コスモス

 浮かんでいるのは、きみと神さま。
 赤い糸で、ぐるぐる巻きにされた首と、どこからか髄の抜けた、すっからかんの骨。
 ぼくを正しく、そして、歪ませるもの。
 きれいだった世界からの剥離。
 代償として失った、椋とネオと、それから、秩序。

 だれかを好きになることを、自然の摂理として、等しく、嫌いになることもまた、自然な現象であると、わかりやすいことをあえてむずかしく語るのが癖の、ひとだった。雑居ビルの一階で、喫茶店をやっているマスター。お客さんのひとりに、ゲイのひとがいて、根暗できもちわるいと他人に蔑まれる、ぼくに対して、唯一やさしいのが、そのゲイのひとで、でも、雑居ビルのとなりにある八百屋のおじさんは、ゲイの彼を、まるで異常者のような目でみている。この国は時代遅れの、ばかなひとのあつまりだと憤る、ぼくに、当人であるゲイのひとは、いまはむしろ、そうやってあからさまに嫌悪するひとの方がめずらしいので、あまり気にしてないのだという。彼は、いっぱい傷ついてきたけどねと、かなしそうに微笑んで、マスターはあたたかいミルクを、ぼくとゲイのひとにさしだして、だいじょうぶ、世界は変わりつづけているのだと言った。いままでの常識は上書きされて、どんどんあたらしい世界になっていく。上書きとは、単純に、過去のあやまちをなかったことにして、なかったことにされたあやまちを、また、上書きされた世界でくりかえす、という負のループを、感じる瞬間はある。どこかにかならずある綻びから、産まれたばかりのやさしさがこぼれおちていくのだ。ぽろぽろと。ときに、ぼたぼたと。
 ぼくは、あたたかいミルクを飲みながら、マスター曰く、趣味ではないのだけれど、喫茶店の雰囲気にあわせたクラシック音楽を、意識して聴いてみる。クラシック音楽って、なまえも、つくったひともわからないけれど、なんとなく聴いたことがある、ということが、よくあると思う。マスターは、ほんとうは、がしゃがしゃさわがしい音楽が好きなのだという。ゲイのひとは、こころがささくれだっているときは、あたたかいものがいちばんだと言って、ミルクを飲みながら、たばこに火を点ける。夜はいつも、椋とネオと、ねむっていた頃の記憶がよみがえり、どうしようもなくさびしくなるから、ぼくは、ここにいる。

コスモス

コスモス

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-22

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