むすび

 ある都市にある病院の一室。
 ついさっき、この部屋で私の子供は産まれた。
 私もこんな風に声を上げて生まれたのかな、とかこの子は将来どんな子になるかな、とかいろいろなことが頭に浮かんでくるけど、今は喜びに浸っている場合じゃない。
 私は今夜、急いでここを出なければならない――

 私はひまわり子ども園で育った。それは川と山が近いという以外何もない、ごく普通の田舎街にある。この辺りの住民の平均年齢は、もし園がなければ、きっと六十歳を越えるだろう。
 両親の顔は全く知らない。施設で一番お世話になった優子先生は「とても優しいご両親よ」と言っていたけど、まさか卒業する子どもに向かって「あなたの親は悪い人だったのよ」と言うとも思えない。私の親はどういう神経をしていたんだろう。「優しい両親」なら、腹を痛めて産んだ娘に名前くらいはくれたっていいじゃない。私に遥と名付けたのは他でもない、優子先生だから。私は両親のことを、何があっても好きになれないと思う。
 なんて、さんざん貶しておいてこのザマだ。血は争えない。きっと私もこの子から嫌われると思うと辛くなる。私はなんて馬鹿なことをしたんだろう。
「遥、卒業おめでとう」
「ありがとう。来てくれたんだね」
「もちろん。来ないわけがないだろ。遥の大切な旅立ちの日なんだから。」
 樹は高校のひとつ上の先輩で、その後子供の父親になる人だ。彼も高校を卒業するまでひまわり園に住んでいた。みんなと別れた後、私は二人きりで会うつもりだったのに、樹は式にも参加してくれた。
 もう着ることのない制服。落ち着いた大人っぽい赤色の、珍しい色合いのブレザーで、私は気に入っていた。
「仕事は?抜け出して怒られないの。」
「大丈夫。班長にはうまく言ってきた。」
 門出の日だから、一回くらいならいいだろうと思ったのが間違いだった。あの日のあの一回きりで、可哀想な子供が可哀想な子供を産むことになってしまった。この罪は重い。
 樹は工事の仕事をしていた。身体の細さのわりに体力はあって、彼にはぴったりの職業だ。就職先が決まったときの樹の喜ぶ顔を、私ははっきりと覚えている。
 住むところがなかったり一人ぼっちでさみしいという作業員のために、会社は寮を用意していた。樹はもちろん、そこに入った。独身寮だから、部屋は狭い。
 親のいない子供どうしが付き合って妊娠して、無事に産めたとしても育てられるはずがない。収入は、二人合わせても世の中の夫婦の平均の半分より少ないと思う。何せ出産のための入院費用すら用意するのに苦労したんだ。たかだかたいして頭の良くない高卒の男の子一人が工事の仕事をしたって、稼げる金額はたかが知れている。身重の十代の女子が働ける場所などあるわけがない。この世は不平等だと、私はつねづね思っている。
 どうせ、私はこの子の成長を見届けてあげることなんて出来ない。だったら、何か一つだけ、私と樹の子供に最高のプレゼントを。

 遥と樹を組み合わせて、遥樹。いや、それじゃあ男の子の名前だ。
 はるな、はるひ、はるこ。これもだめだ。パパの要素が全くない。
 今日はよく晴れていたから、「晴」の字を使ってみようか。晴れた日の夜に産まれたから、晴夜。はるや、せいや、はるよ。まあ、読み方は後で決めよう。
 そんな綺麗な月夜だから、星が見えた。「星夜」で、せいや、せいよ、ほしよ。語呂が悪くて嫌。
 うん、自分の力だけで決めるのは無理だね。ケータイで調べよう。
 四桁のパスコードを入力してロックを解除すると、二件の不在着信があった。両方とも発信者は優子先生。なんで?私は園を出て以来一度も先生には会ってないし、連絡も取ってない。先生に番号教えたっけ。
 ちょっと怖いけど、折り返してみることにした。先生は普段は優しいけど、怒るとめちゃくちゃ怖い。そっと電話機のマークをタップする。プルル、プルルと二回のコールで先生は応答した。
「もしもし、遥ちゃん。よかった、繋がって」
「もしもし、優子先生、お久しぶりです。」
「挨拶なしでいきなりになっちゃうけど、さっきね、うちに樹くんが来たのよ。びっくりした。遥ちゃん、樹くんとの間に赤ちゃんができたって。しかも、もう産まれそうだって。ついに遥ちゃんがママになるなんてね、おめでとう。いいお母さんになってね。パパがあなたのこと心配してたよ。あ、普通に電話出れてるくらいだし、もう産まれたかな。」
 ああ、樹がひまわり園に行ったんだ。今、先生はおめでとうって。なんでアホなことをしたんだって、怒らないんだ。私が赤ちゃんを産んで、先生は祝ってくれるんだ。
「こんなところにいないでさっさと病院に行きなさいって、樹くんを追い出しちゃった。それで大丈夫だったかな。」
「大丈夫です。まだ彼来てないですけど」
「あら、まだなの。遅いわね。どっかで道草食ってんじゃないの。」
 ケータイの向こう側で、先生は場違いなジョークを言っているのか、それとも本気で心配しているのか。私はよく分からなかった。
「最近どうなの。仕事は?」
「大丈夫ですよ。産休もらえました。」
「そう、それなら安心ね。」
 嘘です。クビになりました。
「じゃあ、お祝いできたしさっさと切るわ。樹パパと、幸せにね。」
「あ、あの!」
 自然と呼び止めてしまった。ねえ優子先生、ちょっと聞いてよ。話したいことがあるわけじゃないけど、ちょっとだけ。私の話を聞いて欲しい。
「どうかしたの。」
 自分から話題を作ろうしてるみたいだ。何も言わなかったら絶対おかしい。なにか、なにか言わないと。
「あの、その」
「早く言いや。」
「えっと、そうだ。私に遥って名付けた理由、ちゃんと聞いたことないなと思って。ほら、赤ちゃんの名前、どうやって決めようかなって考えてたから。先生、教えてください」
「遥の由来か。」
 自分の名前の由来を聞いてくるという宿題がどこの小学校でも出されるんだとは知っている。施設があるからなのかは分からないけど、私が通っていた小学校は例外だった。
「うちにあなたが来たとき、ものすごく小さかったから。大きくなって欲しいと願って付けたの。お母さんがひまわり園にあなたを預けたのは、生まれてから数日、長くて一週間くらいの時だったと思うよ。」
「そんな早くに。なんで。」
「さあね。それは知らない。やむにやまれぬ事情があったんだよ。」
 電話の向こうから子供たちの甲高い声か聞こえる。優子先生、寝かしつけなくていいのかな。
「久しぶりだし、もっと色々話せたらいいんだけど、ごめんね。もう本当に切るわ。」
 やっぱり。いつでも先生は先生だ。
 看護師さんが入れ替わり立ち替わりやって来て、私は今患者なんだ、と思った。普通に考えて、出産したばかりの女が子供を捨てて病院から消えるなんて、ヤバい話だ。でも、私はそれをやろうとしている。事の重大さは理解しているつもりだけど、たぶん私は分かってない。
 だって仕方ないじゃない。何日もこんなところに泊まるお金なんてないんだから。一日でも早く仕事を見つけないと、一文無しは暮らしていけない。真冬の公園で寝るなんて、さすがの私も辛すぎる。
 この子だけは、私みたいにならないで欲しい。それだけは絶対譲れない。
 大きくなったら、この子にどうなって欲しい?
 心優しくて、かわいくて、人を大事にできる人。自分の未来に希望をもって、明るく楽しく生きて欲しい。一つだけ確かなのは、私や私の産みの親みたいに、可哀想な子供を作らないで欲しいということ。そんな意味を名前に込めるなんて、なんだか気が引ける。やっぱり、私と樹の子供だから、二人の想いを詰め込みたい。
 樹は、どう思うかな。
 未来に希望。望未ちゃんなんてどうだろう。未希ちゃんなんかもかわいい。夢って漢字を使ってもいいかもな。夢が叶うって書いてゆめかちゃん、とか?
 ドタドタドタドタ……
 外から足音が聞こえてきた。
 うるさいなぁ。誰よ、病院内で全力ダッシュしてる奴は。
「遥!」
 あ、この声は……樹だ。
「遥!」
 ガラッと勢いよく扉が開き、私に向かって渾身の笑顔を向けながら樹が駆け寄ってきた。そして、横にある小さな小さなベッドを覗き込む。
「ああ、かわいい。赤ちゃん、かわいいな。」
「私と、あなたの赤ちゃん」
「ああ、かわいい。」樹はそれしか言わなかった。
「樹。あんまり見ると情が湧くよ。」
「いいんだ。今しかしてあげられないだろ、良い父親。」
「すぐにこの子と別れるんだよ。別れなきゃいけないんだよ。」
「いいんだ。俺は別れないから。」
「何言って、」
「遥。」樹が私に向けたまっすぐな視線と、私が樹に向けた厳しい視線がぶつかった。「大丈夫だ、遥。」
「今から動ける?一緒に行きたいところがあるんだ。」
「今すぐ?どこ行くのよ。」
「歩いて十分くらい。」
「遠いなあ」
「分かった。俺がおぶるから。職場の人にベビーカー借りてきた。三人で行こう。俺が遥をおぶってベビーカーを押して行くから、心配いらない。」
 樹はあまりに真剣で、無下にもできないと思った。この人だいぶバカだから、そんなやり方が簡単じゃないことが分からないんだろう。樹の言うとおりにしよう。何を言っても、この調子じゃ樹は聞く耳を持たないだろうから。私なら、そのくらいは分かる。
 彼の背中は私より一回りは大きい。私に左手を添えて、右手一つで赤ちゃんを押して行く。
 途中、看護師さんとすれ違った。彼女はにっこり笑って、私たち家族をスルーした。あの人、絶対何か勘違いしてる。まさか私たちが逃げるなんて思ってもないんだろうな。今から三人で出掛けて、そしてその後は、フェードアウト。
「俺、遥とこの子のこと、職場の先輩に相談したんだ。」
 背後にいる私にもはっきり聞こえるくらい、大きな声で語り出した。
「一番最初は遥に赤ちゃんができたって分かった時だ。ブン殴られたよ。『お前何やってんだ!最低だな!』って。そんなこと、さすがの俺にだって分かるって思ってた。」下手な芝居を挟む。「『男の不始末のせいで一生苦しむのは女の子の方なんだぞ!』って。」
 そのとおりだよ。当たり前じゃない。
「本当は俺は分かってなかったんだ。遥がどれだけ苦しむことになるか。もしかしたらってことを全く考えてなかった。先輩の言うとおりだ。俺は最低なんだ。遥をこんなに辛い目に合わせて、俺はこの子の父親として失格だ。
 だから俺は考えたんだ。なんとか俺たちが一緒に暮らしていける方法がないかって。本当はもっと早く遥に言うべきだったと思う。こんなタイミングでごめん。
 実はな、山下建設で事務員を一人採用しようっていう話があるんだ。」
 山下建設とは、樹が働いている会社の名前だ。
「男しかいないしみんな頭悪いし、書類仕事ができる人が欲しいんだ。遥ならできるよな。簿記持ってただろ。」
「うん。高校のうちに取ったけど。」
「だよな。それで、先週班長に言ったんだ。俺、いい人を知っているから紹介しましょうかって。今から行くんだよ、班長と先輩たちが待ってるから。」
「今!?樹さ、タイミング考えなよ。」
「本当にごめん。あんなに大きいお腹じゃ動けないかと思って。」
「産んだ後の方が動けません。当然でしょ。」
 樹のテンションが下がったのが分かった。
 そのまま二人とも黙ってしまった。
 星が綺麗だ。さっきこの子が生まれた時と変わらず、やっぱり綺麗だ。
 樹の背中の上で、私は濃紺の空を見上げた。
 この子、めっちゃいい日に生まれてきたね。大きくなったら、あなたが生まれた日の夜空は快晴で星が輝いていたんだよって伝えてあげたい。
「遥、ここだよ。」
 木造のボロいアパートに着いた。
「ちょっと手離すね。」
 樹は赤ちゃんにそう言って、右手でインターホンを押した。
「班長。樹です。」
 扉が左にスライドし、三十代半ばくらいの日焼けした男性が現れた。この人が班長なのね。思ったより若い。
「こないだ言った、いい人です。」
「木戸遥です。」
「噂の遥ちゃんか。聞いてたとおりかわいいな。」
「ちょっと、やめてくださいよ。」私ではなく、彼が班長に突っ込んだ。
「じゃあ、木戸さん。会社の話をするから中に入ってくれ。樹は別の部屋で娘の面倒見とけ。」
「ういっす。」
 私は奥の部屋に連れていかれ、樹は手前の部屋であるリビングで座布団に腰かけた。座布団はそれを敷いたところで意味があるのかないのか分からないくらい薄かった。
「樹の上司の、新田といいます。
 聞いてますよ、木戸さんの話は。何でも、樹の将来の奥さんだそうじゃないですか。」
「将来の奥さん!?なんですか、それ。」
「あれ、違うんですか。会社内の噂なんて、やはり所詮は噂でしたか。
 それはそうと、おめでとうございます。
 木戸さんがどう思ってらっしゃるかは分かりませんが、あいつはいい父親になると思いますよ。実は彼女に赤ちゃんができてしまったんだって聞かされた時は驚きましたがね、今では納得です。
 ご存知ですかね。樹が同僚たちに子供の名前をどうしたらいいか訊いて回ってたんですよ。」
「そんな、全く知りません。」
「そうでしたか。余計なこと言っちゃったかな。樹くん本人から話した方がいいでしょうからね。私からは黙っておきましょう。」
「あの、今日は娘の話をしに来たわけではなかったと思いますが」
「すみません、また脱線してしまいました。
 木戸遥さん。あなたをうちの事務員として採用したいのです。」私は新田さんの黒い瞳を見つめた。
「我が社はね、実は社員の五割が中卒、三割が施設育ち、あとの二割が障がい者なんです。今は書類仕事を出来る人員が私だけなんです。三ヶ月前まではもう一人いたんですが、あいにく寿退社してしまいまして。
 一応私だけでも仕事自体は成り立っているので大丈夫なんですが、樹が心配してくれましてね。今思えば、あいつは始めから木戸さんを紹介するつもりだったのかもしれませんね。」
「そういうことでしたか。」
 表情筋に力を入れて、私は言った。
「私、喜んで入社させていただきます。明日からですか。」そして顔面に笑みを貼り付けた。
「明日なんてとんでもない!ゆっくり休んで下さい。今まで苦労なさったんでしょ。お友達の家を転々としていたとか。会社の寮に空いてる大部屋がありますから、そこを三人で使ってください。今日から使ってください。」
「あ、ありがとうございます……」
 この人、親切にしすぎ。絶対いつか痛い目に遭う。信じる者は、足元をすくわれるんだから。
「じゃあ、明日から木戸さんは山下建設の社員ということで、よろしくお願いします。今日は二人でゆっくり過ごしてください。子供の名前、一緒に決めるんでしょ。」
 二人で一緒に?樹は何も言ってなかったよ。
 でも分かる。彼は赤ちゃんのことをそれだけ考えていたんだ。だから「俺は別れない」なんて言い出したんだ。点と点が線で繋がるように、私は分かった。樹はずっと言い出せなかったのかもしれない。
 なんでこの班長はよく知ってるのに私に話してくれなかったのかって思えるけど、そんなことは関係ない。たぶんこの新田さんのことを樹は信頼してるんだ。この人を私以上に信頼してるんだ。
「木戸さん?」
「あ、すみません。ボーッとしてて」
「いや、そうじゃなくて。大丈夫ですか?泣いてらっしゃいますよ。」
「え、?」
 そっと右手で顔に触れると、小さな水滴に気付いた。ねえ、樹。私はなんで泣いてるの?
「樹呼びますね。」
「おい、樹!」ドアから顔だけを出して、新田さんは言った。
「はい!」
「こっち来い。じゃあ、私はこれで。」

「遥。ねえ、大丈夫?」
「何でもないの。」
「何でもなくない。」
「ねえ、樹は何がしたいの。私をここに入社させようとしてたの。赤ちゃんはどうするの。この先のこと、何も見えてないじゃない。それなのに大丈夫なの。早いうちに赤ちゃんポストにこの子を入れて、私は風俗でも何でもやってお金を稼ぐから。自分が暮らしていくためのお金くらい自分でなんとかするよ。樹と私は、別々でしょ……」
「俺は遥と赤ちゃんを手放したくないんだ。この先が見えないなら、今から決めればいいだろ。」
「そんな簡単にいくわけないじゃない。よく考えてよ。
 二人で働いたって子供はすぐ風邪引くから毎日のように呼び出されるのよ。保育園はどうするの?何もかも高いお金がかかるんだよ。小学校に上がったら勉強とか見てあげなきゃいけないし、中学に上がったら部活とかもやるからどうしてもかかるお金は高くなる。高校生になったら、公立に行ってくれれば授業料は無料になるけど私立だったらどうするの?学費払えるの?大学なんて行かせてあげられないよ。うちらは高卒で働いて、大学に行くのを諦めて、だから夢だって諦めて。このまま二人で育ててもどうせそうなるんだよ。この子も同じ目に遭うことになるなんて可哀想だよ。普通じゃないってのは可哀想なんだよ。
 そもそも、産んだのが悪いんだ。せっかく生まれてきたのに、どうせ私たちはバラバラなんだよ。この子の居場所は私たちのところじゃない。施設に行くとしても、私たちが育てられるとしても、どのみちこの子は不幸なんだよ!」
「それは違う。この子は不幸なんかじゃないよ。よく見てみてよ、赤ちゃんの顔。幸せそうに眠ってるよ。俺たちが普通じゃないから赤ちゃんを手放したって、俺たちが育てたって、どうせ苦労するんだ。だったら家族がいて、大事にしてくれる親と一緒いることの方がよっぽどいい。この子がやりたいことがあったら、俺たちも一緒に頑張るんだよ。俺たち三人ならなんとかなるよ。
 ねえ、あのさ。」
 急に話を変える風にして、彼は黙った。もう、変なところで止まるんだから。
「何よ。はっきり言って。」
「いや、えっとね」樹は彼の足先を見た。
「赤ちゃんの名前、いいの思いついたんだ。希望とか夢とか、それよりもっと大事なことに、俺気付いたんだ。」
 樹は右手の人差し指でテーブルに見えない線を書いた。それは文字だった。
 左手で自身の耳を触った。耳は赤かった。そしてその手を下ろすと、きゅっと握った。いつもより小さい拳だった。
「俺と遥の赤ちゃん。俺らは親に捨てられても、こうして一緒にいられる相手を見つけたわけじゃん。俺らは繋がってるんだ。
 だから、赤ちゃんの名前は、(ゆい)
 家族三人、結ばれているって意味なんだ。
 姫野樹と姫野遥と姫野結。いいだろ?」
「ゆいちゃん、か。かわいいね。
 それに、木戸遥じゃなくて、姫野遥。」
 樹は両手を膝の上に置いた。
「遥。俺と、結婚してください。」
「バカだなあ。何回言えば分かるの?これから一生苦労するって。」
「遥と結がいれば、大丈夫だよ。」
「それだけ『結ばれているんだ!』って言っておいて逃げ出そうものなら、ただじゃおかないから。」
「当然だよ。家族になるんだから。」
「もう、分かったよ。いいよ。」
 スゥっと空気を吸った。澄んだ酸素が身体中に行き渡っていく。
 一生に一度のこの瞬間が、こんな汚いアパートの一室で、しかも泣きながらなんて。ダサいけど、それがうちららしいのかもしれないな。
「よろしくお願いします。末長く。」
 私はぎゅっと結を抱きしめ、樹は私を抱擁した。この樹の肩が小さく震えているのが分かった。

むすび

むすび

高校卒業後、就職してすぐ妊娠が分かり働けなくなった少女・遥は、子供の父親である樹と協力し、出産後すぐに病院から逃げ出そうとしていた。お金がなくて遥の入院費も用意できない、どうしても娘を育ててあげられない。だから遥は、大切な娘に何か一つだけでもプレゼントを残してあげようとしていた。そんな状況で樹は、ある提案をする。

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更新日
登録日
2021-08-22

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