冷蔵庫の中で

 母が花柄のワンピースを着て冷蔵庫の中に引きこもってしまってから、もう一週間になる。原因はわからない。父は、更年期障害だろう、と憶測をたて、姉は、お父さんの浮気だよゼッタイ、と言い、僕は、ただの気紛れだろう、と思っているが、当の本人が何も話してくれないのでわからないのだ。冷蔵庫の厚ぼったい扉に話しかけてみるものの母はずっと沈黙を守っている。時折扉の隙間からマヨネーズやケチャップの絞り口を勢いよくしぼって、僕たちに攻撃してきたりする。
 母は頑なだ。引きこもる前だって、父と口論になると二、三日家出したまま、行方知れず、ということがあった。どんなに些細なことでもゆずらないのが母だった。
 ただ、いつもならそれなりの原因があった。いくら頑なとはいえ、その頑なにならざるを得ない出来事があるからこそ、頑なになるのだ。わけもなく頑なになるのではない。僕たちは、だからその「頑なにならざるを得ない原因」を考えてみた。父は首をかしげるばかりだし、姉は一人でセンベイの袋を全部開けてしまうし、結局何一つ浮かばなかった。そのうち父は冷蔵庫に向かって泣きごとを言い出すし、姉は、お母さんいいかげんにしてよね! と怒りはじめる始末――仕方がないので、僕は食卓の上の食器を片づけ、さっさと風呂に入りベッドに寝転がった。テレビをつけると、最近問題視されている「主婦たちの引きこもり」の特集をしていたので慌ててチャンネルを変えた。
 それから三日後である。とうとう食料がつきた、らしく、母はすんなりと出てきた。決してあんたたちのために出てきたわけではないよ、とか、あたしがいない台所は空気が濁っているねえ、とか、ぶつぶつ言いながら。
 ひさしぶりに見る母の肌は、なぜかつるりと光っている。特に頬のあたりが。冷蔵庫の中身はほぼ空っぽになっている。さすがに生ものや冷凍食品は残っているが、他のもの――ハムやかまぼこや食パンは――きれいさっぱりなくなっている。
 母は、冷蔵庫の中で、どのようなことを考えていたのだろう? 聞いてみたい気持ちはある。けれどそれ以上に聞くのが、怖い。買い物に出かける母の背中と、鈍い音を放つ冷蔵庫を交互に見て、ほっとため息をつき、つき終えたあと、「……よし、明日こそ、学校へ行くぞ」と、僕は決意するのだった。

冷蔵庫の中で

冷蔵庫の中で

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-23

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