銀の舞台

 TOBEFOOPERSは2009年に「childsong」というアルバムをつくりました。
 思い出深い最初のアルバムです。
 この小説は、その当時の私や私達を描いたものです。
 懐かしい、という感覚は、たいていは行儀がよろしくて私はあんまり好きじゃありません。
 けれども、丸くなった爪先の本来を暴きたいなんて、私は露とも思いません。
 
 ―この前書きは、本編執筆から2年の歳月を経て書いています。
 今読むと、この小説は、まだ少し尖った爪先を残しています。
 楽しむとしたら、きっとそれなんだろうと私は思っています。
 ササササ、と、読んであげて下さい。

 それでは どーも どーぞ。


水平線の見える街で、ワタシは育った。
 
それはつまり、海の見える街というコト。
 ただ、語感と相違して、その海は汚れていて、安易で素敵なデートスポットとはかけ離れ、曰く地元の男の子達がカップラーメンを啜るだの、退屈な中年が魚を釣るだの、不良少年と不良少女行き場なく性行為に励むだの、本来的に海が孕む幻想のイメージとは明らかにかけ離れていた。
 でも、ワタシはそこが好きだった。
 十代で、退屈で、なにももっていなかったワタシに、幻想だの現実だのはどうでもよくて、赤いイヤホンから流れるnirvanaでちぎれた耳を海に流すことが、ワタシにはとても好ましかった。
 
 「シーナ」
 聴きなれた声に、束の間の懐古は色も音も失くした。
 「どうしたの?ボヤボヤして」
 momoがワタシの顔を、衒いも無く真っ直ぐ見ている。なんだかインコみたいだ。
 「大丈夫?死んじゃうの?」
 ワタシは、食べ散らかされたケイジャンジャンバラヤに焦点を合わせて、momoの視線をかわした。後ろめたさでうつむく子供の姿が、像を結ぶ。
 「なんでもないよ、眠いの」
 「なら、よかった」
 彼女はわかりやすい安堵の仕草を見せて、その実、まだ心配しているコトを表現してみせた。
 如才ない彼女の性格を、時々ワタシは憎らしく思う。愛情を込めて。
 「もうわたしが決めちゃっていいのね、ね、シーナ」
 なんの話だっけ?
 そうだ、あさってのライブの曲順だ。
 それを話すために、ここにきたんだ。momoを呼んだんだ。
 それを話すために?違うなあ。
 それを決めてもらうためにだ。
 それを決めてもらうために、それを決めるのが嫌だから、メンドクサイから、ワタシはいま、何かを自分で決めるのが嫌だからだからだからmomoを呼んでここデニーズに来た、好物のケイジャンジャンバラヤがあるから、コーヒーがおかわり自由だから、可も不可もなく混みも空きもせずイスにゆとりがあるから喫煙席が広いから、煙草を吸うから、ガラムを、そうなんだよインドネシアの甘い甘い甘い甘いタバコを吸うから、他人にとって醜悪な、人体にとって有害な、その甘い甘い甘い甘い匂いをデニーズの店員は注意しないから、嫌な顔をするだけで「お客様」なんて声をかけないから、だからかなだからかなだから何者にも声をかけられなかった、水平線の見える街で愚直に「生活」していた頃をワタシは思い出したのかな、違うよ、違うよ、違うんだよ、ぜんぜんぜんぜん違うんだよ。わたしがわたしを懐古した理由はぜんぜんぜんぜん違うんだよ!!!

 
 気づいたら夕暮れで、ワタシはアパートの階段をのぼっていた。
 心がざらざらしている。
 8階の自宅を目指し、階段をのぼっていく。
 ワインレッドのマーチンが、コツコツと、乾いた音を吐いている。
 やがて、8階。
 安普請の手摺りの向こうに連なる街、ジオラマみたいだ。
 水平線など見えないことを確認して、ワタシはMRmenの陽気な笑顔を伴った鍵を差す。
 ドアは、情けない音をたてて開いた、いつもと同じに。

 
 煩わしいジーンズとタートル・ネックを脱ぎ捨てて家着に着替える。
 家着が、ワタシは好きだ。
 本当に着たい服はいつも家の中だけで、外に出るワタシはワタシの望む装飾をいつでも拒んでいる。
 『one baby say another im a lucky to meet you♪』
 携帯電話の中のカートが大声で歌った。
 drain you 
 高校生の頃から、ワタシの着信音はずっとずっとコレのまま。
 『わたしは、あなたに会えて最高にラッキーよ』
 そんな歌を、あんな声で、あんな音で―。ワタシは、好きになった、というよりも、首を狩られて持ち去られてしまった。その首はおそらく16歳のワタシのままで、今も水平線を眺めているんだろう。
 携帯電話を覗くと、momoからメールが入っていた。
 『悩みとかあるなら、言ってね(*o*)曲順できたよ!はやいでしょ!』
 相変わらず調子はずれの顔文字の影から、彼女がインコの様にまっすぐ見つめている。
 悩みとかあるなら、言ってね
 それは昔からワタシが一番苦手なコト。
 子供のように、或いは、大人のように、ワタシはそれらを自分の中だけで処理し続けてきた。
 今さらワタシが「吐露」という選択に到達するコトは無い。無い、と思えた。
 適当な返事で電波を汚して、ワタシはベッドに倒れる。
 情けなく軋むパイプベッドが微かに揺れて、思い出せない何かを想起させるが、なにがなんだか自分でもよくわからない。漠とした残光が目の前をちらついて、ワタシはオレンジの時間を眠りに投じた。

 きっと、目覚めるのは、また、黒い時間。


ーーーーーーーーーーーー 

 ほら、ね。
 ワタシは暗がりで光る「3;11」の表示を見て、そう一人ごちた。
 まだぼやけている視界のあちこちで、白や緑、赤の光が影を吐いている。
 テレビ、CD、パソコン、充電器、ガス警告灯に、それに、些細な月明かり。窓から射す。
 洗面台の鏡が、ワタシの顔をうつしているが、それはなんだかワタシじゃないみたいだ。
 少なくとも二十年以上も付き合い続けているワタシの顔とは、なんだか違って見えた。
 なんでだろう?
 例えば、生きてきて、問題って、些細ではあれやっぱりたくさんあって、そういう影が鏡の自分に、普段とは違う感触を与えるコトはあったけれど、なんだか、違う。
 だって、あまりにこれまでのワタシとは、何かが違うから。
 違う。
 違う。
 違う。
 違うっていうのは、どういうこと?
 鏡のワタシが、ワタシの真似をして、タバコを口の端に銜える。
 違うっていうのは、それは、変わった、というコトとは違う気がする。
 変わったんじゃなくて、違う。
 今のワタシは違うワタシに変わった、ではなく、今のワタシはワタシではない、そういう感覚。
 煙。
 白い。
 粗雑に服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴び、頭の中で浄化のイメージを膨らます。少し熱い湯が表皮を殻をバリアを浄化して、なんだろう、魂だけになるような、そういうイメージ。
 濡れて、重く体に張り付いた長く黒い髪を雑巾の様にしぼり、もう一度、鏡を見る。
 蛇口の刹那的な水滴が数度落ちた頃、白い白い蒸気は天井の換気扇に吸われ、鏡の右端に、薄らボンヤリとワタシの顔が浮かんだ。
 それは、やっぱり、なんだか、なにかが違って見えた。
 浄化は、失敗したんだ。


 「こんにちは、こんにちは」
 真昼間のスタジオ「buzz」の前で、みつよしは目を細めて、挨拶をよこした。
 もとより目の細い彼が陽に射されれば、それはもう、瞑っているようなもの。常に右目に眼帯をあてがっている彼がそうすれば、最早、盲人。頭を丸めて陽に従う彼は冗談じみて聖人の様だ。
 「中で待てばいいじゃん」
 言うと、みつよしは口の端だけで笑った。
 「時にはお出迎えも悪くないんじゃないですか?」
 あ、そう。言ってワタシはbuzzの、アールデコ調の、重苦しい装飾の施されたドアを開け、みつよしの「つれないんですから」という気色ばんだ言葉を背に、細い廊下を進み、入り口とは打って変わって簡素で軽いドアを開けた。
 「あ、こんにちは」
 ドアの向こう、狭いスペースにひしめくパイプ椅子に体育座りをしたmomoが、何故だかTOBEFOOPERSスタジオ練習定番となっている挨拶「こんにちは」を告げて、イスから立ち上がった。
 「こんち」
 言って、ワタシは背負っていたギターをmomoに半ば投げるように渡す。
 momoの細い腕が楽器の重力に負けて、それでもかろうじて抱える。その様子は小動物じみた健気さを放ち、なんだか愛おしく、それでいてちょっぴり憎たらしい。
 「やだもうシーナ、最近なんでこれするの?痛いし怖い、重い、嫌!!」
 「ヒステリーは嫌いなんだよワタシ。momoはヒステリー?」
 「ヒステリーだよ、こんなの嫌い!大事にして!」
 「ギターを?」
 「わたしを!!!でもギターも!!」
 と、ワタシとmomoのやりとりに、不穏な影を察してか、みつよしが割ってはいる。
 「さあさあ、じゃれあいはそのへんにして、今日はCスタですよ、行きましょう」
 momoはわたしのギターを両腕で抱えながら、Cスタの重いドアノブ器用にを下げ、体ごと、ズイ、という感じに扉を開けた。
 鏡張りのスタジオの中では、既にスタンバイを済ませた町田が、地べたに座り、アンプに背をもたれながら、退屈そうに菓子パンを食べていた。彼女は、どういうわけだか、いつも何かを待つ間、菓子パンを食べている。ご飯なんてほとんど食べないクセに、ふいにカバンやポケットから菓子パンをモソリと取り出して、音も無く食べ始める。
 わたし達を視界に認めると、彼女は立ち上がり、手に残った菓子パンのかけらを一息に口へと放り込んだ。
 相変わらず『ワタシはマチダですがなにかヨウでしょうか、ないのならばシツレイします』といった風情の涼しげな無関心を湛えている。
 そうして、オーバーオールの前ポケット、練習のときによく着てくるオーバーオールの前ポケットに「苺スペシャル」と書かれた、菓子パンの袋を無作法にねじこんだ。
 ほどなくして、スタンバイが終わり、一曲目のカウントが始まる。
 何度も何度も繰り返し鳴らされたわたし達の音が、なんだか違って耳に響いた気がした。
 
 違和感を消したくて、ワタシは目を閉じた。

 momoの伸びやかな声が、わたしの書いた詞を歌い上げている。

 『甘い声に 嘘がにじんでいる 傷つけあう バカな遊び 信じていたクセに なんで? 裏切られたなんて 言うの?』

 わたしは いつかわたしが書いたその詞に

 ウルサイ

 そういうふうに、叫んだ

 声もなく

 目を閉じたまま


 
 -------

 午後2時。
 やけくそみたいにボロボロなライブハウスの前で、わたしとみつよしは、冴えない世間話で、文字通り時間潰しをしていた。
 momoと町田は、よく遅刻する。
 momoは早起きしても準備にもたついて遅刻、町田は寝坊。大概がそのパターンであり、きっと今回もそうだろう。
 十分もすると、町田がベースと機材をゴロゴロと引きずりながら、眼下の長い坂を上ってきた。左手には例によって菓子パンがにぎられていて、町田はいつでも町田だなと思わせる。
 「おはようございます」
 「はよ」
 わたし達の挨拶に、極めて小声で、たぶん、「おはようございます」と返した町田は、ブカブカのジーンズのポケットから、100円玉を取り出し、みつよしに手渡した。遅刻100円。TOBEFOOPERSがいつしか作ったルール。町田は目下のところ逆賞金女王で、本年度上半期だけで5000円以上の金額を記録している。一度、彼女はそれについて「泡沫の安寧を百円で買っている様なもの・・・」と発言した。なんだかよくわからなかったけど、とりあえずわたし達は笑った。
 そのうちにmomoが、お団子にしたまっピンクの髪を揺らしながら、パタパタと駆けてくる。
 わたし達は、さっさとライブハウスの中へと向かった。

 
 挨拶だのリハだのなんだのをすませて、信じられないくらい狭い楽屋に戻る。
 楽屋には既にスタッフの子達2人が集まっていて、のん気にお菓子などを食べていた。
 「シーナさん、これ、新しいカメラ、たくさん撮るね
 写真撮影担当のスタッフ、バーバラがピカピカのカメラを手ににっこりと笑った。こちらが照れるくらいパ ンクにきめまくっているバーバラの名前の由来は苗字の「馬場」から来ている。馬場と呼ばれるくらいならと編み出した苦肉の策が「バーバラ」だと「馬場」は胸を張って言ったものだ。
 「ねーテジナーニャ、今日はわたし黒がいいよ」
 momoがメイク担当の山上に両手を差し出す。彼女をテジナーニャと呼ぶのはmomoだけだ。momoは彼女にマニキュアを塗ってもらうのが至福なんだそうで、確かに、何も塗られていない爪は、退屈だ。
 「黒っすね、黒地に赤の水玉とかどーすか」
 「それがいいそれがいい」
 大概においてにこやかなmomoだが、山上の前となると、ほとんどエビス様のように、彼女は微笑みを顔中に湛える。ざっくばらんで、クール、どちらかといえば男っぽい山上とのコントラストは憎たらしいくらい微笑ましい。
 薄いピンクの爪、塗られ行く黒。momoの微笑みと鼻歌。いいかげんで、キレイなメロディー。
 確か、わたしと出会った時も、momoの爪は黒だった。
 ムラとダマにあふれた不器用そのもののマニキュアを、鮮明に覚えてる。
 確か、わたしはそれを、とてもとても好ましく思って、すぐに彼女を好きになった。
 その日にカラオケで歌声を聴いて、なんだか、水みたいな声だと思った。
 わたしは、その数ヶ月前まで、goregoreというバンドで、ギターを弾きながらボーカルもしていて、欠けた歌唱力を心で埋めるように、がなってばかりいた。ノイズみたいに。
 そういうわたしの歌とは全く逆で、彼女は他人の詩を自分の詩のように歌った。
 わたしはわたしが最高にラッキーだと思った。
 彼女に歌ってもらうんだ。
 そうするべきなんだ。
 「うん、いいよ、とっても素敵」
 そんな言葉で、彼女はわたしの思いを撫でた。
 それから、町田とみつよしと繋がり、わたし達はTOBEFOOPERSという名前になった。
 わたしは「冬の星座」という歌をつくり、テープを三人に渡した。
 「ねえ、シーナ、わたし、すっごくドキドキしてる」
 聴いてもいないのに、彼女の手は少し震えていて、頬が紅潮すらしていた。
 覚えてる。
 よく覚えてる。
 完璧にリピートできるんだ。
 頭じゃなくて、心臓が覚えている。
 初めてスタジオに入った日、バンド経験の無いmomoは緊張でほとんど顔面麻痺状態だった。
 みつよしのカウントが入り、冬の星座が始まった。
 やがて紡がれたmomoの歌声は、
 やっぱり、わたしが思ったとおりで、
 わたしの詩は、まるっきり彼女の詩として生を受けたんだ。

 
 本番一時間前、わたしは会場近くの喫茶店から楽屋へと戻った。
 momoは、来た時のお団子頭からはうってかわって、長いピンクの髪をキレイにオールバックにしていた。普段、少しばかり幼い印象のある彼女の顔が、化粧もあいまってか、端整で凛々しく変貌している。何の飾りも無い黒のワンピースが、まるで魔女みたいだ。
 町田はくるくるパーマの髪の毛をふたつに括って、バッジだらけのセーラーを着ている。無表情な顔に反する彼女の「可愛いもの好き」が全面に出ている。みつよしはいつものボーズにいつもの眼帯、いつものジーンズに、いつもよりちょっとだけ良さそうなTシャツ。
 山上がわたしを誘って、化粧を始める。
 鏡に映るわたしの顔が彼女の素晴らしい手際で、本来わたしに無いニュアンスで飾られる。
 気持ちが落ち着いていく。
 鏡の中の、どこの誰とも知れないわたしが、TOBEFOOPERSのシーナになっていく。
 化粧を終え、髪を整えて、胸のざっくりと開いた黒のシャツを着る。
 ほどなくして、会場にSEが流れ、観客の声が届いた。

 ドアを開け
 ペンライトで照らされる、たよりない道。
 その道が、今日はどこまで遠くへ続くだろうと、そんな風にわたしは思った。
 
 ずっと遠くまで行くために、わたしはギターに、手をかけた。


 -------

 momoの囁きに、観客の反応が返るほんの瞬間前に、音は放たれた。
 
 burst。

 結成当初から、まるで名刺の様に、一曲目にぶつけ続けた曲。
 冷静だ。
 いつも、わたしは冷静だ。
 指が、体が、心が覚えているコードを、意識と無意識が同時に現出させる。
 冷静になる。
 わたしは冷静になる。
 何度も何度も繰り返し紡いできた音が、今夜、またここに再構築されていく。
 冷静だ。
 冷静だ。
 今回は何が違うのか。
 ある日弾いたburstと何が違うのかわかる。わかる。
 ほとんど同じ
 ほとんど同じ
 ほとんど同じ
 でも違う 何が 言えるもんか 言葉なんかで
 信じないわたしは言葉を信じない信じない信じないんだよ、だって、だって、わたしは、わたしは、、わたしはなんでだろう、でも信じないんだよ言葉を、時々、時々、時々、信じないんだよ。なんでなんでなんでなんでなんだろうね。
 みつよしが、いつかより多くシンバルを叩いている。
 町田が少しだけ走っている。
 わたしは、わたしは、わたしは何だかおとなしいみたい。音だけが攻撃で、なんだろう、空白。まだ身体が音に対して空っぽ。息を吸うように、弾いている。
 あと何秒
 あと何秒
 あと何秒
 あと何秒で、
 
 今、歌

 声、momo、水みたいな、透明な、でも、なんでだろう わかる わかる
 濁っている?うん、少し。なんで?でも でも すぐ また透明。
 あなたが歌っているそれは、わたしが書いた詩。わたしが書いた言葉、わたしが書いた本当。
 本当。本当ってなんなのかな。
 わかんない、よく、わかんない。
 途切れた、音が、一瞬。
 ほら 息を止めた。
 さあ 走り抜けるように、Bメロ。
 少しづつなんかじゃない。
 瞬間的に、一瞬を一瞬で切り刻んだみたい。
 体液も神経もシンシンと冷たいのに、上も下も右も左も前も後ろも誰も彼も確実に明確に理解しながら見失う。音。音。弾く。空気、揺らす揺らす揺らす。揺らす。
 暴れだす。わたしは暴れだす。
 冷静なのに、わたしは冷静なのに、なんてなんてなんて暴力的で愛にあふれた気分。
 鳴れ歌え揺れろ壊れろ失え失え失えこんなにこんなにこんなにこんなに
 
 膨大な時間を孕んだ瞬間。
 瞬きで曲は終わり、みつよしのカウント。
 続く。
 続く。
 音楽が続く。
 自分で奏でていながら、耳だけが他人になってそれを聴いている。
 暴れてしまう。身体だけが暴れている。
 
 2つめの曲が終わる数秒前、ようやくわたしはリズムと鼓動の一致を覚え、正しい視界を得た。

 真っ黒い、魔女のようなワンピースのmomoが、町田のアンプの上に置かれた水に手を伸ばす。
 彼女に一切気を止めることなく、町田はベースをチューニングし、みつよしは手持ち無沙汰からか、スネアを一発叩いた。
 わたしは、冷たさと熱が混在した身体を持て余したまま、前を向いて、細く、長く、息を吸い、吐き出した。
 わずか30センチ程度の高さのステージ。視線は客とほぼ同じ。
 100人入ればいっぱいの会場に、一体、今日は何人入っているのだろう。
 最前列で警備役をしている青年は、押し寄せる観客に不快感を露にしている。
 わたしはこの小屋が好きだ。
 初めてTOBEFOOPERSがライブを演ったのもここだった。
 客は20人程度だった。
 おまけにそのうちの半数が出番を終えた対バンの面子と、わたしが前にやっていたバンド、goregoreの客だった。
 誰もわたし達を見ていなかったように思えた。
 けれどわたしは、それを好ましく感じていた。
 理由はよくわからなかったけど、たぶん、正しき期待を抱えることに成功した夜だったのかもしれない。
 そして、その20人程度のまばらな客の中に、彼がいた。
 出番が終わって、会場で適当な甘い酒を飲んでいたわたしに、彼は言葉をかけたんだ。
 「お疲れ様です、すごくよかったです」

 彼の、目は、なんだか優しかった。

 だから.

 最初、わたしは彼を「なんだか嫌だな」と思った。

 そうして

 ライブのたびに彼と再会した。

 覚えてる。


 わたしは

 ほんの少しの時間とほんの少しの言葉で 彼を好きになった。


  -------
 

 眠りから覚めたのは、今日も黒い時間。
 ただ、今日は黒いばかりでなく、小さな窓から小うるさく月の光が散っている。
 
 無自覚な手指が携帯電話のボタンを押す。
 『お疲れ様!!今日のシーナなんかすごかったね!!バイトだから最後までいれなかったけど楽しかったよ、お疲れ様!!』
 高校時代からの友達、松苗からのメール、受信日時は昨日の夜十一時。
 あの狭い小屋の人波のどこかに、松苗はいたんだろう。
 わたしはてんで気づかなかったし、考えもしなかった。
 考えもしなかった。
 考えもしなかった。
 わたしは、なにを考えていたんだろう。
 わたしは、なにを考えていたんだろう。
 自分が、自分達が鳴らす音のコト。
 自分が、自分達が鳴らす音の行く末のコト。
 進行形で再構築されていく名前の付けられた曲達のコト。
 水のような、momoの声のコト。
 温度や湿度やそれが自分に与える影響と鳴らされ続けている音との関係のコト。
 束の間訪れる忘我とそれを消し去る一瞬の隙間にどんな自分がいるんだろう、というコト。
 なぜ彼女は 自分で描いた詩のように のコト。
 暴れる自分といつもいつもいつも大人しい町田のコト。
 多田椎南というわたしの名前のコト。
 しーなん という 学校で呼ばれ続けた情けないあだ名のコト。
 次の曲はなんだっけ? のコト。
 この曲順表はみつよしが書いたな 達筆だもの のコト。
 中身が空っぽの「未来について」のコト。
 魔女のような黒いドレスのコト。
 深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く深く沈んでいく のコト。
 名前の無い のコト。
 まだつくって間もない初めてのアルバムのコト。
 その半分は彼と同じ部屋の中で描いた歌であるというコト。
 また半分は今と同じひとりの部屋で書いた言葉であるというコト。
 また前者の半分のほとんど全てをわたしは書き換えたというコト。
 彼のコト。
 彼のコト。

 情けなく軋むパイプベッドから立ち上がり、風呂へ向かう。
 山上が施した化粧を、わたしは本番の後も落とさずに、ただただ楽しいばかりの打ち上げの最中もその化粧のまま過ごし、今も、まだ。
 薄暗がりの洗面所で、鏡が何を反射してか微かにきらめいている。
 バカみたいだ。
 わたしはわたしの顔が映った鏡を見た。
 それはわたしではなく、TOBEFOOPERSのシーナ。
 そう、ただ山上に化粧をほどこされただけでわたしはわたしじゃなくなるんだ。
 それはルール。
 それは規律。
 中身を伴わない、ただの形。
 わたしがわたしじゃなくなるスイッチが山上の真っ赤な化粧箱と彼女の手であることを決めただけ。
 服を脱いで、まだ温度のあがらない冷たいシャワー。
 浄化。
 空想。
 やがて、しつこい眠り

--------------

 午後3時。
 客のまばらなファミレスの、八人がけの一番大きいテーブルに、わたし達、つまりTOBEFOOPERSの面々は集まり、退屈な学生の様にドリンクバーを飲んでいた。
 「少し遅れるそうですよ、事故渋滞らしいです」
 みつよしが携帯を見ながら、独特の低い声で言う。
 「とにかく、あと五分もすればつくそうです」
 彼の言葉に、momoは眠たげにアクビをこぼすばかりで、町田は非常識にも店内で菓子パンをもそもそと食べている。わたしは、適当な返事をしながら、トマトジュースをただただ飲む。チャップリンの手痛い失敗を真似て、塩をドバドバと入れながら。
 「ねえねえ、みっち、あの、そのミニコミって、どんなの?」
 momoが、今日、わたし達にインタビューをしたいというミニコミについてみつよしに聞く。わたしもそれがどういうものなのかわかっていない。
 「うーん、まあマイナーなアングラ系バンドを扱っているやつですね。特にこれといった特徴はありませんよ」
 「わたし達ってアングラ系?っていうの?どういう意味のことば?」
 momoの質問に、みつよしは小さく笑った。
 「よくわかりません。そう呼ばれるものがあって、彼らは僕達を同じ箱にいれた、と。それだけですね、僕がわかっているのは」
 「ふーん」
 momoが不満そうにピンクグレープのジュースを一息に飲む。
 飲み終わると同時に、
 「すいませーん!!お待たせしちゃいましたー!!!」
 感情的になったら、さぞや甲高い金切り声を出すだろうなと、背筋を青くさせるような声。
 振り向いた先には、ボロボロのテープレコーダーを手に、ネバアランドのピンクのワンピースを着た、見るからに年齢不詳な女性が一人、わたし達に向かってペコペコと頭を下げている。
 ドラッグクイーンのよなアイメイクが、少女趣味の服と不釣合い。
 奇抜さから生じる存在感が、彼女に言い知れない何かを与えているように感じた。
 「わたし今回、取材させてもらうミニコミ誌ネイキッドランチをつくっている、みみです!!よろしくお願いします!!」
 momoを盗み見ると、彼女は『面白そうなのきちゃった!!』といった風情で目を輝かせている。
 町田は、食べ終えた菓子パンの袋を丁寧に畳んでいるばかり。
 みつよしは「どーぞどーぞ」かなんか言いながら、彼女を席に誘導している。
 「遅くなっちゃったんで!!さっそくはじめましょか!!」
 みみと名乗った女性は、我々の言葉をまつことなく、ガチャリ、今時見ない古そうなテープレコーダーの真っ赤なrecを押し込んだ。
 
 テープレコーダーに一番最初に入った音は、たぶん、町田の菓子パン袋をポケットにねじこむカシャカシャというノイズだった。
 

 -------


  

 みみ、と名乗った女性がテープレコーダーをテーブルの真ん中に滑らせ、ボロボロのメモ帳を開く。
 「えーと、まず、自己紹介、今さらかもですけど、順番にお願いします!!」
 皆がいっせいにmomoを見る。
 自己紹介はヴォーカルからという不文律に全員がよりかかった。なにせ自己紹介というのは、たいていの人にとって照れくさいもの。事に、こうした特殊な状況ではなおさらだ。午後のファミレスで、テープレコーダーに向かって自己紹介なんて、わたしだったら、嫌。
 「えっと、momoです。TOBEFOOPERSの歌、ボーカルのmomoです」
 みみがドラッグクイーン顔負けの睫毛をしぱしぱと瞬かせ、微笑む。わたしには少し不気味なその表情にmomoはほっとしたのか、にっこりと微笑み返し、目線を町田へ投げた。
 「ベース、町田育美・・・」
 相も変わらず、口数と表情の少ない・・・
 「ドラムのみつよしです」
 さらりとみつよしが自己紹介をこなし、残るはわたし。
 カチリ、と頭の中で音がして、何がしかのスイッチが入り、滑らかに言葉がこぼれた。
 「hello、シーナ。TOBEFOOPERSのギター。よろしくね」
 みみとやらが、またもしぱしぱと瞬き。
 やっぱり、不気味だ。
 「えっと、まず先日、初のアルバム、childsongを発表なさいましたが、発表までの経緯はどういう感じでしたか?」
 なんだか、変な質問の仕方。
 「んーとね」と、momoが率先して答える。
 「その前にね、bloomっていうデモテープを200本だけつくったの。ずっと前だけど。その時にアルバムも作りたいねって話してて・・・それから出来ました」
 なんだか、変な答え。
 きっとみみとやらの求める答えとは全然違うんだろうけど、みみはニコニコと微笑んでいる。momoもmomoでそれに応えて微笑んでいる。なんなんだろう、この二人。
 「そのデモテープは4曲入りだったんですよ。結成間もなく作ったものですからね。それから曲が増えていって、で、今回アルバムにしようと。経緯といっても、ごく自然な流れでそうなった、という感じですね」
 みつよしの、そつのない答え。
 みみの頷きを確認して、さらに続ける。
 「なによりシーナさんが次々と曲をつくるんですよ。アルバムは12曲ですが、デモテープ作成から現在まで、25曲つくってます。ライブで数回やっただけの曲から、スタジオでうあっただけの曲も含めてね。それをここで厳選しようという向きも、ありましたね」
 優等生め。
 「そう!!わたし、アルバムに入ってないけど好きな曲あるもんね」
 momo、すぐ浮かれる。お調子者。
 「ほとんど全ての作詞作曲をシーナさんがなさってますが、アルバム収録曲と、収録からもれた曲に、具体的な違いはありますか?」
 みみの質問に、反射的に思いを巡らせる。
 思い出したくないことは思い出さないように、わたしの頭は慎重に動いた。
 「選んだのはわたしだけじゃないからね。でも、前やってたバンドの曲に似てるのは避けた。どうしたって、そういう曲は出てきてしまったから。後は・・・まあ、あまり考えずに、みんなと話したらすんなり決まったよ」
 同意を求めるように、みつよしを見る。
 頷くみつよし。
 町田は無関心な感じ(実際、無関心なんだろう。わたしは彼女の性格を知っているつもり)でコップの水滴を薬指でなぞっている。
 「ごめんなさい、ちょっと、いいですか・・・タバコ
 言って、みみが真っ赤なポーチからタバコを出した。
 と、momoが身を乗り出した。
 「あ、ガラム!!」
 「momoさん、吸ってらしたんですか?」
 「ううん、違うよ!シーナが少し前までそれ吸ってたんです!!」
 「どうぞお気になさらずに」とみつよしにうながされ、みみはタバコに火をつけた。
 ガラムの甘い香りが、ゆらゆらと天井へと向かう。
 なつかしい。
 なんだか少しばかし懐かしい。
 何ヶ月か目まで吸っていた。
 数ヶ月。
 たった数ヶ月前なのに
 懐かしいと思うのは、きっと、心が何度も揺らいだ数ヶ月だったから。
 甘い匂い。
 大好きだった、白い白い煙。
 バカみたいだ。
 バカみたいだ。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 みみが、インタビューを続けている。
 バカみたいだ。
 わたしは、問いに答えたいわけじゃないのに。
 きっと きっと 逆。
 まるっきり、逆だよ。
 
 インタビューは続いた。
 みつよしの、そつのない答えで紙面は構成されるだろう。
 それは、なんだか安心できる。
 なんだか安心できるよ。
 momoの無邪気も町田の無関心も、今のわたしの心には、上手くはまらなくて、みつよしの選ぶ言葉に、ひどく退屈な安らぎの気配を、近頃のわたしは感じている。 
 なんでだろう。
 わかっているよ。
 

 ああ、バカみたいだ。
 

 -------


 眠って、覚めて、眠って、覚めて、眠って、覚めて。
 また眠って、覚めて、眠る直前の昼、13時、携帯電話の向こうでみつよしが喋った。
 「ごきげんよう」
 なにが、ごきげんよう、だ。
 「この前取材をうけたミニコミの刷り出しをもらったんで、それを渡そうとね」
 「それだけのために、出て行けって?わたしゃこれから寝るとこだったんだよ」
 「いいじゃないですか」
 「いいけどさ」
 「今、家の前です、待たせないで下さいね」
 みつよしは勝手に電話を切った。
 わたしの性格、わかってる。
 古着屋の量り売りで、一枚50円かそこらで買ったスヌーピーとライナスのTシャツを着て、ぶっといジーンズを履いた。高校生のときから使っている、サイケな花柄のベルトでガバガバなウエストを締め上げると、少しだけ「行動しよう」という気になる。
 裸足のまま、これまた高校生の頃に買ったズタボロのマーチンを履いて、カンカンと音をたてながら階段を降りる。降りる。降りる。
 螺旋状の階段、
 ぐるぐるぐるぐる下って下って、しばらくすると眼帯の男が小さく見えて、その眼帯の男が着ているシャツが血みどろウサギのシャツだと気づき、なんとなく頭の隅っこが無意識に微笑んだ。
 血みどろウサギ、は町田のラクガキが生んだキャラクターで、いつからかみつよしは、無地のシャツを
買っては、町田に落書きを求めるようになった。
 それは、わたしには、好ましくて、微笑ましくて、世界にそんなにはない「愛すべきこと」のひとつとなっていた。
 
 「上階からお疲れ様、どうぞ」
 みつよしが薄い薄い薄い薄い拍子抜けするほど薄い冊子を手渡した。表紙にはネイキッドランチと手書き風の文字が印字されている。目を凝らさなくてはそれが人物であると判別出来ないようなガビガビの写真がスクラップのように一面に散らかっている。
 「どーも、どーぞ、受け取ったよ。これからアンタはどうすんの?」
 「よろしかったら、お茶でもどうですか?」
 言って、みつよしはこれまた町田の血みどろウサギの描かれたサイフを取り出した。おごるよ、のサイン。
 「もし、アンタが男前に生まれてたらと思うと、薄ら寒い気になるよ」
 「同感です、僕は男前と美女が嫌いですから」
 「あ、そ」
 「そう。行きましょう」

 みつよしに案内され、歩くこと5分。
 前々から気にはなっていたが、入ったことのなかった喫茶店。
 少し古い感じの、おしゃれでもなんでもない、とりあえず10年ほどやってますみたいな店。
 二人してアイスコーヒーを頼む。
 なんの飾りも無いただただ普通の透明グラス。一緒に運ばれた小さなミルクピッチャーにリアルなフラミンゴが描かれていて、なんとなく気持ちが安らいだ。こういうものが、わたしは好きだ。
 「ダラダラとファミレスで喋っても、記事になるもんだね」
 渡された冊子、わたし達のインタビューが載っているページには、端々にバーバラこと馬場が撮影したライブ写真がちりばめられている。
 「どうですか?自分の言ったこと、覚えてる?」
 わたしは、ぼんやりと反芻する。
 でも、浮かぶのは、みみとやらのバチバチの睫と不釣合いな可愛い服ぐらい。
 「シーナさん、アナタ、最近おかしいですね」
 カラン、と、氷が溶けて降りる。
 ミルクピッチャーのフラミンゴ。無表情。
 「うん、おかしいよ。momoも町田先生も思ってるだろうね、わたしも思ってるもんね」
 「ええ、思ってるでしょうね。もともとあなたが躁鬱気質っていうことは、みんなわかってるでしょうけど、それとは違う意味で、おかしいですよ」
 いいかげんな攪拌で、まだドロドロのミルク、コーヒーと混ざること、拒んでる。
 「ちょっと暗くて、攻撃的。程度のささやかなものなんですが、なんとなく質がね・・・」
 「質が?」
 「心配させるような、ね、質ですよね。突然、集中力がなくなったりね」
 眼帯の男。
 彼の洞察を、わたしは楽しんで聞く事が多かったが、自分に直接言葉として向けられると、なんともジャマくさい。けれど、なんとなく素直になってみてみよう、という前向きな気持ちを覚える。彼の、死んだ魚のよな目が生む効用なんだろうか。それとも、わたしが全てを面倒くさがっているからか。
 「理由、知りたい?」
 みつよしは、軽い咳払いをして、あごの下に手を置いた。
 「ええ、聞きたいですね。そうでないと」
 「すごくすごく、つまんない理由だけどね」
 「面白い理由なんて、この期に及んで期待してませんよ」
 彼の声に、優しげな笑いの気配が混ざった。
 なんだか、捨て鉢な気分になる。
 テーブルの上に、ちょこんと町田の書いた血みどろウサギの顔がのぞいている。
 ドアベルがカラカラと情けない音を鳴らし、来客を告げる。
 窓際に置かれている観葉植物が、今にも落ちそうな位置に置かれていて実はわたしはそれがずっとずっとずっとずっとずっと気になっていて、ガチャンとガチャンとガチャンとそれが落ちる場面をコーヒーを啜りながら何度も何度も何度も何度も何度も思い描いていた。だからどうした、と、それがなんだ、と、そうなったらたいへんだ、と、きっとそうならない、と、いつかはそうなる、がちびくろさんぼみたいにわたしの頭のまわりをグルンリグルンリグルンリとまわってまわってまわってバターになどなることなくグルングルングルングルングルン「ねえ」が「ねえ」が、いつかのわたしの「ねえ」が色と音と温度を保ったまま、まだ胸にあることを、ガムシロップの蓋にドロドロの雫が「ねえ」そう、あの日の、いつの?わかんない、あの日の「ねえ」がとにかく今こんなクソ退屈な喫茶店の中に行き場無く浮遊して浮遊して浮遊して、はやくはじけてしまえばいいのに、航空科学博物館の帰りに知らない少女が持っていた風船みたいに、でも、あの子のよにわたしは泣きなどしないだろう。それがはじけたぐらいで、それがはじけたぐらいで。

 「男にふられたんだ あはは」

 

 ね、わたしって、すごく、バカだ。
 くだらない。


  -------

 

 午前三時。
 細かく言うと、午前三時七分。
 「男にふられたんだ、あはは」
 昼間、ワタシがみつよしに言った言葉。
 こうして、反芻すると、まるっきりマヌケな言葉だ。
 様子の変わった友人に、理由を問いただし、こんな言葉が返ってきたら、わたしはきっと、みつよしのようには反応しないだろう。
 みつよしは、極めて真面目な顔で「細かく聞いていい話ですか?」と視線を真っ直ぐワタシに投げた。ワタシはワタシで何かを隠そうとしてか、彼の顔を真っ直ぐ見ていた。気とられたくない何かが全身を這いずりまわっていた。
 
 正確には、ふられたんじゃ、ない。

 そもそも、ふるとかふられるとか、そうしたはっきりしたコトだったら、いっそ気持ちがよいよ。
 ワタシは、
 ワタシ達は、
 つまり、ワタシと「彼」は終わりの気配の中でそれを見ぬふりをしている。
 つまり、その終わりの気配がしっかりと見えているし、感じてもいる。
 もっと言えば、理解している。
 当たり前だ。
 自分達でつくったものなんだから。
 「やめろ」と言われた。
 わたしは「やめろ」と言われた。
 音楽を「やめろ」と言われた。
 言ったんだ、彼は、ワタシに。
 言い方は全く違ったけれど、彼はワタシに「やめろ」と言った。
 言われて、ワタシは、
 「わかった。やめるよ」
 と答えた。
 「やめて欲しいなら、やめるよ」と答えた。
 彼は、小さく笑った。
 それは安堵と呼んで差し障り無い笑いだったはずだ。
 彼の安堵に、わたしは微笑んだ。微笑んだはずだ。
 そう
 わたしは、バンドをやめることを、彼の言葉で簡単に決めた。決めることが出来た。
 それは意外でもなんでもなかった、
 彼がわたしに「やめてほしい」理由なら、聞くまでもなかったし、理由なんてどうでもよかったんだよ。
 求められたら、応える。
 お互いが、そんな自棄に似た快感で繋がっていたんだ。
 バンドをやめることを決めた翌日、いつものようにスタジオ練習に向かい、そのままバンド脱退をメンバーに告げるつもりでいた。理由を聞かれたら、そのまま正直に答えるつもりでいた。何を言われてもしかたがないといった、なんだか自暴自棄な気持ちで、ワタシはギターを抱えて、スタジオbuzzへと向かったんだ。
 その日、スタジオの細い細い待合室には、珍しく町田が先に来ていて、クリームまみれの甘ったるそうな菓子パンを、パイプ椅子の上に土足で体育座りをしながらモソモソと食べていた。
 「町田先生、実は今日は話があるんだ」
 さっさと告げようと口を開くと、町田はクリームまみれの菓子パンをワタシに向かって、まるで拳銃のように鋭く突きつけた。
 驚いて言葉を止める私に、彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、
 「食べて・・・」
 と言った。
 「なんだよ、大事な話があるのに」
 「おなかいっぱい・・・食べて・・・」
 視線をパンから彼女に移す。オーバーオールの胸ポケットが食べ終えた菓子パンの袋でパンパンにふくらんでいた。きっと事情があって術なく早い時間に来て、ずっと菓子パンを食べていたのだろう。
 「大事な話・・・嫌いだから・・・そんなことより、食べて」
 ワタシは町田の手からパンを奪うように取り、口の中にねじこんだ。安っぽい甘さが口中に広がり、なんだか吐き気がした。
 むりやり飲み下すと、町田は今度は三ツ矢サイダーを突きつけた。
 またも奪うようにそれを取り、飲む。
 炭酸がまるっきり抜けていたそれは、ただただ甘く、ぬるい水。
 なんて気持ち悪い食事だろうと、ワタシは彼女に薄気味悪さを感じて眉をひそめた。
 大事な話が嫌いという言葉も、あまりに彼女らしくて、なんだか気味が悪い。他人に全くこだわらない故の冷淡で緩やかな拒絶を、町田はいつでもまとっていて、それは時々たまらなく愛おしいけれど、なんだか凄く不愉快だった。
 大事な話なんかしなくていいという彼女の言葉を遮ってまで、ワタシが脱退する旨を伝えても、きっと彼女は「あーそう」という感じの反応しか示さないだろう。その予測も込みできっとわたしは不愉快さを覚えたんだ。
 
 「わたし、バンドやめるよ」
 率直に告げた。
 彼女は、パイプ椅子の上に体育座りしたまま、顔だけをこちらに向けた。
 緩慢な動きだった。
 「ごめんね、事情があって、やめるんだ」
 数秒の間を空けて、彼女は口を開いた。
 目は、ワタシの顔を見ている。
 むくれた少女のような視線がワタシの目に注がれている。彼女の、いつもの、目。
 「好きじゃないんだね・・・」
 彼女の声は、いつもより大きく、透明な響きを湛えていた。
 「TOBEFOOPERSが、好きじゃないんだね・・・椎南は」
 ワタシは、予想と違う彼女の反応に困惑して、一瞬、思考が停止した。ワタシの言葉を待たずに、彼女は言葉を続ける。
 「わたしも・・・椎南に誘われて前のバンドを簡単に辞めた・・・それは好きじゃなかったから・・・」
 「あんたは、どうなのよ」
 ワタシは質問に答えずに、逆に質問を返してしまった。
 町田は、ゆっくりとした口調で、しかし間髪入れずに答えた。
 「好き・・・ベースを弾くのが楽しい・・・」
 照れもてらいも無く、彼女は、言った。
 「椎南が新しい曲をつくってくるたびにドキドキして楽しい・・・」
 そうして、彼女は顔を自分のヒザに埋めて、今度は、いつもと同じに、小さな小さな声

 「やめないで・・・」

 ワタシは、彼女の小さな小さな背中を、黙って見つめていた。
 町田の反応がこんなにも予想と違うのは、ようするに、いかにワタシが他人を見ず、自分ばかりを見ていたか、という事。
 それっきり、彼女もワタシも喋らなかった。

 そのうちに、momoとみつよしが現れて、町田はすぐにいつもと同じ様子へと戻った。
 
 結局、ワタシは二人にはバンド脱退を告げられず、なんとなく上の空で練習を終えたんだ。

 
 -------

  「久しぶりー!!!」
 電話の向こう、松苗の元気な声が寝起きの鼓膜にペトリと張り付いた。
 丁寧に剥がしながら、わたしはまだ眠っている唇に水をかける。
 「久しぶり、久しぶり。ねえ、松苗?いま何時?」
 「シーナ、怒ってるの?」
 「怒ってない。それを危惧するような時間だってことだけ今わかったわさ」
 「えっとね、3時27分」
 黒い時間。ほっといてもわたしが目覚める頃合いの。
 「昨日やっとアルバム買ったよ。childsong。よかったよすっごく」
 「へえ、ありがと。どこで買ったの?」
 「匣庭って店だよ。はじめてああいう店入ったからもうドキドキだったけど」
 ちなみに、匣庭っていうのはインディーズ専門店で、CDよりテープのほうが多く、またCDショップをうたっておきながら、店舗の半分がゴシックだかなんだか知らないが、SM的なあれこれで占められた気味の悪い店。
 松苗はと言えば、はやく言えば、そういったものとは全く縁のない人間。そんな彼女がそうした店を調べて足を運んでくれたと思うと、それはなんて嬉しいことなのだろう。
 そんなに嬉しい報告に、わたしの胸が潤む気配すらないのは、何でなんだろう。
 「言えば、あげたのに。わざわざ買うなんて」
 「いーじゃん。買いたかったの」
 「どの曲がよかった?」
 わたしのオザナリな質問。
 電話の向こうで、パラパラと歌詞カードをめくる音。
 「これかなー、splitって歌。これが好きだった。ライブでも何度か聴いたけど」
 頭の中で、ほとんど自動的にその曲が再生される。
 「あのね、わたしシーナの歌詞好きだけど、これ特に好きなの」
 言って、彼女は、わたしの書いた詞を読み上げた。
 「優しい人の心が憎くなるよっていうところ、なんか、好きだな私」
 優しい人の心が、憎くなる。
 何が嬉しくてわたしはそんな歌詞を書いたのだろう。
 その詞の、どこがよいというんだろう。
 「ずいぶん、暗い詞が好きなんだね、アンタ」
 「そうかな?わたしはシーナを知ってるからだろうけど、全然暗い詞じゃないよ」
 どういう意味だろう。 
 うまくかんがえられない。
 わたしはその詞を書いた状況を思い出す。
 splitは、結成当初からあった曲。
 アルバム収録において、歌詞を変えた歌。
 どうして変えたんだった。
 どうして変えたんだった。
 べつにこれだけじゃない。
 あのアルバムはほとんど歌詞を変えているじゃないの。
 どうして?と思うことを、誰からもなく許して欲しい。
 そうして?なんて思う必要などなく、わたしは(たぶん)明確にその理由を知っている。
 「シーナは、どの曲が好きなの?」
 わかんないよ。
 わかんないよ。 
 「わかんないよ」
 そのままそのまま言葉にかえた。
 「そういうもんかー」
 松苗が、高校3年で出会った頃と、何も変わらない、あの頃と同じ調子で応えた。
 『バンドをやめる』と、町田に告げた数日後に、アルバム作成の話は持ち上がった。
 『やめないで・・・』と町田に言われた数日後と言っても同じ。
 「最後の思い出」
 わたしは、『彼』にそう言って、アルバム作成の猶予を築いた。
 それは、はやく言えば嘘で、わたしはわたしで揺れていた。
 彼の望むままバンドをやめたかったが、町田にはやめないでと言われた。
 わたしは、その二つを天秤にはかけなかった。それはたぶん、あまりにも質の違う二つだったから。
 そもそもアルバムの話をもちだしたのはみつよしで、momoも町田もすぐに賛成の意を示し、「すぐにつくろう!!」とわたしに迫った。すぐさま収録曲をどれにするかという話になり、数日にわたって練習後の数時間がその会議に費やされていった。
 それは部活動(わたしは知らないから、予想だけれど)のよに楽しく、充実した時間で、作業はスムーズに進んだ。
 収録曲が決まり、スタジオ録音の段取りも全て整った頃、わたしは、急遽ほとんど全部の曲の歌詞を書き換えた。
 べつに、大幅に、じゃない。
 一行、二行の話。
 なかには半分ほど改編したものもあったが、それは例外。
 それについてmomoは「どうして?」と聞きはしなかった。
 「わかったー。間違えないようにしなきゃ」だって。
 アルバムの録音は、スタジオに缶詰、丸3日で終わった。
 ヘトヘトのまま、部屋に帰ると、部屋には彼がいてその日わたしは二人で録音終了をささやかに祝った。
 「で、いつになる?」
 彼の言葉に、わたしは、たしかこう答えた。
 「わたし、わかんない」
 聞くと、彼はしばらく黙って、そのうち床で寝息をたててしまい、わたしもその横で同じように眠った。
 彼の吐息に、ひどく不安をかきたてられたのを覚えてる。
 不定形で、輪郭の焼けた、あまりに形の無い不安。
 
 それは、その日見た夢と一緒に、明確に記憶されているんだ。
 

 -------
  

  「こんばんは、TOBEFOOPERSです」
 言った瞬間、音楽は始まった。
 それは怒声のようでもあり絶叫の様でもあり、ただたんに雑音。
 雑音。
 雑音。
 雑音。
 そこに歌をみつければ、その人にとって歌になる。
 雑音。
 雑音。
 雑音。
 momoのピンクが、視界の隅に映る。
 私の手は正確にフレットを追い続けてドラムに、ベースに、追従し、瞬間、追い越す。
 三曲をたて続けに演奏し、チューニング。
 いつものパターン。
 「シーナァァアア!!!」
 客席の誰かが、奇声のよに私の名を呼ぶ。
 なんの飾りも無い、魔女のような黒いワンピースのmomo。汗を浮かばせ、水を飲んでいる。その向こう、外人の喪服を着た町田。舞台だというのに、黒いメッシュで顔面全てを隠している。チューナーも見えないだろうに。タン、と、スネアを一発、みつよしが弾いた。いつもと同じに、血みどろウサギのTシャツ。
 ―暑い。
 200人入ればいっぱいのハコに、いったい何人入っているのか。
 アルバム発表後、動員が目に見えて変わった。
 ノルマも自腹も怖くない。
 それは、なんて喜ばしいことだろう。
 本当は、すごくすごく喜ばしいことだろう。
 緩い速度で、バスドラ。
 徐々に徐々に加速していく。
 momoが、マイクの前に帰る。
 町田、開放弦。
 加速、加速、加速を続けるバスドラ。
 惰性か反射か、ギターが激しくハウる。
 ノイズ。
 町田、踏み込むファズ、歪む歪むベース。
 あ、 と。
 リズムが始まった。
 ノイズを弾いてコードを鳴らせば、曲が始まる。
 曲の始まりは、ギターである私に委ねられている。
 万能感。
 この、万能感。
 飽き足らずシンバル。ベース歪んで散って、蛇みたい、うねるうねる。
 私だ。
 あとは私。
 momoは手を後ろで組んだまま、真っ直ぐ前を見ている。
 待っている。
 待っている。
 歌を。
 歌を、待っている。
 始まりを促し、ドラムが激しさを増す。
 棒立ちの私、もう、もう、ノイズもノイズじゃない。心地のよい、暴力。
 
 momo、絶叫。
 私、           ―鳴らした。


 
 数十分。
 アルバムのほとんど全部の曲を演奏し、今、最後の曲。
 冬の星座。
 観客が、跳ねている。
 予定調和。
 予定調和。
 この予定調和が好きだった。
 最後に冬の星座を演奏して、跳ねる客を見るのが好きだった。
 過去形、頭の中。
 なにが違うんだろう。
 私、このバンドを、やめるのかな。
 疑問系。
 「バンドを、やめてほしい」
 たぶん、たぶん、
 それは私がほとんど全ての時間をバンドに使っているから。
 彼は、TOBEFOOPERSでない私を愛しているから。
 もっと、いつも同じ時間を過ごしたいから。
 私も、ほとんど同じ。
 でも、私は時間を、TOBEFOOPERSに使う。
 それは、なんでだろう。
 町田は、私に「TOBEFOOPERSが好きじゃないんだね」と言った。
 そんなこと、ないよ。
 あれから、考えてみたよ。
 よくわかんないけど、そんなことは、ないよ。
 無意識で、ギターソロ。
 当たり前だよね。
 最初に出来た曲だよ。
 ずっと、弾いてる曲だよ。
 
 だから、こころがばらばらでも、こうしてそろってしまうね。
 
 演奏は、終わった。

 3人がはけても、なんとなくわたしは、そのまま立っていた。

 振動をやめて退屈を持て余したギターが、不愉快な高周波で泣いてる。
 
 たくさん、わたしをよぶこえがした。

 袖から、町田が私を見ている。

 それは、葬列からはぐれた参列者みたい。

 私の口角が、あがった。

 たぶん、笑ったんだ。

銀の舞台

 例えば、お気に入りの雑貨屋なんかに行った時、言いたくないけど「かわいい」といちいち言ってしまう様に、私はこの小説を読み返して、いちいち思いたか無いけど、懐かしい、と思ってしましました。
 
 読んでくれてありがとう。

 今年(2013年)、TOBEFOOPERSは後ろから追いかけるエンドロールに従う形で解散しました。
 思えばいつもソイツに追いかけられていて、作中書かれた時期も、常にそれに追いかけられていました。
 引き離したり、追いつかれそうになったり、時には背中に触れられて、それでも逃げて逃げてやってきたという感覚です。
 全速力で逃げ続けた結果「眠るまで喋って」というアルバムにたどり着いて、それでオサラバなんでした。
 
 今でも細々と音楽の活動はしていますが、TOBEFOOPERSは、もうムリだなあと思います。
 それは大仰な事では無く、もっともっと明るく軽やかな、予感に過ぎません。
 
 けれども、同じ予感を作中の私も確かに感じていて、でも逆らい続けていたのでしょう。
 
 予感などという曖昧なものに必死に楯突いていた私達。

 読んでくれてありがとう。

 またいつか何か―。

        シーナ。 

銀の舞台

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted