もうひとつの世界

渡逢 遥

病気なんだ。此奴は何時だって、感情の無駄遣いをする質なんだ。捨てたものと失くしたもののちがいが、てんでわかっていやしない。それでいて、雀の涙ほどの感傷を、それはそれは大事に取っておいて、凝縮に凝結を施し、喉が限界まで乾いたところで、口に含む。すると忽ち、充たされた気分になるというのだから可笑しなものだ。そんなつまらない飴を舌で転がしつづけて、何の意味があるというのか。俺は揶揄った。すると、其奴が云うにはこういう事らしい。「君の云う病人からしたら君も漏れなく病人という事になるが、君は本当に覚悟を以て断罪しているのか?そもそも、俺を構成するものに、そして俺の取る行動に、意味とやらがあったとして、俺は何とも思わない。ちっとも嬉しくない。何もかもに意味を与えたり、見いだしたりしようとする輩のその態度こそが俺は気に食わないね。その癖、自身に冒涜の自覚が無いのだから愚かしい事この上なしだ。だが俺とて、彼等の生き方を否定している訳では決して無い。自分の正義は自分の中だけで完結していればいいものを、それを全体の共通信念だと見なしている奴がいるのが好かないだけだ。まったく見上げた排斥者根性だよ。他人に押し付けられる意味の奴隷になるのだけは御免蒙るね。それに、物事というのは、意味が無くなる瞬間が一番美しいんだ。俺は、意味も無く存在しているものしか見たくない。意味も無く生れ、意味も無く欠け、砕け、崩れ、朽ちていくものしか見たくない。それに俺が寄せるのは同情ではない。憧憬だ。氷は水になり、やがて水蒸気になって大気に空に溶けていくだろう。俺はそんな風にして自分の人生を使いたいだけだ。他人の人生の責任を粒ほども背負う気の無い奴に口出しされて良い気分になるか?俺はならないね。言いなりになるくらいなら、諂うくらいなら見せしめとして吊るされた方が増しだ。まあ、現実にそうなったところで謝罪する気はさらさら無いけどね。俺は最期の瞬間まで、口の中で飴玉を転がしつづけるよ」。彼奴は最早、不倖とか倖とかそういう概念を超越していた。その日から俺は断罪というものに就いて考える様になり、独りで過ごす時間が増えた。所謂、蟄居状態という奴だ。そして、自分以外の目に触れる事など無いであろう詩や小説を書き始めた。未明、俺は久方ぶりに外に出、外の目まぐるしさを知った。雨の只中にいながら、太陽を待っていた様な心地だった。酷寒の地に於いて、月は氷を融かせない。喉に何かが引っ掛かっているのを感じた。俺はそれを、飴玉だと思った。

もうひとつの世界

もうひとつの世界

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-02-24

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