理由なんて

 くるしいときに、きみは、海になって、ぼくは、魚にあこがれて、日々は、泡沫となって、いまはもう、この星が、星として機能していることが、奇蹟として、世界は破滅に片足を突っ込んだあたりで、ぎりぎり、なんとかまわっている、というのが正しい表現であると、ラジオで専門家のひとが言ってた。ものおぼえがわるいみたいに、おなじあやまちをくりかしている、人類、が、でも、愛されるのって、まっとうだと思った。魚は、エラ呼吸なので、肺呼吸ができる、にんげんは、やっぱり魅力的だったし、真夜中に食すカップラーメンの罪深さにくらくらするのは、にんげんの特権だった。好きなものを好きな理由って、やっぱり、うまく言葉にできなくて、からだのなか、こころや、血、肉、神経、脳、骨まで、つまりは、ぼく、というにんげんを構成している、すべてのものが、好きだと感じているのだから、それはもう、理屈抜きで好きとしか言いようがないのに、ひとは、好きな理由はなんですか、という問いが好きだなぁ。海になったきみに抱かれる夜。さみしいが消え去って、愛しいがふくらんだあとの、一瞬の、うれしいとこわいのはざまの、足場を失った浮遊感に似ている。

理由なんて

理由なんて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-15

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