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 陶器のコップに注がれる珈琲を味わう時間、一枚の絵として描かれたものについて、描かれたと思ったものを描き手と観る者が言葉を使って語る。そのために必要なコップという具体的な存在を手にし、コップが有する器の形に沿ったまま湯気を立たせ、また息を吹きかければ波紋を生む飲み物として一切の抵抗を見せない表現の抽象性に口をつけて味を知ろうとし、飲み干してみる。その経験は二度と戻って来ない。記憶と同じように物語として観た者が語るしかない。個人性に大きく左右されるであろうその語りの内容を、描いた者が口を挟むことなく聴き続ける。または描いた側が作品として描いたものについて、描こうとした者にしか把握できない意図が未完成な形で鑑賞者の方へ差し出される。表現者と鑑賞者が語り合う関係性というよりは、一方の語りが始まるために対面することだけが求められる位置関係と言った方が適当かもしれない、抽象表現を巡るやり取り。
 その中で、現実世界の有名な映画の一場面や行楽地の風景などを描き、理解し易いテーマ性を足掛かりに底の見えない液体として揺らめき又は非現実の成分を濃密に含んだ空気として画面を漂う抽象表現の宇宙を観る者の認識の大部分に染み込ませる。ピーター・ドイグ氏の絵画表現の醍醐味がここにあり、その不穏さに病みつきになる刺激が潜んでいると私は思う。



 ピーター・ドイグさんの表現と同じく対話する感覚、しかしながら終始、その行き着くところが対照的であると感じたのは奥村土牛さんの日本画だった。
 奥村土牛さんが描かれた『枇杷と少女』には題名にもある枇杷が淡い橙色で数個ずつ、枝葉の合間に自然に集まり成っていて、枝に繋がらない先の黒い斑点が果たした実りをキュッと知らせる。
 幹の中心に集中して部分的な色の濃さを見せる樹皮の強さと、上方を占めるように勢いのある成長を見せる葉の深い緑は旺盛な姿を現し、さきの実りを誇らしい冠のように掲げる。珍しいと解説されていた、枇杷の木の傍に立つ少女の頬に丸く残る幼い高揚と不思議さを隠さない表情が鑑賞者の視線と正対して、画家に描かれるモデルとなっていたときの不思議な心地をこちらに読み取らせる。画家に向ける興味が勝って今は大人しくしている(だからいつでも、その場を走り去る予感に満ちた)姿と一本の枇杷の生き生きとした並びは隣の枇杷が成し遂げた成長という未来を強く感じさせ、描かれた日常が愛おしい姿を現す。
 三十八歳で院展に初入選を果たした奥村土牛さんは百一歳で亡くなられるまでに精力的な絵画制作を行い続けた。上記した『枇杷と少女』も奥村さんが四十一歳のときの作品で、いい絵だなと思って他の展示作品の解説を見る度にその御年齢に驚き、衰え知らずの意思と画力に脱帽する。
 対象を把握する努力を絶えず行っていたことは奥村土牛さんが『鳴門』の下絵を描くときに船上から落ちないよう、奥さんに腰紐を引っ張ってもらったと同じく解説されていたエピソードからも分かる。梶田半古さんの元に入門、梶田さんが亡くなった後は兄弟子であった小林古径さんの元で学んだときから続く画家としての心構えないしは姿勢であるという。思い描いたものを描く、そこに画家の人柄が表れるという奥村土牛さんの言葉は対象のイメージの把握だけでない、かかるイメージの保持と熟成にも通じる確信があったのでないかと想像する。
 花開くという言葉がひと目見た時から離れない『醍醐』は奥村土牛さんが京都総本山の醍醐寺に植えられた太閤しだれ桜を初めて見てから十年後、再訪したときに全く変わらないイメージであったことから念願の製作に取り掛かったと説明されていた。勿論、本当に奥村土牛さんの内側で抱くイメージの合致があったのかは知れない。大切に保全される太閤しだれ桜の咲きっぷりが毎年見事であるため、何度目でも同じ感想を誰もが抱くだけかも知れない。けれど、この感動を絵にするという過程においてはその意味合いが大きく変わる。対象を描くとき、画家の視線が気持ちなどの内なる主観的な要素を包含したイメージ群に向けられるとすれば、その捉え方、取り出し方は実に個人的なものになると考えられる。しかしながら、それを画面の上に表すときには研鑽された技術、そして厳しい鑑賞者としての目も兼ねる画家自身の批評の眼差しにも晒されて個人的なイメージから鑑賞者一般に響くような心象としての普遍性を獲得していく。イメージが描かれていくこの過程が正しいのなら完成した絵が誰にも理解できない独善的な表現にも、また例外なく誰にでも受け入れられる程に薄められたものとして印象に残らない一枚にもなり得る。その間で「その人にしか描けない」という評価を得る絵が生まれ、その「個性」を鑑賞者一般が理解して、評価する。真実その人の個性であるのならその人でない他人が理解できるはずがない、にも関わらず見る者の間で受け入れられるであろうこの評価軸は確かに矛盾を孕みながらも、感覚の土壌で育った個々人の心情に寄り添って納得される。唯一無二の絵画表現を行う画家自身になったかのようなこの想像ないし錯覚は合理的でないが故に味わえる絵画鑑賞の妙味であると同時に、歴史的又は時代的背景やテーマに関わる宗教の教義などの知識を加えれば、より画家の意図ないし狙いに近付ける機会となる。今は亡きマエストロの描こうとしたその意思に触れられる喜びは、だから誤解承知のコミュニケーションに似ると私は考える。そしてかかるコミュニケーションを奥村土牛さんの表現との間で行うとき、画家としての純粋な気持ち、対象を描くという真摯さに掬われて器の縁から溢れないたっぷりとした情感に目が覚める。その香りに、ただただ感動を覚える。
 絵からは画家の意図を感じさせないのがいいという考えのとおりに、奥村土牛さんの絵からはその意図を感じないのだ。
 風景画であるから、という部分は否定しない。そこに込められる教訓や謎などそう多くはないだろう。ただ奥村土牛さんが描く『吉野』に対して指摘できる構図の巧さや色調の見事さを前にしても、画家自身の「私が覚えた感動」という外殻の欠片すら画面に見当たらない。言ってしまえば、描こうとした動機とも言えるそのメッセージすら向こうの風景に溶けている。この私の印象を敷衍すれば『吉野』は冷たい風が吹く外界の景色でなく、奥村さん個人の感情の表れでもない。描き手である「奥村土牛」が画力を賭して成り代わり、その存在を肯定した全てとなる。だから絵の中に入り込み、見上げた内側に残されているのは一人の人が見出した吉野山景の厳しさや寂しさであり、鑑賞者の視界に収めて伝わる主体なき記録なのである。
 記録を読み解く者が一時的に代理する思い出とその語り口に表れる人柄は、私の口を借りて蘇る。見取り稽古においても活発化されているであろうミラーニューロンも想像的に働かせて、その日のうちに何度も『醍醐』や『吉野』を観に回れた私は幸せであった。
 奥村土牛さんは山種美術館の創立者である山﨑種二さんと親交があった。その縁で多くの名画に貴重な下絵、新年の挨拶に描かれた可愛らしい干支などのバラエティに富んだ作品の多くを今回の特別展、『奥山土牛』にて存分に拝見できる。少しずつでも足を踏み入れられているといいなと思う日本画の良さをまた知れる、素敵な展示が開催中であることをここに紹介する。

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-18

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