秘石物語 番外編①


 夕暮れに、梅原慎吾は振り返った。

 懐かしい友人の声が聞こえたような気がして、周囲を見渡すも辺りは静まり返っている。
 いるはずのない人影を探しては、ただただやるせない想いが込み上げてきて、無言で拳を握りしめた。
 慎吾は持ってきた花束を供えて線香に火を灯す。

 ――――ここに内藤宗也の墓がある。
 
 去年、夜桜祭りの日、悲劇が起こった。

 マグニチュード7.7の地震が日本を襲った。震度にして6~7程度の地震だった。
 震源地は内陸の商業地区。平地で、水場と言えば小さい池が一つあるだけの場所だった。
 日ごろから地震が多い日本では、耐震性のある建物が多くあり、そのおかげで、初めは目立った被害がほとんどなかった。
 しかし、何だこの程度かとみんなが油断したとき、それはやってきた。

 地震による複合災害で小さな火事が起きた。その小さな火事があちらこちらでたくさん起こった。
 そして、奇妙なことに、その所々で発生した火災を線でつなぐとキレイな円形が完成した。
 あっという間に、街全体は炎に取り囲まれた。おまけにその日の風は気まぐれで、四方八方へと吹き荒れる。

 生還した被災者の一人はこう語る。
「揺れが終わるとだんだんと外が騒がしくなったんです。最初はパトカーが聞こえ、救急車が聞こえ、消防車が聞こえ、次には悲鳴が聞こえるようになりました。ナニカ煙臭いと思ったが最後、気づけば街全体に黒煙が立ち込めていたんです。慌てて駆けだして、ようやくその異常さに気づきました。遠くから見ても分かるくらい火の手がすごくて、まるで街を包み込むように、炎が意思でも持ってるかのようにですね、逃げ道を塞いでるんですよ。ぐるーっと一周見渡して、東西南北どこも行くところなんてありゃしません。ああ、こりゃだめだとあの時は覚悟しました」

 この大火事の現場となった街に宗也は居た。
 夜桜祭りの舞台となった六月池は、この街唯一の水場であり、火災から逃げ惑う人の最後の砦でもあった。
 祭りの余興でライトアップされた池は少しばかり感電していたものの、人の命を奪うほどではなかったそうだ。
 そんなわけで、幸いにも池の中へと飛び込んだ何十人かは、この大災害から逃れて無事に生還できたのである。

 地震が起こったとき、宗也はきっと夜桜祭りを見物している最中だった。これを言い換えれば、唯一の逃げ道の前に居た。
 だがしかし、なんの因果か、不幸にも宗也は帰らぬ人となった。
 火災に巻き込まれたのか、あるいは地震の影響で何かあったのか。
 生存者の証言を照らし合わせても、その真相は分からない。

 静寂の中、慎吾は、自らも体験した奇妙な出来事を打ち明ける。
「俺は……、あの日、この世ならざる者を見たんだ……」
 あの悍ましい出来事を回想するべく、記憶の蓋をそっと開いた。

 ◇



 ――――震災が起こった日、桜が咲き誇る満月の夜に、慎吾は三つ葉町に居た。

 無事に野球部に入部した慎吾は、練習後に一人で帰宅している最中だった。
 とある先輩から面倒な用事を頼まれて、一人だけ居残りさせられた。そのせいでずいぶんと遅い帰路の途中だった。
 辺りはだいぶ暗くなっていたので、慎吾は人目をはばかるように路地裏へと入る。
「別にやましいことがあるわけじゃないぞ」
 ただ少しばかり、慎吾は人相が悪かった。
 厳つい風貌をしていて、人よりずっとガタイが良かった。
 そのせいでよく勘違いをされる。夜に出歩けば、必ずといっていいほど警察の職質にひっかかる。
「だから、交番近くの人通りの多い道は、ちょっと避けたかったんだ」
 さっさと路地裏を通り抜けようとして小走りをしたとき、誰かが肩をぶつけてきた。
 見れば、見知った顔が下打ちをする。
「おい、いてぇじゃねぇかよ」
 自分からぶつかってきた男が慎吾を睨みつける。
 その顔は、さきほど部活で見た顔である。
「あー、サーセン。藤堂先輩」
 藤堂は慎吾の高校野球部の先輩で、小学校の頃の上級生だった。
 昔から威勢がいいことで有名で、悪評の絶えない男であった。
 軒並み大人しい同級生らは藤堂を怖がっていたが、慎吾はこの男に一切怯まなかった。
 そのせいもあってか、昔から事あるごとに因縁をふっかけられる。藤堂のプライドは慎吾のような存在を許せないのである。
 そして決まって、慎吾とひと騒動を起こすときには、藤堂はたくさんの子分を連れてくる。その日も腰ぎんちゃくが5人ほどいた。
「てめぇ反省してねぇだろ」
 慎吾は、相も変らぬ藤堂の調子に、つい笑ってしまった。
「なんだよ、その顔」
「いやぁ~、懐かしいなぁと思って」
 小学生のころも、こんなことがよくあった。
 というか、小学を卒業して以来、こんな絡み方をされたのはすげぇ久しぶりだった。
「やっぱ俺は藤堂先輩のこと嫌いにはなれねぇなぁ。今の俺に張り合ってくるんだから、あんたは度胸がある。それに何より」
 無言で睨む藤堂をみながら、慎吾はこの危機的状況で培った友情()を懐かしんだ。
「先輩を見てると、どうしようもなく性格の悪いあいつを思い出しちまうから」
 藤堂が連れてきたチンピラどもが慎吾を取り囲む。
 その手にはバットが握られていた。
「喧嘩すんなら野球でケリつけましょうよ」
 苦笑交じりで慎吾が言えば、藤堂が鼻で笑う。
「お前も俺も野球なんか興味ねぇだろ」
「嘘つけぃ。好きじゃなかったら先輩が3年も続くわけないっしょ」
「てめぇに関係ねぇだろ!」
 忌々しく吐き捨て、藤堂は慎吾の胸倉を掴んだ。
「なぁお前、この状況わかってんのかァ?」
「もちろん。雑魚が喚いてる」
 慎吾が答えると同時に、藤堂は顔目掛けて勢いよく殴った。
「あんたも懲りないねぇ」
 殴られてなお、顔色一つ変えずに慎吾は笑う。
「てめぇ~~~ッッ!!!」
 藤堂は青筋を立て、さらなる追撃をするべく構えた。
「なんでそんなに弱いのに、俺に喧嘩うってくっかなぁ~」
 呑気な調子で慎吾が言えば、藤堂がさらに吠える。
「悟空さんに守られてた分際で言うようになったじゃねぇかよ、梅原風情がよォ! おいてめぇら! やっちまえ!!」
 それを合図に、チンピラどもが一斉に慎吾へと襲い掛かる。
「まぁ、ちったぁ楽しませてもらおうか」
 慎吾がニカッと笑ったとき、ソレは現れた。
 はじめみたとき、いったい何が起こってるのか理解できなかった。
 ただそのままに事実を描写するのなら、何の前触れもなく、歪な黒い手のようなものがあちこちから湧きだした。
 人の手が地面を這う。這いまわっている。その様は、たちの悪いB級映画のようで、とてもこの世のものとは思えなかった。
 突然のことで慎吾が呆気に取られていると、歪な手がチンピラの一人を掴んだ。同時に悲痛な叫びが上がる。その声につられるように、わらわらと歪んだ手の大群が集まってくる。
 勇敢にも仲間を助けようと駆けだした藤堂が、気づけば惨い音とともに倒れ伏していた。真っ赤な血が滴り、小さな血池が出来上がり、周囲には色濃い死の臭いが漂う。
 慎吾はすぐさま近くにあったパイプを拾って、歪な手の群れを薙ぎ払った。
「何やってるッ!! 早く逃げろ――――!」
 まだこの場に残っていたチンピラを怒鳴りつければ、奴ら一目散に駆け出した。
 そのあとを追わんとする歪な手の前に、慎吾は立ちはだかる。
「なんで俺、こんなことやってんだろうな」
 自分でも笑えてくる。
「だが、……」
 時に、理由なくとも戦わなければならないときがある。
 そのことだけはよくわかった。
 こいつらの殺人に理由など存在しないように、今この瞬間、慎吾が戦うのにも理由はいらなかった。
 覚悟を決めて、手にしていた武器(パイプ)を握りしめた。
「うぉおおおおおッ!!!」

 咆哮と共に駆けだしたとき、――――光と共に彼女が現れた。

「……馬鹿もここまでいくと重症ね」
 颯爽と現れた金髪の美少女は、意図もたやすく黒い手どもを切り捨てる。周囲に居た化物どもは瞬く間に一掃された。
 彼女は剣を鞘へと納めて、そうして慎吾を見ることなく、小さく告げる。
「命が惜しかったら早くあなたも逃げなさい」
 聞き覚えのある声に、つい慎吾はその顔をまじまじと見た。
 彼女は悲愁を帯びた表情で小さく言う。
「……ここは、これから戦場になるわ」
 慎吾が困惑気味に問い返せば、彼女の姿はすでにこの場から消えていた。
 あまりのことで呆然と立ち尽くしていると足元がぐらりと揺れた。次いで、地響きが鳴る。
 そうして、あの日、大地震が起こった。

 改めて墓石と向き合って、慎吾は語る。

「あの子は、……間違いなくマリリー・マリアだ。それに、あの化物たちは――――」と、言いかけて口を結んだ。

 あの日のことをマリリーに確認しても、彼女は知らぬ存ぜぬを貫き通す。
 あの日のことをほかの誰かに語っても、そんなことはあり得ないと一掃されるばかりである。
 そして何よりも、あの日、死んだはずの藤堂がなぜか今も生きている。

「なぁ、宗也。お前はあの日、何を見た。いったいお前に何が起こったんだ」

 何度問いかけたって返事はない。
 疑問は宙に浮き、謎だけが残る。
 時に、自分だけがこの世界から切り離された錯覚さえ覚える。
 慎吾は、言いようのない感情に唇を噛みしめた。すると、背後からクスクスと笑う声がした。

「何も入っていない墓石と話すのは楽しいかぃ?」

 ひどく冷笑的で、ひどく挑発的で、ひどく愉快そうな声だった。
 不快に思ってギロリと睨みつければ、そこには一人の青年が立っていた。
 彼は慎吾と目が合うや否や嬉しそうに微笑む。

「いったいどんな気分なんだろうね、死んでもないのに墓を作られるのって」 

 ◇



 墓前で、慎吾は口を堅く結んだ。
 そうして見知らぬ青年のことを無視して、手を合わせて静かに墓を拝む。 
「あれ、もしかして俺シカトされてる?」
 困ったように笑う青年を意に介さず、慎吾はこの場を後にするべく立ち上がった。
 早くこの不愉快な男から離れたかった。配慮の欠けた一言に、正直かなりイラついてる。

 ――――いったいどんな思いで、宗也の家族がこの墓を建てたか。

 未だ捜索が終わらぬ中、墓を建てるに至ったのはあまりにも悲痛な思いがあったからである。
 遺体が見つかっていない願望的希望と、絶対に助からないだろう状況的事実の狭間で、宗也の家族はこの一年苦しんできた。
 とくに宗也の母親は見るも無残なほどに衰弱し、挙句の果てには自殺未遂まで考えてしまうほどだった。
 悲劇がさらなる悲劇を呼ぶ前に、たとえそこにどんな希望があるにせよ、前を向くためにケジメを付ける必要があったのだろう。
 慎吾は、苦悩と絶望の中にいて、それでも前を向いて歩く人の決断を尊重する。

 慎吾は青年を睨みつけて、拳を握りしめた。
 悠然と佇む青年は、あっけらんとした態度でさらに続ける。
「墓なんて建てられたら、生きていたとしても死んじゃいそうだよね」
 心ない一言に、慎吾の堪忍袋の緒が切れた。
 気づいたときには青年の胸倉を掴んでいた。
「それ。宗也の家族の前で言ったら、俺はあんたを許さねぇから」
「実はさっき、ご家族に会ってきたばかりだ、といったら?」
 ニッコリと笑う青年の顔面を、慎吾は容赦なく拳で殴った。
「良いパンチだね」
 しかし、笑みを崩さぬ青年は手のひらで軽々と受け止める。
「だけど甘い」
 そうして青年が小さなため息をついたのと同時に、慎吾の脳天が振動した。
 正直、何が起きたのかわからなかった。
 気づいたら地べたに座っていて、ほっぺたがジンジンと痛かった。
 多分殴り返されたのだと理解するまでにだいぶ時間がかかった。
「さすがの君も今は何もできない、か」
「あんた、……なんなんだよ」
「クローバー」
「は?」
 翡翠色の瞳を細めて、青年が笑う。
 ほっぺたを抑えたまま座り込んでる慎吾を見下しながら、彼は名乗る。
「俺の名前はクローバー。幸運の象徴だよ」
「……なんだよ、それ」 
「いいこと教えてあげるよ、梅原慎吾」
 クローバーは慎吾の瞳をのぞき込んで言う。
「宗也くんは生きてるよ。それに君のトモダチの式枦ひよこも、ね」
 慎吾は思いっきり目を見開いた。
 驚きと喜び。そして不信。
 慎吾がナニカいうより早く、クローバーはニッコリと笑う。
「だからさぁ、こんなところで拝んでないで、ちゃんと探してあげたほうがいいんじゃないかな」
 と困ったように肩を竦めて、嘲笑気味に言った。
「それとも式枦ひよこの墓も作って、二人仲良く見殺しにする?」
「二人はどこにいんだよッ!」
「ふふ、教えてほしい?」
 意地悪に訊き返してくる男は悪魔のように微笑んだ。
「――――なんでも願いを叶えてあげよう」
「……なんでも……?」
「もちろん。お代は貰うけどね」
「……なにと引き換えだよ」
「何かを助けたいなら、何かを犠牲にしなければならない」
「はっ?」
「内藤宗也を助けたいなら花月エンカを殺せ。それが出来るなら二人の居場所を教えてあげよう」
 一瞬、フリーズした。
 だが、目の前のゲスな笑みを浮かべている男を見て、すぐに決断する。

「仮になんでも叶うほどの力と引き換えだって言われても――――」

 一呼吸おいて、クローバーなる怪しい男を睨みつける。
「俺は、誰かを犠牲にする道なんて選ばねぇよ」
 慎吾のまっすぐな言葉に、目の前の男は困ったように苦笑した。
「なら、せっかくのチャンスを棒に振るんだね?」
 一応いっておくけど、と彼はさらに続ける。
「冗談や揶揄いだと思っているなら、必ず後悔するよ。俺は知っている。二人がどこにいるか、どうすれば助かるかを。君にとって、俺との出会いは紛れもない幸運だよ」
 そこまで言って、クローバーは余裕のあった態度から一変して鋭い視線で慎吾を射貫いた。
「本当に知らないままでいいんだね?」
「あんたは信用できない」
 唐突な一言に、クローバーのほうは目を丸くする。
「えっ、この期に及んでそれをいうの?」
「あんた、楽しんでるだろ」
 慎吾の真剣な眼差しがその動きを制した。
 少なくとも、クローバーの調子を打ち崩すぐらいには核心をついた言葉だった。
「あんたの眼は嘘つきの目だ。人を苦しめて楽しんでるクズの眼だ」
 ハッキリと告げる慎吾を一瞥して、悲しそうに、それでいてわざとらしくクローバーは肩を落として笑う。
「俺ほど人の痛みが分かる奴はいないんだけどなぁ」
「仮に二人が本当に生きているなら、俺は宗也もひよこもどっちも助けてみせる。誰かを犠牲にする道なんて選ばない。あんたの助けはいらない」
「……そう」
 
 ――――君の決断で、二人が死ぬ結果になっても、後悔はないんだね?

 と、クローバーが静かに問う。
 慎吾は、肯定もしなければ否定もせず、ただ目の前の墓を見る。
「死んで終わりだって言うなら誰も墓なんて作らねぇよ。生きた軌跡がちゃんとあるから続いていくんだ」
 そうして、拳を握りしめた。
 慎吾は決意の宿った瞳でまっすぐと言う。
「どんなことをしてでも自分だけは生き残る道を選ぶ奴じゃねぇんだよ、宗也もひよこもな」
 二人の境に風が吹いた。
 すぐ近くにいるはずなのに、夕日が光と闇とで二人を区切った。
 それらはまるで二人の決意が決して交わらないことを暗示しているようだった。
 クローバーは「そっか」と短く答えて、わざとらしくため息をつく。
「君と俺が、……なんて未来はやっぱりないんだね」
 少し残念そうに言って、クローバーはこの場を後にするべく踵を返す。
 去り際に「あ、そうだ」と思い出したように、この決別に言葉を添えた。
「生きた軌跡っていうならさ……、君はこれからその手で殺していくモノたちの軌跡を忘れないであげてね」
「は?」
 訳がわからず、慎吾がクローバーを凝視する。
 クローバーは依然として、嫌に楽しそうな笑みを浮かべている。
「再会を楽しみにしているよ、殺戮兵器の勇者様」

 ◇



「なんなんだよあいつッ」
 慎吾は小さく舌打ちをする。
 先ほど出会ったクローバーと名乗る青年のことが未だ脳裏から離れない。
 考えれば考えるほど、ふつふつと怒りが沸き起こってくる。自然と眉間に皺が寄った。
 人相がよくない慎吾の顔はさらに恐ろしくなってゆく。その証拠に道行く人は自然と慎吾を避け始めている。
 殺気立っている慎吾に周囲の人々が委縮する中、無謀者がその肩に手を置いた。
「ねぇ、君」
「あぁ?! なんだよ」
 イライラとした調子で相手を確認せずに突っかかれば、慎吾はすぐさま息を飲む。
 目の前には制服の警官がニコニコと人の好さそうな笑みを浮かべていた。
 警官は慎吾と目があうや否や手帳をこれ見よがしに提示する。
「こういうものなんだけど、今ちょっとお時間いいかな?」
「げぇっ……」
 職質だ。
 人相が悪く、また目つきも悪い慎吾は、このようにたびたび警官に捕まる。
 悪いことなど何もしていないのだが、見た目が少しばかり怖いことを理由にしばし誤解されるのである。
「君、高校生かな? ずいぶん遅い帰りなんだねぇ」
 親し気に、それでいて物色するような目つきで訊ねてくる警官からは「何かやったな」と言わんばかりの態度が滲み出ている。
 内心で「あちゃー」と慎吾は頭を抱えた。
 問題は第一印象にある。
 何か事件があるかどうか、慎吾がどんな犯罪に加担しているかどうかは、この場ではあまり関係がない。
 とくに、ただ見た目を理由に絡んでくる奴なんてのは、そこらのチンピラと変わらない精神構造をしている。
「はぁ……」
 もう慣れたとは言え、こういう手合いに会うたびに心が重くなる。
 本人たちはいろいろと理由をつけて自己を正当化するが、その内心がなんたるかを慎吾はよく知っている。
「……お巡りさんも大変すねぇ」
 と、自嘲気味に言って、慎吾は自身の過去を回想した。

 ――――昔から、子供のころから、よく絡まれた。そしてその都度、言われてきたことがある。

「目つきが悪い」
「態度が悪い」
「生意気だ」

 どれもクソみたいな理由だった。
 だが、そのクソみたいな理由で、何度も何度も何度も絡まれれば、否が応でも気づくことがある。
「俺の見た目は少し人と違う」
 いわゆる悪い奴、不良の烙印を押される容姿をしていて、その中でも群を抜いて慎吾は威厳があった。
 そしてある時点まで、その威厳たる風貌は、生意気の象徴として、慎吾にあらゆる理不尽を強いたのだ。

 ―――――「お前、生意気なんだよ」

 そういって、まだ幼い慎吾を殴ったのは一人や二人じゃない。
 上級生。それも5つ以上は年の離れている奴らばかりが、慎吾を問題視する。
「……助けてくれる人なんてどこにもいなかった」
 見た目を理由にイチャモンをつける警察は、同様に見た目を理由に暴行を見逃す。
 社会規範を教える教師は、その社会規範の中身にはまるで興味がない。道徳を説く先生は、不道徳には無関心。
「あの日、……もし、手を差し伸べてくれる友人がいなかったら」
 慎吾は小さく笑って、二人の顔を思い出す。

 ――――慎吾にはよく似た境遇の友人が居る。

 一人は名前を理由にいじめられ、もう一人は性格を理由に虐められていた。
 容姿を理由に苛められていた慎吾にとって、二人の存在はなによりもの救いであった。

「三人で一緒だったから、どんな理不尽にも立ち向かえた」

 ――――そして、どんな逆境をも、乗り越えられた。

「友人の墓参りなんて……そりゃまぁ大変だったねぇ」
 一通り調べ終えた警察は申し訳なさそうに言う。
「まぁ、落ち込んでてもしゃあないんで」
 明るい調子で答えて、慎吾は前を向く。
「もういい加減、乗り越えなくちゃいけない時期ですよね。……って、なんかすんません。変に話聞いてもらっちゃって」
「ええ? それは大丈夫だよ。むしろこっちこそ時間使わせちゃってごめんね、すごく苛立ってたみたいだから、何かあったのかと心配しちゃったよ」
「あー、すんません。墓参りってどうにも慣れなくて」
「そうだね、……あんな大災害があった後だ。なかなか割り切れないよね」
 と、警官は同情的な視線を慎吾に送った。
「まぁもう遅い時間だから寄り道せずに帰りなよ? お父さんとお母さん、心配してるよきっと」
「ええ、そうします。お巡りさん、ありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそご協力ありがとうございました。気を付けて帰ってね」
「はーい!」
 元気に返事をして、慎吾はさっさとこの場を後にするべく、駆けだす。
 そして、一人になって空を見上げた。
 あの頃を思い出して今と比較すれば、無性に笑えてくる。
 最近では警官ばかり相手にしているような気さえする。
「俺も丸くなったねぇ~」
 あの頃のアレはいったいなんだったのか。考えれば自然と答えが浮かぶ。
 要は、か弱く臆病な連中は、目の前のライオンの子供におびえていたのだ。
 いまや怖いと怯える奴は居ても、危ないと警戒する奴はいても、「生意気だ」なんて口に出せる度胸のある奴は藤堂先輩ぐらいしかいない。
 もう何年も、あんな絡まれ方はしていないのである。
 慎吾を虐めていた連中は、慎吾が成長するにつれ、怯えたような目で態度を一変させていった。
 それはなにも彼らが自らの言動の諸悪を改めたからではない。ただ単純に、同じ背丈になった慎吾が怖いのである。成長した威厳に委縮したのだ。
 一人睨めば、みなが怯える。
「人相が悪いと言って短所にするか、威厳があると言って長所にするか。欠点にだって美点はある。欠けてるからこそより輝く」
 夜空に君臨する三日月を見て、慎吾は小さく笑った。

 その時だった――――……。

 黒いモヤが目に止まる。
 もくもくと硝煙のようなモノが空に漂っている。
 一瞬、どこかで火事でも起こったのかと思った。だが、すぐにそうではないと気づいた。
 なにせこの黒いモヤは、何もない空中でどんどんと膨らんでいく。そうして大きな雲が出来上がったと思ったら、吸い込まれるように一点に凝縮した。
 キラリと怪しくナニカが光った。
「……なんだ、あれ?」
 慎吾が上を見ながら駆けて行けば、怪しい結晶体は近くの路地に落下する。
 すぐにその路地に入ろうとして息を飲んだ。
 手がある。
 小さな、小さな歪んだ手がある。
「あれって……まさか!!」
 その歪な手は、慎吾があの日見た化物にそっくりだった。
 狭い路地からうっすらと見えるその化物の横には、なんと人が立っていた。
「……あれ……、もしかして……慎吾?」
 急に呼びかけられ、困惑混じりにその人物の顔をまじまじと見る。
 濁った眼をしてるそいつは、慎吾をみるやいなや嬉しそうに笑う。
「小学校以来だね。すっげぇ久しぶりだ。やべっ……、慎吾に遭えるとか超うれしい。ねぇ、元気してた?」
「は、ハチ……? なっ!! なんでお前がこんなところにいるんだよ!! ってか、そこ! あぶねぇぞ!!」
 慎吾が声を荒げて指させば、ハチは首を傾げる。
「何が危ないの?」
「そ、そ、そこに、手、手が!!」
「手?」
 不思議そうに言って、ハチはその場へと目を向ける。
 慌てて慎吾もハチ同様に歪な手へと視線を向けた。
 ……しかし、そこには何もなかった。
「何もないけど」
「え、いや……、え……えっ?」
「……もしかして、新手のドッキリとか?」
 ハチはいぶかし気に慎吾を見遣る。
「ねぇ、慎吾。もしかして藤原の奴と共謀して、俺をはめようとしてない?」
「は、はぁ? 何言ってんだよ、だいたいなんで藤原が出てくるんだよ……」
 状況がまったくわからない慎吾に、ハチは簡潔に説明する。
「実は僕、藤原に会うために日本に帰ってきたんだよね」
 ハチは癖のある笑みを浮かべて、言う。
「ちょうどいいや。ねぇ、せっかくだから慎吾も付き合ってよ」
 その手には、混沌とした輝きを放つ結晶体が握られていた。

 ◇ 



 綽名(あだな)はハチ。
 本名を、西野(にしの)八戒(はっかい)という。

 名前の由来は、……言わなくてもわかるだろう?
 中国奇書の大ファンの親父さんの影響で、四人兄弟の末弟に生まれたハチは、奇しくもその名を授けられた。
 長男の三蔵、次男の悟空、三男の悟浄、そして四男坊(よんなんぼう)の八戒。
 聡明で心優しい長男、勇敢で頼りがいのある次男、深慮で達観している三男は、まさにあの有名な冒険記の登場人物たちのような性格をしていた。
 しかし、八戒だけはどうにも調子が違った。
 お調子者と呼ぶにはあまりにも用心深い。ノロマな奴かと思えば何事にも機敏に動く。馬鹿で間抜けとは程遠く、恐ろしいほどに頭がキレる。その容姿も性格も豚とは似ても似つかない。
 八戒だけは、御伽噺から一人遠かった。

 ――――……そのせいもあるのだろう。

 他の兄弟たちは周囲の人々から親しみを込めて「西遊記」と呼ばれていたが、八戒だけは違った。
 そこに親しみはなく、ただ「変わった名前をしているから」という理由で、彼だけはしばし人から蔑まれた。
 あることないことを吹聴され、勝手な妄想で判断され、時に何を言ってもいい対象として扱われた。
 秀才の少年を妬む者たちにとって「八戒」という可笑しな名前は都合がよかったのだ。
 名前を理由に蔑まれていたハチにとって、容姿を理由に虐められていた慎吾は、同じ境遇を持つ仲間であった。
 そんなわけで、慎吾とハチが友人となるのは、そう難しいことではなかった。運命的な一致はお互いを強く結びつけた。

 ――――……あの日、互いに手を取り合った瞬間から、三人の世界は変わった。

「で、藤原の奴がどうしたって?」
 道すがらに慎吾が訊ねれば、ハチは腕組しながら考える。
「ん-、……なんていうかなぁ。正直、どうしたって聞かれると答えるのは難しい。……ねぇ、慎吾。本当に藤原から何も聞いてないの?」
「ああ。何も知らねぇ。連絡すらとってねぇし」
「え。マジ?」
「マジマジマジン」
 目をぱちくりさせるハチに、慎吾は突っ返すような調子で続ける。
「つーかお前ら二人とも海外行ってから音信不通だろうが」
 そっぽを向いて言えば、ハチはバツが悪いのか「あー……」といって言葉に詰まった。

 前述したとおり、慎吾には、小学時代に仲の良かった友人が二人いる。

 一人はこいつ、ハチである。
 ハチは小学校卒業後、中国に進学して、慎吾とは国を(わか)った。
 それきり連絡はとっておらず、こうして再会するのは実に四年ぶりである。

 そしてもう一人の友人の名を藤原という。
 藤原もまぁ少しばかり変わったところがある奴なんだが、それは今は置いておく。
 藤原もハチ同様に海外の学校に進学し、慎吾とは袂を分った。
 それ以来、連絡はない。

「お前ら、二人とも白状だよな。いったい全体どんだけ寂しい想いをしたことか」
「ごめん。忙しかったんだ」
「あーやだやだ! そんな浮気の常套句を覚えて帰ってくるなんて……ッ! ハチ、あんた見損なったわよ!!」
「うわー、めんどくさい女みたいなこと言い出した」
「めんどくさいってどういう意味よ! 私はあんたのことを心配してるだけなのにッッ」
「あーはいはい。ありがとう。でも何もなかったから」
「キーィ!! そうやって誤魔化して! お隣の奥さんと仲良くしてるの、わたし知っているんですからねッ!」
 痴話喧嘩の茶番を繰り広げた末に、二人は目を合わせて笑った。
「クカカッ、まぁいいさ。どうせ向こうで大変だったんだろ」
「まぁ、いろいろあったね」
 ハチは肩を竦めて言って、拗ねた調子で慎吾を見遣る。
「というか寂しかったのはこっち。慎吾は手紙すら返してくれなかった」
「たかが四年の別れだろ。んなことでピーピー言うな」
「……自分は言ったくせに」
「クカカッ、俺はいいんだよ。特別に顔が良い男だからな」
 ニカッと笑う慎吾を見て、ハチはため息交じりで苦笑した。
「まぁ、慎吾も引っ越したって聞いて……、ちょっと安心してた」
「そうかよ」
 二人の間にしばしの無言が生まれる。
 互いの過去に想いをはせ、今に至って感傷に耽る。
 本当にいろいろあった。遠い日々を振り返れば、少しばかり心が疼いた。
 痛みとも悲しみとも形容しがたいその痕は、三人だけの(思い出)である。
「で、藤原のやつがなんだって?」
 暗い夜道に光を灯すような調子で言って、慎吾は身を乗り出しながらに話題を変えた。
「あー。あいつ、高校やめて探偵やってるらしいんだよね」
「は?」
「それで調べものをしてほしくてね。この石なんだけど」
「ちょっと待て」
 慎吾は、ハチが懐から取り出した混沌とした輝きを放つ不思議な石には目もくれず、肉薄する。
「え、……な、何?」
「あいつ、スイスに行ってたろ」
「うんそうだね」
「もしかして日本に帰ってきてるのか?」
「まぁ、そうなるね。腕の良い探偵として結構有名みたいだよ」
 眉間に皺を寄せれば、慎吾の怖い顔はより兇悪となる。
「……いったい、いつ帰ってきたんだ?」
「さぁ。去年にはもう日本に居たって聞いたけど」
 ハチは呆れたように小さく言う。
「本当にあいつ、慎吾に何も言ってないんだ」
「ああ。聞いてねぇよ」
「……白状な奴」
「まったくだ」
 怒る慎吾の横で、しかしハチは苦笑交じりに懐かしむ。
「でもまぁ藤原らしいかな」
「………… ……それはまぁ……、そうだけどよぉ~ッ!」
 でもひっどくなぁい~?!っとピーピー騒ぐ慎吾である。
「しっかし、探偵ねぇ~……。ラノベの主人公でも目指してんのかな」
「アハハ、確かに夢見がちなところはある奴だったけど、ちゃんと現実見た結果じゃない?」
「探偵だぞ? 普通だったらあり得ねぇって」
「それはまぁ」と、ハチは一呼吸おいて、意味深に笑う。
「藤原も普通じゃないってことで」
 ハチの濁った瞳がより一層に闇を宿した。
 手の内にある混沌とした石の輝きが、まるでその目に宿るようであった。

 ◇ 



 ハチに案内されて慎吾がやってきたのは轆轤街(ろくろがい)である。

 すぐさま慎吾が足を止めた。
「……ここは」
 ここは、あの日の大火事の、六月池の街だった。
 しかし見るや否や驚く。なにせ、すでにその悲劇の面影はなく、街は活気に満ちている。
「この街は移り変わりが速いから。きっと落ち込んだままじゃいられないんだよ」
 ハチは苦笑交じりに言って、街の中へと入っていく。

 この街、轆轤街は、古くからの物流の大拠点地で、その歴史と伝統はとても長い。『轆轤の壺に入らずんば醤油にあらず』という独自の俗諺があるほどだ。
 轆轤の壺は轆轤街の倉庫の例え、醤油は日本のあらゆる産物の例え。つまり、この街を通らない産物は日本のものではない、という意味である。
 まったくもって大言壮語な俗諺だが、しかしあながち嘘でもない。
 たとえ郷土の名産であっても、轆轤で認められなければ、日本の名産とは呼ばれない。そしてたとえ異国の産物であっても、この街で交わったならば、日本と名のつく変化を遂げる。

 この変容の地、轆轤街に藤原青年の探偵事務所はある。

 商業地区から少し離れたところ、黄龍川付近のイチョウ並木の街道沿いに、ひっそりと隠れるようにそのビルは建っていた。
 真新しい六階建てのビルで、アルファベットの建て書きの横にはダイヤのエンブレムが飾られている。そのさりげないエンブレムが目印だった。
「へぇ~良いところに事務所を構えたね」
 慎吾とハチは二人して、物珍しそうにその中に入っていく。
 入ってすぐに小さなエントランスホールがあって、奥の大きな扉の横には受付カウンターがあった。
 受付嬢は、二人が入ってくるや否や、無表情のままに会釈をする。その動作は、まるで機械のように計算されており、実にきれいなお辞儀だった。笑顔がない点を除けば、完璧である。
「藤原探偵事務所に依頼をしに来た。通してもらえる?」
 ハチが言うや否や、受付嬢は手元の資料を確認する。
「ご予約のお客様でしょうか」
「いいや。連絡はしてない」
「申し訳ございません。当社は完全予約制になっておりますので、お取次ぎは出来かねます」
「じゃあ、今から予約とりたいんだけど」
 ハチがスマホを取り出せば、受付嬢は無表情でさらに続ける。
「申し訳ございません。次のご予約は六ケ月後となっております」
「はぁ?! そんなに待たされるの?!」
 驚愕するハチの横で、慎吾は目をぱちくりしながら呟いた。
「あいつ、すごいんだなぁ」
「申し訳ございません。またのご機会にお越しください」
 感情の無い声で二人を追い帰そうとする受付嬢に、ハチはさらに食いつく。
「なら、友達が会いに来た、と言って」
「……申し訳ございません。業務と関係のないことはお取次ぎ出来かねます」
「小学以来の大親友なんだけど、それでも追い返そうとするわけ?」
「そういったことは個人のことでございますから、わたくしにはわかりかねます。藤原本人にお問い合わせください」
「……ねぇ、僕。中国からわざわざ藤原に会いに来たんだよね」
「さようでございますか」
「今日を逃したらもう会えないかも」
「ご足労いただき申し訳ございませんが、なにとぞ藤原も多忙でございますからご容赦いただきたく存じます」
 何を言っても頷かない受付嬢にハチが歪んだ瞳を細めた時、その人は現れた。
「へぇ~、あいつにも友達が居たんだな」
 後ろから聞こえてきた見知らぬ声は、やけに感慨深そうだった。
 受付嬢が現れた黒服の男に一礼する。
「お待ちしておりました、荒木(アラキ)様」
 荒木と呼ばれたその男はニヤリと笑う。
「お前ら、本当にあいつのトモダチなんだな?」
「ええ、まぁ。本当に友達ですけど」
「大親友だぞぃ」と、慎吾が陽気に言えば、荒木は嬉しそうに返した。
「なら、会わせてやるよ。ついてこい」
 荒木に連れられて、無表情の受付嬢に見送られて、二人は中に入っていく。
「ねぇ、おじさん何者?」
 ハチが上目遣いで訊ねれば、荒木さんのほうは胸に剣でも刺さったのか痛そうである。
「お、お兄さんはなぁ~、まぁ藤原の親戚みたいなもんかな」
「藤原の親戚ってことは、もしかしてお医者さん?」
「あ? ……あー、まぁ俺は医者じゃないが、医療関連の仕事はしているよ。そういう君らはずいぶんとヤンチャ者なんだろう?」
「アハハ、おじさん上手いこと言うね」
「お兄さん、な」
「まぁ僕らは若いからね。元気だからついヤンチャなこともしちゃうかもね」
「おぉ~? 威勢がいいねぇ。よし、お兄さんだってまだまだ若いって証明しようじゃないか。さぁ、階段で行こうか」
「えっ」
「おぉ~~?!!? なんか青春ドラマぽいッ! いいっすね! 階段で行きましょう!」
「えっっ……」
 ドン引きするハチを置いて、謎の共鳴を果たした慎吾と荒木はウキウキとした調子で階段を駆けて行く。
「うっわぁ……」
 どうやら最上階まで階段で昇っていくのは決定事項らしい。
 遅れながらハチが到着した頃には、二人の間にはナゾの友情が出来上がっていた。
「ところで、君」
 と、荒木がハチを一瞥して、それを指さす。
「そのペンダント、オシャレだね」
 慎吾が視線を向ければ、質素なクローバーのペンダントが見えた。
「……どうも」
 ハチは無表情で応えて、そのペンダントを服の中へと忍ばせる。
「どこで買ったんだぃ?」
「どこだったかなぁ。多分、仙信省の露店だったと思うけど。……ねぇおじさん、もしかしてこれが欲しいの?」
「お兄さん、な」
「やめてよね。おじさんとお揃いとかキモイから」
「だ~か~ら~ッ、お兄さんだって言ってんだろうがぁぁぁぁああ!」
 ついにキレた荒木さんに慎吾はクカカと笑う。
「まぁまぁ荒木の兄貴、落ち着いて。ハチはこういう奴なんだ。悪気はねぇんだって」
「止めるな、弟よ。これは沽券にかかわることだ!」
「いったいいつの間に兄弟になったんだよ……」
 三人が一室の前でワーワーと騒いでると、その扉は開かれた。
「…………迷惑、なんだけど……」
 そうして出てきたのは噂の藤原探偵である。
 不安げに揺れる藤色の瞳が印象的な、利発そうな青年だ。
「おっ、久しぶりだなぁ、藤原ぁ~?」
 満面の笑みで慎吾が藤原を捕まえるようにその肩を掴む。
「ちょっ、怖い怖い怖い! その顔を近づけるなッ!」
「あぁ~?!?! てめぇ喧嘩売ってんのか?!」
「ッッ!?!?! な、ななな、なんで久しぶりの再会なのに怒ってる……っ?!」
 動揺しまくる藤原に、慎吾が微笑む。
「そりゃおめぇ。日本に帰ってきてだいぶ長いんだろう? 連絡一つできないほどに忙しかったんだろう?」
「あー……」
 藤原は冷や汗交じりに言って、言葉を探す。
「そりゃぁまあいろいろあったわけで…」
「へぇずいぶん立派になったもんだなぁ? 6か月待ちの名探偵なんだってなぁ?」
「ぐっ……、待ってくれ慎吾! 事情があったんだ!」
「いやいや待ってほしくても待ってくれないのが時間ってやつだろう?」
「ご、ごめんっ! 悪かったって!!!」
「ああ、お前は悪い奴だよ藤原。そんな奴には制裁が必要だな」
「ギャーッ!!」
 悲鳴と共に藤原は悶絶した。
 その惨状を涼しい顔でハチは静観している。
「相変わらず擽りに弱いんだね」
「……ハ、……ハッチ……。見てないでッ……と、とめて……」
「んー、でも俺も慎吾と同じ気持ちだったし」
「……お、おまえだって……、慎吾に連絡してな、……いだろう」
「まぁほら、俺は今日初めて日本に帰ってきたようなもんだから」
 しかもほとんど日帰りみたいなもんだしっとハチが肩を竦めて笑う。
 それを見て、藤原は視線を落として、弱く言った。
「嘘つけ。お前はあの日――――……」
「感動的な再会のところ悪いんだけど」と、その言葉をかき消すように、荒木が三人の間に入る。
「お兄さんもいることを忘れないでほしいかな」
「……荒木さん、……お久しぶりです」
「おう、久しぶりだなアキラ」
 藤原アキラは、陽気な荒木とニッコニコな慎吾とニヤニヤしてるハチの三人をそれぞれ一瞥してから、ため息をつく。
「………………。まぁ、いいですけど。……とりあえず、……中に入ってください」
 そうして、陰気な探偵に誘われて、慎吾らは藤原探偵事務所の中へと足を踏み入れた。
 

 ◇



「荒木さんの要件から伺いましょう」
 藤原は荒木に応対室の席につくように促してから、慎吾らを見て少しきまづそうに言う。
「……狭い事務所なんだ。普段は予約なしの訪問客なんて門前払いだから……」
 その言葉通り、事務所は存外狭く、8畳程度の応対室しかないらしい。
 しかもその応対室は藤原の書斎も兼ねていて、壁一面にずらりと並ぶ本棚がより部屋を狭くした。
「……君らじゃなかったら……、絶対に追い返してる」と、藤原は恨めしく言って、本棚から一冊の本を抜く。
 すると、仕掛けが作動した。
 音もなく本棚が動き、奥へと続く道が現れる。
「こっち。来て」
「す、すげぇ~ッ……」
 目を輝かして慎吾らは中へ入っていく。

 白と黒とで貴重された近代的な廊下には、左右対称に扉があって、秘密基地を連想させるロマンがあった。
 藤原は、表札も取っ手もついていない扉の前に来て、そっと手を翳す。すると、扉が淡く光り、ゆっくりと開いた。
「指紋認証、完了。アキラ様、おかえりなさいませ」
「ここ……、俺の自室……」
 藤原は、入ってそうそうに押し入れから座布団やクッションやらを引っ張りだし、慎吾らのほうに放り投げる。
「おっと」
「適当に座って待ってて。本とか漫画とかは好きに読んでいいから。……だけど、ソレには触らないで」
 藤原が指さしたそこには、つけっぱなしのゲーム機があり、大型テレビには「ポーズ」の字が大々的に表示されていた。
「了解。おとなしく待ってるよ」
 ハチの返事に頷き、藤原は荒木の待つ応対室へと戻っていく。
 いまだ興奮冷めやまぬ調子で慎吾が言う。
「あとで冒険させてくれっかな」
「馬鹿。行儀ってもんを考えなよ」
「でも隠し扉だぜ? わくわくだろ、ウキウキだろぃ」
 他にはどんな仕掛けがあるんだろうっと胸を膨らます慎吾の横で、ハチは藤原の自室を見渡した。
 つけっぱなしのゲームに、やりっぱなしのパソコンに、飲みっぱなしのペットボトルに、開けっ放しのクローゼットに、脱ぎっぱなしのパジャマとがあって、実に生活感満載である。
 隠し扉の奥にあった秘密の部屋のわりには、普通の男子高生の部屋(ちょっと汚いけど)で、少し拍子抜けでもあった。
 ハチは、棚の上に飾ってあった写真立てを手に取って、慎吾には聞こえないようにとても小さな声でぽつりと言葉を漏らした。
「………………変わらない、……か」
 大事そうに飾られていた写真には、幼き日の三人の姿がある。
 感慨深く眺めて、ハチは静かにため息をつく。
「あっ、このゲーム」
 テレビ前に座った慎吾が不思議そうに首を傾げた。
「ん? どうしたの?」
「いや……、これ。知ってるゲームなんだけどよ。このゲームに一時停止なんて、……あったっけ?」
「普通、一時停止ぐらい設定されてるでしょ」
 ハチが一般論で返せば、慎吾がニヤリと笑う。
「時間ってのは、止めたくても止まらねぇのがルールだろ」
「なにそれ?」
「このゲーム。ブラインドクロードの中に出てくる台詞だよ」
 慎吾はキリっと表情を決めて、さらに続ける。
「未来の惨状に嘆いたって、過去の惨劇を悔やんだって、なんにもならねぇ。悲劇ってのは今だからこそ止められる。今動かなきゃ意味がねぇんだ」
「ふーん。だから一時停止もできないって?」
「ああ、そうだ」
 得意げな慎吾の返事に、ハチは肩を竦めて笑った。
「ずいぶんと性格の良いゲーム制作者だね。一周一時間以上かかるなら俺ならやらない」
「クカカッ、生憎ブラインドクロードは一周三~五時間はかかるな」
「はいクソゲー」
「きさまぁ~ッッ、名作に向かって何を言うかぁ~?!」
 ハチは、机に置かれたゲームケースを手に取り、その説明書きに目を通した。

 ――――ブラインド・クロード。
 これは、人間とAIの戦歴の記録である。

 そのように銘打たれたこのゲームには、最新型の学習AIが搭載されており、プレイヤーがゲームをプレイするたびにAIが進化していく旨が記載されている。
 ありふたりなストーリーとは裏腹に、人工知能を使ったゲームシステムにはかなりの熱の入れようで、事細かな注意書きが見受けられた。
「最新AIとか書かれてるわりに……、勇者が女神から聖剣を託されて魔王を倒すために冒険に出る、……ねぇ」
 ハチが場違いなストーリーを簡潔に要約すれば、慎吾が唸った。
「違う違うッ! そんな簡単な話じゃないッ! なぁ、ハチ。お前はいきなり聖剣もらったら魔王探しに行くか?」
「行くんじゃない? そういうゲームなんだし」
「ハイ。なら銃刀法違反で逮捕ー」
「は?」
 唖然とするハチに、慎吾は熱弁する。
「このゲームのミソはな、現代なんだよ。現代日本なわけ。俺たちが生きてる時代で、勇者の大冒険が行われるんだよ」
「…………だから、聖剣なんて持ってたらアウトってこと?」
「そゆこと。まず聖剣を隠すことから始めないと留置場行きになる」
「なにそのゲーム……」
 ハチは再びゲームパッケージへと視線を向け、眉を顰めてその中身を探る。
「簡単な世の中じゃねぇってことだな。人口知能にも種類があって、魔王のために動くAIと、まぁこれはルートによって登場するときもあるんだけど味方になるAIもいてなぁ、まぁ~ッッ奥が深いんよ」
「ふーん、ただのファンタジーじゃなくて流行りのAI作品でもあるってことね」
「そうそう、まさに現代ファンタジーって感じでなぁ!」と嬉しそうに話す慎吾の横で、ハチはつまらなそうにそのパッケージをひっくり返した。
 そうして、人工知能に敵も味方もないのに、っと心の中で小さく呟く。

 機械にも心がある、なんてのは世迷言(フィクション)の定番で、現実での非常識だ。

 今、あなたが持ってるスマートフォンには心がある。
 今、あなたが使ってるパソコンには心がある。
 今、あなたが遊んでるゲーム機には心があるんだ。

 という思想をもって、機械(道具)に触れている人間など存在しない。

 それなのになぜか一部の夢想家たちは、人工知能だけは特別視したがる。

 ハチにはそれが不思議で仕方がなかった。
 どれだけ人間らしく動いても、それらは人によって設定された動作をしているに過ぎない。
 彼らが自由意志の元で行動していないことは周知の事実のはずなのに、時に人の都合の良い脳みそはその事実を認識しなくなるらしい。
「人工知能なんかより、人の思考のほうがよっぽど楽しいな」
 ハチは、薄ら笑いを浮かべて、さらにその真相を垣間見る。
 人工知能は人類を敵だと思って武器を握るのではなく、そのように設定されているから戦うだけ。
 人工知能は人類を味方だと思って人を慕うのではなく、そのように設定されているから人類に尽くすだけ。
 つまるところは、設定(ルール)に従っているだけ。
 ルールを作る人間が、どのような思想をもってソレを創ったか、に左右されているだけである。
 そして、人工知能を敵だ味方だと誇張する裏には、必ず人類と人工知能を争わせたい黒幕がいる。
「……で、その黒幕は、一時停止すら許さない狂人か」
「製作者を狂人呼ばわりするな! 偉大な御方なんだぞぃっ!」
「へぇー、有名な人なの?」
 と、訊ねれば、慎吾が急に黙り込んだ。
「どうしたの?」
「いや、わからねぇんだよ。このゲームの製作者が誰なのか」
 小さく息を吐いて、慎吾は普段の調子に戻ってさらに続ける。
「別に匿名なんてよくあることで、珍しい話じゃねぇ。むしろ本名晒してるゲーム制作者のが少ないくらいだ。……ただ、これだけ優秀なAIだ。名のある科学者かあるいはハッカーか、それか一流のエンジニアってのがもっぱらの噂だ」
「ふーん? そんなにすごいAIなんだ」
「ああ。すげぇよ。俺は、あんま詳しいことはわからねぇけど、人類には不可能な領域に到達した最高峰のAIだと言われてる」
「人類には不可能……ねぇ」
 意味深に呟いて、ハチは目を細めて笑う。
「もしかしてラプラスの悪魔でもついてるの?」
「悪魔なんて比べもんにならねぇよ! めっちゃ手ごわいんだからなッ」
 鼻息荒い慎吾は、いかにこのゲームが難しく、人類の壁として立ちはだかっているかを熱心に訴えた。
 ハチは、それを覚めた調子で聞き流し、火に油を注ぐ。
「でも、たかがゲームでしょ?」
「――――いいか、ハチッ! よく聞けッッ!! このゲームをクリアするってのはな、人として神の領域に足を踏み入れるのと同意義なんだぞッッ!!!」
「えー……、大げさすぎるよ」
「マジでマジでマジでマジで、ちょーやべぇんだからな!」
 思わず、ハチは苦笑する。
 すごくヤバイことを熱心に伝えてくる慎吾だったが、いったい何がやばいのかはあまり伝わってこない。
 ただ慎吾はこのゲームの大ファンであり、このゲームの攻略を目論む一人であることだけはよく解った。
「藤原も慎吾みたいなガチ勢だったらやだなぁ……」
 ハチは若干慎吾の様子に引きながら、その帰りを待った。

 慎吾がブラインドクロードについて熱弁している頃、一方、藤原は――――。

「まさか隠し扉まで披露してやるとは、よっぽど仲良しなんだな。…………少し意外だよ」
 開口一番に冷やかしてくる荒木から目を逸らした。

 ◇



「……ニヤニヤしてないで、……要件を言ってください。人を待たせているので」
「んじゃまぁ、さっそく本題に入らせてもらおうか」
 荒木は満面の笑みのまま、どっしりと構えて、いやに優しい声で訊ねる。
「なぁ、藤原。ウチの会派のルール、忘れたか?」
「なんのことですか」
 目を逸らしてとぼけた。
 だが、荒木は逃がさんといわんばかりに、その語気を強めた。
「ヴィーチェとは関わるな」
 室内に静寂が広がる。
 藤原は逃げ場を探るように、手元の資料に目を落とす。
 そうして、探るように荒木を見遣れば、彼は満面の笑みから一転、険しい顔で藤原を見据えている。
 藤原は観念したように問い返した。
「それは……、長啓(ちょうけい)様から、ですか」
「いいや、ケイシィからだ」
「ケイ先生が……」
 懐かしむようにその名を呼び、過去を振り返る。

 ――――藤原アキラは魔術師である。

 魔術師とは、魔法を知る者を指す。
 この現代において、この現実的常識において、魔法が信じられていないこの世界で、藤原アキラは魔術師として生きている。

 魔術師は、どこかの会派に所属しているのが常で、その会派の大半は魔術師連合に加盟している。
 そして、連合や会派に所属していない魔術師はハグレと呼ばれ、魔術の悪用を防止する目的で保護する(ルール)になっている。
 通常、魔術師連合には警察のような組織があり、それらがハグレの捜査及び補導を行っているのだが……。

 魔連は、多くの会派からなる集団で、様々な思惑を抱えている。

 藤原はその思惑に人生を左右された一人であった。
 というのも藤原の父は、かなり腕の立つ魔術師で、かなりの野心家だった。
 権力闘争に明けくれ、目的のためなら何でも犠牲にする残忍非道な人間でもあった。

「特別な人間は、特別な環境で育つ」

 それが父の口癖だった。
 特別であるために、特別になるために、様々な魔術的研究が行われた。
 そして、さらなる地位のために野心を燃やす父は、なにより力を欲していた。
 父の研究は意図もたやすく人道の域を超え、どこの会派にも所属していないハグレは恰好の的となった。

 藤原は、多くの過ちをその傍で補佐する一方、また自分自身もその特別のための実験体であった。

 鬼畜的な所業は世界の進歩のために必要なことで、数々の拷問的実験は愛情の裏返しだと教わった。
 名誉のために殺すことを誰も咎めはしない。地位のために死ぬことを、誰も諫めはしない。目的のためなら、なんだってやっていい。
 正義も人道もあってないようなことが、魔術の進歩のために、あるいは連合の団結のために、あるいは世界平和のために、そんな御題目を得て行われてきた。

 そしてその結果――――、父は権力闘争に敗れた。

 全ての魔術師たちの祖、魔導士。
 魔導士たちは、藤原の父の残忍非道の行いを決して良しとはしなかった。
 藤原が所属する会派の長、龍の魔導士たる長啓は、藤原の父を権力から遠ざけ、年若き魔術師を自分の後釜に指名した。

 その者こそ、この目の前の男、荒木である。

 だが、こともあろうに荒木はその申し出を断って、同輩の魔術師にその地位を譲った。
 父が狙っていた席を奪い、龍の会派を統べることになったのが、ケイシィと呼ばれる御仁で、藤原を地獄のような日々から救ってくれた大恩人である。

「ケイ先生にも、荒木さんにも、……今でも感謝してます。本当に、言い尽くせないほど……」
 藤原は小さく言って、顔を伏せる。
 その様に、荒木は苦笑した。
「謝ることはあっても、感謝される覚えはねぇぞ」
「……で、でも……!」
「まぁ聞け。お前がなにをやってるのか。それは俺もケイシィも知らねぇし、どんな生き方をしようが、どんな風に魔術を使おうが、自由だ。あの日、誓ったことに二言はねぇよ」

 荒木の言葉に、ついあの解放の日が脳裏に過る。

 ―――――好きに生きろ。
 ―――――今日からお前は、自由だ。

 そういって、荒木は藤原の枷を外してくれた。
 優しく頭を撫でてくれた。生まれて初めて、人として扱ってくれた。
 自然と目尻が熱くなった。

「だがな、約束を忘れてもらっちゃ困る」

 ―――――ヴィーチェには関わるな。クローバーとは、二度と関わりを持つな。

「たとえ、それが魔連からの依頼であっても、絶対に、な」
 荒木は強く言って、藤原を射貫く。
 藤原は、眼光の奥底に潜む覇気に触れ、一瞬怯みながらも恐る恐る口を開いた。
「断れ、ということですか。…………その依頼が」
「おいおい、依頼のことをペラペラ話すな」
 呆れたように笑って、軽い調子で荒木は続ける。
「探偵なら、ちったぁ背中に気をつけろ。どんな得たいの知れねぇ怪物を相手にしてるか、わからねぇからな」
 依頼人から手渡された手元の資料を見て、思わず黙り込む。
 何も言い出せない藤原に、荒木は困ったように質問を投げかけた。
「誰かに弱味でも握られたか?」
「……そういうわけでは……、ないんですが……」
 とだけ言って、藤原は口を閉ざしてしまう。
 それきり会話は続かなかった。
 長い静寂の末、痺れを切らしたように荒木が息を吐く。 
「とにかく、要件はそれだけだ。ヴィーチェとは関わるな、いいな?」
 念を押すように言うも、藤原はうんともすんとも答えない。
 ただじっと資料を見つめているだけである。
「あぁ、そういや、もう一つあったな」
 思い出したように、荒木は話題を変える。
「あのハチって子」
 その名に藤原は顔を挙げた。
「奈落に片足突っ込んでるような奴を招き入れるなんて不用心だぜ?」
「荒木さんに言われなくても分かってます」
「なら、決断は早いほうがいい。長引けば、お前の身にも危険が及ぶぞ」
 さらに荒木は忠告する。
「ついでに、探偵を生業としていくのなら、普通の人間とも関わるべきじゃねぇぞ。魔術師の探偵に、大金もって依頼に来る連中なんてのは、どうせろくでもねぇだろうしな」
 荒木は、どこか遠くを見て、冷たく吐き捨てた。
「魔術を知る者にとって友人なんて幻想だ。同士は出来ても、友達なんてあってないようなものだ。力のない奴とは関わるな。期待するだけ裏切られるぞ」
 その冷ややかな言葉には、どこか父のような冷酷さがあった。
「僕はアラキさんじゃないッ――――、――――父さんの道具でもない」
 思わず、藤原は声を荒げる。そうして、荒木を見据えて迷いつつも強く言う。
「自分のことは、自分で決めます」
「……ああ、好きに生きろよ。お前は自由だ、アキラ」
 どこか寂しげに、それでいてナニカを懐かしむように、荒木は藤原の頭を撫でた。
 その手はひどく優しく、ひどく悲し気だった。
 荒木は諦めたようにため息をつき、言葉を添える。
「ただちったぁ親心ってやつも分かってくれや」
 困ったように笑う荒木に、藤原は目を逸らす。
 無言のまま、手元の資料を一枚めくった。
 そこにはハチの姿が記されている。
「本当に、……大事な友達なんだな」
「…………はい」
「クローバーの首輪なんてつけてる奴だぞ」
「………………………、それでも友達だから……」
「そうかよ。なら」
 荒木は、がっしりと藤原の肩を掴んで、その不安気に揺れる藤色の瞳を見た。
「奈落に落ちる前に、お前が止めてやれ」
 そうして荒木は懐から小さな指輪を取り出す。
「これは……?」
 指輪には、龍の紋様が刻まれており、特別な細工が施されていた。
「長啓様から授かってきた秘密兵器だ。もしどうしようもなくなったら使え」 
 確かめるように指輪を触って、その指に嵌めた。すると同時に、指輪はスッと姿を消した。
 どうやら高度な魔法が掛かっており、一度嵌めると目視できなくなる上に、気配すら感じ取れなくなってしまうらしい。
「危なくなったら躊躇するな。全力で行け」
 具体的にどんな術がかけられているのかはわからないが、長啓様の品ならば相当の魔具なのは間違いない。
「……ありがとうございます」
 藤原は、荒木に感謝しながら、その背中を見送った。
 そうして事務所に戻ってきて再び手元の資料を確認する。
 魔術師連合特殊部隊、エルリズからの依頼。

 ――――ブラインド・クロードの作者を探せ。

 ◇



 藤原が二人を待たせている自室に戻ると、すぐに慎吾が腕を広げた。
「友よぉ~~ッッ!!」
「わっ、な、、……なに?」
 ハイテンションな慎吾はいきなり藤原に迫り、そうして同意を求めてくる。
「ブラインドクロードは最高に良いゲームだよな、超良いゲームだよな、なッ? 最高に楽しいよなッ? なぁッ? 藤原くんもそう思うよなぁ?」
 一見すると笑みを浮かべているも、そこには有無を言わせない気迫があって、また慎吾の迫力のある顔はちょっと怖くもあった。
 藤原は目を泳がせながら、冷や汗交じりで応える。
「え、あー……まぁ、良いゲーム、かなぁ?」
「友よぉ~~~~~ッッ!!」
 慎吾は感極まり、嬉しそうに抱きしめてくる。
 そうして、もう一人の友人、若干顔を引き攣らせてるハチへと視線を向けた。
「あの分からず屋にも言ってやってくれ。俺がどんなに説明しても、こいつぁなにも理解しないんだ」
「えー、だって、たかがゲームでしょ?」
「ヴァッキャロォーーーーッ!!!」
 慎吾の怒声が室内に響く。
 そうして、怒ったかと思えば、すぐにシクシクとわざとらしく泣くのであった。
「ひどいのよ……ひどいの、この男、最低なのっ! ロマンも夢もへったくれもないのよッ! まったく理解してくれないのッ、私の気持ちをまるで考えてくれないのよッッ!!」
「慎吾が説明下手なだけでしょ。そんなにすごいならもっと具体的に説明してよ」
「だーかーらー!! 最高にやべぇゲームなんだって!!!」
「だーかーらー、それは説明になってないんだってー」
 二人のやりとりに、思わず藤原は苦笑する。
 普段ならこの不毛な会話に巻き込まれる前に逃げるのだが、久しぶりの再会からか、妙に心地良かった。
 つい、楽しかった過去の日々を振り返る。

 昔から慎吾とハチはこうだった。
 呼吸は合うが、趣味が合わない。致命的なほどに好き嫌いが異なる。
 慎吾が良いと言えばハチは眉を顰めるし、ハチが惹かれるモノを慎吾は訝しむ。
 同じものを見ても、二人は決して同じようには考えない。
 関心の対象が違いすぎて、嗜好の方向が違いすぎて、常に二人の道は別だった。
 もっとも本人たちは、その違いすぎる性質をしょっちゅう否定していたが……。

「やっぱり、……二人とも変わらないね」
 遠いところから眺めるように藤原が言えば、それを耳にした慎吾が矛先を変えた。
「なんだ、まるで自分は変わりましたみたいなその物言いは」
「えっ、……そういうつもりで言ったわけじゃないけど……」
「でも実際、藤原は変わったよね」
 やや冷淡な物言いで、ハチは藤原をじろりと見る。
「だって探偵でしょ。すごい変化だと思わない? 昔は引っ込み事案でろくに人と会話できなかったのに、今じゃ名探偵。しかも秘密扉まで持ってるし」
「――――秘密扉ッ!!」
 思い出したように慎吾は藤原へと近寄る。
「なぁなぁ、藤原、他にはどんな仕掛けがあるんだ? 秘密兵器とかもやっぱりある?」
「……秘密兵器って……」
「だって、探偵事務所に秘密扉だぞぃ! なにがあっても俺は驚かんぞッ!」
 慎吾は少年のように純粋無垢な表情で期待する。
「なぁ、教えてくれよ」
 慎吾の期待(ロマン)を壊すように、ハチがぽつりと呟いた。
「実は愛人でも囲ってたりして」
「あ、、……あ、……愛人ッッ――――?!?!!?」
「ッ?! ちょ、ちょっとッ、そんなわけのあるわけないでしょッ!!」
「うっわー。どもってるし……。ちょーあやしー」
「かぁ~~~~ッ!! けしからん、けしからんぞ! 藤原くん!!」
「は、ハチっ! 慎吾を煽らないでくれ」
 心からの懇願だった。
 慎吾は、スイッチが入るととてもめんどくさい男である。
 それを知っていながら性格が歪んでるハチは、容赦なく焚きつけてくる。
 ハチは藤原の懇願に我関せずの様子で、わざとらしく笑ってみせる。
「えー? でも藤原が変わったのは事実だし、俺らが知らないような秘密を持っててもおかしくないでしょう?」
 それに、とハチは目線をやりっぱなしのゲームへと向ける。
「昔は、ゲームなんて興味なかったじゃん。いっつも本ばかり読んでた」
 ハチのどこか懐かしむような、それでいて寂しそうな声に、正気に戻った慎吾が苦笑まじりに同意した。
「あー確かに。難しい本が好きだったよな、お前」
「そーそー。休み時間に霊枢なんて読んでたときはさすがにちょっとビビったよ」
 漫画で埋め尽くされた本棚を見ては、現在と過去とを比べ、ハチは疑問を投げかけた。
「ねぇ、どうして医者をやめて探偵なんかになったの? 受験がだるいから?」
「……そういうんじゃ……ないけど……」
 伏し目がちに答えるも、ハチの疑念の眼差しからは逃れられなかった。
 答えを催促するようにじっと向けられた視線は、まるで藤原を試しているようでさえあった。
 ふと、机に置かれたままの三人の写真が目に止まる。
 藤原は悩んだ末に、正直に答えようとするも、どうしても言葉がみつからなかった。

 ――――いつも、こうだ。

 大事なことはいつだって、人には言えない。
 肝心なことは、簡単には口に出せない。

 どうして医者にならなかったか。
 それは医者という仮初の姿で、父の仕事の手伝いをする必要がなくなったから。
 どうして探偵になったのか。
 それはその腕を買われて、知人に探偵業を勧められたから。

 ハチの疑問に答えることは簡単である。ありのままを話せばいいだけだ。
 だけど、答えた先を想像すると、いつだって戸惑うばかりで何も言えなくなる。

 ――――……なんでも知っている。

 つい、魔導士たちの寂しげな口癖を思い出しては、自嘲気味に自身と重ねた。
 なんでも知っていながら、全てを教えてくれない彼らは、とても薄情で、…………とても重い責任を負っているのだと想う。

「…………医者に……、ならなかったのは……、…………ッ」
 答えを探すように言葉を紡ぎ出すも、その先は出ず、かえって唇を強く噛みしめた。
 特殊な環境で育った藤原は、決して二人には魔術を知ってほしくはないのである。

 ――――魔術は、人を不幸にする。

 藤原の境遇は、決して魔術に甘い夢なんて見せなかった。辛い現実だけを叩き込んだ。
 人々のために、平和のために、進歩のために、という表向きの看板で、いかに利己的な使われ方をしているか。嫌というほどにその中身を味わった。
 だからこそ慎吾たちには魔術と無縁で居てほしい。大切な友人だからこそ、あんなものとは関わらないでほしい。どうか幸せになってほしい。
 藤原が何も言い出せずにいると、慎吾がパッと顔をあげる。
「まっ、お前は医学とか向いてなかったし、よかったんじゃね?」
 軽い調子で話すその姿は、まるで太陽のように明るい。
 慎吾の言葉に、ハチはため息交じりに同意した。
「まっ、確かにね。あんだけ血が苦手だったら医者なんて務まらないよ」
「んだな。平和主義で、やられても黙ってるし」
「泣き寝入りばっかで、俺らのほうが気を揉んだよね」
「ほんとだぜ。おまけにやり返そうってなったら今度は相手の心配だもんな」
「ほんとだよ。僕らの心配してくれることのが少なかった」
 二人して責めるようにハチを見る。
 うっ……っと息を飲みつつ、藤原は目を逸らしながらも、ちゃんとこれには返事が出来た。
「……慎吾は無敵だし……、ハチは、やりすぎるから……」
「へへっ、まっ。俺は強いからなッ」
「僕は正当な報復をしてるだけだけど」
「……報復に正当も不当もないと……思うけど……」
「そうやってやり返さないから相手が図に乗るんだよ?」
 特徴的なハチの目は、その奥に暗く深い闇がある。
 ハチの冷酷な瞳は、どこか父のような威圧感があって、少しだけ苦手だった。
「ところでよ」
 慎吾がまた何かを思い出したように、話題を変える。
「藤原はこのゲーム、最高だと思ってんだろ?」
「えッ」
「えー、まだ続くの、その話」
「だまらっしゃい!」
 ビシっと言って、慎吾はニコニコとした優しい顔で(それはとても怖いのだが)ハチを見る。
「俺はね、ハチくん。君にもこのゲームの良さを理解してほしいと思っているのだよ」
「あー、うーん……。まぁ良いゲームなんじゃない?」
「心から、思ってほしいのだよ」
「え~~~……」
「というわけで~~~~! なぁ、せっかく現物あるんだし、やろうぜ?」
 うっきうきの慎吾に、藤原は素朴な疑問をぶつけた。
「慎吾はこのゲーム詳しいの?」
 ブラインドクロードはとても難しいゲームで、一つでもエンディングに到達できるプレイヤーは、購入者のうちの千人に一人だと言われている。
 その選ばれし者たちの中でも、エンディングを複数回収しているのは、万に一人。コンプリートを達成しうるプレイヤーとなると、まさに片手で数えるしかいないだろう。
「ああ。かなりやり込んでるぜ。あと4つで全エンド回収できるんだ。攻略困ってるなら手伝うぞ?」
 慎吾の何気ない一言に、藤原は絶句する。
「……じょ、………ッ、冗談でしょ……?」
「俺のゲームの腕を舐めてもらっゃ困るねぇぃ」
 得意げな慎吾に、藤原はつい本音が漏れてしまった。
「……慎吾って、そういえばどうしようもなく馬鹿だったよね」
「あぁん? てめぇどういう意味だそれ」
「えっ……ッ! あ、いや、……良い意味で、だよ。……きっと」
 ハチがニヤニヤとしながら、意地悪く復唱する。
「良い意味で、馬鹿ねぇ~」
「ハチぃ~~? お前おちょくってるだろぉ?」
「ハハハッ、安心してよ慎吾。良い意味でおちょくってるんだよ」
「……ん? それって……」
 慎吾は一瞬悩んでから、真顔になって訊ねた。
「どういう意味だよ」
「…………そういうところが慎吾ってことだね」
「?? なんじゃそりゃぁ」
「まぁまぁ、せっかくだし、やろうよ。俺もちょっとだけ興味湧いたし」
 ハチがようやく少し乗り気になったところで、空気が変わる。
「……ごめん。……これは出来ないんだ」

 ◇ 



「…………実はね、このゲームには魔法が掛かってるんだ」
 探るように言って、藤原は咄嗟に目を逸らした。
「魔法?」
 話の続きを待っている慎吾の視線が、やけに痛く感じられる。
「チート、って言えばわかりやすいかな」
 はぐらかすように笑って、拳を握りしめた。

 ―――――ハチに、言わなきゃ。

 そう思うのになかなか言葉が出てこない。
「チートってどういうことだよ」
 慎吾に問いただされれば、なお一層に藤原の口は重くなる。
 この場で事情を説明することは、つまりは他ならぬ慎吾を巻き込むことを意味した。
「藤原にしては珍しく、ずいぶんとファンタジーな物言いをするね」
 何も言い出せない藤原に声をかけたのはハチだった。
「……珍しい、かな?」
「ああ、とても」
 ハチは、人当たりのよさそうな笑みを浮かべて、そうして、ゲーム機本体に接続されている不思議な紋章が刻まれた小さな装置を一瞥する。
 意味深で、挑発的な、その視線に一瞬戸惑ったが、藤原はようやく意を決して話を切り出した。
「実は、……僕はこのゲームの作者を探している」
「つまり相当なファンボーイってことか――――ッ?!」
「ち、違う……ッ! ……依頼なんだ」
「まさかゲームを攻略してくれって? 探偵ってそんな依頼までくるの?」
 藤原が静かに頷く。
「このゲームはとても難しい。発売されて5年になるけど、いまだにトゥルーエンドに誰も辿りつけていない。……熱狂的なファンがたくさんいるにもかかわらず、ね」
「それでチートして全クリ目指しちゃおうってこと?」
「……いいや……、……これだけ時間が経ってるゲームだ。チートぐらいで全クリ出来るなら……、俺のところに依頼として入ってこないよ」
「じゃあなに? まさか、チートしてもクリアできないとでもいう気?」
「その通り」
「ねぇ、ゲームってしょせんはただのデータでしょ? データの中身をいじっちゃえば、クリアできないなんてこと起こりえないと思うけど」
「普通はね。……だけど、このゲームには特別なAIが搭載されてるから……」
 へぇとハチが関心して呟いた。
「慎吾が大げさに言ってるだけじゃなかったんだ」
「うん。本当にすごい代物が入ってるよ」
 奇跡の産物といっても過言ではない。すでに人知の域を超えているのだと藤原はいう。
 そして、この人知を超えたAIは、あらゆる想定でもって、このゲームを鉄壁にした。
改竄(チート)しても、すぐに上書きされる。どんな魔法(チート)も通用しない。真正面から挑もうものなら向こうのシステムにやられるだけ。……本当に厄介で実に完成されたAIだよ」
「でも、クリアできねぇわけじゃねぇさ」
 慎吾は陽気に言って「クカカ」と笑った。
「生半可じゃできねぇからこそ、楽しいってもんだろ」
「うっわぁー」
 と、ハチは若干引きながらも、諭すように優しく問いかける。
「ねぇ、慎吾。よく考えてみて。そんな難しいゲームをクリアしたってなんの価値もないんだよ?」
 親切そうな声色と違って、その言葉はひどく冷淡でどこまでも実利的だ。
「シャラップ!! まだいうか、貴様ァァァ――――ッッッ!!!」
「だって、チートしても無理とか、イカれてるじゃん」
「だからこそロマンがある!」
「え~~~~……」
 熱弁する慎吾を他所に、ハチはため息交じりで藤原に訊ねた。
「でもさぁ。クリアするのと作者を探すのってまったく別の話でしょ。全クリアしなきゃ作者に会えないわけでもないしさ」
「…………そういうわけにもいかないんだ」
「ふーん。なら意外と慎吾の読み通り、相当なファンボーイかもよ。その依頼主」
「…………………違う、……と思うけど……」
 慎吾がぽつりと呟く。
「俺も作者がどんな人なのか、気になるなぁ」
 すぐに藤原は目を逸らした。自身に関心が向かないように、そっと慎吾の視界から離れる。
「なぁ、なぁ! 作者ってどんな人なの? もう目星ついてたりする?」
 だが、その甲斐虚しく、慎吾は目を輝かせながら藤原へと迫るのであった。
「えっ……えっー……っと」
「ちょっと慎吾。いくらなんでも仕事のことは聞くべきじゃないよ」
「いいだろ。どうせ減るもんじゃねぇし、なぁちょっとぐらい教えてくれよ藤原」
 わくわくとした瞳で見つめられれば、自然と藤原の額に冷や汗が浮かぶ。
 出来ることなら慎吾には教えたくはないのだが……。
「頼むって!」
 無邪気にキラキラと目を輝かす慎吾に、藤原はとてつもなく弱かった。
 というか、作者を探していると口にしたときに、もう避けては通れないとわかってはいた。
 苦し紛れに言葉を濁しながらも藤原は現状を説明していく。
「い、いろいろ解ってきていることは、……あるんだけど……それでも、……その、作者探しは、……かなり難航してて……」
「え?」
 意外そうに声をあげたのは慎吾ではなくハチである。
 慎吾が「やっぱ難しいんか」と納得してる横で、ハチだけは訝し気に藤原を凝視する。
「……嘘じゃないよ。……本当に…………、難航してるんだ……。ハチ」
「ゲーム作者を調べるなんて簡単そうだけど?」
「馬鹿いうな! 匿名だぞ! そう簡単に見つかるわけねぇよ、なんたってネットは広いんだからなッ!」
 ハチは苦笑まじりに、それでいて、ひどく冷淡に答えた。
「最悪、訴訟すればいいんだよ」
「へ?」
「ゲームの購入には金銭が要る。となれば、自然と法律も関わってくる。法のもとでの取引なんだから、法を利用すればいい」
 藤原は、ハチの言葉に小さく頷く。
 匿名を名乗る時点で、利用者は特定の情報を開示している。その情報を詳しく調べて行けば、いつかは本人に辿りつく。
 まして、商売上での匿名なんて成立し難きものである。なにせ詐欺のような巧妙な犯罪でさえ足がつく。
 金の流れが発生している以上、その金を追って行けば、自然と当人に辿りつくのが社会の摂理というものだろう。
「それに、訴訟なんかしなくても、販売元がもってる個人情報を探るぐらい簡単にできそうだ」
「……なら、仮に、その個人情報が偽造されていたら、……どうする?」
「警察を味方につけるね」
「……作者は金に興味がなく、……弁護士よりも法に詳しくて、……おまけに……募金が趣味の慈愛に満ちた人物で、政治家にも顔が利く……としたら?」
「なるほど、つまりは罪には問えないと。逆にわかりやすくて良いんじゃない?」
 ハチは肩を窄めて苦笑しながらもどこか嬉しそうに言う。
「確かにそれは暴きたくなる」
 藤原は机の引き出しから新聞の切り抜きを取り出して、二人に見せた。
 そこには『難しすぎるゲームに制裁? 話題の新作に購入者ら怒りの声』という小さな見出しがあった。
「発売当初、アメリカでブラインドクロードの作者を特定しようとする動きがあった」
 だが、単純に「知りたい」という動機だけで、名を明かすほどオープンな作者ではなかった。
 そこで考えた人たちは、ブラインドクロードの難易度を口実に裁判を起こしたのだ。
「普通の国だったら、まずそんな理屈では法廷までいかない。だけど、アメリカなら、……優秀すぎる弁護士が多いアメリカでなら、通るんだ」
「それで、その結果は?」
 藤原はさらにファイルから一枚の写真を取り出し、ハチに手渡す。
「出てきたのは13歳の少女。名前はレミー・クロード」
「え、そんな若いのッ!? って、えっっっ?!」
 その写真には驚くべき姿が映し出されている。
 横から写真を覗き見た慎吾は目を丸くして、思わず二度見した。
「彼女は、寝たきりの状態で法廷に出廷したんだ」
 レミーは数年前に交通事故で意識を失い、そのまま植物状態である。
 こんな状態の幼い少女が奇跡のAIの製作者なんてのは誰がどう見ても真っ赤な嘘で、しかし、そういう名目で裁判は行われたのであった。
「事故に遭う前にレミーが作成したゲームを年の離れた姉のレーナが代わりに販売してる、……というのが彼女たちの主張で、難易度を下げられないのはレミーが寝たきりだから、だそうだよ」
「そうなのか……」と、慎吾はそのままに信じ込み、やるせなさから肩を落とす。
「なんていうか、突っ込みづらいね。それ」
「ああ。最初から情緒万歳で、肝心なところは何も分からず仕舞い……」
 だから、口座(金の流れ)が分かっても、肝心の作者にはたどり着けなかった。
 不思議そうに慎吾が首を傾げる。
「ん? つまり、作者はレミーさんってことで解決だろ?」
「ねぇ、慎吾がいう人知を超えたAIってのはさ、10歳にも満たない子が作れるものなの?」
「くぅ~~~ッ! 夢があるねぇ。きっと天才少女だったんだろぃ」
「……彼女は、実に一般的で、平凡な少女だったらしいよ……」
「で、でもよぉ! 名前にクロードってついてるじゃん!」
「だからって彼女が作ったとはならないでしょ。適当な人柱にされた可能性のほうが強そう」
「……うん、……そっちの線が濃厚だと思う……」
 金の流れじゃまるで分らなかったけど手がかりはあるんだ、といって藤原はファイルから一通の手紙を取り出した。
「実はね、裁判のあと、訴訟を起こした人たちの元に一通の手紙が届いたんだ。……ハチ、これに見覚えはある……?」
 その手紙には、印象的な紋様が刻まれている。洒落た封筒によく似合うさりげない装飾で、差出人の粋な計らいが感じられる紋様だった。
 慎吾には、これといって変わったもののように思えなかったが……。
 探偵であり魔術師でもある藤原は、この紋様を何よりも重要視する。
「これは?」
「……バスク地方に伝わる、古いシンボル、らしい。……ねぇ。……ハチ、正直に答えてほしい。……これに見覚えは……?」
「いいや、ないね」
 すると、慎吾が思い出したように声を漏らした。 
「あっ、それ。なんかハチのペンダントに似てね?」
「え? ねぇ、慎吾。目ついてる?」
「よく見ろって。これ、クローバーぽいじゃん」
 慎吾の言葉に、ハチは呆れ返る。
「クローバーなんてよくある模様でしょ。似てるも似てないもないって。なんたって幸運の象徴なんだから」
「…………クローバーは、……別に幸運の象徴ではないと思うけど……」
「幸運……、クローバー……、ウッッッッ!!」
 突然、慎吾が頭を抱えた。
 というのも、慎吾は墓地で出会った奴を思い出したのだ。
「…………一体、野郎のどこが幸運だよ、クソッ」
「えっ? 急にどうしたの、慎吾?」
「……いや。なんでもねぇ。続けてくれ」
 人知れず眉間に皺を寄せていく慎吾の横で、藤原はその手紙をハチに手渡した。
 開いてみれば、そこには……。
「挑戦状? いや、……パッチノートかな」
 長々しい挨拶とともに、いくつかのゲームの更新内容が記載されていた。
 ほとんどブラインドクロードの不具合の修正を報せるもので、個人宛の手紙に相応しくないことを除けば、これといって変わり映えしない内容だった。
 ありふたりの内容の中で、唯一、強調されている部分をハチが朗読する。
「新たなるエンディングを追加しました。これでこのゲームの終わりは三十七です。選ばれしプレイヤーが終焉に辿りつけることを、また不適切なプレイヤーがこの素晴らしき世界から除外されることを、切に願っています」
 読み上げた後、ハチが二人を見て無邪気に笑う。
「選民思想ってやつだね」
 藤原は、笑顔のハチと違って、険しい表情で手紙の裏側を指さした。
 ハチが手紙をひっくり返してみると、そこには「あなたはどちら?」と歪な文字で書かれている。
「なんか気味悪いな」
「……訴訟を起こした人は全員、……死んだそうだよ」
「え?」
 不意の事実に慎吾が目を見開いた。藤原は淡々と話を続けてゆく。
「……そのせいかな。……ブラインドクロードには、……不吉な噂があるんだ」
「おいおい待てよ。聞いたことねぇぞ、ヤバイ噂なんて」
「慎吾が知らないのも当然だよ。……ごく一部の、特殊なオカルト界隈での噂だから……」
 藤原は躊躇いながらも、そっと懐から別の手紙を取り出した。
 それは、さきほどのゲームパッチが記載されていた手紙の封筒に実によく似ていた。
 少しばかりの違いがあるとすれば宛先である。顔も名前も知らぬ誰かではなく、ハッキリと藤原の名が書かれている。
「このゲームの作者に近づくとこんな風に手紙が来る。…………例に漏れなく、俺の元にも手紙が来た」
「……へぇ」
 と、ハチは心配そうに、それでいてどこか不思議そうに、手紙と藤原とを交互に見る。
 驚きのあまり言葉を失っている慎吾と違って、あまり衝撃を受けていないようだった。
 藤原はそんなハチの様子を訝しみながらも、自身宛ての手紙もハチに手渡す。

 ――――愚かなる魔術師に制裁を。真実を望む者に救いを。
 ――――そして、無知によって支配されたこの世界に、終焉を。

 このような文脈から始まる手紙は、ゲームの更新内容を報せるものでもなく、また警告や恫喝を目的としたものでもない。
 どこか宗教の詩集や箴言、あるいは頭のイカれた狂言を連想させる内容で、とても意味があるようには思えなかった。
「なんじゃこりゃ」
 意味が分からんと言わんばかりに慎吾は首を傾げる。
 しかしその一方で、ハチは、理解不能な手紙を釘入るように読んでいて、次第次第に眼の色を変えていった。
 ハチの一挙一動を見逃さなかった藤原が、穏やかに、それでいて確信へと迫るように訊ねる。
「ねぇ、ハチ。この文章……、わかる、……よね?」
 間髪入れずに返事が来る。
「いいや、まるで意味がわからないね」
 とくに表情に変化はない。普段通りの返事だった。
 しかし、息を吐くように嘘をつける人間ならば、なんら顔色を変えずに答えられるだろう。そしてそれは、実にハチらしい返事とも言えた。
「…………ハチは、変わらないね」
 昔から大の嘘つきで、何より残忍で、どんな場面でも動じない。いつも笑顔で人を騙す。
 ポーカーフェイスといえば聞こえはいいが、その実は鉄面だ。藤原が思うに、たぶんハチは情というものをあまり持ち合わせていない。
 どんなことでも平気で出来る大胆さの裏には、人を人とも思わない冷酷さが常に垣間見えた。
 傍にいると時々、怖くもあった。見るに見かねて、何度か問い質したこともある。そしてその都度、ハチは笑ってこう答えた。
「俺が残忍非道な嘘つきなら、人は正直者で優しい?」
 当時、世界平和のためによからぬ研究をしていた藤原にとって、ハチの言葉は、何よりもひどく突き刺さった。

 ――――誰がどんな言葉を使い、何をしたのか。

 確かに、ハチはサイコパスと呼びたくなるほどに心ない言動をする。
 だがそれでも、あの日あの時、苦しんでいる藤原に手を差し伸べてくれたのは、道徳を語る教師ではなく、世界平和を語る父でもなく、見知らぬ少年の慎吾とハチの二人だけだった。
「……数えきれないほど、慎吾とハチには助けてもらった」
 思い出がいまだ脳裏にちらつくから、だから余計に、今この瞬間を寂しく思う。
「……ハチは、変わらないね……」
 変わったのは、きっと世界のほうだ。 
 時間が世界を変えた。時が巡って―――――、世界が変わった。
 時計の針が何の感情もなく無機質に廻り続けるように、どんなに離れがたくても、どんなに近づきたくなくても、世界の変化も、人の感情も、止まってはくれない。

 藤原は、自らの思いを胸の内にそっと閉まい、ハチに手渡した自身宛ての手紙へと目を向ける。
 書かれている内容を理解することは困難であったが、しかしこの手紙を送りつけてきた意図は少なからず察することが出来た。

 何気ない手紙の装飾―――――、バスク地方に伝わる古い紋様――――、このクローバーの証は―――――、つまり―――――。

「ねぇ大丈夫なの?」
 ハチがどこか心配そうに藤原を見た。
 整然と答えた態度と違って、その目は少しだけ揺れている。
「大丈夫も何も……、僕には意味がよくわからないから……」
「この愚かなる魔術師ってのはよぉ、つまりは藤原への警告なんじゃねぇの?」
 藤原の内心をまるで知らない慎吾が、一人、その手紙を読み解くべく指さした。
「この愚かなる魔術師に制裁をってのは、チーターは許さないって意味で。真実を望む者に救いを、これは正規プレイヤーへの激励って意味じゃね?」
「うーん……そうなのかな……」
 手紙を一通り読み終えた慎吾がふと拳を握りしめた。
「しかし、熱いねぇ! なんだか熱いものを感じるよ!」
「えっ? ……ど、どこにそんなものを……か感じたの?」
「だってよ、これ。つまりは挑戦状ってことだろ? チートなんかしねぇで真正面からかかってこいって意味だろきっと」
「えっっ。……そ、そうなのかなぁ……」
 ハチは、困惑する藤原に苦笑しながらも、慎吾の意見におおむね同意する。
「まぁでも、――――無知によって支配されたこの世界に、終焉を――――。俺にもこの部分はさっぱりだね。ねぇ、慎吾。なにかゲームの内容に関係していることなの?」
「無知、無知、無知かぁ。ストーリー上で、知識がどうこうなんて話は出てきてねぇが、攻略上では知らなきゃ対応できないことが山ほどあるからなぁ」
「へぇ、本当に面倒臭(難しい)いゲームなんだね」
「救済ってのはきっと」
 と、慎吾が独特な解釈を展開してゆく。
 ゲームの内容(ストーリー)と織り交ぜて、現実と空想の境を曖昧にして、可能な限り事実(リアル)に寄せて、そうして顕わになる一つの答え。
 慎吾の解釈は、真相の一部を暴くような謎の説得力を持っていた。だが、表面的なことがわかったとしても、藤原の知りたい肝心の部分は何も分からず仕舞いだった。
 裏側を暴くには、どうしたってそれ相応の情報()が要る。
「ねぇ、それよりさ」
 唐突に、ハチが話頭を転じる。
「俺、藤原に用事があって来たんだけど」
「………なに?」
 揺れる瞳のまま、来る前に慎吾に見せたソレを、ハチはポケットから取り出した。
「これ。知ってる?」
 ハチが差し出したのは、混沌の輝きを放つ黒石である。

 ◇



 親友が懐から取り出したソレは、何一つ変わっていなかった。
 ハチの歪んだ瞳が真意を探るように藤原を見つめる。
 疑心まみれのその視線でさえ、皮肉なことに懐かしかった。
「……それ……は……」
 怪しい輝きを放つ摩訶不思議な石に、藤原は見覚えがあった。
 父と共に、幾度となくその石に触れてきた。人の道を踏み外した研究にはコレが必要不可欠だった。
「そ、……れ……はっ……」

 ――――進歩の象徴だった。

 この世ならざる未知の物質は、人類をさらなる新しい時代へと導くように光り輝く。
 その神々しい光はまるで自らを特別だと主張するかのようである。

 ――――平凡な石とは違う。

 自らは、この世界に舞い降りた奇跡の結晶だと言わんばかりに、眩い光を発する。
 この世ならざる輝きは、現界のいかなる法則にも囚われず、ゆえに多くの人を魅了してきた。

 今だって、藤原の目の前にいるハチの眼には、昔の父と同じように仄暗い輝きが宿っていた。
「ねぇ、この石が何か知ってる?」
「……誰から……、……もらったの……っ?」
「学校のトモダチ。トレド土産だってさ」
「トレド? どこだそりゃ」
「スペインだよ。街全体が博物館って言われてる観光名所」
「ふーん、聞いたことねぇなぁ」
「慎吾。ちゃんと授業に出てる?」
「あ、当たり前だろ! ちゃんと聞いてはいるぜ」
「右から左に流れてそう」
「……トレド、……なんで……」
 再度、藤原はハチに訊ねる。
「……本当に……、それはトモダチからもらったものなの……?」
「そう言ってるでしょ」
「…………本当は違うんじゃない……?」
「じゃあ他になにがあるわけ?」
「……そ、……れは……」
 口ごもる藤原に、なぜか慎吾が苦笑する。
 そうして懐かしむように、それでいてどこか嬉しそうに、二人の間に入った。
「藤原も意外とかわいいところあんじゃんよ」
「えっ?」
「たった3年ちょっとの別れとは言え、まぁ長いと言えば長いからな」
「何言ってんの?」
 ハチも藤原も訳が分からず、慎吾を見る。
 二人の視線を受け、慎吾は小指を立てて甲高い声で訴えた。
「あなたに会えなくて寂しかったわ。だってあなた、まるで連絡をくれないんだものッッ」
 まったく意味が分からず呆然とする藤原の横で、ハチはその意図を察して呆れたようにため息をついた。
「つまり藤原は僕に新しい友達が出来て嫉妬したとでも言いたいわけ?」
「おうよ。嫉妬以外で、誰からもらったか気になることなんてないだろ?」
「……そういんじゃ、……ないけど……」
 しかし、どこか張り詰めた空気から一転、慎吾の壮大なボケによって場の空気が柔らかくなった。
 藤原は、二人には打ち明けられない想いを抱えながらも、ハチへとやんわりと問い質す。
「……ハチ。……きみは、……その、何か危ないことに巻き込まれてない……?」
「危ないこと? 何それ。ていうか俺なんかより慎吾のほうがよっぽど危ないことに首突っ込んでそうだけど? 慎吾は喧嘩早いからね」
「慎吾は……、ハチと違って根が正直だから……」
 ちらっと確認するように慎吾を見れば、なんとも言えない表情で腕組しながら頷いている。
 ハチが不満げに反論する。
「ねぇ。もしかして、俺は、根性が歪んでる、とでも言いたいわけ?」
「えっっ。……えっ~……っと、……そこまでは言ってない」
「言ってなくても思ってはいるってこと?」
「い、……いや、あのっ……」
「あーあー。傷ついちゃうなぁ~。親友にそんなこと言われるなんて」
「まぁ」と、二人のやりとりを聞いていた慎吾が参戦した。
「ハチに正直なんて単語は似合わねぇな」
「ちょっと慎吾。俺、悲しんでるんだよ? もうちょっと思いやりのある言葉があってもいいんじゃない?」
「思いやった結果だ。そんなんで悲しむほどお前は軟じゃねぇし、誰に何言われようが言いたくないことは話さねぇだろ」
「秘密主義なのは認めるけど、別に捻くれてるわけじゃないよ? 俺だって根は正直な方だし」
「ああ。そうだ。お前は捻くれ者でいじわるで頑固な奴だよ。昔からそうだ。別に今に始まったことじゃねぇ」
 慎吾はハッキリと言って、藤原へと視線を向ける。
「なぁ、藤原。言いたいことがあんのに、イジイジしてたってしょうがねぇだろ。回りくどいことなんてやめて、真正面から挑んでみろよ」
「…………で、でも……」
「だいたいなぁ。ハチは素直にホイホイと話すタマじゃねぇだろ? 秘密にすると決めたことは意地でも言わねぇ。信用できる男だ」
 慎吾は笑って、藤原の肩へと手を伸ばす。
「そんな男を前に、どうしてもその秘密を聞き出してぇっていうなら、――――拳で聞けよ」
 慎吾の眼差しは真剣そのものので、自信と信念、そして覇気に溢れていた。
 真っすぐと向けられたその言葉には、慎吾の人柄がよく表れている。
「はぁ~~」
 と、ハチが大きな大きなため息をつく。
「ねぇ、慎吾。自分が何を言っているか分かってる?」
「ああ。王道を語ってる。ガチの話し合いっていったら決闘しかねぇからな」
「いったいどうしたらそんな暴力的な発想になるのかなぁ」
「常識的に考えて、お前みたいな奴と話し合うなら、殴り合うのが一番手っ取り早いんだよ」
「現実的に考えて? そんな常識はないから。時代錯誤の少年漫画じゃあるまいし、そんなんでなんでも解決するなら裁判所なんて必要ないんだよ」
「ヴァッキャロォォォォオオオッ!!! お前には熱い魂の波動ってやつが分かんねぇのかッ!」
「ああ。わからないね。時代遅れの情熱なんて理解不能だよ」
「あーあーあー、ハチくん! きみってやつぁ~~ッ!!」と、二人はワーワーと騒ぎだす。
 だが、自然と藤原は笑みが零れた。
 そして改めて、思い知る。
 藤原とハチだけだったら、お互いに腹の探り合いしか出来ないだろう。だが、慎吾が混じれば笑い合える。
 たとえ、どんなに違う主義主張を持っていたとしても、慎吾がいてくれれば、それは大した問題ではなくなってしまうのだ。
 藤原は心を決めて、口を開いた。
「ハチ。……その石について、知ってるよ」
 口論していた二人は静まり返って、藤原へと顔を向ける。
「……だけど、一つ教えてほしい。君はなんのために、その石を使おうとしてるの?」
 ハチは即答する
「貰ったから知りたい。ただそれだけだよ」
「そっ……か」

 半分、本心で。
 半分、ウソだと思った。

「……出来ることなら、知らないままで居てほしい」

 ――――だって、きっと知ったところで幸せにはなれないだろうから。

「知る権利は誰にでもあるよ」

 ――――権利なんてものを語るその口で、君は平然と嘘をつく。

「……そ、……うだね」

 ――――だけど、それは俺も同じだ。

 いまだに全てを打ち明けられずにいるのだから。
 心から信頼している友人にさえ、多くのことを隠したままに、ここまで来た。
 本当なんて絶対に打ち明けられない。
 真実なんて知らないままで居てほしい。

 藤原は内省し、自嘲気味に笑った。
 それを見逃さなかったハチは、とても小さな声で呟く。
「本当に聞きたいことがあるならさ……、……俺も……、いつかは―――……」
 そうして、ハチは何かを吹っ切たかのように顔を上げた。
「だけど、それは今じゃない。今は、……嘘でもいいから言葉で教えてほしい。ねぇ、この石は何?」
 ハチに見据えられ、藤原は決心する。
「――――その石は」

 ◇



「は、はぁ?」
 慎吾は耳を疑った。
 まさかその言葉をもう一度聞くことになるとは夢にも思わなかったからだ。
 再度、確認するように藤原を見れば、言いづらそうに伏し目がちに、まるで何かを隠しているといわんばかりの態度で、さらに言葉を付け加える。
「正確には、無限の可能性が秘められている石、……て、言ったほうが正しいけど……」
「なんでも願いが叶う石、ねぇ」
 ハチはその石を確かめるように握りしめ、そうして頷く。
「確かに、そう思いたくなるほど幻想的な輝きをしている」
「……あまり、……触るべきじゃないよ」
「なぜ? こんなにもキレイなのに」
「……キレイだからって、……無害とは限らないから……」
「じゃあ毒でもあるの?」
「…………そういう、……わけじゃ、ないだろうけど……」
「なら問題ないでしょ」
「――――どうして」
「ん、慎吾? どうかした?」
「――――藤原、――――どうしてお前がソレを知ってんだよ」
 慎吾は声を震わせる。
 目の前が真っ白になった。
「どうしたの?」
「なんで、…… なんで、……その石が……、こんなとこにあるんだよっ……」

 ―――――「なんでも願いが叶う石」

 それは、慎吾の大親友である内藤宗也の言葉だった。
 行方不明になる前に、一緒に居るのが当たり前だった頃に、現実至上主義の宗也から出た突拍子もない言葉。

 ―――――「未来の慎吾から貰ったんだ」

 電話越しに伝えてくる声は、どこか興奮気味で、それでいてどこまでも冷静にその一つ一つを分析した。
 宗也が語ってくれた不思議な出会いと魔法の石は、二人の常識の遥か頭上にあって、現実の枠からはみ出ていた。
 夢のある話に、人知れず慎吾は期待を寄せた。胸の内が熱くなったのを今でもよく覚えている。これから何か特別なことが始まる予感がした。
 しかし、当事者である宗也が出した答えは、あまりにも無欲でひどく現実的だった。

 ―――――「フィクションはフィクションであるべきだ、現実には起こりえない」

 なんでも願いが叶う夢の切符を手にしたにも関わらず、宗也にはまったくその気がなかったんだ。
 夢見る慎吾と違って、宗也は、この世界というやつを紛いなりにも見抜いていた。
 いうなれば、知っていたんだ。
 現実という世界では、なんでも叶う石なんて存在しない。未来人が現代にやってくることもない。魔法が使えることなんてありえないのである。
 たとえ科学がどんなに発展したって、その恩恵がなんの前触れもなく宗也らの身に降ってくることは、隕石が頭上に落ちるより低い確率だって、分かっていたんだ。
 それらはすごく宗也らしい答えで、またすごく理に適っていた。だけど、……ちょっとだけ寂しいとも慎吾は思った。

 ―――――だって、そうだろう?

 今現在で存在しなければ未来永劫ありえない。そんなわけないんだから、不可解な出来事があったっていいじゃないか。 
 二次元だけが無限の可能性に溢れていて、現実は有限で初めからあらゆることが決まっている。そんなわけあるか!

 現実だって、無限の可能性で溢れている。未知なる現象がたくさんある。分からないことがたくさんあるんだ。
 わからないこそ期待する。わからないからこそ、手を伸ばしてみたくなる。

 慎吾は宗也に夢を語ってみた。
 明るい未来を描いてみた。ありのままの願いを話してみた。
 それらはしょせん、慎吾の常識の範囲内で、ありふたりな願いだったけれども、それでも宗也の琴線に触れて感化した。

 ―――――そうして、宗也は願ったんだと思う。

 なんの接点もなかったはずなのに、気づけば宗也とひよこは一緒に居た。
 お人よし同士、お似合いのカップルだった。すげぇ幸せそうで、見えてるだけで満足できた。
 二人は結ばれて、末永く幸せになっていく……はずだったのに――――。

「……クソッ」
 慎吾が悔しそうに唇を噛みしめる。
 見かねたハチがその肩に手を置いた。藤原も心配そうに慎吾を見遣う。
 だが藤原もハチも、慎吾が一体何に憤っているのか分からず、なんて言葉をかければいいのか分からなかった。
 ちょうどその時、キラリと混沌の石が妖しく光った。
「……あの……、慎吾。もしかして……この石のこと……、……知ってるの?」
「ああ。知ってるよ」
「えっ」
 慎吾の返事に、誰よりも驚愕したのはハチである。
 今までの態度から一転して、焦ったように声を荒げた。
「なんでそれを先に言ってくれなかったのさ!」
「まさかあいつが持ってた石だとは思わなかったんだよ」
「も、も、持ってたぁっ?! そんな馬鹿な……。だって、これは」
 ハチはそこまで言いかけて、慌てて口を閉ざした。顎に手を当て、咳払いをし、藤原をちらりと見る。
「いや、……これは……、特別なモノっていわれて貰ったものだから。まさか他に持ってる人がいるなんて思わなくて」
 珍しく動揺したハチがしどろもどろに弁明するのをみて、藤原は眉を顰めながらも、話を先に進めた。
「……慎吾のトモダチもこの石を持っていたの?」
「ああ、そうだ」
「……えっと……、慎吾のトモダチは海外旅行が趣味とか?」
「ちげぇーよ。なんでも未来の俺から貰ったんだとよ」
「は、はぁ?! 未来の慎吾? ねぇ、いったいどういうことなの」
 困惑するハチと藤原に、慎吾はこれまでのことを説明する。
「えっ……、それって……」
 今度は藤原のほうが驚愕して言葉を失ってしまう。
 一方、ハチは普段の調子に戻って、一掃する。
「未来人から『なんでも願いが叶う石』を貰うって、そんなことあるわけないじゃん」
「でもマジモンだったぜ。なにせあいつの願いは叶ったんだからな」
「ただの偶然じゃない? 彼女が出来る出来ないなんて、努力一つでどうにかなることだし」
「まぁ奇跡だとは言わんけど、どうやったら接点なかった奴らがいきなり結ばれるんだよ」
「それこそ可愛い子なら普通にありえることだよ。知らない奴から告白されるなんて別に珍しいことではないからね」
「ひよこは別に宗也のこと好きじゃなかったぞ」
「女子の好き嫌いが手に取るように分かるなら俺ら男は何にも苦労しないって。鈍い慎吾が気づかなかっただけって線が濃厚かな」
「アーーーっ!!! お前むかつく奴だなぁ?!!?!?」
 慎吾は、呆然と立ち尽くしている藤原を置いて、ハチへと論争を吹っ掛ける。
 二人の異性論が白熱する中、一人藤原は、この世の真理と可能性とを考えていた。

 魔術師の常識でいえば、未来人なんてものは存在しない。
 ―――――否、正しくは、存在してはいけないものだ。

 魔術師にとって、時の魔術は最大の禁忌であり、禁忌に触れたものは、いかなる理由があっても死を免れない。

 それが世界の理だと教わった。
 魔連はもちろん、この世界そのものが、時の魔術を禁忌として認識しているのだという。
 万が一にでも時の魔術が発動すれば、世界がそのものが動き始める。どんな犠牲を払ってでも、世界は時の魔術師をこの世から排除するだろう。

「……慎吾の話をそのまま、……信じるわけにはいかないけど……。でも……、もしかしたら……が存在しないわけじゃないから……」
 藤原は半信半疑ながらもその可能性を言葉にするべく、口を開いた。
「もしかしたら、本当に――――」
「あ~~もう~~~!!! なんでお前はそんなに冷たいんだよッッ!!!」
 藤原を他所に、慎吾が絶叫する。
「どうして乙女のハートが分からんのかねぇ、キミってやつァ~~!!」
「えぇ~、慎吾に言われるのかぁ」
「あったぼうよ!! ハッチに比べれば、よっぽど俺のほうが理解ある」
「なぁ藤原もそう思うだろ?」と唐突に慎吾が同意を求める。
「えっ。……えっーっと」
 無論、聞いていなかった藤原がアタフタとすれば、ハチが思いっきり顔を引き攣らせる。
「嘘でしょ。まさか藤原まで慎吾と同じ女性性善説を信じてるわけ? うっわーキモ」
「キモイってなんだよキモイて!!!」
「イまでは言ってない。ただ……気色悪いなって思って」
「それがキモイってことだろうがぁぁ!!」
 ああだこうだと騒ぐ二人を尻目に、藤原は、本題を石のことに戻すべく、わざとらしくゴホンと一つ咳払いをした。
 しかし、二人の論争が止むことはなく、激化するばかりである。女性論は思いのほか二人の火種となった。
 止めに入ろうかと悩んだが、迂闊に近づくと巻き添えを食うこと間違いなし。大人しく藤原は戦線を離脱する。

 二人の意見違いはまぁよくあることで、そのうちハチが良い感じに話をまとめるか、あるいは慎吾が折れて譲歩するのを待った。
 が、どれだけ待っても話題が尽きることがないのも、またこの二人の特徴だ。
 加えて今回はお題も悪かった。
 ルックスが良くて表面上の性格も良いようにみえるハチと、顔は怖いが根は純粋な慎吾とでは、女性に対する考え方の違いはもちろん、今までの体験談もまるで違うものであった。

 ハチは、言わなくても女が寄ってくる。
 贔屓目に見てもカッコイイ。が、その分、性格に難がある。まして男だからとか女だからとか、そういう基準で人をみていない。
 目的のために使えるかどうか、手駒になりうるかどうか。歪んだ価値観の元、相手を判断している節がある。
 それは辛い境遇がハチに与えたものなのか、あるいは、生まれついての性なのか。
 藤原にはよくわからなかったが、少なくとも、ハチは女だからという理由で優しくはしないし、男だからという理由で重宝もしない。
 ある一面においてひどく平等で、ある一面においてはひどく平和的で、ただひたすらに利己的だ。 

 一方の慎吾は、お人よしの人情家。
 おまけに古臭い思想の持ち主で、男とはこうあるべきだ、女とはこういうものである、そのような昔ながらの倫理観を根強く持っている。
 男女平等の思想の元でも、慎吾の中では女性は守らなければならない存在で、女性はか弱い生き物だ。出来ることなら女性には楽をさせたい思想の持主である。
 いうなれば、慎吾の思い描く女性像というのは、可憐で雅でまるで一輪の花のよう。
 自らの理想に現実がそぐわない場合があったとしても、やはり慎吾が女性を語る上では、理想を元に自論を展開していく。

 そのため、まぁ二人の議論は白熱した。
 しかし、藤原が思うに、世間が考える一般論とはまるで違って、ただただ二人の人間性が明らかになるばかりで、男女論を戦わせてるというよりは、むしろ二人の価値観の問題のように思われた。

 ハチはどこまでいっても利己的で、博愛なんてものは彼の中には存在しない。その様はどこか無機質ですらあった。
 一方の慎吾は、男女不平等特有の理不尽さを併せ持つが、その中身は思いやりの精神に溢れていて、人には優しくあろうとする心が窺えた。

 男女平等がいいか、古い考え方が悪いか、どちらが正しくてどちらが間違いか。
 そんなことを二人は言い争ってるのではなくて、たぶん二人とも自分の理念の上で、譲れないモノがあるんだと藤原は思った。

 そうこうしていると、やっと二人の間で結論が出た。
「結論、人それぞれ。一概には言えないってことでいい?」
「ちょっと待て」
「まぁ落ち着いてよ。これはいわゆる喧嘩両成敗ってやつさ。俺なりに譲歩して出した結論なんだから、ここは素直にうなずいてほしいなぁ」
「……お前のソレは薄情を通り越してただの酷い奴なんだよッッ」
「そうは言ってもさぁ。実際に俺はそういう女性を多く見てきたから、実例としてあげてるだけで。慎吾と違って、やたら女が寄ってくるんだよねぇ」
「くわぁぁあぁああーー!! ヤな奴! ヤなヤツ! ヤナヤツぅ~~!!!」
「……でも……、似た者同士は……、惹かれるっていうよね……」
「うっわー。僕より嫌な奴が居たー。一応、言っておくけど、俺のほうは惹かれていないからね」
 藤原は苦笑しながらも、ホッと胸をなでおろす。
「まぁ。……二人の話しに……区切りがついてよかった」
「あ。わりぃ。つい熱くなっちまった」
「そうだね。俺らは、石のことが聞きたいんだ」
 再びハチが慎吾へと石を見せる。
「本当に、慎吾の友人は、この石を持っていたの?」
「ああ、たぶん持ってたと思うぜ」
「嘘。本当に持っていたなら、なんでこれを見た時に言ってくれなかったの?」
「そりゃぁ」
 慎吾は一瞬考えるように二人を見てから、その答えを口にした。
「実物を見たわけじゃないからな」
「……なるほど。慎吾のトモダチは……この石を貰った、……とだけ言ったんだね……」
「つまり、見せてくれなかったってこと?」
「そういうんじゃねぇよ。あいつが信じてなかっただけだ」
「だから引き出しの中にしまって、まさかそのまま放置してた、とか?」
「きっとそうだろうな。少なくとも学校に持ってきて見せびらかすなんて気はさらさらなかったんだろ」
 ハチは冷笑的な笑みを浮かべて肩を竦める。呆れたように慎吾をみて「なんで見せてもらわなかったんだ」と無言の圧で訴えた。
 慎吾はとくに返事をすることもなく、眉を顰めながら難しい顔で考え事をする。
「……まったく同じものかどうかは分からないけど。……その友達が言っていたことは……すごく気がかりだね…………」
「ねぇ、その人、いまどこにいるの? なんなら、ここに呼べないかな?」
「あいつは」
 慎吾は言い淀む。
 どこにいるかなんて慎吾が聞きたいぐらいだった。
 重々しい表情で、慎吾は吐き出すように応える。
「あいつは行方不明なんだ」
「……えっ? どういうこと……?」
「あの大地震の日。六月池にいたんだよ」
 慎吾の一言に、二人の表情が変わる。
「ねぇ、……慎吾。その人、なんて名前?」
 普段の自信なさげな様子から一転して、藤原の眼に確かな光が宿る。
「……俺なら、探し出せる、……かもしれないよ」

 ◇



 その日、慎吾は藤原探偵に内藤宗也の捜索を依頼した。
 藤原は妙に自信があるのか、ずいぶんと動きが速かった。というか、まるでいままでもその事件について調べていたのではないかと思うほど用意周到だった。
 慎吾も個人的に震災のことを調べていたのである程度は知っていたが、さすが探偵だけあって、その調査力には目を見張るものがある。
 震災の日の失踪者名簿やら、現場の地図やら、生存者の顔写真やら、次から次へと情報が出てくる。
 関心する慎吾の横で、ハチが不思議そうに訊ねる。
「ねぇ。これも、もしかして誰かの依頼?」
「……いや、……個人的に気になっていたから……ちょっと調べていただけ……」と、藤原は伏し目がちにに答えた。
「ふーん」っとハチは普段通りの笑みで応えて、腰を上げる。
「調査の邪魔になりそうだから、俺は帰ろうかな」
「……えっ、あ……。もう行くの……?」
「その宗也って人が見つかったら教えてよ。慎吾のトモダチなら会ってみたいし」
 ニコっと笑って帰ろうとするハチを慎吾が呼び止める。
「なら一緒に帰ろうぜハチ」
「えー? これから二人で調べるんじゃないの?」
「もう遅い時間だし。つーかよ、パンピーの俺が居ても邪魔になるだけだろ?」
 クカカっと笑って、慎吾も立ち上がる。
「んじゃまぁ、後は頼んだぜ。藤原探偵」
「……うん。任せて。多分……、今週中には、何かわかるかもしれないから……連絡するよ……」
「ああ。待ってる」
「……ねぇ、ハチ……」
「ん? なに?」
 何かを言おうとして藤原は口籠もる。
 そうしてやっと顔を上げたと思ったら、拍子抜けの答えが返ってくる。
「…………なんでもないっ」
「なんだそりゃ」
 とはいえ、これがいつもの藤原である。
 その変わらない様子に、ハチと慎吾は二人して苦笑交じりに肩を叩いた。
 いつもだったらそれでお開きになるのだが、今回はちょっとだけ違った。
 藤原が一歩前に踏み出す。
「……も、もし、……」
「うん?」
「…………、……困ったことがあったら、その……、ハチにも、……連絡していい?」
 ハチは一瞬驚いたのか瞬いて、柔らかく笑った。
「ああ、もちろん。いつでも頼ってよ」
 そうして、慎吾とハチは藤原探偵事務所を後にした。

 二人は、きれいな三日月が君臨する夜道を歩いてゆく。
 混沌とした輝きを放つ石を月に重ねて、ハチはぽつりと呟いた。
「俺はさ、慎吾のことも、藤原のことも、何があっても友達だと思ってるよ」
 掴みづらい表情で遠くを眺めているハチに、慎吾は眉を顰めながらに訊ねる。
「なんでそんなことをいちいち確認すんだよ」
 責めるような調子で言えば、ハチは言いづらそうに視線を逸らした。
「それは……」
「ハチ、お前。女々しいな」
 慎吾はニヤリと笑う。
 どこかムッとした表情でハチに睨まれれば、さらに追い打ちをかける。
「お前がさっき語ってた女ってやつにそっくりだぜ」
「……慎吾も藤原に負けず劣らずヤな奴だね」
「俺達三人、似た者同士ってことだな」
 クカカと陽気に笑ってから、慎吾はさらに話をつづけた。
「いちいち確認なんかするなよ」
「……確かに野暮だね。悪かったよ。いちいち確認しなきゃいけないほど、僕らは浅い付き合いじゃない」
「ああ、同じ境遇を分かち合った仲だ。あの頃は本当に――――」
 と言いかけて、慎吾は言葉を呑み込んだ。
 過去を振り返って感傷に浸るなんてのは柄じゃない。
 まして、いちいち関係を確認するなんて、らしくない。
 慎吾は深いため息をついて、ハチを見る。
「たとえどんなことをやらかしても、一生の大親友だぜ、相棒。…………いいか? こんなこと言うのは最初で最後だからな」 
 ハチは「わかってる」と嬉しそうに微笑んだ。
 そうして持っていた石を慎吾へと差し出す。
「これ、あげるよ」
「おいおいおいおいッ! 友達から貰った物なんだろう?」
「別に、それ。そんなに大事なモンじゃないから」
 ケロっと言うハチに、慎吾は言葉を失う。
 そうして、訝し気に訊ねる。
「なぁ。藤原に知られたくねぇことでもあんのか?」
「さぁ、どうだろうね」
「おいハチ。しらばっくれんなよ」
「ねぇ慎吾」
 どこか悲しそうに、それでいて、少しだけ嬉しそうに、ハチは小さく笑う。
「俺にさ、そういうの、期待するだけ無駄だってわかってるでしょ?」
「……それは」
 悲しくもハチの言う通りである。
 どうしようもなく根性が歪んでるハチは、平気で嘘をつくし、人を困らせるのが大好きだ。
 ハチに「本当のこと」なんて期待するだけ無駄。それこそ殴り合いでもしなければ、ハチから真実なんてものは出てこないだろう。
 長い付き合いだからこそよくわかる。嫌というほど分かっても、それでも慎吾は敢えて言う。 
「だからってあいつに嘘ついてんのはよくねぇと思うぞ」
「慎吾が嘘だって言わなきゃばれないよ」
「バーカ。気づいてて見て見ぬふりしてるだけだろ。藤原はそういう優しい奴だろうが」
「そうだね。藤原も慎吾も、俺と違って優しすぎるから、ちょっと引いてるくらいだよ。自分が1番大変なくせに、俺のことまで気にかけてるんだもん。ほんと呆れて何も言えないよ」
 冷めた調子で答えて、ハチは再び月を見上げる。
「その嘘吐き、いい加減、治そうとは思わねぇの?」
「まったく思わない。俺が親切になんでも教えてあげなきゃ、誰も何も気づけないなら、そんなものは元よりいらないよ」
 そう吐き捨てて、ハチは月を見上げる。
 今夜は雲一つ寄せ付けない、きれいな三日月だった。
「事実ってのはさ、自力で導き出すからこそ価値があるんだ。俺が嘘ついた程度で霞んじゃうなら、そんなもんは初めからあってないようなもんなんだよ」
 俺はさ、と、ハチは期待を込めて月へと手を伸ばした。 
 その手は掴めそうで掴めない。届きそうで届かない。遥か彼方にある月は、とても小さく見えるのに、決して手の中には収まらない。
 空っぽな己の拳を確認し、ハチはさらに話す。
「嘘や虚偽が悪いことだなんて思ったことすらないんだ。むしろ当たり前なことだと思ってる。誠実だとか真実だとか、そんなのは実際のところ人の空想の中にしか存在しないんじゃないかって気がしてる。だってこの世界は元より嘘塗れで、本当のことなんて誰もよく知りやしない。それなのに、一部の出来事だけは嘘だ本当だと論じたがる。ねぇ、それってすごく滑稽だと思わない?」
 ハチはどこかもの悲しい表情で微笑し、慎吾に渡した石へと目を向ける。
「本当のことが分からないからこそ、俺はこの未知なる無限の輝きに惹かれてるんだ」
「そんなこと言ったらよ」
 慎吾は呆れたようにに手渡された石をつっ返した。
「俺だって、親友の事ならなんでもお見通しってわけじゃねぇんだぞ」
「それでいいよ。むしろ、そうでいてくれたほうが有難い」
 ハチは石の受け取りをやんわりと拒否して、笑う。
 その目は、普段からは想像も出来ないほど優しかった。
「慎吾には嫌われたくないからね」
「……ホンット、お前は放っておくと何しでかすかわかんねぇな。藤原の言う通り、危ないことに首突っ込んでるなら俺も誘え」
「ありがとう。でも安心して。いつだって俺だけは安全な方法を選んでるから」
 ニコニコと人の好さそうな笑みを浮かべて、平然ととんでもないことを言ってのける親友に、慎吾は大きな溜め息をつく。
「本当に良い性格をしてる」
「ハハ、誉め言葉として受け取っておくね」
 最高に嫌な奴だけど、最高の友人。
 はぁと一息ついて、諦めたように慎吾は笑う。
「俺もこいつはお前からの土産だと思って、受け取っておく」
 慎吾は改めて、混沌とした石を握りしめる。

 気づけば、もう駅前までついていた。
 ハチは電車に乗って空港に向かうので、ここでお別れだった。
「相棒。また会おうぜ」
「うん、またね。慎吾」
 こうして、二人は再び袂を別つ。

 ハチと別れた後、慎吾はまた月を見上げた。
 なんとなく家に帰る気になれなくて、砂浜に来ている。さざ波の音を聞きながら、あれこれと過去を振り返る。これからどうすればいいかを探している。
 だけど、明確な答えなんて見つからなかった。どんだけ探したって、宗也が見つからなかったように、わからないことだってある。
「だが……」
 今日、ようやく、少しだけ、一区切りついた。
 藤原が宗也を探してくれると言ったとき、どこか胸が軽くなった。
 今までちょっとばかり、慎吾は一人で抱えすぎていたのかもしれない。急に友達が二人も居なくなって、どうすればいいのか分からなかったんだ。
「昔から藤原は俺らとは違うもんが見えてた。あいつなら、もしかしたら、宗也のことも見つけられるかもしれねぇ」
 気持ちを鼓舞しながら慎吾は月へと手を伸ばす。ただただそこに月が君臨していることだけを確かめた。
 月を見てると妙に安心する。 輝きに触れるたび、決して潰えない光があるって信じられる。
 月だとか太陽だとか、宇宙の輝きを見てると、妙に勇気が湧いてくる。
「……絶対、見つけてみせる。あんな野郎の戯言なんて関係ねぇ!」
 クローバーと名乗る男を思い出しては、固く決心した。
「宗也~~~!! ひよこ~~~~!! 必ず、必ず、迎えにいくからなぁ~~~!!! 待ってろよぉ~~~~!!!!!」
 地平線に向かって思いっきり叫んだ。拳を堅く握りしめ、前を向いたとき、止まっていた時間が、少しだけ動きだしたような気がした―――………。



~終~

秘石物語 番外編①

秘石物語 番外編①

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-11-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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