俗世の春にかりそめの平和
わたしたち、という生きものの、はじまりとおわりについての、果てなさに、めまい。夜の、きみの指だけが青白く、闇に浮かんで、さまよう。まだ滅んでいない、電話ボックスにて、ふたり、おとことおんなが、ひそやかに微笑みあっている光景を、切り裂くみたいに、星が落ちてくる。もう、この町はだめだって、えらいひとがいっていた、テレビのなかでさ、えらそうに。だれよりも、きっと、ミル・クレープが好きな、二丁目の、喫茶店のマスターである、あらいぐまが、えらいひとはえらそうだけれど、えらいからゆるされるのでは、と言って、わたしは、えらいひとはたしかにえらいけれど、えらいからってえらそうにいうのはちょっとね、と言って、きみが、やっぱりナポリタンにする、と言って、喫茶店のバックグラウンドミュージックは、耳馴染みのあるクラシック音楽で、でも、なまえはわからない。つくったひとも。そういうことって、多々とある。世の中。
俗世の春にかりそめの平和