寝覚月

 ひかりのない、深い海の底でよこたわる、肉のあたたかいひと。さかなたちに、触れて、くちづけるという行為の罪悪を、ノアは問う。うしなったもののなまえも、あいまいで、たいせつなひとのきおくすらも、どこか遠くにある。たとえば、星の深部と、宇宙との距離。コーヒーに、ティースプーン一杯の砂糖を溶かしているあいだに、少しずつ変化している、やさしさの骨格の、輪郭にそって、はう、先生の指が、いつか、ぼくという形も、おぼえて。つたない、だれかの恋愛感情が、おしつぶすように、ふくらむのだ。
 この街は、みんな、飢えていた。
 さみしさに殺されそうで、おびえている。じぶんではない生きものの体温を欲して、よそおい、いつわる。

 九月。
 深夜。
 抜け殻の先生と、あたらしく生まれた先生が、ひとつの部屋で、ぼくと、調和して。
 おぼれる。

寝覚月

寝覚月

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted