女たち/case境野香織

rightboy10

結婚しようよ言われたのは、先週のことだった。付き合って三年目の記念日。少しめかしこんで行くようなレストランで食事した帰り、夜景のきれいな桟橋の上で隆司があたしにプロポーズをした。上品ですっきりとしたフォルムのスーツのどこに隠し持っていたのか、婚約指輪を差し出しながらだ。思わずうっとりとしてしまうようなシチュエーション。スマートでロマンチックで、夢みたいなプロポーズ、なのに。

「考えさせてって言ったの?信じられない。」
アイスコーヒーにたっぷりのガムシロップを飲ませながら、真奈美が心底あきれた声を出す。それを一度だけストローで混ぜたのち一口飲んで、
「何が不満なの?」
と、咎めるような口調であたしを見た。その視線にあたしは少し居心地が悪くなる。
「不満があるわけじゃなくて……なんだか、わからなくて。」
隆司と結婚して、子供を産んで、育てて、二人でずっと年を重ねて生きていくっていうヴィジョンがいまいち見えないというか……あたしの返事に、真奈美の眉がどんどん吊り上がっていくのがわかった。怒っている、と、思った。それもそうだ。あたしと隆司が出会うきっかけをくれたのは真奈美で、あたしたちの仲を一番応援していたのも彼女。そして隆司の、友達でもあるのだから。
「わかんないとか見えないとか、当たり前じゃん。だってまだ結婚もしてないのに、香織のいってること単なる想像でしかないじゃん。なのにそんな理由で保留したの?隆司にそれ言った?」
あたしは首を横に振る。
「いくらなんでも、ひどくない?」
真奈美の言葉にあたしは黙る。彼女の言葉に納得する一方、心のどこかで、でも、と、あたしは思っている。でも、でも……続きの言葉は出てこない。でも、いったい何なのだろう。何が不満で、何が不安で、わざわざ時間をもらったのだろう。思い出すのは隆司の悲しげな表情ばかりで、あたしのなかは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。彼は何も悪くないのに。
「……保留して三日だっけ、いま。待たせて一週間だと思うよ。」
俯いたままのあたしに真奈美がそういう。あたしの目線は真奈美のアイスコーヒーから目が離せず動けない。アイスコーヒーは混ざり切っていないガムシロップがグラスの底にたまってもやもやとした層になっている。あたしの気持ちみたいだ。悪いものじゃないはずなのに、よどんでいる。
「それまでに、返事しなよ。」
念を押すように真奈美だそういい、あたしはゆっくりと頷いて、精いっぱいの声で「わかった。」と、答えた。



「結婚したくないってことじゃないですか?」
佐倉君の言葉に、あたしは目を丸くした。驚いて、そんなことないよというのがやっとだ。
「じゃあすぐOKしたはずでしょ?しないのは、結婚したくないからって意味じゃないんですか?」
まだ大学生のうちの店のアルバイトの佐倉君は、時々言葉遣いがなっていない。アパレルの店だからとOKしている金髪も、ほとんど白に近くてなんだか日本人じゃないみたいだ。
真奈美と会った後、いろいろ自分で考えていたが答えは一向に出てこなかった。誰かに相談しようと思って一番最初に思い浮かべたのが佐倉君だった。特別仲がいいわけではないけれど、関係は悪くない。話を聞いてもらえれば男性目線のアドバイスをくれるかもしれない。そんな気持ちと、女友達に相談してまた真奈美のように咎められるのが嫌だという気持ちが半々で、あたしは彼を選んだ。いいですよ、と軽く受けてくれた佐倉くんを閉店後カフェに連れ出して話を切り出す。アイスミルクティーを飲んだり、ストローをもてあそびながら聞いていた佐倉君は男目線のアドバイスどころか、結婚したくないからじゃないかなどと的外れなことを言ってきたので、あたしは本当に驚いた。今の話で、どうしてそう思うのだろう。そんな簡単な話ではないのに。
「佐倉君はまだ大学生だし結婚とか考えないでしょ?だからちょっと、わかんないと思うんだけど……」
あたしがそういうと、佐倉君はちらっとこちらを見て、
「多分それ、誰もわかんないと思うよ。」
と、小さくつぶやいた。
「彼氏、泣いてたんじゃないですか。」
続けてそういう彼にあたしは思わずムッとする。
「泣いてなかったよ、そういう人じゃないから。」
あたしの言葉に、今度は佐倉君がムッとした表情を浮かべる。
「そういう人って?ひどいことされても泣かない人ってこと?」
呆れた。あんまりな言葉にあたしは佐倉君を睨みつける。佐倉君はそんなこと気にもしないのか、相変わらずムッとした表情であたしを見ている。なんだろうその言い方。まるであたしが悪者みたい。そうじゃないのに。違うのに。隆司のことは好き、大好き。でも結婚。結婚したくないわけじゃなくて、ただなんだかしっくりこなくて、隆司と結婚して、子供を産んで、それから、それから二人で年を重ねて、でもなんだかそれらすべてがあたしにしっくりこなくて、それがどうしても気持ち悪い。断ったわけじゃない、ただよりよい答えが出るように考えさせてって、そういった、そういっただけなのに。
「僕はひどいことされたら、泣くけどね。」
佐倉君はまっすぐにあたしを見ている。あまりにも真っすぐで、ためらいのない声色に、あたしは急に不安を感じて戸惑う。あたしが悪者なのだろうか。考えさせて、そういっただけなのに。それでいまたくさん考えているのに。まるであたしが隆司にひどいことをしているみたいに。なぜそんな目で見るのだろう。
「あたしが、悪いの?」
「別に、悪いなんて言ってないけど。傍目からみたらちょっとひどいかなって思っただけ。理由言わなかったなら余計に彼氏さん傷ついただろうなって。そんだけ。理由言ったらよかったって話でもないだろうけど。でも別にいいんじゃない。最善と思って時間もらったなら、悩めばいいじゃん。」
畳みかけるように佐倉君がそういう。いつの間にかすっかりため口になっているけれど、今のあたしはそれを注意するような余力はない。
「ねぇ、僕に相談して、僕になんて言ってほしかったの?」
その言葉にあたしは面を食らう。あたしは何を期待して、彼にこの話をしているのだろう。
「肯定してほしかった?間違ってないよって。不安だもんね、時間ほしいよねって。でも僕、そうは思わないかな。僕はどうしても彼氏さんのほうの気持ち考えちゃうし。しかもロマンチストだよね、いろいろ考えて決行したんだろうなって。それ全部台無しにしてきたんだなって、僕は感じちゃったけど。僕二人のことよく知らないし、彼氏さんめちゃくちゃいい人で完璧に感じるけど、境野さんにとって結婚は無理って部分があったのかもしれないし。そこらへんまで知らないからさ。話せば?そういう気持ち全部、話してそれで、最終的に境野さんが悪いかどうかは、彼氏さんが決めることだから。」
僕が言えるのそれだけだから、僕帰るね。そういって、佐倉君が立ち上がった。白に近い金髪が揺れる。前髪が長くて、色が白くて、女の子みたいにかわいい顔立ちが、金髪の間から少しだけのぞいている。その目はもうあたしのことなんかみていなかったけど、あたしはその挙動をずっと見ていた。すたすたと足取り軽くカフェを後にした佐倉君は、出たところでスマホを取り出して誰かに電話をかけていた。友達だろうか、彼女だろうか。そのままカフェを背にして遠ざかっていく。あたしはそれをずっと眺めながら、今さっき与えられた佐倉君の言葉の意味を考えていた。

頭の中がぐるぐるする。ぐるぐるして、気持ちが悪い。一度せき込むと、苦しかったのか涙がにじんだ。それから歯止めが利かなくなり、あたしはその場で震えるように泣き出す。閉店も間近な店内には都合よく客もまばらで、店員ですら客の様子なんていちいち気にも留めない。それをいいことに、あたしは声を殺しながら泣いていた。何が悲しいのかなにが怖いのかそれすらもうわからなかった。ただ佐倉君の言葉だけが頭の中でこだまして、あたしの中で反響している。ずるい、と、言われたような気持ちだ。なんだかわからないけれど、ずるい、そういわれたような気がする。ただ不安なだけなのに、どうしてわかってくれないのだろう。あたしの気持ちをどうしてわかってくれないのだろう。あたしはどうして、佐倉君ならわかってくれると、そう思ったのだろう。


(2019/3/10:カクヨムに投稿したものを再編集)



(2019/3/10:カクヨムに投稿したものを再編集)

女たち/case境野香織

女たち/case境野香織

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-02-24

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