記憶の断片

 おかあさんのおなかのなかに、一瞬、かえったような錯覚。は、だいたい、お風呂にはいっているとき。ゆらゆらと、水面越しに、ゆらめくからだ。きみの心臓に、はやくなりたいのだ、ぼくは、夏がくるまえに、はやく。きみのためにうごくだけの、臓器になりたい。一部である。きみ、というにんげんを構成するひとつの、部品。テレビでは、くりかえし、くりかえし、流行りの歌をながして、みんなが聴いてる歌がすべてみたいに、そういう世界にしているのはきっと、メディア、というもので、こころに響く歌が正義って感じ、ちょっとにがてだ。真夜中になったら、どうか、きみを傷つけ、よごすものがひとつずつでも、きえてなくなればいいと思う。あのときだけ、眠りをともにしたしろくまの寝顔を、いまでもときどき、思い出すことがあって、そのまえの、眠るまえのあれこれについての記憶は、わりと曖昧だった。しろくまの体温とか、指のうごきとか、舌の感触とか、そういった、なまなましいのもだし、しろくまの、あの、からだのおおきさにまけないほどの、おおらかさだとか、やさしさだとか、そういうのも、すり切れたフィルムを観ているように不鮮明なのに、寝顔だけは、なぜかはっきりと覚えている。ビジネスホテル然とした、ラブホテルでのこと。

記憶の断片

記憶の断片

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-12

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