波の花が開く頃

 西の方から、海が、すこしずつおしよせてきて、境界線を失くしてゆく。融解。わたしたちと、さかな。交わる頃には、追憶も、泡沫となって、やさしさの余韻に浸る。だれかの、独りよがりな幻想に、心臓を、つめたい手でつかまれたみたいに、傷ついて、傷つけて、じぶんがいちばんかわいいのが、にんげん。さかな、なまぐさいかと思ったけれど、陸で、空気に晒された彼らよりも、海水のなかで泳ぎ回る、あるべき姿に触れれば、それは、単純に、わたしたちとは異なる生きものの、けれども、おなじ命を宿した、なかまである。この星の。現実で、そう、たとえば、適切な年齢に結婚をして、子どもを産んで、子育てをすることを、正当なものとしている、未だに、ここはそういう社会なのだと、ある夜、はじめてはいったバーで出逢った、髪の長い女のひとがぼやいていた。わたしは、海のような青い色のカクテルを飲んでいて、女のひとは、ハイボール片手に、ピスタチオをつまみ、背景で流れている音楽は、しらない国の言語の、子守唄を想わせた。なにが正しくて、まちがっているかなんて、わからない。えらいとか、えらくないとか。わたしたちが、海に還ることは、不自然なことで、子どもを産み育てることが、自然なことなのか。
 いつのまにか、なにもない、大海原にいた。

波の花が開く頃

波の花が開く頃

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-30

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