー」
 そこにいたのは、
「う……」
 ワタシも固まるし、ヤッコも固まる。
 仮面。
 鬼みたいな仮面に手に包丁――
 じゃなくて、そこに立っていたのは白い仮面をつけた男の人。
「わははははー」
 笑っていた。聞こえてた間抜けな笑い声は目の前の仮面の人が放っていた。
「……えーと」
 どう対応すればいいんだろう。
 ヤッコもさすがに固まったままだ。
「悪い子はいねーかー」
「………………」
「フッ。悪いのはこっちだがな」
 へ?
「悪く思わないでもらおう」
 いや、どっち!?
「この部室は私が占拠した!」
 は……はあぁ!?
「つまり、キミたちはとらわれの美少女ということになる」
 いや、び、美少女とか――
 って、浮かれてる場合じゃなくて!
「何が目的?」
 えっ、ヤッコ!? まともに相手してるよ!
「目的か」
 フッと。悪者ぽくっていうか、やっぱり芝居っぽいカンジで、
「それは私が悪に落ちたファザーランサーだからだ」
 何なの『悪に落ちたファザーランサー』って!
 ふ、ふぁざーらんさあ?
「そうだったのか……」
 いや、知らないでしょ、ヤッコも!
「ふっふっふ。これからキミたちは恐ろしい目にあう」
 えっ!
 いや確かに、見た目、思いっきり不審者なわけで。そんな相手と女子中学生の自分たちが同じ部屋で――
「……た」
 助けて。思わずそう口にしそうになった瞬間、
「やめろ!」
 飛びこんできた。その人影は、
「……え?」
 またも仮面。
「大丈夫だったか」
「え? え?」
 まあその、まだ大丈夫ではあるんだけど。
「やめるんだ……親父!」
 は!? 『親父』って言った?
「か……」
 仮面親子――
 って、何なの、その親子!
「はっはっはー」
 またもわざとらしく笑い、
「来たか、我が息子よ。ライオランサーよ」
 やっぱり親子なんだ。
 てゆーか、今度は『ライオランサー』って!
「親父……」
 心から苦しそうに、
「やめろ。これ以上は」
「ふふふっ」
 ファザーランサーは馬鹿にするように笑い、
「断る」
「……!」
「息子が父に逆らうなど、片腹痛い」
「くっ」
 いっそう苦しそうに顔をゆがめ、
「わかった」
「ほお」
「親父」
 構える。
(おおっ!)
 槍――
 槍、なんだろう。
 だって、初めて見るから。
「行くぞ」
「来るがいい」
 よ、余裕だ。
「なめるな」
 あっ、怒った。
「俺はやる」
 決意をこめて、
「倒す。そして救う。闇に落ちた親父を」
「フッ。やれるかな」
 あくまで余裕で。両手を広げる。
「うおおおおおっ!」
 えっ。ち、ちょっと待って。
 行くの?
 戦うの!?
「ランス……」
 ええっ!
 突くの? 突いちゃうの!
「ふふっ」
 ファザーランサーはあくまで微笑んだまま、
「突くの?」
 ワタシの心の声と同じ言葉に続けて、
「素手の僕を」
「……!」
 ライオランサーは、
「抜け」
 えっ? 槍を『抜く』って言うか。
「後悔するよ」
 余裕の笑みのまま――手をかかげる。
 直後、
「っ……」
 震えた。
 部屋の中が。空間が。
 世界が。
 これから起こることに戦慄するように。
「!」
 光――
 一筋。
 どうやってかわからないけど、天井を突き抜けて達した光の筋は、ファザーランサーの前でだんだんと大きくなり、
「だめっ!」
 飛び出していた。
「それだけはだめ! 絶対に!」
「ふふふー」
 笑顔のまま、
「っ」
 すっと。手を降ろした。
 光の筋も消える。
「よかった……」
 へなへなと。その場にへたりこむ。
「よかったの?」
 はっと。
「あ……」
 そこにあったのは、やはり笑顔。
 だけど――
「ふふっ」
 笑う。
「な、なんですか」
 それが本当の悪者の笑みに見え、膝をついたまま後ずさる。
「なんだろうねえ」
 悠揚に。
 ファザーランサーがワタシとの距離を詰める。
「何なんですか」
 後ずさり続ける。
 怖かった。何が何だかわからなくて。
「久しぶりだね」
 そして――彼はその名を口にした。
「ザ・ロウ」

∞時間目

「確定した?」
 聞かれる。
「か、確定?」
「ただでさえゆらぎがあるから」
 そう、言う。
「ゆらぎ……」
「ゆらぎ」
 ゆるぎない口調で。言われる。
「仮面は仮面と響き合う」
 歌うように、
「ここは仮面の世界だ」
 キン、と。
「っ」
 不意のするどい頭痛に顔をしかめる。
(えっ……何?)
 痛みはすぐに去ったけど、
「ふふっ」
 目の前の『仮面』は消えない。
「どういうことです」
 問いかける。当然のように。
(当然……)
 当然。
 そう、ワタシは、
(当然のように)
 ふるまってきた。
 思う。
(けど)
 当然なのか、これは。
 いま、ワタシが。
 仮面の男性と向き合っているのは。
「当然だよ」
 答えが。出される。
「当然なんだ」
 くり返し、
「仮面の世界」
 言う。
「キミは仮面なんだ」
 仮面――ワタシが。
「ああ、違う」
 しまったというように頭をかき、
「キミは仮面じゃない」
「えっ」
「キミが仮面なんだ」
 なっ――
 何それ、どっち!?
「ゆらぎが大きかったけど、最後で確定した」
 ふれる。自分の、
「仮面は響き合うんだ」
 はっと。
「そう」
 うなずいていた。
「だよね」
 えっ……違う。
「素敵な仮面だと思う」
「僕も思う」
 えっ、えっ? 違う、違う?
 ワタシじゃない。
(だけど)
 しゃべってる――『ワタシ』が。
「ふふふっ」
 笑う。
 違う。
 こんな笑い方――ワタシは、
(……いや)
 するのか。『ワタシ』なら。
「やっぱり〝聖槍(ロンゴミアント)〟は怖い?」
「怖いに決まってるよ」
 笑いながら。言う。
「それ以上に興味深いけど」
「だろうね」
「わたしは」
 言う。
「知識だから」
 うなずく。静かな表情で。
(な……)
 何なんだ、この二人は?
 いや、そのうちの一人はワタシなんだけど。
 ワタシじゃない『ワタシ』なんだけど!
「親父」
 ファザーランサーをかばうようにライオランサーが前に立つ。
「大丈夫だよ」
 父親らしいと言うべき余裕さで、
「ライオランサーは初めてだったよね」
「おう」
 隙のない――
 どころか、何かあったら飛びかかってきそうな気をにじませてうなずく。
「大丈夫」
 あらためて。言って、
「ザ・ロウ」
 再び。その名前を呼ぶ。
 こっちに向かって。
(いや……)
 違うんだ。
 この人が見ているのは、
「仮面」
 ぴくっと。ふるえる。
 ワタシじゃない『ワタシ』が。
「キミは仮面だ」
 え? え?
 あらためて顔にふれてみる。
(ない……)
 けどすぐに、
(ある)
 どうしてかわからないけど感じる。
 そして、いま目の前の仮面の相手と会話している『ワタシ』はこの、
「仮面」
 念を押すように、
「それがキミだ」
(………………)
 ワタシは言葉もない。
 いやもう、しばらく自分の言葉なんて発してないけど。
(う……)
 自分――
 ワタシは……一体――
「安心して」
 誰に向けて放たれた言葉だろう。
「キミはキミだ」
 だから、どっちに、
「仮面だ」
 また。
 仮面――
「ザ・ロウ」
 くり返す。何かの暗示のように。
「ミゼルフと対になる存在。司るものは知識と理性」
 な、なに、また知らない名前が出てきたけど。
 いや『ワタシ』は――知ってる。
「だったよね」
 うなずく。
 そのうなずきには、たぶん、ほんのすこしワタシも入っていた。
 意味なくだけど。
「再生する仮面」
 えっ、何?
「かつて、僕はキミを破壊した」
 か、かつて?
 そんな『かつて』なんて言葉、聞くのも話す人に会うのも初めてかもしれないけど。
「キミはよみがえる。命のない仮面だからだ」
 わ……わからない。
 この人は何を言っているの。
「不思議だね」
 笑みをこぼし、
「自分が仮面をつけて初めてわかったよ」
 それに対する返答は、
「因果」
(えっ……)
「因と果はどこまでも結びつく。それこそ果てなく」
 じ、自分で言っていることの意味がわからないよ。いや『ワタシ』が言ってることなんだけど。
「その通り」
 うなずかれる。
「だから、キミはこうしてここにいる」
 どういうことなの? なんで?
 もういい加減、パニックにならない自分が不思議だよ。
「不思議」
 ドキッと。
「そう顔に出てる」
 か、顔に?
「仮面に出てる」
 どういうこと!?
「仮面は」
 またも歌うように、
「仮面であって仮面でない」
 どういう意味!?
「だよね」
 同意を求められても!
「その通り」
 言った。『ワタシ』が。
「キミはそこに自分を刻みつけた」
 えっ……!
「自分」
 かすかに苦笑し、
「そう言うと、ちょっと違うのかな」
「そうね」
 ワタシも、ううん『ワタシ』も笑う。
「刻みつけたのは、モーリス・ミルドレッド」
「そして、そんな人間はもうどこにもいない」
 え? え? 何の話をしてるの?
「情念と理性を二つに分ける」
「それは、情念をにぶらせないため。何十年、何百年をかけても目的を果たすための選択」
 な、何百年!
 ついていけない……いやもうとっくにってハナシだけど。
「そこで、モーリス・ミルドレットは消えた」
(えっ)
 消えちゃっ……たの?
「できるはずがないんだ」
 ファザーランサーが言う。
「人間をきれいに二つに切り分けるなんて。できるはずがない」
 う、うん。ワタシもそう思う。
「だからキミは」
 指さされ、
「人間じゃない」
 なっ……!
 なんだか存在をすっごく否定されたみたいで、さすがにショックだ。
「それで仮面なんだ」
 えっ……いや、そ、そういうことになるの?
 だめだ。やっぱりわからない。
「人は死んでも仮面は残る」
 はっと。
「残った仮面は、新たな相手と一つになる」
(あ……)
 それが……ワタシ?
「仮面はそのままだとただの置き物だ」
 それは、たぶんそうだ。
 壁にかけられた飾りみたいなものだろう。
「人と一つになって仮面は仮面となる。新たな『存在』となる」
(………………)
「それがキミだ」
 それが――ワタシ。
「わからない」
 うん、完全に理解できたわけじゃない。
 あ、いや、いまのはワタシじゃなくて『ワタシ』が、
「どうして〝ここ〟だとわかったの」
「可能性」
 かすかに息をのむ。ワタシじゃない『ワタシ』が。
「キミは偏在する」
「………………」
「執着のミゼルフとは違う」
「……だから?」
「だったら、それを確定すればいい」
 確定――
「そう」
 納得したように『ワタシ』は、
「だから仮面なのね」
「だから仮面なんだ」
(………………)
 ワタシは、
(……わからないよ)
 いままでのことが思い起こされる。
(先生)
 そうだ、先生だ。
 すべての始まりは花房先生だったと思う。
 花房先生――
「おう」
(!)
 えっ、先生? いま先生が、
「穂乃上」
 呼んだ。
 ワタシの名前を。『ワタシ』じゃなくて。
 正確には苗字だけど。
「あっ」
 違う。呼んだのは、
「穂乃上芽久」
 口にする。フルネームを。
 ライオランサーが。
(えっ、なんで)
 わからない。
「そう、わからないんだ」
 ファザーランサーが言う。
「わかろうとする必要もない」
 えっ、えっ? もう本当にわからない。
「わからないまま」
 指をさされる。
「キミはここに確定された」
「ふふっ」
 笑う。『ワタシ』が。
「みんなが仮面」
「みんなが仮面」
 歌うように。二人が。
 完全にワタシだけ取り残されている。
「それで」
 かすかに。
 余裕さを崩さないながらも、身体がこわばるのがわかった。
「またわたしを破壊しに来たの?」
「うーん」
 わざとらしく。
 と言うほど芝居がかってはいないけど、ファザーランサーは腕を組んで考えこむ様子を見せる。
「そこなんだよねー」
 指をふって、
「ここに確定したキミは何がしたいのか」
 びっと。またこちらをさして、
「そこが知りたい」
「ふふっ」
 笑う。
「ミゼルフはもういない」
「消したのはキミ」
 えっ。
「と思ってたんだけどね」
「えっ」
 今度は『ワタシ』が驚きの声を出す。
「さすが執念妄念ってとこかな」
「情念よ」
「どっちもそこから来る」
「そうね」
 うなずき、苦笑する。
「変わらないのね、あの人は」
「変わらないよ。仮面だもん」
「仮面は変わる」
 静かに。そして確信をもって、
「着けた者によって仮面は無限の顔を持つ」
「そうだね」
 うなずく。
 着けた者――つまりワタシってこと?
 いつ着けたかの記憶もないんだけど。
「陽月(ひづき)のり」
 ライオランサーがまた人の名前らしきものを口にする。
「なぜだ」
 仮面越しににらまれる。えっ、なんでなんで?
「おまえは」
 前に踏み出て、
「ザ・ロウ。それになぞらえて人間としての名前をつけたと聞いている」
 ロウ――法。
 あっ、『法』って書いて『のり』って読むもんね。
「違う」
 え、違う?
「いまのおまえの名前」
 違うって……何が? 確かに法にもロウにもかかってないけど。
 でも、それって、そんなに怒ること?
「なぜだ」
 くり返す。そこから先を具体的に言うのが悔しいという気持ちをにじませて。
「うちの子っぽいよね」
(えっ)
 口を開いたのはファザーランサーだ。
「芽久」
(は、はい)
「花房家の子っぽい」
(あっ)
 そういうことか。
 花房森。
 花房樹央。
 苗字も名前も植物に関係している。
 しかも、奥さんの名前は柚子。
 偶然だろうけど、これも果物で植物だ。
 そして、ワタシの名前。
(『穂』乃上……『芽』久)
 見事に植物だねえ。
「どういうことだ」
 再びライオランサーが前に出る。
「見つけられると思ったから」
 そう『ワタシ』が言う。
「わたしのことを」
「へえ」
 興味深そうに、
「見つけられたかったんだ」
「ええ」
 うなずく。
「確定されないといけないから」
「だね」
「ミゼルフはもういない」
 ふと。
 複雑なものがライオランサーの口もとににじむ。
 ファザーランサーは平静なまま、
「なるほど、それで」
「あなたたちなら」
 すずやかな声で、
「見つけてくれると思ったから」
「事実、見つけた」
 こちらもすずやかな笑みで、
「こうして」
「ええ」
 うなずく。
「さーて」
 おどけるような楽しむような。そんな声で、
「またわたしを破壊する?」
「ふふっ」
 こちらも笑って、
「陽月のり」
「………………」
「彼女を破壊することはできない」
 かすかに。動揺がにじみ、
「不思議な言い方ね」
「そう?」
「だって」
 何の痛痒もない。そんな口調で、
「すでに破壊された『わたし』だもの」
「正確には違う」
 言う。
「キミは自分から身体を捨てた」
「……そうね」
「そして、そのまま消えた」
 沈黙する。すずしい顔のまま、
 そして、
「無理があったから」
 つぶやく。
「あんな短時間で仮面だけ変えようなんて」
「無理があった?」
「無理があった」
 うなずく。
「仮面と人が一つになる。それには長い年月が必要なの」
 長い年月――
(そっか)
 ずっと一緒だったんだ。
「そう」
 はっと。
 いまのって、ワタシに?
「ずっと一緒だった」
 やっぱり。はっきりと感じる。
「ゆっくりと編みこんでいく」
 編みこむ? それじゃ、ホントに手芸だよ。
「言葉を」
 言葉――
「知識を」
 知識。ああ、そういうことか。
 ずいぶんそばで聞かされたもんなー、いろいろと『知識』を。
 いやまあ、中身はかなりあやしかった気もするが。
 けど、そういうほうが、いまのワタシにはきっと大事だったんだと思える。
 一度『ロウ』の名前を手放した後では。
(あー)
 さらに気づく。
 よく考えたら植物だよ『柳』も。
 あと『泉』だって自然のものとは言える。森の中にある気がするし。
 そして、情熱の反対。
 冷静の『冷』だ。
(あー)
「納得してくれた?」
(うん)
 すっきりと。
 わたしでなかったワタシと『ワタシ』は、
「さーて」
 あらためて、
「戻らないと」
 戻る?
「そう」
 そっか――
「そっか」
 ファザーランサーもうなずく。
「ただ」
 ちょっぴり。
 残念そうに。
 けど、それは心からの、
「ここであったことが消えるのは惜しいな」
「消えないよ」
 言う。
「残るから」
 そして、あらためて、
「じゃあ」
 光が、
「行こう」
 導く。
 その道を。
 ワタシは……『ワタシ』は――
「大きくなってるだろうな」
 行く。
「ずっと待ってたんだよ」
 ファザーランサーが、
「キミのことを」
 ささやく。
「そっか」
 うなずく。
「本当にずっと待ってたんだ」
 ずっと――
「永遠を」
 共に生きよう。
〝姫〟の魂を持つ者と。
 わたし。
 仮面。
 共に――
「お待たせ」
 閃光がわたしを包んだ。

0時間目

「先生」
「おう」
 とたんに、
「う……」
 困り顔になる。
 その大きな手の中には、もっと顔をくしゃくしゃにした小さな命があった。
「お、おい」
 おそるおそる。その子に声をかける。
 しかし、そんなもので元気いっぱいの泣き声がやむはずもなかった。
「今日は早く帰られたほうがいいのでは」
「そ、そうだな」
 育児休暇中に顔を見せた花房先生。
 お披露目というより、純粋に報告の気持ちからだろう。無事生まれた子どもを伴っての登校だったが、終始その扱いには手を焼いているようだった。
「お父さん……じゃなくてお爺さんか。も、かわいがってるんでしょう」
「おう」
 ちょっぴりぶすっとなり、
「かわいがりすぎだ」
「あー」
 わからなくはない。あの人なら。
「先生のこともかわいがってましたからねー」
「お、おう……」
「あー、『ました』じゃなくて現在進行形でかわいがってますけど」
「よ、よけいなことは言うな」
 わかりやすく赤面する。
 と、こっちを忘れるなと言いたそうに、まるまるころころとした赤ん坊がいっそう大きな声で泣き出す。
「いつもはどうやって泣きやますんです?」
 ひょっとしたら、先生お手製の変な服(?)が不満なのかとも思いつつ聞いてみる。
「俺は」
 声がかすかに沈む。
「泣きやませたことがない」
「えっ」
「いつも柚子か、親父だ」
「はぁ」
 ちょっと、どういう言葉をかけていいか戸惑う。
 するとますます沈んで、
「なれるのだろうか」
「えっ」
「親父のように」
「………………」
 言う。
「なりたくないんですか」
「っ」
 すぐさま、
「な……なりたい」
「『たい』?」
「なる」
 はっきりと。
「じゃあ、なってください」
「おう」
 うなずいた。
「あっ、今度、うちに入部したいって子が来ますから」
「お……」
 無骨な顔がかすかに明るくなる。
「新入部員か」
「正確には新入同好会員ですけど」
「ややこしいな」
「そういうものです」
「そういうものか」
 うなずく。ホント、素直な先生だなー。
「とにかく、これで二人ですよ。一人じゃ『同好会』名乗るのもあやしいですから。ただの個人活動ですから」
 と、チャイムの音が聞こえてくる。
 それがちょうどいい切り上げのきっかけというように、
「帰るぞ」
 生まれて間もない我が子に声をかける。
「芽生(めお)」
 返ってきたのは、やっぱり泣き声だったけど。
「ホント元気ですね」
「おう」
 そこはうれしそうに笑う。
「次は女の子がいいですよね」
「おう!?」
「名前は柚菜(ゆな)で」
 あだ名はユッコ。うん、悪くない。
「ま、まだ早いだろう、そういうことは」
 こほんと。
 照れた自分をごまかすようにせき払いして、
「では、育休明けにな」
 そう言い残し、赤ちゃんと共に部屋を出ていった。
 残されたわたしは、
「………………」
 ここにいない誰かに向かって。
 言うように。
 自然とその言葉が口をついて出た。
「また明日」

獣の国から来た教師

獣の国から来た教師

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-12-11

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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  1. 一時間目
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