嘘死にたがりの悪紛い

 蝉の声がしていた。閉め切った窓の先から溢れている、慌しい夏の音。車のエンジンが遠ざかる。自転車のベルが微かに鳴った。何かの拍子に触れたのだろうか。枕に頭をつけたまま、俺は外の世界を聴いていた。
 つけっぱなしの冷房が低く唸った。もう何日も働かせっぱなしだ。そろそろ消してみてもいいかもしれない。
 でも暑いのは嫌だし、外に出る気にもならない。外の世界は俺を拒む。ずっとこうしているわけにもいかないこともわかっている。日差しに透かした俺の手は、同年代の男子よりは小さいけど、それでも去年よりは大きくなった。
 洗面所あたりに置いてある洗濯カゴは空になっていた。俺が寝ている間に父さんが帰ってきて、コインランドリーに持っていったのだろう。うちの洗濯機はずっと前から壊れているし、買い直すだけの余裕もない。少し溜まったら安いランドリーに行くほうが現実的だ。
 寝ているからわざわざ起こさなかったにしても、声をかけてくれてもいいのに。冷蔵庫を開けると、沸かしたお茶と買ったお茶、個包装のいちご大福がふたつ入っていた。
 パンをかじりながら部屋に戻ると、スマートフォンが鳴っていた。いくつか前の世代のやつだ。
『おはよう』
 言われてつい時間を見た。午前11時。まだその挨拶でいいか。
『おはよう』
『暇だろ。付き合えよ』
『……』
『行くから』
 一方的に言うと、通話は切れた。勝手に溜息が漏れて、その後、ちょっとおかしくなった。顔を洗って着替え、髪を整えた。鏡に映る俺は金髪、鏡面をなぞる指には派手派手しく指輪がいくつも通っている。グレた中学3年生。これが小柄のちんちくりんなんだから、自分でも笑える。煙草を銜えて靴を履いて玄関先に出ると、もう(ふじ)が立っていた。
 顔を合わせるや否や、藤の手が俺の口から煙草を毟り取った。
「人に会うのわかって吸ってんじゃねーよ。バカか、お前」
「うん」
 曰く、俺に会うときは携帯用の灰皿を持っているらしい。藤は煙草の灰を落としながら俺を見た。眼鏡の奥のちょっとぎくりとした瞳。ポーカーフェイスの藤がこんなふうに表情を変えるのは面白かった。
 が、藤はすぐにいつものクールな眼差しに戻り、吸い殻の処理に戻ってしまった。面白くない。
「バカが。本気にすんな」
「口の悪さは相変わらずだな」
「お前のその態度もな。いい加減で汚い金髪やめろ」
「一言多いのも相変わらずか。真夏でも絶好調だな」
 灰皿をポケットにしまうと、藤は俺の横を抜けて歩き出した。いつものことだ。俺は慌てることなく追いかけ、横に並んだ。
「どこ行くんだ」
「どこも。ほっとくと引き篭るから、外の空気吸わせてるだけ」
「残酷だよな」
「なんで」
「だって藤、俺のこと知ってるだろ? 俺がどういう目をしてるのか」
 俺がどうして外に出なくなったのかも、藤は知っているはずだった。でも今日はのどかだった。自然の音と人の声しか聞こえなかった。これだけ人が歩いているのに、今日はすべてが俺に無関心みたいだ。どのタイミングで周囲を見渡しても、夏と町の平和な縁取りが続くばかりだった。
「何も考えるな」
 俺がたぶん、156センチくらい。藤は確か170に近かった。4月の数字だから、成長期の今はもう到達しているのかもしれない。外に出て、学校に行って、母親の作った料理を食べて、普通の健康な生活している藤は、きっとこれからも順調に成長して大人になる。右手首の腕時計が陽に当たって輝いていた。
 息を吐いて、藤は繰り返した。
「何も考えんなよ、夏也(なつや)

 川の水もきらきらしていた。家族連れがバーベキューを楽しんでいた。遠目に見下ろすだけでこっちまでなんだかほっこりするような、幸せそうな空気だった。
 目だけはいい俺は、藤の腕時計が指す時間がおかしいことに気付いた。短針が4、長針が12。藤がいつもしていたものだけど、壊れてしまったのか。
「何もって、何のこと?」
「今考えてたようなこと」
「なんで壊れた腕時計してるのか?」
「ただの癖だよ。してると落ち着く」
「じゃあ俺だって癖だ。落ち着いてられない」
 藤は何も言わず、腕時計を外した。悪いこと言っただろうか。俺はちょっと悲しくなって、軽口を叩いたことを後悔した。
「全部な」
 腕時計をポケットにしまい、すっきりした手首を藤は摩っていた。
「全部、悪い偶然だ」
「偶然じゃないよ」
「偶然なんだよ。そういうことにするんだ」
「それってさ、マジで残酷だろ。他の人たちみんなが犠牲になってもいいのかよ。俺だけを救うために」
「別にいい」
「俺は死神なんだぞ。藤だって死ぬかもな」
「別にいいって言ってるだろうが」
「あの家族がこれから死んでも?」
 そう言うと、藤は黙った。俺も黙った。沈黙が続くと何故だかおかしくなってきて、ついに俺は噴き出した。一度笑いだすと、なかなか止められなかった。
「お前何笑ってんだ?」
「だっておかしいじゃん。中途半端っつーか。どうせ悪役なんかできないんだから無理すんなよ」
「ふざけんな。例えが突拍子なさすぎてびっくりしただけだ」
「意味なく悪いことをするから悪役なんだよ。考えて、選んじゃうって時点でお前には無理だな」
 そろそろ帰らないと。きっと今、小康状態という言い方が合っているのかはわからないけど、たまたまそういうときなだけだ。俺は死神なんだから。弱虫で臆病な死神は、巣で大人しく座っていなければらない。
 ポケットから煙草を出そうとしてやめた。人の前で吸わなくていいか。それに、別に吸いたくて吸い始めたわけでもない。
「考えることができなくて、選べもしない立場だったら?」
 昼時となって、いよいよ日差しがきつくなっていた。無意識に手で庇を作り、歩き出そうとしていた俺は、藤のその言葉で立ち止まった。
「俺はやっぱり悪役だと思う。そいつのせいで苦しむ人がいるわけだから」
「は? 庇ってくれると思った」
 どっちが突拍子ないんだか。藤のこういうところは好きだ。藤が幼馴染でよかった。妙な慰めや励ましをされたら、それこそ腹が黒くなる。それ以前に、俺の――さっきの藤の言い方をすれば癖、これを知っているのは藤一人だけど。父さんにも言っていないし、どうせ信じないし、信じてくれたとして悲しませるだけだ。その事実というよりも、そんな気持ちに押し潰されている息子のことを。
「だから、自分で選んだとしても、それも悪役だろ」
「わざと道連れになろうってか? 自分のせいで友達が死んじゃったりしたら、俺の気持ちはどうなるんだよ」
「バカか、お前。だから悪役だっつってんだ」
 吐き捨てるみたいに藤は言い、勝手に歩き出す。数歩進んだ後、動かない俺を振り返った。
「帰るんだろ」
 言う割に待たず、再び歩き始めてしまった背中を追った。こんな俺のこんな世界でも、ひとつくらいの希望はあるか。せめてその希望が、俺を拒まないでいてくれればいいのに。そうしたら、拒否され続けの俺の世界だって、危ういながらもまだこうして結んでいられるのに。
 蝉の声がしていた。慌しい夏の音。ずっと悪役の俺には優しすぎる普通の世界。明日もここに来れるだろうか。明日もここに来れることを、本当は俺だって祈っている。

嘘死にたがりの悪紛い

嘘死にたがりの悪紛い

死神の少年とその友達の話だけど、詳しいことはなにもわかりません。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-10

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