水無月の夜に

 月の、欠片をもってる。まよなかの、バウムクーヘンやさんは、片足のない猫と、こどもの幽霊がやっていて、わたしは、ときどき、バウムクーヘンを買いに行く。きみは、チョコレートでコーティングされたやつがいちばん好きといって、わたしは、いちばん、プレーンなやつが好きで、ここのバウムクーヘンは、年輪を、いちまい、いちまいと、じょうずにはがしてたべられるので、よかった。こういう、幼子みたいなたべかたを、無性にしたくなるときは、日々の生活に、ちょっとつかれてしまったときのような気がしている。組織、というものに属して、えらいひとの命令にしたがって、やりたくないことをやって、やらなくていいことも、やって、まわりに同調することで、なんとか、わたし、という存在を保てていると、如実に感じたときの、むなしさ。
 あしたはあしたの、風が吹きますよ。
 お会計のあと、こどもの幽霊がいつも、ありがとうございましたのまえに、そう微笑んでくれる。いまにも消え入りそうなくらい、からだは透けているのに、声は明朗で、はっきりとしている。バウムクーヘンをつくっている、猫も、厨房から顔をのぞかせて、おだやかな笑みを湛えている。暗い夜道を照らす、灯りみたいだ。きみと、わたしの、ふたりぶんのバウムクーヘンが、ミントグリーンの紙袋のなかで、なかよく寄り添っていて、それだけでちょっと、胸が震える夜だ。

水無月の夜に

水無月の夜に

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-06-09

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