あゆ美は元気。

 これは、少しだけ昔の物語。
 定年まできっちり勤め上げ、妻を早くから亡くしている祖父が、余生を悠々自適に暮らしはじめて五年の歳月がたちました。それから間もなく軽い心筋梗塞の症状が表れ、入退院を繰り返し、喫煙をやめて、静養しているところに初の孫娘ができました。無事に安産で生まれた孫娘は「あゆ美」と名づけられました。ちなみに、名付け親は祖父です。祖父は、初孫の朗報を聞きつけるなり、名づけ親の大役を買って出たそうです。そうしてその日を境に、祖父は、人となりが変わったかのような、穏和な性格になったそうです。わたしにはわかりませんが、祖父を知るまわりの人間からみれば、その変わり様は目を見張るほどのものだったようです。
 すっかり灰汁がとれ、それでも悠然たる風貌の祖父が孫娘の面倒を見はじめて、早二年の月日がたちました。あゆ美はおじいちゃん子で、いつも祖父のそばにつきまとっていて、無邪気さを全快にして喜怒哀楽を表現しますが、祖父は嫌な顔を一つもせず笑顔で応対します。両親が共働きのあゆ美は、祖父の家に半日以上預けられていたため、親より祖父との時間を共有することが多かったのです。そのため、祖父は、自分の手であゆ美を育てているようなもので、だんだんと幼児の扱いに慣れていきました。
 あゆ美が三歳になるころには、より活発さが増し、祖父と公園へ出かけることも多くなりました。しかし、まだ幼いあゆ美には、二百メートルもある円形の公園を一周することは至難の業でした。いつも半周をすぎると、「ジイジ、つかれた」と言って、路面にへたり込んでしまいます。そんなあゆ美を、祖父は何も言わずおぶってやるのです。そうして、「あゆ美は元気、あゆ美は元気」と口ずさむ祖父からは、何とも形容しがたい感情が伝わってきます。平日の公園には人気がなく、穏やかな陽射しにあたりが包まれています。
 公園の出入り口手前にある欄干越しに見える小さな湖は、あゆ美の、一等お気に入りでした。湖を眺めていると、いつも決まって青天井の下、眠りについてしまうのでした。

 あゆ美の高校入学前の春休みには、入院して間もなく祖父が危篤状態になり、親族が代わる代わる見舞いに行き、慌ただしく日々が消化されていきました。市内の高校に入学が決まっていたあゆ美は、時間の許すかぎり、祖父につき添っていました。
 悲しみを胸の内側に隠し、祖父には明るく振る舞っていましたが、入学式を終えて病室に駆けつけると、視界がうるみはじめました。親戚一同に見守られる中、祖父が息を引きとっていたのです。
 両手で口もとをおおいながら、祖父のそばに行くと、安らかな寝顔をじっと見つめました。涙がとめどなく流れ、目の前の祖父の顔すら見えなくなっていきました。懸命に手の甲で、流れ落ちる涙をぬぐっているとき、
「あゆ美は元気」
 と、祖父の囁く声音が聞こえたように感じました。祖父は、泣いている私を慰めるために声をかけてくれたのだ、と思い至ったあゆ美ですが、涙をこらえることはやはりできません。しかし、祖父の言葉を聞いて、一つ変わったことがあります。それは、悲哀の涙が温かなものに変わったことです。祖父には感謝の情でいっぱいでした。
 やがて気持ちが落ち着き、ふと窓から外を眺めると、やわらかい春風にあおられた桜の花びらが、一片一片舞い降りていました。

 私は、あの日の中空に舞う桜の花びらに、一種の恍惚を味わっていたのでしょう。私は来週には三十路の節目を迎えます。結婚生活は三年目に入り、愛くるしい我が子も元気に走りまわりはじめました。いじわるな笑顔を振りまく娘を見ていると、少しずつですが、私の幼いころに感じた亡き祖父の心情がわかってきました。
 そうして私があのころに感じた安らぎを娘にも与えられたらなと、切望はやみません。

あゆ美は元気。

あゆ美は元気。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-08

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