チョコチップクッキーの夏

 友達は一年間。学年が上がってクラスが別れたらそれっきり。まるで消費期限が切れて捨てられる卵みたいに、「ずっと友達」なんて言ってても、何もかもプツッと途切れちゃう。クラス替えの時、先生たちは仲良しグループはバラバラになるようにするから、春になると必ずひとりぼっちになる。小学生の時は活発な性格の子が私にも話しかけてくれて、そして仲良くしてくれたから、何気に友達に困ったことはなかった。班を作るときだって、そういう優しい子が私も入れてくれたから、「グループ分けが怖い」なんかは全然思ったことはない。
 中学では、一年生の時に一人。二年生では小六の時に仲良くしてくれてた子と同じクラスだったから、なんとかなった。三年生では一人、結ちゃん。この子だけは年度が変わっても、卒業から一年以上も経った今でも友達。美術部で同じだった子と仲良くできたから、春にひとりになることもなかったし、何なら友達は多い方だった。中学は私には楽しすぎたんだと思う。
 高校に入ったら、なんとか出席番号が隣の子と仲良くなれた。二年生になってもその子とはクラスが離れなくて、結ちゃんみたいに、ずっと友達でいられるような気がしてた。でも、それは私が自惚れてるだけだった。
 私は昔から、周りの子たちとの距離感がわからない。何メートルの距離がいいのか掴めなくて、こんなことしたら遠すぎるかな、とか、これは近すぎるかな、とか、迷ってるうちに胸の中がぐるぐるしてしまう。たぶん、あの子との距離は遠すぎたんだ。もっと近かったら他の子に取られずに済んだのに。私はやっぱりバカだった。
 クラス替えでみんなが浮き足立ってた今年の春、話しかけるタイミングがわからなくなって、全然喋れなくなっちゃった。入学してから一年間私と一緒にいたはずのあの子は、いつしか別のグループに入ってた。しょうがない、私だもん。上手に友達でいることをキープできないから、取られちゃっても何も言えない。最初の一日で一年間のグループ分けは決まっちゃうから、後から仲間に入れてもらうのは私には難しい。今年は、私はずっとひとりなんだ。
 クラス委員を決める時、図書委員には誰も立候補しなかった。当番があってめんどくさいし、みんな本なんかよりマンガが好きだし、誰一人として手を挙げない。私はパッとその時思いついた。今年は委員長キャラになれば、いつも一人でもきっと浮かないって。学級委員とは仕事量も立ち位置も全然違うけど、こういう時に手を挙げればしっかり者キャラを作っていけるはず。だって、いつもそうだった。クラスで委員をやる子は目立たないしっかり者で、これなら私でも出来るかもしれない。今年はこのキャラでやっていこう。たった今、決めた。
「あの、私、やります。」
 一斉にみんなが私の方を向いて、そしてパラパラと拍手が起こり、次第にその手を打つ音は大きくなった。私が図書委員になることに異論を唱える子はいなくて、するりと私に決まった。
 それで今日は、初めての当番。放課後に一時間、つまり四時まで、図書室のカウンターで、奥の部屋で司書さんが別の仕事をしている間の番をする。借りたい子や返したい子がやってきたら私が手続きをする。間違いがあったら大変だから、委員全員に配られたマニュアルを昨日のうちに全部頭に叩き込んだ。借りる時は、まず生徒一人一人に渡されている「ライブラリーカード」のバーコードを読み取って、それから借りる本のコードをかざしてパソコンをチェック。うまくできていたら、貸し出し中リストの中に追加されているはずだ。最後に返却期日を書いた紙を本に挟んで、完了。返す時は簡単。本のコードをかざして、パソコンに返却の手続きができたというメッセージが出てくるのを確認して、それで終わり。
 最初にやって来たお客さんは三年生で、センター試験の赤本を借りていった。メガネをかけていて、真面目そうな人だった。仕事はそれっきりで、もうそろそろ終わる。想像以上に人は少なかった。
 図書室は静かで、私にはとっても居心地がいい。カウンターで明日の英単語の小テストに向けて勉強しているだけで、結局やることはほとんどない。何でやりたくないんだろう、と思った。図書館の司書さんて、毎日こんな素敵な仕事をしているのかな。私、もしかしたらこの仕事、好きかもしれない。
「あのう、当番さん。私もうちょっとやることがあって、あと少しここにいてもらってもいい?」
 何も答えられず、何と言えばいいか分からなくて、黙ってしまった。身体だけ司書さんの方を向いたまま。
「用事があるならいいのよ。無理にとは言わないから。」
「あ、いえ、大丈夫です。」
「え?」
「だ、大丈夫です。」
「そう。助かるわ。ありがとうね。」
 私、もしかして司書さんの役に立ててるのかな。ここに座っているだけで、ありがとうだなんて。
 また奥の部屋に入っていった司書さんは、扉を閉めなかった。忘れたのかな、それともわざとそうした?私はそっと音を立てないように立ち上がり、部屋の中を覗いた。
 真ん中に大きな丸いローテーブルがあって、地べたに座って作業をしている。司書さんの頭と同じくらいの高さの本の山が五つある。どれもあまりキレイとは思えなかった。透明なテープを切っては張り、切っては張り、ずっと繰り返している。傷んだ表紙を修理しているんだ。あれ、きっととっても大変。毎日ここで、たった一人で、あんなにたくさんのお仕事を?
「何見てるの。」
 あっ、やばい。ばれちゃった。
「これ見て。多いでしょう。」
 私は首を縦に振った。
「図書館、みんなあんまり来てくれないのよね。それなのにたまに借りていく子の扱いが雑だから本は傷んでいくばっかりで、人が来ないからここで働く人も増やしてもらえなくて、ほんと重労働よ。単純作業ばっかり何時間も何時間も。日の当たらない仕事よね。」
 私は黙って話を聞いた。
「当番さん、本は好き?」
「はい。少しだけど、読みます、小説を。」
「あら、嬉しいわね。だから図書委員になったの?」
 えっと、それは違う。理由、言った方がいいのかな。でもあんまり正直に言うと、ああいう話をすると必ず心配される。迷惑をかけるわけにはいかない。
「誰もやろうとしなかったんじゃない?先生方が言ってるのよ。学級委員とかは目立ちたがりな子がやってくれるから決めるのに苦労しないけど、図書委員は大変だって。当番さん、もしかして進んでやってくれたのかな?そういう子が一人でもいると、私は嬉しいわ。ありがとうね。」
 また、嬉しいだなんて。この人は私に向かって何回お礼を言うんだろう。ただ委員になっただけなのに。こんなに感謝されて、かえって申し訳ないと思う。
 そうだ、いいこと思いついた。
 あれ、手伝おうかな。きっと大変だから、そうすれば二回のお礼に見合うはず。
「あの、それ、大変ですよね。」
「分かってくれる?そうなのよ、これめんどくさいのよ。」
 なんて言えばいい?手伝います、だとはっきりしすぎかな。断られたら恥ずかしい。手伝っても大丈夫ですよ、だと上から目線だからだめだ。こういうとき一番いいのは、提案することなんだ、きっと。
 緊張する。司書さんだって、突然提案なんてされたらびっくりするに決まってる。なんて言われるかな、私のことどう思うかな。ちょっと怖いけど、一言言うだけなんだ。私にだって、そのくらいならできるはず。私は両手をぐっと握りしめた。
「えっと、私もそれ、少し手伝いましょうか。」
「いいの、手伝ってくれるの?」
「はい。」
 あっさり喜んでくれた。
 夏目漱石、森鴎外、いろんな文豪の本がある。『人間失格』とか『たけくらべ』とか、最近かわいいカバーが付けられたことが話題になった本、それに『羅生門』や中島敦の『山月記』他には『こころ』のように、現代文の教科書に載っている本も少し読まれた形跡がある。それらはどれも少し汚れていた。でもこれじゃあ誰も読みたがらない。みんなが好きなのは漫画。学校の図書館にそれは置けないから、せめてライトノベルにしなくっちゃ。タイムスリップものとかバトル系は人気のはずだ。
 本の山の中には、確かにラノベもあった。数は最も限られていて、でもそれらが一番汚れてる。
 昔も一度図書室で仕事をした経験があるから、テープの留め方はなんとなく覚えている。あの時も他に成り手がいなくて、でも今と違うのは押し付けられたということだ。あの時は自分から手を挙げるということが分からなかった。これでも一応、少しずつ変わってきてるんだとは思っている。でも、まだまだ全然だめだ。私は何も言えないし何もできない。
 でも今なら、ちょっとだけ勇気が出せると思う。さっき「お手伝いしましょうか」って言えたから。私は作業する手は止めないまま、司書さんに話しかけた。
「あの、その、や、やっぱり図書室にいっぱい来てほしいですよね。」
「もちろん。」
「あの、私、この本の山見てて思ったんですけど」
「何々?」
「傷だらけになっている本は見た目も堅くて真面目です。でも多少は読まれているっぽいやつは、教科書に載っている本だったり、カバーの絵がかわいいです。」
「なるほどね。そういう違いか。」
「そうです。だから、学校には漫画が置けないんだったら、教科書に載ってる作家の本とか、絵がかわいいやつとか、そういう、手に取りやすいやつを増やすといいと思うんです。いや、わかんないですけど、なんとなく。本当になんとなくです。」
「委員の子が言うなら、きっとそうなんだよ。もっと取っつきやすい本を増やせばいいんだよね。」
 うーん、と司書さんは少し唸った。
「でもね、当番さん。最近はみんな古い文学を読まなくなっているでしょ。字が細かくて、これぞ本!みたいなやつには誰も興味ない。だからね、私はこの図書室で昔の良い文学に触れてほしいの。」
「えっと、でも。確かに、それはいいと思います。でも、私は確かに読書するけど、一番最初はここにあるみたいな薄い本だったし、かんたんなものからハマっていったから、だから」
 言いながら目の前にあった派手なカバーの本を司書さんに見せた。
「最初が大事だと、思います。」
「最初か。最初、最初ねえ。」
「一度ハマれば、だんだん難しいのも読むようになると思うから。」
「確かにね。当番さんの意見もとっても的確だわ。貴重な意見をありがとうね。」
まただ、司書さんが「ありがとう」って言うのは。私はもう何も話題が思い浮かばなくて、黙った。司書さんも同じだったみたいで、二人で粛々と作業を続けた。
 補修テープをだいたいの大きさにハサミで切って貼る。縁がぼろぼろになっていたり、酷いと破れているページがあったりする。どれもサイズに合わせて手作業で直していく。
 大きすぎて余ったテープはカッターで切る。うまくできると、さらに破れたりもっとボロくなることを防げる。テープは透明で、貼ってもほとんど気にならない。
 司書さんはさすがお手のものだ。私は何年も前の感覚を呼び覚ましながら丁寧に作業を進めていった。一冊一冊、ゆっくりと。ときどき面白そうな本を見つけると、手を動かしつつ読んでみた。せっかくだし、今日直した本の中で何冊か借りてみよう。自分がその本をよみがえらせたのだと思うと、学校のものとはいえ愛着が湧いてしまう。
 私は、もしかしたら司書さんも同じ気持ちなのかもしれないと思った。ここで毎日一人で本を管理する。そんな仕事は絶対寂しいに決まってる。でも辞めないのは、この仕事が楽しいからなんだ。みんなは気付かないけど、本に触れることは楽しい。小さな液晶ばかりじゃなくて、昔ながらの紙にも良さはある。紙は、夏は冷たく冬は暖かい。
 二人で一山ずつ片付けていった。十分、三十分、一時間。

 外はまだまだ明るい。窓から差す陽光は青いままで、オレンジになるにはあと何時間もかかる。冬の夕方五時はなんだか切なくて、でもそれこそが冬の良さで、だけど私は夏の方が好きだ。エアコンはなく、お尻が痛くならないために敷かれたカーペットがうっとうしく感じた。私は一旦立ち上がり、鞄から水筒を出して水分補給する。中身はお茶ではなく、ただの水だ。体育の授業の時に飲み干してしまったので、運動場の東側に設置されたウォータークーラーで汲んだ。学校の水は大しておいしくないけど、飲めば生き返る。砂漠のオアシスみたいだ。
「当番さん、立ってるついでにそこの窓開けてもらえる。ちょっと換気したらすぐ閉めて。」
 私は言われたとおりに窓を開けた。
 運動場に面しているそれは案外防音効果があるみたいで、開けたとたんに野球部のかけ声が聞こえてくる。バットで白球を打つ音もはっきり分かる。カーン、と気持ちいい音だ。
 運動場のすぐ右側にはテニスコートがあって、あの子の姿が見えた。何の練習なのかはわからないけど、友達が緩く投げたボールを相手のいない反対側のコートに向けて打っている。今年あの子と友達になった彼女は、五月にバド部からテニス部に転部した。たぶん、それは友達だから。友達ができたら、部活だって変えちゃうんだ。私は運動に自信がないってだけで、せっかくあの子と仲良くなれた去年の春、天文部に入った。あの時私もテニス部にしとけばよかったんだ。今はあのふたりはいつでも一緒にいて、私は彼女に取って代わられた。私は一人になった。
「何見てるの。」
 気が付いたら司書さんも立ち上がり、私のすぐ後ろに来ていた。
「あそこでずっとボール打ってる子」指をさしながら言った。「私の友達です。」
「ふうん。」
 司書さんは一拍あけてもうひとつ付け加えた。
「ボール出しの子と打ってる子、あのふたり仲良さげで、楽しそうね。」
 うん、そう。二人は仲が良くて、お似合い。私とあの子だと、あの子ばかりが明るくて私はいつもあの子のトークを聞いて相槌をうつだけ。私じゃなくて彼女なら、お互いたくさん喋っていつも笑ってて、あの子は彼女と一緒にいる方が心地いいんだ。
「私の友達だったんです。」
「そう。」
 私には二人が輝いて見えた。
 あの子はまっすぐ相手側のコートを見つめ、自分の位置の対角線上を狙っている。彼女がふわっと投げる黄色い球はあの子のラケットの真ん中に吸い込まれ、そして大きくバウンドする。良い球が打てたのか、ときどき二人は顔を見合わせて笑う。微笑む。でもすぐに表情は元に戻って、また同じことを始める。
 二人が立つポジションには二人だけしかいなくて、他のテニス部員でさえ無関係に見える。男子に負けない力強い球は、きっとボール出しが彼女だから打てるんだ。
「今日はありがとうね。もう図書室を閉める時間だから、荷物片付けてね。」
「あ、はい。」
 私はすっかり周りが見えなくなっていたことに気付いた。カッターで切ったテープの端切れは司書さんがまとめてゴミ箱に捨ててくれている。私は自分の荷物さえ片付ければ、もうする事はなさそうだ。私は一旦カウンターに出て、単語帳とペンポーチをしまった。一応スマホの通知を確認するが、メッセージは一件も来ていない。
「当番さん。」右から呼び掛けられた。
「はい」
「お疲れ様。」
 司書さんは私の右手を取り、何かを掌に載せた。
 それはチョコチップクッキーだった。みんなが知っているような有名なものではなく、初めて見るメーカーだ。包装は至って地味。全体は透明で何も書かれておらず、縁のギザギザのところだけ白になっている。お徳用のものだろうか。勝手な想像だけど、スーパーのお菓子コーナーにあるやつの中で一番目立つし、しかも一番安いやつだと思う。
 カカオパウダーが練り込まれていて生地自体が茶色だ。その中にひときわ色の濃いチョコが入っている。パッと見る感じ、チョコは五つ、六つくらいだ。サイズの割には多い。
「あ、ありがとう、ございます……」
「ありがとう」は聞こえたと思うけど「ございます」は聞こえなかったかもしれない。お礼のひと言くらい、大きな声で言えるようになりたい。
 そそくさと司書さんは出口に向かっていった。電気消すよ、と言われると自分も後に続く。図書室専用に用意されているスリッパからローファーに履き替えた。毎日一人使っているせいで、革はもうすっかり傷んでいる。司書さんは何も言わずに職員室の方へと歩いていった。
「あの!明日からも、ここに、来ていいですか……?」
「いつでもおいで。」にっこりと笑った。

 陸上部の一年生たちが腹筋をやっている横を通っていくと通用門がある。そこが地下鉄の駅を使う私にとって一番便利。
 学校は大通りから一本外れたところにあって、いつも閑散としている。反対に、大通りはいつも若者たちで賑わっていて騒がしい。私は朝も帰りもこの道を使う。駅まではこの道をただひたすらまっすぐ歩けばいい。
 暑さで溶けてしまいそうだ。私も、さっきもらったクッキーのチョコも。太陽はまだギラギラと光っている。露出した腕や脚が焼かれていく。
 街路樹の下に立つと、私はパッケージをあけてクッキーを取り出した。記念に写真を撮ることはなく、そのまま口に運ぶ。
 クッキー生地はサクッととろけた。ココアの苦味が口いっぱいに広がる前に、チョコレートの甘さが私を包む。どちらかが主張しすぎることはなく、互いが互いを引き立てる味わいだ。こんなクッキー初めて食べた。スーパーの安物だなんて思ってごめんなさい。
 作業で消費したカロリーを一気に補給する。普段はおやつなんて食べないけど、今日はいいんだ。なんとなく食べたい気分だから。アイスでもなくガッツリしたパンでもなく、一口のクッキーが食べたい。
 私は空き袋を胸ポケットにしまった。
「おいしい」自分だけに聞こえる声で呟いた。その時――
「友希ちゃんまた明日ね!」
 クラスメイトが後ろから駆け抜けていった。

チョコチップクッキーの夏

チョコチップクッキーの夏

友達がいない高校2年生の少女は、図書委員会に入った。初めての当番の日、司書さんの膨大な仕事量を目にした少女は、勇気を出して手伝いをしたいと言う―― 少女の心情を中心に、孤独な者の胸の内を書いてみました。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-23

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