二月・三

 以前、出汁は如何様に抽出すべきなのかラジオで議論されていたのを聴いたことがある。パーソナリティはおなじみのミスター・モンマルトルで、今日はブルー・フラワーズの陶磁器にチャイを伴していると番組の冒頭で語っていたから、つまりチャイを嗜みながら、出汁の旨味について、実に器用に語られていたわけである。この番組では必ず冒頭にどんなお茶請けがあるか説明されたのち(前述の通り器にも言及がある)、実際にお見せできなくて残念だよ、とミスターが肩を竦めるところまでが一連の流れとなっているが、もっとも、その肩を竦めた様子すら見ることができないわたしたちからしたら、どこまで信用すべきか細やかな疑念を抱くほかない。
 その出汁談義では、三つの方法が論じられていた。伝統的な昆布や鰹節などを煮る場合そして水出しする場合と、市販のパックを煮る場合そして水出しする場合、合成粉末を使用する場合の三つである。色々話し合われたが、結局どれが一番などという回答は出されず、みんな違ってみんないいという結論に至った。それを聴いた店主は、この十五分損したと言っており、他人事のノラは、じゃあこの店で食べ比べをして出汁ワンを決めようじゃありませんか、と言った。出汁ワンつまり出汁の中の一番という意味である。
「くだらない……。」
 わたしはつい、思ったことをそのまま口に出してしまった。言って、二人に凝視されてから、はっとした。慌てて、「ミスター・モンマルトルの言う通り、どれにもいいところとそうでないところがあって、それぞれ尊くて、それでいいじゃないですか。」と言ったが、時すでに遅しだった。
「お嬢さん、ミスターの旦那は、公共の電波で批評をひけらかすつもりはないってだけなんですぜ。只只。チャイなんか飲みながら。そんな弱腰野郎に出汁の何が判るんですかね。」
「おれはそこまでは言わないけど、単純にどの出汁がいいのか見極めたいよ、おれはね。」
「チャイ飲んでんですよ。」
 いいじゃない何飲んでたって。と、わたしは苦々しげにサンドイッチを頬張った。それにチャイは美味しい。わたしは店主に、チャイってあります、と訊いたら、買いに行けばある、と言われて、つまりなかった。買っておいてくださいね、とわたしはサンドイッチとコーヒーの代金を置いて店を出た。

 つい先だって、一キログラムを定義する分銅が盗難に遭ったと報じられた。キログラム原器と呼ばれる分銅は非常に貴重なもので、世の中の秤のすべてがこの原器を元に作られている。大変貴重なものなので、それなりに厳重に警備され保管されていたのだが、何分この時代である、昔ほどアイ・ティーなどに明るくなく、ひとびともおおらかな為に、ふと警備が手薄になった際に持ち去られたとのこと。それでもやっぱり警備には問題があった、分銅を作り直さなきゃいけないし、それを基準にして世の中の秤も作り直さなきゃいけない、と真面目で意見を言いたがりの専門家は言うが、昨今はみんな殆どテレビを観ていないし、街の言いたがりもエス・エヌ・エスで吐露するけれど、それもあんまり閲覧されていないしで、数多の厳しい声は地面に落ちて土に吸われてしまったかのようだった。そのへんは分銅を守る仕事に就いている人が真面目に考えればよいことで、責任のない外野が好き勝手言うのを別に誰も望んでいないのだった。
 基準が変わったら、体重の数字も変わるだろうか。情けないことに、体重は、こくこくと減り続けている。食べているのにな、と悲しくなる。仕事に吸われている気がしないでもない。とにかく頭を使う仕事なのだ、頭脳労働なんて言われるけれど、本当にそんな感じである。でも、図書館の司書に比べたら大したことではないと思う。この世界のすべての情報が詰まっている場所で、そのすべてに手を伸ばし、丁寧に翻訳をする人たち。あの人たちからはいったい世界はどう見えているんだろう、と思う。箱庭のような赤煉瓦の外壁に、世界と一緒に閉じ込められている感覚なんて、考えても考えてもわからない。
 体重の増やし方、を携帯端末に打って、司書宛に送信した。すると、十分ほどで回答が返ってきたから、わたしはぼんやりしながらそれを眺めた。

二月・三

二月・三

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-04-02

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