実証

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 アーティゾン美術館で開催されていたコレクションハイライトで拝見できた『ジャッキー』に対して、私も同じことを思ってしまったのだから、「私でも描けそう」という感想は鑑賞者の口から漏れてしまうものだろうか。
 確かに、その一枚のモチーフも一見して簡素に過ぎる。その絵の良さになっているはずの装飾性を支える背景の壁及び女が履くスカートに入れられたグリッドや、主役となる襟巻きの存在と服の皺を示す曲線には見る側の関心を呼ぶ力強さを求めることが難しい。が、だからこそ配色の妙で情感あるデザイン性にこちらの興味が引かれる。その表現にはその程度の骨格さえモチーフに備わっていれば十分でないかとそこで納得する。きっと、それがアンリ・マティス氏の絵画の妙なのだ。無形の流行りが氏の手の内で固まりとなって直に差し出され、視線で触れたモデルの笑みに色っぽさが添えられた『襟巻きの女』を新調したお気に入りの衣服のようにまじまじと眺めてしまう。
 氏が代表的な画家として名を連ねる野獣派という呼称には大胆不敵という驚嘆と揶揄が混じっていそうだが、そのお洒落な色使いに無法さは見当たらない。このような感想を抱ける私たちは、氏が切り開いてきた色彩表現の恩恵を存分に受けた現代の有難さの下にあるといえるのだろう。描けるモチーフを選択できる自由で推し進められた絵画史は様々な画家によって色という表現の豊かさがより重視され、様々な試みにより洗練され、先鋭化していったことが『ポーラ美術館コレクション展』の工夫された展示構成から学べる。今回、初めて見ることができたラウル・デュフィ氏の『パリ』の表現は正に色で生きる絵画だと強く思った。画面いっぱいに描かれたパリの光景に、地球の自転と巡る天候(朝、昼、夕、夜)が一輪の花と共に四分割された画面のそれぞれに一つずつ配置される。アニメのようにデフォルメされたこれらのモチーフに重ねられるのが色彩の魔術師と評される氏のセンスである。最大公約数のものとして理想的に広がって見える三原色の離散集合に、人一般が抱ける今日の希望と安らぎがある。そこに国境のような人為的な限りはない。私たちは私たちの世界に憧れることができる。その営みを続けられる。言葉にすると嘘くさい響きを感じ取れるこの表現が、画家の翻訳によって純度を増す。どこまでも綺麗で、愛らしい。
 本展覧会を来場できて良かったと心底思えた一枚である。
 絵の中の真実というナビ派が掲げたスローガンはとても意味があったのだなと、ピエール・ボナール氏の『地中海の庭』に表れる花開くような景色の開闢を見ていて思えたし、陶器だけが物らしさを保ち、頭に乗せたバラと一体化してこの世に二つとない「いきものらしさ」を艶っぽく画面に溶かし込んだピエー・ラプラード氏の『バラを持つ夫人』には絵画表現を謳歌する躍動感を感じた。抽象表現に行き着くまでの過渡期のものと位置付ける冷静な合理を放り投げるべき素晴らしいコレクションの数々である。
 アンリ・マティス氏とはまた違って、モチーフの描き方にその特徴が表れるアメデオ・モディリアーニ氏の肖像画に対しては「なんじゃこりゃ」と見る度に毎回思い、暫く眺めて理由の見当たらない好ましさを私は抱く。長い首から始まる人物の様子から、ジャコメッティ氏の彫刻を思い浮かべる短絡を中々やめられない私は、しかし氏の彫刻作品をモディリアーニ氏の肖像画の良さを知るためのよすがにする。鷲掴みしたような対象の内容を万力にかけ、意識的にかつ半永久的に表現すると私が思うジャコメッティ氏の良さは、モディリアーニ氏が描く女性たちに対して想像できる性格や振る舞いとしてその影や形が画面上に現れる。モデルに対する画家の印象という個人的なフィルターは対象を濾過する機能を全くと言っていいほど果たしていない。しかしバネのように押し込んだ気持ちの瞬発力に逆らうことなく、「そこがいい!」と躊躇いなく述べられるのなら私たちは、良くも悪くも絵画表現の正解がない裾野の広い世界に住むことができている。これを民主化と言おうが大衆化と言おうが、世界の広さを知ってしまった私たちはここから何度でも絵画を通したコミュニケーションを図っていくしかない。絵画史に名を残した先人たちが切り開いてきた道が会場出口まで続いている。そこから先にも、と期待を抱ける力強い後押しを背中に感じられる。
 モディリアーニ氏が描いた『ルネ』のポージングに認める素敵な傾きと『婦人像(C.D.夫人)』の佇まいを生かす背景の伸び方を引き摺って、最後に出会えたキスリングの描く『窓辺のテーブル』にはどんな感想を書けるだろうか。テーブル上の営みを決定づける暖色系とそれを取り囲んだ緑の自然と人工がさらに遠くへと誘い込む景色より、すぐそこの建物の屋根と思われる橙色の抽象的な印象が気になって仕方がなかった私の偏った気持ちに「似合う」フレーズを探してみたい。

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  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-20

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